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竹の子
  
  神の石臼は、その動きはのろいが、その挽く粉はとても細かいと言うそうですが、その石臼が情け容赦なく回転するように季節は廻り来たりて、今年もまた大好きな竹の子の季節となりました。
  今月は、皆様とご一緒に竹の子のちらし寿司を作ってみましょう。
  

  
死に神様の正体
宇野浩二  
  
  或る日のことでした。
  村はづれの居酒屋で、三人の若い男がお酒を飲んで居りました。まだ年も若いくせに、お祭りでも何でもないのに、そんな昼日中から居酒屋に行って、お酒を飲んでいる位ですから、誰にだって大抵想像が付くでしょう?――そうなんです、三人が三人とも、そろいもそろって怠け者なんです。
  先づ名前を言っておきましょう。大きな目玉のきょろきょろした男が玉吉(たまきち)というのです。身体の小さい細い声の男が鳶蔵(とびぞう)というのです。豚のように太った、一番大きな男が太助(たすけ)というのです。ところで、銘々そんな風に顔形は違っていますが、似ているのは三人が三人とも、怠け者で、お酒が好きで、人の十倍も欲が深くて、働くこととなると、縦のものを横にするのも面倒臭いという性質なのです。だから、遊ぶことなら、夜寝なくてもかまわないと言う方で、その代り人の三人分ぐらい力が強いことと、身体の丈夫なことが、何よりの自慢でした。そして三人が三人ともそうなのです。
  だから、この三人が毎日毎日人の働いているのを尻目にかけて、昼間からこの居酒屋に来て、お酒を飲んでは、つまらない唄をうたっていました。ところで、私はこの仲間を三人だと申しましたが、実はもう一人いるのです。それは抜作(ぬけさく)と言うのですが、どうしたのか昨日あたりから姿を見せません。
「どうしたんだろうなア?」とふと玉吉はそのことを思い出して、こう誰に言うともなしに言いました。そしてぐッとコップに半分残っていたお酒を一息に飲み干して、
「なア、昨日も今日も抜作がやって来ないが、どうしたんだろう?」
「そうだな、俺も今その事を言おうと思っていたんだ、」と鳶蔵が言いますには、「外の奴等と違って、我々の仲間の者が病気になるなんて筈はないし‥‥。」
「そうとも、」と太助がその身体相当な太い声で言いました、「そうとも、我々はお互いにまだ生まれてから、病気なんてした事ないからな。‥‥まあ、いいや、そのうち今にもあの間の抜けた顔をしてひょっくりやって来るだろう。飲め、飲め!」と言いながら、「おい小僧、酒を注いでくれ。どうしたんだ、今日は亭主がいないじゃないか?」
「今朝からどこかへ出かけて行ったよ」と、小僧は無愛想に答えて、みんなの空のコップにお酒を注いで廻りました。
「大方あの、抜作のことだから二日ぶり位つづけて寝てるのかも知れないよ。さあ、飲もう、飲もう、」と玉吉が言いました。
  もう三人とも、さっきから大分飲んでいたものと見えて、真っ赤な顔をしていました。それでもまだ飲み足りないと見えて、そんな風にちょっと友達のことを心配して噂していたかと思うと、直ぐに忘れて、小僧に幾度も幾度もお酒を注がしながら、口々に唄をうたったり、馬鹿な話をしたりして居ました。
  その時、表の方にカンカンという鐘の音が聞こえて来ました。
  
      

