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英国式庭園殺人事件
  ある日、思いついてインターネットのオークションなどを探していますと、驚いたことにちゃんと有りました、『スエーデンの城』というDVDが。 もちろん中古品ですが、まさか映らないということもないでしょう。 八千円ほどもして随分高いとは思いましたが、思い切って買ってしまいました。 フランス映画にひたって夢中になっていた学生時代への郷愁でしょうか、たしかこの映画は場末の古い映画館で見たのでした。 何かあか抜けのしない名前の劇場、太陽劇場とかいったような、そんな映画館だったと思います。 しかし、こう何もかも記憶の底に埋もれてしまって、もはや思いだすことさえままにならなくなってしまうとは、若いときには想像だにしませんでした。
  それにしても本などでは、しばしばお目にかかることですが、羨ましいほど、むやみに記憶力のある人がいます。 幼稚園の時の先生は誰々で、後にどこそこの学校へ転身されたが、その先生からはこういう歌を習って、というような事を余さず記憶されているのです。 これは敵いません、記憶力は智力の要です。 これが無くては到底勝ち目はありません。 これはぜひとも手に入れたいとは思いますが、当然、これは叶わぬ夢でしかないわけで、手に入らねばこその思いをつのらすばかりです。 しかし待てよ、そんな記憶力を、もしわたしが手に入れたら、常に恥の記憶に責めさいなまれて、とても生きていられないのでは‥‥。 いや、どうもやはり人生というものはこんなもんですかね。 すべてを手に入れるか、何も手にしないかの、どちらかに傾くようになっているんではないでしょうか。 まあ、どちらにしてもそれで楽しく暮せれば、それがいちばんよいのですが‥‥。
  そして、やがて小包が届きました。 待ちに待ったDVDを、ようやく手にすることができたのです。 わくわくしながら早速パソコンにかけて見ることにしました。
  
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  しかし、どうも思っていたようではありません。 何かが違うのです。 全般に画面が暗いのですね、場面によっては真っ暗で何も見えないことさえあるのです。 これは困りました。 大金をどぶに捨てたか、粗悪品をつかんだのか。 だけどどう考えても、これは諦めるしかありません。 
  その後のことです、ひさしぶりに百貨店をぶらついておりました。 気がつけばいつの間にやらDVDが大変やすくなっています。 シェーン、荒野の決闘、バス停留所、宇宙戦争、誰がために鐘は鳴る、天井桟敷の人々、これ等、名作の数々がぜんぶ五百円です。 千円から千五百円の中には、危険な関係、おしゃれ泥棒、エデンの東、ゴールドフィンガー、海底二万哩、ヤングフランケンシュタイン、等々‥‥、むかし見た映画が勢揃いして棚に並んでいます。 それ等のバーゲン品ばかりを、あれも欲しい、これも欲しいと、買いあさったあげく、気がつけば両手は紙袋でふさがっておりました。
  これ等のいくつかは買ってすぐ見ました。 それで何とかうまく見ることができましたので、パソコンでも、これだけ見られれば、まあ十分だろうと思っておりましたが、ところが、やっぱりというか、何となくもっとくつろいで見たいという欲求も、いつの間にやら抜き差しならない感じになってきたのです。 それに日課と息抜きとが混じり合うというのも何やらいやな気持ちがします。
  そういえば、あと何年かすると電波が切り替わってテレビが見られなくなると言っていたな、ということは、必然的にアナログ信号を出力する装置も売らなくなる。 DVDをテレビで見ようとしても、その時にはもう遅いのではないだろうか? このような理由から、わが家にもDVDプレイヤーが来ることになりました。 ごくシンプルな再生のみの装置です。 近くのスーパーで買いました。
  
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  最初に、マニアルを見ながら配線し、初期設定をしなければなりません。 やればできるだろう、機械をいじるのは男の仕事と、当然のごとく自分で始めたはよいのですが、マニアルの言葉がさっぱり理解できません。 訳の分らないまま脳内ではすでにパニックが起きています。 暑さのために身体中から汗が噴き出してきました。 シャツもパンツもびしょ濡れです。 これは俺にはどうもできそうにない、気が立ってだんだん怒れてきます。 水でも浴びてさっぱりしよう。 荒い声で家内を呼びつけました、よくこれを読んであとは何とかしろ。 命じる言葉もそこそこに、風呂場に直行し、水道のホースをのばして水をざあざあ頭からかぶりました。 気分は爽快です。 多少後ろめたいような気持ちで、テレビのところに来てみると、もうすっかり準備は整い、あとは映すばかりでした。
  
