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仏画シリーズ 二河白道図
  
  
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  また三月が迴ってまいりました、春ですねぇー、今年は二月の気候が悪く、薄暗い日々が続いておりましたせいか、土筆なども芽を出すのを渋っているように見えましたが、何と言えばよいのか、三月の声を聞きますと、一時に春めいてまいりました。
  老人は、簡単な朝食を取った後にまた昼まで寝るという謂わゆる二度寝の贅沢を楽しんでいるわけですが、今年はそれがどうしたわけか十二月頃から足が冷えて睡れませんので、やむなく朝風呂に入るという贅沢の極みさえも重ねて味わっております。まあ外聞が悪いのと経済が苦しいのとさえ我慢すれば、これもなかなかよろしいのですが、春を待ちわびている次第です。
  
  さてこの所、新聞紙上をにぎわしているトヨタリコール問題もアメリカで公聴会などがあったりして、これからどうなるのか、その先行きがいささか気になるところですが、それを論じるとき、あるいはその問題の本質を見逃しているのではないでしょうか?
  
  それは謂わゆる、
”お客様目線第一主義”
  二月五日の社長の記者会見の中で、
  記者が、「――米国内のトヨタ批判にどう対応するのか。」と問うのに対して
  豊田社長は、「真摯に対応する。より顧客目線を重要視し、お客様を第一に置く」と答えている、この事です。
  
  この会社がここまで大きくなれたのは言うまでもなく、その蔭に払われてきた並大抵でない努力のせいではありますが、その他にも常に、お客様目線に気を配ってきたからに違いありません。
  しかし、それは取りも直さず両刃の剣だったのではないでしょうか?
謂わゆる、
  お客様目線とは、
    減速よりは加速を重視し、
    ブレーキよりはエンジンにコストをかける。
これでは、
  ありませんか?
もし、
  そうではければ、真にご同慶の至りです。
  自動車というものは、必ずコストの制約を受けますので、何にお金をかけるかは、言わば会社のポリシーの問題です。しかし事は安全に係わるだけにそれだけでは済みません。そこには社会的な責任をどうしても負わなくてはならない宿命があるのですから、もし会社のポリシーに少しでも社会の安全をおびやかすようなものがあれば、たとえそれが必ずしも顧客目線と相容れるものでなくとも、厳しく排除されなくてはならないのです。しかし、――社長が今改めて強調するまでもなく――、この会社は常に顧客目線で来ており、それが今になって始めて、その危うさを露呈したのではないでしょうか?
  
  問題の本質は、『自動車とはかくあるべし』という顧客目線抜きの哲学が、この会社に有るかどうかだと思えてなりませんが、‥‥どうでしょうか?
  
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  さて、仏画シリーズに入りましょう。
  ここに見る画は『二河白道(にがびゃくどう)図』といって、法然が「ただひとえに善導に依る」と言って以来、常に浄土宗、真宗、時宗によって高祖と仰がれる唐の善導の著した『観経正宗分散善義』の中の喩えを仏画に仕立てたものです。
  
  火の河と水の河との二本の河の間に一本の白く細い道があり、その道の行き着く先に極楽浄土が有る、それが主題です。原文を読み下してみましょう。
  『譬えば、ある人、西に向わんと欲して行くこと百千里、忽然として中路に二河有るを見る。一はこれ火の河にして南に在り、二はこれ水の河にして北に在り。二河は各々闊(ひろ)さ百歩、各々深きこと底無く、南北に辺無し。正に水火の中間に一白道有り、闊さ四五寸許(ばか)りなるべし。この道は東岸より西岸に至りて、また長さ百歩なり。その水の波浪は交々過ぎて道を湿し、その火の焔はまた来たりて道を焼き、水火相い交わりて常に休息すること無し。この人は既に空曠迥(はる)かなる処に至りて更に人物無し。多く群賊悪獣有りて、この人の単独なるを見、競い来たってこの人を殺さんと欲す。死を怖れて直ちに走り西に向うに、忽然としてこの大河を見、即ち自ら念じて言わく、この河は南北に辺畔を見ず、中間に一白道を見るも、極めてこれ狭小なり。二岸の相い去ること近しといえども、何に由りてか行くべき。今日定めて死せんこと疑わず、正に到り迴(かえ)らんと欲すれば、群賊悪獣漸漸に来たり逼らん、正しく南北に避け走らんと欲すれば、悪獣毒虫競い来たりてわれに向わん、正しく西に向い道を尋ねて去らんと欲すれば、また恐らくはこの水火二河に堕ちん、と。時に当りて惶怖してまた言うべからず、即ち自ら思うて念ずらく、われ今迴るもまた死に、往くもまた死に、去るもまた死なん。一種として死を免れずんば、われは寧ろこの道を尋ねて前に向いて去らん。既にこの道有り、必ずまさに渡るべし、と。この念を作す時、東岸にたちまち人の勧むる声を聞くらく、仁者(なんじ)、ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難無けん。もし住(とど)まらば即ち死なん、と。また西岸上にも人有り、喚(よ)びて言わく、汝、一心に念を正して直ちに来たれ、われよく汝を護らん、衆(もろもろ)の水火の難に堕ちんことを畏れざれ、と。この人は、既にここには遣(や)り、かしこには喚ぶを聞き、即ち自ら身心を正当(ただ)し、決定して道を尋ねてただ進み、疑い怯えて退く心を生ぜず。或いは行くこと一分二分するに、東岸の群賊等の喚びて言わく、仁者、迴り来たれ、この道は険悪にして過ぐるを得ず、必ず死なんこと疑わず。われ等は、みな悪心もて相い向うこと無し、と。この人は喚ぶ声を聞くといえども、また迴顧(かえりみ)ず、一心にただ進み、道を念じて行けば、須臾(しゅゆ、短時)にして、即ち西岸に到り、永く諸難を離れ、善友相い見て、慶楽已むこと無し。』
  
