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挽歌


このたびの災害の死者をいたみて作れる挽歌並びに反歌
 
 三陸の 遙けきかなた
 海ひろく 島かげもなく
 たゆたえる 波のまにまに
 白き雲 影をおとして
 春の日の 水ぬるむなか
 浮きしずむ 白きしかばね
 うねりくる 波にゆられて
 しろがねの 鱗かがやく
 幾万の うおの群れむれ
 死者の身を いたむがごとく
 いささうお 褥をなせば
 つつまれて 安けきうちに
 いざなわれ 伴われゆく
 うなぞこの 砂のおくつき
 鯛ひらめ かしこみむかえ
 ともす灯は 赤き珊瑚樹
 歓楽の 時はすぎゆき
 興じては 共に踊りて
 果てしなき 宴なかばに
 疲れをば やや覚ゆれば
 珍しき 貝をまくらに
 波のまに 身をまかせつつ
 悩みなき 年をかさねて
 白き骨 波にただよい
 大いなる うおをやしない
 年ふれば 影をうしない
 あめつちとなる
  
 あめつちは うつりかわりて
 人となり いさなとなりて
 やむことぞなき
 


  
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般若波羅蜜多心經  唐三藏法師玄奘譯
 觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
 蘊皆空度一切苦厄舍利子色不異空空不
 異色色即是空空即是色受想行識亦復如
 是舍利子是諸法空相不生不滅不垢不淨
 不增不減是故空中無色無受想行識無眼
 耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至
 無意識界無無明亦無無明盡乃至無老死
 亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無
 所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無
 罣礙無罣礙故無有恐怖遠離顛倒夢想究
 竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿
 耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是
 大神咒是大明咒是無上咒是無等等咒能
 除一切苦真實不虛故說般若波羅蜜多咒
即說咒曰
揭帝揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝菩提僧莎訶
般若波羅蜜多心經

 
 
  
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  災害を受けられた方々には、心よりお見舞い申し上げます。
  
  日頃、人の不幸を悦んだりしていますので、家人には常に品性劣悪、醜陋無極との謗りを受けておりましたが、この度の災害ばかりは、これを言い表すことばも無く、とてもわが事でなくてよかったなどと喜べるものではありません。
  
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  それにしても、この国は今現在、恐らく大変な岐路に立たされています。
  
  勿論、原発の有無を言っているのです。当然、原発が無ければ、産業は大量生産には向かなくなります、恐らくそれは貧しさを意味するのでしょう。しかし、考えてください。今回の原発の事故で失われた土地の面積は、国の指示による半径30㎞圏内ととすれば1413平方㎞、アメリカの言う半径80㎞圏内だとすれば10048平方㎞であり、前者は福島県の10.25%、日本全土の0.374%、後者は同じく72.9%、2.66%に相当します。しかも、どうやら30㎞には納まりそうもありませんので、後者である可能性は十分あるのです。
  しかも、これはただ単に住居に適するか、どうかを言っているに過ぎないので、もし農業生産物にまで適不適を広げれば、日本全土の或は5分の1くらいは行くかもしれません。当然、多くを輸入しなければならず、食品物価は高騰して弱者を直撃することになります。
  
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  それよりも何よりも、わたくしは、常日頃、自らを省みて思っていることですが、――この国の人の性質が、恐らくは原発に向いていないのではないでしょうか?
  
