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平成十九年、年頭のご挨拶

 

 

謹 賀 新 年

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

旧年中は、ご愛読いただきまして、誠に有難うございました。お礼申し上げます。

 

 つばめ堂は、本年もがんばるつもりでございますので、是非皆様も応援なさって下さいませ。

 

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と、折からの市長選挙の宣伝カーが喧しく、ご挨拶の口調も何やら選挙くさくなってしまいましたが、ご報告いたしたいこともございますので、早速、宣伝の方に移らせていただきましょう。

 

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 第一は、維摩経(ゆいまきょう)の解説と現代語訳を公開いたします。

 維摩経、詳しくは維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう)は、聖徳太子が、注釈され講義なさいましたことで、我が国に於いても、非常に早くから研究され、注釈書の類も、その名を挙げるに暇が無いほどで、群を抜いて多数ございます。

 ところが、そのように大切にされてきた経であるにも拘わらず、何故か近年では、無視に近い状態で、これは何とも口惜しくも残念としか言いようがございません。

 内容的には、読んで面白く、また適切な注釈書さえあれば、初学者にも分り易く、為になる所も、非常に多いだろう、また私に取りましても、このような大物を訳す機会が残されているということは、誠に有難いという訳で、喜んで訳させていただきました。

 どなたにも分り易く、楽しんで、お読みいただけますよう、苦心いたした所です。

 ちょうど皆様方も、お正月休み。為す所なく、お困りではございませんでしょうか。よい機会です、是非ご一読なさってくださいませ。

 

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 第二は、大智度論の既公開分の現代語訳を書き直しております。

 今月は第九巻の下を公開いたしましたが、試しに、多くの改行を挿入して、文章の主体と客体とが明了になるように計りましたところ、意外にも理解の程度が格段に良くなりまして、家人にも試したところでは、断然この方が良いだろうということになりました。

 それで第一巻から全部を、見直しましたところ、これが私の無知と不注意の山でございまして、徹底的な書き直しと相成りました。

 このような訳で、一一何処を修正したとは記しません。

 ただ今、第四巻を終え、それを公開したところでございます。全部が終りますのは、三月に入った頃ではないかと思いますので、その頃には、再度お読みくださいませ。

 大分、ご迷惑ではございましょうが、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

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 早いもので、またしても一年が、弓を離れた矢の如く、ひょオと、飛んで行ってしまいました。何やら残された年月を数えますと心細うございます。ここの所を、一休和尚が狂歌にして歌われたのでしょうか、

 

 

門松は冥土の旅の一里塚、めでたくも有りめでたくも無し

 

と。

 誠に言い得て妙、残された年月が少ないことを恨みもし、未だ残されていることを喜びもする、どうにも締まらない、私のヘロヘロ人生そのもののような気がして、痛く感じ入りました。

 ここは気を引き締めて、一瞬の弛みもなく行かねばなるまいという所ですが、どうもそれでは一向に私らしくもございませんので、ここはまあ、例によって例の如くにお付き合いをお願い申す次第で、相済まぬことでございます。

 

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 パロマの製品には欠陥が無かったと、第三者委員会が判断したということですが、何人も死んでいるのにそれはないだろうというのが、大方の見方でしょう。蒸し返すことになって恐縮ですが、当時考えていたことが有りますので、それを申します。たしか当時、新聞、テレビで盛んに取り上げられていましたので、それらの情報を本にして考えました。

 

 

ガス湯沸かし器を考える

 

1.製品の持つ本質的な問題

  a.これは半密閉式という型だそうですが、半密閉という言葉は意味をなしていません。

  密閉とは言うまでもなく、隙間なく閉じている状態でなくてはなりません。

  ただ湯沸かし器ならば、気体を室内に漏らさなければ良いのでしょうが、いづれにしろ『半密閉』はありません。

  しかしこの機器にはそのような機能は有りません。ただファンを回して排気ガスを室外に放出するための管が着いているのみで、空気の取り入れ口は室内に開放しているのです。ここから一酸化炭素という猛毒ガスが室内に逆流しました。

