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賢か愚か
  今年の世界をかけめぐった最大のニュースはといえば、サブプライムローンによる金融バブルの崩壊、そして黒人初の合衆国大統領、この二問題に尽きるようです。バブルについて、人々はそれがたんにバブルに過ぎないものであるということを知りながら、それが非常に危険なものであり、或いはそれが非常に犯罪的なものであることを知りながら、あえてそれを避けずに、その罠に陥ってしまったのでありますから、それは、われわれ人類の心理的能力の限界を現前に如実に露呈したものと言うことができます。わたくしには、そのことが世界に与える影響が非常に大きなものであり、そのことがわれわれに与える苦痛の量がどれほどになるか測り知れないという事以上に重要な意味を持つことであるように思われました。いっぽう黒人大統領のほうも、やはり一つのエポックを画するできごとであり、アメリカという国は変りうる自由と智慧とを併せ持つ国であるということを世界に知らしめました。
  アメリカは、これから大変な困難に立ち向かうことになりましょう。しかしこの国民の智慧をもってすれば、やがて困難に打ち勝つことは予想できます。いっぽう、わが国では、今はまだバブルの影響を受けることは少ないように言われていますが、やがて無視できない困難が待ちかまえていることは、産業が全面的に輸出にたよっている限り避けえない所であります。この時こそが絶好の機会です、わが国の国民が、その困難にどのように立ち向かうのか、智慧と勇気とを世界に顕わして、どのように信用を勝ち取るのか、世界はここに注目しているのです。頑張りましょう。
  
  平成20年も、いよいよおしつまり、まあこの辺りでこの一年の来し方をふりかえってみるのもよろしいのではないかと思いながら、上のようにいろいろ想いだそうとしているのですが、老人性記憶力衰退に加えて、晴れ間のないアルコールの靄に記憶を隠され、何も憶いだすことができません。忘却は汚辱を防ぐ最良の方策、まあそれもよろしいのではないでしょうか、というようなわけで、この老人、無謀にも本年二度目の温泉旅行を敢行いたしまして、さらに頭をふやかそうと企てるに至ったようなしだいであります。
  
  いやいや本当は何も好きこのんで、こう立て続けに温泉につかろうなどと思ったわけではないのです。ただこれもご時勢というものでしょうか。わたくしの普段の仕事場は書斎替わりのビルの一室であり、そこで極めてささやかな古書肆を開いておったのですが、もういけません。ここの所の不景気はついに、わたくしの身の回りにまで及ぶにいたり、敵前逃亡の哀れをかこちながらも、やむをえずついにそこを引き払わざるをえなくなりました。
  そこで急ぎ仕事場を確保しなくてはならないのですが、先立つものが無くては何ともなりません。茅屋の書斎は長年の間に買いためたもので身動きできないまでになり、単なる物置と判然しない所まで落ちぶれております。何本もある不揃いにしてそれぞれが個性を誇っている書棚はすでに用をなさないまでに本がぎゅう詰めになり、溢れた本は床の上のそこかしこに摩天楼のごとくそびえ立っております。これらの本棚は、すでに役に立たないのであるからして、すべて捨て去ってしまい、壁の二面、その中の一面は窓をつぶして、作りつけてしまおう。まあこんな事を考えて大工に注文したのが九月の半ばごろ、そして実際の工事が始まったのが十一月の十七日でした。

  まあこれから後は、お決まりと申しましょうか、前回といっしょです。大工のたてる騒音にはとても我慢ができませんのでネコの世話は家内にまかせ、哀れにも五日間の逃亡生活にいどんだのですが、天網恢々疎にして泄さずであったのかどうか、温泉につかりながら紅葉狩り遊山のつもりが、実際にはご覧のとおり、曇り空に雪が舞うようなしまつで、今回はまったくお湯とアルコールにどっぷりとつかるのみで、頭はますますふやけてしまったというのがその顛末でした。
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  しかしねえ、この頃の政治はこれでよいのでしょうか?とは言っても、われわれにできることはただ云何なる基準の下に選んで、われわれの選良を議会に送り出すかということぐらいなのですが、ここに示す『四患を除く』という言葉もその一つではないかとは思うのす。
  
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致政之術,先屏四患,乃崇五政。一曰偽,二曰私,三曰放,四曰奢。偽亂俗,私壞法,放越軌,奢敗制。四者不除,則政末由行矣。夫俗亂則道荒,雖天地不得保其性矣;法壞則世傾,雖人主不得守其度矣;軌越則禮亡,雖聖人不得全其道矣;制敗則欲肆,雖四表不得充其求矣。[一]是謂四患。  注[一]肆,放也。
  
