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平成二十二年元旦
  
謹んで新年のお慶びを申しあげます
旧年中、皆様方には一方ならぬお世話になり、誠に有難うございました
本年も、旧年に相い変りませぬよう、宜しくお願いもうしあげます
  
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 春来ぬと告ぐる雀の声聞いて
  夢の中にもめでたしとぞ覚ゆる
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  ということで、今年も目出たく馬齢には新たな一歳を加えることができまして、まことに有難いことでございますが、この上は、今年一年をまた皆様方と共に、恙なく過ごしたいものと思っている次第でございます。
  
  さて、昨年中は政権の交代などもあったりいたしましたので、あるいは暖かい太陽の光がさしてくるような、そんなきざしぐらいはありはせぬかと思っていましたが、なかなか一朝一夕にというわけにもまいりませんようで、そこで初詣のさいには、せめて日に三度のご飯ぐらいは何とか食べさせてくださいませと、願ってこようと思っているのですが、人混みを避けたがるのは老人の習性、例年のごとく元旦は布団の中でやり過ごし、初詣は旧正月にしようなどという不埒なことをも考えておりますので、まあこれがいかがな事になりますことやら。神様の方でも恐らくその辺は十分に心得ていらしゃることでしょうから、或いは何もしていただけないのか、いただけるのか、凡人の智慧の及ぶ範囲ではございません。まあ所詮は神頼み、余り当てにしてもと、いつもの如く、落ち着く所に落ち着くだろうと悠長に搆えております。
  
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  力では敵わぬ、神頼みもならぬとなれば、何も考えぬのが身のためというわけでして、わが『つばめ堂通信』もひたすら本業の方に身をいれておりましたところ、一年に亘って連載しておりました『仏所行讃』がようやく大団円を迎えて完結するに至り、その後ほっと一息つく間もなく、五ヶ月に亘って『梵網経』を始めることに相いなりました。
  
  これが、いよいよ最後の大物の登場でございますので、やれやれこれでやっと一安心といきたいのですが、この『梵網経』というお経はとてつもなく難しいので、訳すのには大変苦労いたします。
  だいたい漢文というものは、それを正しく解釈しようとしますと、常に困難がつきまとうもので、本来句読点をもっておりませんので、例の『フタヘニシテクビニカケルジュズ』のごとく、当時の中国人でさえ往々にして読み間違えております。
  文法的な正しさよりも、文例の多さよりも何よりも、論理の筋道をいかに正しくたどるかが勝負の分け目となりますので、はたして『二重にして、首にかける数珠』であったのか、それとも『二重にし、手首にかける数珠』であるのかは、いかに総合的な推理力を発揮できるか、いかに多くの知識を得ることができるかにかかってくるのです。またそこに、われわれの付け目があるのでして、当時の中国人よりは現代のわれわれのの方がコンピューターを駆使できるだけ、いくぶんの利が有るように思われます。
  
  まあ、それにしてもこの『梵網経』の難しさはただ事ではありません。読者の方々には、『つばめ堂』がいかにしてこの困難を乗り越えるのか、ここらあたりが興味の的となるのではございませんでしょうか?諸事万端をよく心得た方にとっては本より、余り心得ていらっしゃらない方にも十分に面白い事と思われます。
  
  そこで、皆様方の興味をいやが上にもかき立てんがために、『梵網経』の五回の解説の中の一回を使って、今月は特に『梵網経解題』をお届けして、即ち『梵網経』とは何かということについて論じることにいたしました。二回目以降は、通常のごとく一巻を二回に分け、上下二巻を合せて四回、四ヶ月に亘って解説しようと思っていますので、皆様どうか『梵網経』を宜しくお願い申しあげます。
  
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  さて、宣伝も無事済んでしまいますと、さすがはお正月とでもいうところでしょうか?後がどうも手持ちぶさたでいけません。
  
  仏画シリーズはちょうど五回目、例の超有名な閻魔王にあたるはずで、かなり面白いのではないかと思っていたのですが、冗談じゃない、正月からそんなものを誰が見たいか、縁起でもないと四方八方から批難の矢が雨あられと降ってくるのは目に見えておりますので、こちらもそこはそれ正月早々ということもありますので、やむなく涙を呑んで漢詩などを楽しむことにいたしました。何事もあたりさわりのないように。ホームページに掲載するにあたっては、これは特に肝に銘じていなくてはならない事ですので、これもやむを得ない所でしょう。
  
