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鹿せんべい

 『国訳・解説 大智度論』もお蔭さまをもちまして今回で第八巻を終えることができました。

 およそ十六ヶ月が過ぎたわけですが、この間、パソコンの都合で一回抜かした外は、まあつつがなく大智度論と雑文を毎月各一篇づつこなしております。

 

 これも最初に立てたスケジュールが非常に楽であり、資料集め等の面倒な作業にも手を抜くことなく十分な時間をかけることができて、気分的にかなり余裕があったためにできたことだと思います。

 

 月ごとに最初の十日間は大智度論、最後の十日間は雑文にあて、中の十日間を予備を兼ねた息抜きに充てておりますが、この中の十日間が実は非常に大切で、他の経典に目を通したり、時には小説を読んだりして、脳の中に十分に栄養を蓄えておく期間なのです。

 

 これをしないとこれはもう大変で、謂ゆる脳死状態です。考えても何も出てこず文章の一句一字さえ思いつかない日々が延々と続いて、あせれどわめけど何の効果もありません。

 

 まあこうならないように日頃の心がけが大切ということですが、つい調子に乗ってと言いますか、余りにスケジュールがスイスイこなせるものですから、欲が出て少し大部のものに手を出してしまいました。もうあらかた翻訳のほうは終りましたので、お正月には皆様のお目にかけることができようと思っております。

 

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 こんな訳で、今月(九月の終わりから十月の半ば)は少し余裕ができましたので、この所忘れてしまっていた息抜きをしようと思い、観光を一回、音楽会に一回、映画を二本、それぞれ見たり聞いたりいたしました。

 

 観光と申しましても、普段出歩いてばかりいる人とは違いまして、ごく手軽なところで奈良の大仏さまにはしばらくお目に掛かっていないので、まあこの先何回お目に掛かれるのか知れませんが、そんなに多いわけはございませんから出来る内にということで、家内に明日の朝は早いぞ、四時には出発するから、お前は三時に起きて握り飯をこさえよ。というようなことを申しつけますと、なかなか はい承知いたしましたという顔はいたしません。不穏な空気をすばやく察知いたしまして、いや五時にしよう、今日の内にご飯を炊いておけば明日は三十分もあればよいから四時三十分に起きよということにいたしまして、まだ十時になったばかりで早いような気もいたしましたが寝てしまいました。

 

 それで目を覚ましたのが三時、まだ早うございますが目を覚ましたまま布団の中でぐづついているのも気が利きません、おいと声を掛けまして、時間だ握り飯を作れ、道が込むといけないからやはり早く出ようと申しますと、はいと案外素直に返事がありまして朝の支度を手早く済ませ、それぞれ二個づつの握り飯、これが何を勘違いしたものかいつもの麦飯で握ってありますから、ぱらぱらして落ち着かないのを食べまして、家を出たのが四時にはまだ十分ばかり早うございました。

 

 案の定といいますか、思った通り朝は早く出るに限りまして、まだ暗い内に走っておりますと、やや冷たさを感じる夜明け前の空気に、神経が活性されまして気分が非常に良い。

 特に高速道路は使わないことと決めておりますので、普通の道を走るのですが、それが高速道路の何やら急かされるような落ち着けない気分とは対象的に、落ち着いた気分で運転でき、神気清爽、気分晴朗この上なしという結構なドライブを楽しみまして、何と六時前に奈良の高畑駐車場に到着してしまいました。 

 

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 困った事に駐車場が開いておりません。

 七時半までの一時間半をどこかで過ごさなくてはならないのです。

 禍福はあざなえる縄、気分を新たにしまして近くの古刹、楼門が美しい忍辱山円城寺(にんにくせんえんじょうじ)に行き、ここでもお堂の扉は開いていませんので、建物と庭園の蓮の花を拝観したのみで大仏殿前に帰ってくると、すでに駐車場は門を開けておりました。

 

 

 奈良の楽しみは三つあります。

 (1)仏菩薩の尊像

 (2)建造物と眺望

 (3)その他

 

