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仏画シリーズ 地獄変相第九
  さて、涼しさを通り越してやや肌寒ささえ感じられる今日この頃でございますが、仏画シリーズも今回を含めて余すところは、ただ二回、今月は第九都市王ということでございます。
  
  この図の意図する所は鬼によって無理やり闘わせられる所にあり、前世に諍い事を好んだ者の地獄に於いて受ける責め苦ということで、例えとしても分りやすいものですが、見たところ相撲を取っている方はともかく、鎧兜に身を堅めた方は罰を受けているようにはとても見えませんで、何やら楽しんでいるようにも見えます、‥‥
  
  はたして絵師の力量の足らざる所以か、それとも深い意味が隠されているものか、そのどちらとも判断がつきませんが、まあ諍い事をしてよいことは一つもございませんというのが通説でもございますので、このような事はなさらないのが一番ということでしょう。
  
  しかし、諍い事を好むということは、どうやら知能の方の問題でもあるらしく、わたくし自身を例にとりますと、指折り計算してみれば、損の方が多いとすぐ分るところを、愚かな自尊心か何かそんな事で、つい角突き合わすというようなことをしておりますので、やはり賢いとはとても申せません。大事も小事もごっちゃになっているんですな、‥‥。
  
  まあ、それはそれといたしまして、最近少しばかり時間が取れましたので、荀子(じゅんし)という書物を読んでいる所です。そう性悪説を唱えた、あの荀子ですネ、孟子が、「人は皆忍びざるの心あり。(中略)人は皆忍びざるの心ありと謂う所以は、今、人、たちまち孺子(じゅし、幼児)の、まさに井に入らんとするを見るに、皆怵惕(じゅつてき、ハラハラすること)、惻隠(そくいん、憐れむこと)の心あればなり。以って孺子の父母に内交(交りを結ぶ)する所に非ず」と言って性善説を唱えますと、それに対して、「孟子の曰わく、今、人の性は善なるも、また皆その性を失喪するが故なり、と。曰わく、かくの如きは則ち過なり。今、人の性は、生まれながらにしてその朴を離れ、その質を離れて、必ずこれを失喪すればなり。(中略)今、人の性は、飢えて飽かんことを欲し、寒くして煖を欲し、労れて休まんことを欲す。これ人の情性なり。今、人、飢うるも、長(年長)を見て敢えて先に食わざるは、また譲る所の有ればなり。労れて敢えて息むを求めざるは、また代る所の有ればなり。夫れ子の父に譲り、弟の兄に譲り、子の父に代わり、弟の兄に代る、この二行(譲る、代る)は、皆性に反し、情に悖(もと、背く)るなり」と言って性悪説を唱えた、あの荀子です。
  
  人は誰であれ、たとえそれが悪人であっても、人から善人だと言われれば嬉しいものですから、性悪説を唱えた荀子よりも性善説の孟子の方により親しみを感じますので、わたくしもつい読まずにきてしまいましたが、読んでみればそれなりに、なかなか面白く、為にもなります。我々のよく耳にする「学は以って已(や)むべからず」とか、「青はこれを藍(あい)に取りて、藍より青し」、「高山に登らざれば、天の高きを知らず」、「教えて、これをして然らしむるなり」、「蓬(よもぎ)も麻中に生ずれば、扶けざるも直し」、「居るには必ず郷を択び、遊ぶには必ず士に就く」、「肉腐りて虫を出だす」、「争気ある者と与(とも)に辯ずるなかれ」、「百発して一失すれば、善射と謂うに足らず」、「我れを非として当る者は吾が師なり」、「我れに諂諛(へつら)う者は吾が賊なり」等、その一一の言葉は皆掬すべきものがあり、学問教育を重視するのは孟子と同じく孔子ゆずりですが、性善説は自ら理念に傾いて心地よく、性悪説は実際に傾きますのでやや居心地悪く、両者合わせて二分すればちょうど良いというように、やはりその性質には相当な違いがあります。
  
