仏言。仏子若自殺教人殺方便殺讃歎殺見作随喜。乃至呪殺殺因殺縁殺法殺業。乃至一切有命者不得故殺。是菩薩応起常住慈悲心孝順心方便救護一切衆生。而自恣心快意殺生者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
仏の言(のたま)わく、仏子、もし自ら殺し、人に教えて殺さしめ、方便して殺し、讃歎して殺し、作(な)すを見て随喜せば、乃(すなわ)ち呪殺に至るまで殺の因、殺の縁、殺の法、殺の業あり。 乃ち一切の命有る者に至るまで故(ことさら)に殺すを得ず。 これ菩薩は応(まさ)に常住の慈悲心孝順心を起し、方便して一切の衆生を救護すべきを、而(しか)るに自ら心を恣(ほしいまま)にし、意を快(こころよ)くして殺生せば、これは菩薩の波羅夷罪(はらいざい)なり。
注:仏子(ぶっし):仏弟子、僧侶。
注:菩薩(ぼさつ):大乗を弘める者。
注:方便(ほうべん):手段や手だてを尽すこと。
注:讃歎(さんたん):誉め讃えること。
注:随喜(ずいき):他人の喜びを喜ぶこと。
注:呪殺(じゅさつ):まじないをかけて殺すこと。
注:殺因(さついん):殺生から生ずる因縁のうち主たるもの。
注:殺縁(さつえん):殺生から生ずる因縁のうち副たるもの。
注:殺法(さつほう):殺生により生ずる現世の事物。
注:殺業(さつごう):殺生により生ずる来世の業報。
注:孝順心(こうじゅんしん):教えの父である師に従順なこと。
注:衆生(しゅじょう):生き物、命のあるもの。
注:波羅夷罪(はらいざい):比丘比丘尼の資格を剥奪すること。
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(現代語訳)
仏はこう言われた、
――弟子たちよ。
もし、
自ら殺生し、
人に教え、そそのかして殺生させ、
種種の方法で殺生し、
殺生を逆に讃歎して殺生し、
人のする殺生を見て、いっしょに喜ぶならば、
たとえば、
呪(まじな)いによって殺生するようなことであっても、
そこには、
殺生により生じる因縁があり、
殺生により生じる現世の事物があり、
殺生により生じる来世の業報がある。
たとえ、
小さな虫であろうと、
命の有るものを、
故意に、
殺生してはならない。
その上、
菩薩というものは、
常に変らぬ、
慈悲心と、
孝順心とを懐き、
手だてをつくして、
一切の衆生を救い護らなくてはならない。
それなのに、
心の欲するままに殺生し、
殺生して快いと思うならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。
注:方便して殺し:鉄砲、弓矢、毒薬等をいう。
注:讃歎して殺し:例、害獣を殺すことは良いことだ。
注:故意に:うっかり、誤解、愚か、病気、夢(遊)中、以外。 |
漢文の読み方:
若(にゃく):
(1)なんじ、汝、お前、あなた。
(2)仮定、もし〜ならば。
(3)類似、〜のごとし、〜など。
(4)類別、もしくは。箇条書き。或と同じ。
仮定はこの他にも、
設(せつ)、使(し)等があり、「もし〜ならば(なれば)」と読む。
類似はこの他にも、
如(にょ)等があり、「〜のごとし」と読む。
自(じ):
(1)みずから(が、に、を)〜する。
(2)おのずから、自然に。
(3)起点:〜より。
教(きょう):教導使役。「誰々に教えて〜せしむ」と読む。
使役はこの他にも、
令(りょう):命令使役。「誰々をして〜せしむ」と読む。
使(し):使役。「誰々をして〜せしむ」と読む。
遣(けん):使役。「誰々をつかわして〜せしむ」と読む。
助(じょ):援助。「誰々を助けて〜せしむ」と読む。
乃至(ないし):
(1)AよりB、〜より、乃(すなわ)ち〜に至るまで、‥‥。
(2)極限、乃ち〜に至るまで、‥‥。 こんなものまで、‥‥。
乃(ない):
(1)なんじ。汝。
(2)すなわち。 順次。次第に。やがて
(一つ一つ積み上げた結果をいう。)
”すなわち”と読むのは他にも、
即(そく):すなわち。
(1)即時:即座に。すぐに。
(2)とりもなおさず。他ならぬ。
則(そく):すなわち。
(1)原因と当然の帰結。「〜なればすなわち〜」と読む。
(2)ようやく。乃。
便(べん):
(1)すなわち。するりと収まる。〜するとすぐ。
(2)仮定:たとい。もし。
輒(ちょう):すなわち。
(1)毎度:そのたびに。
(2)容易:たやすく。
(3)とりもなおさず。
者(しゃ):
(1)条件の集約:〜であるならば、‥‥。
(2)主語:〜は、‥‥。
(3)条件を挙げて人に集約する。 〜する人。
作(さく):
(1)〜をつくる。
(2)〜をなす。
得(とく):
(1)取得、〜を手に入れる。
(2)理解、〜が分かる。
(3)可能、〜ができる。
故(こ):
(1)故意、ことさらに〜する。
(2)条件の帰結、ゆえに〜である。
応(おう):当然。「まさに〜すべし」と読む。して当然の意。
まさにと読むのは他に、
当(とう):応と同じ。「まさに〜すべし」と読む。
