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あじさい
  
  ソロモンの極めた栄華も、その美しさに於いては、野に咲くたった一輪の花にも劣るとは、イエスの言われた所ですが、資源の少いこの国に、その美しさがいかに満ちあふれていることか!この国はいかに恵まれた国土を有していることか!われわれの生活は、如何に豊富な環境の本にあることか!今日もその証拠が至るところに見られるというのに、はたしてその幸福を誰か考えたことがあるのだろうか?四季の中で最も鬱陶しい、この梅雨の季節にも自然はいささかも忘れることなく、美しい花を咲かせている、‥‥
  
  と、まあ決してそこまで深く考えてのことではありませんが、何となく"あじさい"の写真を撮りたくなりまして、奈良県は郡山市、法隆寺を少し過ぎたところにある矢田寺へ行ってきました。早朝四時に家を出て、小雨降る中ワイパーを時々動かしながら、車を走らせたのですが、この花の色はめずらしく青を基調としていますので、雨催いの曇天の早朝にこそ、最も美しく映えるということで、朝の遅い老人にはかつて美しく撮れたためしがなかったのですが、今回は気合いが入っていますので、はたしていかがなりますことか、‥‥
  
  後に知ったことですが、矢田寺というのは矢田村に在するがための通称で、本当は金剛山寺というのだそうです。天武天皇の護持僧に智通というものがおり、御願円満の為に一宇を造営して、聖徳太子作の十一面観音像を安置したのが最初であるというような事ですが、それから延暦十五年に僧満米が住するに及んで寺風を中興したが、その満米はかつて小野篁と共に閻魔王宮に至り、王に菩薩戒を授けて、また阿鼻地獄中の地蔵菩薩を拝し、一の小箱を受けて人界に還り、菩薩の真容を模刻してこれを安置した。これが現時の本尊であるというような、やや奇怪なことが辞書には書いてあります。どうやら、この寺が由緒ある寺だということは分りますが、行ってみれば、早朝ということもあり、朱塗りの本堂とあじさい以外は何もない寺で、写真も枚数ばかりは多量ですが、これといって面白味のある写真はさっぱり撮れず、やはり"あじさい"の難しさを痛感せずにはいられませんでした。
  
  
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  早朝のこととて、人影は三脚を立てたカメラマンのみ、絵になる光景はなかなか見受けられません、‥‥
  