  三人の怠け者が、思い思いに酒樽の椅子に腰かけて、お酒を飲んでいる時に、表の方にカンカンという鐘の音と、それに連れて、どうやら坊さんのお経を読むらしい声とが聞こえて来ました。すると、その後から大勢の人たちがぞろぞろ附いて来る足音も聞こえるのです。
「何だろう、今頃?」と身体の小さい鳶蔵が、暖簾の掛った表の方を透かし見ながら、聞き耳を立てて、「縁喜でもない、不景気な鐘など叩(たた)きゃがって‥‥」といまいましそうな舌打ちをして言いました。
  その時、入口の暖簾をかき分けて、あわただしい様子で、居酒屋の主人が駈け込んで来ました。
「どうしたんだい、そんなに泡喰って?」と太助が聞きました。
「大変だよ、大変だよ、お前さん達!」と亭主が皺だらけの顔をなお皺だらけにして言いますには、「お前さん達の友達の抜作さんが‥‥抜作さんが‥‥」と半分言って、部屋の隅にきょとんとした顔をして立っている小僧に向って、「おい、小僧。俺はこれからお葬(とむら)いに行くんだから、そう言って、大急ぎで羽織を出してもらってくれ。」
「抜作がどうしたというんだい、おい?」と目玉の玉吉がもどかしそうに聞きました。
「その抜作さんが、お前さん、」と亭主はまだあわてた調子で言いますには、「昨日の朝から急に熱が出たんだそうだが、人間なんてもろいもんだな、何でも昨夜(ゆうべ)の十時頃だとかよ。とうとう死に神様がやって来て、とつ憑(つ)かれてさ、死んでしまったんだそうだよ。今そこを、通るのは、その抜作さんのお葬いなんだ。お前さんたちは、不断からあんなに仲善くしていて、その友達が死に神様にさらわれたのを知らなかったのかい?‥‥」
  そして、亭主はいらいらしながら、奥の方に向って、「おーい、小僧、何をぐづぐづしてるんだい、早く羽織を出して来てくれ?」と叫びながら、飲んでいる三人の方に、
「さあ、お前さんたちも、お友達甲斐に私と一緒にお葬いに行って上げなされ。」
「なに、死に神に取つ憑かれたって?」と玉吉は持前の大きな目玉を一層きょろきょろさせながら、いまいましそうに聞きました。「その死に神という奴は、何処に居るんだ?」
「さあ、そいつは分からないな、」と亭主は顔を顰(しか)めて首を傾(かし)げながら言いますには、「何でも去年の暮あたりから、流行性感冒という病気がはやり出してからというものは、隣村でも、この村でも随分ひょこひょこと人が死んで行く様だから、きっとこの隣村との境の森の奥にでも来ているんじゃないかな?」
「何、あの森に?」と太助は大きな拳骨を固めながら、「じゃあお葬いより何より、俺たち三人でこれからあの森に出かけて行って、死に神を取つちめて、抜作の讐(かたき)を討ってやろうじゃないか?」と声に力をこめて言いますと、
「そうだ、そうだ、」と玉吉も早速賛成して、「それが何よりのお葬いだ。じゃあ、親爺さん、お前は葬いに行って来な。なア、兄弟、俺たち三人寄りや、死に神つてどんな強い野郎か知らないが、立派に抜作の讐を取ってやれらあ、なア?」
「そうとも、そうとも、」と鳶蔵も賛成しました。
  そこで、三人の男は、亭主がお葬いに出かけた後で、又二坏も三杯もめいめいお酒を飲んで、勢いこんで、死に神退治にと、村境の森の奥へと出かけて行きました。
  

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  竹の子は皮の先の部分を切り落し、一握りの糠といっしょに水から茹でます。小さな竹の子なら凡そ三十分ほどで柔らかくなるので、その頃に火を止めますが、冷めるまではそのままひたして置くことが上手くアクを抜くコツです。
  竹の子が茹って柔らかくなったら、薄く刻んで食べよい大きさに切り、塩と薄口醤油少々とで薄味に炊きましょう。凡そ5分ぐらいで味がつきます。
  雑魚(ざこ)はコウナゴ、シラス、チリメンの中から好みのものを酢飯に混ぜ込みますが、あらかじめ味付けした合せ酢に漬けておけばよいでしょう。写真はコウナゴです。
  合せ酢は酢に砂糖と塩を加えて、少し塩辛めに加減をし、鍋に入れてちょっと火にかけて塩を溶かします。酢は米酢を使ってください。ご飯と合わせ酢の割合は10対1です。これ等の量は好みにもよりますが、わたくしの場合は二人前で米1合、酢30㏄、砂糖大さじ1、塩小さじ1/2です。雑魚には塩が含まれるので、塩は標準より少なめと思ってください。
  写真は二人前の量ですが、好みで加減します。

  
      