将(しょう):緊迫、「まさに〜せんとす」と読む。
而(に):
(1)順接:しかも。その上の意。
(2)逆説:しかるに。それなのにの意。
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若仏子。自盗教人盗方便盗呪盗。盗因盗縁盗法盗業。乃至鬼神有主劫賊物。一切財物一針一草不得故盗。而菩薩応生仏性孝順慈悲心常助一切人生福生楽。而反更盗人財物者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら盗み、人に教えて盗ましめ、方便して盗み、呪して盗まば、盗の因、盗の縁、盗の法、盗の業あり。 乃ち鬼神、有主(うす)、劫賊(こうぞく)の物に至るまで、一切の財物、一針一草なりとも故に盗むを得ず。 しかも菩薩は応に仏性、孝順、慈悲の心を生じて、常に一切の人を助けて福を生じ楽を生ぜしむべきを、反って更に人の財物を盗まば、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:讃歎して盗む:例、盗賊の隠蔵する物を盗むことは良いことだ。
注:鬼神物:神々に供えられた供物。
注:有主物:不在の所有主の有る物。
注:劫賊物:盗賊の隠蔵物。
注:仏性:仏の性質。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら盗み、
人に教え、そそのかして盗ませ、
種種の方法で盗み、
盗みを逆に讃歎して盗み、
人のする盗みを見て、いっしょに喜ぶならば、
たとえば、
呪いによって盗むようなことであっても、
そこには、
盗みにより生じる因縁があり、
盗みにより生じる現世の事物があり、
盗みにより生じる来世の業報がある。
たとえ、
鬼神の物(きじん、神々に供えられた供物)、
有主の物(うす、所有者不明の物)、
劫賊の物(こうぞく、盗賊の隠蔵する物)であろうと、
一切の物は、
一針一草に至るまで、
故意に、
盗んではならない。
その上、
菩薩というものは、
仏性(ぶっしょう、仏の性質)と、
孝順心と、
慈悲心とを生じて、
常に、
一切の人を助けて、
福を生じさせ、
楽を生じさせなくてはならない。
それなのに、
逆に、人の物を盗むとは、
それは、
もう菩薩ではありえない。
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若仏子。自婬教人婬乃至一切女人不得故婬。婬因婬縁婬法婬業。乃至畜生女諸天鬼神女及非道行婬。而菩薩応生孝順心救度一切衆生浄法与人。而反更起一切人婬不択畜生。乃至母女姉妹六親行婬無慈悲者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら婬し、人に教えて婬せば、乃ち一切の女人に至るまで故に婬するを得ずして、婬の因、婬の縁、婬の法、婬の業あること、乃ち畜生女、諸天、鬼神女、および非道(ひどう)にて行うに及ぶに至るまでなり。 しかも菩薩は応に孝順心を生じて一切の衆生を救度(くど)して浄法(じょうほう)を人に与うべきを、反って更に一切の人に婬を起して畜生すら択ばず、乃ち母、女(むすめ)、姉妹、六親に至るまで婬を行じて無慈悲ならば、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:畜生女:動物、鳥類の牡牝、雄雌。
注:非道:常の道以外。肛門、口等。
注:浄法:欲を断つ方法。
注:救度(くど):救い導くこと。
注:六親:親戚。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら婬事をし、
人に教え、そそのかして婬事をさせたならば、
たとえば、
それがどのような女人であろうと、
故意に、
婬事を行ってはならない。
たとえ、
畜生の女、
諸の天、鬼神の女であろうと、
また、
非道(ひどう、常の道以外)であろうと、
そこには、
婬事により生じる因縁があり、
婬事により生じる現世の事物があり、
婬事により生じる来世の業報がある。
その上、
菩薩というものは、
孝順心を生じて、
一切の衆生を救い導き、
浄い生活の方法を
人に与えなくてはならない。
それなのに、
一切の人に欲情を起して、
畜生であろうとかまわずに婬事を行い、
母、娘、姉妹、親族にまで婬事を行うならば、
慈悲が無く、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
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先は長いですから、この辺りで一休みしてください。 |
