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雨もまた奇なり
  
  
  
  ここしばらく石油製品の高騰、岩手県の地震、秋葉原の無差別殺人、食物の偽装事件等々、大事件大災害が毎日のように新聞紙上をにぎわしております。これ等について、普段から自己顕示欲の人一倍強い人間としては、ぜひとも何か一言意見を差し述べたいところではございますが、まあひるがえって考えてみれば、誰しもそれぞれに意見などは有るものでございますので、まあせいぜい鬱陶しがられるのが落ちであろうとこう考えまして、今回もそういう趣きは差し控えさせていただいております。
  
  そんなところで初めたいと思いますが、当地方ではしばらく以前から梅雨に入っておりますので、あるいはそのせいでしょうか、何かもう一つ何事にも気が入らず、うつうつとして暮しております。いっこう気の晴れるような事件にもでくわさないまま、またあの”せんとくん”に還らなくてはならないのかなあと、内心困惑しておりましたところ、まことに相い済まないことでございますが、やはりあの”せんとくん”に還ってしまいました。まあ”せんとくん”以外におもしろい話がないというこの国の現状の方が悪いと思いますがね、‥‥。
  
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  と、いうわけで、”せんとくん”の新しい助っ人、”まんとくん”をご紹介しましょう。
颯爽と白いマントをはおって登場した”まんとくん”、民間の団体『クリエイターズ会議・大和』が公募した作品の中から投票で択んだということで、名前には万人に愛されるように祈って『万人(まんと)』、あるいは都全体を表す『満都(まんと)』の意味が込められているということです。
  
  
  なるほど、これはハンサムボーイ!颯爽ということばがよく似合います。
  たしかに、鹿の目はこのように真っ黒です。かわいい顔をしてますね。ただ手足の細いのが気になりますが、もともと鹿の手足は細いので、これはこれでいいのかも、仏の三十二相の中にも、股の肉が鹿のように細長くて円いというのがありますしね。
  なお、頭にかぶっているのは朱雀門を模した帽子ということです。堂々としていますな。
  
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  次は”なーむくん”をご紹介しましょう。これはどうも「颯爽と」とはいきません!まあ言ってみれば「ででーん」と登場というところでしょうか。『南都二六会』が”せんとくん”に対抗して出してきた切り札ということです。
  
  
  ふーむ!これは‥‥、なかなか‥‥! さすが対抗らしく迫力がありますな。
『南都二六会』は寺院の親睦団体ということで、あの聖徳太子にご登場願ったということですが、‥‥なんとね、‥‥。眉と目が十七条の憲法にならって十七を表しているということですが、‥‥なるほど。
  確か、聖徳太子には南無仏太子像という形式があり、その多くは肉付きのよい幼児の像ですが、それに似ていなくもないというところですか。
  
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  ということで、ここはやはり真打ちの登場といきましょうか。
  
  
  おや、これはかなり余裕がありそうですな。寝そべって高みの見物なんどを決め込んだりして!そんなことしてて大丈夫ですか?
  やはり先の者の強みですかね、‥‥。
  、‥‥‥‥‥‥。
  と、こんなわけで、この先さらにどうなるのやら。心配で心配で、‥‥。
  まあ、しばらくは、こちらも高みの見物といきましょうかね。
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  何でも梅雨には、カラッと晴れてドシャッと降る男性型と、いつもしとしとじめじめ、曇りと小雨とが入り交じる女性型とがあるそうですが、今年はどうやら男性型のようで、カラッと晴れた日が多いように思われます。
  
  そんな梅雨の晴れ間には、ふさわしい一冊を持って涼しいところで読むことにしましょう。そう蘇東坡が梅雨の晴れ間にはぴったり合いそうですね。
  
  蘇東坡(そとうば)、実名は蘇軾(そしょく)、東坡居士(とうばこじ)は号です。北宋時代に詩人にして名文家、更に政治家として活躍しました。
  父は蘇洵(そじゅん)、弟を蘇轍(そてつ)といいます。 この三人を並び称して三蘇といいますが、共に唐宋八大家の中に数えられています。
  名門というよりは頭のよい家系の出で、中でも飛び抜けて頭のよい天才詩人が、この蘇東坡なのです。詩の傾向は簡単にして明瞭、直接にして微妙、卑しいところが少しもなく、一たび知れば誰でも好きにならずにいられない、まさに快活明朗な詩人の性格が、そのままに正直に現れています。
  
