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天神様の牛
  
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  お正月があっと言う間に終ってしまいますと、もう2月ですね。二月堂のお松明、節分、豆まき、福は内、鬼は外。
  
  夕ご飯のあと、少しばかり心気を澄ませ(何しろ大きな声を張り上げねばなりませんからな)、『さあやろうか』と言って、やおら立ち上がると玄関に向かいます。抱えた升の中から豆を一握りして、戸口に控えた家内に『さ、開けえ!』と声を掛け、さっと開いた所へすかさず、握りしめた豆を投げつけて、咽も裂けよとばかり、『鬼は外!鬼は外!』、家内は『ごもっとも!ごもっとも!』、ぴしゃりと激しく音を立てて扉が閉まると、次は内を向いて、『福は内!福は内!』、『ごもっとも!ごもっとも!』。次は裏口で、『さ、開けえ!』、‥‥。と、まあこんな所がこの行事の一番のというか唯一のハイライトなんですが、別に鬼の面をかぶって逃げ回るというような事はありませんので、後は年の数だけ豆を食い、家内は家中の豆を拾い集めて終りになります。
  
  どうも節分は行事といってもただこれだけの事で、余りに簡単で、いささか拍子抜けしたような気分は毎度のようにしておりましたが、子供の頃を思い出しても、これ以上に何かしていたという記憶が有りません。まあ昔からこんなものだったのでしょう。
  
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  しかし二月というのは、まったく連想のきかない月ですな、他に何かありませんか‥‥?そう旧正月というものがありました、‥‥。しかし、子供の頃の記憶がもう余り残っていませんので、‥‥。大人たちは皆忙しそうにしていましたが、その他は何も思い出せません。やはり旧正月もやめにしましょう、‥‥。
  
  二月といえば、そうそう梅の季節、今年は丑年、牛といえば天神様、天神様と言えば菅原の道真、‥‥
 こちふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
‥‥ですな‥‥。
  そう今月はこれでいきましょう、『あるじなしとて春を忘るな』ですか、好い言葉ですね、‥‥。
  そこでパラパラと虎の巻のようなものを繙いておりますと、出てきました。これが何か分かりますか?
  
(注釈)○寂寂:静けさが身にしみる。○零零:はらはらと零(こぼ)れ落ちる。○麋鹿(びろく):しか。○勝地:景勝の地。
(大意)秋の山に踏み入ってみればひっそりとして、ただはらはらとこぼれ落ちる、落ち葉の音以外、何も聞こえない。また耳を澄ませば、鹿の鳴き声も聞こえるが、それは反って寂しさをつのらせるばかりだ。この景勝の地は、昔華やかな宴が催され、管弦の遊びがなされた所だが、今来てみれば、当時を偲ぶよすがは何処にもない。友もなく、酒もなく、心はいっそう冷え冷えとしてきた。
  秋の歌ですが、この情景はどこかで聞いたような見たような、はて‥‥?そうそう百人一首ですか‥‥。謎の大歌人猿丸大夫の‥‥
 奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
‥‥これですね。
  菅原道真公は、余りにも有名なこの歌に、先ほどの詩を付したということですが、なるほどねぇ、こうするものなんですな‥‥。
  では他のも見てみましょうか‥‥。
  
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(注釈)○月亭:観月亭。○欺誣:あざむく。○纔か:わずか。少し。○微光:かすかな光。
(大意)題:八月十五夜(中秋の名月の夜)観月亭で雨に遇いながら月を待った。本文:月は暗い雲が重なって見えないが、そんな事はどうでもよい。天というものは人の望に従うものだ、何の欺したりするものか。夜が更けるとようやく、微かに月影が雲を透かして見える。有り難い、何も無くて朝を迎えるより、よほど好い。
  菅原道真公は天神様といって非常に崇められていますが、学問の神様としても有名ですね。何となく分かるような、‥‥。
  この詩は文章生及第之作といいますから、18歳頃の作でしょうか。
  
