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花の長谷寺
  
  この季節は、どことなく気分が浮き立ち、そわそわした中にも楽しんで待つ、という風情が、一年の中でも特にこの季節を好もしくしているのですが、今年ばかりはそうもいかず、老人にとっては、何もかもが他人事のように思えて、気分もつい沈みがちとならざるをえません。しかし、この沈み込むという事は、それ自体が、煩悩の一端であることからも知れるように、心に影響を与えて、物事を悪い方へ、悪い方へと誘う要因でもありますので、ここはひとつ心を奮い起こして、力めて楽しく振る舞うのがよかろうということで、各地の花見情報などを調べた結果、絵はがき等で世に知られた奈良の長谷寺へ行くことに決め、その晩は早寝して、早朝四時に起き、未だ夜の明けざる中に出発して、現地には八時頃に到着いたしました。
  
  この時期のみに許される本尊の特別拝観は9時からということで、まだ30分の余裕があります。大悲閣(本堂)の内外をぶらつきながら、写真を撮っておりますと、わたくしの他にも何人かがカメラや携帯を構えているのが見受けられました。
  
  
  
  長谷寺の五重塔は均斉のとれた美しい塔です。昭和に建立されたものですが、現在、この塔は周囲の景観によく溶け込んで、この寺の印象を語るのに欠かせません。
  
  
  
  真言宗の系譜の中、中興の祖、興教大師覚鑁(かくばん)を宗祖とするものを古義に対する新義といいますが、この長谷寺はその新義宗に属する真言宗豊山派の総本山です。
  
  
  
  仁王門から大悲閣までは有名な九十九折の石段で行きます。大悲閣からは谷を迴るように弘法大師堂、五重塔、廟所、興教大師堂等を拝しながら本坊へ向かいますが、その間、大悲閣をさまざまな角度から見ることになります。
  
  

密嚴院發露懺悔文
我等懺悔無始來 妄想所纒造衆罪
身口意業常顚倒 誤犯無量不善業
慳悋珍財不行施 任意放逸不持戒
屡起忿恚不忍辱 多生懈怠不精進
心意散亂不坐禪 違背實相不修慧
恒退如是六度行 還作流轉三途業
假名比丘穢伽藍 比形沙門受信施
所受戒品忘不持 可學律儀廢無好
不慚諸佛所惡厭 不畏菩薩所苦惱
遊戲笑語徒送年 諂誑詐僞空過日
不隨善友親癡人 不勤善根營惡行
欲得利養讃自徳 見勝徳者懷嫉妬
見卑賤人生憍慢 聞富饒所起悕望
聞貧乏類兼厭離 故殺誤殺有情命
顯取密取他人財 觸不觸犯非梵行
口四意三互相續 觀念佛時發攀縁
讀誦經時錯文句 若作善根住有相
還成輪迴生死因 行住坐臥知不知
所犯如是無量罪 今對三寶皆發露
慈悲哀愍令消除 皆悉發露盡懺悔
乃至法界諸衆生 三業所作如此罪
我皆相代盡懺悔 更亦不令受其報


  これは、興教大師の懺悔文です。主に、僧の為のものですが、我々が、無関心であってよい訳ではありません。
  
密厳院発露懺悔文
われ等懺悔す、
  無始よりこのかた、
    妄想に纏いつかれて、衆罪を作る。
    身口意の業は、常に顛倒して、
    誤って、無量の不善業を犯す。
  珍財を、
    慳吝して、施を行ぜず、
    意に任せて放逸し、持戒せず、
    しばしば忿恚を起して、忍辱せず、
    多く懈怠を生じて、精進せず、
    心意散乱して、坐禅せず、
    実相に違背して、慧を修めず。
  常に、
    かくの如く、六度の行より退し、
    還って、三途に流転する業を作す。
  仮に、
    比丘と名づけて、伽藍を穢し、
    形を沙門に比して、信施を受く。
    受くる所の戒品は、忘れて持せず、
    学ぶべき律儀は、廃して好むこと無し。
  諸仏の、
    悪みて厭わるる所を、慚じず、
    菩薩の苦悩する所を、畏れず。
    遊戯笑語して、徒らに年を送り、
    諂誑詐偽して、空しく日を過ぐす。
    善友に随わずして、癡人に親しみ、
    善根を勤めずして、悪行を営む。
    利養を得んと欲して、自らの徳を讃じ、
    勝徳の者を見ては、嫉妬を懐く。
    卑賎の人を見ては、憍慢を生じ、
    富饒の所を聞いては、悕望を起し、
    貧乏の類を聞いては、厭離を兼ぬ。
    故に殺し誤って殺す、有情の命、
    顕らかに取り密かに取る、他人の財。
    触るるも触れざるも、非梵行を犯し
    口の四と意の三とは、互いに相続す。
    仏を観念する時には、攀縁を起し、
    経を読誦する時には、文句を錯る。
  もし、
    善根を作るも、有相に住して、
    還って輪廻、生死の因を成ず。
  行住座臥に、
    知ると知らざると、犯す所の、
    かくの如き、無量の罪を、
  今、
    三宝に対して、皆発露したてまつれば、
    慈悲哀愍して、消除せしめたまえ。
  皆、
    悉く発露し、尽く懺悔したてまつる、
    乃至法界の、諸の衆生の、
    三業の作す所は、かくの如き罪なり。
  我れは、
    皆に相代りて、尽く懺悔したてまつれば、
    更にまた、その報を受けしめたまわざれ。

