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勝ち組、負け組
  
  昨年は年末にかけて、非常に忙しくて危うく目を回すところでしたが、その反動でしょう、この正月にはすっかり元の怠惰な生活にもどってしまいましたので、まあ高い所から下界を見下ろせば、少しは気分も高揚するのではないかと、やってまいりましたのが、彼の有名な犬山城、何しろこの犬山城は、外の姫路城、彦根城、松本城と合せてたった四城しかない国宝の城なのですから、この地域の住民としては誇りにせずにはいられません。しかし規模としては他の城の10分の1か、それどころか恐らくは100分の1にも満たないぐらいのもので、廃藩置県の時に城の大部分が取り壊されて、ただ小ぶりの天守閣が残るのみでございますから、何やら国宝から漏れた岡山城、熊本城、大阪城、名古屋城などには申し訳ないようなものですが、高台に立っていますので、天守閣から見た眺めはなかなかのものがあります。
  そんな事でこの寒い中、30分か小1時間か、バカかケムリの気分を十二分に味わい、浩然の気をやしなうに至って、いくぶん勤勉の性を取り戻したような気がしたのでございます。
  
  
  しかし、下界に降りてまいりますと、もういけません、町はすっかりさびれていますな、‥‥。城に到る目抜き通り、かつての繁華街も、失われた観光客を呼び戻そうとして、美しくカラー舗装なんどをほどこされましたが、すでに勢いを失っている街筋は、しもた屋か、月極の駐車場ばかりが目立って、土産物屋を覗いても帳場には誰もいなかったり、店の蛍光灯がいくつか消してあったりして、どうにも活気がありません。若い人向けの新しいタイプの土産物屋もあるにはありますが、観光地特有の雰囲気がなく、客を引きつけるに足るだけの魅力もありません。
  
  数年前に五日ばかり滞在した下呂温泉ではホテルや旅館が、三度の食事は言うまでもなく、土産物からアトラクションまですべて館内で済ませて、客を一歩も外に出すまいとすることから、いかにも温泉らしい、あのどこか淫猥な、温泉街がさびれ、ついでに町全体の魅力までも失って、ただ大手の旅館と、公共施設のみが繁栄するという、この国の観光地の図式を見事に露呈していましたが、ここ犬山市でも、市内の路上駐車を徹底して取り締まって、高い料金の市営駐車場に入れようとしたあげく、近在の客を失って、みがけばみがくほど陳腐化してゆく芸のなさは、やはりこの国の、他人を羨望することと、どこまでも横並びであることを求める国民性の為す業ではないでしょうか、‥‥。
  