  
  前にも申しました通り、何か仕事で働くこととなると、五分間か一分間でも骨惜しみをするくせに、こういう喧嘩めいたこととか、遊び半分のことだと、元々身体が丈夫で、力自慢な男たちのことですから、大変な勢いで、思い思いに鼻唄をうたいながら、死に神退治にと出かけました。そして、森の中をあちこちと、隅から隅まで、大方二三時間も探し廻りましたが、一向死に神らしいものに出遭いませんでした。
「どうしたんだろう、一向見付からないじゃないか?」と鳶蔵がそろそろ欠伸(あくび)をしながら退屈して言いました。
「いない筈はないがな?何処かに隠れてしまったんじゃないか?」と太助が言いました。
「きっと、死に神の奴、俺たちの威勢に恐れて、隠れてしまったんだよ、」と玉吉が言いました。
  そんな風にこぼしながらも、いよいよ見付け出したら、どんな風に殴り付けてやろうとか、どうして、退治してやろうとか、そういう楽しみを考えて、三人は根気よく、木の枝の上から、草の葉の中まで分けて、探し廻りました。しかし、三人とも死に神というものが一体どんなものか、多分人間と同じ恰好をしているものだろうとは思われるが、それにしてもどんな着物を着ているのか、ちっとも知らないのでした。が、それは多分、絵本や何かで時々見かけるように、白い着物を着ているのだろう位には見当を付けていたに違いありません。太助は「頭に三角の鉢巻きをしているに違いないよ、」と言いました。すると、鳶蔵が「いや、それは死人のことだ、死に神様は真っ白な、大きな烏帽子を被(かぶ)っているだろう、」と言うのです。実際どんな恰好のものだろう、とそれを見るだけでも、三人は愉快でたまらないものですから、飽きずに、終(しま)いには手分けをして探し廻りました。
  すると、森の中の、殊更に木の葉の重なり合った、日の光の射さない、暗い場所を探していました鳶蔵が、突然、
「やーい!来て見ろ、来て見ろ!」と叫びました。
  その声に、思い思いに、少し離れた所を探していました外の三人は、到頭見付かったのかなと、腕に力瘤(ちからこぶ)を入れながら、大急ぎで鳶蔵の傍に走って行きました。すると、鳶蔵は一本の大きな木の根のところに突つ立ったままで駈けつけて来た二人に、黙って、自分の足下を指さして見せるのです。
  その恰好が少し気味が悪かったおで、後の二人は、何だろう、と覗いて見ますと、木の根が章魚(たこ)のように足をひろげている間に、土の中から、蓋をした壺のようなものが半分のぞいているのです。
「死に神の奴、この中に這入(はい)っているんじゃないか、と思うんだ」と暫くして鳶蔵が言いました、そして少し気味が悪そうに、「開けて見ようか?」と二人の顔色を見ながら言いました。
「なアに、大丈夫だ、」と太助が元気な声を出して、「村で力自慢の俺たち三人だ、恐がる事はない。さあ、皆用意しろ、俺が今蓋を開けるから。もし中から死に神が飛び出して来て、抵抗(てむか)いしそうだったら、殴り死(ころ)してしまえ!」
「よし、来た!」と後の二人は腕まくりをして待構えました。
    

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  良質の干し椎茸を一晩水に漬けてもどし、戻し汁に砂糖と醤油で濃いめの味をつけ、20分ほど煮ます。
  キクラゲも椎茸と同じように一晩水に漬けてもどし、椎茸といっしょに煮てください。この時、煮上がり際に味醂少々を加えてツヤを出します。
  椎茸の半分量をミジンに切ってご飯に混ぜ込み、殘りは薄く切ってご飯の上にのせます。キクラゲも細く切ってご飯の上にのせます。

  
      