  そこでせっかくですから、地蔵菩薩について経文を見てみましょう、――
大方広十輪経巻1 ――(前略)地蔵菩薩は不思議の功徳を以って衆生を成熟し、過去無量恒河沙の諸仏の所に於いて久しく大悲堅固の誓願を発し、皆悉く一切の衆生を成熟せしむ。荘厳勢力猶お雷の震うが如く、一食の頃に於いて而も能く無量億等の那由他の人を成熟し、善根を具足せしむ。若し衆生ありて無量億の種種の諸苦の為に悩まされ、飢渇切逼せんに、地蔵菩薩の名を称することあらば、悉く能く彼をして飲食充足して諸の苦悩を滅し、涅槃の道に置きて皆快楽を得しめん。若し衆生ありて衣服宝冠瓔珞、病痩の医薬、種種の衆具に乏少せんに、若し地蔵菩薩の名を称せば、其の欲する所に随って皆充足し、涅槃の道に安住して第一の楽を得しめん。若し衆生ありて喜楽の心を離れ、而も不喜楽の者と集会せんに、若し地蔵菩薩の名を称せば、一切の楽具尽く皆之に帰し、喜ばざる所の者は亦尽く遠離し、この意の楽う所の者能く皆得て、涅槃に安住して第一の楽を得しめん。若し衆生ありて身心に苦を受け、衆病に持せられんに、能く地蔵菩薩の名号を称せば、身心の苦悩皆悉く除愈し、涅槃に安置して第一楽を得ん。若し諸の衆生悪心相向わんに、能く地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依せば、彼の衆生をして柔和忍辱にして更に相慚愧し、慈心懺悔して涅槃に安住せしめん。若し諸の衆生牢獄に繋閉せられ、其の身を枷鎖せられて具さに衆苦を受けんに、能く地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依せば、諸の衆生をして皆解脱を得て自在無礙ならしめん。乃至応に繋縛囚執鞭杖せらるべきも、能く地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依せば、亦復たかくの如く皆悉く解脱し、涅槃に安住して第一の楽を得ん。若し衆生ありて諸根具せず疲極懈怠し、顛狂放逸にして本心を忘失し、貪欲瞋恚愚癡嫉妬慳吝邪癡憍慢睡眠等の悪皆悉く熾盛ならんに、能く地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依せば、かくの如きの衆苦皆解脱せしめ、涅槃に安住して第一の楽を得ん。若し衆生ありて大水の為に漂流せられ、猛火に焚かれ、或は高巌より墜ちて身を山険に投じ、或は樹木及び諸の屋舎より墜ちて而も身顛覆し、かくの如き等の無量の怖畏あらんに、地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依せば、かくの如き等の怖畏の事あるも悉く解脱せしめ、涅槃に安住して第一の楽を得ん。若し衆生ありて諸の毒蛇、種種の禽獣の為に蜇され、或は種種の毒薬に中てられんに、能く地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依せば、この諸の怖畏悉く解脱を得ん。(中略)この善男子は精進力を以って一食の頃に於いて、無量阿僧祇の諸仏世界の一一の仏国に於いて、一食の頃を以って、無量恒河沙阿僧祇の衆生を度脱し、この相貌を以って諸悪を脱せしめ、皆悉く不可思議の功徳を成就す。この善男子は、この堅固誓力を以って能く一切の衆生を成熟せしむ。かくの如き族姓子は或は梵天身と作りて衆生を成就し、或は自在天、大自在天、(中略)或は師子身と作り、或は虎狼身と作り、或は象身、馬身と作り、或は水牛身と作り、或は種種鳥身と作り、或は閻羅王身と作り、或は地獄卒身と作り、或は地獄身と作って、諸の衆生の為に種種に法を説き、諸の衆生に随って三乗を顕示して、皆悉く不退天地に住せしむ。(後略)――
  
  大方広十輪経巻1に依れば、――
  地蔵菩薩は、不思議な功徳で衆生を成就している。過去、無量の諸仏のもとで、久しく大悲を誓願して、一切の衆生を成就したのである。その勢力は、雷の震うようであり、暫くの間にも、無量の人を成就して、身に善根を具えさせる。
  もし衆生が、無量の苦に悩まされ、飢渇が切迫したとしても、地蔵菩薩の名を称すれば、飲食は充足して、諸の苦は滅し、涅槃の道にあって快楽を得る。
  もし衆生が、衣服宝冠瓔珞、諸の医薬、種種の用具に不足したとしても、地蔵菩薩の名を称すれば、その欲する所は皆充足して、涅槃の道に安住し、第一の楽を得る。
  もし衆生が、喜楽する物から離れ、喜楽しない者と集会したとしても、地蔵菩薩の名を称すれば、一切の楽具は意のままに集り、喜ばしくない者たちは遠離し、涅槃の道に安住して第一の楽を得る。
  もし衆生が、身に苦を受け、諸の病を得たとしても、地蔵菩薩の名を称することができれば、身心の苦悩は除き癒され、涅槃に安住して第一の楽を得る。
  もし諸の衆生が、悪心をもって相向ったとしても、地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依すれば、彼の衆生は柔和になり、更に相慚愧し、慈心を起して懺悔して、涅槃に安住する。
  もし諸の衆生が、牢獄に閉ざされ、その身に鎖を繋けられ、諸の苦を受けたとしても、地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依すれば、諸の衆生は皆解脱して自在となり、また獄に繋がれ鞭打たれている者たちも、地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依すれば、皆解脱し、涅槃に安住して第一の楽を得る。
  もし衆生の諸根が具備せず、疲労が極まったり、狂って本心を失い、貪欲、瞋恚、愚癡、嫉妬、慳吝、邪見、憍慢、睡眠等の悪が盛んであっても、地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依すれば、それ等の苦より皆解脱して、涅槃に安住して第一の楽を得る。
  もし衆生が、大水に漂流し、猛火に焼かれ、或は高い崖から墜落して身を岩に投じても、或は樹木及び諸の屋舎より墜落し、このような無量の恐怖があったとしても、地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依すれば、それ等の恐怖から解脱して、涅槃に安住し第一の楽を得る。
  もし衆生が、諸の毒蛇、種種の禽獣に噛まれ、或は種種の毒薬に中(あ)てられても、地蔵菩薩の名号を称して一心に帰依すれば、この諸の恐怖から解脱する。――(中略)――
  この菩薩は、この精進の力を以って、暫くの間に無量の諸仏の世界の一一の仏国に於いて、無量の衆生を済度解脱して、諸の悪を解脱し、皆は悉く不可思議の功徳を成就するのである。
  この菩薩は、この誓願の力を以って、一切の衆生を成就するのであるが、それは或は貴族の子弟となり、或は梵天の身となって衆生を成就し、或は自在天、大自在天、(中略)或は師子の身となり、或は虎狼の身となり、或は象の身、馬の身となり、或は水牛の身となり、或は種種の鳥の身と作り、或は閻魔王の身となり、或は地獄の獄卒の身となり、或は地獄の身となって諸の衆生の為に種種の法を説き、諸の衆生に随って、三乗の教を顕示して、皆悉く不退転の地に住せしむ。
  
