暑い日が続きます。 それでいくらかぼーっとしていたのでしょうか。 立て続けに二度もねずみ取りにひっかかってしまいました。 いははや〜、地元のことでもあり、よく知っている所でもありましたので、常々気をつけていたのですが、どこでどのようにして気が抜けたものかこの始末です。 腹の立つことではあります、しかし非は自らにあり、どこにも文句の持って行き場がございません。 こうなればしかたがない、転べる地頭はわらをもつかむ、わざわい転じて福となすでございます。 ここはひとつ景気よく皆様にお笑いいただきたいと思うのでございます。
他人の不幸は蜜の味とも申します。 すこし前にはこのコーナーで、わたくしも他人様の不幸を大いに笑ってやったこともございました。 『♪浮き世は牛の小車の、浮き世は牛の小車の、めぐるや報なるならん。』と、今回はついに笑われる番が回ってきたということでございます。 どうか皆様、あまり気の毒がらず、大いに腹をかかえてお笑いになり、苦を楽に変えて息苦しい世の中をお過ごしくださいませ。 ‥‥‥‥。 |
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冗談のほうはさておき、仏教の方では、この人様に笑っていただくということも、忍辱(にんにく、忍耐)行といってなかなか貴い修行になるわけで、その方面では有名な方が大勢いらっしゃいます。
そんな中でも、わけてもわたくしのお気に入りは常不軽(じょうふぎょう)という名の菩薩さまで、『法華経』二十八品(ほん、章)の中に常不軽菩薩品というて、ただ一人で一品をかまえるというまことに偉い方なのであります。
ここでこの常不軽品を全文ご紹介できればよろしいのですが、法華経は大変むづかしいお経ですので、そのほんのさわりだけをご覧にいれましょう。
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昔々のその昔、宇宙が何度も何度も無数に生滅を繰り返すさらにその昔、ひとりの仏が出て、名を威音王(いおんおう)如来といいました。
この仏は、種種の人々のために、その人々に応じて種種の法を説きました。
生老病死の苦しみを厭う人々には、小欲知足により安穏に暮すことを教えます。
自らの身と心とを探究して安楽な世界に趣こうとする人々には、人の命の成り立ちと、その意味とを教えます。
人々を慈悲によって救い導こうとする菩薩には、理想の世界を造って仏と成るための、布施、持戒、忍耐、努力、禅定、智慧という六つの波羅蜜(はらみつ、理想の世界をつくる法)を教えます。
この仏は、宇宙がガンジズ河の川底の砂の数ほど生滅を繰り返す間、人々を教え導き、その後になくなりました。
その後にも、無限の時間が過ぎ、数々の仏が出ましたが、たまたま仏がなくなられて時間がたち、いまにも法が滅びようとする時、僧たちは何でも知っていると勘違いしていた時のこと、ひとりの菩薩僧がいました。
皆はこの菩薩を常不軽(じょうふぎょう)と呼んでいました。 なぜ常不軽と呼んだかというと、この菩薩は僧に出会えば、必ずその僧を拝んでこう言ったのです。
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我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏 |
わたくしは、深くあなた方を敬います、どうしてあなた方を軽んじて慢心することなどができましょう。 何故ならば、あなた方は、皆、菩薩道を行ぜられ、必ず仏に成られるからです。 |
しかし、この僧たちは経典を読むこともせず、ただひたすら礼拝してばかりいたのです。
また、常不軽は遠くからでも、僧たちを見ることがあれば、わざわざ近づいてゆき拝んでこう言いました。
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我不敢軽於汝等汝等皆当作仏 |
わたくしは、どうしてあなた方を軽んじられましょう。 あなた方は、皆、必ず仏に成られます。 |
僧たちの中には、怒ってこう言う者もでてきました。
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是無智比丘従何所来自言我不軽汝而与我等授記当得作仏我等不用 |
この無智の僧は、どんな所から出てきて、おれたちに『わたしはあなたを軽んじません。』と言い、しかもおれたちに『そのうち、仏に成ります。』などと記を授けるのだ。 まったく大きなお世話だ。 |
記(き)を授けるとは、仏に成ることを保証することです。
常不軽は、このようにして長年罵倒されながらも、怒りもせずに常にこう言っていました。
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汝当作仏 |
あなたは、必ず仏に成ります。 |
とうとう僧たちは或は杖で打ちかかり、或は石をぶつけるようになります。