  
  ところが、やっとの事で、土がへばり附いている上に、随分固く封をしてあったものと見えて、うんうん呻(うな)って太助が蓋を取りのけたのを見ますと、後の二人が勢い込んでいた甲斐もなく、中から何にも飛出して来る様子はなくて、驚くではありませんか、壺の中はひっそりしていて、覗いて見ますと、そこには目の覚めるような、金貨が一ぱい詰まっているのでした。
  太助は無論のこと、腕まくりして待ち構えていた玉吉も鳶蔵も、それを見るとがっかりして、一時は力抜けのした恰好で、暫くぼんやりとその場に立っていましたが、もともと、前に言った通り欲の深い連中のことですから、誰が言うとなく、「もうこれだけ探したんだから、これで見付からないところを見ると、この森の中には死に神はいないに定(きま)ってるよ。いないとなると、仕様がないじゃないか?が、これだけ俺たちが骨を折ったんだから、これで死んだ抜作のお葬いは十分したも同じことだよ。ところで、この金貨はうまい儲けものをしたものじゃないか、これは抜作の志(こころざし)だよ。三人で分けようじゃないか!」
「そうとも、そうとも、」と太助が言いました。「外のせっせと働いて、僅かな銭を儲ける奴等は馬鹿だな。なア、兄弟、村中の金をすっかり掻き集めても、この壺の中の金貨の三分の一もありやしないよ。」
「ところで、じゃな、」と玉吉がその時、持前の大きな目玉をぎょろつかせながら、言いますには、「この真っ昼中に、こんなものを持って村に帰って行ったら、みんなに見付かって、うっかりすると、折角これだけのものを、お上に取上げられるような事になっては馬鹿々々しいよ。なア、どうだい、ここで夜になる迄待つことにしようじゃないか?」
「それがいい、それがいい、」と後の二人も賛成しました。
「だが、」と玉吉が又言いますには、「これから夜迄ここでじっと蹲(しゃが)んで、ぼんやりしているのも気がきかないな。それに、さっきから少し働き過ぎて、お蔭で酒もすっかり醒めたし、多少腹もへって来たし、‥‥なア、そうじゃないか?」
「それや、そうだな、」と鳶蔵も言いました。「なアに、もうこれだけ金があれば、あの酒屋の亭主に催促されながら、びくびく頭を下げて飲ましてもらわなくたって済む訳だ。金を出してうんと買って来て飲もうじゃないか?」
「それがいい、」と玉吉が言いました。「じゃ、こうしよう。俺と太助とで、ここで張番をしているから、鳶蔵、お前御苦労だが、この金貨を一二枚持ってって、酒とそれに何か見つくろって、色々うまい物を買って来てくれないか?」
「そう頼みたいな、」と太助も言いました。
「じゃ、俺が行って来よう、」と言って、気軽な鳶蔵は、壺の中から金貨を一二枚掴(つか)み出して、村の方へと出かけて行きました。
  
      
  
  さて鳶蔵が使いに行って、後の二人が森の中で金貨の壺の張番をすることになったのですが、根が欲の深い、欲にかけたら友達のことも何も忘れるような男たちのことですから、ぼんやりと木の根に腰をかけて、金貨をにらんでいるうちに、碌な事を考え付きませんでした。
「なア、太助、」と玉吉は目玉をぎょろぎょろ光らしながら、言いますには、「俺は今こんなことを思いついたんだ。というのはな、この金貨を、三人で分けるようりは、二人で分ける方が、お互いにどっさり手に這入っていい訳じゃないか?」
「それや当たり前だよ、」と太助は言いました。「だが、それには‥‥」と何か言おうとしますと、
「それにはだな、」と太助が言わぬ先に玉吉が言いますには、「可哀そうだが、あの鳶蔵の奴、彼奴(あいつ)をない者にしてしまわなければならぬ訳だが、それには、今に彼奴が酒と食べ物を買ってここへ帰って来るだろうから、そこで三人で飲むことになるんだ。で、少しばかり酒が廻った時にだな、隙を見て殺してしまおうじゃないか?」
「よかろう、」と太助は早速賛成しました。
「じゃ、俺が初めに、隙をねらって、いきなり鳶蔵の頭を殴り付けるから、そこで彼奴が吃驚(びっくり)して俺の方を向いた時に、お前、ナイフを持ってるだろう、そいつで一思いに胸を突いてしまえ。」
「そうしよう、」と二人は相談を定(き)めました。それから、「これだけの金貨を二人で分けるのだが、お前、それで何をするつもりだ?」とか「俺はこれをもって世界中を廻って、博奕(ばくち)をしたいと思う、」とか「いや、俺はこれで大きな家をこしらえて、その庭に池を掘るんだ。その池の中に酒を入れて毎日毎日泳ぎながら酒を飲みたいと思う、」とか、勝手なことを言い合って時々ピカピカと光っている壺の中の金貨を眺めては、ほくほく喜んでいました。
「これだけが、みんな俺のものだったら、もっと嬉しいだろうな、」と玉吉は心の中で思いました。
「この金貨が、いっその事、すっかり俺の者にならないか知ら?」と太助も心の内で考えました。
「よしよし、今に鳶蔵を殺して二人になってから、何とか又一つ工夫をして、是非これをすっかり自分のものにしてやろう、」とこれは太助も玉吉と同じことを心の中で考えました。
 と、二人がそんな相談をして、おまけにその上、心の中で色んな悪い考えをしているところへ、いつもの貧乏徳利でなしに、新しい酒樽と、それから何処の料理屋から買って来たのか、大きな出前箱の中に、色々なご馳走が這入っているらしいのとを、両手に提げて、鳶蔵がにこにこしながら帰って来ました。
  

