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サンタ、トナカイ、プレゼント
  2010年9月7日、尖閣諸島周遍で中国の漁船が海上保安庁の船にぶつかって来たというニュースは日本列島を慌ただしく駆け巡りましたが、その様子を写したビデオを政府が国民の眼より隠蔽しようとしたという愚行にはほとほとあきれ返ってことばを失わんばかりであります。
  
  現在、この国の政府は、その所属する政党自体が国民の支持の上にようやく成り立っているという明白な事実をすっかり忘れているようで、常に何等かを国民の眼から隠そうとする姿勢が見受けられます。それが自らの基盤を危うくするものだということぐらい容易に分りそうなものなのに、この愚行‥‥。これが嘆かずにいられようかという所ですが、しかし、実はそんな事よりも、自らが国際紛争の当事者となった場合、それを如何にして処理すべきかという何の国にとっても非常に大切な事を、どうやら何も知らないのではないかと思わせる事でもあったのです。この恐るべき現状‥‥、しかもそれを世界中に露呈してしまったという事実‥‥、これ等の事が、この国の立場を何れほど危ういものにするのか、この大勢の愚か者に支配されたこの国の未来を、われわれは真剣に考えなくてはなりません。
  
  一、一歩引けば一歩進む、これは格闘技の常識ですが、また国と国との争い事にとっても常識です。自ら身を引いて世界の同情を得ようとするのは、卑怯者の手口と見られて、皆に嫌われます。何事も堂々とした態度には好感が持てるものです。
  二、手を出さず、有らゆるメディアを使い、有らゆる機会を捉えて相手の非を言い立てる、これも常識です。手を出すのは最後の時と心得るべきですが、手を出すべきタイミングは常に計らねばなりません。また口で言い立てずに、人に非を覚らせる方法はありません。口で言わないのは、自らに非が有って言えないのだと思うのが世界の常識です。メディアを使うのは、現在の政治の多くの部分が国民の感情に支配されているからです。
  三、相手に先に手を出させるよう挑発する、これは極めて古典的な手口ですが、大義名分は全部自分に有ると、世界中に認めさせるか、圧倒的な力の差が有る時には好んで使われる手口です。ただし国際感覚に極めて敏感である必要があり、不断の努力が必要です。
  四、先に攻撃を受けたならば、喜んで1.5乃至2.0倍にして返すのが世界の常識です。1.0倍以下では相手をつけあがらせて、止めどがなくなります。相手をつけあがらせないのが謂わば有らゆる闘争のコツであり、また世界の常識でもあります。
  五、世界の国国は皆、国境を接しており、今や海でさえ国と国とを隔てるものではないのですから、紛争は必ず起こることを覚悟しなくてはなりません。怖れるべきは全面対決であり、それ以外の個々の紛争は一一丁寧に対処すべきものなのです。世界中の恐れる全面戦争は、これを怠ったが故に起こるのです。
  六、世界の紛争地をよく観察し、当事国以外の国はそれに対して何のような意見を表明するか、それは何に由来するかを常に見極め、自らが当事国となった場合の参考にしなければなりません。常に味方が多い程、事は有利に進みます。
  七、世界には、常に、われわれはこのように考えるとアピールして我が国を理解させるよう努力しなくてはなりません。しかし、またそれと同時に、できるかぎり世界的な基準で物を考えるよう自らを改める必要もあるのです。自らのアイデンティティは、何を護り、何を譲るか、常に考える必要があります。
  八、敵に塩を送って誉められることはありません。いったい何を狙っているのだろうと邪推されるのが関の山です。
  
  ビデオを隠蔽して相手国に思いやったつもりになっても、世界の人々の目には、このような絶好のアピール材料をなぜ隠していたのか、とても納得の行く行為ではない、いかにも日本らしい卑怯者の手口であるとしか写らないのです。
  
  日本は真珠湾の奇襲攻撃以来、すでに世界中に卑怯者のレッテルを貼られた国です。このような機会にこそ、堂々と相手国と渡り合って過去の汚名を晴らさなくてはならないのに、何れほどの損害をこの政府は国民に与えたのか計り知れません、恐らく莫大なものでしょう。その証拠に、2010年11月1日にはロシアの大統領が北方四島を訪問、こんなニュースが流れました。この国の指導者の腰抜け、卑怯者ぶりが遂に大統領にこの決断を促したことは、その時期から見て明白です。
  
  まさに怖るべきは、無能な指導者‥‥。前の政府が相当酷かったので、それが代ればいくら何でも少しは良くなるだろうと思ったのが、とんだ間違い、あれは一番底ではなく、まだまだ底があったとは、われわれ凡人にはとても計り知れないのが、この国の政治家であったのか、と今更ながらも感心しています。
  
  それにしても、このビデオを公表しないかわりに、何とか穏便に計らって欲しいと申し出るような行為には驚かされましたが、それ以上に彼の国の指導者は、驚愕したことでしょう。直ぐにも公表されるものとして、すでに幾通りのシナリオを書いていたものと思いますが、しめたと思ったに相違ありません。これは明らかに失策です、後は、これが何等かの原因で世に出るのを待てばよいのです。せっかく穏便に済ましてやろうとしたのに、全部お前らの責任だぞと言えば、より強い立場に立つことができるのです。これもその後のさまざまなニュースによって実証されました。
  