  それではひとつ陶淵明の『田園の居に帰る、五首』を皆様とご一緒に読んで、清朗なる初春の気を体内に呼び込むことにいたしましょう。
注釈:○田園:田畑。農村。○居:住居。○俗韻:俗なるしらべ。俗世間のやりかた。○塵網:俗世間のしがらみ。○羈鳥:渡り鳥。○旧林:故郷の林。○故淵:故郷の淵。○開荒:開墾。○南野:南側の日当たりの良い畑。○抱拙:愚拙を守り抱く。へたな考えにとらわれる。○方宅:正方形の敷地。住居を中心にして四方を田畑に囲まれ、それが正方形である。丸や三角は山や川に阻まれた結果であるが、正方形なるは人為の結果であり、耕作に適した土地である。○畝:土地の広さを表す単位。約5アール、150坪。十余畝は日本の約五反に当り、一二人の作男に任せて一家族を養うのに広すぎるものではないが不足するものでもない。○草屋:粗末な家。○間:柱と柱の間。部屋数を表す。○楡柳:にれの樹とやなぎの樹。○蔭:おおう。木陰におおう。○後簷:家の裏側の軒端。○桃李:ももの木とすももの木。○羅:つらなる。羅列。○堂前:座敷の前の庭。○曖曖:ぼんやりしたさま。○依依:名残惜しく離れにくいさま。遠くてぼんやりしたさま。○墟里:山裾の村。○深巷:奥まった路地。○戸庭:家屋と庭。門の内側。○塵雑:塵埃と雑事。○虚室:空っぽの居間。○余間:ゆとり。時間と空間の余裕。○樊籠:鳥獣を入れるおりやかご。牢獄。
大意:●若い時分から世間の風習やしきたりにはなじむことができず、その性格からして丘や山を愛していたものだが、誤って俗世間の塵埃に満ちたしがらみの中に落ちてしまい、はや十三年も過ぎてしまった。●渡り鳥が故郷の林を恋しがり、池の魚が故郷の淵を思うように、南側の日当たりの良い故郷の土地を思い、荒れ果ててしまった畑をその際まで耕したいものだと、へたな考えを抱いて田園に帰ってきた。●耕作に適した正方形の敷地があり、粗末ながらも部屋数が八九間の家がある。楡の樹や柳の樹は裏の軒端を覆うように繁り、桃の木や李の木が広間の前に列をなしている。●遠くの村はおぼろに霞み、村里には煙がたなびいている。犬は路地の奧で吠え、鶏は桑の木のてっぺんで鳴いている。●門の内には塵も雑事も無く、広く空っぽの居間にはゆったりとした時間が有り余っている。長い間、牢獄の中にいたが、今再び自然の中に帰ってきたのだ。
  

注釈:○野外:城市の外。郊外。○罕:まれ。○人事:人とのつきあい。○窮巷:貧しい路地裏。○輪鞅:車や馬のむながい。○白日:まひる。白昼。○掩:門をとざす。○荊扉:いばらに覆われた門扉。または荊か柴でできた門扉。柴門。○塵想:塵埃に満ちた俗世の思わく。○墟曲:荒れ果てた村里の片隅。○道:言う。○土:土地。○零落:枯れて葉が落ちる。○草莽:くさむら。
大意:●城市を外に出れば村人たちの間で人付き合いはほとんどなく、貧しい路地裏には馬も車も入ってはこない。白昼であろうといばらが覆うまで門を閉ざしていることができ、空っぽの居間に居れば俗世の雑事を忘れていられる。●時には廃墟のような村里の中で道の両側に生えた草をかき分けながら、そろって行き来する村人を見かけるが、互いに見交わしても雑談するでもなく、ただ桑や麻の成長を話すのみである。●桑や麻は日に日に成長し、わたしの土地は日に日に耕されて広くなっている。これからは常に恐れることになるのだろう、霜やあられにあって作物が枯れはて、草むらのようになってしまわないかと。
  

注釈:○荒穢:田畑が荒れて雑草が茂るさま。盛んな雑草。○願:俗塵を離れて田園に暮すこと。○無違:自己の願望に違背する。
大意:●豆を南の山のふもとに植えたが、雑草が盛んに茂って豆の苗はほとんどない。日の出には起き出でて雑草を刈り、月を背中に鋤を荷って帰ろう。●道が狭いのに両側の草木は長い、夕べの露がわたしの衣を濡らすことだろう。いや衣なんか濡れたってかまうものか、ただわが願いを裏切らないこと、それが肝要なのだ。
  