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  禅宗とか天台宗なんかで、よく読まれる観音経なんかに少し似ていますが、「或は閻魔王の身となり、或は地獄の獄卒の身となり、或は地獄の身となって」という所は、ちょっと変っていますな、‥‥地獄の身がどんな物か良く分かりませんが、そうそう好い顔ばかりもしていられないという事でしょうか、‥‥
  
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  日本のスーパーコンピューターが、世界一を取ったと言って騒がれています。かつて蓮舫(村田)議員が世界第二位では駄目なんですか?と尋ねた時、この国のジャーナリズムなのか、指導者なのか、それとも国民自身なのか、良く分かりませんが、皆が、それに不満であるかのように見えました。しかし国力に見合った順位で、何が不満なのでしょうか?蓮舫議員の示唆は、もっと熟慮されて然るべしとは思いませんか?
  
  ある一事が一位を取るということは、普通の場合を考えて言ってみれば、その一点に力が集中したということであり、本来4位5位であるべき何かが、そのしわ寄せを受けて、14位15位になったというに過ぎないのです。
  
  国力に見合わないのに、1位を取りたいという心情と、かつてこの国が国力に見合わない戦争に突き進んだ心情とは、極めてよく似ています。
  歴史によれば、その昔、世界中に大艦巨砲主義というものが一世を風靡したことがありました。この国は、安易にそれに乗せられたくちです。すでに時代は変化して時代遅れとなっていたにもかかわらず、それを信じて有らゆる物を投入し、一国の総力を結集して、一点豪華主義ばりの大艦巨砲の建造に励んだものですが、しかしそれは、あたかも大店法を改正するなど、国土を荒廃させてまでして、世界一を取った現代の自動車会社一点豪華主義にも一脈通ずるものがあるのではないでしょうか?
  
  ある自動車会社の総売上が世界一かどうか、日本人メジャー選手のヒット数が世界一かどうか等の世界一に、連日新聞、テレビ等が一喜一憂しているのを見ると、やはり国民性というものは厳として動じがたいものであるなあと慨嘆せずにはいられません。
  この国の人たちは、世界一の夢想に耽り、その他の事はあまり知りたくないように見えます。もっと真摯に自らを知ろうと勉めなくてはならないのではないでしょうか?
  これからは、否応なくグローバルな社会に適応しなくてはなりません。ここに必要なのは、何よりも先に自らをよく知って、世界の中に自らの位置を見極めることだと思うのですが、この国の人たちは、このグローバル化に対して、少し真面目さが不足しているように見えます。
  
