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彼 岸 花
  楽しかった夏休み!もちろん老人にとって、ほんとうに夏休みがあるわけではございません。しかしなぜか夏になると楽しさが浮き立ち、ああ夏休みだ!という気分になるのです。この楽しかった夏休みも秋風が立ちはじめるとともに終りをむかえます。
  例年この頃は、夏に名残を惜しみながらも、清爽の気が耳目を通して身心に充満し、さあやるぞ!となるはずですが、今年はどうもそうではございません。なぜか寂しさがひとしお身にしみて、気分がどうもしめり勝ちです。恐らく病によって愛猫を失った事が尾を引いているのだと思いますが、何しろ七月の初めのことです。いかに何でも長すぎやしないでしょうか。それとも心までが老いてしまったということですか、‥‥。
  
  何時までもめそめそしていては何事も始まりません。さいわい今夜は十五夜、というわけで浮かないながらも思い立ち、車をとばして「すすき刈り」を近くの河原で敢行いたしました。
  良さそうなすすきを刈り取り、ふと目をうつすと何たる僥倖かな、萩までが咲いているではありませんか、‥‥。しかし萩にしろ、薄にしろ、何と気分を沈ませることよ、‥‥。「人生の秋」ということばさえ連想させられます、ああ‥‥
  
  「なげけとて月やは物を思はする、かこち顔なるわが涙かな」 西行法師
  
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  それでは十五夜の月に供える団子を作りましょう。米の粉を熱湯でこねて蒸してつき、丸めて二十個つくりました。十五個が正しいと言う人もいますが、それでは三角に積み上げることができません。世間では三角には積まないのですか?それでは何う積むのです?というわけでわが家では二十個です。下段が4+3+2+1=10、中下断が3+2+1=6、中上段が2+1=3、さらに+1、これがてっぺんの一個です。
  
  露台に、パーティー蝋燭をともして、お月見しました。隣家との狭い隙間から皓々と覗く満月!昔太陽が十個あり、それが、かわるがわる天空に昇るので、地上が乾いて庶民が大変苦労していた。それを羿(げい)という弓の名人が打ち落としたということですが、その羿が天帝の娘の西王母から不老不死の薬を戴いたところ、妻の姮娥(こうが)という者が、それを盗んで飲み、その後月に奔ってその世界に住んでいる。こんな伝説を子供の頃、何かで読んだことがあります、‥‥。
  
  無言のうちに過ごす小一時間!あんなにはっきりと月で兔が餅をついているのに、何うすれば蝦蟇に見えるのかな、‥‥?とか考えながら、‥‥。伝説では姮娥は蝦蟇に姿を変えられたということです、‥‥。
  
  たわいの無い良い時間!孔子が詩経を評して『思いに邪無し』と言った、まさにその思いが、わたくしを通り過ぎて往きました、‥‥。
  
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  転じて目を地上に向けてみましょう。テレビでは連日のように、もう相も変わらぬと言ってもよいでしょう、似たような事件をさも重大事のごとく報道しています。謂わく、牛肉の偽装、米の偽装、中国ではミルクを不純物で水増し、幼児殺し、首相の交代、アメリカの金融不安、地震、台風、水害、等等等等‥‥。皆すでに見たことであり、天災以外はすべて欲望を第一とする時代の汚れです。いや恐らくは天災でさえも。
  
  これ等については、もうすでに蟷螂の斧を振り上げました、何度も何度も、‥‥。だから無駄な事はもう申しますまい。しかしですね、日本の国技、相撲については、まだ少し言うことが有るような気がします。
  
  毎度のように、立会いを正せ!仕切りをしっかりしろ!との通達が出されていますが、これは無理な注文なのではないでしょうか?
  何しろ痛いのですよ!きれいな立会いをすると痛いのです。両者の呼吸がぴったりと合い、両手をついた姿勢から一時に一気に立つとしますわね!どうしても頭と頭がぶつかりますよ、ゴッツーンとね。
  
  これは痛いですよ!痛くないはずがありません。だからどうしても手を前に出して突っかけようとします!しかしこれはすでに立っている相手には通用しません。上から下に押し込むようにしないと無理なのです。こんな事があるので、息を合わせろたって、そうそうできるはずがないのです。
  
  そこで提案です。行司が軍配を引くのと同時に両者が立会うことにしては何うでしょうか?立てなければ負けです、まった無し!昔から不思議に思っていましたが、なぜ行司は用の無い軍配で分けているのでしょうねえ?
  時間ですの合図で、立会いを正すべき軍配を、行司はさっさと引いてしまい、後は力士がかってに呼吸を合わせろだなんて、そんな事できるはずが無いじゃないですか!
  とこんな事を、最近は全然見ていないので、言う資格はとっくに失っていますが、このように言うだけ言ってみました。
  何しろ国技ですからね、しかし、ほんとうにこれが国技、‥‥?
  