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若仏子。自妄語教人妄語方便妄語。妄語因妄語縁妄語法妄語業。乃至不見言見見言不見身心妄語。而菩薩常生正語正見亦生一切衆生正語正見。而反更起一切衆生邪語邪見邪業者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら妄語(もうご)し、人に教えて妄語せしめ、方便して妄語せば、妄語の因、妄語の縁、妄語の法、妄語の業あること、乃ち見ざるを見ると言い、見るを見ざると言い、身心にて妄語するに至るまでなり。 しかも菩薩は常に正語正見を生じ、また一切の衆生をして正語正見を生ぜしむべきを、反って更に一切の衆生に邪語邪見邪業を起さしむ、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:妄語(もうご):嘘をついて人を欺すこと。
注:正語(しょうご):道理に適った正しい言葉。
注:正見(しょうけん):道理に適った正しい見解。
注:正業(しょうごう):道理に適った正しい行為。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら妄語(もうご、嘘をついて欺す)し、
人に教え、そそのかして妄語させ、
種種の嘘をついて妄語するならば、
たとえ、
見てもいないものを見たと言い、
見たものを見ないと言うようなことでも、
また、
身ぶりで妄語し、
心の中で妄語するようなことに至るまで、
そこには、
妄語により生じる因縁があり、
妄語により生じる現世の事物があり、
妄語により生じる来世の業報がある。
その上、
菩薩というものは、
常に、
正語(しょうご、道理に適った言葉)を話し、
正見(しょうけん、道理に適った見解)を生じて、
しかも、
一切の衆生にも、
正語を話させ、
正見を生じさせなければならない。
それなのに、
一切の衆生に、
邪語を話させ、
邪見を生じさせ、
邪業(じゃごう、邪(よこしま)な行為)を起させるならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
漢文の読み方:
亦(やく):「また」と読む。しかも。その上にの意。
起(き):
(1)起立:「たつ」と読む。起ち上がること。
(2)助け起す、「誰々をして〜を起さしむ」と読む。 |
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若仏子。自[酉*古]酒教人沽酒。[酉*古]酒因[酉*古]酒縁[酉*古]酒法[酉*古]酒業。一切酒不得[酉*古]是酒起罪因縁。而菩薩応生一切衆生明達之慧。而反更生一切衆生顛倒之心者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら酒を醸(かも)し、人に教えて酒を醸さしめば、酒を醸すの因、酒を醸すの縁、酒を醸すの法、酒を醸すの業あり。 一切の酒は醸すを得ず、この酒は罪の因縁を起せばなり。 しかも菩薩は応に一切の衆生に明達の慧を生ぜしむべきを、反って更に一切の衆生に顛倒(てんどう)の心を生ぜしむ、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:[酉*古](こ):一夜酒。 また一説には酒を売ること、また酒を買うこと。 恐らく一夜酒を造って売ることと思われる。 JISコードに無いため、より罪の重い醸で代用。
注:明達(みょうたつ):道理に通じること。
注:顛倒(てんどう):逆しまの見解を懐くこと。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら酒を醸(かも)し、
人に教え、そそのかして酒を醸させるならば、
そこには、
酒を醸すことより生じる因縁があり、
酒を醸すことより生じる現世の事物があり、
酒を醸すことより生じる来世の業報がある。
一切の酒は醸してはならない、
なぜならば、
酒は罪の因縁を起すからである。
その上、
菩薩というものは、
一切の衆生に、
道理に通じた智慧を起させなければならない。
それなのに、
一切の衆生に、
顛倒(てんどう、逆しま)の心を起させるならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
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若仏子。自説出家在家菩薩比丘比丘尼罪過教人説罪過。罪過因罪過縁罪過法罪過業。而菩薩聞外道悪人及二乗悪人説仏法中非法非律常生慈心教化是悪人輩令生大乗善信。而菩薩反更自説仏法中罪過者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら出家在家の菩薩、比丘、比丘尼の罪過を説き、人に教えて罪過を説かしめば、罪過の因、罪過の縁、罪過の法、罪過の業あり。 しかも菩薩は外道の悪人および二乗の悪人の仏法中の非法、非律を説くを聞くに、常に慈心を生じて、この悪人の輩を教化し、大乗の善信を生ぜしむべし。 しかるに菩薩反って更に自ら仏法中の罪過を説かば、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:出家在家の菩薩:菩薩は大乗の教えを弘める人。