  先ず初に梅雨にちなんだ詩を読んでみましょう。
  
【説明】●飲湖上初晴後雨:飲湖上は西湖に舟を浮かべて酒を飲む:詩の題。●水光瀲艶:瀲(れん)はさざ波が広がるさま、艶(えん、都合によりさんずいを省く)は水が豊かなさま:光は水面に反射して波を現す。●晴方好:方はぴったり適合するさま:晴こそがまさにぴったりの好もしい景色に見える。●山色空濛:濛(もう)はもや、こぬか雨、空濛(くうもう)は空にもやがたちこめる:山はぼうとかすんで文目もわからない。●雨亦奇:亦はこれもまた、奇は奇抜、普通でないこと:雨はこれまた変っている。●若把西湖比西子:若はもしと読んで仮定を示す。西湖は浙江省杭州市にある湖、周囲15キロ、周囲を山に囲まれ風光明媚、蘇軾は杭州の副知事となり赴任した。西子は春秋時代の有名な美女、越王勾践により、呉王夫差に与えられて呉国滅亡の因となり、後西湖に身を投じたと言われている:もし西湖と西子とを比べてみれば。●淡粧濃抹:淡く装うと濃く塗る。抹は塗る:薄化粧も厚化粧も。●総相宜:総はすべて、相はともに、宜はよろしと読み、結構であるの意、当然の意を含む。
  
【大意】水がキラキラ光って素晴らしい眺めだなあ、これも晴れていればこそか。しかし向うの山がぼんやりとかすんで見える雨の景色も変っているぞ。西湖と西子、どちらがより美しいか。薄化粧もよければ厚化粧もよい、道理だなあ。
注:詩の味わいは原文にあります。本文を何度も声に出して読んでください。大意からは伝わってこないものが、何かしら伝わってくるはずです。大意はただ知るに止め、味わいは本文によって得る。さあ神韻の縹渺たるをお味わいください。
  
【解説】蘇軾三十七歳、北宋の都(今の河南省開封)で時の権力者に対立し、自ら地方への任官を願い出ます。そして与えられた地位が杭州の通判(副知事)でした。杭州の美しい風物にであい、詩人の才能はますます開花するのですが、以後数年ごとに地方を転々としてその足跡は中国全土にわたります。時には朝政誹謗の罪を受けて獄に投ぜられ、あるいは僻地に流謫され、五十歳の時、ようやく都に召還されて翰林学士などに就任します。しかし、また罪に堕とされて転々とし、最後は流謫地の海南島にまで赴き、許されて都に帰る途中、常州(江蘇省)に於いて永眠しました、六十六歳。この詩は親しい友人と湖上に舟を浮かべて酒を飲んだとき即興で作られたものでしょう。まさに詩人の上機嫌がそのまま現れた名詩です。
  
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  次は皆様よくご存知の詩、春の宵は値千金、まさに詩人でなくても歌いたくなる一瞬です。
  
  
【説明】●春宵一刻:宵は夜または夜になって間がないころ、一刻は水時計の一目盛り、今の三十分:春の宵の三十分。●値千金:千金は大富豪の持つ財産に等しい大金。●花有清香:花が清々しく香る。●月有陰:月陰は月影、月の光。●歌管楼台:歌管は歌と管弦。楼台は楼は高殿、台は見晴台。歌と管弦の聞こえてくる高殿。●声細細:声が低く聞こえてくる。●鞦韆院落:鞦韆はブランコ、淑女が乗り紳士が見物する。院落は中庭。●夜沈沈:沈沈は静まりかえる。夜が深まる。
  
【大意】春の宵、この一刻は千金に値する。花は清々しく香り出し、月の光が冴えわたる。歌や管弦でにぎわっていた高殿も今は静かにささやき声が聞こえるのみ。ブランコが中庭に垂れ下がり、夜が静かにふけようとしている。
  
【解説】NHKライブラリーの『漢詩を読む蘇東坡一〇〇選 石川忠久』によれば、「蘇東坡が若いころ宮中で宿直をしていた折りの作であろう」としていますが、これはさすがと思いました。そうでなくては情景が浮かんできません。虚飾に満ちた華やかさ、退屈極まりない官僚の事務。宮廷生活は決して蘇軾の意に適うものではありません。静まりかえった中庭に独りたたずみ、夜のしじまに香りだすジャスミンの香りを嗅いで月の光を愛でる。昼間の疲れは、はたしてこれで癒されたのだろうか。情景の鮮やかな名詩です。
  
