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桑の実
  
  女人高野の名で世に知られた室生寺は、この季節、また石楠花の美しいことでも有名で、多くのカメラマンのねらうところでもありますが、そこがまた、このわがままな老人にとっては、我慢のならないところでもあります。ひとり静かに被写体と対峙するという、写真の醍醐味を味わいたいのに、無礼なカメラマンに廻りをうろうろされたんでは、何もかもぶちこわしで、たまったものではありません。
  
  ということで例によって午前3時に家を出るという荒技を行使し、門前の駐車場に着いたのが午前6時を過ぎた頃、当然門は閉ざされたままで、午前8時の開門までは、車の中で仮眠を取るよりありません。8時になるのを待ちかねて、受付に行きますと、既に5、6人のカメラマンが開門を待っております。嫌な予感がしましたが、しかしゴールデンウイーク過ぎのことでもあり、幸いにもこれ以上増えることもなく、受付を通り過ぎると、皆せかせかと思い思いの方向に散って行き、辺には誰もいなくなってしまいました。
  
  ということで、まずは記念にと、思いのままに対峙したのが、この三門の写真です。三門は東の方角にありますので、朝日に透ける青葉がきれいですな、‥‥
  
  
  
  三門を入って東に向いますと、やがて道は行き止まり、左手にゆるい石段があり、石段の上には金堂があります。肝心の石楠花は、あらかた盛りを過ぎていて、散り落ちた花びらが石段や、道のここかしこを飾るばかりですが、少しばかり残った花で、背景の明るい部分を隠すべく、アングルに工夫をこらしたのがこの一枚です。
  
  
  
  金堂の前の広場を左手に取ると、また石段があり、潅頂堂(本堂)の前に出ます。その建物の西側の石段の上に、小ぶりながらも日本一美しい五重塔があります。
  
  早朝の光線は、斜めにあたりますので弱く、日陰も日向も均等に写すことができるので、建物の写真を撮るには、はなはだ具合のいいものですが、この正面写真は、木々に邪魔されて、半ばが覆い隠されています。周囲を多めに写して、雰囲気を出すことにしました。
  
  
  
  物の後ろ姿というのは、一種の盲点ですが、意外と良い写真が撮れたりするものです。
  花蘇芳が光線に透けて若芽が美しいので、塔の影に入れて際立たせました。
  
  
  
  金堂は桁行(けたゆき、正面)五間、梁行(はりゆき、側面)四間の寄せ棟、杮葺(こけらぶ)きの正堂に、懸崖造りに一間の礼堂を附して、その上に庇を片流れに長くのばしたもので、縋破風(すがるはふ、寄せ棟から片流れをつなぐ部分)の画く曲線が美しいので帰りしなに、その辺がよく見える場所を探して撮りました。奥に石楠花の咲いているのが見え、明りも一つともっているところが、この写真の眼目です。
  
  
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  全国の有名社寺は、あらかた撮り尽くされていますので、皆どこかで見たような写真ばかりを並べて、内心忸怩たるものがないわけではありませんが、しかし早朝の柔らかくして、しかも清らかに澄んだ光線を感じ取っていただければ、また苦労の甲斐もあろうかというものです。
  
  
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  姪の結婚式に出ました。
  姪たちが、めでたく結婚の結末を迎えられるよう、その心構えとして、「論語」の中より撰んで、次の言葉を伝えたいと思います、――
  
先生は、こう言われた、――
「君子は、
   和するが、
   同ずることはない。
 小人は、
   同ずるが、
   和することはない。」と。
  
  
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  一語一語、説明しましょう、――子(し)は先生を指し、論語の中で子を附してよばれるのは、孔子、曽(そう)子、有(ゆう)子、冉(ぜん)子、閔(びん)子の五子に限り、その中でも孔子だけは、名を附さずにただ子とのみ呼ばれます。曰(えつ)は言うと同意、慣例的に孔子の言葉は、「のたまわく」といい、他の人には、「いわく」といいます。君子(くんし)は立派な人、他の手本となるべき人をいい、小人(しょうじん)は取るに足りない人、他の手本とならない人をいいます。和(わ)は個々の個性を捨てずに、他人と仲よくすること、同(どう)は自分の意見を捨てて、他人に媚びへつらうことです。
  
  大意を、説明しましょう、――先生は、こう仰った、「人の手本となるような立派な人というものは、自分の意見を捨てずに、他人と仲よくするが、手本とすべきでないような取るに足りない人は、自分の意見を持たずに、他人と仲よくしようとする。」と。
  