密厳院(みつごんいん):高野山内の興教大師の自坊。
発露(ほろ):罪を自ら露わにする。
無始(むし):何時とも知れぬ世界の始り。
妄想(もうそう):誤った想像。
身口意(しんくい):身と口と心は、即ち善悪の業を作る。
顛倒(てんどう):真偽、善悪を逆にすること。
不善業(ふぜんごう):悪業。
慳吝(けんりん):物惜しみすること。
放逸(ほういつ):したい放題にする。
忿恚(ふんい):憤って怒る。
忍辱(にんにく):はずかしめを忍ぶ。
懈怠(けたい):なまけておこたる。
精進(しょうじん):努力すること。
六度(ろくど):布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧。
三途(さんづ):地獄、餓鬼、畜生。
比丘(びく):僧侶。
伽藍(がらん):寺域。
比(ひ):なぞらえる。
沙門(しゃもん):出家。
信施(しんせ):信心による布施。
戒品(かいほん):戒の一一。
律儀(りつぎ):戒律と行儀作法。
悪厭(あくえん):にくんで嫌う。
諂誑(てんごう):へつらってだます。
詐偽(さぎ):いつわってだます。
善友(ぜんう):善い友。
癡人(ちにん):愚か者。
善根(ぜんこん):善い報を受ける根本。善行。
利養(りよう):利得と供養。
憍慢(きょうまん):おごって慢心する。
富饒(ふにょう):ゆたか。
悕望(けもう):欲しいと思う。希望。
厭離(えんり):嫌って離れる。
有情(うじょう):心有る物。衆生。
非梵行(ひぼんぎょう):婬行。
口四:十不善業中の妄語、両舌、悪口、綺語。
意三:十不善業中の貪欲、瞋恚、愚癡。
攀縁(はんえん):俗縁に牽かれてかかずらうこと。
有相(うそう):男女、彼此、彼我、善悪等に惑うこと。
三宝(さんぼう):仏、法、僧。
哀愍(あいみん):あわれむ。
三業(さんごう):身、口、意。


  
  一山を挙げて笑うがごとき、満開の桜が迎えてくれました。この寺は牡丹で有名ですが、その景色としての美しさ、華麗さからいえば断然桜に軍配があがります。
  美しい日本、その神髄がこれです。恐らく、来年はもう来られないかも知れません、じっくりとこの光景を眼裏に焼き付けてまいりました。
  
  
  
  寺の外では、もう正午に近いようで、太陽が真上から照らして、桜が輝いて見えます。この狭い参道のどこかでお昼ご飯を食べなくてはなりません。
  
  
  
  長谷寺の前を流れる川の中に、夫婦だか兄弟だか分かりませんが、つがいの鴨が餌を取っていました。二羽が同時に首を水中に差し入れ、逆さになって足が完全に宙に浮いた姿は想像を遙かに超えたもので、実に何と言ったらよいか、ことばに迷うほどです。奇妙な光景や、美しい景色を見ることを眼福といいますが、これも一つの眼福に違いありません。
  
  「君は、鴨の餌の取り方を知っているかい?その時、足が完全に出てしまっているんだぜ!」、と友人に語って、その小者振りを遺憾なく発揮している、まあいかにもありそうな、自分自身を想像するのは、些かつらいものがありますが、その反対に、この国を代表する人たちの中に、その美しい心映えがあったと聞くのは、誠に耳に快いものがあります。
  
  「大道廃れて仁義有り、智慧出でて大偽有り、六親和せずして孝慈有り、国家昏乱して貞臣有り」、とは老子のことばですが、最近耳にした所の、実に「大災有りて義侠有り」、とでも言うべき壮挙は、実に「これは、耳福である」、と言わなくてはなりません。
  
  世間周知の事だとは思いますが、野球のダルビッシュ有選手が、「大災害で大勢が困っているのに野球などやっていてもよいものだろうか?」、と自省して自ら納得すべく5000万円の義援金を出した事がその一つ、そして、それに呼応するようにゴルフの石川遼選手が「苦労されている人々との一体感を味わいたい」との思いから、今季の獲得賞金全額を寄付すると発表した事が、またその一つ、これ等は、実に「大災害有りて義侠現わる」、と言うべき所です。この男らしい行為は、この老人の冷たく凝りがちな血を熱くならしめたのですが、それのみならず、更にわたくしに、「両氏の心中には、その勲功を果たした矜持と自信とが、確かに獲得され、それは将来の両氏の人生に大きく影響するだろう」、と深く信ぜしめたのでもあります。
  
  陰徳ということばがすでにあるように、善行は隠れてするのがよいという理屈もありますが、堂々と名を明してする勇気ある善行も、それに続く者の多いことを考うれば、この場合にはその方がよいのは明確であり、有名人には是非名を明して寄付してもらいたいと思います。片や連銭葦毛の灰色健馬、片や漆黒の駿馬に打跨がり、大将の美々しき鎧に身を堅めて大勢を引きつれ、所狭しとばかりに先頭に立って駆け巡る二人の若武者、そのように連想させる両氏、その未来は誠に明るく見えます。今後の発展を祈り、後に続く者の多からんことを期待しましょう。
  
  
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  ということで、今回は少しばかり遠出して疲れました。疲れたときには甘い物がいちばん宜しいようで、これは近くの菓子屋で求めた麩まんじゅうです。
  
  
  それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (花の長谷寺 おわり)