  
  
  この地方では、秋の彼岸の入りの頃、不思議と彼岸花が盛りを迎えます。皆様の方は如何でしょうか?毎年楽しみにしているのですが、年々この彼岸花が少なくなっているような気がします。こんなに美しいのに残念なことです。
  ところで皆様はご存知でしたか?この彼岸花が毒ではなく実は食料になるということを。いえ、実のところは根にリコリンという毒があるんだそうですが、この毒は水に何回もさらせば無くなってしまうので昔の人はこの根からデンプンを取って飢饉の際の食料にしたということなのです。まあ何事も知っておけば、いざというときに困りませんからね。また、インターネットで調べると、この毒性の球根を田んぼのあぜに植え、ネズミが穴をあけるのを防ぐというような事も書いてありました。また、根が大変強いのであぜを丈夫にするともあります。
  年々田んぼが減ってきているのは、こんな所にも顕われていたのですね。
  
  さて、読書には絶好の季節がやってまいりました!というわけで、今月はやや長めの漢文に挑戦していただきましょう。『辞書を片手にどうぞ。』とは申しません!辞書なんか無しで、知っている字だけを拾い読みしてください。分らない字は前後の関係から類推すれば良いと思います。何しろ漢文は日本語なのですよ!分らないはずがありません。明治以前は、皆それこそ落語に出てくる長屋の熊さんも八っつあんも、皆寺子屋で習いおぼえたもので、現在の日本語の一方の親ともいうべきものなのです。いわば漢文は当時の常識であり、その常識から今の日本語ができているのです。
  全部読み終わってすべての意味が明確になったならば、一一辞書を引いて、なお確かめてください。知らない事を残すのは、あまり良いこととは言えませんのでね。
  
  文は善道大師の『観経疏(かんぎょうそ)』の中の一文、世に『二河白道(にがびゃくどう)』として知られたものです。
  善道大師は浄土宗では高祖と崇められていますが、それでなくても大変な名文家であります。その上、情感豊かな詩人であり、頭脳の明晰な論客であり、誰にも負けない努力家であり、言うまでもなく古今東西第一等の人物なのです。このような人の文章には人を感化する力が必ずありますので、触れておいて少しの損もありません。
  
  ではどうぞ!時間はおよそ三十分です。
  
譬如有人欲向西行百千之里。忽然中路見有二河。一是火河在南。二是水河在北。二河各闊百步。各深無底。南北無邊。正水火中間有一白道。可闊四五寸許。此道從東岸至西岸。亦長百步。其水波浪交過濕道。其火焰亦來燒道。水火相交常無休息。此人既至空曠迥處。更無人物。多有群賊惡獸。見此人單獨。競來欲殺此人。怖死直走向西。忽然見此大河。即自念言。此河南北不見邊畔。中間見一白道。極是狹小。二岸相去雖近。何由可行。今日定死不疑。正欲到迴群賊惡獸漸漸來逼。正欲南北避走惡獸毒蟲競來向我。正欲向西尋道而去。復恐墮此水火二河。當時惶怖不復可言。即自思念。我今迴亦死。住亦死。去亦死。一種不勉死者。我寧尋此道向前而去。既有此道。必應可度。作此念時。東岸忽聞人勸聲。仁者。但決定尋此道行。必無死難。若住即死。又西岸上有人喚言。汝一心正念直來。我能護汝。眾不畏墮於水火之難。此人既聞此遣彼喚。即自正當身心。決定尋道直進。不生疑怯退心。或行一分二分。東岸群賊等喚言。仁者迴來。此道嶮惡不得過必死不疑。我等眾無惡心相向。此人雖聞喚聲。亦不迴顧。一心直進念道而行。須臾即到西岸。永離諸難。善友相見。慶樂無已。此是喻也。次合喻者。言東岸者即喻此娑婆之火宅也。言西岸者即喻極樂寶國也。言群賊惡獸詐親者即喻眾生六根六識六塵五陰四大也。言無人空迥澤者即喻常隨惡友不值真善知識也。言水火二河者即喻眾生貪愛如水瞋憎如火也。言中間白道四五寸者。即喻眾生貪瞋煩惱中能生清淨願往生心也。乃由貪瞋強故即喻如水火。善心微故。喻如白道。又水波常濕道者。即喻愛心常起。能染污善心也。又火焰常燒道者。即喻瞋嫌之心能燒功德之法財也。言人行道上直向西者。即喻迴諸行業直向西方也。言東岸聞人聲勸遣尋道直西進者。即喻釋迦已滅後人不見。由有教法可尋。即喻之如聲也。言或行一分二分群賊等喚迴者。即喻別解別行惡見人等妄說見解迭相惑亂。及自造罪退失也。言西岸上有人喚者。即喻彌陀願意也。言須臾到西岸善友相見喜者。即喻眾生久沈生死。曠劫淪迴迷倒自纏。無由解脫。仰蒙釋迦發遣指向西方。又藉彌陀悲心招喚。今信順二尊之意。不顧水火二河。念念無遺。乘彼願力之道。捨命已後得生彼國。與佛相見。慶喜何極也。
  いかがですか?お読みになれましたか?念のため意訳しておきましょう。
  