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  車海老は殻付きのまま竹串をさし、沸き立った湯に酒少々、塩少々を加えて塩茹でします。海老の大きさにもよりますが、3~5分ほど中火で茹でたら火を止めて、そのまま冷まして、いったん水中に溶け出た味を、また身の中に戻って来させます。冷めたら殻をはずして、食べよい大きさに、あまり大小が出ないよう切り分けて下さい。
  絹さやは、色よく塩茹でします。茹で時間は凡そ1分ぐらいで十分でしょう。

  
      
  
  鳶蔵は、森の中で壺の番をしながら待っていた二人が、そういう恐ろしいことを考えているとは知らないのか、大変にこにこしながら、お酒と食べ物とを買って、村から帰って来ました。が、それは、これから三人でお酒を飲んだり、御馳走を食べ合ったりして、楽しもうという為ではなくて、実は、この男も、無論待っていた二人に劣らない欲深でした、だから、先程二人を後に残して、一二枚の金貨を握って、村へ買物に行く道々、手の中の金貨を眺めながら、こんなことを考えたのです。
「こういう金貨があの壺の中に一ぱい這入っているんだが、実に大したものだな。それにつけてもそれをむざむざ三人に分けてしまうのは惜しいな。考えて見ると、もともとあと壺を見付けたのは俺だ。だから、俺があれをすっかり取ってしまうのは当たり前なんだ。あの時、俺がみんなに知らさなかったらよかったんだ。が、それは今となってはもう仕様がない。一遍知らしてしまったからには、それを元のようにするには、それには彼奴等に生きていられては都合が悪い、‥‥」と考えながら、鳶蔵は森を出はずれて、村の中を歩いていましたが、「彼奴等に生きて居られては都合が悪い、」と考えていました時、ふと薬屋の前を通り掛りました。「そうだ、いい考えがある、此処で毒薬をそっと買っておいて、それを酒の中に混ぜて、彼奴等に飲ましてやろう。そしたら、わざわざ大立廻りなどをして手数をかけなくても、ころりと二人とも死んでしまって、つまりあの壺の中の金貨はそっくりそのまま、俺一人のものになる訳だ。よし、よし!」
 そこで、鳶蔵はお酒や食べ物を買う前に薬屋に這入って、一番よく利(き)く、一番強い、毒薬の粉薬を買ったのでした。それから料理屋に寄って、大急ぎで料理をこしらえさしたり、酒屋に寄って一番上等の酒を買い込んだりして、何食わぬ顔をして森の中に帰って来たのです。
 が、森の中に這入ると、みんなのところへ帰る前にちょっとした木の蔭に這入って、玉吉と太助との分に、御馳走の皿の中にも、お酒を飲むコップの中にも先に買っておいた毒薬を分からないように、入れておきました。そして、二人の待っているところへ帰って行きますと、まさか自分がそんな恐ろしいことを企んでいるとは知らない二人が、にこにこして自分を迎える顔を見まして、鳶蔵は心の中で、「今にお前たちは、気の毒だが、二人とも毒薬を飲んで死んでもらわなければならぬ。そこにある金貨はみんな俺の物になるんだ。なアに、それと言うのも、俺が初めて見付けたものなんだからな、」と、思いながら、心の中で思わずにこにこ笑ったのでした。
  