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  しかし、どうせ世界一を目指すなら、大量生産以外で目指してほしいものです。
  そもそも、大量生産というものは、智恵を使わずに金を使おうという、いささか賎しい心根のものであり、また財産と資源の有り余った国こそ相応しいものであり、その上、大量生産で大量に作ったからには何が何でも売らなくてはならないということなので、時として他国の産業を壊滅させたり、或は恨まれたり嫉まれたり、或は彼等の怒りを買うことさえあるのです。
  
  地の利を得ないのに、大量生産で世界一を目指すのは、やはり時代遅れなのでしょう。一歩下がって考えてみましょう、‥‥。イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、スイス、デンマーク、スエーデン、ノルウェー、フィンランド、ポルトガル、チェコ、ハンガリー、オーストリア、ポーランド、アルバニア、ユーゴ、ギリシャ、トルコ、‥‥地政学的に見れば、世界の有らゆる所に格好のモデルがあり、中には智恵を以って豊かに生活している国もあるはずです、‥‥
   
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  一般的な軽水炉でさえ原発は愚かな発明品ですが、”もんじゅ(文殊)”等は名前からして愚かとしか言いようがありません。むしろ人の身体をむしばむ麻薬にこそ似て、ドンピシャリと言うべきでしょう。いっそ”あへん(阿片)”、”こかいん(コカイン)”、”へろいん(ヘロイン)”等の、より相応しい名前に変えてみてはどうでしょうか?国民には、その方がなんぼか良く理解できるというものです。
  
  しかし世界一の被爆国が、世界一の大量生産国となるべく、世界一の原発大国を目指すものでしょうかねぇ、これ等は凡そ正気の沙汰でしょうか?そのような事が、この国では起きているのです。この国の国民は、この国では、はたして何が起きているのかを、よく観察しなくてはなりません、よく観察すれば、よく見えてくるものです、そして見えてくれば、もう知ったも同然、知れば打つ手も見えてきますし、ここまで来れば、もうしめたものなのです。ただ、はたしてそれができますかどうか‥‥。
  
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子の曰わく、君子は重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主として、己に如(し)かざる者を友とすること無かれ。過(あやま)てば則ち改むるに憚(はばか)ること勿かれ。
  
先生は、こう仰った、――
  君子は、
    重くなくては、威厳がないし、
    学べば、頑固ではなくなる。
  友は、
    忠信を、主として択び、
    自分に及ばない者を、近づけてはならない。
  過失は、
    遠慮せず、改めるようにせよ!と。
  
  論語を読むと、孔先生がこんな事を仰っていますが、なかなか含蓄のあることばでしょう?欧米では知識人の共通認識として、古代ギリシャ、ローマの哲人、例えばキケロ、セネカ等の古典を学ぶそうで、時としてそんな古典を口にするそうですし、またイタリア、ギリシャ等の物見遊山の先で妻に古い修道院などに刻まれたラテン語やギリシャ語を翻訳してやるのは、アメリカ人の一種のステータスシンボルだそうです。
  
  しかしながら、この国の人が、ギリシャ語、ラテン語等を学ぶのは非常に困難を伴いますね、まして相手はパブリックスクール(即ち中学高校)から学んでいるのですから、その方面で彼等に対抗することはほぼ不可能といってよいでしょう。しかしですね、彼等に彼等の文化あれば、我等には我等の文化ありということで、最底論語ぐらいを知っておればどうでしょう、グローバルな時代にかろうじて、それに対抗できるように思うのですが、‥‥『孔先生はこんな事を仰っています』、とかね、‥‥。まあ少なくとも自らの依って立つ所を知ることは、かなり賢明なことではあります。
  
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  矢田寺には、”味噌舐め地蔵”という名前のお地蔵さんがありますが、それに因んで今回は味噌田楽を作ってみました。
味噌田楽三種
  木の芽:山椒の葉の摺下ろし、京白味噌、カラシ
  柚:冷凍柚の実、柚の皮、京白味噌
  八丁味噌:八丁味噌、木の芽
 
 
 
それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (あじさい おわり)