注釈:○久去:遠ざかって久しい。○山沢遊:山や湖で遊ぶ。○浪莽:あてどなくさまよう。放浪。○子姪輩:自分の子と兄弟の子など。○榛:しげみ。○荒墟:廃墟。○徘徊:さまよう。○丘隴:おか。丘陵。○衣衣:心が引かれて立ち去りがたい。○井灶:井戸とかまど。○遺処:放棄された処。○借問:ちょっと尋ねる。○焉:いづくに。疑問を表す。○如:往く。○死歿:しぬ。○一世:三十年。○朝市:朝廷と市場。○幻化:まぼろし。○空無:何もないこと。
大意:●久しく荒れ野を切り開くことにかまけていたので、山や湖で遊び、林や野原を放浪する楽しみを忘れていた。ちょっと子供や姪や甥たちを連れて茂みをかき分け、廃墟の辺りを歩いてこよう。●丘の間をさまよいながら、昔の人の住居跡に心を引かれていると、井戸や竈の跡が遺っていた、桑や竹さえ朽ちた株を残している。●通りかかった樵夫に尋ねてみた、ここの人たちは何処へ往ってしまったのですか?と。樵夫は答えた、死んでしまってもう誰も残ってはいません、と。●一世三十年を経れば、王朝も市場のにぎわいも変ってしまう、と言われているが、この言葉は本当で嘘ではない。人生は幻のように、やがては何もなくなってしまうものなのだ。
  

注釈:○悵恨:がっかりして思いなやむ。うらみにおもう。○策:つえ。○崎嶇:山道のけわしいさま。○榛曲:しげみの中の曲がり角。○山澗:山の中の谷川。○漉:濁り酒から糟を取り除く。○新熟酒:今年造った酒。○近局:近所の人。近隣。○荊薪:いばらのたきぎ。粗末な薪。○明燭:明るいともしび。贅沢な都会の暮らしのあかし。○歓:よろこび。○苦:はなはだしい。○天旭:夜明け。労働の時間が始まる。
大意:●がっかりして思い悩み、ひとり杖をついて帰る。山道を登ったり降りたりしながら茂みの中を通り抜けようとすると、谷川があった。水は清く澄んでいたし、浅くもあったので思いがけなくも、そこで熱くなった足を洗うことができた。●わたしが今年造った濁り酒がある。その糟を漉し、二羽の鶏を用意して、近所の人を招いた。日が落ちると居間は暗くなる。蝋燭のように明るくはないが、いばらの小枝を薪にして焚いてみよう。●歓びが心にせまって来たが、夜は余りにも短い。もう夜明けの時が来てしまった。



  
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  ‥‥さて、せっかくお正月らしい気分になってきたところで残念ですがね、もう今月の料理の時間が来てしまいました。
  
  今月はおせち料理に欠かせない黒豆の煮たのです。例年、決まった店に求めていたものですが、去年からそれができなくなっておりますのでね、今年はしかたなく家で煮ることにしました。袋に印刷してあるとおりにやってみたのですが、それが案外うまくいきましたので、ご覧いただきましょう。念のため袋に印刷されている煮方もそのままのせておきます。
おいしい黒豆の煮方  
  さとう‥‥200g
  水‥‥8カップ(1.6リットル)
  重そう‥‥小さじ1
≪材料≫黒大豆1袋(200g)
塩‥‥小さじ1/2
しょうゆ‥‥小さじ1.5
    (さび釘を5~6本入れて煮ますと色艶が良くなります。)
  
●深鍋に、水8カップを煮立てて上記の調味料を入れ煮汁を作ります。
●丹波黒を軽く水洗いして、ざるにあける。
●サビ釘は洗って布袋に入れ、口をむすんでおく。
●煮汁に丹波黒、(サビ釘)を入れ火を止めて、4~5時間以上浸す。
  (膨張率が高いため、冷水で直接浸すと、皮が破れる場合があります。)
●初め強火にかけ、煮立ったらアク取りをして水1/2カップを入れる。
  再び沸騰したら、また水1/2カップを入れる。
●落としブタと鍋ブタをして、とろ火で約8時間煮る。
●煮汁が、ひたひたになったら火を止め、一昼夜おいて味を含ませる。
  (煮上がってすぐフタをとり、冷気に長くふれると皮が縮みます。)
  
    
  それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  
  
  
  
  
  
  (平成二十二年元旦 おわり)