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大器晩成 |
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『ドモリの方は心配ない、じきに直る。ふむー、この子は大器晩成じゃな。』、温かい火鉢に当たりながら、仙人のように口の周りに白いヒゲを生やした老人が言い、それを私の母が、かしこまって聞いておりました。私が五歳の時のことです。老人の予言どおり私のドモリはやがて直りましたが、もう一つの大器晩成の方は、どうもこの老人の口サービスであったようでした。 夜になって、これを報告した母は、父からこっぴどく叱られていました。 『仙人なんかに内輪の恥をさらして、馬鹿か、お前は。』、『しかし、何でもよく知っているということで。』、『田舎の物識りに何が分かるか、相談したところで、どうなるものでもあるまい。』 しかし、この大器晩成には、母はすっかり安心したようで、何かにつけて大器晩成を持ち出していました。 当時の冬は、今と違って、随分と寒さが厳しく思えまして、今になっても十二月には、暖かい火鉢の周りの、このようにさまざまなことが思い出されます。 この頃は、祖父と祖母とが家の中心部分に居て、何か雲の上の存在のようでしたので、自由気ままに振舞っていた父を除けば、皆、家の周辺部分に、それぞれの思いを懐いて住んでいました。 最前の火鉢は、私どもが使用できるただ一つの火鉢で、玄関脇の台所に向けて開け放った寒い部屋に置いてあり、六人ほどが当れる大きなものです。 朝、ご飯が炊き上がりますと、カマドから引いた熾(おき)を十能(じゅうのう、火を運ぶ柄杓)に取り、火鉢に入れますが、火鉢は直ぐには温まりません。温まるまで、何度も冷たい火鉢に触って、余りの冷たさに、あわてて手を引いたものです。 どうも今、思い出してみますと、昔は随分と寒い思いをしていたようで、私が着ていた綿入れの着物も、足袋も、上下のぬくぬくした下着も、皆、夜、寝る前にコタツの上に並べ、蒲団はその上に掛けていました。その温まったものを、朝になって着れば冷たい思いをしなくて済んだものです。それをしないと、氷のような着物を着なくてはならないので、それを考えただけでも起きるのが嫌になったものでした。 日中でも、火鉢の側から離れるのが嫌で、皆、用があるときは、掛け声をかけて立ち上がっていました。『さあ、行くか、あーあ、そら行くぞ。』と、まあこんな具合です。 まあ一種の団欒がそこに在ったわけです。 ************************ その頃のことが、現在の若者に想像がつくかしらん、よくも劇的に変化してしまったものだと思いますが、ご飯の炊けるにおい、煙のいぶったにおい、焚き付けにする落ち葉のにおい、薪のにおい、これらの強いにおいは、やはり自然そのもののニオイであり、それ自身が自然そのものであったのだなあと、つい感慨に耽ってしまいます。 ************************ もう昔のような生活が戻るとも思いませんが、何かが変化すれば、その影響はすべてに行き渡る訳で、人の気持ちのようなものも、何かしらん変化しない訳にはまいりません。 新聞に次のような投書がありました、
文章の稚拙はさて置くとしましても、論理の不十分なことは、目を覆いたくなるほどで、なぜそうなったのか、そうするとその高校はどのような利益を得るのか、さまざまな視点からの考察がまったくなされていません。 どうも部屋どころか、家全体がぬくぬくした環境で育てばこうなるという悪い見本を見たようで、こちらを不安にさせます。 学校のように大勢が集まる場所での最低限のマナーは、義務教育期間でさえ必要です。最近、耳にする学級崩壊などの言葉も、最低限のマナーを持たない子供に対して、教育現場でのお手上げ状態を言っているのです。 当然、打つべき手を打たなければ、大変なことになると知りながら、解決を先延ばしにしてきた罪は、誰に責任があるにしろ寧ろ重いものです。 ************************ 何でも出来ることからする、これが一番大切です。 昔から言われていることですので、あえて言いますが、 腐ったりんごを、良いりんごと同じ箱に入れてはなりません。 一箱すべてが腐ってしまいます。 ************************ |
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マナーの悪い子供を見過ごしにすることは、愛情ある行為とは言えなくて、ただ義務からの逃避でしかありません。学校関係者はこのことの是非を真剣に研究しなくてはならないでしょう。 病人を治すのは医者であって教師ではありません。一刻も早い専門家の育成が必要でしょう。 どうも日本では、口を閉ざしてさえいれば、そのことは無いことになり、いずれは元の良い状態に復すると思っている人が多いようですが、大きな間違いです。 マナーのようなものは、厳しい人間関係の中で初めて身に着けうるもので、甘やかし放置された中では身に着けることはできません。 ********************** 小学生の間に是非、マナーは身に着けたいもの、 高校では遅すぎます。 中、高校生の年代は、自己を確立することに必死です。 要するに、人と自分とは違うと主張する年代なのです。 人の意見などに耳を傾けるものですか。 ものにはそれに適した時があり、 それを逃すともうお仕舞いなのです。 ********************* それにしても、私の時代では、もっと志を高く持てと、常に教えられてきました。それが「はしの持ち方」ですからね、情けなくもなりますよ。 この人は「はしの持ち方」の悪い人と友達でありたいのだろうか。自分も悪いからだろうか。仲のよい友達に「はしの持ち方」の悪い人がいるのだろうか。いやその友達のことを思ってつい護ってやりたくなったのだろうか。それならば、頭の良し悪しは別としても、案外見所のある奴かもしれないな。 なんか昔、そんな情けない友達のために一肌脱いだ奴がいたなあ。そうそうあれだ‥‥ ********************* |
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11月16日 少し面白い記事を読みました。 日本のボージョレ・ヌーボーは高くないかという、毎日新聞の記事です。 何でも、4〜4.5ユーロ(600〜680円)のものが、米国では10ドル前後(約1200円)。それが日本の市場に出回ると、2000円以上になるそうです。 まあ何んとも豪気なことで驚きましたが、それにしてもこれは絶対に足元を見られているんですよ。 しかしどうも、そのボージョレ・ヌーボーの日本への輸出量は、全体の22%を占め、二位の米国(16%)、三位の英国(12%)を引き離して段トツの一位であるということについては、褒められたことではないような気がします。 |
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********************** 今月は三本の映画を見ました。 『トリスタンとイゾルデ』、『saw3』、『プラダを着た悪魔』です。 『saw3』以外はとても良い映画でした。特に『トリスタンとイゾルデ』は今年のグランプリ(もちろん私の心の中での)です。こんな良い映画は、今後何年間か出ないかもしれません。 |
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(大器晩成 終わり) |