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藤まつり
  
  老人は、万感の思いを胸中深きに蔵したまま、この所は大智度論の翻訳にいそしんでいるというか、まあその中に逃避しているのでございますが、とある一日、ぽかぽかとした陽気と、新聞記事の紹介などに、つい誘われて近くの”藤まつり”の会場へでかけ、人混みにもまれたりしながら、写真などを撮っていますと、やはり世相を反映してか、例年よりは人出も少いようで、人声などもいくぶんひっそりとしているように見受けられます。万人が同じ思いを胸中に懐いているといえばよいのでございましょうか、まあそうはいいましても、自然の方はこのような人の心を知ってか知らずか、このとおり例年にも増して見事な花を咲かせていたのでした。
  
  差し渡し30センチを超える古木が何本もあって、なかなか見応えがありますので、この小一時間のあいだに撮りも撮ったり、撮った写真が350枚、当然、後で択ぶのに時間がかかって苦労するのは目に見えておりますが、その時は夢中になっておりますので、そこまでは気がまわりません。それにしても前回の長谷寺は550枚ですから、これもデジタルカメラゆえですかな、もしフィルムであればいったいいくら費用がかかるのやら見当もつかないところでございます。
  
  
  老いも若きも、この美しい光景に酔いしれているのでしょうか、‥‥一陣の風がさっと迸りますと、藤の花が斜めになり、馥郁とした香が辺に漂いでます。
  

 我聞佛音聲  世所未曾有 
 所言真實者  應當修供養 
 仰惟佛世尊  普為世間出 
 亦應垂哀愍  必令我得見 
 即生此念時  佛於空中現 
 普放淨光明  顯示無比身 
 勝鬘及眷屬  頭面接足禮 
 咸以清淨心  歎佛實功德 
 如來妙色身  世間無與等 
 無比不思議  是故今敬禮 
 如來色無盡  智慧亦復然 
 一切法常住  是故我歸依 
 降伏心過惡  及與身四種 
 已到難伏地  是故禮法王 
 知一切爾焰  智慧身自在 
 攝持一切法  是故今敬禮 
 敬禮過稱量  敬禮無譬類 
 敬禮無邊法  敬禮難思議 
 哀愍覆護我  令法種增長 
 此世及後生  願佛常攝受 
 我久安立汝  前世已開覺 
 今復攝受汝  未來生亦然 
 我已作功德  現在及餘世 
 如是眾善本  唯願見攝受

  
  お釈迦さまは、当時印度で最も栄えた王舎城と、舎衛城という二大国の間を、おもに行き来していらっしゃいましたが、その舎衛城の王を波斯匿(はしのく)王、王妃を末利(まり)夫人といい、二人とも仏の教に深く帰依していましたので、近国の王妃である、わが子、勝鬘(しょうまん)夫人に仏の功徳を讃えて信書を送りました。
  美しい勝鬘夫人は、また聡明でもあったので、たちどころに仏の教の希有にして清浄無比なることを覚り、切々として喜びにあふれた心情を歌います、――
われは聞く、
  仏の音声の、未だかつて有らざる所なるを、
  言う所真実ならば、まさに供養を修むべし。
仰ぎ惟(おもんみ)るに、
  仏世尊は、遍く世間の為に出で、
  またまさに、哀愍を垂るべくして、
  必ず、われをして見ることを得しめたまわん。
即ち、
  この念を生ぜし時、仏は空中に於いて現われ、
  普く浄き光明を放ちて、無比の身を顕示したもう。
  
勝鬘と、
  及び眷属は、頭面を足に接して礼し、
  咸(みな)清浄心を以って、仏の実功徳を歎ず。
如来の、
  妙なる色身は、世間に与(とも)に等しき無く、
  無比にして不思議なり、この故に今敬礼す。
如来の、
  色は尽くること無く、智慧もまたまた然(しか)なれば、
  一切の法常住せん、この故にわれは帰依す。
心の、
  過悪と、及び身の四種とを降伏して、
  すでに難伏の地に到りたもう、この故に法王に礼す。
一切の、
  爾焔(にえん)を知りて、智慧の身は自在なれば、
  一切の法を摂持したもう、この故に今敬礼す。
称量を、
  過ぎたるに、敬礼し、
  譬類無きに、敬礼し、
  無辺の法に、敬礼し、
  難思議なるに、敬礼せり。
哀愍して、
  われを覆護し、法種をして増長せしめ、
  此の世及び後の生に、願わくは仏常に摂受したまえ。
  