  街外れに、古本屋がまだ残って細々と商いを続けていました。なつかしい童話の本を見かけたので、それを買って帰りました。
  
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  王様の嘆き
宇野浩二     

             一
  
  これは今からずっと昔のことで、而(しか)も遠い国の話であります。何分、そんな昔のことですから、何事も簡単で、お金なども、金貨と銀貨の二通りしかありませんでした。而もその金貨のことをトーマンと言いまして、銀貨のこともやっぱりトーマンと言ったのです。今日から考えると、非常に不便なように思えますが、然(しか)しその時分にはそれで大抵さしつかえなく、用が足りたのに違いありません。
「そのお菓子を一トーマン下さい、」と言えば、高がお菓子のことですから、その時のトーマンはつまり銀貨に違いありません。又、「この着物は一番上等の品ですから三トーマンです、」と言えば、そのトーマンは金貨のトーマンに違いないのです。
  だから、又、乞食が「どうぞトーマン下さい、」と言えば、それは銀貨のトーマンのことでしょうし、立派な人が、「その褒美にトーマンをやろう、」と言えば、それはもう間違いなく金貨のトーマンのことに違いないのです。
  だから、正直な人は皆そう思うのです。この話の中に出て来る、フエルドウジという学者も、そう思っていたのです。この人は国中で二人とない、えらい学者でした。だから、或時、この国の王様がこの人を御殿にお呼びになって、
「フエルドウジ、お前に一つ頼みがある、」と王様が言いました。「頼みというのは外でもないが、お前も知っている通り、この国にはまだ立派な歴史の本がない。その癖、この国の私(わし)の父にしても、私の祖父にしても、先祖代々の王様は皆立派な人たちで、大きな戦争に勝ったり、素晴らしい町をこしらえたり、人民を子供のように可愛がったり、数えられぬ程いろいろな手柄をせられた。又、人民の中にも、勇ましい手柄を現した軍人や、お前にも劣らぬような豪(えら)い学者や、いろいろ、後々までも伝えておきたい人間が大勢あるのに、そういうことをすっかり書き残した歴史の本がないのは誠に残念であるから、それを是非お前に書いてもらいたいと思うのじゃ。それには、一行に就いて一トーマンづつやるから、是非一生懸命に書いてくれ。」
  ここで、王様がトーマンと言われたのは、勿論、金貨のトーマンのことに違いないのです。王様が銀貨のトーマンの話などされる訳がありません。だから、王様から斯(こ)ういう頼みを受けたフエルドウジは、大変よろこんで、早速お受けしました。元より、フエルドウジは学者のことですから、始終貧乏勝ちで、金貨など滅多に見たことはありません。それを一行に就いて金貨一つづつ下さるというのは、誠に有難いことでした。そればかりでなく、そういう立派な王様や、えらい人たちの歴史を書くことを、王様から言い付かったと言うだけでも、フエルドウジには嬉しかったに違いありません。フエルドウジは早速御殿を下がって、自分の家に帰りますと、それからと言うものは、夜も昼も、御飯を食べる時間さえ惜しむようにして、せっせとその本を書くことに骨を折りました。
  そして十七年の年月が経ちました。十七年というと、十七度(たび)桜の花が開き、十七度木の葉が枯れ、十七度燕が飛んで来て、十七度雁が帰って行く間のことです。生まれた赤ん坊が十七歳になるまでの、長い間のことです。その間、フレルドウジは、丁度機(はた)を織る人が朝から晩まで機台に腰かけて、ぎっちょんぎっちょんと丹精凝らして、色々な模様の布(きれ)を織るように、机に向かって一心不乱に、王様から言い付かった歴史の本を、一行一行と思案を廻らしながら書きつづけたのでした。
