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涅 槃 会(ねはんえ)

 

 昨年の暮れは大変忙しく、そのために、つい考えがおろそかになってしまったのでしょう。 李白の白髪三千丈を、見境もなく前後を省いて載せてしまいました。 まあ、お酒を飲みながらするようなものは、こんなもんです。 しかし、どうもその後の寝覚めがよくありません。 その前後にこそ価値が有ったのです。 見所を、その一点に限っていたのでは、とうていその本来の要領を得ないことは、その時でも薄々は感づいていました。 ただ、人口に膾炙していて分り易いから、説明が容易だからというような、手前勝っての理屈で楽をしていたのです。 こんな理屈は、とうてい天もそれを覆うことを厭い、地もそれを載せることをためらう、また自らも内身の忸怩たるを認めざるを得ないのであります。

 どうも、お酒の害を説きながら、恥ずかしいことに、実は今も、お酒が抜けていません。 しかし、この李白も、お酒好きでは有名で、杜甫(とほ)が、李白は一斗、詩百篇と歌っております事は、皆様、よくご承知の所です。

 確かに、李白の詩を読んでみて、感じられることですが、李白は、その酒に酔うということの中に、詩情を集め、言葉に出していました、作品によく表れています。

 酒に酔った中では、物の大小、遠近が、ごちゃ混ぜになって感じられます、ごく小さな草花に涙し、天下の大事には、何も感じません。

 この秋浦(しゅうほ)の歌もそうです。 哀しい哀しいと言いながら、その言葉は空しく上面を流れ、実感をともないません。 肺腑をえぐる悲しみも、羽化登仙の喜びも、詩人の心の、ごく軽い、表面の部分のみを撫でながら、言葉となり、川の流れと共に、次々と通り過ぎて往きます。

 李白の偉大さは、実にここにあるのです。 いかなる思いにも、極めて卑小の感じを懐かせ、その上で宇宙の広大を、また極めて身近に感じさせます。 ここに詩仙と世に呼び習わされた、この詩人の真骨頂があります。

 ここに思いを留めて、李白の歌う秋浦の歌を、お聞き下さい。

 

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(しゅうほのうた

 その一

秋浦(しゅうほ、地名) 長(とこし)えに秋に似たり

使

蕭條(しょうじょう、ものさびしさ)として 人を愁えしむ。

客愁(かくしゅう、旅人の愁い) 度すべからず

行きて 東の大楼(だいろう、高殿)に上(のぼ)り

西

西に正して 長安(ちょうあん、都の名)を望めば

下に見る 江水(こうすい、揚子江)の流れ。

言(げん)を寄せて 江水に向かう

汝 意(こころ)に 儂(われ)を憶(おぼ)ゆるや不や

遥かに 一掬(いちきく、ひとすくい)の涙を伝えて

我が為に 揚州(ようしゅう、地名)に達せよ

 

 秋浦(しゅうほ)は揚子江(ようすこう、長江)沿岸、今の安徽(あんき)省貴池(きち)県辺りの県です。凡そ人口一万が県の単位ですので、処によっては村のおもかげがあります。

 李白は、一説によると、この時、55才、都を離れて、はや十数年、地方を歴遊していたということです。

 

 

≪ その一 ≫

秋浦、その名に違わぬ秋の浦

もの寂しくて、人を愁いに沈ませる。

旅人は、愁いから抜け出せないので、

東の小高い処にある、高殿に上ってみる。

西の方、遥かに長安を望めば

下に、揚子江が流れている。

この流れに向かって、言ってみよう

おい、俺を憶えているかい?少しの頼みを聞いてくれ

俺の、一掬いの涙を 華やかな

揚州に、伝えて欲しいのだ。

 

 

 揚州は、揚子江の下流、江蘇(こうそ)省にある華やかな都市の名です。

 

 

 

 

 その二

秋浦の猿は 夜に愁(うれ)え

黄山(こうざん、山名)堪えて 頭(こうべ)を白(しら)む。

清溪(せいけい、清流)は隴水(ろうすい、河名)に非ざるも

翻(かえ)って 断腸(だんちょう、激痛)の流れを作(な)す。

去らんと欲して 去るを得ず

薄游(はくゆう、小旅)は久游(きゅうゆう、長旅)と成りて

何(いづれ)の年か これ帰りの日なる

涙を雨ふらして 孤舟(こしゅう)にて下る。

 