  如何なる国であろうと、常に最悪の事態を想定するのは、謂わば危機管理の常識です。すでに想定済みの事は、交渉材料たる資格を失っています。敵とも思う相手から何等かの好条件を持ちかけられたとしても、それに身を任せるほど愚かな国は何処にもありません。主導権を相手に渡すことになるからです。当然それを相手の弱みと見て、かさにかかってくるでしょう、そう思うのが世界の常識です。
  
  
  この国の人は島国根性がなかなか抜けず、ともすれば世界は多様であるということについて余り真剣に考えようとせず、ついこの国の常識は世界の常識だと考え勝ちですが、なかなかそうではありません。
  
  中国人の友人がいました。彼れは、日本人は余りに清潔な暮らしになれすぎ、中国に来ると皆すぐに腹をこわす。そこへ行くとわれわれ中国人は不断から鍛えられているから、どんな国へ行こうが平気であるというような事を語り、その上冗談めかして、「わたしたちは何でも食べる。海の物は潜水艦以外何でも食べる。空の物は飛行機以外何でも食べる。陸の物は、‥‥両親以外何でも食べる」と言い、こちらを見てにやりと笑いながら、「だからどんな国に出かけようが、全然それは苦にならない」と言いました。わたしは、人間以外ではなく、両親以外とわざわざ意味を狭めた所が気になりましたが、深く追求しては恥をかかすことになりはしないかと恐れ、そしらぬふりをして話題を変えました。しかし彼れの眼は、悠然とこちらの反応を見ながら、その瞳の奥で「甘ちゃんの日本人め!」とつぶやいていたのです。
  
  このような多くの事から、中国人は日本人とはよほど異なることを知ったのですが、このような事をよく研究しないで、ただ安い労働力を求め、或は無限の購買力を求め、或は希少の産物を求めて彼の国に近づけば、必ず好いようにあしらわれて、立ち直れなくなるのは目に見えているのです。何しろ、われわれとは常識が異なるのですから、‥‥
   
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  それでは少しばかり勉強してみましょう、‥‥
  「春秋左伝、宣公二年」には、このような記事が載っています、――
狂狡輅鄭人.鄭人入於井.倒戟而出之.獲狂狡.君子曰.失禮違命.宜其為禽也.戎昭果毅以聽之.之謂禮.殺敵為果.致果為毅.易之戮也.
  狂狡(宋の大夫)鄭人を輅(むか、迎)う。鄭人、井に入る。戟を倒にして之を出す。狂狡を獲たり(狂狡、鄭人を井中より援い出して反って殺されしなり)。君子曰く、礼を失い命に違えり。宜なり、其の禽(とりこ)と為るや。戎(いくさ)は果毅を昭かにして以って之(政令)を聴く、之を礼と謂う。敵を殺すを果とし、果 を致すを毅と為す。これを易うるは戮なりと。(田岡嶺雲訳注)
   宋と鄭(てい)とが戦になり、狂狡(きょうこう)という宋の大夫は、鄭の人と車を交えて、これを迎え闘っていたところ、鄭の人が井戸に落ちたので、戟(ほこ)を倒にしてこれを助け出したが、逆に井戸から出てきた鄭の人に捕えられた。
   孔子は、これをこう論評した、
――戦の礼を失い、元帥の命に違うたのであるから、禽(とりこ)となったのも当然である。戦とは、果と毅とをはっきりと現わし、それを以って官命を聴くものである、それを礼といい、敵を殺すことを果といい、果を招くことを毅という。これに反すれば、死刑であると。
と、これは大甘の日本人には、実に薬になる話です。
  
  また「尚書、旅獒」には、
不宝遠物 則遠人格
   遠物を宝とせざれば、則ち遠人格(いた)る。
   貢ぎ物を要求しなければ、遠国の人もなついて来る。
ともあります。
  
  即ち、レアアース(希土類)などという遠物を当てにしない産業を興せば、他国の人がわざわざ買いに来るのであります。何うしても地の利ばかりは争えませんので、不利益な産業を興そうというのは理に適った行いとはいえません。この国の産業はこの国の特色を生かしたものでなければ、これからのグローバリズムを乗り切ることはできない事は、これもやはり世界の常識ではないでしょうか?
  
  このような書物の中には、為になる言葉が大変多うございます。比較的手軽に研究できるのに、それをしないでは不勉強の謗を免れません。
  
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  ここまで今月は、若干の苦言を呈しましたので、その埋め合わせに、できるだけ愉快な写真を並べたくて、わざわざクリスマス・イルミネーションを見に行ってきました。上の写真がそれです、寒いのにね、まったく‥‥。何しろクリスマスですから、何でも楽しまなくてはなりませんね、‥‥。
  
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  ドイツではこのシュトーレンというお菓子を食べながら、クリスマス前の四週間を過ごすそうですが、わが家でも今年は近くのパン屋で求めたこのシュトーレンがクリスマスケーキの代りです。何でも試してみなくては分りませんからね、‥‥。
  
  それでは、皆様楽しいクリスマスと、明るい新年をお迎えください。
  また、来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  
  追伸:海老蔵が顔を殴られて6週間の重傷だそうです。海老蔵には海老蔵に相応しい遊び場があり、そこでならそのような目に遇うはずがありません。天与の資質を有し、役の上で非凡な存在感を示しながらも、どこか大きな子役とでも言えばよさそうな、ある種の稚拙さが抜けきらないのは、案外この自覚の無さに問題があったのかも知れません。是非一回り大きな海老蔵となって復活して欲しいものです。今年は、もうこれ以上嫌なニュースには遭いませんように、‥‥。
  
  
  
  
  
  
  (サンタ、トナカイ、プレゼント おわり)