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仏画シリーズ 地獄変相第一
  

  
  夏らしくない夏!!
  夏休みらしくない夏休み!!
  夏は夏らしく暑いもの!!
  夏休みは夏休みらしくプールに入るもの!!
  本当にそうか?諸行無常、動くものは必ず変化する!!
  何時までも有ると思うな、親と金!
  種は尽きたが無い袖振れぬ、どうかその金言に話の種も加えてくだされ!
  幸い今は彼岸会の季節!
  いつもの馬鹿は鞘に収め、今月から暫くは仏画シリーズということで、‥‥
  アッ行くことにしようかい、と見得を切りながら始めまするは、‥‥
  これぞ名高き地獄変相その第一、とざいとーざい、
  とざい秦広王の図でございまーす、とざいとーざい。
  
  画面上部、中央にいらっしゃるのが秦広王(しんこうおう)、地獄の裁判官ですね、地獄にはこのような裁判官が十人もいらっしゃって、皆、この男は、この女は当地獄に収監しなくてはならないような大罪を犯したかどうか、是非裁いてやろう、という気持ちで待ちかまえていらっしゃるのです。
  
  この絵では少し優しそうに見えますが、油断はなりません、判決には少しの間違いもなく、また少しの容赦もありません。少しの罪さえも見落とさず、罪人は生前行った罪に相当する罰をきっちり受けなくてはならないのです、‥‥、ネッ怖いですねぇ、怖いですよぉー、‥‥。
  
  いえいえ決して、‥‥お怒りはごもっともですが、そんな子供を威すようなことをしている訳ではございません、まあなかなか信じてもらえませんがね、勿論、信じられないはずです、今時、そんな地獄だなんて言ったって、誰が信じるものですか、ということですね、‥‥。
  
  しかしですね、わたくしは信じているのです。お疑いの方は、この地獄変相図をじっくりとご覧になってください。これでもし思い当たる所があれば、それは大変めでたい!ひょっとして地獄行きを免れられるかも知れません、‥‥。
  もし何も思い当たらなければ、いえいえいえいえ、とてもわたくしの口からは申せませんので、それだけはどうかご容赦くださいませ、‥‥。
  
  と、いうことでこれを簡単にご説明いたしましょう、アッアレッ大事な種本がない!
  どうしよう、「地蔵菩薩発心因縁十王経」というお経ですがね、あれが無いと説明できないんです、‥‥。しかしねぇ、中国の仏教辞典では、「日本の偽撰、鄙俚にして卒読に堪えず」、なんて書かれちゃっていますしねぇ、‥‥まあいいか、それほど苦労しなくとも、‥‥。

  しかし困ったな、‥‥大智度論には、八大地獄とか、十六小地獄とか説かれていますが、あれは印度の地獄でしょう?これは日本の地獄ですからねぇ、少し違うんです!

  まあ、ご覧ください、亡者の着ている帷子(かたびら)!いかにも日本風でしょう、裁判官や官吏は中国風ですのにね、それで解るんです。
  
  まあ細かな所は差し置いて、目に付く所だけでもご説明いたしましょうか、‥‥。
  しかし、もし違っていても御免なさいよ、何しろ種本が無いんですからね、‥‥。
  
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  この図には、二つの地獄が有ります。
  
  一は、針の山。高い岩山に生える無数の針、しかもこの針、ただ先が尖っているだけではない、柳の葉のように細く尖り、その両側には利い刃がついている。人間なんかが、これに少しでも振れれば、それはもう大変だ、ヅタヅタのビラビラ、あっと言う間に腰から下がミンチになって無くなってしまう、という大変な岩山でございます。
  ご覧ください!恐ろしい形相をした二匹の赤鬼緑鬼を!鋭い槍を手に持って、亡者たちを追いかけ回し、この岩山に追い込んで、登らせようとしていますね、‥‥。この槍には毒が塗ってあり、触れると針の山よりもっと痛いので、亡者たちは必死で針の山に登ってゆきます。
  