  次は55歳、正三位という高い位に昇りつめ、自らの詩文を集めた『菅家文草』十二巻に父是善の『菅相公集』十巻と祖父清公の『菅家集』六巻とを添えて 天皇に献じたという絶頂期の作です。
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(注釈)○丞相:大臣に相当する官位。天子を補佐する。○絡緯:きりぎりす。○梧桐:あおぎり。○春秋:年月。○涯岸:みずぎわ。○安慰:安んじて慰める。
(大意)題:秋に思う。本文:天子の側に仕えてはや一年余り、この間に少しでも楽しんだことがあっただろうか。今宵は特に見るにつけ聞くにつけ、悲しまずにおれない。寒々しい声で鳴くキリギリス、そこに吹く風の音。音もなく枯れ落ちる青桐の葉、時にそれを打つ雨。君は若くまだまだ先が有り、わたくしはただ老ゆるばかり。受けた恩は窮まり無く、それに報いるには遅すぎる。いったいこのようなわたしの心は、何のようにして安んじ慰めればよいのか。さっぱり分からない。酒を飲み琴を聴いて、また詩でも詠むことにしよう。
  これは天子より『秋の思い』の勅題を賜って詠んだ詩だということですが、なるほどね、この時、道真公は55歳、老いの悲しみが伝わってきますな。しかし好事魔多しとはよく言ったもので、これから半年後には太宰府に左遷されてしまうのです。
  
  次の詩は、もう少し若く讃岐の国に国守として赴任した時の詩です。
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(注釈)○白茅:ちがや。○檐下:のきした。○火炉:火鉢。○侍坐:貴人の側に坐る。○秩:10歳。例えば七秩ならば61歳から70歳までをいう。○秩三年:仁和4年、道真の43歳の年。仁和2年正月、41歳で文章博士の任を解かれ、讃岐の国の国守に任ぜられた。○政:官僚の事務。○身上:家柄。菅家は三代にわたっての文章博士であり、地方に赴任する国守は道真の祖業ではない。
(大意)題:冬の夜に静かに思う。本文:火炉の前に坐っていると開けられた蔀戸(しとみど)の先に白茅(ちがや)の軒先が見え、侍坐する児童は壁に寄りかかって眠っている。暦によれば今年も残すところ一ヶ月のみ。讃岐の国守として赴任したが、年が明ければもう四十三歳か。酒を嗜むことが無いので、胸に結ぼれた愁えは解けることがない。心に在るのは、常に天子の前で詩を作ることであり、日日の事務ではない。文章博士として天子の側で活躍することばかりが、千回も万回も心に飛来する。ああ、もう夜が明けようとしているのか、窓の間が白んできた。
  すばらしい!ああ若いって好いなぁ‥‥!さすがさすが、さすがの天神様!『何うか今年一年好い年でありますように!頭が良くなりますように!‥‥。』
  
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  大きな声では言えませんが、天神様は祟り神様ですからな、それも極めつきの、‥‥。まさか批評がましいくだりはございませんでしたよねぇー。大丈夫かな?こんな事言って、‥‥。いつもお賽銭上げて拝んでますよ、‥‥。ひぇーおっかな、‥‥。
  
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  さてこの辺りで、牛にも梅にもこれ以上の発展性は見込めませんので、話題を代えましょう。現代の我々自身が直面している事です。
  新聞によりますと、アメリカではオバマ大統領が就任直後から重大法案に次々とサインしているということです。しかしですねぇ、わたくしが本当に感銘を受けたところは、実は人々が余り目を向けることのない就任演説の方なんです、‥‥。
  
  それを2009年1月21日の読売新聞から抜き出してみましょう。
(1)『これで44人の米国人が大統領就任宣誓を行った。宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。しかし、しばしば、宣誓は、暗雲が垂れこめるときや荒れ狂う嵐のときに行われた。こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。
  ずっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。

  『こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。』とは何を指すのか?
  
(2)『我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。
  『暴力と憎悪の広範なネットワーク』とは何を指すのか?本当に”アルカイダ”等の外部勢力のみだろうか?
  『一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。‥‥。』、では我々は何をなさなければならないのか?
  
(3)『我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、子どもじみたことをやめるときが来たとある。我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束のことである。
  『子供じみた』とは何を指すのか?子供は責任を取らない?誰が何の責任を取らなくてはならないか?責任を取らせられるのは誰か?
  『尊い考え』を実現するために、我々は何をなさなければならないのか?
  
