『人はパンのみにて生くるにあらず』 |
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クァルテット・アルモニコ (写真:掲載許可済み) |
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だんだん年の瀬もおしせまり、寒い日が続いておりますが、皆様、ご機嫌いかがでしょうか?
十月も、もう終ろうという時のことですが、時間にやや余裕が出てきました。 気持ちにも、幾分のゆとりがあったのでしょう、寝ぼけ眼をこすりながら新聞などをながめておりますと、しきりにその中から声をかけてくるものがあります。
ハテ何だろう? ホゥそうか、この広告か。 これはこれは! 何とも優美な女子ばかりのクァルテットではないか!
と、そんな訳で時代遅れの身に合わなくなった背広を押し入れから取り出し、電車に飛び乗って都会の真ん中にある、こぢんまりとした会場に向いました。
こんな処に、このようなものがいつの間に?
そこに在ったのは、しゃれたデザインで統一された、大変気分の良い、クラッシック専用ホールです。
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暇であることをこれ幸いとばかり、たいへん早くに押しかけましたので、一番二番をあらそって席についたのですが、ぼくの好きな二階の最前列正面席は、なぜか人気がないようで、別に急ぐほどのこともなかったようです。 開演間際まで、誰も来ません。
しかし、ぼくはその三十分なり一時間なりの開演前の時間が、ゆっくり過ぎゆくのが好きなのです。 受付でくれたパンフレット、これに載っている今日のプログラムと演奏者たちのプロフィール、じっくり時間をかけて目をとおすことができました。 それが気分を高め、音楽会を味の良いものにしてくれます。
近代的なホールは、客席の照明が非常に明るく、本などの細かい活字を読むのにも何の苦労も有りません。 一階席に人が集まり、ざわめきが徐々に会場を満たします。 わたくしも音楽を待つ人の気分で、客の品定めなどをしています。 |
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やがて時間になりました。 暗く客席の照明がおとされますと、ステージ上のみが明るく耀いています。 横手のドアが開き、四人の奏者がそれぞれ楽器を手にして入ってきました。 席に着くとかんたんなチューニング、一呼吸置いてすぐに演奏が始まります。 |
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この音楽を表現して皆様にお伝えしたい。 しかし、ぼくにはその言葉がありません。
第一ヴァイオリンの奏者が弓を掲げます。 目による一瞬の合図。 四人の間に走る緊張感。 音楽が始まりました。
わたしの目は、第一ヴァイオリンの弓を持った白く耀く手首の辺りに釘付けになっています。 ぼくは息をすることも忘れて、心を音楽の海に漂わせます。
スリリングな音の掛け合い、長く吸った息を止める一瞬の間、ほっとして息を吐き出すその瞬間、演奏者の呼吸に、ぼくの呼吸は呼応し、音楽との一体感が生まれます。 演奏者の心は、ぼくの心となり、ここを強く‥‥、ゆっくり‥‥、もっと休止を、ここだ!
いつの間にか、客席からは拍手の音が、ぼくも知らぬ間に、起ち上がって手を打っていました。
横を向いて、家内に今の感想を伝えたいのですが、咽がからからで声になりません。
すばらしく楽しい! こんな楽しみは、いったい何時以来のことだろう?
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快 挙 |
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このようなことは、知・情・意のかね備わった演奏でなくては味わえない所ですが、念のためですから、その知情意について簡単に整理しておきましょう。 |
知とは、記憶およびその結合、論理を導く働き。
情とは、心底の本性。優美、慈悲、冷酷、勇気、怠惰‥‥。
意とは、心の動き。喜楽、忿怒、嫉妬、意志、決断‥‥。
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いわゆる、心の三要素ですね。 このバランスが大切なのです。
知のみ有って情が無ければ、情け知らずと言われますし、情のみ有って知が無ければ、愚か者の謗りを受けることになります。
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豊かな情の上に、
するどく知が働いて、
スムースに意となって現れる、
これが良いのですね。 |
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11月1日、中日ドラゴンズは、日本一の称号を実に53年ぶりに獲得しました。
ダルビッシュの好い男ぶりと、素晴らしさは言いようもありませんが、
中日の好戦ぶりも見逃すわけにはまいりません。
ここで少しく過去を振り返って見ましょう、
星野監督は、11年間に優勝が2回、2位が5回、3、4、5、6位が各1回。
高木監督は、4年間に2位が2回、5位と6位が各1回。
山田監督は、2年間に2位が1回、3位が1回。
この平凡な成績は、チームがAクラス下位、或はBクラス上位から、どうしても抜け出せないことを示しています。
このような状況下の2004年、ついに中日は、3度の三冠王に輝きながらも、監督としては未知数の落合博満を招聘しました。
その落合監督の4年間に何が起こったか? 優勝が2回、2位が2回、日本一が1回、まさに何がどう変ったのか? どうやら、信じ難い奇跡が起きていたようです。
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ぼくは、この落合監督については、就任以来、その動向を、常に見まもり、常に驚き、常に感心してきました。 それは監督就任時の、この言葉を偶然耳にしたからです。
『現有戦力で十分優勝をねらえる。 全員、ドラフト指名をへて選手になったんだ。 つまり、プロの目で見て良いものを持っているから選手になれたんだ。 その良いものを出させてやるのが監督の役目だろう。』
驚くべき発言です。 そして、その言葉どおりに、新任の監督は、現戦力の放出も、新戦力の導入もしません。
ついに、目標の日本一の獲得を目前とした九回表、この監督ならばきっとこうするだろうと、ぼくは確信していました。