  元より、そういう大学者のことですから、夢中でそうして書いている時は、それが出来上がったら沢山のトーマンを貰うことも、国中の人がそれを読んで、それを書いた自分を褒めるだろうということも、そんなことはすっかり忘れて、その国の昔から言い伝えられてある話や、切れ切れに書き残されてある本の物語や、又その国の代々の王様たちのなされた行いや、さてはその国の人々の好きな英雄や、敬うている学者たちの手柄話や、その外(ほか)国に伝わっているお伽話(とぎばなし)のようなものから、冒険談のようなものから、化物(ばけもの)の話やら鬼の話まで、ありとあらゆる話を詳しく、細かく、それを立派な美しい文章で書きつづりました。
  その本は今でもちゃんと残っています。だから、フエルドウジがどんなに一生懸命に力を入れて書いたか、だから、どんなに立派なものであるか、今、それを読んで見てもわかります。元より、フエルドウジは生まれつきえらい人には違いありませんでしたが、その人が又十七年もかかって漸(ようや)く作り上げた程のものなのですから、その出来栄えの素晴らしさは言うまでもありません。
  さて、十七年かかって、本が漸く出来上がりましたので、フエルドウジはどんなに王様が待っていて下さることだろうと思って、それを早速王様のところへ使を頼んで持たしてやりました。十七年間の苦心は、二十万行もある、長い文章になったのでした。
  誰でも、十七年もかかった仕事をし上げた時は、どんなにせいせいした気持ちがすることでしょう。フエルドウジはそんな学者のことですから、外に別に楽しみすることはありませんでしたが、唯(ただ)一つ、何よりも風呂に這入(はい)るのが好きでした。だから、王様の言い付けで、殆(ほとん)ど三度の食事も忘れる位、一生懸命にその歴史の本を書いていた時でも、一週間に二度や三度は、人が散歩する代りに、風呂に這入ることは忘れませんでした。而も、今、その長い間の仕事がすっかり終って、それを王様のところへ持たしてやったのですから、ほっとして何をさし置いても、早速風呂に這入ったのは言う迄もありません。仕事のある間と違って、こうしてそれを済ましてしまって、ゆっくりと風呂に這入る気持ちは、又格別でした。だから、フエルドウジは長い間、体(からだ)が溶けてしまいはしないかと心配になる程、そんなに長い間風呂に這入っていました。
  そこへ、王様の使いがやって来ました。と言うのは王様が、約束通り、そのフエルドウジの十七年の仕事を受取って、早速褒美のトーマンをとどけて来て下すったのです。風呂の窓から覗いて見ますと、大勢の黒奴が、一人に一つづつ重たそうに袋を擔(かつ)いでいます。なる程、二十万のトーマンと言えば、大変なものに違いないのです。それを見ますと、フエルドウジは子供のように嬉しくなりましたので、それをわざわざ風呂場の中まで運ばして、嬉しさの余り自分でその袋を裂いて見ました。金貨の光というものを、もう十七年も、もっとも見たことがありませんので、それが十七年の苦労のお蔭で、こんなに沢山もらえたのかと思って、子供のように喜びながら袋を裂いて見たのでした。
  ところが、どうでしょう!フエルドウジはあっと言ってびっくりしました。そして、あわてて別の袋を破って見ました。それから、又別の袋を裂いて見ました。そこにあるだけの袋を破って見ました。が、どの袋にもどの袋にも、トーマンはトーマンに違いないのですが、金のトーマンは一箇(こ)もなくて、それは銀のトーマンばかりなのでした。
  その有様を見て、フエルドウジは暫(しばら)くの間ぼんやりしていました。が、やがて、何とも言えぬ苦々しい笑い顔をしたかと思うと、黙って、そこにあるだけの銀貨を幾(いく)つかに分けて、それを使の黒奴と、自分の風呂の世話をしてくれた風呂番とに、すっかり分けてやってしまいました。それから、自分はそこそこに風呂から上がって、着物を着て家に帰ると、杖を一本持って、その王様の都を出てしまいました。
  その頃の都は言うまでもなく、一寸(ちょっと)した町には、丁度全体が大きな城のような具合になっていて、町を出るにはそれぞれに門がありました。フエルドウジはその門を出ると、いかにも汚(けが)らわしそうに、今迄附いていた都の塵をすっかり払い落して、さて、何処(いづこ)ともなく行ってしまいました。
  
