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鹿せんべい |
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『国訳・解説 大智度論』もお蔭さまをもちまして今回で第八巻を終えることができました。 およそ十六ヶ月が過ぎたわけですが、この間、パソコンの都合で一回抜かした外は、まあつつがなく大智度論と雑文を毎月各一篇づつこなしております。 これも最初に立てたスケジュールが非常に楽であり、資料集め等の面倒な作業にも手を抜くことなく十分な時間をかけることができて、気分的にかなり余裕があったためにできたことだと思います。 月ごとに最初の十日間は大智度論、最後の十日間は雑文にあて、中の十日間を予備を兼ねた息抜きに充てておりますが、この中の十日間が実は非常に大切で、他の経典に目を通したり、時には小説を読んだりして、脳の中に十分に栄養を蓄えておく期間なのです。 これをしないとこれはもう大変で、謂ゆる脳死状態です。考えても何も出てこず文章の一句一字さえ思いつかない日々が延々と続いて、あせれどわめけど何の効果もありません。 まあこうならないように日頃の心がけが大切ということですが、つい調子に乗ってと言いますか、余りにスケジュールがスイスイこなせるものですから、欲が出て少し大部のものに手を出してしまいました。もうあらかた翻訳のほうは終りましたので、お正月には皆様のお目にかけることができようと思っております。 |
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こんな訳で、今月(九月の終わりから十月の半ば)は少し余裕ができましたので、この所忘れてしまっていた息抜きをしようと思い、観光を一回、音楽会に一回、映画を二本、それぞれ見たり聞いたりいたしました。 観光と申しましても、普段出歩いてばかりいる人とは違いまして、ごく手軽なところで奈良の大仏さまにはしばらくお目に掛かっていないので、まあこの先何回お目に掛かれるのか知れませんが、そんなに多いわけはございませんから出来る内にということで、家内に明日の朝は早いぞ、四時には出発するから、お前は三時に起きて握り飯をこさえよ。というようなことを申しつけますと、なかなか はい承知いたしましたという顔はいたしません。不穏な空気をすばやく察知いたしまして、いや五時にしよう、今日の内にご飯を炊いておけば明日は三十分もあればよいから四時三十分に起きよということにいたしまして、まだ十時になったばかりで早いような気もいたしましたが寝てしまいました。 それで目を覚ましたのが三時、まだ早うございますが目を覚ましたまま布団の中でぐづついているのも気が利きません、おいと声を掛けまして、時間だ握り飯を作れ、道が込むといけないからやはり早く出ようと申しますと、はいと案外素直に返事がありまして朝の支度を手早く済ませ、それぞれ二個づつの握り飯、これが何を勘違いしたものかいつもの麦飯で握ってありますから、ぱらぱらして落ち着かないのを食べまして、家を出たのが四時にはまだ十分ばかり早うございました。 案の定といいますか、思った通り朝は早く出るに限りまして、まだ暗い内に走っておりますと、やや冷たさを感じる夜明け前の空気に、神経が活性されまして気分が非常に良い。 特に高速道路は使わないことと決めておりますので、普通の道を走るのですが、それが高速道路の何やら急かされるような落ち着けない気分とは対象的に、落ち着いた気分で運転でき、神気清爽、気分晴朗この上なしという結構なドライブを楽しみまして、何と六時前に奈良の高畑駐車場に到着してしまいました。 |
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困った事に駐車場が開いておりません。 七時半までの一時間半をどこかで過ごさなくてはならないのです。 禍福はあざなえる縄、気分を新たにしまして近くの古刹、楼門が美しい忍辱山円城寺(にんにくせんえんじょうじ)に行き、ここでもお堂の扉は開いていませんので、建物と庭園の蓮の花を拝観したのみで大仏殿前に帰ってくると、すでに駐車場は門を開けておりました。 奈良の楽しみは三つあります。 (1)仏菩薩の尊像 (2)建造物と眺望 (3)その他 ≪ 仏 菩 薩 の 尊 像 ≫ 先ず最初に行くところは三月堂です。ここの不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)は見逃せません。 金箔が剥げて黒ずみ、しかも堂内が非常に暗いために何がなんだか良く分かりませんが、何しろ凄い威厳を感じます。 