そこで、常不軽はどうしたか。 その場を逃げだして遠くの方から、なお声高に言いました。
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我不敢軽於汝等汝等皆当作仏 |
わたくしは、どうしてあなた方を軽んじられましょう。 あなた方は、皆、必ず仏に成られます。 |
こういう訳で、僧たちは、皆、この人を常不軽と呼ぶようになりました。
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どうです? 何だか楽しくなりませんか? 話しの中身はただそれだけのことで余り意味のあることのようにも思えませんが、このようすを考えるとわたくしはいつも楽しくなってしまうのです。
頭をくりくりに剃ったお坊さんが、遠くの方から、眼をいからせて手を合わせ、涙を目尻にためながら大声で、『わたしは、あなた方を決して軽んじません。 あなた方は必ず仏に成りますよ。』と言っているのですね。
まあ、ずいぶん楽しいイメージです。
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しかし、
知る者と
知らない者という関係は
案外、こんなものかもしれませんね。
考えさせられます。 |
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知らないといえば、『修身(しゅうしん)』という言葉が聞かれなくなってからずいぶんたちました。 戦前、小中学校で受けた修身の授業の中であまりに忠君愛国を唱えすぎたために、その反動で修身の言葉までが嫌なものとして片付けられたように思いますが、このように何でも言葉に責任を取らせて、そこに導いた人には責任を取らせたくないというのは、日本人特有の精神構造の悪いところです。
この修身に代わって出てきた言葉が『道徳(どうとく)』です。 字書を引いてみれば、『人の蹈み行うべき正しい道』とありますし、一字一字の意味からも何となく分りますが、『身を修める』という言葉ほどには明確な意味はつかみとれません。
わたくしも、ここではあえて良いものを捨てて悪いものを取ったとまでは言いません。 しかし、分りやすいものを捨てて分りにくいものを取ったとぐらいは言えるのではないでしょうか。
動物の世界でも、母親から教わらなければ生きてゆかれないのは、高等生物になればなるほど、そのとおりなのでして、たまたまテレビなどを見ておりますと、母ザルが子ザルの前で、繰り返し繰り返し平らな石と丸い石を使って、クルミなどを砕いて見せております。 子ザルもそれを真似ながら、やがてひとり立ちするわけです。
よく人間は群の動物であるなどと申しますが、群の中で暮すにはやはりそれ相応に、独居生活とは異なる習慣が必要なのです。 むやみにひとの領分を侵さない、ひとに不愉快を感じさせない、等々の習慣が人と人との間を円滑にするのですが、その技術を身につけることが『身を修める』ということなのです。
また学問をして身を修めるということもあります。 学問が深まれば深まるほど、人のことがよく分り、そこに思いやる心が生まれることを言っているのです。 |
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確かあれは菊池寛の編集した小学生全集の中の一巻であったと思いますが、『修身』という題名の本があったと思います。 いや『日本の偉人』だったか、これでは話しがつながらなくなってしまいますが、まあそれはそれでいいとして、その中に二人の対称的な人の逸話がのっていました。
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一人は、海軍大将の東郷平八郎(とうごうへいはちろう) |
東シナ海であったかどうか、ある蒸し暑い夏の日のことです。
汽船のデッキの手すりにもたれ静かに海上を見渡していた東郷大将の傍らに一人の紳士が立ち止まり、
『暑いですね。』と声をかけますと、
『気の持ちようでござる。』と大将は答えました。
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もう一人は、陸軍大将の乃木希典(のぎまれすけ) |
陸軍を退いた乃木大将は学習院の院長をしていました。 昭和天皇も教えを受けたということです。
旅順の戦争で勝ち敵の大将であったステッセル将軍から記念に贈られた軍馬を学習院の厩舎にて、ひとり撫でていますと、ひとりの生徒が来て、これを撫でてもよいですかと聞きます。
乃木は生徒にニンジンを渡して、これをおやりと言いました。 生徒はその馬にニンジンをやり、ひとしきり撫でて、その後に帰ろうとしますと、乃木はそれを呼び止めて、隣の柵の中に飼われているもう一頭の馬を指さし、
『馬にも不公平はいけない。 もう一頭にもおやり。』と教えました。