             二
  
  フエルドウジの言い分はこうなのです。――
「自分は別に商人ではないのだから、金貨でも銀貨でも、或は貰っても貰わなくても、そんなことはどうでもいいし、何とも思わない。
  又、王様が自分に何か約束なすって、それを違えなすったと言うだけなら、それも何とも思わない。一行に就いてトーマンを一箇やろうとおっしゃったのを、三行に一箇に減らされても、そんなことなら何とも思わない。
  だが、自分の辛抱の出来ないのは、王様がトーマンに二通りあるのを種(たね)にして、男らしく約束を反古(ほご)にするとか何とか言うのではなく、人を欺(だま)すような為(な)され方をされたのが、自分には我慢が出来ない。
  王様は、見たところ、実に立派な、気高い方で、その物の言い方から、その歩き附きから、何から何まで実に王様らしい、尊い方だと思っていたのに、その立派な方がそんな卑怯な振舞いをなさったかと思うと‥‥‥‥。」
  
             三
  
  さて、何年か経った後のことです。その王様が、或日、御殿で賑やかな宴会を開いていました。それは夏の夕方のことでした。広い、美しい庭の、噴水の傍(そば)に立派な椅子を出さして、王様はいい気持ちで、椅子にもたれて庭の景色を眺めたり、お酒を飲んだりしていました。その傍には、元より大勢の王様のお気に入りの家来たちが、王様の御機嫌を取りながら控えていました。
  大理石のテーブルの上には、花瓶や、果物の皿や、お酒の杯やが並んでいます。噴水の池には一匹何百トーマンとするような金魚も泳いでいます。色々な美しい木が、まるで芝居の道具立てのように、あちらにもこちらにも、程よいところに植わっています。噴水の右手の、丁度毛氈(もうせん)を敷き詰めたように見える草原の上では、今しも国中から選(よ)り抜いて来た、美しい女たちが、何かの歌に合わして、何とも言えぬ面白い踊りをおどっていました。
  その時、ふと、王様はその女たちの踊りよりも、それに合わしてい歌っている歌の文句に聞き入りました。それは歌の節もいいのですが、それよりも何よりもその歌の文句が又となくいいのでした。
「あの歌の文句は誰が作ったのじゃ?」と王様は傍にいた一人の家来にお尋ねになりました。
「フエルドウジの作ったものでございます、」と家来は何心(なにごころ)なく答えました。
「何、フエルドウジ?」と、王様はびっくりしたように聞き返しました。フエルドウジがいつかの王様のなされ方をよく思わないで、折角のトーマンをみんな人にくれてやったことなどは、王様は御存知なかったのかも知れません。いや、然し知らない筈はありません。「フエルドウジ?さすがにフエルドウジの作ったものは違うな。ああ、フエルドウジ!今、あの人はどこにいるのじゃ?」と王様は尋ねました。
「何でも自分の生まれ故郷の町に帰って、そこでひどく貧乏しているということでございます。それに余り勉強し過ぎたんでしょうし、又もう余程の年でしょうから。」
  それを聞いて、王様は長い間、うつむいて黙っておられました。あのトーマンで欺したことなどを思出しておられたに違いありません。暫くすると、王様は目が覚めたように椅子から立上がって、
「私の厩(うまや)へ行って、馬を百頭と、駱駝を五十頭と、それに私の持っている、人の喜びそうな宝という宝を、あるだけ積み込め、」と王様は気狂のように叫びました。「あるだけの珍しい宝を、――着物もよかろう、象牙でこしらえた道具類もよかろう、金の壺、水晶の杯、豹の皮、金襴の敷物、それから金の宝石で飾った刀や槍の類も忘れるな、鞍掛も一番上等のを、それに又食べ物飲み物の類も、出来るだけ贅沢なものを。砂糖漬けもよかろう、巴旦杏(はたんきょう)菓子もよかろう、薑(しょうが)餅も是非忘れるな。――それから、これは荷物に積むんでなしに、遣いの物ととして、ごくよく走る阿刺比亜(アラビヤ)馬を十二匹と、それにこれも選り優(すぐ)ってよく働く召使いの黒奴を十二人と、さあ、それだけのものを早速この場へ用意せい!」
「それをどうするのでございます?」と家来のものはおどおどしながら聞きました。
「それだけのものを今直ぐ整えて、今直ぐに出発して、フエルドウジの故郷の町へ行ってくれ。そしてフエルドウジに会って、それをやってくれ。そして私が宜しく言ったと伝えてくれ、」と王様は言いました。
  で、言い附けられた家来の者は、びっくりしながらも、王様の言い付けですから、その夜がずっと更(ふ)けた時分になって、やっとそれ等の品々を駱駝と馬に積み込んで、遙々(はるばる)とフエルドウジの故郷の町へと出かけて行きました。
  そして、それから五日目に、王様の使いの印(しるし)である赤い旗を先頭に立てた一行(いっこう)は、とある山の麓に着きました。フエルドウジの町というのは、その山の麓にあるのでした。
  先にも言ったように、その頃の一寸した町には、みな東の門とか南の門とか、それぞれ町の入口に門がありました。都の方から行った王様の使いの一行は、つまりその西の門から町に這入った訳でした。
  それはそれは大変な騒ぎでした。沢山の荷物を積んだ、百頭の馬と、五十頭の駱駝と、その外に贈物の十二頭の阿刺比亜馬と、十二人の黒奴と、それ等を送って来た大勢の家来の一行が、町の門を這入ると、或いは太鼓を鳴らしたり、笛を吹いたり、そして口々に、「万歳、万歳!」と叫びながら町を練り歩きました。
「ラ・イラ・イル・アラア!」と駱駝追いは駱駝を追いながら叫びました。
「フエルドウジ万歳!」と付添いの家来の人たちは叫びました。
  駱駝の首に附けられた鈴が、じゃらんじゃらんと賑やかに鳴りました。
  
  けれども、丁度その一行が、そうして賑やかに町の西の門から這入って来たと丁度同じ時分に、静かな笛の声に送られた、フエルドウジの葬式が、東の門から町の外の墓場へと、出て行くところだったという話です。
  
  
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  もし、勝ち組と負け組とがあるならば、それを超越するのではなく、ぜひ負け組の方に入りたい、‥‥ここに至って高揚した気分もすっかりしぼんでしまいました、‥‥そうまるでバカかケムリのように、‥‥。
  
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≪ポトフの作り方≫
材料(4人分):
  ベーコン100グラム、ソーセージ4本、蕪小4個、タマネギ1個、
  人参1本、エリンギ4本、固形スープ1個、塩、コショー、
  ローリエ、グローブ
作り方:
  1.蕪は皮を厚くむいて堅い部分をとりのぞき、大ならば4つ割り、中ならば2つ割り、小ならばそのままにする。タマネギも蕪と同じような大きさに切る。人参は4つに切って面取りする。エリンギは2つ割りにする。野菜を大きめに切るのは、味がゆっくりスープに滲出するようにするためである。ベーコンは親指ぐらいの大きさに切る。ソーセージは大きければ2つに切る。
  2.ベーコン、ソーセージを水から煮て、沸騰したらアクを取る。
  3.殘りの材料をすべて鍋に入れて水を加え、沸騰したら火を極細にして2時間以上煮る。この時、材料が躍るほど火が強いと煮崩れしてスープが濁るので注意する。また水が蒸発して材料が出てしまうのを防ぐため、あらかじめひたひたより3センチほど上まで水を加え、その後も水が不足しないように時々見る。
  4.時々、味を見ながら2時間ほど煮て、材料の味がスープに十分引き出せたと思ったら、塩コショーで味を調えて温めた器に取る。
  
  
  
  
  
  では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (勝ち組、負け組 おわり)