  ≪ 仏 像 ≫

 先ず最初に行くところは三月堂です。ここの不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)は見逃せません。

 金箔が剥げて黒ずみ、しかも堂内が非常に暗いために何がなんだか良く分かりませんが、何しろ凄い威厳を感じます。

 像はかなりの身の丈で三メートル六十センチほどあり、宝冠に嵌め込まれた宝玉と菩薩の眉間にある第三の眼がよく光り、この美しさは他では見られないものです。

 

 次は是非大仏を見ましょう。奈良に来て大仏を見ないでは何をしに来たのか分かりません。

 何度も戦火を被り、そのたびに首が落ち、それをまた何度も鋳なおしたということですが、少しも破綻せず、この大きさにして、なおかつ美しさを見せているのは驚異的です。

 また両脇士の観音菩薩、虚空蔵菩薩は完全に金箔が残っており、美しさの質は異なりますがこれもまた良いものです。

 

 この他にも今回は適いませんでしたが、三体の文殊菩薩にも常にお会いしたいものです。

 第一は桜井の安倍文殊院、堂々とした巨像で優れたお顔が実に美しい。また乗っている獅子も面白い顔をしていて一見の価値があります。

 第二は西大寺、最近襲名した海老蔵見たく切れ長の眼で、僅かに険の有るお顔は貴族的な雰囲気があり素晴らしい。

 第三は般若寺、白木作りの童顔で凛々しく賢い雰囲気があり、小像ですが心に残るよい尊像です。

 

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 ≪ 建 望 ≫

 二月堂のテラスから望む東大寺から興福寺にかけての眺めは他では得られません。

 何よりも現代的な物が目に入らないことが良いのです。

 この眺めは半日いても飽きないほどで、ベンチに坐ってぼんやりカラスが飛び回っているのを見ていれば、心は早や仙境にあります。

 

 次は大仏殿、これは大きさが現す非現実感、近くに比較できるものがないために距離感を失い、かつ大きさ自体についても見当を失います。

 中門の所からまっすぐ伸びた石畳を入り口めざして歩いて行きますと、近づくにつれ見る首の角度がどんどん上を向いて仕舞いには大仏殿が覆いかぶさって来るようです。

 

 三番目は若草山、このなだらかな若草色が良いのです。

 四番目は興福寺の五重塔、巨大で均整のとれた美しい塔です。

 五番目は般若寺の楼門、小さいながらも独特の美しさがあります。

 

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≪ そ み ≫

 鹿にせんべいをやる楽しみ、これこそが奈良に来る一番の楽しみです。

 普段、何かを与えて優越感を覚えるようなことは滅多にありませんが、ここ奈良ではそれができます。お大尽の気分をごく手軽に味わえる、これが良いのです。

 

 『鹿せんべい』はドングリで作ったせんべいで、鹿は大層喜びます。

 ただ安いものではございません、十枚一束が百五十円、これを今回は六束買いました。

 それを鹿に見つからないようにバッグの中に入れておき、一束だけは封を切ってポケットに入れ、これを一枚づつ出して近くにいる鹿にやります。

 

 可愛い目をした若い鹿にやりますと、鹿は頭を下げてお辞儀をします。

 それを見つけて、大きな角をつけた老いた鹿がゆっくりと近寄って来ます。

 これは余り可愛くないので、やらないでおきますと、この大きな鹿も頭を下げてお辞儀をいたしますので、これにも一枚やります。

 修学旅行の生徒たちがこちら見ていますが、自分もやろうと思う者は少ないようです。

 

 

 次は大仏殿で瓦を寄進する楽しみ、これはいささか自虐の楽しみです。

 瓦に住処氏名と願い事を筆で書くのですが、これがまあ手が悪いとして親にも見離された生来の悪筆にとって、穂先を全部下ろした小筆で、余つさえ粘りけの強いペンキかエナメル状の墨で書かなければならないとなれば、一画を書かない中に筆先が広がって曲がり、次の画が書けなくなってしまいます。

 

