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比叡山
  
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  7月22日の大暑から8月7日の立秋、8月23日の処暑と、今夏は妙に暦に符号して、季節の移り変わりのはっきりした年となりました。総じて好いお天気がつづき、いかにもオリンピックにもふさわしい年となったようですが、普段スポーツにはまったく縁のない老人にとって、オリンピックとても例外ではなく、特別にテレビにかじりつくといったようなこともございません。また大言壮語のつじつま合せに、わざわざ後棒をかつぐようなことが鬱陶しく感じられたといったようなことでもあるのです。
  
  ギリシャのときには、偶然にも野口みずき選手の力走を三十キロ付近から見ることができ、日本万歳と叫んだものですが、残念にも今年は欠場してしまいましたので、まあ何も見ることはあるまいと思っておりました。しかしテレビをつければ、必ずどこかのチャンネルでオリンピックをやっていますので、わたくしとしてもいくつかの感動的な場面に出会わない訳にはいきませんでした。
  
  女子柔道の谷本歩美選手vsフランスのデコス選手。相手が片足を前に差出して、やや無理気味に押し込んでくるところをコーナーぎりぎりまで堪えての内股一本、見事に相手が宙に舞う瞬間を見ました。だいたい柔道は相手の仕掛けを待って逆技を掛けるというものですから、仕掛けた方が不利になるという、スポーツとしてはあるまじきものです。それでつい力業を競うようなことになり、見ていてもあまりおもしろくもないものですが、こう見事に決まると話は別です。この時ばかりは頭がしびれました。ついつい次々と他の局にチャンネルを回しながら、何度も何度も見てしまいました。
  
  男子百メートル、ジャマイカのボルト選手。9秒69の世界記録。最後のほうは流していてのこの記録です。リラックスした上半身とモーターのように回転する下半身。上下がまるで別人のような独特の柔軟さ。これこそ眼福というものではないでしょうか。この選手は、その後二百メートルでも新記録を樹立しました。
  
  女子棒高跳び、ロシアのイシンバエワ選手。ハート型の顔に、フクロウのように鉄色の眼を光らせ、逆手に持った棒を水平に構えると、たったったっとリズムよく助走し、棒をトンとつくのと同時に身体はくるりと回転します。逆しまになった美貌は、まるで天女の飛翔のごとく、棒を離した手の指先はすっとのび、あたかも足のつま先から先に、天に吸い上げられるかのように、すぅーっと中空めがけて跳び上がります。5メートル05の世界新記録は滞空時間がとても長く感じられました。
  
  この他は、まあまったくと言ってよいほど見ておりません。
  
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  さて、いよいよ明日は処暑という日のこと、夏休みも残りわずか、暑さも日に日に減じてきます。老人は、何を勘違いしたものか、ついこの夏の思い出に何かしなくては、とか何とか、女学生のようなことを考えまして、一日比叡山に遊ぶことにしました。
  
  清々しい朝の空気を吸いながら、ややすいた道路を大型トラックにまじってひた走り、比叡山横川(よかわ)に到着したのが八時半、受付はまだ開いておりません。中堂(本堂)の縁の下に住む白犬が出迎えてくれました。
  この横川という所は、『往生要集』を著した恵心僧都(えしんそうず、僧都は位の名)が住まわれていたことで有名です。当然中堂の扉も開いておりませんので、先に恵心堂、元三大師堂(がんさんだいしどう)などを拝観し、鐘楼の鐘を撞いて、中堂の扉が開いた頃、またもどってきました。
  