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  結論からいうと、買っただけの価値はありました。 懸案事項である『スエーデンの城』も隅々までよく映り、初めて見た時のように楽しめましたし、『海底二万哩』も子供の時に見たままのシーンをテレビ上に再現でき十二分に楽しみました。
  
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  このような些事から目を一転してみますと、世の中の方も、わたくしの脳内同様、大分おかしくなっていました。 この間も首相の辞任などということがありました、このよく解らない辞任劇が諸外国に対する信用をどれほど落したことかは計り知れません。 気力と体力が不足した首相を選ぶような国家国民を誰が信用しますか? また、年金の流用などということもありました。 しかも、ひょっとしたらこんなことは日常茶飯事ではなかったのかというほど次々と露見しています。
  こちらの思っていた以上に、この国の役人は、公金に対する認識が甘く、無駄なお金ならばいくらでも出すが、そのくせ本当に困っている人には、たとえ僅かなお金でさえ、とことんけちるという、国民の委託にまったく答えていないように見えます。 その気さえないのではないでしょうか。 これでは、まるで身内に××を養っているようなという喩えがぴったりです。 まことに猶予ならぬ事態だと言っても、言い過ぎだとはとても思えませんね。
  役人の使うお金は、たとえ一円でも領収書を添付すべきです。 しかも必ずしかるべき手続きの後に公庫から出されるべきであり、一切の記録は常に公開されるべきなのです。 もし、自らに自浄作用がないのであれば、やはりしかるべき方法でチェックしなければ、腐敗は止められませんよ。
  どんな田舎の町でも市役所、役場などの立派な庁舎があります。 これらは、皆、国債等の莫大な借金によって作られた物ですが、今、すでに多くの自治体が合併して、文字通り無用の長物と化してしまいました。 はたして、借金してまでそんな物が必要だったのでしょうか。 その他にも無数の、際限のない無駄遣いが有ると、わたくしは思っているのですが‥‥。
  
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天知る、地知る、我知る、子知る
  

  
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  ほら、よくこんなことを言うでしょう? 
 『天の神様は知っているし、地の神様も知っている。 わたしは知っているし、子(あなた)も知っている。』とこういう意味ですね。
  漢和字典で「四知(しち)」という項目を引けばのっていますよ。
  むかし中国の後漢という時代、一世紀ごろのことです。 楊震(ようしん)という高級官僚がいたそうです。 ある人が、夜中にわいろを持って来て、だれにも知られないから、受け取るようにと言いました。 その時の楊震の答えがこれですね。 
  『天の神様が知っている、地の神様も知っている。 わたしはこれを知っている、あなたもこれを知っている。』
  その他にも、地獄もあれば極楽もあるのです。 『無量寿経(むりょうじゅきょう)』というお経の中には、こんなことが書いてあります。
  上に立つ者が愚かであれば、下の者はあれこれ悪事をたくらむ。
  臣は君をあざむき、子は父をあざむき、兄弟夫婦、内外の親族も、たがいに相いたぶらかし、あざむいている。
  おのおの自らの利を厚くすることのみを欲しているのである。
  しかしどうだろう、そのようにして得たせっかくの富も、物惜しみをして施すことをきらうのであるから、そのために心は疲れ、身体は苦しまなくてはならないのだ。
  どんなにしても、やがて命の終りが来る。 その時には、どのような財宝も何の助けにもならない。 独りで来たのであるから独りで去るのである。 誰がついて来てくれようか。 ただ善悪の禍福のみが命を追って来るのである。 
  善いことをすれば善い世界に生まれ、悪いことをすれば悪い世界に生まれる。 これほど解りやすい教えが、何か他にありますか? こんなよいこと信じられないなんて残念ですとしか言いようがありません。
  