像はかなりの身の丈で三メートル六十センチほどあり、宝冠に嵌め込まれた宝玉と菩薩の眉間にある第三の眼がよく光り、この美しさは他では見られないものです。 次は是非大仏を見ましょう。奈良に来て大仏を見ないでは何をしに来たのか分かりません。 何度も戦火を被り、そのたびに首が落ち、それをまた何度も鋳なおしたということですが、少しも破綻せず、この大きさにして、なおかつ美しさを見せているのは驚異的です。 また両脇士の観音菩薩、虚空蔵菩薩は完全に金箔が残っており、美しさの質は異なりますがこれもまた良いものです。 この他にも今回は適いませんでしたが、三体の文殊菩薩にも常にお会いしたいものです。 第一は桜井の安倍文殊院、堂々とした巨像で優れたお顔が実に美しい。また乗っている獅子も面白い顔をしていて一見の価値があります。 第二は西大寺、最近襲名した海老蔵見たく切れ長の眼で、僅かに険の有るお顔は貴族的な雰囲気があり素晴らしい。 第三は般若寺、白木作りの童顔で凛々しく賢い雰囲気があり、小像ですが心に残るよい尊像です。 |
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≪ 建 造 物 と 眺 望 ≫ 二月堂のテラスから望む東大寺から興福寺にかけての眺めは他では得られません。 何よりも現代的な物が目に入らないことが良いのです。 この眺めは半日いても飽きないほどで、ベンチに坐ってぼんやりカラスが飛び回っているのを見ていれば、心は早や仙境にあります。 次は大仏殿、これは大きさが現す非現実感、近くに比較できるものがないために距離感を失い、かつ大きさ自体についても見当を失います。 中門の所からまっすぐ伸びた石畳を入り口めざして歩いて行きますと、近づくにつれ見る首の角度がどんどん上を向いて仕舞いには大仏殿が覆いかぶさって来るようです。 三番目は若草山、このなだらかな若草色が良いのです。 四番目は興福寺の五重塔、巨大で均整のとれた美しい塔です。 五番目は般若寺の楼門、小さいながらも独特の美しさがあります。 |
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≪ そ の 他 の 楽 し み ≫ 鹿にせんべいをやる楽しみ、これこそが奈良に来る一番の楽しみです。 普段、何かを与えて優越感を覚えるようなことは滅多にありませんが、ここ奈良ではそれができます。お大尽の気分をごく手軽に味わえる、これが良いのです。 『鹿せんべい』はドングリで作ったせんべいで、鹿は大層喜びます。 ただ安いものではございません、十枚一束が百五十円、これを今回は六束買いました。 それを鹿に見つからないようにバッグの中に入れておき、一束だけは封を切ってポケットに入れ、これを一枚づつ出して近くにいる鹿にやります。 可愛い目をした若い鹿にやりますと、鹿は頭を下げてお辞儀をします。 それを見つけて、大きな角をつけた老いた鹿がゆっくりと近寄って来ます。 これは余り可愛くないので、やらないでおきますと、この大きな鹿も頭を下げてお辞儀をいたしますので、これにも一枚やります。 修学旅行の生徒たちがこちら見ていますが、自分もやろうと思う者は少ないようです。 次は大仏殿で瓦を寄進する楽しみ、これはいささか自虐の楽しみです。 瓦に住処氏名と願い事を筆で書くのですが、これがまあ手が悪いとして親にも見離された生来の悪筆にとって、穂先を全部下ろした小筆で、余つさえ粘りけの強いペンキかエナメル状の墨で書かなければならないとなれば、一画を書かない中に筆先が広がって曲がり、次の画が書けなくなってしまいます。 もう十年も以前の事になりましょうか、初めて千円を払って瓦の上に筆を染めた時のことです。 筆が全然思ったように動いてくれません、余りの事に顔からは大量の汗がぽたぽたと滴り落ち、ハンカチはずぶ濡れに、回りには人だかり、一番いけないことは隣に五六人の同行に囲まれた台湾人がいて、自在に筆を使いこなし、やんやの喝采を浴びながら見事な筆跡で書いて見せたことでした。 周りの観衆からは、日本人を含めて思わず漏らすため息の声が聞こえてきました。 私はその中で恥かしさに堪えながら小学生のような字を書いていたのです。 それに懲りて練習すればよいのですが全然です。 それで奈良に来るたびに挑戦しているのですから、これはもう立派な自虐の楽しみです。まあいろいろですからね。 |