  われわれは、日頃、事を覆い隠して、自分が心配していることを、人に知られたくないと思います、また自らもそれを心配しないかの如く装います。更に、上と恐らく同根だと思いますが、物事を諦観しているかの如く言い、事に当っては高を括っているかの如く装います。これは、重大事を人には軽く伝え、自らも敢て理由を付けて軽く考え、自他共に軽視することにつながります。また更に、われわれは、実に命令に従順であり、自ら考えて事に当ることを不当であると思うが故に、時に重大事が突発しても、上からの指示を待つということになり、社会もそれを要求していますので、それに逆らえば、必ず非行のレッテルを貼られます。
  
  この三つの性向は、ただ一つの根から生じたものだとも思われますが、確かに言えることは、実に原発には不向きである、ということです。
  
  そこで、当然、二つの選択肢が考えられます、――
  ――原発が無くて、貧乏でも、何とか智慧で道を切り開く道
  ――原発が有って、豊富で、智慧を使う必要が無い道
  われわれには、この二つの道が有りますが、われわれ自身の性質の中に原発に不向きな部分が有るとすれば、その中間は無いはずですので、是非とも、どちらかを選ばなくてはなりません。
  
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  どの国の人も、皆国土に依って暮しています。多くの人が、国土を離れては生活していけません。その国土が狭められるということは、どれほど大変な事であるかは、世界の紛争の大部分が寸尺の土地の帰属を争う領土問題であることに鑑みれば、すぐに分かるはずです。それなのに、一時の繁栄を願って、危うい橋を渡る必要が、はたして本当にあるのでしょうか?われわれは、すでに貧乏を経験しています、それはそんなに嫌な事だったでしょうか?昔、わが家には冬、火の気が乏しく、子供達は皆、手足に痛いアカギレや、シモヤケを作っており、朝起きると、火鉢はまだ冷たいままなので、ご飯を炊く竈の前にしゃがみ込んでじっと火を見つめていたものでした。しかし、それを嫌な事だとは、誰も思わなかったのではないでしょうか?確かに自分だけが惨めな思いをするのは嫌なものです。しかし、それはあくまでも他人との対比の上のことであり、それを無くすのが政府の仕事で、そのために、われわれは税金を払っているのです。
  
  すでに、われわれはテレビ等から、有識者と言われる人たちは、実は何も知らない、ということと、本来、全責任を負うべき電力会社は、驚いたことに何も打つ手が無く、無気力に手をこまねいているばかりである、ということを知ったはずです。この国の学者には専門知識が無く、この国の企業には良心がない、この国の監督官庁は何も監督していない、この国の政府は何もリードできない、テレビは、これ等を余すことなく映し出してくれました。
  
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  この国では、安全は金にならないという信仰がまかりとおっております。現状のままで十分安全であるということを証明するために、多くの学者が企業に雇われ、種種の圧力を被って良心を失い、統計の母集団をごまかし、サンプリングをインチキして、さも安全を証明できたかのごとく装ってきました。テレビで、耳にたこができるほど聞く、『それは想定外でした』、ということばが、それを物語っています。
  
  世界の中でも有数の地震国、津波国であり、その中でも、特に第一に挙げられるべき、この国に於いて、『それは想定外でした』、はないでしょう。インチキをしたに決まっています。いやインチキまでゆかなくても、少なくとも自らを欺いて、無理にでもそう思い込もうとしたはずです。そのように、官に癒着することによって、絶大な権力を手にした曲学阿世の学者は、江戸時代にもすでにあり、わが国の学問の伝統、謂わばお家芸なのですから、当然、これに係った学者が、そうだとしても十分あり得ることです。恐らく、地位と権力とに恋々とする学者は、その欲する所を皆手にし、そうでない学者はその見解を採用されないばかりか、敢て無視されたり、村八分同然にされたりして、その学会に於ける地位さえ危うくされたことでしょう。これ等は皆各種の書籍、各種の記事等に時として見受けられるところであり、いろいろ考え合わせれば、不思議でも何でもないのです。
  
  また、産、官、学の癒着については、薬害エイズ問題がつとに有名ですが、その他にも『丸山ワクチン(癌、結核、膠原病、ハンセン病等の特効薬)は、何故潰されたか』を、サイト上で調べてみれば、何かしら慄然とするものを感じるでしょう。
  
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  それに、この国の企業にも、奇妙な悪習、悪癖があり、実際に設計したり、作業したりする人には、何の権限もないのに反し、何も知らない人が絶大なる権限を持っていて、それを最後まで手放さないということが、普通のようによくあります。要するに、次々と仕事を丸投げしているうちに、『上からの命令だから、無理を承知でそこを何とか』、という次第となるわけです。恐らく、この国の原発は、すべてこのような横車を押して無理を通す企業によって、企画され、設計され、製造され、運用され、メンテナンスされているはずです。無理の通る不合理の国、その不可思議な国が、この国ではないでしょうか?
  