      
  
  両方とも殺すつもりで、両方とも自分たちの都合のいい事ばかり考えて、にこにこしながら、さて玉吉と太助と鳶蔵とは、金貨の壺の傍で、いつもの居酒屋で、けちん坊の亭主の顔色を窺(うかが)いながら飲むのとは違って、ずっと上機嫌になって、もっともいつもとは比べ物にならぬ甘(おいし)い御馳走もあった訳ですが、大きな声で唄をうたったり、大きな声で笑ったりして、お酒を飲み合いました。
  そして、皆々お腹の空いていた時ですから、いつもより早くお酒の酔いが廻り始めました。
「さあ、もうぼつぼつ始めたらどうかな?」と玉吉はそれとなく太助に先の打合せた事の催促をしました。
「そうか、じゃあ、いよいよ始めるよ、」と太助が言いました。
「何だい、何を始めるんだい?」と訳を知らない鳶蔵が、どちらにともなく、こう尋ねかけますと、その途端に、太助が鳶蔵の頭を、その大きな拳を固めて、出来るだけ力をこめてぽかりと殴り付けました。
「何?何をするんだい!」と鳶蔵が吃驚して、大きな声で怒鳴りながら、腹を立てて、もう一度打ちかかって来たら殴り返すつもりで、ぐッと太助の方をにらみ付けますと、不思議なことには、此方から何にも手出しをしないうちに、突然太助が口から泡を吹きながら、後にどっと倒れました。
「ざまを見ろ!」とその時鳶蔵は叫びました。そして心の中で、「そうだ、そうだ、薬が利いて来たんだな。すっかり忘れていた。今に玉吉も口から泡を吹き出すだろう、」と思って、にやりと笑っていますと、突然、横合いから、玉吉が、ぶすりと鳶蔵の脇腹にナイフを突きさしました。
  ところが、「あッ!」と言って、鳶蔵が前の方にのめるように倒れたのと、殆ど一緒に、玉吉も「あッ!」と叫んで、仰向けになって、やっぱり太助と同じように、口から泡を吹きながら、倒れてしまいました。
  そうして三人はとうとう死に神様に取憑かれた次第でした。――
  そんな事とは知らない村では大騒ぎになりました。あの三人の者は何処へ行ったのだろう、と人々は噂し合いました。
  すると、居酒屋の亭主が知っている事だけを話しました。そこで「つまりあの飲んだくれの、怠け者三人は、死んだ抜作の讐討ちに、森の奥に死に神様を退治に出かけたんだが、それが三人が三人とも帰って来ないところを見ると、やっぱりあの力自慢の男が三人かかっても、死に神様の方が強いのに違いない、」と言うことになったのです。
  中に、若い者が大勢で、死に神様を退治に行こうではないか、と言うような相談も出ましたが、年寄りの人たちが、「いやいや、あんな向こう見ずな、力自慢の、乱暴者たちでさえ負ける位だから、決してもうこれからあの森の中に這入ってはいけない、」と言って止めました。
  だから、それからというものは、村では誰もその森の中に這入ったものはない、と言うことです。そして未だに誰も死に神様の正体を知ったものはありません。
  