  あちこち散策して辺りの雰囲気を十分つかみ、ふたたび車に乗って次は西塔(さいとう)に向います。西塔は比叡山で最も古い建物があるところです。駐車場から北に路をとると、やがて路を挟んで東西に並ぶ二棟を渡り廊下で結んだ俗にいう弁慶の担い堂が見えてきます。西の棟が常行三昧堂(じょうぎょうさんまいどう)、念仏行道の道場です。東は法華堂(ほっけどう)、法華懺法(ほっけせんぽう、法華経にしたがう懺悔)の道場です。両堂からは念仏か読経の声が聞こえてきます、また只今修行中の立て札がかかり、綱がはられて進入禁止を告げています。その先に在るのが比叡山最古の堂宇である釈迦堂、中は緑色の羅紗様のものが敷かれていて、早くも痛みはじめた足を休ませることができました。鐘楼で鐘を鳴らし、受付でもらったパンフレットで次の目当ての黒谷の別所、青龍寺を探します。
  
  この別所は、法然上人が修行した所として今は浄土宗の管轄に入っています。その故にかあらぬか、行き方がどうもはっきりとは書かれていません。確か昔来た時には瑠璃堂(るりどう、信長の焼き討ちを免れた唯一の堂宇)の下を通って行った記憶があります。とにかく行ってみようかと、かなり長い山道を歩いて瑠璃堂まで行きましたが、着いてみれば何としたことか、路はそこで行き止まり、やむを得ず引き返しました。改めて受付で聞いてみると横川と西塔の中間辺りにある、峰道レストランの辺りに入り口を示す石碑が在るとのことです。
  昔そこに住する尼さんに『本堂の扉は閉めておいてくださいね。お猿がやってきて、中のお供えを持って行ってしまいますから。』、『お猿はね、お礼を置いてゆくのですよ。お供えのお米がなくなり、代りに木の実が置いてありました。』というような随分面白い話を聞いたことがあります。今はどうしていられるのだろうかと、ふと気になって、ここまで来たのですが、はてどうしたものか?折角だからやはり寄ってゆこう。
  
  峰道レストランは随分高いところに在りますので、そこからの歩きはもっぱら下るばかり、往きに下れば還りは上る、これが道理ですので、路々心は穏やでありません。ああ、もうこんなに下ってしまった、また下ってしまったと、還りの苦労が思いやられるばかりです。それにしても山道の1キロは遠いの遠くないの!へとへとになり、途中何度も、もう帰ろうと思いながら、やはり折角ここまで来たのだから、この角を曲がったすぐの所かも知れないからと思い直し、痛む足を引きずって、ようやく門の見える所にたどり着きました。長く滑りやすい石段を用心しながら一段一段下ります。銅板葺きの立派な本堂の前で、見知らぬ二人の尼さんが話し込んでいました。やはり代替わりしていたのですね。声をかけて本堂に上がり込み、畳の上に腰を下ろして痛む脚に何枚もサロンパスを貼りました。ふくらはぎがツルと後の運転ができませんので、サロンパスは必需品です。
  
  思ったとおり、帰路はまったくひどいものでした。石段を五段上っては一休み、また五段上っては一休み、登りの山道は一歩が靴のはばほどしか足が前にでません。
  『かの崔嵬(さいかい)にのぼれば、わが馬虺隤(かいたい)』ずーっと昔習った詩経の一句が心に浮かびます。
  
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  そんな訳で、皆様には詩経の中でも、わたくしの常に愛してやまない『巻耳(けんじ)』という詩をお読みいただきましょう。
  
  『詩経』は一般に、孔子が子夏(しか)に伝え、子夏より広く天下に行われたと信じられ、孔子の学問の中核をなすものです。以下の注は主に「国訳漢文大成」によります。
:巻耳(けんじ):湿草に属し食用に供す。俗に「鼠の耳」という。
:頃筐(けいきょう):竹籠。
:嗟(ああ):歎息のことば。
:寘(お)く:捨てて顧みぬ。
:周行(しゅうこう):大道。
  
:崔嵬(さいかい):岩山。
:虺隤(かいたい):(馬が)病み疲れて先に進めない。
:姑(しばらく):暫時。
:金罍(きんらい):酒器。雲雷の文様を金にて象眼せしもの。
  