  その中に、非常に気になる言葉がありましたので、お目にかけることにしましょう、‥‥
    

  「荀子」に云わく、「学は悪(いづく)にか始まり、悪にか終わる。曰わく、その数則ち経を誦するに始まり、礼を読むに終わる。その義則ち士たるに始まり、聖人たるに終わる。真に力を積むこと久しければ、則ち入る。学は没するに至りて而も止むなり。故に数を学ぶに終わり有るも、その義の若きは、須臾にも捨つるべからず。これを為すは人なり、これを捨つるは禽獣なり」と。
  その意味は、‥‥
  学問は何に始まり、何に終わるか?それを順に数えれば、詩経を暗唱することに始まり、礼記を黙読することに終わる。その意義は立派な人となることに始まり、聖人となることに終わるのであるが、真に努力を積みかさねれば、その域に入ることができるのである。学は死没してようやく止むものであり、故に、学ぶ学問の数にこそ終わりが有るものの、その意義を学ぶことは、しばしも捨ててはならないのである。これを為してこそ人であり、これを捨てるようでは禽獣の世界に留まらなくてはならない。
、ということです。
  
  これによれば、少なくとも人を助けられるような立派な人となることが学問の目的であり、極めれば公平無比の聖人となるのが学問の目的であると言っているのですね。
  
  では何故聖人となるのか?聖人となることの目的は何か?人を使って国家の大事を為すことに他なりません。自分一己の為にするのではないのです。庶民が一様にこの志をもって学べば、人材の涸渇するはずがなく、人材の豊かな国が富まないはずがありません。
  
  この中で、詩経とは当時の俗謡を集めたもので、礼記は君子の有り様を説いたものです。謂わゆる、先ず「詩経」で俗謡に歌われた庶民の赤裸々な喜怒哀楽を知り、次ぎに「書経」で政事の記録を読み、「春秋」で歴史を知り、最後に「礼記」で君子の身につけるべき作法を知る、これ等は今でも皆必要であり、不可欠なものばかりですが、今、この国ではまったく顧みられることがないように見えます。それでは人材を得られないのも当然ではないでしょうか?
  
  禽獣にならないように、上の言葉を拳々服膺して心に銘記したいものです。
  
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  我々に不足するものは何か?この心に鬱積した問いに関し、一応の解を示すことができましたので、ここはめでたく、愁えを離れて全山紅葉に染まる仙境に遊ぶことにしましょう。
  
  「李白」の詩です。

●題:秋に荊門を下る。○荊門(けいもん)は湖北省宜都県の西北、揚子江の三狭の急流を過ぎた辺、両岸がせまって門のようになった所です。或はその辺の山をいいます。●霜は荊門に落ちて江樹が空しい。○李白の乗った船は三狭の急流を無事通り過ぎ、荊門に至りました。この辺は霜が降りるほど寒く、両岸の樹木はすでに落葉しています。●布帆は恙なく秋風に挂(かか)る。○「布帆恙なく」、昔の著名な画家顧愷之(こがいし)の言葉、顧愷之は役所より休暇をとって家に帰るとき、長官から特に布の帆を貸与されたが、途中大風にあい船は難破してしまいましたが、顧愷之は長官に「行人安穏にして、布帆恙なし」といって手紙を送りました。秋風に挂る、すでに急流を過ぎ、船は全帆に風を順風を受け、矢のように走っていることを思わせます。●この行(こう、旅行)は、鱸魚(ろぎょ、すずき)の鱠(かい、なます)の為ではない。○「鱸魚の鱠」もまた昔の晋の長翰(ちょうかん)の言葉で、斉王に仕えていた長翰は、戦乱の起ころうとするのを察知し、秋風が起こると故郷呉中の蓴菜の羹(あつもの)と鱸魚の鱠が食いたくなると言って帰ってしまいました。●わたくしは名山を愛して剡中に入ろうとしているのである。○剡中(せんちゅう)は、今の浙江省会稽道嵊県、天下の名勝です。荊門から剡中までほぼ2000キロ、大変な長旅です。はたして紅葉に間に合うのでしょうか?

  
  
  
  そろそろ大粒の牡蠣が出回ってきましたね。今月は牡蠣ご飯にしましょう。
≪牡蠣ご飯の作り方≫
1.米2カップに対し、牡蠣12~16個。針生姜少々。
2.牡蠣を洗ってザルに揚げ、鍋に水2カップ、醤油大さじ1、酒大さじ1、昆布5㎝を入れ、沸騰したら牡蠣を入れ、白くなって膨らんだら牡蠣のみを取りだし、この煮汁を入れてご飯を炊く。
3.炊飯器のスイッチが切れたらすぐに先ほど取り出した牡蠣を入れ、10分ほど蒸らす。
4.牡蠣ご飯を茶碗によそい、上に針生姜を載せる。
  
  
  それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう。それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (仏画シリーズ 地獄変相第九 おわり)