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  今見ていただいているこの画にも、その二河白道の喩えがそのまま描かれています。
  水火二つの河の向こう岸、即ち西岸に見えるのが極楽の景色です。美しい楼観が立ち並び、天人や天女たち、或いは迦陵毘伽(かりょうびんが)等の極楽に住む美しい鳥たちが虚空中を飛び回っています。また水の上には蓮の花も開いています。これこそまさに人の考え得る限りの理想境を描いたものなのでしょう。
  一本の白く細い道の両側には火焔渦巻く火の河と、波浪轟く水の河とが激しく泡立って流れ、或いは逆巻き波立って細く白い道を両側より洗いながら、人が今にも堕ちるのを待ち受けています。善導は自ら、これを解いて、水の河とは海のように底なしの貪欲と愛情であり、また火の河とは火のように燃えさかって何者も焼き尽くさずにいられない憎しみと怒りである、と云っています。
  二河の中間の白く細い道は、長さ百歩、幅は四五寸というもので、絶えず両側から火焔と波浪とによって攻撃を受けています。これを善導は、人の善心に喩え、それが余りにも微かなので、常に貪欲と愛心の波に湿され、怒りと憎しみの火に焼かれている、と云います。
  二河のこちら岸、即ち東岸では群賊悪獣が待ちかまえて、この人が引き返してくれば、殺してやろうと手ぐすね引いています。これもまた善導の解釈では、人の眼耳鼻舌身意の六根、色声香味触法の六境、眼識等の六識、色受想行識の五陰、或いは地水火風の四大、また別解別行悪見の人に喩えています。この画の中では、中国風の衣冠を着けた俗人と袈裟を着けた僧侶が、『早く戻って来い、この道は余りにも険悪であり、行けば必ず死んでしまうぞ』と喚んでいるのが、別解別行悪見の人であり、その他の蛇や諸の獣たちは六根、六境、六識、五陰、四大、即ち人の身心を表しているのです。
  この人が、このような状況に身を置いて進退が窮まるちょうどその時、二河の両岸に声が有り、西岸からは、『お前を護ってやるから怖れずにこの河を渡れ』、と言い、東岸からは、『決して死ぬことはないから、心を決してこの道を行け』、と言っているのが聞こえます。これは彼岸の阿弥陀仏、此岸の釈迦如来の二人です。
  
  善導は、念仏の一道を白道に喩えましたが、また同じように『観経玄義分』中には「ここには遣り、かしこには喚ぶ、あに去(ゆ)かざるべけんや」という一句にてその意を説いています。
  
  わたくしは念仏の教が今や完全に価値を失った、とは思いませんが、また同時に今更の気持ちが無い訳ではありません。それでは今何故、二河白道かと言うと、この善導は真情溢れる詩人の心と、明晰な理論家の頭とを併せ持つ真に希有の人だからであり、常にわたくしを魅了し続けているからなのです。
  
  また、この画には正道を往くことの難しさが表されているのではないでしょうか?
  皆様は、何のようにご覧になりますか?
  
