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シャルトルーズ
  
 
  たいへんお暑うございます、皆様にはご機嫌いかがでしょうか?
  
  この地方は、そこに住んでおります者にとって、つい気の付かない事でございましたが、新聞によれば、なんでも全国で一位と二位の記録を打ち立てたというほどに暑い所だそうで、なるほどそう言われてみれば確かに、室内で冷房に当っておりましても、何か冷や汗のようなものが、ひんやりとした肌の上ににじみ出し、いっそのこと冷房を切ってしまおうかとも思うのでございますが、切れば切ったでじきに暑くなるのは目に見えております。はてさて困ったことになったものです、‥‥。
  
  というわけで、室を出て裸になりますと、風呂場の水道にホースをつなぎ、頭からジャージャーと水をかぶるというような事をこの所の日課としておりますが、しかしそれで暑さが遠のくかというとそれほどの事もございませんので、ここはひとつ何としても冷房に代る暑気払いを考えなければなりません。
  気軽にサッサッと高原の別荘にでも出かけられればよいのですが、不幸なことにそういう巡り合わせは当分廻ってきそうにもありませんので、ここはしかたなく高望みはあきらめて、庭のゴサゴサした雑木やら雑草やらに水を打ち、少しでも冷気を呼びこむことにいたしましょう。
  蚊取り線香をたいて、露台のちょうど蔭になった部分に夏用の座布団を敷き、そこに正座して本を読む。どうやらこれで一段落、何とか暑さがしのげそうです。
  
  もちろんパンツ一枚で、まあこれでもよいか!ネコもいるしね、‥‥。
  

道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。


  ‥‥うッ、何じゃこれは!どう読むんじゃ?老人は仏教経典ならばかなり読めますが、その他のものはからっきし読めません。分らない字は『徼(きょう)』という一字のみなのですがねェー、‥‥。
  
  ご存知の方もいらっしゃると思いますが、これは『老子(道徳経)』の冒頭の一節です。初めてこれを見た老人は、まさかこれほどとは思っていませんでした。やはり若いうちから勉強しなくては駄目ですな、‥‥。常識がついて行けません。
  
  『道は道たるべし、常に道たるに非ず。名は名たるべし、常に名たるべからず。』
‥‥???
  『道(い、言)うは道うべし、常に道うに非ず。名づくるは名づくべし、常に‥‥』
‥‥???
  
  深く考える習慣の無い者にとって、どうやら『老子』は鬼門であったようです。しかし、ここでもう一ふんばりしなくては力がつきません、‥‥。
  
  残念なことに、老人にはこのあと一ふんばりの根気が無いようです。たかだか十分ほど考えただけなのに、もうページをめくっております。なになに、‥‥。ちょっと訳者の読み下した所をのぞいてみましょう、‥‥。
  

道の道とすべきは常の道に非ず、
名の名とすべきは常の名に非ず。
無は天地の始めと名づけ、
有は天地の母と名づく。
故に、
  常に無はその妙を観んと欲し、
  常に有はその徼(きょう、辺境)を観んと欲す。
この両者は同じく出でて名を異にす。
同じくこれを玄と謂う。
玄のまた玄は衆妙の門なり。


  なるほど!読めましたな、‥‥。
  しかしメンタルテストですかな、これは‥‥。
    道と名とは有って無い?
    無と有とが有るのか無いのか?
    始めは有るが終りは無い。
    母は有るが父は無い。
    妙と徼との関係は?
    玄?
    玄のまた玄?
    衆妙?
  
  残念ながら、またしても早々と訳者の解説に頼ります。
  が、それでもやはり分りません。
  
  もういいや、次ぎいこ!次ぎ!
  
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
 
  これは何とかなりそうです、‥‥。
  
  うん!これは、‥‥。
    『天下は、
       皆知る、美の美たるを。これ悪なるのみ。
       皆知る、善の善たるを。これ不善なるのみ。
     故に、
       有無は相い生じ、
       難易は相い成り、
       長短は相い形(あらわ)れ、
       高下は相い傾き、
       音声は相い和し、
       前後は相い従う。
     ここを以って聖人は、
       無為の事に処(お、居)りて、
       不言の教えを行う。
     万物は、
       ここに作(な)して辞せず、
       生じて有せず、
       為して恃(たの)まず、
       功成りて居らず、
     夫(それ)、
       ただ居らざるのみ、
     是(これ)、
       以って去らざるなり。』
  
  まあ、読むだけは読みましたが、‥‥。問題はその後です、‥‥。
  やはり、さっぱり分りません。謂うことは何となく分りますがね、‥‥。
  どうも、自分の中で具体化しないのです、‥‥。
  
  またしても、頭の中は、『???‥‥』というところですか。
  
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  ‥‥、‥‥、‥‥。
  老人は、一時間ほど、このようにして『老子』に挑戦しておりましたが、あえなくも敗れ去ってしまいました。
  ‥‥、さて次は何をしようか、‥‥。そうだ、坐禅をしよう!