 黄山は、秋浦の南にある山の名です。

 隴水は、甘粛(かんしゅく)省の隴山(ろうざん)の下を流れる川の名で、ここでは隴頭歌(ろうとうか)という古い歌を引いています。

                  ≪ 隴 頭 歌 ≫

 隴頭(ろうとう、隴山のふもと)の流水は

 山の下を流離(りゅうり)す。

 吾が一身を念(おも)えば

 曠野(こうや)に飄然(ひょうぜん)たり。

 朝(あした)に欣びの城(しろ、)を発(た)ち

 暮れには隴頭に宿す。

 寒さは語る能わず

 舌は巻いて喉に入る。

 隴頭の流水は

 鳴声(めいせい、鳴き声)嗚咽(めいいん、むせび声)たり。

 遥かに秦川(しんせん、地名)を望めば

 心肝(しんかん)断絶たり。

 

≪ その二 ≫

秋浦の猿は、夜になると愁えるのか

黄山は それに堪えて、しらが頭だ。

清溪は 隴水ではないが 岩にぶつかり

翻り 断腸の声を立てて流れる。

去ろうとして 去るをえず

寸暇を楽しもうとして つい長逗留だ。

何年たったら 帰る気になるのだろう

雨のように涙を流し 今日も、ひとりで船遊びしよう。

 

 

 

 

 

その三

秋浦は 錦の駝鳥(だちょう、鳥名

人間(じんかん)と天上(てんじょう)に稀(まれ)なり。

山鶏(さんけい、鳥名)も 淥水(ろくすい、河名)に羞じ

敢えて毛衣(もうい)を照らさず。

 

 山鶏は、雉子科の、羽の美しい鳥です。その美しさに自ら見とれることは文献にも出ています。

 

≪ その三 ≫

秋浦には、錦の駝鳥がいる

人間界、天上界に類(たぐい)なし。

山鶏(さんけい)でさえ 劣ることを羞じ、淥水に

羽の衣を 映すことはできまい。

 

 

 

         ≪博物志 物性≫

 山鶏 美しき毛を有し、自ら その色を愛す。 終日 水に映して、目が眩み、則ち溺死す。

         ≪異苑 三≫

 山鶏 その毛羽を愛し、水に映して、則ち舞う。 魏(ぎ)の武帝の時 南方より これを献ず。 帝 その鳴き、舞うことを欲すれど、由(よし)無し。 公子蒼舒(そうじょ) 大鏡を、その前に置かしむ。 鶏 形を鑑みて舞い、止まることを知らず。 遂に死す。

 

 

 

 

その四

両鬢(りょうびん) 秋浦に入りて

一朝 颯(さつ、衰退)として已(すで)に衰(おとろ)う。

猿声(えんせい) 白髪を催(うなが)し

長短 尽(ことごと)く糸と成る。

 

≪ その四 ≫

両鬢の毛も 秋浦に入ってから

一朝にして衰えた、 バサバサだ。

猿声(えんせい)が 白髪(はくはつ)を催すのか

長短、糸のごとく、クタクタだ。

 

 

 

 

 

その五

秋浦 白猿(はくえん)多く

超え騰(あが)りて 飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。

條(こえだ)の上に 児(こ)を牽引(けんいん)し

飲んでは 水中の月を弄(ろう)す。

 

≪ その五 ≫

秋浦には、白い猿が多い

飛んだり跳ねたり 雪のように舞う。

小猿の手を引いて 小枝を行き来し

水を飲むときには 映った月を弄んでいる。

 

 

 

 

 

その六

愁いて 秋浦の客と作(な)れど

強いて 秋浦の花を看(み)る。

山川は 剡県(せんけん、名勝の地名)の如く

風日は 長沙(ちょうさ、名勝の地名)に似たり。

 

≪ その六 ≫

愁いのままに 秋浦に来たが

元気を出して 花見でもしようか。

山川(さんせん)の趣は 剡県(せんけん)に似ている

風日(ふうじつ)は 長沙(ちょうさ)に似ているか。

 

 

 

 

 

その七

酔うて上る 山公(さんこう、古の知事名)の馬

寒うして歌う 寧戚(ねいせき、古の重臣)の牛

空しう吟ずる 白石(はくせき)爛(らん、まばゆい)たりと

滿 K

涙は満つる 黒貂(くろテン)の裘(かわごろも)。

 

≪ その七 ≫

酔うて上ろう 山公(さんこう)の馬

寒けりゃ歌おう 寧戚(ねいせき)の牛と。

空しく吟ずる 白石(はくせき)爛(らん、ピカピカ)と

涙でずぶ濡れ 黒貂(くろてん)の衣。

 

