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仏画シリーズ 涅槃図
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  お釈迦様は北印度の小国に位を継ぐべく太子として生まれながら、29歳の時には国を捨て家を捨てて出家し、6年の苦行を経て35歳で悟りを開くと、その最初の弟子の阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ)に法を説いて以来、最後の弟子の須跋陀羅(しゅばつだら)に至るまで45年間にわたって一処に止まることなく常に旅をし食を乞うて、ひたすら自ら得た所の法を説いて行かれます。
  やがて80歳の頃には身体が弱り、自らを革紐の助けにより、ようやく形を保っている車のようだと譬えていられますが、最後の旅の終りをクシナガラ城近くの尼連禅河(にれんぜんが)の辺と定めて涅槃に入られました。
  娑羅(しゃら)の木の林の中に寝台を設けるよう阿難(あなん)にお命じになり、その上で、出家に定められた作法どおりに右脇を下にし、右肘を枕にして身を横たえられ、いよいよ最後の説法を行われます。
  
  上の方から見てゆきましょう。満月です。お釈迦さまは旧暦の二月十五日に亡くなられたということですが、満月は果満円熟の相、お釈迦さまの悟りが完成したことを表します。その右手にはお釈迦様の生母摩耶(まや)夫人、お釈迦さまを生むと七日目にして亡くなられ、天上の忉利(とうり)天に移り住んでいられたのですが、その報せをお聞きになり、空中を僧形の人に導かれ、雲に乗って飛来するさまが描かれています。先導する人は、お釈迦さまより先に亡くなり、摩耶夫人と同じ忉利天に移り住む弟子の憍梵波提(きょうぼんはだい)でしょう。その下の林は娑羅(しゃら)という花木の林です。印度の気候では二月ごろにこの花が咲きます。
  「その時、拘尸那(くしな)城の娑羅樹林はその林を変じて、白きこと猶し白鶴の如し」、と経文中には説かれています。無情の樹木さえ驚き悲しんで色を失うほどで、それは哀しい出来事だったのです。
  
  中央の寝台を取り囲むように、近隣の諸国からは国王自らがこの報せを聞いて最後の説法を聞き、最後の供養をしようと駆けつけています。天からは諸の梵天、鬼神、龍王等が最後の供養をするために集まっています。空を飛ぶもの、地を駆けるもの、地中を這うもの、一切の生き物が皆最後の供養をしよう、最後の説法を聞こうとして集まってきました。
  寝台の前で気を失って倒れているのは阿難尊者です。阿難尊者は年も若く大変な美男子でしたので白い顔に描かれています。お釈迦様の足元、画面の右端で山盛りのご飯を捧げ持っているのが最後に供養した純陀(じゅんだ)です。枕元の樹には、お釈迦さまの錫杖と鉢を包んだ風呂敷が掛けられています。鉢には食べ物の臭いが残っていますので、獣を寄せ付けないためには高い処に掛けなくてはなりません、当時としての常識でしょう。
  
  わたくしは、常々この絵を見るにつけ不思議な感情に襲われてしまいます。この絵の中にはとてつもない悲しみが描かれているはずですが、なぜかそこに有るのは真の悲しみではないように思えるからです。いえ、この登場人物が真に悲しんでいないということではありません。それどころか実際にこの絵を前にすると、その悲しみ自体はひしひしとこちらに伝わってくるのです。
  
  それにもかかわらず、ここに有るのは何たる平穏!何たる平和!ある経によれば、ここに集まったのは仏教の外護者ばかりではありません、魔王等の仏教を妨げる者までもが、敵味方の差別なく悲しんでいたというのです。それを現す画師の並々ならぬ力量もさることながら、今更ながらに仏教の値打ちというものに思いを致さずにはおられません。師子や虎は噛むことを忘れ、毒虫も刺すことを忘れて一処に集う、実に実にここにこそ仏教の真面目が存在しているのです。
  
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  悲しみ別れを惜しんでいるのは人間ばかりではありません。象、鶏、猿、鹿、虎、豹、兎、鶴、蛇、百足、蚯蚓、蜥蜴、鼠、猪、蝸牛、雉、鴛鴦、鴨、家鴨、とんぼ、蝶、‥‥
  
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  獅子、迦陵毘伽(かりょうびんが、鳥形の歌神)、麒麟、牛、馬、亀、孔雀、駱駝、水牛、犬、猫、山羊、雉、白鳥、猿、‥‥
  
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  その中でも特に心を引かれるのが、この白象です。真っ白な身体に四本の牙を持つのは象中の王を表しています。鼻に巻かれた蓮の花は、仏にその花を供えようとしてわざわざここまで持って来たのでしょう、しかしこの場に来てみると、悲しみに襲われてそれどころではありません。曲げられた手の爪や、足の爪に、その悲しみが顕れています。これを見て哀れに思わぬ者がいるでしょうか?
  
