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仏画シリーズ 地獄変相第八
  
  
  「諸衆等聴きたまえ、日中の無常偈を説かん」と歌って、光明寺の善導は人生に於いて精進の必要不可欠を説きましたが、これを読むたびに、あーあ、若いときもっとよく精進して勉強しておけばよかったなあと嘆くのが、老人のこの所の日課です。
  
  夏休みが来るたびに思い出すのですが、終業式の日に、「ただいま」という言葉を吐くが早いか、山のような宿題の事など一切を忘れて、或は忘れたことにして遊びほうけた日々、次ぎに「いってきます」というて学校に行くまで、勉強と名づけられるものには何一つ目を向けず、まったくの無為に過ごした日々、無駄に過ぎ去ってしまった膨大な時間、そしてこのような怠惰な少年であったこと、これ等を思うにつけ悔恨の涙に暮れぬ日はなく、これはいったい誰のせいなのだろうかと思うのでありますが、まあ言ってみれば誰のせいでもない、皆自分自身にその因が有るということなので、彼の朱文公の「謂うなかれ、今日学ばずして明日ありと、今年学ばずして明年ありと、歳われとのびず、ああ老いぬ、これ誰の愆(あやまち)ぞや」の言葉が、まったくわが真実として胸を締め付けてくるのです。
  
  精進というても、この頃の若い人には、精進料理か、或は寺の何かぐらいにしか思い浮かばないかもしれませんが、これは「もっぱら進む」と訓じて、怠けずに進むという意味であり、怠惰の逆を指す言葉なのです。
  
  「人生まれて精進ならざれば、喩えば樹(うえき)に根の無きがごとし」、例えば英語などでも、何時間それに接したかが、物になるかどうかの分かれ目だそうですが、何事もその例に漏れるものではありません。樹を植えても、もし根が無ければこれは枯れるよりなく、その後何の手当をしたとしても青々と葉が生い茂ることはないのであります。
  
  「花を採りて日中に置かば、よく幾ばくの時か鮮やかなることを得ん、人命もまたかくの如く、無常にして須臾(しゅゆ、しばし)の間なり」、無常の世界には変らないものは何もなく、時々刻々と常に変化するのであり、少年は壮年になり、壮年は老年になるのも当然の道理なのです。
  
  「諸の行道衆に勧む、勤めて修め乃ち真に至れ」、乃(すなわ)ち至るとは、一歩一歩至るということです。毎日毎日しばしも怠らずに一歩一歩真に至れ!今日の一歩を怠らば、明日の一歩はないのだぞ、と励ましているのですが、これは寺の僧を励ますのみならず、一般にも充分通じることばであり、明日の成功を思うならば、今日の勉強を怠ることは許されません。
  
  と、ここまで書いてきて、これはいつぞや取り上げたな、と思うのですが、それがいつの事やらさっぱり思い出されませんし、ほとんどの方はとっくに忘れていられるでしょうから、ということでまたしても善導の無常偈ですが、この無常という言葉は仏教では非常に重要な言葉で、諸経論中のどこにでも、「無常の狼」、「無常の虎」、「無常の殺鬼」、「無常の風」、「無常の力」、「無常の使」、「無常の鳥」などと出てきますので、その意味については世間周知のことでしょう。その辺を調べてみますと、その意味する所には二あり、一は涅槃経に説く所の「是身無常、念念不住、猶如電光、暴水幻炎」の如く、この身、或は一切の物は刹那刹那に生滅し変化して止まることがないことを指し、二はこの身心の一期相続の上で生滅変化することを示すのであります。喩えば、この身体にしても一期の相続の上では生(生まれる)、住(止まる)、異(変化)、滅(死滅)の原則があり、初めて生まれて、何十年かこの世に住(とど)まり、変化し続けてやがて死滅するのであり、われわれの命はまさに露の如き、水面に浮かぶ泡の如きもので、まことに心も凍るような戦慄すべきものですが、その一方これはある意味ありがたいことで、もしこの変化が無ければ、赤子は赤子のまま成長しないことになり、風は動かず、何事も一切の動きを止めて、謂わゆる死の如き世界を呈せずにはいられないのであり、一切の精進努力は無駄であり、進化も進歩もない世界なのであります。
  