 

 山公とは、荊州(けいしゅう、湖北省襄陽)の知事、晋(しん)の山簡(さんかん)をいいます。 いつも酔って馬に乗っていたので、童歌に歌われました。

 

            ≪ 晋書列伝第十一 山涛(山簡) ≫

山公は 何許(いづこ)に出づる

往きて 高陽池(こうようち、庭園名)に到る。

日夕(にっせき、日暮れに) 倒れて(車に)載って帰り

酩酊して 知る所 無し。

時々 よく馬に騎り

倒(さかさ)に 白い接離(せつり、頭巾)を著け

鞭を挙げて 葛強(かっきょう、山簡の将)に向かい

『何如(いかん)? 并州児(へいしゅうじ、并州ちゃん)』と。

  ※葛強の家は并州にあり、山簡は葛強を愛した。

 

『山公 お出かけ いづこに往きやる

いつもの宴会 高陽池

日暮れにゃ 倒れて車で お帰り

酔うて 何にも憶えなし

時々 お馬に お騎りになれば

白い頭巾を さかさに被り

鞭を振り上げ 葛強に向かって

どんなもんだい 并州児(へいしゅうじ)。』

 

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 寧戚(ねいせき)は、衛(えい)の人、牛に車を引かせながら、牛の角をたたき歌っていた所、斉(せい)の桓公(かんこう)に見出だされて、重く用いられました。

 

      ≪飯牛歌(うしをやしなう歌)または牛角歌 二首≫

             その一

 南山(なんざん)矸(かん、キラキラ) 白石(はくせき)爛(らん、ピカピカ)。

 生まれて遭(あ)わず 堯(ぎょう、古の聖帝)と舜(しゅん、古の聖帝)とに。

 短布(たんぷ)の単衣(ひとえ)は 

 適(たまたま、ちょうど) 骭(かん、すね)に至る。

 昏(たそがれ)より牛に飯(くわ)せて 夜半に薄(いた)り

 長夜(ちょうや) 漫漫(まんまん、長い)として

 何(いづれ)の時にか 旦(あ)くる。

 

             その二

 蹌踉(そうろう、河名)の水は 白石燦(さん、キラキラ)たり

 中に 鯉魚(りぎょ、魚名)有りて 長さ尺と半ばなり。

 弊布(へいふ、ボロ布)の単衣(ひとえ)は、裁ちて骭(かん、すね)に至り

 清朝(せいちょう) 牛に飯(くわ)せて 夜半に至る。

 黄なる犢(こうし)は 阪を上りて 且(しばら)く休息

 吾 まさに汝を舎(さしお)きて 斉の国を相(たす)けんとす。

 

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 黒貂の裘(かわごろも)も故事を引いています。 戦国時代、合従連衡(がっしょうれんこう)で有名な、蘇秦(そしん)は、秦(しん)の恵王(けいおう)に、認めさせようとして、十いくたび上書したが、用いられず、その間に、用意した黄金百斤は無くなり、困窮して、黒貂の裘がボロボロになってしまったといいます。

 

 

 

 

その八

秋浦 千重(せんちょう)の嶺(みね)

水車嶺(すいしゃれい、嶺名) 最も奇なり。

天 傾いて、石(いわ)を堕とさんと欲し

水は払う 寄生(きせい)の枝。

 

≪ その八 ≫

秋浦は いくえにも嶺嶺(みねみね)重なり

水車嶺(すいしゃれい)は 最も奇である。

天は傾いて 頂上の石(いわ)を堕とそうとしており

水は 岩に寄生した木の枝を払って流れてゆく。

 

 

 水車嶺は、秋浦の近くの名勝です。

 

 

 

 

その九

江祖(こうそ、水際に突っ立つ巨石の名) 一片の石

青天 画屏(がへい、画いた屏風)を掃く。

詩を題(だい、岩に字を刻む)して万古に留むれば

緑字(りょくじ、苔むした字) 錦苔(きんたい)を生ず

 

≪ その九 ≫

江祖(こうそ)は 石の画屏(がへい)

青天にとどいて 風をみだす。

詩を刻めば 万古(ばんこ)にとどまり

緑に苔むして 字に錦を生じる。

 

 

 江祖は、秋浦近くの奇岩、水から天に突き出して、高さ数丈といいます。

 

 

 

 