  「左伝」という書物の昭公二十年の条に、「和」と「同」の違いについて、晏子(あんし)という斉(せい)の国の賢臣が、このように説いています、――斉の景公が狩猟から帰り、高台で休んでいると、子猶(しゆう、斉の臣)が車で駆けつけてきた。公が「ただ拠(きょ、子猶の本名)だけが、わたしに和したのだろうか?」と言うと、晏子は「拠は、ただ同じたに過ぎません。どうして和したと言えましょう?」と答えた。公が「和すと、同ずるとは異なるのか?」と言うと、晏子は、こう答えた、――「異なります。和は、羹(あつもの、スープ)と同じです。水、火、酢、塩辛、塩、梅干しを用いて、魚、肉を煮込み、炎を起すには薪を用い、料理人が、これを和し、これを調え、味わってみて、足らなければ補い、過ぎれば薄めるので、君子がこれを食えば、心が平らかになります。君臣の関係も、またこれと同じように、君がこれで好いとしても、好くないところが有れば、臣はそうでないと進言して、君の言葉を完成し、君がこれは好くないとしても、それが好いのであれば、臣はそれを進言して、君の言葉を完成して、政治を平らかにしますので、民の争う心を無くすることができます。詩経にはこう言っています、「味を和したる羹(あつもの)で、民の心を平らげよ、上下相い和しことばなく、争い事もおさまらん」、と。古の聖王は、五味(辛、酸、鹹、苦、甘)を調え、五声(宮、商、角、徴、羽)を和して、自らの心を平らかにし、政治を完成させました。声(音楽)も、また味と同じことです。一の気、二の体(文舞、武舞)、三の類(風、雅、頌)、四の物(四方の産物で作った楽器)、五の声、六の律(十二律中の陽の声に属する六つの音)、七の音(宮商角徴羽の五声と、変宮、変徴の二音)、八の風(八方の民謡)、九の歌(古の聖王禹(う)の造った九功の歌)が、互いに助けあい、清濁、大小、長短、疾徐(しつじょ、はやいとゆっくり)、哀楽、剛柔、遅速、高下、出入、周疏(しゅうそ、こまかいとあらい)が、互いに調えあっているので、君子がこれを聴けば、心が平らかになります。心が平らかになれば、天与の徳と和しますので、詩には「徳の音には瑕(きず)がない」というのです。今、拠はそうではありません。君が好いとされれば、拠もまた好いといい、君が好くないと言われれば、拠もまた好くないというからです。もし水で、水を調えたならば、誰にこれが食えるでしょうか?もし琴瑟(きんしつ、小さい琴と大きい琴)が、専ら一様で変化がなければ、誰にこれが聴けるでしょうか?同ずることが、好くないとは、これをいうのです。」と。
  
  晏子は尊称、本名は晏嬰(あんえい)、字(あざな)は平仲(へいちゅう)、春秋時代出色の賢臣、斉の霊公、荘公につかえ、景公の相(しょう、大臣)となる。勤倹節約に力行し、食には肉を重しとせず、夫人は絹物を身に着けず、一枚の皮衣を三十年用いたことにより、諸侯に名を顕わすといわれており、孔子も論語の中で「晏平仲は、善く人と交わりながら、久しくしても、狎れすぎずに礼儀を守っていた。」と称え、孔子の後継者の曽子も、礼記という書物の中で、「晏子は、礼を知る者であるとでも言えばよいでしょう。」と称え、晏子の弟子のまとめた言行録の晏子春秋には、「晏子は一心をもって、百君に事(つか)うる者なり。」といって、晏子が多くの君に仕えながらも、心は一定不変であり、相手に応じて変わらなかったと称えています。
  
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  話を、元にもどしましょう、――結婚とは二人のまったく異なる人間が、共に家庭という新たな物を造るということですが、そこには二人の個性が全きかたちで顕れていなくてはならないと言いたいのです。念のため、この事を忘れないよう、蛇足ながら敢てもう一度譬えてみましょう、――「一枚のお膳の上に、御飯、味噌汁、煮物、焼き物等が和合して、新たに一人前の膳部が出来上がる。」と、これが結婚なのです。もし味噌汁が変じて御飯となり、煮物も焼き物も皆変じて御飯となったとすれば、どれほど御飯が尊かろうと、もはやそれを膳部とは言えないのであり、ここに夫々の個性を全うすることの重要性を知ることができるのです。
  
  はたして、それが茨の道となるのか、それとも花の道となるのかは、二人のこれからの心構えにかかっていますので、それを今知ることはできませんが、何はともあれ、二人には汲めど尽きせぬ、末永い結婚の楽しみを味わってもらいたいと、それのみを思っています。
  
  
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  散歩の途中で、桑の実を見付けました。まだ少し完熟してはいないようですが、何とか食べられそうなので、ほんの一握りほどを摘んできました。
  
  
  
  
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (桑の実 おわり)