  まさに無常であるが故に希望も夢もあるということで、人が生まれて死ぬということは実は非常に有り難いことなのですが、この無常というものは、まさに老、病、死に観るように、また苦の原因でもあり、諸の経論に「一切の事物は、因縁により生じるが故に無常であり、無常であるが故に苦であり、苦であるが故に自在でなく、自在でないが故に無我である」とか、また「世間には苦痛が満ちあふれているが、それは無常なるが故である」と説かれているのです。
  
  試に「雑阿含経巻1(10)」の中を見てみますと、その時世尊は諸の比丘に告ぐらく、「色は無常なり、無常なれば即ち苦なり、苦なれば即ち非我なり、非我なれば即ち非我所なり、かくの如く観るを真実の観と名づく。かくの如く受、想、行、識は無常なり、無常なれば即ち苦なり、苦なれば即ち非我なり、非我なれば即ち非我所なり、かくの如く観るを真実の観と名づく。聖弟子よ!かくの如く観れば、色に於いて解脱し、受、想、行、識に於いて解脱す。われはかくの如く、生、老、病、死、憂、悲、苦、悩を解脱することを説けり」、と。
  
  人の身は無常であると観察せよ!無常であれば苦である、苦であれば我は無い、我が無ければ我の身心は無い。人の心は無常であると観察せよ!無常であれば苦である、苦であれば我は無い、我が無ければ我の身心は無い。聖なる弟子よ!このように観察して身を解脱し、このように観察して心を解脱せよ!わたしは、このように生、老、病、死、憂、悲、苦、悩を解脱することを説いた。
  
  ここで無我とは自在でないことを指し、一切の事物の因縁に拘束されて、まったく自由が無いことであると知らなくてはなりません。一切の事物は皆各他の因縁に拘束されて自在でない、この故に無常なのですが、それは取りも直さず苦を感じる原因でもあり、苦を感じるとゆうことは自在でないことを指し示し、その故に無我である、とこのように観察すれば、一切の事物から解脱して、本来の自由を取り戻すことができるのです。
  
  もう一つ見てみましょう、「雑阿含経巻1(1)」によれば、その時世尊は諸の比丘に告ぐらく、「常に色の無常なるを観よ!かくの如く観るを則ち正観と為す。正観なれば則ち厭離を生じ、厭離する者は貪の尽くるを喜び、貪の尽くるを喜ぶ者は、心の解脱を悦ぶ。かくの如く受、想、行、識の無常なるを観よ!かくの如く観るを正観と為す。正観なれば則ち厭離を生じ、厭離する者は貪の尽くるを喜び、貪の尽くるを喜ぶ者は心の解脱を悦ぶ。かくの如し、比丘よ!心の解脱とは、もし自ら証せんと欲すれば則ちよく自ら、わが生はすでに尽きたり、梵行はすでに立ちたり、作す所はすでに作したりと証して、自ら後の有を受けざることを知るなり。無常を観るが如く、苦、空、非我もまたまたかくの如し」、と。
  
  常に人の身は無常であると観察せよ!無常を観察すれば、世間を厭う心を生じ、世間を厭う者は貪欲の心の尽きるのを喜び、貪欲の尽きるのを喜ぶ者は心が解脱するのを悦ぶ。このように人の心は無常であると観察せよ!無常を観察すれば、世間を厭う心を生じ、世間を厭う者は貪欲の心の尽きるのを喜び、貪欲の尽きるのを喜ぶ者は心の解脱を悦ぶ。こういうことである、比丘よ!心の解脱とは、自ら「わたしの生死はすでに尽きた、わたしの修行はすでに成立した、わたしの作すべき事はすでに作した」とはっきり知り、自らもう来世に生を受けることはないと知ることである。無常を観察するように、苦、空、無我についても観察せよ!
  
  凡そ仏教とは、このように無常を不断に観察し、精進して観察して、しばしも観察を怠らないと説くものであり、これは善導のような浄土を願い求める人にとっても例外ではありません。まあ無常を観察するということが、仏教の第一の門であり、第二の門であり、ずーと続く道であるということができるのです。
  
  言い換えれば、まず自らの立ち位置である無常を知り、その後にどの道を取るのがよいかを知り、精進して道を進むということなのです。
  
  
  
  これで無常を知るということは、仏教の一大事であるということがお分かりいただけたことと思います。
  
  葬式なども、仏教にとってはこの無常を人々に教えるに相応しい場であるが故に、僧侶は葬式に係わっているのですが、しかし、そこに営利という新たな目的が生まれますと、本来の意義が薄れて、甚だ笑うべき様相を呈せずにはいられません。
  