  二は、深い淵、三途の川だとも。この淵の中には恐ろしい龍や毒を出す鉄牙を持った大蛇がウジャウジャいて、今にも亡者が降って来ないかと待ちかまえている、ということでございます。
  ご覧ください!細い木橋を大勢の亡者たちが渡ろうとして、ポトポト落ちていますね、かつて誰も渡りきった者はいないのに、‥‥。皆、この橋から深い淵の中に落ちて、鉄の牙をもった大蛇などに食われてしまうのです。
  
  さて、ここで皆様にご質問です、この亡者は生前、何をしてこの地獄に入ったのでしょうか?
  
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カチカチカチカチ、‥‥そろそろ時間です。
  
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  はい、ご名答でございます、‥‥。
  そう、そうです、殺生!殺生ですねぇ、生き物を殺すことですよー、‥‥。
  
  ネッ、解りますね!針の山に追い込まれている罪人とは生前、小動物を狩って生計を立てていた人たちです、‥‥。ネッ、数人の猟師が数匹の犬を従えて、兎や狐を追いかけ回し、茨の茂みに逃げ込んで中で縮こまっているヤツを棒でつつきまわし、堪らずに外に出たところを棍棒でゴツンとやる、そうあれです、‥‥。
  ご覧ください!鬼の顔を、笑っているでしょう?そう、楽しんでいるんです、‥‥。
  今に針の山に追い上げられるとも知らずに、残酷なものです、‥‥。
  
  次は、深い淵めがけて橋からボトボト落ちている罪人、生前、何をしていた人たちでしょうか?そう、魚を釣り上げて生計を立てていた人たちです、‥‥。
  解りますね、‥‥、人は空気の中で息をしますが、魚は水の中でなくては息ができない、‥‥。
  ご覧ください!龍の顔を、何か笑っているように見えませんか?楽しんでいるんです。
  今に龍の毒気に当てられて、水の中に引きずり込まれるとも知らずに、‥‥。
  水の中では息ができずに苦しいでしょうなァ、しかも食われるんですから、残酷なことを、‥‥。
  
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  そんなことで、これではやりきれませんがねぇー、‥‥
  それぞれ、それなりの理由があったんでしょうに、‥‥
  こんな風になってしまうより、他に何かなかったんでしょうか、‥‥。
  
  しかし、後からあれこれ言っても始まりません!
  それなら残されたわれわれは、いったいどうすれば良いのでしょうか?
  
  そのヒントが、この蜘蛛の糸!
  芥川龍之介の小説にございましょう?そう、あれです。
   
  印度にカンダタという極悪非道の大悪人がいたのですが、それが死にますと地獄に堕ちて真っ暗な血の池地獄に浮び、自らの恐怖と苦痛と悲哀とでもって罪を償っております。
  
  お釈迦さまは蓮池の辺に立ってその有様をご覧になり、酷く哀れにお思いになったのですね。何か助ける手だてはないものかとお考えになったのですが、ちょうどその時、近くに一匹の蜘蛛が巣を掛けているのに、お気づきになりました。
  お釈迦さまは憶い出されたのです、カンダタが一匹の蜘蛛を助けたことを。
  
  昔カンダタが道を歩いていた時のこと、一匹の蜘蛛がカンダタの前を横切りました。カンダタは何も考えずに足を上げて、それを踏み潰そうと思ったのですが、そこに何か別の心が動いたのでしょうか、思わず踏み止まって、その蜘蛛を助けてやったのです。
  ただそれだけの事が、カンダタを救うことになったのですね。
  
  お釈迦さまは、蜘蛛の糸を手にお取りになると、蓮池の辺から、血の池に向けてお垂しになります。
  真っ暗な中でカンダタは、鼻先に降りてきたその蜘蛛の糸に気付きます。その糸を引っ張り、それが案外丈夫なことを知ると、その端を手に把んで、よじ登り始めました。
  