その十

千千(せんせん) 石楠(せきなん、しゃくなげ)の樹

万万(ばんばん) 女貞(じょてい、ねずみもち)の林

滿

山山(さんさん) 白鷺(はくろ、しらさぎ)満ち

澗澗(かんかん) 白猿(はくえん)吟(ぎん)ず。

君 秋浦に向かうこと莫(な)かれ

猿声(えんせい) 客心(かくしん、旅の心)を砕く。

 

≪ その十 ≫

千の千倍 石楠(せきなん)の樹

万を万する 女貞(じょてい)の林

山と山とは 白鷺(はくろ)満ち

白猿(はくえん) 澗澗(かんかん)呼び交わす。

君 秋浦は鬼門だぜ

猿の声さえ 旅人の心みじんに打ち砕く。

 

 

 

 

 

その十一

邏叉(らしゃ、磯の名) 鳥道(ちょうどう)に横たわり

江祖 魚梁(ぎょりょう、集魚のしかけ)に出(い)づ。

水は急(せか)して 客舟(かくしゅう)疾(はや)く

山花(さんか) 面(おもて)を払うて香(かんば)し。

 

≪ その十一 ≫

邏叉(らしゃ)の磯を 鳥の群れが横切り

江祖石(こうそせき)は 魚梁の辺りに突っ立っている。

水流は 客舟(かくしゅう)を急(せ)かし

山花(さんか)は 香って、面を払う。

 

 

 

 

 

その十二

水 一匹(いっぴき、一疋)の練(れん、練り絹)の如く

この地 即ち天に平らかなり。

耐(むし)ろ 明月に乗じて

花を看て 酒船に上るべし。

 

≪ その十二 ≫

水は 一匹の練り絹(ねりぎぬ)か

この地つづいて 天に上ると。

そうだ 明月(めいげつ)の日には

花を看ながら 酒船(しゅせん)に乗ることにしよう。

 

 

 

 

 

その十三

淥水(りょくすい、清流) 素(しろ)く月を浄め

月明(げつめい、月明かり)に 白鷺飛ぶ

郎(ろう、)は聴く 菱を採る女

一道(いちどう、同じ道) 夜、歌うて帰る。

 

≪ その十三 ≫

淥水(りょくすい)には 白く月が映り

月の明かりで 白鷺(はくろ)が飛ぶ。

若者は 菱を採る女の歌を聞き

夜には そろって歌いながら帰る。

 

 

 

 

 

その十四

炉火(ろか、溶鉱炉の火) 天地を照らし

紅星(こうせい) 紫煙に乱る。

郎(ろう、)を赧(あか)らむ 明月の夜

歌曲 寒川(かんせん)を動かす。

 

≪ その十四 ≫

炉火(ろか)は 天地を照らし、

紫煙の中に 紅(くれない)の星が飛び散る。

若者は 顔を赧(あか)らめて 明月に働く

歌声が 寒い川を流れている。

 

 

 秋浦には鉱山が有ったので、川辺の溶鉱炉で、銅などを溶かしていました。

 

 

 

 

その十五

白髪(はくはつ) 三千丈

愁いに縁りて 個(かく)の似(ごと)く長し。

知らず 明鏡の裡(うち)

何(いづれ)の処にか 秋霜(しゅうそう)を得たる。

 

≪ その十五 ≫

白髪(はくはつ) 三千丈、この部屋に満ちんばかり

いつの間に、愁いのためか このように長く。

鏡には、知らない顔が。 どこでだろう

初めて、髪が白くなったのは。

 

 

 

 

 

その十六

秋浦 田舎の翁(おう)

宿

魚を採らんとして 水中に宿り

妻子 白鷴(はくかん、白雉子)を張(は、網取る)らんと

罝(あみ)を結わえて 深竹(しんちく、竹林の奥)に映す。

 

≪ その十六 ≫

秋浦は 田舎(でんしゃ)の翁(おきな)が

魚を採るために 小舟に宿る。

妻子たちは 白い雉子を捕ろうと

網を 竹林に映して結わえる。

 

 

 

 

 

その十七

桃陂(とうひ、地名) 一歩の地

了了として 語声(ごせい、話し声)聞こゆ。

闇(あん、沈黙)に山僧(さんそう)と別れ

頭を低(た)れて 白雲に礼す。

 

≪ その十七 ≫

桃陂(とうひ)は ただの一歩で街境(まちざかい)

家家に 話し声が聞こえる。

山僧(さんそう)とは 黙って別れ

頭(こうべ)を低うして 白雲(はくうん)に礼をした。

 