  
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  蘇軾は二一歳の時、父蘇洵、弟蘇轍と共に故郷の眉州(今の四川省眉山県)を出て都開封に赴き、科挙の試験を受けました。
  科挙の試験は、三年ごとの秋に行う解試(第一次試験)、翌年の春に行う省試、皇帝自らが策問する殿試の三段階があり、蘇軾は弟の蘇轍と共に翌年の三月に進士に及第します。しかし喜びもつかの間、翌月母の程氏が亡くなったため、三人は三年の喪に服すために共に眉州に還らなくてはなりませんでした。この詩は母の喪が明けて都に向かう時、舟の中で作られたものです。
  
  
【説明】●初発嘉州:題:初は一日の初め、早朝。発は行く。嘉州は今の四川省楽県:早朝に嘉州を船出する。●朝発鼓填填:鼓は太鼓。填填は門構えの字がJISに無いため代用、太鼓の音:早朝出発の合図の太鼓がデンデンと鳴った。●西風猟画旃:猟は揺れ動かす。画旃は絵のかかれた旗:西風が絵のかかれた旗を揺れ動かす。●故郷飄已遠:飄はつむじ風、飄然は速やかなさま:故郷は風のように遠く飛び去る。●往意浩無辺:往意は先に向っての希望。浩は水の広々したさま。無辺は果てしないこと:将来を志せば前途は洋々として果てしない。●錦水細不見:錦水は故郷を流れる川の名:故郷の川は遠く細くなって見えなくなった。●蛮江清可憐:蛮江は楽山辺りを流れる川、錦水に合流する。可憐は愛すべし:蛮江は清く澄んで愛することができる。●奔騰過仏脚:奔騰は走り抜け跳び上がる。仏脚は楽山の大仏:舟は急流にはね回りながら、またたく間に大仏の脚を過ぎた。●曠蕩造平川:曠蕩は広く平らか。造は到る。平川は平らな川:舟はいつしか広々とした平らな川に入った。●野市有禅客:野市は田舎町。禅客は旅の禅僧、蘇軾自身の注によれば、故郷の禅僧宗一とこの町で会うことを約束した。:田舎町には故郷で別れた禅僧がいる。●釣台尋暮煙:釣台は魚釣り場。尋はたずね求める。暮煙は夕暮れ時の炊事の煙:夕暮れころに魚釣り場で探し求める。●相期定先到:相期はわたしはかれと約束した、互いに約束したと解釈するのは間違い、自分から約束したのに遅れそうだと読み取るべきところ。定は必ず:必ず先に着いているからと約束した。●久立水潺潺:久立は長いこと立つ。潺潺はさらさら流れる水の音:水がさらさら流れているところで長いこと立っている。
  
【大意】早朝舟は出発した。太鼓がでんでん鳴ると、西風が絵のかかれた旗を揺れ動かした。故郷はつむじ風のように遠くに去ってしまい、希望は果てしなく広がる。故郷の錦水は細くなって見えなくなったが、この蛮江も水が清らかで好もしい。やがて舟が急流にはね回り、大仏の脚のところを矢のように過ぎると、広々とした平らな川に入った。この辺りの田舎町で故郷の禅僧に会うことになっている、約束の場所釣魚台には夕暮れの煙が立つころ行けそうだ。必ず先に行っていますと約束したのに、もうだいぶ長い間、水のせせらぎを聞きながら立っていられるのだろうか。
  
【解説】蘇軾十歳の時、父は官吏生活の見習いとして江南に旅立ったので、以後の数年蘇軾は母から学問を授けられることになりました。母は熱心な仏教信者であり、蘇軾も少なからずその影響を受けています。禅僧と会う約束を交したのもその故です。この詩では蘇軾は、ひとえに前途を思い心を踊らせていますが、故郷は何ら心を傷めることなく遠くへ去り、故郷で親しんだ禅僧も遠く過去の人になりつつあります。若さが素直に表れた名詩です。ここで夕暮れに会おうと約束したと解釈するのは間違い、昔のことです、交通は確かではありませんので時刻までは指定できません。朝から待っているかも知れないのに、もう夕暮れになってしまった、やや焦る気持ちを暮煙と次の句に読み取ってください。
  