  老人は、その昔、かの永平寺に参禅したことがあるのです。もっとも、たったの一週間のみでしたが、‥‥。
  
  夏座布団を二つに折り敷いて、複雑な方法で足を組みます。
  まず、二つに折った座布団に尻を半分載せて、ぐいっとそらせ、次は右足の先を左股の付け根に載せ、左足の先を右股の付け根に載せます。後端を接したかかとの上に左手をコの字にして載せ、その中に右手をコの字にして入れます。両手の親指の先を合せたら、目はゆるく開き、目前の一点を見つめます。耳も聞こえてくる一つの音に集中します。
  
  どうもいいかげんですが、永平寺でわれわれを指導してくれた師家は、何かそんな事を言いながら教策を奉げ持ってぐるぐる歩いていたような気がします。まあ間違っていてもかまいません。何しろ暑さ避けの工夫ですから。
  
  初めは、もうれつに足が痛みますが、徐々に身体全体から力が抜け、足の痛みも引いてゆきます。わたしは一メートル先の山椒の小枝を見つめ、セミの鳴き声に耳を澄ませました。やがて山椒の小枝とセミの声が身体中を満たし、わたくし自身は脱落してゆきます。
  
  善い指導者に恵まれれば、もっと楽しい事が起るはずですが、わたくしの場合はこれで十分、‥‥小一時間無心にしていることで、気分は爽快になりました。
  
  いつの間にか汗をかいたようです。パンツも座布団もぐっしょ濡れ、今まで膝を置いていた露台の床板は水をこぼしたようになっています。
  
  風呂場でザーザー水を浴びて汗を流しました。
  タオルがよく乾くのでよいのですが、夏場は日に何度水を浴びるのやら。
  
  
  
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  わたしの狭い庭には、ただ一本白木蓮の木があり、それが蔭を作ってこのように毎年、夏の暑さを救ってくれます。これが無ければ、本当にどうすればよいか、‥‥。
  どうか庭の木々を大切になさってください。一本の樹の作る木陰、暑い日本においては、何物にも代え難いのですから。
  
  やがて夜になりますと、待ちにまったアルコールの時間。
  皆様は何をお飲みになりますか?
  
  わたしは、シャルトルーズの浅緑、フランスの甘いお酒です。夕暮れに飲めば気分は最高!贅沢だなー!冷蔵庫で冷やした小さなグラスにほんの少し注ぎ、一滴づつ味わいます。舌にずしりと来る重みと強い芳香、ゆっくり咽を下る快感!ごく普通のビスケットなどがよく合います。また甘いものには塩辛いもの、塩味のクラッカーと塩辛いロックフォールチーズもよく合います。
  薄めたりカクテルにしたりは、お勧めできかねます。そんな残酷な!せっかくのアルコール度数55度は何のためですか?だいたい芳香のあるものを薄めたり混ぜたりするような人の気がしれませんね!うー、極楽だー!
  
三十輻共一轂。當其無、有車之用。摶埴以爲器。當其無、有器之用。鑿戸窓以爲室。當其無、有室之用。故有之以爲利、無之以爲用。
:摶と窓とは本来別の字でしたが、意味の似た字で代用しました。
  
『三十の輻(ふく、車輪の矢)、一轂(こく、車輪の中心)を共にす。
    その無に当りて車の用あり。
 埴(つち)を摶(こ)ね、以って器と為す。
    その無に当りて器の用あり。
 戸窓を鑿(うが)ち、以って室と為す。
    その無に当りて室の用あり。
 故に、
    有の、以って利と為すは、
    無の、以って用を為せばなり。』
  :輻(ふく):車輪の矢、スポーク。
  :轂(こく):車輪の中心部、こしき、ハブ。
  :用(よう):作用、はたらき。
  


  
  シャルトルーズは不思議と頭にこないので、本を読むことができます。それで老人は再度の挑戦を試みました。
  
――ふぅーむ、なるほど!
   『車輪の中心に、車軸を通す穴が無ければ用を足せない。
    器を作っても、へこんでいるから用を為す。
    戸や窓を開けて室を作る、これも空間が有って初めて用を為す。』
――ふぅーむ、なるほど!
   『物が有れば、それを利用できるが、
    それも、
       物が無いという働きがあってこそだ。』
――うまいことを言うなあ!
   『何の価値の無いものも、
    何の価値も無いからこそ、価値が有る。
    居ても居なくても良いような人であっても、
    居ても居なくても良いような人であるからこそ、働きが有る。
    ‥‥、‥‥。』
  
  やがて、
    老人の手から本がぱたりと落ちましたが、‥‥
    老人は眠りこけて気づきません。‥‥
  
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  国語学者の大野晋(おおのすすむ)氏の訃報に接しました。残念な事です。
  氏は著書の『日本語の教室(岩波新書)』の中で、日本語教育の不備、漢字制限の愚策、自国文化理解の軽視について厳しく抗議され、これ等の事実は、当然、国民の論理的な思考力の低下、事物の理解力の不足に帰結すると、強く警鐘を鳴らされています。
  氏の仰るとおり、日に日に変化してゆく日本。
  わたくしも、日頃同じように観察し、同じように痛感しております。
  そのような訳で、この訃報については非常に残念でなりません。
  氏のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
  
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  では、来月またお会いしましょう。それまでご機嫌よう。



  (シャルトルーズ おわり)