注:比丘(びく)、比丘尼(びくに):出家の男と女。
注:罪過(ざいか):罪と過失。
注:外道(げどう):仏教以外の信奉者。
注:二乗(にじょう):小乗仏教の信奉者。
注:非法(ひほう):道理にもとる教え。
注:非律(ひりつ):道理にもとる戒律。
注:善信(ぜんしん):善く信じる心。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら出家在家の菩薩、比丘、比丘尼の
罪と過失を言いふらし、
人に教え、そそのかして言いふらせるならば、
そこには、
言いふらすことより生じる因縁があり、
言いふらすことより生じる現世の事物があり、
言いふらすことより生じる来世の業報がある。
その上、
菩薩というものは、
外道の悪人および
二乗の悪人が、
「仏法中には、
道理にもとる教えがあり、
道理にもとる戒律がある」と
言いふらすのを
聞いたならば、
常に、
慈悲心を生じて、
この悪人たちを、教化して、
善く、大乗を信じさせなければならない。
それなのに、
菩薩が、
仏法中の罪と過失を言いふらすならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
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若仏子。自讃毀他亦教人自讃毀他。毀他因毀他縁毀他法毀他業。而菩薩応代一切衆生受加毀辱悪事自向己好事与他人。若自揚己徳隠他人好事令他人受毀者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら讃じて他を毀(そし)り、また人に教えて自ら讃じて他を毀らしめば、他を毀る因、他を毀る縁、他を毀る法、他を毀る業あり。 しかも菩薩は応に一切の衆生に代りて毀辱(きにく)を加うるを受け、悪事は自ら己に向け、好事は他人に与うべし。 もし自ら己が徳を揚げて他人の好事を隠し、他人をして毀りを受けしめば、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:毀辱(きにく):悪口を言って辱める。
注:徳(とく):善行をする力。善い力。善行。
注:好事(こうじ):好ましい事。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら、
自分を誉め称えて他人を毀(そし)り、
人に教えそそのかして、
自分を誉め称えて他人を毀らせれば、
そこには、
他人を毀ることより生じる因縁があり、
他人を毀ることより生じる現世の事物があり、
他人を毀ることより生じる来世の業報がある。
その上、
菩薩というものは、
一切の衆生に代って、毀られ辱められ、
悪い事は自分に向けて、
好ましい事は他人に与えなくてはならない。
それなのに、
菩薩が、
自らの善行を称揚して、
他人の好もしい事をかげに隠し、
他人が毀られるようしむけたならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
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若仏子。自慳教人慳慳因慳縁慳法慳業。而菩薩見一切貧窮人来乞者随前人所須一切給与。而菩薩以悪心瞋心乃至不施一銭一針一草。有求法者不為説一句一偈微塵許法。而反更罵辱者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら慳(おし)み、人に教へて慳ましめば、慳むの因、慳むの縁、慳むの法、慳むの業あり。 しかも菩薩は一切の貧窮(びんぐ)の人来たりて乞うを見んに、前の人須(もと)むる所に随いて一切を給与すべし。 しかるに菩薩、悪心と瞋心(しんじん)とを以って、乃ち施さざること一銭、一針、一草に至り、法を求むる者有るにも、為に一句、一偈、微塵(みじん)ばかりの法をも説かず、しかも反って更に罵辱(めにく)するは、これ菩薩の波羅夷罪なり。
注:貧窮(びんぐ):貧しさに困り果てる。
注:悪心(あくしん):憎悪する心。
注:瞋心(しんじん):瞋りを懐いた心。
注:微塵(みじん):ほこりの粒の大きさ。これ以上細分できない大きさ。
注:罵辱(めにく):罵って辱める。
注:一偈(いちげ):歌の一節。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら、物を惜しみ、
人に教えそそのかして、物を惜しませれば、
そこには、
物を惜しむことより生じる因縁があり、
物惜しむことより生じる現世の事物があり、
物惜しむことより生じる来世の業報がある。
その上、
菩薩というものは、
一切の貧に窮した人が来て乞えば、
前にいる人の求めに応じて与えなくてはならない。
それなのに、
菩薩が、
憎しみと瞋りとを心に懐いて
わずかに
一銭、一針、一草なりとも施さず、
法を求める人が有っても、
一句、一偈(いちげ、一節)の
ほんのわずかな法さえ説かず、
しかも、