  先日も、わたくしは義理の母が、九十何歳かの大往生を遂げたので、その葬儀に出席したのですが、その若い司会は、彼女の一生に対して、一遍のお涙頂戴の物語を編み上げまして、夫が戦争に出征していた間、彼女はいかにして女手一つで幾人の子供を育てたかとか、いかにして家業を盛立てたか等を披露したのでありますが、本来、そんな事は知るべき人は当然本人から何度も聞いて知っていることであり、それを知らない人は知る必要のない人で、本人が敢えて言わなかっただけであるということを理解せず、むやみやたらに場を盛り上げようとしているに過ぎないのでありました。
  
  またこれは隣の家の老人が八十何歳かで亡くなった時のことですが、葬儀会場に入って見ると、正面にスクリーンが掲げられ、そこにスライドを投映して"故人の好きな食べ物、ビール、まんじゅう"と大きな字で書かれており、その葬儀社の仕事がいかに杜撰でおざなりであるかを如実に示しているのでした。
  
  本来の面目を失った葬儀葬式にはたしてどのような価値があるものか、あらためて問い直してみる必要があると思うのはわたくしばかりではないでしょう。
  
  ちなみに「有部毘奈耶雑事巻18」によれば、室羅伐(しらばつ、舎衛)城の逝多(せいた、祇陀)林に在りし時、この城中に一長者有り、妻を娶りて未だ久しからざるに、便ち一息を誕す。年漸く長大するに仏法中に於いて出家をなし、病に遇いて身死す。時に諸の苾芻(ひつしゅ、比丘)即ち死屍、并びにその衣鉢を以って路側に棄つ。ある俗人見てかくの如きの語を作す、「沙門(しゃもん、出家)釈子(しゃくし、釈迦の弟子)、身亡ずれば棄て去る」と。あるは云わく、「われ試にこれを観ん」と。観おわりて便ち識り、諸人に報じて曰わく、「これは長者子なり」と。各、共に嫌を生ず、「釈子の中に於いて出家をなさば、依怙(えこ、頼る者)有ることなし。向(さき)に、もし俗に在らば、諸親必ず与(ため)に如法に焚焼すべし」と。苾芻の仏に白(もう)すに、仏の言わく、「苾芻、身死せばまさに供養をなすべし」と。苾芻、云何に供養するかを知らず。仏の言わく、「まさに焚焼すべし」と。具寿(ぐじゅ、長老)鄔波離(うはり)、世尊に請いて曰わく、「仏の所説の如くんば、この身中には八万戸の虫有り。如何が焼くことを得ん」と。仏の言わく、「この諸の虫類は、人生ぜば随って生じ、もし死せば随って死す。これに過の有ることなし。身に瘡(きず)有らば観察し、虫無くんばまさに殯(もがり)を焼くべし」と。殯を焼かんと欲する時、柴の得べきもの無し。仏の言わく、「河の中に棄つべし。もし河無くんば、地を穿ちてこれを埋めよ」と。夏中に、地湿りて多く虫蟻有り、仏の言わく、「叢(くさむら)の薄く、深き処に於いて、それをして首を北にし、脇を右にして臥せしめ、草の稕(しゅん、束)を以って、頭を支え、もしくは草、もしくは葉もてその身の上を覆え。喪を送るに苾芻は能くする者をして三啓無常経を誦せしめ、并びに伽陀(かだ、仏徳讃歎)を説かしめて、その咒願と為すべし」と。事おわりて寺に帰るに、便ち洗浴せずして随処に散ず。俗人、見て譏(そし)り、咸(みな)言わく、「釈子は極めて浄潔ならず。身を死屍に近づけて、身を洗浴せず」と。仏の言わく、「まさに爾(しか)くすべからず。まさに身を洗うべし」と。彼即ち倶に洗う。仏の言わく、「もし屍に触れし者は、衣を連れて倶に洗え。その触れざる者は、ただ手足のみを洗え」と。彼、寺に還る中に、制底(せいてい、礼拝堂)に礼せず。仏の言わく、「まさに制底に礼すべし」と。
  