  政を致すの術は、まず四患を屏(のぞ)いて、すなわち五政を崇(おこ)せ。
  一に曰く偽、二に曰く私、三に曰く放、四に曰く奢なり。偽(いつわ)れば俗を乱し、私(わたくし)すれば法を壊(やぶ)り、放(はな)てば軌を越え、奢(おご)れば制を敗(やぶ)る。四者除(のぞ)こらずんば、則ち政の末は行いに由るなり。
  それ俗乱るれば則ち道荒れ、天地といえどもその性を保ち得ざるなり。法壊るれば則ち世傾き人主といえどもその度を守り得ざるなり。軌を越ゆれば則ち礼亡(うしな)い、聖人といえどもその道を全うし得ざるなり。制敗るれば則ち欲肆(ほしいまま)たりて、四表(天下)といえどもその求めを充たし得ざるなり。これを四患と謂う。
  
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  (意味)正しい政治の道とは、まづ四つの患いを除くことであり、それによって五つの政治の徳目が高まるのである(但し、ここでは五つの徳目については説明しません)。四つの患いとは何かというと、一は偽(いつわり)、嘘をついて人をだますこと。二は私(わたくしする)、密かに私利をはかること。三は放(はなつ)、したい放題にすること。四は奢(おごり)、分に過ぎたることである。偽りが横行すれば風俗は乱れ、私すれば法は有っても無きがごとく、したい放題にすれば止めどが無くなり、分を過ぎれば抑制できなくなる。四つの患いを除かなければ、則ち政道の行く末はその行いに由るのである。当然、風俗が乱れれば政道は荒廃し、たとえ天地でさえもその本性を保ち得ない。法が用をなさなければ世間は傾いて不安定になり、たとえ王であってもふさわしい態度風采を守り得ない。止めどが無くなれば礼儀は失われ、たとえ聖人でさえもその道を全うすることができない。抑制できなければ欲望が解き放たれて、たとえ天下でさえもその求めを充足することはできない。これが四患である。
  
  これは後漢書巻62荀悦伝の中の一節ですが、すごいですねえ、‥‥。インド人は、四苦八苦だとか四諦だとか八正道だとか六道、三悪趣だとか数を言葉の最初に付けて物事を分類することが好きですが、中国人もそれに劣らずこれが好きで、辞書の中に四だとか三だとかで始まる項を引いているとよく、こんな言葉にぶつかります。皆、物事を分析する能力が勝れているのです。
  われわれ日本人には、そのような能力はありません。そこで昔の人は中国の文献などから借りて、それを利用していたものですが、今の人が皆、こうも漢文の読解力が不足しているようでは、はたしてそれで済ますことができるのかどうか、せめて英語力でもついていればよいのですが、‥‥。
  
  後漢書(ごかんじょ)は四世紀の初め頃に書かれ、荀悦(じゅんえつ)は二世紀後半頃の人ですから、いづれにしても大変古い話です。しかし、この四つだと言い切ってしまう所がすごいと思いませんか。日本人はこのように割り切ることがほんとうに苦手であるようで、わたくしにしても、このように言い切ってしまっては、もしは何か重要なことを忘れているのではなかろうかとか余分な事を考えてしまい、かえってあやふやのままでいる事のほうが非常に多いのです。しかしですねえ、日本人だけが相手ならばそれでまったく問題が無いところが、世界の人が相手となるとそうはいかないようで、‥‥。
  世界は多様ですから、その人々の性格、習慣、或いは国民性などと言われるものもまた多様です。そこで重要な事は、はたして何か?そう単純、直接、明解、即ち相手に誤解させないことです。誤解を避けることは信用を博する上で不可欠なのは当然でしょう?時としてわれわれ日本人はずるいだの何だのと言われるのも、そこに原因が有るのではないでしょうか?まあそればかりではないと思いますがね。実際誠実さに欠ける所が有ることは否定しがたいのですが、それにしても誠実であるにもかかわらず、信用されないこともずいぶん有るように見受けられます。
  自他の優劣を知ることは、戦略上最重要の事柄ですね。それをよく知った上で、また学校で漢文でもやって、若い人たちに、単純、直接、明解の鍛錬をしてみてはどうでしょうか、ネェ、‥‥。(オマエサン、マダヨッパラッテイルネ、‥‥。)
  
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  ここまで反読してみますと、なんか日本人は頭が悪いと言っているようにみえます。何も頭の良し悪しはそれだけで決まるというふうのものでもございませんので、わたくしなんどは気にしないことにしておりますが、‥‥。しかし心底首をひねるような事もないわけではありません。特に政治家の面々を見てみますと、なぜこの人が選挙で選ばれたのだろうと、いつも不思議に思ってしまいます。更に蛇足をかさねてくどいようですが、もう一度、先の四患に照らしてみませんか?
  