:玄黄(げんこう):玄(くろ)い馬が病み疲れて黄色に変色す。
:兕觥(じこう):酒器。野牛の角にて製する。
  
:砠(そ):石多く土少ない山。
:瘏(や)む:病み疲れる。
:痡(や)む:病み疲れて行くことができない。
:吁(ああ):歎息のことば。
  
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  采采卷耳 不盈頃筐 嗟我懷人 寘彼周行
  巻耳を採り採るも、頃筐に盈てず、
  嗟、われ人を懐うて、かの周行に寘く。
(句釈)周の始祖文王は孔子の聖王と崇めるところ。今文王遠く旅立ちて在(いま)さず。后妃は巻耳を採取するも王在さざれば、独り煮て食うもツマラナク思い、ついにこれを大道の傍らに捨て去り、顧みようとしない。
  
  陟彼崔嵬 我馬虺隤 我姑酌彼金罍 維以不永懷
  かの崔嵬に陟れば、わが馬虺隤、
  われしばらくかの金罍を酌み、これ以って永く懐わざらん。
(句釈)車を馬につけ、王を慕いて後に従わんと欲す。岩山の頂に登るにあたり、馬疲れて進むことあたわず。ここに於いて且く金罍の酒を酌み、懐いを息(やす)めんとす。
  
  陟彼高岡 我馬玄黄 我姑酌彼兕觥 維以不永傷
  かの高岡に陟れば、わが馬玄黄、
  われしばらくかの兕觥を酌み、これ以って永く傷まざらん。
(句釈)文王の後を慕いて小高き岡に登りたれば、黒馬は疾み疲れて黄色に変じた。ここに於いて且く兕觥の酒を酌み、憂いを息めんとす。
  
  陟彼砠矣 我馬瘏矣 我僕痡矣 云何吁矣
  かの砠に陟れば、わが馬瘏みぬ、
  わが僕痡みぬ、いかんせん吁。
(句釈)石の多い小山に登れば、馬は疲れて進まず、僕も疾み疲れてしまった。これをいかにせんや、ああ。
  
  この巻耳の章、朱子曰く、これまた后妃自ら作る詩、その貞静専一の至りを見るべしと。
  
  
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  話を本に戻しまして、ほうほうの体でやっと××レストランにたどり着いたのは、昼の時分時をいくぶん過ぎたころのことです。どこかちゃんとしたところで食べたいと思っておりましたが、一刻も早く休みたいの一心でありましたので、もうこの際だ何でもいいや!と、このレストランのメニューの中から、いくらなんでもこれなら間違いはなかろうというところで、『ニシンそば』を注文いたしました。
  
  しかしネェー、いったいこんなことがあり得るのだろうか!まずいのです、‥‥。とてつもなくまずいのです、‥‥。生臭いのです、ニシンが!まるでアジの干物をソバの上にのせたように、‥‥。まあ、わたくしは臭いの強い皮の部分をこそげ取って食べましたが、だって勿体ないでしょう?家内はほとんど食いません、‥‥。腐っていたらどうするのよ!なにぃ~腐っていた?なぜそうならそうと言わないのだ?食ってしまったではないか!いや確かに腐っていたとまで言える自信はないし、ただ生臭いだけかも知れないでしょう?いやはや、‥‥。
  
  いったいサルモネラ菌がいたらどうしてくれるんだ!
  
  途中、腹でも痛くなっては大変です。予定していた東塔はキャンセルして、まっすぐ家に還ることにしました。それにしても、帰りの安曇川(あどがわ)の道の駅で食べた、二個百円のあんパンのうまかったこと。一個あたり五十円ですよ!やや乾燥したような舌触りですが、昔のパンはこんなものでした。モッチリだのシットリだの化学薬品で人工的に作られた舌触りではありません。ほんとにぃ~、やればできるではないか!いらないことをしなければ、こんなにおいしくて、こんなに安いのにィ~
  
  この後、無事に家まで帰りついたのは言うまでもありません。
  はい、おつかれさま、‥‥
  
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  では、またお会いしましょう。来月までご機嫌よう。



  (比叡山 おわり)