  b.ガス湯沸かし器は燃料である都市ガスあるいはプロパンガスを空気中の酸素を使って燃やし熱を取り出して湯を沸かします。

  この時、燃えたガスは、水蒸気と二酸化炭素という二種類の気体に変化します。これ等の気体は無毒ですので排気ガスを室内に放出する開放型の湯沸かし器も存在します。

  c.ただ室内にこれ等の気体が充満しますと、相対的に酸素の割合が減って人体に損傷を与え、また室内の空気中の酸素の割合が減ることによって、不完全燃焼を起こし、猛毒の一酸化炭素を発生しやすくなります。そのために締め切った室内では使用しないよう注意書きが添付されます。

  d.さてこの事故を起こした製品には、何等かの異常を検出してだと思いますが、自動的に燃焼を止める装置が付いていました。これが問題です。

  皆さんはどう思いますか。

  例えば、冬にシャワーを浴びているとして下さい。まだ十分に暖まらない内に、お湯の出が止まり、だんだんぬるくなって遂には水が出だしたとしたら。

  例えば、お風呂に適温の湯を満していると考えて下さい。入ろうと思って裸になり、湯船に片足を入れたら、それが冷たい水だったとしたら。

  例えば、うどんを茹でようとして、湯を出そうとしても水しか出なかったら。

  例えば、食器を洗うとき、水が出てきたら。

  e.この製品は、台所の換気扇と同時には使えないのだそうです。

  これは単なる推測ですが、狭いマンション、アパートでは台所で換気扇を使いますと、室内の気圧が下がります。

  たとえ締め切ってあっても、郵便受けのような所から、空気が入りますので、煮炊きする分には、余り問題にならないようですが、この湯沸し器には、それが問題でした。燃焼に十分なだけの酸素が不足して、安全装置が作動したのだろうと思っています。

  f.そこで改造されました。プロの手によってです。

  使い物にならない機器は、買い換えるか改造するかしかありません。パロマはここで抜本的な対策をすべきでした。しかし何もしなかったのではないでしょうか。

  使用者は仕方なく、プロの手を借りて異常を検出しても止まらないように改造しました。

  昔は、よく電気のブレーカーが落ちたものです。当時はブレーカーでなくヒューズと言っていました。熱で溶ける合金を配線の途中に仕掛けて置くのです。各家庭では、常にヒューズの予備が有り、溶けて切れるごとに取り替えたものです。それでも落ちると、代用の針金を差し込んだことも有りました。容量が小さく、10アンペアしか有りませんので、それ以上の機器を使用する時にはやむをえなかったのです。

  g.電気のフューズではありません。

  危険の度合いが段違いなのです。電気のヒューズを針金に替えても、経験的にまず問題は起こりません。とくに当時は使用する電気量が今に比べて遥かに少なかったのですから。

  一酸化炭素の場合はいけません、知らない内に死んでしまいます。

 

 

2.会社の持つ本質的な問題

  a.使用者に対する愛情が感じられません。

  使用者が何う使おうと、絶対に死なせない。この心が、ガスには必要です。一酸化炭素中毒は気付く前に死んでしまうのですから。

  この会社は、そうではなくて製品が一酸化炭素を発生する等の異常を検知したら、止めることで安全を謳いました。それで十分だと思ったのです。使用者が寒い思いをしたり、不便を強いられても、それは問題ではなかったのです。ここが恐らく一番の原因です。

  この製品は多くのマンション、アパートに設置されました。使用者のほとんどが、どんな改造がなされていたか、知らなかったと思います。自らの意志で設置したのでも、改造したのでもないのに、死んでしまった人もいるのです。

  b.安全に対する無智。

  不便さは、使用者を改造に走らせても文句は言えません。当然です、誰でも便利であれかしと思って買うのです。好んで不便を求める人はいません。不便である時点で、その製品には欠点が有るのです。欠点を改造して悪いと思うのならば、初めから改造しなくても良いように作るべきです。