そして、その確信どおりに、落合監督は、岩瀬をマウンドに送り込んだのです。
あの破竹の勢いの秘密は、まさにここに有ったのですね。 |
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音楽の方で、偉大な指揮者は大勢いますが、過去のある神格化された指揮者は、実際にその指揮ぶりを見たという人の話によると、その力強い音楽からは想像もつかないほど動きは少なかったそうです。
楽団の全員は、その微かに揺れるタクトに全神経をそそぎ、タクトの先端が空間のある一点を指すと、その位置のわずかな違いによって、全員が、あるいはフォルティッシモに駆け上り、あるいはピアニッシモに駆け下りて、その恐らくはタクトの曖昧さの故に、楽団員は一層注意をこらし、その恐らくは解りにくさの故にごくわずかの乱れを生じて、音に厚みを加えていたのだろう、ということでした。 |
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この指揮者の例えは、いかに楽団の全員が、この指揮者を尊敬し信頼していたかを物語っています。 もし信頼がなければ、楽団員はそのタクトのわずかな動きを見逃してしまったはずです。
そして、楽団員たちの、あるいは見逃したのではないかという恐れは、楽団員を謙虚にさせました。 心の底から指揮者に従おうという心理状態にさせたのです。
大きな身振りで意味の明確なタクトを振る指揮者は大勢います。 しかし、それでは楽団員は動かされているのであって、そこに音楽の自発性は生まれません。
四頭立ての馬車をかる御者は、馬の全幅の信頼を得て初めて手綱のわずかの動きで、内側の馬を遅く駆けさせ外側の馬を速く駆けさせて、自在に馬車の向きを変えることができるのです。 もし信頼を得ずに馬車を御そうとすれば、くびきに繋がれた馬は足を折ることを怖れ、恐怖にかられて、少しも動こうとはしないでしょう。 |
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戦場で指揮官が部下に多くの犠牲を強いるように、野球も選手に多くの犠牲を強います。
落合監督は、よく『選手が試合しているのです。 自分は知りません。』と言いますが、選手が自発的に試合をすることを、最も重んじています。
選手がチームのために喜んで犠牲になるよう指導するのが監督の役目です。
選手に犠牲を強いるのに、叱咤激励が良いか、信頼関係が良いか。
選手の自発性を重んじるならば信頼関係が優れています。
落合監督は信頼関係を選びました。
信頼関係は、正しく明確な論功行賞によってのみ生まれます。
公平無私、これが論功行賞の鉄則です。 |
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話は、また九回表のあの場面に戻ります。
落合監督は、就任して最初の年に、岩瀬を中継ぎ投手から、押さえの投手に変えました。
岩瀬は、これに才能を開花させて、九回までに一点差ならば、岩瀬が何とかしてくれるとまで言われるようになります。
この四年間の中日の成績は岩瀬抜きには語れません。
落合監督の戦略の中心は、常に岩瀬でした。
岩瀬投手こそが、日本一の最功労者なのです。
毎試合、ブルペンに入っていた岩瀬を、落合監督が見逃すはずがありません。
ここで、もし岩瀬が投げなければ、チームには、ある種の疑いが生じるでしょう。
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かくて、岩瀬投手は、あざやかに敵の三人を斬って取り、満面に笑みを浮かべて、マウンドを駆けおり、来年への思いを新たにしたのですが、‥‥
落合監督の、まことに見事な采配ぶりではありませんか。
『岩瀬、来年も頼むぞ。』
『監督、来年も頑張りますので、よろしくお願いします。』
この無言の会話、これを聞いたのは、わたくしにとって大きな収穫でした。
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落合博満が、知情意をかねそなえた人であることは、ここに確認できました。
知:理論と手順を組み立て、人情の機微を知る。
情:公平無私、勇気があり、思いやりが深く、情に流されない。
意:意志の力が強く、決断力もある。 |
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これぁ、男 だ ね え |
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♪♪♪♪ |
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『人は、パン無くては、生くるあたわず。』 |
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今日のお昼は何かな? |
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おや! ”ニシンそば”?
そうか”年越しそば”か! 試しに、ニシンを炊いたんですね!! |
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こんな風にニシンなどが炊いてあったりすると、何となく十二月を実感いたしますが、この十二月はお釈迦様がお悟りになった月であるということにちなんで、弟子を養う寺院では修行の中の一環として、皆、托鉢をいたします。
衣の裾をはしょり、ワラジを履いて手甲脚絆網代笠に身を整えますと、手に鉢と鈴とを持って、道を歩きながら『法〜、法〜、‥‥』と声を挙げ鈴を鳴らして、信者の布施を乞うて歩きます。
これも戦前までは、どこの宗派でも行っていましたので、格別珍しいということもございませんでしたが、今は弟子を養うような寺院は、大変少なくなってしまいましたので、めったにこの光景を見ることはできません。
季節の実感がますます遠ざかるような気がいたします。
このような訳で、今月は『戒香経(かいこうきょう)』というお経を訳してお目にかけたいと思います。 ごく短いものですし、言っていることも至って簡単なことです。
こちらも、どうかご覧になってください。
では来年、またお目にかかりましょう。 それまで、皆様、ご機嫌よう。
どうぞ、よい年を、お迎えください。 |
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