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仏画シリーズ 地獄変相第五
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  冒頭に取り出だしましたる所のポートレイトは、何を隠そう、つばめ堂主人、つまりわたくしのことですな、地獄図の次に在りますと、何か重要な事か、深刻な事でも思索にふけっているように見えましょう?そこが狙い目ではございますが、実はそうではございません、正直に言えば疲労困憊、茫然自失の図と言わなくてはならないのです。
  そこでその茫然自失の原因はというと、その後ろの画面に映っているもの、そうそのとおり、Windows7なのですな、‥‥この新しいOSを導入し、新しいOfficeを導入し、新しいHomePageBuilderを導入し、新しいATOKを導入し、新しいFFFTPを導入し、新しいマシン、エプソンエンデヴァーMR4000+三菱のディスプレイを導入して、やっと仕事が軌道に乗り出したところなのですが、ここまでの右往左往に精と根とを使い果たして、かくの如く疲労困憊してしまったというのが、この写真の意味する所なのでございます。
  
  わたくしは生まれつき大変不器用な性で、カメラでもステレオでもわたくしが触れて壊れなかったものは未だかつて無かったと言っても決して過言ではなく、その中でも特に壊れやすいパソコンなんどには、一指たりとも触れたくないというのが本音でございますので、4年前に買い求めたパソコンがこの所やや不調を訴えており、時にWordで大智度論などを入力している最中に、いきなりダウンするというような事が何度となく起こっていても、それでもやはり買い換えたいとは思っておりませんでした。
  
  しかも、4年前のあの忌まわしい記憶、購入早々いきなり不調になり、メーカーのサービス係を相手に延々と続く、それで正常です、いやそんなはずがない、これは不具合である、といったやりとり、そこで一旦はメーカーに送り返しましたが、そこでは何も修理されないまま送り返され、やむを得ず不調のまま使用していたら案の定、その一年後には完全に壊れてしまってディスク交換の大修理を余儀なくされたという一部始終があり、その他にも何度もサービス係と電話で連絡しながら、面倒なシステムの再設定などを致したりしておりましたので、パソコンというものには、それが便利でありかつ不可欠のものであるとは知りながらも、何か得体が知れず親しみのもてない、できれば触れたくないものという思いがつきまとっており、これでは買い換えようにも心のはずむ道理もなく、躊躇して当然なのです。が、しかし、‥‥
  
  そこで後3年はだましだましでも、何とかこれで我慢しようと思っておりましたところ、前にも申しましたとおり、ディスプレイのブラックアウトというような問題も起きておりましたので、何か気になり、次はどのメーカーにしようかなどと、まったくのど元過ぎれば何とやらのたとえどおりでございますが、ヤマダデンキでひときわ目を引くパソコンに触れてみますと、その画面の広さとあまりの美しさ、その操作方法の斬新さにすっかり心を奪われてしまい、心の中ではいつの間にやら、すでにマック教に入信しており、iMac27インチの購入決定モードのスイッチが入ってしまったのであります。
  
  しかし慣れ親しんだWindowsから、Macに切り替えるのは多くの問題を抱えていそうだぐらいは容易に見当がつきます。そこで多くの本を読み、インターネットで検索を重ね、日夜欠かさず研究を積んだ結果、Mac用のWordも存ることであり、その他のアプリケーションも何とかなりそうである、これならば今までどおり作業に支障を来すようなことは、よもやまかり間違っても決してあるまいと確信するに至りました。それ以後は、アップルストアに注文したのが5月4日、自宅に届いたのが5月5日の子供の日という素早さで、すぐに電源を入れてLANケーブルをつないだのは言うまでもありませんが、そこで何事もなくインターネットが立ち上がり、わたくしのサイトをiMacの美しい画面上に映し出してみると、すでに十分確認済みのことですが、『つばめ堂通信』の表紙が現れ、少しばかりの画面のくずれている部分もデフォルトのフォントを"MS P明朝"にしてやればWindowsで見るのと何等変わらず、違和感を覚えることもありません。
  
  これで済めば万事めでたしめでたしで、まことに結構、わたくしもついにマック教の信者になったか、ついにマック使いになったか、と感慨にひたっていることができたのですが、やはり何というか、わたくしとパソコンとの間の相性の悪さというものは隠しようもなく、LANケーブルを介して旧のパソコンからiMacにデータを移し、いざ大智度論を解説しようと作業を始めたとたん、出てしまったのです、不具合がまたしても出てしまったのですねぇ、‥‥。
  