われは、
  久しく、汝をして安んじて立たしめ、
  前世には、すでに覚を開かしめたり。
  今はまた、汝を摂受し、
  未来にもまた、然なり。
  
われは、
  すでに功徳を作せり、現在及び余の世にも、
  かくの如き衆(もろもろ)の善本あらん、
  ただ願わくは、摂受せられたまえ。
  
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わたしは、
  仏の、
    お声を聞きました、未だかつて世に無かったものです、
    仰る事が真実ならば、とうぜん供養しなくてはなりません。
仰ぎ見れば、
  仏世尊は、
    普く世間の為に、世にお出になられました、
  また哀れんで、
    必ずわたくしに、姿をお見せなさることでしょう。
  
勝鬘が、
  このように念ずると、
仏は、
  空中に姿を現して、普く清浄の光明を放ち、
  比類無き身を、顕示された。
  
勝鬘、及びその眷属は、
    頭を、仏の足に接して礼し、
    皆、清浄の心で仏の実の功徳をこのように嘆じた、――
  如来の、
    妙なる身色は、
      世間に、等しいものがなく、
      比類無く、不思議です、
    この故に、
      今敬礼いたします。
  如来の、
    身色が、無尽であるように、
    智慧も、また無尽ならば、
    一切の法は、
      常住不滅です、
    この故に、
      わたしは帰依します。
  如来は、
    すでに、
      心の、過悪(貪瞋癡)と、
      身の、四種の苦縛(生老病死)とを降伏されて、
      難伏の地に、到っていられます、
    この故に、
      法王に、礼します。
    一切の、
      知るべき所を知って、智慧の身は自在であり、
      一切の法を、摂受保持されています、
    この故に、
      今敬礼いたします。
  わたくしは、
    称量を過ぎたるものを敬礼し、
    譬喩と比類無きものを敬礼し、
    無辺の法を敬礼し、
    思議し難きものを敬礼しました。
  哀れんで、
    わたしを、覆ってお護りください。
    法種を増長し、此の世及び後の世に、
    仏に願わくは、常に摂受したまえ。
  
仏は、こう言われた、――
  わたしは、
    久しく、お前を覚りの地に安んじて立たしめ、
    前世にも、すでに覚りを開かしめた。
    今またしても、お前を摂受するように、
    未来の世も、また同じようにするだろう。
  
勝鬘は、こう言った、――
  わたしは、
    すでに、功徳を作してきたのでした、
    現在も他の世も、このような諸の善本が有ったのです。
  ただ、
    仏に願わくは、わたしを常に摂受せられんことを。
    
  
  
  
:色身(しきしん):肉身。
:過悪(かあく):過失と罪悪。
:難伏地(なんぶくのじ):屈伏し難い心。
:摂受(しょうじゅ):受け取りて手放さないこと。
:爾焔(にえん):梵語所知と訳す。知るべき事物の意。
:称量(しょうりょう):計量。
:法種(ほうしゅ):将来実るべき法の種子。
:善本(ぜんぽん):善の本。
  
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  これは「勝鬘経(しょうまんぎょう)」中の勝鬘夫人の偈で、わたくしの謂わゆるとっときですが、写真の中に立つ女性が偶然にも、わたくしの中の勝鬘夫人のイメージに、ぴったりと重ね合わさってしまいましたので、これはもう仕方ありません、ここで出すことにいたしましょう。
  
  ポニーテールには、美しい方が多いというようなことを、この辺では言われておりますが、はたして前に廻ってみますと、こちらの予想をはるかに上回って美しい方でございました。皆様方にも得心のゆくよう、後ろ姿のみですがご覧に入れましょう。いかがですか?勝鬘夫人のイメージどおりだと思われませんか?
  
  
  美しいですねぇ、‥‥これ以上、何を求める必要がありましょう?自然がこのように至る所でプレゼントを奉げているというのに、人間はいったい何をお返ししたのでしょうかねぇ、‥‥痛々しいことです、‥‥。
  
  
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  と言うことで、今月はこれも自然の恵み、筍ご飯です。
  
  中華ちまき風に少し甘辛に煮付けた筍を、炊飯器で炊いた餅米に交ぜ合せただけですが、花見弁当のつもりで扇面の物相型で抜いてみました。ダシは筍もご飯も、ただ昆布のみを用います。
  
  
  
  それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (藤まつり おわり)