かえって逆に、罵って辱めるならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
漢文の読み方:
所(しょ):
(1)目的:「〜する所」と読む。
(2)受身:「〜せらる」と読む。
(3)理由:所以(ゆえ):「〜の所以は」と読む。
以(い):
(1)手段:「〜をもって」と読む。道具、手段、理由。
(2)用:もちう、用いる。
許(きょ):ばかり。幾許は「いくばく」と読む。 およその数。 |
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若仏子。自瞋教人瞋。瞋因瞋縁瞋法瞋業。而菩薩応生一切衆生中善根無諍之事常生慈悲心。而反更於一切衆生中乃至於非衆生中以悪口罵辱加以手打。及以刀杖意猶不息。前人求悔善言懺謝猶瞋不解者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら瞋り、人に教えて瞋らしめば、瞋りの因、瞋りの縁、瞋りの法、瞋りの業あり。 しかも菩薩はまさに一切の衆生の中に、善根と無諍(むじょう)の事とを生じ、常に慈悲心を生ずべし。 しかるに反って更に一切の衆生の中に於いて、乃ち非衆生の中に於いてに至るまで、悪口(あっく)と罵辱を以ってし、加うるに手を以って打ち、刀杖を以ってするに及ぶも、意は猶(なお)も息(や)まず。 前の人、悔(け)を求めて善言(ぜんごん)し懺謝(ざんしゃ)せんに、猶も瞋りの解けずんば、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:善根(ぜんこん):善行の根本。 身口意の行為が善いことは一切の善行の根本である。
注:無諍(むじょう):諍(いさかい)の無いこと。
注:非衆生(ひしゅじょう):生き物以外。
注:悔(け)を求む:後悔する。
注:善言(ぜんごん):言い訳。
注:懺謝(ざんしゃ):謝罪。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら、瞋り
人に教えそそのかして、瞋らせるならば、
そこには、
瞋ることより生じる因縁があり、
瞋ることより生じる現世の事物があり、
瞋ることより生じる来世の業報がある。
その上、
菩薩というものは、
一切の衆生の中に、
善根(ぜんこん、善い言葉、善い動作、善い心)と、
無諍(むじょう、いさかいを嫌う)の心を生じさせ、
自らの中には常に、
慈悲心を生じなければならない。
それなのに、
菩薩が、
一切の
衆生に対して、また
非衆生(器物)に対してさえ、
悪口を言って罵り辱め、
その上、手で打ち、
やがて、
刀や杖で打つようになっても、
まだ、
気が済まず、
前にいる人が、
後悔して、言い訳し、謝っているのに、
まだ、
瞋りが解けないならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
漢文の読み方:
及以(ぎゅうい):および。こんなものまでの意。 |
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若仏子。自謗三宝教人謗三宝。謗因謗縁謗法謗業。而菩薩見外道及以悪人一言謗仏。音声如三百鉾刺心。況口自謗不生信心孝順心。而反更助悪人邪見人謗者是菩薩波羅夷罪。 |
(読み下し文)
もし仏子、自ら三宝(さんぼう、仏法僧)を謗(そし)り、人に教えて三宝を謗らしめば、謗りの因、謗りの縁、謗りの法、謗りの業あり。 しかも菩薩は外道より悪人の一言に及以(およ)ぶまで、仏を謗るを見んに、音声は三百の鉾の如く心を刺さん。 況(いわん)や口にて自ら謗って信心と孝順心とを生ぜざるをや。 しかるに反って更に悪人と邪見の人を助けて謗らば、これは菩薩の波羅夷罪なり。
注:三宝(さんぼう):仏法僧をいう。
(1)仏宝:仏法を生みだす宝。真実真理。
(2)法宝:仏法を語る言葉の宝。言葉としての真理。
(3)僧宝:仏法を弘め伝える人の宝。仏法を弘めるもの。
注:邪見:邪なる見解。 因果の道理を認めないこと。
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(現代語訳)
――もし、
仏子が、
自ら、
三宝を謗り、
人に教えそそのかして、
三宝を謗れば、
そこには、
三宝を謗ることより生じる因縁があり、
三宝を謗ることより生じる現世の事物があり、
三宝を謗ることより生じる来世の業報がある。
その上、
菩薩というものは、
外道の所説や、あるいは
悪人の語る一言でさえ、
仏を謗るのを聞いたならば、
その一言一言の音声は、
三百の鉾となって心に刺さるはずである。
まして、
自らの口で仏を謗って、
信心と
孝順心とを
生じさせない者などいるはずがない。
それなのに、
菩薩が、
自ら、悪人と邪見の人を助けて、
仏を謗るならば、
それは、
もう菩薩ではありえない。 |
漢文の読み方:
謗(そし)る:陰で悪口を言う。
毀(そし)る:口で傷つけ罵る。 |