 もう十年も以前の事になりましょうか、初めて千円を払って瓦の上に筆を染めた時のことです。

 筆が全然思ったように動いてくれません、余りの事に顔からは大量の汗がぽたぽたと滴り落ち、ハンカチはずぶ濡れに、回りには人だかり、一番いけないことは隣に五六人の同行に囲まれた台湾人がいて、自在に筆を使いこなし、やんやの喝采を浴びながら見事な筆跡で書いて見せたことでした。

 

 周りの観衆からは、日本人を含めて思わず漏らすため息の声が聞こえてきました。

 私はその中で恥かしさに堪えながら小学生のような字を書いていたのです。

 それに懲りて練習すればよいのですが全然です。

 それで奈良に来るたびに挑戦しているのですから、これはもう立派な自虐の楽しみです。まあいろいろですからね。

 

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 奈良はこんな具合でしたが、当日は良く晴れた青空を、ぶんぶんと三機のヘリコプターが飛び回っていました。

 

 何でも幼児殺しの判決が出るのだそうですが、新聞社だかテレビ局だかのヘリコプターが三機も午前八時から四時間も五時間も観光古都の上空を飛び回って喧しい音を響かせる必要がどこにあるのでしょうか。

 何んな写真、また映像を撮ろうというのでしょう。護送車の映像はそれ程にも人々の興味をそそるのでしょうか。

 分からないことだらけです。

 

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 しかしこの犯人は恐らくどこか気が触れた人のすることですから、何のような判決がでようと大した問題ではありません。

 

 問題は昔からある”イジメ”が、今だに解決できないことの方だと思います。

 これ等は幼いとはいえ正気の人間が起こしています。

 それを経験として本人は成長するのです。いじめた本人は恐らく、それが汚い者、愚図な者、醜い者であるから、それをを廃除することは正義であると考え違いをしています。

 自らが卑怯な犯罪を犯しているという意識は、決して持ってはいないでしょう。

 

 

 日本人は卑怯ということについては独特の考えを持っているようですが、世界では通用しません。

 いくら目的が正しくとも卑怯な行為はそれを帳消しにするものだと子供の中から教えなくてはならないことなのです。

 真珠湾は遠い教訓ではありません、是非近い誡めとして活かして欲しいものです。

 

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 また”イジメ”は犯罪であるという考えも確立する必要があります。

 犯罪であれば罰が必要です。

 それは軽いものは一時間の教室での居残り、重いものは学監あるいは校長などの専門家による体罰、決して現場の先生が体罰を行ってはなりません。

 先生といえども感情が入るとつい力が入りすぎたりして碌な事にはなりません。

 

 子供は知識も経験も不足しています。

 要するに考える土台ができていないものに反省させようとしても無駄です。

 だいたい言って解らせることは大人に対してでも至難なのです、子供に言って解らせようとすることは無駄ではないまでも、何回も繰り返すことを止めることは容易ではありません。

 子供に与える体罰は子供自身にとっても、より解りやすく、より負担が軽いのです。

 

 もちろん犯罪に対する罰とするからには、それを明朗に周知徹底させる必要があるわけですが、それも心理的な抑止力として働きましょう。

 

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 いづれにしても、日本人は考えることが嫌いで成り行きに任せることが好きです。

 しかも決定することが嫌いで先延ばしすることが好きときては、スピード時代に適応できるとは思われません。

 

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 少し話が飛んでしまいました。奈良はそんなことで二時頃には帰途に着いたのですが、昼は興福寺五重塔の近くの柳茶屋で三千円余りの松華堂弁当を食べました。

 これは手を抜かずに料理されたもので非常に良いと思いました。

 

 音楽会に一回というのは、『熊本マリ ピアノリサイタル』です。

 普段はレコードで音楽のことは全て済ませていますのでリサイタルというようなものには とんと縁がありませんが、この人はラジオで話声を聞いて好感を持っていましたので行きました。