  それも肝心要のWordに!要するにフォント名の登録し忘れ的な簡単なプログラムのバグに過ぎないのですが、わたくしの作業にとっては致命的で、何ともなりません。世の中にはわたくしのような用途でWordを使っている方が案外少いようで、わたくしはよくしばしばこのような目に遭うのですが、何といってもWordは仕事の要ですから、マイクロソフト社と相談の結果、アップル社には事情を話して引き取っていただくよりなく、マック使いとしての夢は幻のごとく潰えてしまったという、またしても例のごとき一連のお粗末さでした。
  
  しかし、ここまで来ればもう引き返すこともできません。改めていろいろ調べて、上述のようなソフト、ハードを購入して届いたのが5月12日、そこで更にディスプレイの電源が入らない、Windows7が起動しない、Wordが図形/写真を使用しないのに勝手に複数のファイル/フォルダーを作る等々の事が起こり、すったもんだの挙句が上述のごとく疲労困憊となって現れたのですが、これもこうなるのが運命であれば、それもしかたなく、生涯の記念に写真を一枚ということに相成った次第なのです。
  
  まあそんな事もございましたが、現在は十分満足してこれ等を満喫しております。実のところアップロードが済むまでは、今後も何が起こるか分からないのですが、マシンは速くなったし、Winows7の使い心地は良いし、Office、HomePageBuilder、ATOK、FFFTP等に関しても何も言うことはありません。現在のところは極めて満足と言ってもよいでしょう。
  
  それにしてもこの次の時はどうなることやら、‥‥、今から先の事が思いやられてなりません。
  
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  閑話休題、まあそんな事がありましたということで、話を変えまして皆様お待ち兼ねの地獄変相に入りましょう。今月はいよいよそのクライマックス、誰しもご存じの閻魔大王の番が迴って来ましたよ。そこでお馴染みの『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』をぱらぱらとめくってみましたが、何しろ漢字の本場、台湾の方には『日本人の偽撰なり、鄙俚(ひり、田舎臭い)にして卒(お)わりまで読むに堪えず』なんて毒づかれるだけあって、確かに読みにくいのですが、言われるほどでもありません。まああちらの方は、こちらに対しては大分優越感を感じていらっしゃいますので、その分ぐらいはさっ引いてちょうど良いのです。まあ取りあえず読んでみましょう、‥‥。
  
  えーっと、何々‥‥。
  
第五閻魔王國(地藏菩薩)
  
閻魔王國(自人間地去五百臾善那)名無佛世界亦名預弥國亦名閻魔羅國大城四面周圍銕墻四方開銕門左右有檀恭幢上安人頭形人能見人間如見掌中菴羅之果右黑闇天女幢左太山府君幢
  
  第五閻魔王国(地蔵菩薩) 閻魔王国は人間の地より去ること五百臾善那(ゆぜんな、凡そ10㎞)、無仏世界と名づけ、また預弥国と名づけ、また閻魔羅国と名づく。大城の四面には鉄牆(てつしょう、鉄の城壁)を周囲し、四方には鉄門を開き、左右に檀恭幢(だんぐどう、幢は標柱)有り、上に人頭を安(お)く。人に形づくりてよく人間を見ること掌中の菴羅(あんら、マンゴウ)果の如し、右は黒闇天女幢、左は太山府君幢なり。
  
  閻魔王の国は地下5000㎞にあり、無仏世界、または預弥国、閻魔羅国といわれている。その大城の四面は鉄の城壁であり、四方には鉄の門が開き、その左右に檀恭幢という標柱が立っており、その上には人頭が置かれている。それは人の形をして人間を掌中のマンゴウのように観察する。右を黒闇天女幢といい、左は太山府君幢という。
  
  図の中では閻魔大王の右に男女の頭をつけた秤の柱が有りますが、どうやらこれの事ですな、‥‥。しかし、本文では二本の柱が有るように聞こえますがね、‥‥。
  
爾時世尊告大眾言謂諸眾生有同生神魔奴闍耶(同生略語)左神記惡形如羅剎常隨不離悉記小惡右神記善形如吉祥常隨不離皆錄微善總名雙童亡人先身若福若罪諸業皆書盡持奏與閻魔法王
  