  まだ、他にもいろいろあると思いますが、手を胸に当てて、自らよく考えてください、われわれの性質の中には、原発に不向きな部分が、更に多く潜んでいるのを、見抜かなくてはなりません。われわれは、『精神一到何事か為らざらん』、『できることでもできぬと思えばできぬ』、とか言うような事を教えられて育ちました。一見、今回の事故とは無関係のように思えますが、或は、どこかにこの精神偏重、事実軽視の精神が、悪く働いていたのかも知れません。自らの心を率直に見つめ直して、今一度、自らの真実を知ろうではありませんか。
  
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  この原発には、非常停止ボタンという物がありながら、それが緊急モードという設計上の概念から来たものではなかった、と知ったのも、驚きの一つです。
  非常停止ボタンを押さなくてはならないようなエマージェンシーであれば、当然エマージェンシーモードに入って、設計上は、すべてが通常とは別の経路で行われなくてはならないはずです。そうならば炉心を冷却するのに、通常の電気回路を使用したり、通常の導水管を使用したりして、ただ電源だけが非常用であるはずがありません。この原発は、理論的に設計されたものではないように思えます。
  
  中国の原子炉は、非常冷却用に数千トンの水が原子炉の上部に蓄えられていて、緊急時にはそれが重力で下に流れてくるので、炉心を冷やすのに電力を使用しなくても済むと言われています。このようにモードを二部に分けるという考え方は極めて健全であり、普通でもありますので、わが国で、それが採用されなかったのは残念でなりません。
  
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  やはり、われわれにとって原発は荷が勝ちすぎていたのでしょうか?大した技術も無いのに、あたかも有るかのように振る舞っていただけの事かも知れません。或は、他の国も似たり寄ったりかも知れませんが、少なくともわれわれには自国の事が分かったのですから、それを以って利となすべきでしょう、‥‥それに、他の国には地震も津波も無いのですから、ハードルも、或は低くてよいのかも知れません、‥‥
  
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  いったい、この国の人は、懲りるということを知らないのでしょうか?それとも、余りに頑なで、一度の経験では改めるということをしないのでしょうか?やはり、傲慢なのでしょうか?原爆の被害を唯一被った国だというのに、何も学んでこなかったのでしょうか?世界中の笑い者になっているというのに、どうして平気でいられるのでしょうか?親に内緒で莫大な借金をこさえ、博打の目に一攫千金を夢見る放蕩息子そっくりですよ!‥‥どうでしょう、今回の事を好い契機として、真剣に、この国の将来を考えてみませんか?
  
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  今月の料理は、災害の炊き出しに因んで、おにぎりを考えたのですが、頃は花見の真っ盛り、やはり治にして乱を忘れず、乱に在って治を忘れず、とも言われてもおりますので、茶巾寿司を作ってみました、‥‥色が美しいように海老でそぼろを作ったまでは良いのですが、やはり冷凍物では限界があり、味の方がもう一つでした。しかし、これもご愛敬というところでしょう、中に入れたのは、そぼろの他にはカンピョウ、椎茸、キクラゲを別々に煮て甘辛のアクセントを付け、そのみじん切りしたものを酢飯を冷ますときに二割ほど混ぜ込んだだけです。かんぴょうで結んだのは、あいにく三つ葉が無かったからで、その他の物は皆あり合わせです。
  
  
それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (挽歌 おわり)