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  ところが解らないものですねえ。 こんな事を言う人もいるのですよ。 こういうことを言う人がいるから世の中がよくならないのです。 根が邪悪な人なんです。 たまには良いことも書いていますが、それでもこれはどうもね、まあちょっと見てみましょう。
  世俗の人は、浮屠(ふと、仏陀)にだまされ、たぶらかされている。
  皆、葬式でもあれば仏に供え物をし、僧に飯を食わせて、こんなことを言っている、「死者の罪をへらして福をふやし、極楽に生まれて多くの快楽を受けさせる為にするのである。 もし、これをしなければ地獄に堕ちて切り刻まれ、焼かれて骨は臼で挽きつぶされ、多くの苦痛を受けなければならない。」と。
  しかし、こんなことは知るまい。 死者というものは、体が朽ちて腐ってしまえば、心もまたどこかへ飛び散ってしまい、切り刻んでも、焼いても、臼で挽きつぶそうとしても、どうしようもないものであることを。
  また、こんなことさえ知らないのだろう。 仏法が中国に入ってこなかった頃にも、死んでから生き返った人がいたということを。
  その人たちの中の誰一人として、うっかり地獄に堕ちた者はない。 また十王(じゅうおう、地獄にいる十人の裁判官)などを見た者もない。 それは、なぜなのか?
  これで、皆の言うことなど、信ずるに足らないと、明らかになったであろう。 
  
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  まあ、こんな嘘っぱちを書くような人は、決まっていますよね。 そう朱文公という、ほらあの人がそれです。 前に、『小学』という本のことを紹介しましたね、これはあの『小学』に書かれているのです。
  だけど、前には誉めていたではないか。 そう確かに誉めましたし、そのずーっと前にはけなしてもいました。  

こんな事を何と言うのでしたか?
是々非々(ぜぜひひ)と言うのですよ。

  
自分で物事を考える上で、非常に大切な心構えです。
  
  
!!
判断は自分の責任です
人を信じるのではなく、言葉を信じましょう
一つの言葉が良いからといって
その人が善い人であるとはいえません
悪人だって良いことを言えます
言葉は言葉であって、
人ではありません
!!
  

  ブランド信仰は良くありません。
  わたくしたちは、つい偉い人の言葉を無条件に信じ込んでしまいます。
  しかし、言葉は言葉でしかありません。
  その時の環境と、その言葉を発する人の心情とが、相い和して言われるのです。
  一つ一つの事柄について、丁寧に自分で”是非”を判断したいものです。
  
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自分自身を頼りにし、法を頼りにして、人に頼るな
  

  これは仏の遺言です。 どの教えよりも大切なものです。 よく味わいましょう。
  
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  新聞などを眺めていますと、時にかわいそうな記事にであいます。 ある女子高校生が父親の首を斧で斬りつけて殺してしまった、というのがありましたね。
  思春期にある少年少女の心の中には、正義感が芽生えてきます。 善悪の判断をするという、大人としての必要条件が満たされ始めたのです。
  ですから、夫婦間のいざこざを子供に聞かせるときは、その危険を十分にご承知の上で、夫婦げんかなり、浮気なりをしていただきたいのです。 これはわたくしからのお願いです。 正義を行ったあげくがこれではね。 かわいそうでしょう?
  
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  ついに見つけました、ピーターグリーナウェイ監督の
英国式庭園殺人事件』、
これを、ついにインターネット上に見つけたのです。
  スクリーンが三メートルしかない、小さな小さな映画館で見たのですが、筋がさっぱり解りませんでした。 しかし、それでいて抜群に面白かったのですね。 高額のパンフレットを買いました。 家に帰ってから、それを精読したのですが、それでも相変わらず筋が読み取れません。 それが気になって気になって‥‥。
  そんなこともあって、どうしてももう一度見てみたかったのです。
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  そこで家のテレビに映してみたのですが、デジタル編集がなされていて、素晴らしい画面でした。 しかし、映画館で見たのよりは劣ります、三メートルと二十五インチでは違いがありすぎて、これもやむを得ないことでしょう。
  内容は相変わらず面白かったのですが、やはり筋は解りませんでした。
  
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それでも良いんじゃあないですか?
筋書きの解らない善い映画もあるということです。

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ああ面白かった!!
  
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 さあ、ごはんですよ 
  
材料:想像してください
  
出来上りを考えてくふうする
  
では、いただきます
  
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  (英国式庭園殺人事件 おわり)