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  蘇軾は五十九歳の時、朝廷誹謗の罪により恵州(広東省香港近傍)に流されます。流謫の身では贅沢は許されません、自ら狭い土地を耕し、得た野菜を食って生活していたようです。この詩には自ら序文を付しています、先にそれを見てみましょう。
  
  わたしは王参軍から土地を借りて野菜を種えた。半畝(はんぽ、日本の百坪)にも及ばない土地ながら、わたしと過子(かし、子供の名)とが一年中飽きるほど食うにたる。夜中に飲んで酔ったときなど、酔いをさますために、この野菜を摘んで煮て食う。味わいは土の養分を含み、風と露の気がたっぷり入っているので、梁(りょう、都開封の別名)の肉でさえ及ぶものではない。人生に最高の物を得て、更に何を貪ることがあろうか。そこでこの四句を作った。
  
  
【説明】●秋来霜露満東園:秋が来て霜と露が東の畑に満ちた。●蘆服生児芥有孫:蘆服(ろふく、服は都合によりくさかんむりを省く)は大根。芥はからし菜:大根には子が生まれからし菜には孫ができた。●我与何曾同一飽:何曾は西晋の人、贅沢な美食家として知られる。飽は満足する:わたしも何曾も同じように満足した。●不知何苦食鶏豚:不知はわけがわけらない。苦は勤める:何をわざわざ鶏や豚を食わなくてはならないのか分らない。
  
【大意】秋が来て東の畑に霜と露とが満ちた。大根は子を生じ、からし菜には孫ができた。わたしは何曾と同じくらい満足している。何をわざわざ鶏や豚を食わなくてはならないのか訳が分らない。
  
【解説】蘇軾六十歳の作です。霜と露、大根とからし菜、詩には水が満ち溢れ、それは詩情にみずみずしさを添えます。後半のあるいは負け惜しみかとも取られかねないところも、老年よりは青年の純情を感じさせ、優れた名詩です。仏教を深く信仰した蘇軾にとって、鶏や豚を食わないのはかえって心の慰めになったのかも知れません。
  
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  蘇東坡の詩を四編、十分お楽しみいただいたことと思います。
  今お読みいただいたとおり、蘇東坡の詩は、実に明朗で人柄がそのまま出ています。蘇東坡の人生は傍から見れば決して満足なものではありません。いや常にその人柄をねたむ者によって讒言され誹謗され続けたと言った方がよいでしょう。僻地からまた更なる僻地にと流され続けるような生活もそのためです。しかしそんな境遇の中で、蘇東坡は人生に疲れたように見えるでしょうか?彼の詩からは全然そうは感じられません。
  蘇東坡の詩を味わうとは、蘇東坡の生き方を味わうこと。蘇東坡の詩集は日本でも多く発行されています。ぜひお読みください、必ず多くのものが得られましょう。
  
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梅雨の晴れ間にはソウメンをどうぞ!
  
ソウメンのおいしい食べ方
  誠に幸いにもと言ってよいでしょう。当地方はさる大河の伏流水を使用している関係でほんとうにおいしい水道水を飲むことができます。かつて井戸水を飲んでいた者が言うのですから間違いはありません。そしてこの梅雨の晴れ間にこそ、その有難さがひしひしと感じられるのです。
  
  そうです、梅雨の晴れ間にはソウメンを食べます。ソウメンを食うとはとりもなおさず、水を食うということ。かしかしとかいたカツオ節とコンブでだしを取り、醤油とみりんでやや薄めに味をつけます。薬味はおろし生姜、青じそ、ゴマ。
  しばらく流して冷たくなった水道水で、ゆでたてのソウメンをよく洗い、鉢の中のたっぷりの水に浮かべます。色どりに青じそを散らせば食欲もいっそう増しましょう。氷は入れないでください。冷たすぎては味わいに劣ります。
  
  ソウメンを箸で少しとり、つゆに半分ほど浸けて食べますが、このときソウメンの水を切りすぎないようにしましょう。水そのものを味わうのが、ソウメンのおいしい食べ方の秘訣なのですから。

  
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  それでは、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。



  (雨もまた奇なり おわり)