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新 旧 交 代

  5月24日が、車検の期限です。 リコールの通知が来たところで、少し早めに車検の整備に出しました。 その日の中に見積もりができ、ぎりぎり車検を通すだけで、通常の七万円余りに追加すること十六万、気になる所を修理すると、更にその上に十万と言われてしまいました。
  追加分だけで合計二十六万は、平成4年生まれのマーチにとって、いささか気になる金額です。
  平成10年に、28,000キロの中古車を、四十八万で購入して以来、はや9年を過ぎ、距離計も95,000キロを指しています。
  しかし、今でもこの強力なエンジンと、よくマッチしたミッション(CVT)はすこぶる快調であり、ここに買い換えの理由は少しもありません。 ボディも頑丈そのもの、少しもよじれたり、きしんだりすることなく、足回りも前回の車検で、いくらかお金を掛けていますので、まったく問題ありません。 また、メタリックの塗装もいまだ輝きを失っていません。
  この八年間に、たった一度だけCVTの故障でエンジンが掛からなくなったこと以外、何の問題もなかったことは、マーチのたぐいまれな優秀さを証明しています。 

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  ああそれなのに、なぜ買い換えなくてはならないのか
できれば更に十年、50,000キロを乗って
マーチにも余命を楽しませてやりたかったのに!
なかなかできないのですね、これが!
できないようになっているのですから、しようがありません
恐らくは、これも国策ですか

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  しかし、そんなに気に入っているのに、なぜ買い換えるのかと言いますと、もう部品が無いのです。 それもシートが無いのですから、もうどうしようもありません。
  シートの貧弱さは、マーチのただ一つの弱点でした。 尻が、じかに鉄板に触れているような感じで、もう情けないほど中のクッションが薄いのです。 その薄いクッションを我慢して、長年乗ってきたのですが、ここ二年ほどの間に、ますますへたって薄くなり、すこし長距離を走ると、もう尻が痛くて痛くてかないません。
  いろいろ工夫したり、車用の座布団を敷いたりしても、一向改善されませんので、ついにシートを取り替えるよう、清水の舞台から飛び降りる心境で、お金を用意して注文しました所、もう生産は終了したので有りませんと、つれない返事です。
  一体これが嘆かずにおられましょうか。 資源の少ない国の国民の義務として、できるだけ長く一つの物を使用しようとしても、それが許されないのですから。
  これから、ますます世界は一様化され、ついにはただ資源の有無のみが国力を計る指標になろうとしているのに、本当にこんなことで良いのでしょうか。

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そんなわけで、ついに新車に買い換えることにしました!
  いやあ嬉しいですね。 ほぼ十年ぶりに新しい車に乗れるのですから。
  こんなに嬉しいことは、そうは有りません。
  いろいろ考えた所で、次の車も、マーチに決めました。 
 
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  しかし、なぜ新車にしたのか、不思議にお思いでしょう? ここに奇跡が起きたのです。
  家内がですね、許してくれました。 不思議ですね、どうしたのでしょう。 恐らく計算したのですね。 いろいろ経費だとか、何だとか計算して、その結果、新車の方が総費用が少ないと出たのでしょう。 現在のマーチには申し訳ないが、何はともあれ結構なことでした。
  次の車も、またマーチにした理由は、良い品が安い、これに尽きます。 
  本当の国民車、日本人にこれ以上の物は必要ありません。 ただ欲をいえば、もう少し上等のシートが欲しいのですが。 
 
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  家庭内の雑事の報告は、これぐらいにしまして、もう皆様ご存知ですね、新旧交代がもう一つございます。 
  ついに、ホームページビルダーを導入しました。 今まで高くて手が出ませんでしたが、七千円で安売りしていたものですから、つい買ってしまいました。 何やかやで、点数も溜まっていました。 それで実質は三千円ぐらいで購入できたのです。
  今までは、やむなくワードを使用してWebページの作成をすべて行っていたのですが、カーソルがリンクの上に来ても、データに変化が無いのを寂しく思ったり、他のページを見ては指をくわえてうらやましがらなくても良くなったのは、これも大変嬉しいことです。
  しかし、思っていたほどには自由がきかなくて、買ったのが良かったのかどうか、当分は、雑文のみに限定して使用することになりそうです。
  新しいプログラムを導入すれば、苦労するのは当然とはいえ、ここまで来るのは、それはもう大変でした。 皆様お察しください。 頭が固くなって新しい感覚を受け付けませんので、デザインは旧のものを蹈襲しました。 それに固執したのがいけなかったのですね、これでは何のために苦労しているのやら、やっている本人にすら、よく分っておりません。 しかしもうイメージが枯渇しているのです、何にも全然湧いて来ません、これではせっかくのビルダーが泣きますよ、まったく。 無駄遣いになったのでなければよろしいが。

