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大統領選挙
  10月のある日曜日、天気が好くて、たいへんさわやかな日のことです。急に思い立って家を出たのが6時頃、高速を使ってやがて8時半頃には念願の越前大仏の前に来ておりました。まあその壮大なことといったら、山門に比してやや小ぶりの中門でさえこのとおりなのです。
  それに、ほらこのとおり、五重の塔までちゃんとありました。すばらしいですね!バカと煙は高いところが好きとかもうしますが、かくいうわたくしも煙でこそありませんが、もう一方のほうでは人後に落ちるということがございませんので、さっそく昇ってみました。中にはエレベーターがあって、どんな年寄りでも労せずして最上階までのぼることができます。世間にある凡百の寺とはここが異なるのですね!まったく親切なことで、すべての寺院にも、ぜひこうあって欲しいものと思いました。第五層からの見晴らしもすばらしいものです、各階には大理石や青銅の仏像が何体もならべられ、創建者の心意気のようなものが、ひしひしと感じられます。
  大仏殿は向こうに見える建物がそれです。バカでかい建造物ですが、わたくしの好みからははずれていますので、中門にかかる五色の幔幕で半分かくしました。
  しかしこれも、せんじ詰めれば単なる好みの問題でしかありません。すべての物にはそれぞれの事情というものがあるのですから、千年前の東大寺の大仏殿と比較してどうこう言うのは、まったくのお門違いというものです。東大寺に使われているような檜の大木は、国宝の建造物の修理というような場合にやっと手に入るもので、民間人がいくら金を積もうと、ちょっとやそっとで手に入るようなものではないのです。
  そこでやむなくコンクリートで作るとなれば、やはりそれに相応したデザインを採用するというのが道理というもので、過去の経験にしばられた好みで云々するのは、やはり間違っているのです。恐らく巨大な物が好きで、木造建造物に特別な郷愁を感じない中国人なんかには、なかなか結構なものに映るのではないでしょうか?
  中央には奈良の大仏よりも、もっと大きな毘盧舎那(びるしゃな)仏、その両脇侍として普賢菩薩と文殊菩薩、更にその外に迦葉(かしょう)尊者と阿難(あなん)尊者が立っておられます。本尊が17メートル、脇侍でさえその像髙が11メートルとかあり、とにかく巨大なというのがその印象です。写真では、どうしてもその巨大なスケールをだすことができません。ただ想像するよりもはるかに巨大なものでした。
  どうですか、このスケール!まったく愚かでしたねぇ、これほどすばらしい寺が近くにあったというのに、それを知らなかったなんて!いえ、新聞紙上にこの寺が建立されたということを読んで知ってはいたのです。ただその拝観料が三千円という高額に恐れをなしてしまっていたというのが実情でした。情けない、たかが三千円に驚いて、この壮観を見逃していたとは!
  しかし、どうも恐れをなしていたのは、ただわたくし一人ではなかったようです。五百円に値下げされた今も、未だに閑散として、観光バスの一台も止まらないというこの現実。
  残念なことです、巨大というそれだけでも見る価値は十分あるというのに、‥‥。
  
  そういえば、これに倍する規模の巨大寺院が建立されたという広告が新聞にのっていました。ぶちぬき4ページの広告には正直びっくりしましたが、それにも増して、その巨大寺院の規模には真実驚きました。ぜひ見てみたいものです。ネットによれば社長や会長等の大金持ちのみを対象にした、かなり秘密主義の教団だそうで、見られるものかどうか、今ひとつ判然といたしませんが、さてどうなるものでしょうか、‥‥。
  
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  話は替わりまして、十一月にはアメリカ大統領の選挙が行われ、いよいよ次の大統領にバトンタッチされるわけですが、共和党と民主党という二大政党は、南部諸州代表と北部諸州代表、保守的と改革的、親富裕層と親低所得層、公序良俗重視と人権重視、小政府主義と社会福祉主義、等々、さまざまな違いを政策に掲げながらも、時に交代することによって、その行き過ぎをいましめてきました。これはイギリスの二大政党である労働党と保守党でも同じことで、二政党が時に交代することによって、政治が腐敗することを防いでいます。
  日本でも近く総選挙があるということですが、この辺りの話がやや異っております。与党と野党とは中々交代いたしませんし、時には自民党と社会党とが連立政権を打ち立ててまで、保守的政策を守ろうというようなことまでしているのです。その結果は、皆様もご存じのとおり、かつて第二党であった社会党は雲散霧消してしまいました。それほどまでに保守的政策を護持したい。このような国民の気持ちは、わたくしにはさっぱり理解できない所ですが、もし政権を交代させたいと思うなら、それは案外簡単なことなのです。国民の誰もが自分の好みを無視して、常に第二党に投票してしまえばよいのです。消去法によって第一党に投票してしまったりするよりは、よほど善い方法だと思いますがどうでしょうか?『考えてできなければ考えずにせよ!』これですね。
  『政治をよどませない』、これは民主政治の根本原則であり、そうでなければ全体主義と同じです。しかし、なぜこの国ではできないのか?これは簡単には証明できません。日本的民主主義は、国民が勝ち取ったものではなく、外国によって与えられたものだから?恐らくはそれが正解でしょう。しかし案外この国の民の『考えること』を蔑んだり嫌ったりする性格と関係があるのかも知れません。交代には必ず心配がつきまとい、心配すれば考えるようになる。多分、それが厭わしいのです、考えることに於いての怠け者、これがこの国の国民性なのでしょうか?『常に交代せよ!』、これが民主主義の要なのですがねぇ、‥‥。
  
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  そこで、いよいよ選挙が行われたときのことですが、いづれ新しい首長が選ばれてこの国の舵を委ねられることにはなるのだろうと思いますが、その時には、ぜひこの老子のことばを憶いだしていただきたいものです。
  