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奈良はこんな具合でしたが、当日は良く晴れた青空を、ぶんぶんと三機のヘリコプターが飛び回っていました。 何でも幼児殺しの判決が出るのだそうですが、新聞社だかテレビ局だかのヘリコプターが三機も午前八時から四時間も五時間も観光古都の上空を飛び回って喧しい音を響かせる必要がどこにあるのでしょうか。 何んな写真、また映像を撮ろうというのでしょう。護送車の映像はそれ程にも人々の興味をそそるのでしょうか。 分からないことだらけです。 ********************** しかしこの犯人は恐らくどこか気が触れた人のすることですから、何のような判決がでようと大した問題ではありません。 問題は昔からある”イジメ”が、今だに解決できないことの方だと思います。 これ等は幼いとはいえ正気の人間が起こしています。 それを経験として本人は成長するのです。いじめた本人は恐らく、それが汚い者、愚図な者、醜い者であるから、それをを廃除することは正義であると考え違いをしています。 自らが卑怯な犯罪を犯しているという意識は、決して持ってはいないでしょう。 日本人は卑怯ということについては独特の考えを持っているようですが、世界では通用しません。 いくら目的が正しくとも卑怯な行為はそれを帳消しにするものだと子供の中から教えなくてはならないことなのです。 真珠湾は遠い教訓ではありません、是非近い誡めとして活かして欲しいものです。 ********************** また”イジメ”は犯罪であるという考えも確立する必要があります。 犯罪であれば罰が必要です。 それは軽いものは一時間の教室での居残り、重いものは学監あるいは校長などの専門家による体罰、決して現場の先生が体罰を行ってはなりません。 先生といえども感情が入るとつい力が入りすぎたりして碌な事にはなりません。 子供は知識も経験も不足しています。 要するに考える土台ができていないものに反省させようとしても無駄です。 だいたい言って解らせることは大人に対してでも至難なのです、子供に言って解らせようとすることは無駄ではないまでも、何回も繰り返すことを止めることは容易ではありません。 子供に与える体罰は子供自身にとっても、より解りやすく、より負担が軽いのです。 もちろん犯罪に対する罰とするからには、それを明朗に周知徹底させる必要があるわけですが、それも心理的な抑止力として働きましょう。 |
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いづれにしても、日本人は考えることが嫌いで成り行きに任せることが好きです。 しかも決定することが嫌いで先延ばしすることが好きときては、スピード時代に適応できるとは思われません。 |
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少し話が飛んでしまいました。奈良はそんなことで二時頃には帰途に着いたのですが、昼は興福寺五重塔の近くの柳茶屋で三千円余りの松華堂弁当を食べました。 これは手を抜かずに料理されたもので非常に良いと思いました。 音楽会に一回というのは、『熊本マリ ピアノリサイタル』です。 普段はレコードで音楽のことは全て済ませていますのでリサイタルというようなものには とんと縁がありませんが、この人はラジオで話声を聞いて好感を持っていましたので行きました。 心配していたほどには、会場の雰囲気は悪くありませんでしたが、まるで各国の言葉が違う子供たちを一部屋に閉じ込めたようなプログラムには驚きました。 またショパンを大音量で聞かすという趣味も理解できません。しかし音楽は滞るようなことがなく新幹線のように突っ走る方だとみえて、一種の爽快感があり後味は悪くありませんでした。 二回の映画というのは、『ブラック ダリア』と『16ブロック』です。 共に今年の映画では上出来と言ってよいでしょう。特に『16ブロック』は、役者の質が良く、散見される不満も最後のシーンで挽回するほど後味の良い作品でした。 しかし七月に公開された『サイレント ヒル』には負けます。 |
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このようにして今月のわたくしは、ごくささやかな楽しみを楽しみ、足るを知ることの楽しさを味わって来ました。 しかし何やら昔にもこんな人がいたのではなかろうか。――という訳で古い高校の教科書を思いだしたのです。
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これは陶淵明(とうえんめい、365−427)の作詩です。陶淵明は潯陽柴桑(じんようさいそう、江西省九江市)の人ですが、自ら造ったプロフィールがありますので、後はそれに語ってもらいましょう。
まあ、こんな所です。では来月までご機嫌よう。 |
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(鹿せんべい 終り) |