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  今月の料理は”キッシュ”です。手間と暇のかかる、言わば一日がかりの料理ですが、それだけにできあがりの満足感はこれまた各別です。ぜひお試しください。
  当家にはオーブンが無いのでオーブントースターを使用していますが、しばしば上火が強すぎることがありますので、アルミホイルでカバーして調節します。
  ただし、この中での焼き時間はオーブンの焼き時間です。参考にしてください。
  
  【作り方】
   キッシュは三つの部分からなります。
     (1)パートプリゼ:パイ生地で作った容れ物。
     (2)アパレイユ:ミルク、クリーム入りの卵汁。
     (3)具:謂わゆる卵とじにする具。
  
   【パートプリゼの材料(直径18センチのタルト型2個分)】
     (ⅰ)薄力粉:240グラム。
     (ⅱ)無塩バター:140グラム。
     (ⅲ)卵黄:1個。
     (ⅳ)砂糖:大さじ1。
     (ⅴ)塩:小さじ1/2。
  
 【パートプリゼの作り方】
(1)振った粉をステンレスの調理台に載せ、よく冷えたバターを粉の上に置いて包丁で5ミリの賽の目に切る。
(注意)バターに素手で触れるなどして熱を与え、バターを溶かさないようにする。
  
(2)櫛状の板でバターを全て米粒ぐらいになるまでよく切る。
(3)よく小麦粉をまぶしながら熱を伝えないように指先で、更に細かく粉状になるまですりつぶす。
  
(4)卵黄、砂糖、塩に水を60㏄加えてかき混ぜ、小山状にした粉とバターとの混合物の中央にそそぐ。
(5)手早く粉をかき混ぜて、水分を全体に行き渡らせる。
  
(5)全体がボロボロになったら、あまり練らないようにして二個の塊に推し固める。
(6)ラップで包み冷蔵庫で最低4時間寝かせる。
  
(7)調理台の上に粉を振り、その上に生地を載せ、その上に更に粉を振りかけ、麺棒で厚さ3ミリ、タルト型に合せて丸くのばす。
  
(8)タルト型にバターを塗り、少し粉を振って生地を貼り付ける。
(9)よく押しつけて縁から空気を抜き、中身がこぼれないように縁に飾りを付けたら、1時間以上冷蔵庫で寝かせる。
  
(10)生地の底にフォークで空気抜きの穴を開け、タルト用の重石をオーブンシートを敷いた上に載せ、200度で15分焼く。

  
(11)重石とオーブンシートを取り除いて、更に180度で20分焼き、中身が洩れるのを防ぐため、ハケで卵黄を塗った後、更に180度で3分焼く。
  
 
 【具を詰めて焼く】
【アパレイユの材料】
  (1)卵:1個。
  (2)ミルク:40㏄。
  (3)生クリーム:40㏄。
【具材】
  (1)ベーコン:60グラム。
  (2)マッシュルーム:8個。
  (3)ブロッコリー:1本。
  (4)アスパラガス:2本。
  (5)ピザ用チーズ:50グラム。
  
【作り方】
(1)ブロッコリーおよびアスパラガスを1分ゆでる。
(2)ベーコンを炒めて脂を出し、そこにバター5グラムを加え、適度に切ったマッシュルームおよびその他の野菜を入れて少し炒めて塩、胡椒を振りかける。
(3)焼き固めたパートプリゼに全て具材を入れ、上にチーズを振りかけたら、よく混ぜ合わせたアパレイユを注ぎ入れて180度のオーブンで3~40分焼く。
  
  
  パートプリゼは、その方が作りやすいので二個分を作りますが、余分の一個が余ります。これは塊のままラップに包んで冷凍しておけば一ヶ月は大丈夫ですが、時には気分を変えて林檎のタルトを作ってみましょう。
  
  そこで作ったのがこれです、  
【林檎のタルトの作り方】
  (1)キッシュと同じようにしてパートプリゼを作るが、外に掛ける網目状の分として一割ほどを焼かずに紐状にして残す。
  (2)リンゴ一個は、皮をむいて四つに割り、5ミリはばに切って、バター7グラム、砂糖20グラムと一緒に鍋に入れ、透明になるまで凡そ10分煮、シナモン少々を振りかける。
  (3)カスタードクリームは、鍋にミルク100㏄、グラニュー糖10グラムを入れ、沸騰寸前まで沸かしていったん火を止め、卵黄2個、グラニュー糖15グラム、小麦粉15グラム、ミルク50㏄をよく混ぜて漉しながら、熱い鍋に一気に注ぎ入れ、再び火を着けて泡立て器でかき混ぜながら、ふつふつと沸立ってくるのを待って火を止め、バニラエッセンスを3滴たらす。
  (4)パートプリゼにカスタードクリームを流し、上にリンゴを敷き詰めて、紐を網目にし、表面に卵黄をハケで塗って、200度のオーブンで10分、180度で10分焼く。
  
  
  それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  
  
  
  (仏画シリーズ 二河白道図 おわり)