  皆様はいかがですか、涙を流されましたか?このように涙を流して心を洗い浄めることを何とか言いましたね?そうギリシャ語でカタルシスと言うそうです、何でもアリストテレスが『詩学』の中でそう言っているということですが、なかなか好いものでしょう?
  
  わたくしは、特にこの涅槃図には愛着を感じていますが、これがその理由です。
  
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  人は臨終の時にその価値が顕れる、というような事を誰かが言ったのか言わなかったのか、何うもはっきり思い出せませんが、江戸後期頃に博多の聖福寺に住持した仙崖(せんがい)という禅僧の臨終にも、よくその特色が顕れています。
  この僧は弟子に、どうぞ臨終の一言をと請われて言ったことばが、『死にともない』という一言でしたので、更に一言をと問えば、またしても『ほんまに、ほんまに』であったということですが、そこにその言われたことばとは逆の、謂わば小気味好いまでの潔(いさぎよ)さが感じられます。
  
  この仙崖という人は、同時期の良寛と並び称されるほどの傑物ですが、良寛が書の方でよく知られるように、画僧として非常によく知られており、多くの画業が残っておりますので、その中のいくつかはインターネット上でも容易に見られます。それ等は皆ユーモアに満ちており、不気味に笑った雨蛙を描いて、その側には『坐禅して人が仏に成るならば』というような讃があったり、或いは布袋さんのように肥った和尚と裸の子供がそろって画面外の描かれていない月を指さして、『お月さんいくつ、十三七つ』と歌っていたり、或いは右から左に丸、三角、四角が描いてあったりと、何か深い意味があるような無いような面白い絵です。それをわたしなりに解釈して、『その坐禅は蛙の真似でなければ善いが!』とか、『悟りは遙か彼方の月に在るのではなく、己自らの童心中に在るぞ!』とか、或いは『丸は丸く、三角は三角に、四角は四角に見えなければ、目医者にかかるが善かろう!』というようことを言っておりますと、心に感応する所があるのか、何やら禅というものがようやく解ったような気がするのですが、‥‥
  
  あの『死にともない』も素直に取れば、『禅僧であろうとなかろうと、己の命を粗末にするような者には他の命の大切さはとうてい解らないぞ!』と言っているように思えるのです。命とは暖と識とをよく保持するものである、というようなことが仏教の論書に説かれていますが、眼の前の命が失われて徐々に暖と識とが薄れてゆくのを見るのは、それは本当につらい事なのです。しかし、禅などを勉強していると、ついそれを忘れてしまうのではないでしょうか、それを正直に弟子たちに教えられたのが、この一言だったのだろうと思います。
  
  それから、禅僧は自らの覚りの境地を示すために一円相をよく描きます、そう、墨でくるっ描いたお月さまか、おせんべいのようなものですが、これをいかに描くか、そこが勝負の分かれ目といったようなものですので、満身の気迫を筆先に込めて一気にぐーっと描いて途中に猶予するところの無いのがよいのか、或いはおれのはそんな月並みではないぞとばかりに、力を抜いてへろへろーと描くのがよろしいのか、皆それぞれの好みによっていますので、実にいろいろな円相があります。しかし、この仙崖さんのは他のとは少しばかり違っています。ややゆがんだ円相を描いて、横に讃が『これ食うて、お茶まいれ』と入っております。単なる遊び心でしょうか?いやいや、‥‥
  
  仙崖さんの性格は驚くほど几帳面ですから、単なる遊びということはないでしょう‥‥、『覚りはまんじゅうほどしかないが、皆あなたに差し上げるによって、自由にお食べ!』、即ちいつでも遊びに来い、少しは為になることもあろうから、という有難いお誘いでしょうか?それとも、『覚りちゅうてもねぇ、まんじゅうと同じです、食うてみてうまいかどうか、そこですがな』、でしょうか?
  
  いろいろな想像が次から次へと湧いてきますが、皆様もこの解探しに参加してみてはいかがですか?ただし、これだけは忘れないでください、仏教というものは徹底して真面目であり、洒落や冗談は少しもなく、これはまた仙崖さんにも当てはまるということを。実はここが一番のキーワードなのです。
  
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  上の詩は、仙崖の遺偈(ゆいげ)といって弟子に遺す高僧の遺言です。その大意は、わたしは生まれる前に何処にいたのか知っているし、死んでから何処に往くのかも知っている。しかし崖に懸けたこの手をパッと放さなければ、煩悩の厚い雲に覆い隠された今現在が何処であるのか、さっぱり分からないではないか、というような所でしょうか、覚悟の程がよく忍ばれて、何処に出しても恥ずかしくない実に爽快な遺偈のように感じられます。
  
  まさに死ぬ時は、こうありたいものですナ、‥‥、ということで、今月の料理は黒豆入りの蒸しパンです。お節の黒豆がまだ残っているので、入れてみました。
  
  
  それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  
  
  
  
  
  (仏画シリーズ 涅槃図 おわり)