 『譬えてみよう、人が西に向って百千里の道を行こうと旅をしていた。その時、ふっと現れたのが路の途中を遮る二本の河である。いや一本の河と言った方がよいか。北から南に流れ、中央より南が火の河、北が水の河である。河幅はおよそ百歩、深さは底無しであり、南北は際限が無い。水火の中央に一本の白道がある、道幅は四五寸ばかり、東岸から西岸まで百歩ある。その間、北の水は高く波浪を揚げ、逆巻き躍り上がり、その波は路を越え、シブキは路を濡らしている。南の火は、焔を上げて道を焼き、水火は相い交わって、常に少しも休むことがない。辺りを見回してみると広漠として無人であり何物も無い。
  その時、何処からか多くの盗賊や悪獣が集まり、この人が単独であるのを見ると襲いかかって殺そうとした。この人は死を怖れて真直ぐ西にひた走り、突然この河に阻まれた。
  そこでこう考えた、――『この河は南北に際限なくのびて、渡れそうなのはこの白道だけである。両岸はそう隔たってはいないが、はたしてこの狭い道が渡りきれるだろうか?これはどうも今日死ぬことになりそうだ。真直ぐ東に引き返せば多くの盗賊や悪獣が殺そうとして待ちかまえ、南北に走って逃げたとしても盗賊悪獣は追ってくるだろう。そこで西に向えばこの水火の河に堕ちるに決まっている、‥‥』と。まさに、その時の恐怖ときたら言葉にも何もならないほどであった。
  さらにこう考えた、――『わたしは、今引き返しても死ぬだろう。ここに留まっていても死に、前に向っても死ぬことだろう。どの道を取っても死を免れないならば、いっそ初めの望どおり、この道を通って前に進もう。ここに道が有るからには渡れないものでもないだろう。』と。
  ここまで考えた時、東の方から人の声が聞こえてこう勧めた、――『早く心を決めてこの道を行きなさい。必ず死を免れるだろう。もしここに留まれば死ぬことになりますよ。』と。
  また、西の岸の上にも人がいてこう喚んでいる、――『おーい、何も心配せずに、こちらに来いよー!わたしは、ちゃんとお前を護ることができるのだよー!火も水も怖れることは無いぞー!』と。
  この人は、こちら岸では送る声を、向こう岸からは喚ぶ声を聞き、自ら身を引き締め心を決して、おそるおそる進んだ。もう疑いの心も怖じる心も起らなかった。
  一割か二割ほども過ぎたところであろうか、東の岸から盗賊たちがこう喚んでいる、――『おーい、引き返してこいよー!この道は危ないよー!死んでしまうぞー!おれたちは悪者ではないよー!何もしないから引き返してこいよー!』と。
  この人は、これを聞いても振り返らず、一心にただ道の事のみを考えて前に進み、やがて西の岸に着いて水火、盗賊の難を逃れたのである。岸辺に立つ善い友にも相いまみえることができ、以後めでたく楽しんで止むことがなかった。‥‥(以下省略)』
  
  
  如何でしたか、このように訳せましたか?えっ、もっとうまく訳したよーですと?
  何とまあ、それはそれはおめでとうございます!ようございましたね。これからも宜しくお願いしますよ。
  
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  その後、このお団子を再度蒸して醤油をつけて焼いてみましたが、最初に作るときの蒸し時間が不足していたとみえて、炊き損ないのご飯のような芯があり、おいしいとはとても言えません。しかし油で揚げるとか、何とか工夫して食べるつもりです。捨てては勿体ないでしょう?
  
  
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  では今月はここまで!来月またお会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  
  あっそうそう、『ウォンテッド(Wanted)』面白かったですよ。



  (彼岸花 おわり)