 

 桃陂(とうひ)、一本には桃波(とうは)は、秋浦近くの街のようです。

 

 

 

 

 

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 陰暦の二月十五日に、お釈迦様は亡くなられましたので、各寺院では、この日に本堂に涅槃図を掲げ、涅槃会(ねはんえ)を開きます。

 八十才になって、お釈迦様は、身の衰弱を、ご自覚になり、最後に生まれ故郷の迦毘羅婆(かびらば)の地を指して、遊行されます。 途中、冶工純陀(じゅんだ)の施した、栴檀樹耳(せんだんじゅじ、茸名)を食べて、中毒にかかり下血が止まらなくなりましたが、それでも、なお旅を続けられたのです。 それもついに拘尸那竭羅(くしながら)国の沙羅樹林の中で、供の阿難(あなん)に床を作らせて、お臥せになりますと、もう起きることはできなくなりました。

 そんな中で、なお強いて説法を請う須跋陀羅(すばだら)の為に法を説き、最後の弟子とする儀式を終えられますと、身を床の上に横たえ、頭を北に面を西にして、息を絶えられたのです。

 陰暦二月の十五日の満月の夜のことですので、昼のように明るい光の中、辺り一面に満開の花に包まれてのことでした。

 涅槃とは、灯を吹き消すという意味です。 この短い話の中にも、この涅槃という言葉の中にも、我々は多くの教えを知ることができます。

 

 翻って、私どもの回りを見てみますと、どうも悲惨な事件が後を絶ちません。 五体を切断するバラバラ事件は連続しますし、我が子に、食べさせず餓死せしめる親もいれば、我が子を犬小屋で飼う親もいるというような有様で、この世相は、まさに崩壊寸前を表すと言ってもよいでしょう。

 

 新聞によりますと、『いだだきます。』、『ごちそうさま。』の食べ物に対しての感謝の言葉を言うなと、子供に禁じている親がいるとのことです。 金を払って食べるのに、感謝する必要がどこに有るというのです。

 いやいや、そんなことを言う親のいる国が、外にどこにあると言いたいのです。 食べ物に感謝するのは、どの国でも共通の意識であったはずです。 子供は、それを知りません、どの国の親も、それを子に教え、また教えて来たのです。

 家庭の相が崩壊したことを表してはいないでしょうか。それが心配です。

 

 皆様も、お手元の涅槃図を見てみましょう、無ければ工夫して見ることにしましょう。

 中央には、寝台が有り、お釈迦様が横たわっています。向こう側には大菩薩たちが取り囲んでいます。手前側と左右には、お弟子たちが慟哭しています。 冶工の純陀は最後の供え物を奉げて歎いています。 難陀(なんだ)龍王も歎いています。

 手前を見てみましょう。 大きな白象が四肢を上にして、転げ回って悲しんでいます。 恐ろしげな獅子も転げ回っています。 鳥もいます、孔雀もいます、鹿もいます、牛も踞って悲しんでいます。 犬、猫、いたち、テンの小動物もいます。 ヘビもいます、トカゲもいます、ムカデもヤスデもいます。 バッタ、蝉、カブトムシの昆虫類もいます。 皆、悲しんでいるのです。 アリも蚊もいました。

 これは、何を表しているのでしょう。 大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)では、四天王、兜率天王に並んで、魔王、天に住み、人々に様々な災難をもたらす魔衆の頭領も来て悲しんでおります。

 一切の命が来て、悲しんでいるのです。 しかし、悲しむには当たらない、法が残っている、皆が法に依っておれば、悲しむ理由は、少しもないと言っているのが、大菩薩の悲しみを超えた顔です。

 

いいですか?

仏教の一番大切な教えが

ここにあります。

 

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法は、それに依らなければ、悲しみは絶えません。

法とは、一切の命を、自分の命と同じに考え、大切にすることです。

因果応報、この道理を知り、一切の命を大切にしなければなりません。

自明の理です。 それなのに、誰も真剣に考えないのは、何故でしょうか。

教育に問題が有るのは確かです。

まず、最初に

毎日の

食べる物に感謝することを

教えましょう。

必ず、

『いただきます』と言ってから

食べましょう。

そして

食べ終わったならば

必ず

『ごちそうさまでした』

と言いましょう。

こんなに

簡単な事なのです。

これだけで

必ず

良い国に

生まれ変わります。

 

(涅槃会 終り)