  その時、世尊は大衆に告げて言って謂わく、諸の衆生には同生神の魔奴闍耶(まぬじゃや、同生の略語なり)有り。左神は悪を記して形は羅刹(らせつ、悪鬼)の如し、常に随って離れず悉く小悪すら記す。右神は善を記して形は吉祥の如し、常に随って離れず皆微善すら録(しる)し、総じて双童と名づく。亡人が先の身の、もしは福、もしは罪なる諸業は皆書き尽くし、持ちて閻魔法王に奏す。
  
  世尊はこう言われた、諸の衆生には同時に生まれた同生神が左右に付き随っている。左の神は悪を記す神で、悪鬼のような恐ろしい形をしており、常に人に付きまとって小悪でさえ漏らさず記す。右の神は善を記す神で吉祥天のように優しい形をしており、常に付きまとって小善でさえ漏らさず記す。これ等の神を総じて双童という。亡者の先の身が行った諸の福業や罪業を尽く書いて、人が死ぬときそれを閻魔法王に奏上する、と‥‥。してみると、これは先ほどの人頭幢について言っているのですかな、‥‥?同生神は双子の神様という意味だったかな?閻魔大王は双子の神様だと何かで読んだような、‥‥。
  
其王以簿推問亡人筭計所作隨惡隨善而斷分之復二幢主以人頭所見重奏彼王
  その王は簿を以って亡人に推問し、作す所の悪に随うと善に随うとを算計して、これを断分す。また二幢の主は、人頭の見し所を以って重ねて彼の王に奏す。
  
  閻魔王は、この記録簿を手に持って亡者に問い、悪心に随って作された事と、善心に随って作された事とを計算、判断して分類すると、二幢の主は人頭の見た所をそれに重ねて閻魔王に奏上する、と‥‥。いや、これはどうやら人頭幢と同生神とは同じものではありませんな、‥‥或は同じかも知れませんがね、‥‥。
  
次有二院一名光明王院二名善名稱院光明王院於中殿裏有大鏡臺懸光明王鏡名淨頗梨鏡昔依無遮因感一大王鏡閻魔法王向此王鏡鑑自心事三世諸法情非情事皆悉照然復圍八方每方懸業鏡一切眾生共業增上鏡
  
  次に二院有り、一を光明王院と名づけ、二を善名称院と名づく。光明王院は中の殿裏に於いて大鏡台の光明王鏡を懸くる有り、浄頗梨(じょうはり、頗梨はガラス)の鏡と名づく。昔より因を遮ること無く感ずる一大王鏡なるに依り、閻魔法王はこの王鏡に向かいて自心を鑑みて三世の諸法を事とす。情と非情の事は皆悉く照すに、しかもまた八方の方毎に、業鏡を懸く。一切の衆生の業の増上を共にする鏡なり。
  
  次に二つの役所があり、光明王院と善名称院と呼ばれている。光明王院の中庭には大鏡台が有って光り輝く鏡の王が懸かっている。その鏡は浄頗梨(じょうはり、浄らかなガラス)の鏡と呼ばれ、昔から罪福に関する善因、悪因を遮ることなく感ずる一大王鏡であるにより、閻魔法王はこの鏡に向かって自らの心を映し、三世の諸法、つまり過去未来現在の一切の事物を適切に処理している。この鏡は生き物であろうと、生き物でなかろうと、皆残らず照しだすが、その上に、八方の各方面毎に、業鏡が懸かっている。この鏡は一切の衆生と善悪の業を共有する、と‥‥、これで良いのかな?確かに悪文ですな、少し疑問有り、と‥‥。
  
時閻魔王同生神簿與人頭見亡人策髮右繞令見即於鏡中現前生所作善福惡業一切諸業各現形像猶如對人見面眼耳
  
  時に閻魔王は、同生神の簿をもって人頭とともに、亡人を見て髪を束ね、右に繞(めぐ)りて見せしむ。即ち鏡中に於いて前生に作す所の善福、悪業、一切の諸業を現し、各々形像を現すこと、なお人に対して面の眼耳を見るが如し。
  