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乃木希典 (Wikipediaより) |
東郷平八郎 (Wikipediaより) |
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この二つのエピソードは、ものの見事に、二人の将軍のそれぞれの職務における資質を表わしています。
言わずと知れたことですが、東郷は海軍の大将です。 海軍とは、皆が一隻の船に乗って海の上にいるということです。 謂わば死生はもろとも、将兵に平等におとずれます。 兵の間にも不公平感は起こりにくく、将官はいたって喜楽に、いかなる作戦をも取ることができ、それでいて士気に影響するということもありません。 将官に求められる資質は動物的な一瞬の判断力と、それを支える直感力のみです。 将軍の諮問機関である参謀の役割はただ作戦を進言するに止めます。 対馬沖での有名なT字作戦は、敵の艦隊と一直線に向かいあった状態から、敵の見せた一瞬のすきをついて艦隊を左にターンさせ、敵に砲撃される危険を犯しても横腹を敵に見せる。 そのかわりに自らは全艦が砲撃できる利を得るという作戦でした。 これも敵味方の艦隊の位置と絶好の間合いをはかることにより、敵は先頭の艦以外では砲撃の準備がととのっていないだろうという一瞬の判断でなされた作戦です。 とても参謀の関与する暇はありません、参謀の作戦を無視しても自らの一瞬の判断を優先させるという東郷の果敢な決断力のたまものでした。 東郷とはいかなる人物であるか、そんな人間的な事は、どの兵にとっても問題ではありません。 たとえ執務室に引きこもったままでいてもよかったのです。
では陸軍大将である乃木の方はどうでしょうか。 陸戦というものは、まづ遠くから大砲を撃ちまくって敵を鎮め、そこへ小銃で武装した兵が突撃を繰り返し、一歩一歩前進するという闘い方をしなければなりません。 特に旅順港のように要塞化した場所では、迎え撃つ敵にとっては比較的安全な場所からの攻撃です。 しかし味方は、浅い塹壕を掘りながら進まなくてはなりません。 どうしても死傷する兵の数は敵の何倍にもなるのです。 しかもうかうかしていては、敵の補充兵がいくらでも届きますので、どうしても味方の死体を塹壕代わりに突撃を繰り返すより他はないわけです。 いくら死ぬことが役目の兵だとはいえ、陸軍と海軍とではその心構えには大きな差があります。 将は比較的安全な後方から突撃命令を下すのみであるに反し、兵は自らの命をかけて貴い10メートルの前進を得るのです。 戦場に於ける不公平感は海軍よりももっと切実です。 先頭に立てば必ず死ぬのですから、ここで死ななければならないことについての何らかの理由付けが必要です。 もとより命は御国の楯として捧げる覚悟はあります、しかし犬死にだけはしたくありません。 不公平では死んでも死にきれません。 ここでは、将に求められる資質は海軍とはまったく違っています。 将軍と参謀との間に確執があったのでは、兵に迷いが出て士気に影響します。 参謀が作戦をたて、将軍は命令を下す、この役割の分担は意外に重いものなのです。 どうせ死んでゆくもの、兵をして喜んで死なせてやりたい、乃木の思いは、ただこの一点に止まります。 乃木は自らの二人の子息をわざわざ死地に赴かせました。 二人の戦死は乃木にとって朗報だったのではないでしょうか、これで不利な戦いにも或は勝つことができるやもと思ったことでしょう。 |
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戦後、数々の評価がひっくりかえりましたが、乃木に対する評価は司馬遼太郎の『坂の上の雲』によってくつがえされました。 しかしまたそれをくつがえそうとする本も書かれています。 『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦―乃木司令部は無能ではなかった』 別宮
暖朗 兵頭 二十八 (著)、『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実―明治と昭和の虚像と実像』 福井 雄三などがそれです。 しかし忘れてならないのは、作戦の評価など誰にもできないということです。 言ったところで結果論に過ぎず、当事者にしか知れない事項はいくらでもあるのです。 T字作戦は勝れた作戦であるとの評価をとっていますが、それも成功したればこそであり、言わば賭けに勝ったがために言われるにすぎません。 失敗してもなお勝れた作戦であったと、誰が言ってくれるでしょうか。 皆が責めを覚悟して作戦を立てているのです。 これを誰に評価できよう。 |
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しかし、
多くの兵を死なせた責任は自分にある。
自分だけが生きていてよいものであろうか。 |