  長い間、登り続けてようやく青空が見えてきたとき、ふと下を見ると大勢の亡者たちがぞろぞろと後に続いています。

  カンダタは急に恐怖に襲われました、この重みで糸が切れはしないかと思ったのです。カンダタはしっかり糸を把むと足でもって下に続く亡者たちを蹴り落とそうと、強く強く何度も何度も下の者の頭を踏みつけました。
  

  あーあ、目に見えるようですね、‥‥これではとても助かりません、‥‥。
  後は勿論ご存じですね、蜘蛛の糸はそこでぷっつりと切れてしまったのです。
  
  
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  「華厳経」80巻中の、ほんの一節ですが憶えておいて損はない、そんなことでかなり有名な句です。皆様のためにフリガナを振っておきました。
  
  
    もし人、三世一切の仏を了知せんと欲せば
    まさに法界の性は、一切をただ心の造と観ずべし
  
  
     もし、真理を明了に知ろうと思えば、
     まさに、この眼に映る一切の現象の本質は、
     ただ、心が造ったものにすぎないことを、観察せよ!
  
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  さて、ここでこの文句に関する質問です。
  次の二つの中の、どちらが正解ですか?
  (1)この世界は、一切が自分の心の造った妄想である。
  (2)この世界は、一切が自分の心が造った実在である。
   
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  答えは、どちらも正解です。
  要は自分が今何をしようとしているか?これによって(1)と(2)とに分かれるのですが、ここで、(1)を選んだ方はかなり危険ですよ、それで無事ならばよろしいのですが。
  
  もし、すべてが妄想なら、何も努力する必要は無いのではありませんか?
  善い事をしようと悪い事をしようと、皆妄想であり、地獄も極楽も皆心の造り出した妄想であるならば、常に楽な道を取ればよいことになりますね?
  危険ですねェ!一時の楽に続く後の苦悩をご存じないとは、‥‥。
  
  あなたは、地獄にも極楽にも往ったことはないんでしょう?
  危険は避けるに越した事ない、のではありませんか?
  今の自分の心が実際に地獄を造っているのではないか?ここに思いを致せ!これが華厳経の思想です。華厳とは、花のように美しい善い行いで、国土を装うこと、これを華厳というのです。
  
  (1)はですね、地獄の亡者を教化するため、喜んで地獄に往きます、という大菩薩の心、この身はすべて妄想であるから、この身を捨てて人々を救います、という大菩薩の心なのです。
  (2)は、善い事を心に思えばここに極楽が造られ、悪い事を心に思えばここに地獄が造られる、と知る善人の浄い心です。
  
  大菩薩とはこの二つの心を使い分け、必ずすべての生き物を救います、という誓いを日日実践する人たちのことです。菩薩もだいたい同じです。この辺りのことをお話しすれば、更に長くなりますので、今日の所はこれぐらいにしておきましょう。
  
  
    まあ、お互い気をつけたいものですね!
    それでは、今月の料理に入ります。
  
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  ご存じ、ざる蕎麦と天ぷらの盛り合わせ、
  (1)天ぷらは、自宅ではなかなか上手くできるものではありませんが、何とか、見よう見まねで作ってみましょう。揚げるものは、冷凍の車エビ、三つ葉、ナスの三種。
  (2)蕎麦つゆは、本式に作るには砂糖と醤油とを煮溶かして、それを何日か寝かせなくてはなりませんので、家庭ではとても間に合いません。
  しかし、煮切ったみりん溜まり醤油こんぶと鰹のだし汁1:1:3の割合で軽く沸騰させ、後は砂糖で甘みを調節すれば、それほど見劣りしないはずです。
  (3)薬味は葱と溶きわさび。
  (4)蕎麦は乾麺を使用します。
  お試しください。
  
  
  それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  
  
  
  
  
  
  (仏画シリーズ 地獄変相第一 おわり)