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  ご飯が炊けたら、酢飯を作りましょう。酢飯は食べる直前に作ります。手早く洗って3時間ほどおいた米を、水に昆布を2時間ほど漬けて作った昆布だし汁で炊きます。水加減は普通のご飯か、やや堅めがよいでしょう。ご飯が炊きあがったら10分間むらしてから、木鉢に移します。そこに合わせ酢を振りかけ、雑魚と椎茸のミジン切りも一緒に合せて、木杓子を縦に使って、ちょうどご飯を切るようにして混ぜ合せます。混ざったら、木鉢の中央に寄せ集め、また散らすように広げ、ウチワで扇いで酢の中の水分と、ご飯の余分な水分を飛ばします。ご飯にツヤがでてきたら、中央に寄せ集めて濡れ布巾を直接ご飯にかぶせて冷めるのを防ぎます。
  酢飯の準備ができたら、次は錦糸卵を作ります。
  ちらし寿司の主役は海老でも、酢飯でもありません。錦糸卵こそが、ちらし寿司の主役なのです。ちらし寿司の味の成否はこの錦糸卵が一手に握っていると言っても過言ではありません。
  そして錦糸卵の眼目は焼きたての香ばしさの中にあります。そしてその香ばしさは、少々の砂糖により作りだされます。
  卵焼きに砂糖を入れるのを嫌う人がいますが、味醂でこれに代用することはできません。甘くないのが好きな人も、ほんの少々でもかまいませんから、ぜひ砂糖を入れてください。
  卵の量は一人前につき1個、二人前で卵2個につき塩一つまみ、砂糖小さじに軽く1杯を入れたら、白身が箸にかからなくなるまで、よくといてください。薄く油を引いて熱したフライパン、或いは卵焼き器に少量の卵汁を静かに流し入れ、菜箸で縁をぐるっとはずしたら、焼けた卵の中間あたりに一本の菜箸を差し込んで引上げ、裏側にもちょっとだけ火を通します。卵焼き一枚の分量は、卵2個につき、3~4枚ぐらい焼くのが誰でも失敗することのない分量です。火加減はフライパンを熱する時は強火、中火にして油を引き、すぐに火からはずして卵汁を流し入れ、ふたたび火にかけて、凡そ10秒で表面がかわき始めます。火が強すぎると焦げ目がつき、弱すぎると腰の弱い卵焼きができて破れやすくなります。
  焦げ目が付かないよう上手に焼けたら、後は出来るだけ細く、ぎざぎざしないよう均等に包丁を入れてください。
  写真は卵2個分をテフロンのフライパンで3枚に焼いたものです。
  錦糸卵ができたら、香ばしさの失せないうちに、丼に七分目ほどよそったご飯の上にふうわりと着せかけるようにのせます。後は椎茸、甘酢にくぐらせた海老、絹さや、キクラゲの順に色取りよくのせてできあがりです。
  
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  今月は、お釈迦さまのお生まれになった月ですから、何か一言あってしかるべきところです。わたくしもその例にならいましょう、――
  お釈迦さまはお生まれになるやいなや、七歩あるいて、
天上天下唯我独尊
 と、言うようなことを仰ったそうですが、‥‥「神だろうと人だろうと、その中では、ただわたし一人だけが尊いのだ!」という意味ですので、或いは物を知らない人が、これを聞くと、「随分威張った奴だなあ、お釈迦さまっていうのは、謙譲の美徳っていうものを知らないのか?」とでも思うかも知れません、‥‥中には、「天上天下に、ただわたしは一人しかなく、かけがえのない一人の人間として尊いのだ!」というような随分物の分ったような言い方をする人もいますが、こう何でもかんでも、いっしょくたにすれば善いというものでもなかろうと思うのです。
  
  さて、人間というものは、誰しも限られた知識と記憶の中に自己を確立しておりますので、多かれ少なかれ自分自身を中心にして思考を展開する傾向にあります。そこで、勉強が少いというと、どうしても自分さえよければということになるのでありますが、それをお釈迦さまは、十二因縁という譬えを引いてこう教えられました、‥‥
  
  人間は苦の世界に生きておる、どんな金持ちでも老、病、死だけは自由にならない、自由にならないから苦である。では老、病、死の原因は何かというと、生きているからである、生きているから老、病、死があるのである。では生きていることの原因とは何か、それは自己を確立したからである、自己が確立されていなければ、生きているということはない。では自己を確立したという、その原因とは何か、それは命に対する執著である、命に執著しなければ、自己は確立されない。では命に執著する、その原因とは何か、それは感覚を憎愛するからである、感覚を憎愛しなければ、命に執著することはない。では感覚を憎愛する、その原因とは何か、それは対象を意識が感受するからである、対象を意識が感受しなければ、感覚を憎愛することはない。では対象を意識が感受する、その原因とは何か、それは感覚器官が対象に触れるからである、感覚器官が対象に触れなければ、意識が感受することはない。では感覚器官が対象に触れる、その原因とは何か、それは感覚器官と意識があるからである、感覚器官と意識がなければ、対象に触れることはない。では感覚器官と意識がある、その原因とは何か、感覚器官と意識の存在する場所があるからである、存在する場所がなければ、感覚器官も意識もない。では感覚器官と意識の存在する場所がある、その原因とは何か、識知作用があるからである、識知作用がなければ感覚器官と意識の存在する場所はない。では識知作用がある、その原因とは何か、過去の業である、過去の業がなければ、識知作用はない。では過去の業がある、その原因とは何か、無明である、無明がなければ、過去の業はない。
  