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この思いは乃木の心に終生残ることになります。 死地に赴けと言われ唯々として従った楠木正成、同じく参謀の進言に諾々として従い命令を下す乃木希典。 この二人のいさぎよさが、わたくしにとって何者にも替え難いのです。
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山川草木轉荒涼 |
山川草木 うたた荒涼
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十里風腥新戰場 |
十里風なまぐさし 新戦場 |
征馬不進人不語 |
征馬進まず 人語らず
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金州城外立斜陽 |
金州城外 斜陽に立つ |
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山川も草木も、だんだん荒涼となってゆく
新たな戦のあった場所は、吹く風さえなまぐさい
軍馬さえ進むをいやがり、人は黙りがちになる
金州の城外、夕日の中に立ちつくす
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爾靈山嶮豈難攀 |
爾霊山(にれいさん)嶮なれども あに攀(よ)ぢがたからんや
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男子功名期克艱 |
男子の功名 艱(かん)にかつを期す
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鐵血覆山山形改 |
鉄血山を覆ひて 山形改まる
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萬人齊仰爾靈山 |
万人ひとしく仰ぐ 爾霊山 |
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爾霊山(にれいさん)は険しくとも、よじ登らずにおかれようか
男子の功名、困難に打ち勝ってこそ価値がある
砲丸は血とともに山をおおい、山の形さえすでに変ってしまった
何人たりとも仰がずにはおられまい、この爾霊山を
注:爾霊山とは、乃木が203高地にあてた山名、爾(なんじ)が御霊の山
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乃木の造った二つの漢詩には、その心中を推し量るに余りあるものがあります。
元号も代り、大正元年九月十三日明治天皇の御大葬の日、葬列の宮城出発を知らせる号砲。 それを聞いて後、乃木は作法どうりに腹を切って死にました。 これを単なる昔風の忠義ととらえてはなりません。 自らの号令のもと、嬉々として死に赴いた万余の兵卒の今おるところに、やっと許されて往くことができると、どれほど嬉しく思ったことでしょう。 その心持ちは辞世の句によく表われています。 |
辞世の句:うつし世を神さりましし大君のみあとしたひて我はゆくなり
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乃木の夫人静子は、いくぶん異なる気持ちです。 成人した息子を二人まで夫と戦にとられ、その恨みははかり知れません。 そのうえ夫までなくす身となっては、もはや余生を、いかに生きよというのか、せめてどこまでもご一緒いたします。 どこまでも哀しみの絶えることのない心境は、これもまた辞世の句によく表わています。 |
辞世の句:いでまして帰ります日のなしと聞く今日のみゆきにあふぞ悲しき
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ここまで書きかけて老書生ははたと困ってしまいました。 ふりあげた拳のおきどころを考えていなかったからです。 今日は終戦記念日、例に似ず閑かなこの日に何か戦争に関することを書いておこうと思い、書き始めたのはよいが、その始末をどうつけたものか? はて‥‥? |
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しかし、始末もなにも戦争などは無くてあたりまえ、無いほうがどれほど好いことか。 今、こんなことを書いていられるのも平和であればこそ、本当にありがたいことで‥‥
さて、お昼ご飯にいたしましょうか。 京都三千院下の『辻しば漬け本舗』でもとめたしば漬けでお茶漬けならぬ水漬けをいただきましょう。 しば漬けとお茶とは極めて相性が悪いのです‥‥。
では、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
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麦飯の水漬けとしば漬け |