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  今日は、どうやら世間では選挙が有りますようで、朝っぱらから飛行機がぶんぶん飛び回って、人々を選挙に駆り立てています。 どうにも迷惑なことです。
  この宣伝飛行というものは、非常な迷惑をかけながら、一体どれほどの効果が有るものやら。 人の頭上から押しつけがましい金切り声を浴びせながら、てんとして恥じないとは、まあ何と恥知らずな人たちか、役所が率先して、このようなものを利用するとは、一体何という国か。
  この言っていることが、また陳腐きわまりないと来ているのですから、ほんとに何とかして欲しいものです。


こちらは××市選挙管理委員会です
皆さん、今日は××市議会選挙の投票日です
必ず、投票して
大切な一票を、無駄にしないようにいたしましょう
『この一票、よりよい暮らしの××市』
 

  と、まあこのような事を大声で喚きながら、ぐるぐるぐるぐる飛び回って、三十分ほども頭上を離れません。 本来、自分勝手で人の事情などに斟酌しない性格の私としては、つい怒りを内に懐くようになるというような次第であります。

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  そう言えば、アメリカでは一人の怒れる若者が大変な事件を起してしまいました。 恐らく正気ではなかったのでしょう。 今の私と同じように怒りを懐き、怨みを呑んで、我慢に我慢を重ねていたのではないでしょうか。 人は誰も私のことを思ってくれない、私は無視されている、そんな人などを私も無視してやろう。 あたかも人などいないように振る舞おう。 人混みの中でピストルをぶっぱなそうと構うものか。 こうではないでしょうか。 社会の病理は人の心をむしばみます。 

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  ここで経文を引用しようとして、問題が起きました。 ビルダーがうまく動かなくなったのです。 そこでいろいろ試した所、どうやら経文には不可欠のUnicode定義の文字がビルダーと合わないようなのです。 無理すれば、何とかなるかも知れませんが、通常の方法が採れないならば、無理はしない方が利口というものです。 そこで引用は取り止めにします。
  それにしても、日本のコンピューター社会は、一体いつまで”シフト−JIS”を使うつもりでしょうね。 ものすごい不合理なコード体系だというのに、何か意地を張っているのでしょうか。
  これでは、コンピューターについても、日本は世界の孤児になってしまいます。

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  話をもとに戻しましょう。 仏教では、欲望(貪欲)と嫉妬(怒り)とは、人間の本能であると言っています。 私自ら、我が身を省みて、やはりその存在を否めません。 常に、欲望と嫉妬に、心を焦しています。 人が外車に乗っていれば、自分も同じようでありたいと思って、家計を顧みずに乗り、それはそれで、さまざまなひずみを生活にもたらします。 立派な家や庭を見れば、とても手に入らないと思って、心は固なに閉ざされ、伸びやかさと柔軟さとを失います。 人は、見るもの聞くものすべてに於いて、我が心を痛めつけているのです。
  そこに政治というものの存在理由が有ります。 強い者が弱い者を食い物にし、虐げるのは当然のことであり、自然の成り行きです。 敢えてしようと思わなくても、それは起ってしまうのです。 それを政治の力で押し止めなくてはなりません。 それができない社会は、やはり病理を抱えていると言わなくてはならないでしょう。

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  わが国では、はたして公平な選挙により、公平な政治が行われているのでしょうか。 選挙そのものが公平に行われているか、これは世界でも第一級だと思います。 しかし公平な政治が行われているか、これは甚だ疑問です。 民主主義は選挙によって実現され、これ以外に良い方法は無い、これを一応の真理だとする時、今の制度の本では、公平な政治は実現可能でしょうか。 公平な政治とは、単にあらゆるものに対して機会が均等であることではありません。 下に厚く、上に薄くを目指すことが、公平と呼ばれるべきです。
  恐らく、もっと良く考える行為が、もっと多くの人の身に着いた時、初めて良い政治が行われるのだと思います。

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  もっと多くの人が、もっと良く考えるとは、考える基準を確立するという事です。 その基準は、常に正義の実現に置かれていなくてはなりません。 正義とは下に厚く、上に薄いことです。 これは子供の内から、教えられなくてはならないことです。 要は家庭の問題です。 
  しかし、子供たちは家庭に在りながら、孤児になっているのではないでしょうか。 それぞれが幼い時分に、すでに勉強のためと称して個室を与えられています。 子供たちは、何から何を何う学べば良いのでしょう。 私も不安になって来ました。 皆様も、どうか不安に思ってください。

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  今月は、ここまでです。 何やら飛行機のせいで、嬉しいはずが怒ったような口調になってしまいました。
  では、皆様来月までご機嫌よう。

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公園で咲いていた桜 竹の子すし



  (新旧交代 おわり)