  つまり、無明があるから、過去の業がある。過去の業があるから、識知作用がある。識知作用があるから、感覚器官と意識の存在する場所がある。感覚器官と意識の存在する場所があるから、感覚器官と意識とがある。感覚器官と意識とがあるから、対象に触れる。対象に触れるから、意識が感受する。意識が感受するから、感覚を憎愛する。感覚を憎愛するから、命に執著する。命に執著するから、自己を確立する。自己を確立するから、生きていると認識する。生きていると認識するから、老、病、死がある、ということです。
  
  つまり、お釈迦さまは、「生きていると認識するとは、無明の作用であるぞ。」と仰ったのですな。言いかえると、「自己を中心であると考え、他に対する思いやりが欠けるのは、無明の作用であるぞ。」と、こう仰られたのです。「自分が無明の産物であれば、他人もまた無明の産物であり、自己の命を何よりも大切に思っているのだが、それに気付かないのも、また無明の作用であるぞ。」と、こう仰られたのです。
  
  「大智度論巻13」には、「現に前を見よ、あらゆる生き物は皆命を惜むのである。だから仏は、こう仰られた、生き物の命を奪ってはならない、と。」とか、或いは「殺生を好む人を、命を有する者は皆見ることさえ喜ばない。殺生を好まない人を、生き物は皆楽しんで近づこうとする。」とか、或いは「行者はこう思え、わたしは自らの身を愛して、命を惜むものである。彼れもまた同じであろう、わたしと異なるはずがない。だから殺生してはならないのだ。」とか、種種に殺生をしてはならないと言っていますが、この十二因縁で、お釈迦さまの言われたことも、また「自分も、他人も、あらゆる生き物は皆無明の産物であり、その自らの命を何よりも大切に思っているのだ。」ということなのです。
  
  ところで、この「無明」とはいったい何でしょうか?‥‥「無明」とは、別名を「愚痴」とも、或いは「愚癡」とも申します。「愚」は皆様ご存知ですね、和名を「オロカ」というのですが、「禺」とは猿の一種で、その意味は遅鈍な心を指しますので、「愚」もやはり遅鈍な心を指すのです。では「痴」はどうですか?やはり和名は「オロカ」ですね、ヤマイダレに「知」は、「知る」ことの病の意味で、病気の一種ですが、転じて「オロカ」の意味を指すのです。また「痴」の本字の「癡」はどうでしょうか?これは「疑い」の病の意味で、やはり病気の一種であり、「真理を疑う」ことの病という意味なのです。わたしが好んで、この「癡」の方を用いているのにも、こういう訳があったということです。
  
  さて、ここからがやっかいなところです。わたくし共は皆、「父母より生じた。」とばっかり思っていたところが、この通り、お釈迦さまは、「いや、そうじゃない!無明より生じたのである。」と言われたのですからな、‥‥♪おーたまじゃくしは蛙の子、鯰の孫ではありません、‥‥♪そーれが何より証拠には、やがーて手が出る足が出る、‥‥
  と、すると‥‥いったい「無明」から生じた者が、はたして賢くなれるものかどうか?或いは、ひょっとしたら手が出て足さえも出てしまったのではないか?と思うと‥‥、心配で‥‥、心配で‥‥、あッ夜も寝られぬわい!‥‥
  
  
  
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  皆様、竹の子のちらし寿司、うまく盛りつけできましたか?わたくしの方は、自画自賛でいうのも何ですが、相当うまくいった方ではないでしょうか?
  お酒でも、お茶でも、お吸い物でも何でもかまいません、準備ができたら冷たくならないうちに、早く召上がってください。折角ですから目でも十分味わいながらね、‥‥
  

  
うーむ美しい、食べるのが惜しいほどだ、‥‥‥‥
  
  
  
  では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 

 
 
 
  (竹の子 おわり)