  安全とは、そのことを見込んで言うのです。止めれば安全はないでしょう、動かない自動車、飛ばない飛行機を安全と言いますか、止めない工夫はなされたのでしょうか。

  それにしても、不思議に思います。小林敏宏パロマ会長が、「安全面をリードしている」あるいは「技術では今でも世界一と思っている」と言ったと新聞にありますが、いかにも真実そう思っているのではないかと思わせる所がです。

  安全とは、常に完全燃焼して使用者に不便を掛けず、誰も死なせないこと。

  技術とは、常に完全燃焼して使用者に不便を掛けず、誰も死なせないこと。

  これだと思うのですが。間違っていますか。

  今こそ亡くなられた方々の無念に思いを致すべきではないでしょうか。

 

      (中日2006/07/18,19

 

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 今、もちろん12月某日のことですが、家内はおせち料理の準備に忙しい日々を送っています。

 しばらく前から米のとぎ汁に浸けてあった身欠きニシンはようやく味を付けられて、昆布巻きの材料に成ろうとしています。そろそろ数の子も米のとぎ汁に浸けなくてはなりません。これは凡そ七日間浸けなくてはならないのですから、気を付けないと間に合わなくなってしまいます。黒豆はこの間デパートで買ってきました。車エビは三十日にデパートに行き受け取らなくてはなりません。日高昆布も小倉屋山本で求めました。かまぼこと伊達巻きは小田原の籠清に注文してあります、もうじき届くでしょう。菓子は‥‥、お酒は‥‥、レンコン、ユリ根、金時ニンジン、柚子、西京みそ、海老芋、大根、タヅクリ、諸子の佃煮、金柑、ごぼう、‥‥そうそうクワイを忘れてはいけません。あと‥‥まる餅、ぎんなん、シイタケを忘れる所でした、あと‥‥、あと‥‥、ああイソガシ。

 

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 この後、一休さんの詩文を何かと思っていたのですが、これがとんだ考え違い、狂雲集のページを何度もパラパラして見たのですが、どうも一休さんは根がくそ真面目な人であったようで、詩情というものが見当りません。

 そこで急遽、方針を変更しまして、大好きな李白の詩をお届けすることにしました。

 

 玄宗皇帝に仕え、華やかな宮廷の宴席に列なり、気儘な生活をしておりました李白ですが、安禄山の乱により世の中が乱れてからは、思うように行かなくなり、ついには僻地に流されてしまいます。途中友人の奔走もあり、許されて帰国の途につきますが、その旅の間に心労が重なり、ついに帰らぬ人となってしまいました。

 ある朝、貧弱な宿屋の一室で、窓に面した机に向かい、鏡を開いたところ、そこには見知らぬ人がいました。顔色は悪く、髪は真白に伸びきって鏡から溢れんばかりです。いつの間に、このように成ったのか!

 李白の心は、呻きを上げます、『白髪三千丈‥‥』と。

 

白 髮 三 千 丈

白髪(はくはつ)三千丈、

愁 似 個 長

愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し、

不 知 明 鏡 裡

知らず、明鏡の裡(うち)、

何 處 得 秋 霜

何(いづ)れの処(ところ)にか、秋霜(しゅうそう)を得たる。

注:秋霜(しゅうそう)は白髪のことです。

 

 

 

私の詩心も、つい誘い出されて、歌いだします、

 

ある朝、見知らぬ人がいる。ホイ、人がいる

鏡の中に、知らぬ顔、ホイ、知らぬ顔

しらが頭の人がいる、ホイ、しらがのネ

心配がおで見返した、ホイ、見返した

どうもどこかで見た顔だ、ホイ、見た顔だ

わたしとどこかよく似てる、ホイ、よく似てる

そこで鏡に気がついた、ホイ、気がついた

どうやら俺は寝過ごした、ホイ、寝過ごした

いつの間にやらこのしらが、ホイ、このしらが、

  こいつはしまったホホイのホイ。

 

 どうも失礼いたしました。なんと、あまりに下手だと仰る。これはご存じありませんね。下手にやるものなんですよ。大詩人の前で向こうを張るのはおこがましいってもんでしょう?下手がいいのです。‥‥

‥‥‥‥(一杯機嫌で)ムニャムニャ‥‥

 

 

(平成十九年、年頭のご挨拶 終わり)