  その時、閻魔王は同生神の帳簿を手にして人頭幢と共に亡者を見、その髪を束ねて右に迴り、亡者に鏡を見せた。鏡の中には、生前作した所の善業、悪業の一切が見え、そこに現れた形像は、人に対面してその眼や耳を見るようである、と‥‥。ここで策は束の間違いとして読みましたが、或は策のままで良いのかどうか、‥‥、しかし策は乗馬用の鞭を指しますから、やはり間違いでしょうな、‥‥。
  
爾時同生神從座而起合掌向佛說是偈言。 
 我閻浮如見 今現與業鏡
 毫末無差別 質影同一相
  
  その時、同生神は座より起ちて合掌し、仏に向かいてこの偈を説いて言わく、
    『われ閻浮に見るが如きを、今現に業鏡に与え、
     毫末も差別無く、質影は同一相なり』、と。
  
  その時、同生神は座より起ち上がって合掌し、仏に向かってこう歌った、
    『わたしが地上で見たとおりを、今現して業鏡に映しております、
     一本の産毛ほどの違いもなく、本物と映像とはまったく同じです』、と。
  
爾時亡人驚悸逼心頌曰。 
 前知有業鏡 敢不造罪業
 鑑鏡如削身 何此知男女
  
  その時、亡人は驚悸、心に逼りて頌して曰く、
    『前に業鏡の有るを知りたらば、敢えて罪業を造らざりしを、
     鏡に鑑みれば身を削るが如し、何がこの男女たるを知る』、と。
  
  その時、亡者は驚いておののき、心中びくびくしながらこう言った、
    『生前この業鏡が有ると知っていれば、何としても罪を造らなかったものを、
     鏡を見れば身を削るようだ、もうこれが男か女かさえ分からない』と、‥‥意味がつかめませんが、ここも少々疑問有り、と‥‥。
  
  この後も、この調子で延々と続くのですが、ご覧のとおりの鄙俚の悪文です。やはり終わりまではとても読めたものではございませんので、もうこれぐらいで勘弁していただきましょう。
  
  このような事が実際有るとはとても思えませんが、いづれにしても君子は危うきに近づくべからず、皆様くれぐれもお気をつけください、と自誡をこめて申しておきます。
  
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  先月は酢豚を取り上げましたが、その時、大量にカラメルを作りましたので、何かカラメルの使用法を考える必要があります。
  
  そこで考えたのがプリンですが、三十年前に購入したドイツ製のWMF社の圧力鍋のパッキングラバーが、すでに交換の時期に入ったため、メーカーに問い合わせるため、取り扱い説明書を兼ねた料理ブックを見ていますと、圧力鍋を使用した簡単な作り方が載っていました。その方法で作ったのが下の写真のプリンですが、あっと言うまにできるほど簡単なのに、できあがりは実に良くできたので、その方法をご紹介しようと思います。
  
  それにしても三十年前(昭和五十五年)の製品の部品が今も変わらず手に入るとは、さすがはドイツ製と感嘆せずにはおれません、まったく大したものです。
  
材料:100㏄のプリン型6個分
  卵3個、牛乳300㏄、砂糖60グラム、
  バニラエッセンス2,3滴、バター少々(分量外)。
作り方:
  (1)砂糖50グラムと水20㏄を煮詰め、茶色くなったら火を止めて熱湯30㏄を加えてカラメルにする。
  (2)卵3個をよく解いて砂糖10グラムと混ぜあわせ、牛乳300㏄を加え、バニラエッセンスを2,3滴垂し、それを漉して滑らかにする。
  (3)プリン型に薄くバター(分量外)を塗り、カラメルソース小さじ1杯弱を入れ、その上に卵液を静かに注ぐ。
  (4)圧力鍋に水カップ2杯を入れ、スノコを置き、3のプリン型を並べ、蓋をして強火で加熱する。
  (5)調整弁の圧力表示ピンが低い圧力(1.5気圧)を指したのを確認したならば、火を弱めてその圧力を2分間保った後、火を止めて凡そ5分間そのままにする。
  (6)圧力が抜けたのを確認したら、取り出して冷やす。
  
  これでできあがりですが、カラメルを作るのは熱いものが飛び跳ねたりして、かなり危険な作業となりますので、くれぐれもお気をつけください。多く(200グラムぐらい)作った方がうまくできますが、熱湯を注ぐとき飛び跳ねる危険も増しますので、シンクの中でする等の用心が必要です。
  
  
  では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  
  
  
  
  



  (仏画シリーズ 地獄変相第五 おわり)