  一は偽、偽は『字源』によりますと、ウソ、イツワリ、ニセとなっております。本心をいつわって言うコトバをウソといい、本身をいつわって別物に見せることをニセといいます。心にも無いことを言ってみたり、庶民でも無いのに庶民のふりをしてみたり、行きたくもない焼鳥屋などに顔をだして選挙用の愛敬をふりまいたり、このような事はすべて偽なのです。ウソツキですねぇ、‥‥。ウソツキは少なくとも欧米の基準では最低の人間を意味しておりますが、それは皆様もご存じですね。誰がウソツキと友達になりたいものですか。
  二は私、ワタクシとは、公の反対、ヨコシマ(邪曲)、ネジケタル心、ヒソカ(密)、ミウチ、一家、自分の所有にする、『字源』には、これ等の意味もでています。自らの所有でないものを、公然とではなく自らの所有にしてしまう事をいっていますが、わたしは生まれながらにして金持ちだなどと言って恬(てん)として恥じない者も含まれます。西洋には銀のスプーンをくわえて生まれるということばがありますが、そんな事が事実としてはあろうはずがなく、文字どおり裸一貫で生まれたに違いないからです。生まれながら人よりも多くの財産を持つことは、恥にこそなれ誇るべき所ではまったくありません。それを賞賛するなど、損にこそなれ得には少しもならないのです。賞賛すべきはその人の努力と才能ということですか。
  三は放、ハナツ、ホシイママ、シマリナシ、ステルなどと読み、心を解き放ってしまりがなくなる事です。放心、放埒(ほうらつ)、放棄、放縦(ワガママ)、放蕩、放擲(ほうてき)、放任、何々し放題、これ等の碌でもないことばは、皆心を解き放つことに関係しています。中でも最も始末の悪いのは放言であり、放言癖の有る政治家は世界中の笑いものになるに決まっておりますので、国益を損なうこと計り知れません。
  四は奢、オゴル、ブンニスギル、分に過ぎて贅沢すること、奢は倹の反対、衣食住等の立派を好むこと、『字源』にはこのように言っています。行きつけの高級料亭、高級鮨屋、高級ホテル、高級洋服店、高級靴屋、高級装身具屋、高級時計屋等、都内の豪邸、那須、軽井沢等、高級別荘地にある数千坪の別荘、これ等はすべてイヤミな物であり、人のウラミをかうものであり、政治家でなくとも慎まなくてはならない所です。
  
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  どうです?これでも日本人は頭が良いと思っているのですか?
  では誰に投票すればよいのか?誰だっていいのです!
  常に対抗馬に投票すれば良いのです!
  簡単ですね!
  
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  さて、完成したよとの電話の声を受けて無事帰還し、まずできあがりはどんなもんかいなと室のドアを開けてみてびっくり、こりゃ嘘ではないか!二方の壁から押し寄せてくる毒々しい緑色の構造物!まあ地獄の様相もかくやとばかり、ただ唖然として声もなく立ちつくすばかりです。思えば、大工がペンキやを連れて早朝あらわれ、板きれを出して、これに見本を塗りますから言ってみてくださいと、‥‥。
  この時、脳裏にとつぜん浮かび上がってきたのが、この荘重なるゴシック調、緑色の書棚を壁に連ねたる図書室です!ゴシック調?いえ実際にはゴシック調がどんな物か知りませんし、そんな緑色の書棚を連ねる図書室など一度も見たこと無いのですが、なぜか荘重、ゴシック、図書館などのキーワードと共に、この映像が心に浮かび上がってきたのですからしかたありません。もうすっかりその気になって、人の忠告も何のその、聞く耳こそ持たざれというような事に相いなりまして、その結果がこれなんですな、‥‥。
  
  しかしそんな事は杞憂に過ぎませんでした、心配すべきは別の所にあったのです。クロネコヤマトの運び込んだ大量の書物は、いざ書棚に並べてみれば、全然スペースが足りません。空いた所のすき間にぎっしり詰め込んでもまだ足りず、本の詰まったまま床の上にいくつも置き去りにされた段ボールの箱、それを見ては茫然とするより他ありません。結局その段ボールも、涙をのんで中の本ごと業者に頼んで捨ててしまったような次第です。特に見えるほどには緑の部分などは残らず、またしても物置同然の書斎に戻ってしまったのでありますから、いつもながらのお粗末とはいえ、われながらほとほとあきれ果ててしまったというのが事の結末でした。アァーア‥‥。
  
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  なぜかは分かりませんが、この頃は上質のバタークリームを使ったケーキに、めっきりお目にかかれなくなってしまいました。以前はコロンバンでメゾンというケーキを好んで食べていたのですが、売らなくなってしまいましたので、インターネットで探したところ、このようなデコレーションケーキがありました。ここ二三年は、これがわが家のクリスマスケーキに代わります。
  
  今月はここまで皆様どうかよいお年をお迎えください。それでは来年までご機嫌よう。



  (賢か愚か おわり)