(4)『我々の国の偉大さを再確認するとき、我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。それは勝ち取らなければならないのだ。我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、臆病者のための道筋はなかった。むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。
  『我々の旅』は今さらに何のようにして続くのか?何を排除して、何を奨励して?
  
(5)『しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。
  『米国を、個人の野望を合せたものより大きく考えていた。』とは何ういう意味か?
  
(6)『皮肉屋が理解できないのは、彼らがよって立つ地面が動いたということだ。長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)保険や、立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる。公的資金を管理する者は適切に支出し、悪弊を改め、誰からも見えるように業務を行う。それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。
  『彼等がよって立つ地面が動いた。』とは何を指すのか?
  『陳腐な政治議論』とは何を指すのか?何を目指しているのか?
  
(7)『問うべきなのは、市場の良しあしでもない。富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。だが、今回の(経済)危機は、監視がなければ、市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。
  『我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。』とは何を指すのか?
  
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  ここまでで全体の凡そ半分ですが、すでに新大統領の目指す所は的確に表われていると思いませんか?
  
  残りは簡単に済ませましょう、最後の部分です。
(8)『政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。
  我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

  『誠実、勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心』、楽して儲ける時代は、すでに過ぎたと言うことです。
  
(9)『いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。
  これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。
  これが我々の自由と信条の意味なのだ。なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのか。

  『いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入るということだ。』、当然この国の民も新しい責任の時代に入ったと覚るべきです。
  『米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識することだ。』、当然この国の民も同じ義務を負うことになります。
  
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  総じて素晴らしい演説でした。
  即効薬ではないが、後になって皆が『ああ、あの演説のあれだったのか。』と気付き、じわじわと効き目が現れてくるような演説です。
  この演説のあった日、ニューヨークでは銀行株を中心として暴落したそうです。
  大統領のメッセージは正しく伝わっていたようですね、‥‥。
  
  
  本日のごちそうは、”フレンチトースト”です。なぜかとつぜん食べたくなったのですねぇ、これが。皆様にもそういうこと有りませんか?とつぜん食べたくなるというようなことが。
  しかしこれが中々解決困難な問題を含んでおります。わが家では牛乳が無いので、思い立ってもすぐには作れないのです。まず牛乳を買ってこなくてはなりません。それと卵とパンと、有れば上にかけるメープルシロップかシナモンシュガー。
  作り方は、極めて簡単です。それにインターネットでいくらでも検索できます。
  
  (材料)二人前:一斤(一山)を六つ切りした食パン2枚。卵3個。牛乳200CC。砂糖30グラム。バター大さじ1杯。この分量はあくまでも基準ですので、ご家庭の好みに応じて自由に変化させればよいでしょう。失敗するような部分はほとんどありませんが、万一失敗しても気にせず、また作りましょう。
  (作り方)卵3個をよく解いて、牛乳200CC、砂糖30グラムとよく混ぜ、濾して卵の解けていない部分を取り除きます。適度な大きさの容器にパンといっしょに入れてラップをかけ、途中一回上下を反して1時間以上置いておくと、中まで卵液が浸透します。パンによっては浸透しにくい場合もありますので、その時は冷蔵庫で一晩寝かせてください。これを大さじ一杯のバターを溶かしたフライパンで焦げ過ぎないように弱火で両面を焼きます。7~8分で中まで火が通るはずですが、四つ切りパンなど厚い場合は蓋をして極細12分ほどかけてみてください。
  (食べ方)中皿に載せフォークとナイフで食べます。好みによってメープルシロップをかけたり、シナモンシュガーをかけてください。ジャムなど酸味のあるものは合わないと思いますが試してみてください。また牛乳の代りにオレンジジュースを用いてもよいそうです。
  
  これはフランスパンで作りました。少し焦げましたがバターではこれぐらいはやむをえません。何しろ味が大切ですからね、見た目などはどうでも良いのです。
  
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  では今月はここまで、来月またお会いしましょう。それまでご機嫌よう。



  (天神様の牛 おわり)