  老子道徳経 第七十五
民之飢,以其上食税之多,是以飢。民之難治,以其上之有為,是以難治。民之輕死,以其上求生之厚,是以輕死。夫為無以生為者,是賢於貴生。
  『民の飢うるは、その上の税を食(は)むことの多きを以ってなり。ここを以って飢う。』 『民の治め難きは、その上の為すこと有るを以ってなり。ここを以って治め難し。』 『民の死を軽んずるは、その上の生を求むるの厚きを以ってなり。ここを以って死を軽んず。』 『それ生を以って為すことの無き者のみ、これ生を貴ぶより賢(まさ)ると為す。』
(意訳)民が飢えるのは、役人が税を食ってしまうからであり、この故に飢えるのである。』
  『民が治めがたいというのは、役人が干渉するからであり、この故に治めがたいのである。』
  『民が死を軽んじて軽々しく人を殺すのは、役人が自分の生活のみを厚くしようと求めるからであり、この故に死を軽んずるのである。』
  『そもそも生活のことなど何も考えずにいることのみが、生活を貴ぶことに勝るということであろう。』
  
  
  老子道徳経 第七十七
天之道,其猶張弓與!高者抑之,下者舉之,有餘者損之,不足者補之。天之道,損有餘而補不足。人之道則不然,損不足以奉有餘。孰能有餘以奉天下?唯有道者。是以聖人為而不恃,功成而不處,其不欲見賢。
  『天の道は、それなお弓を張るがごときか!高き者はこれを抑え、下(ひく)き者はこれを挙げ、余り有る者はこれを損じ、足らざる者はこれを補う。』 『天の道は余り有るを損じて、しかして足らざるに補う。人の道は則ち然らず。足らざるを損じて以って余り有るに奉る。』 『孰(だれ)かよく余り有りて以って天下に奉る?ただ道有る者のみ!』 『ここを以って聖人は、為して恃(たの)まず、功成って処(お)らず。それ賢を見(あらわ)すを欲せざればなり。』
(意訳)『天の道というものは、弓を張ったようである。弓の高いほうの端が抑えられ、下の端がもち挙げられるように、余る者から取って不足する者に補っている。(例えば、山は崩れて低くなり、海を埋めて浅くするが如し)』
  『天の道は余る者から取って不足する者に補っているが、人の道はどうだろう?決してそんな事はしない!不足する者から取って余る者に奉っている。』
  『しかし誰が、余りを天下に奉ることができるというのか?ただ道を知っておる者のみ!それだから聖人は事業を成しとげても、それに頼ることがなく、成功しても、それを気にさえしない。自らの賢さを天下に顕わすことさえ望まないのだ。(即ち、無私無欲の者こそが聖人である。)』
  
  
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  老子は、2400~2500年ほど前の人ですが、今と同じように役人の横暴を叫んでいます。なにやら人というものの本性の変りにくさを思い知らされたような気がしますが、そもそも物の変らない部分を性というのですから、それもまた当然かも知れません。 しかし今は選挙というものが有るのですから、人はもう少し賢くならないといけないのではないでしょうか?
  
  老子道徳経 第七十
吾言甚易知,甚易行。天下莫能知,莫能行。言有宗,事有君。夫唯無知,是以不我知。知我者希,則我者貴。是以聖人被褐懷玉。
  『わが言は甚だ知りやすく、甚だ行いやすきも、天下によく知るものなく、よく行うものなし。』 『言に宗有り、事に君有れど、それただ知る無きのみ。』 『ここを以ってわれを知らず、われを知る者希(まれ)なれば、則ちわれは貴し。ここを以って聖人は、褐(かつ)を被て玉(ぎょく)を懐くなり。
(意訳)『わたしの言っていることは、甚だ知りやすく、甚だ行いやすいのであるが、天下によく知っている者もなければ、よく行っている者もない。』
  『言っていることには、ちゃんとした本が有り、行うべき事にも、ちゃんとした理由が有るのだが、それを誰も知らないのだ。』
  『この故に、わたしは誰にも知られていず、わたしを知っている者は希である。則ちわたしは貴いのである。この故に、聖人は粗末な麻の衣を被て、心に玉を懐いている。』
  
  
と、まあこんなわけなのです。せっかくの智慧も用いられなければ何にもなりません。ちっとも変らないわけですなぁ。
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  はい、やっと今月の課題もおわりました。もう毎月毎月、どこかに題材はないものかと、ぎりぎりまで探しまわっており、ひょっとして穴をあけるのではないかと、まあ冷や汗ものなのです。
  
  そんなわたくしにご褒美というわけでもないんですが、鯖寿司のご褒美、‥‥
  京都の四条切り通し一筋半上ルの鮨屋『いづう』の鯖寿司、誰が何といおうとこれが日本一の鯖寿司です。何となれば、時々祖母がつくっていた昔の鯖寿司の味が、そのままここにあるからなのです。まあ誰でも家の味を大切にせにゃなりませんわね。この頃は京都まで行くのがしんどうなってきましたよってに、めったに口にできないのですが、この地方の高島屋で京都展をやっておりまして、そこで買うてきたというわけです。いやー、この大きさが何ともいえません、‥‥。そして身をくずさぬようゆっくりと竹皮をむいて、すでに包丁が入ってありますので、少しめんどくさいのですが、巻いてある昆布を取り去ると、ほれこのとおり、‥‥ああー立派なものどすなー‥‥。
  なんや一人だけで食うては皆様にもうしわけないような、‥‥ああー美い!!!
  では皆様、今月はこのへんで、さようなら、また来月お会いしましょう、それまで
ご機嫌よろしゅう、‥‥。



  (大統領選挙 おわり)