  舎衛城のある長者が、妻を娶るとじきに子ができた。その子は、やがて成長すると仏法の中に身を投じて出家したが、病に遇って死んでしまった。諸の比丘は、その死体を、その衣鉢と一緒に道端に捨て去った。ある俗人が、それを見てこう言った、「沙門(しゃもん、出家)釈子(しゃくし、釈迦の弟子)の身は、死ぬと捨て去られる」と。ある人が言った、「わたしも、ちょっと観てこよう」と。観ると誰であるかがすぐ分り、諸の人にこう報告した、「これは長者の子でした」と。各は共に嫌悪を生じた、「釈子の中に出家した者は、誰も頼りにならない。以前、もし俗人の中に在ったならば、諸の親戚が必ず、しきたりに従って火葬してくれたであろうに!」と。これを聞いた比丘は仏に報告した。仏は言われた、「比丘が死んだら、その身に供養せよ」と。比丘は何のように供養するかを知らなかった。仏は言われた、「焼くのがよかろう!」と。長老の憂婆離(うばり)が世尊にこう申した、「仏の所説によれば、この身の中には八万の虫が有るとのことです。本当に焼いてもよいのですか?」と。仏は言われた、「この諸の虫の類は、人の生に随って生じ、もし死ねば随って死ぬ。これを焼いても過(とが)にはならない。もし身に瘡(きず)が有ったならば観察して虫が無ければ遺骸を焼け!」と。遺骸を焼こうとしたが、柴を得られなかった。仏は言われた、「河の中に棄てるがよかろう!もし河が無ければ、地に穴を掘って、これを埋めよ!」と。夏の中、地が湿って多くの虫や蟻が有った。仏は言われた、「叢(くさむら)が薄く、深くなった処に、それを置き、首を北にし、脇を右にして臥せさせ、草の束を枕にして頭を支え、草か、葉でその身の上を覆え!遺骸を送る時、比丘はよくできる者に、三啓無常経を読ませ、并びに仏徳を讃えさせて、その咒願とせよ!」と。事が終って寺に還ると、洗浴しないまま処処に散った。俗人はこれを見て譏(そし)り、口々に言った、「釈子は極めて不浄だ。身を死屍に近づけても、洗浴しないとは」、と。仏は言われた、「そのようにしてはならない、身を洗うのがよかろう!」と。彼等は身を洗った。仏は言われた、「もし屍に触れた者は、その衣も連れ立って一緒に洗え、もし触れなければ、ただ手足のみを洗え!」と。彼等は寺に還る時、礼拝処にて礼しなかった。仏は言われた、「礼拝処では礼しなければならない」と。
  
  ここに「三啓無常経」とは、大正新脩大蔵経の中に「仏説無常経」と、それにほぼ同一の「仏説無常三啓経」の二本が収録されていますが、極めて短い経で、謂わゆる、老、病、死の三事の愛すべからざることを述べて蒙を啓くだけのものであり、かつて印度に於いて僧の葬儀にはこれを誦し、それを呪文や願文の代わりとしたということが伺われます。
  
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  仏教以前の印度の古制では、土葬、棄葬、火葬、曝葬の四種が有ったと聞いておりますが、この「毘奈耶雑事」に見るかぎり、仏もその辺は世間に従っても問題ないとされていたようですので、家重視の概念が崩壊して個人重視の概念に取って代わられた今、葬儀などは大事とせず、事情が許すかぎり極めて簡便に済ませるのがよいのではないでしょうか。
  
  と、いうことで今月も無事、書くべきことを書きおわりました。残るは今月の料理ということになりますが、老人は一日中、冷房の効いた書斎に籠もっていますので、今年は例年にない暑さだと聞いても、あまり実感がありません。しかしまだ冷たい物が出ると嬉しいような気がしますので、今月の料理は、ひんやりと冷たい『白玉ぜんざい』ということにしましょう。
  
  
≪白玉ぜんざい≫の作り方
A.白玉団子を作る。(白玉粉の袋の記載による)
  1.白玉粉150gに水(130~140cc)を少しづつ加えて耳たぶぐらいの柔らかさになるまでこねる。
  2.直径2cmぐらいの棒状にのばして2cmぐらいの厚さに切り、丸めて中央にへこみをつける。
  3.沸騰した湯の中で浮き上がってから更に1~2分茹で、冷水に取って冷やす。
B.冷蔵庫で冷やした缶詰の"ゆであずき"の適量を器に取り、これに冷蔵庫で冷やした薄めの砂糖水を注いで冷たさを演出し、その中に白玉団子を入れます。
  
  では今月はここまで、また来月お会いしましょう。それまでご機嫌よう。
  
  
  
  
  
  
  
  
  (仏画シリーズ 地獄変相第八 おわり)