 心配していたほどには、会場の雰囲気は悪くありませんでしたが、まるで各国の言葉が違う子供たちを一部屋に閉じ込めたようなプログラムには驚きました。

 またショパンを大音量で聞かすという趣味も理解できません。しかし音楽は滞るようなことがなく新幹線のように突っ走る方だとみえて、一種の爽快感があり後味は悪くありませんでした。

 

 二回の映画というのは、『ブラック ダリア』と『16ブロック』です。

 共に今年の映画では上出来と言ってよいでしょう。特に『16ブロック』は、役者の質が良く、散見される不満も最後のシーンで挽回するほど後味の良い作品でした。

 しかし七月に公開された『サイレント ヒル』には負けます。

 

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 このようにして今月のわたくしは、ごくささやかな楽しみを楽しみ、足るを知ることの楽しさを味わって来ました。

 しかし何やら昔にもこんな人がいたのではなかろうか。――という訳で古い高校の教科書を思いだしたのです。

 

 

 

 歸去來兮辭

帰去来の辞(ききょらいのじ)

                      陶淵明(とうえんめい)作

 

 

歸去來兮

帰りなん、いざ

田園將蕪胡不歸

田園(田畑)まさに蕪(あ、)れなんとす、なんぞ帰らざる

既自以心為形役

既に自ら心を以って形(かたち、肉体)の役(えき、下僕)と為す

奚惆悵而獨悲

なんぞ惆悵(ちゅうちょう、悲哀)として独り悲しむ

悟已往之不諫

已往(いおう、)の諌めざるを悟り 注:過去は諌むべからず

知來者之可追

来る者の追うべきを知る        注:未来は追うべし

實迷途其未遠

実に途(みち)に迷うこと、それ未だ遠からず

覺今是而昨非

今は是(ぜ、肯定)にして昨(きのう)は非なるを覚る

舟遙遙以輕颺

舟は遥遥(ようよう、遥かに)として以って軽く颺(あ、)がり

風飄飄而吹衣

風は飄飄(ひょうひょう)として衣を吹く

問征夫以前路

征夫(せいふ、旅人)に問うに前路を以ってし

恨晨光之熹微

晨光(しんこう、朝日の光)の熹微(きび、微か)なるを恨む

 

帰ろうよ‥‥、田園荒らしてなるものか

田舎役場の小役人、何ぞ悲しみ独り泣く

過ぎしことより先のこと、楽しみあるを知らざるか

途に迷うもごく僅か、よき道とるに遅からず

舟足かるく帆は揚り、風はそよそよ旅気分

合い乗る人につい尋ぬ、あなたはどこまで行きなさる

言(こと)なき指の方(かた)見れば、朝(あした)の光微かなり

 

乃瞻衡宇

すなわち衡宇(こうう、門と家)を瞻(み、仰ぎ見)れば

載欣載奔

すなわち欣(よろこ)び、すなわち奔(はし)る

僮僕歡迎

僮僕は歓(よろこ)び迎え

稚子候門

稚子(おさなご)は門に候(ま、)つ

三逕就荒

三逕(さんけい、園内の小径)は荒に就くも

松菊猶存

松菊はなお存す 漢の蒋詡が園内の三径に松菊竹を植えた故事による

攜幼入室

幼(おさなき)を携えて室に入るに

有酒盈樽

酒ありて樽に盈(み、)てり

 

早くもわが家あの甍(いらか)、こけつ転(まろ)びつ声上がる

僮(わらべ)笑顔に立ち並び、わが幼子(おさなご)は門(かど)に待つ

庭の小径は荒るれども、松菊竹に変わりなく

幼き童たずさえて、敷居越ゆれば酒の樽

 

引壺觴以佔酌

壷と觴(さかずき)を引き以って佔(ひとり)酌み

眄庭柯以怡顏

庭の柯(小枝)を眄(なが)め以って顔を怡(ほころ)ばす

倚南窗以寄傲

南の窓に倚(よ)りて以って傲(ごう)に寄(あず)け

審容膝之易安

膝を容(い)るる(だけの小室)の安んじ易きを審(つまび)らかにす

 

盃(さかずき)取りてひとり酌み、庭にも顔をほころばせ

柄になくとも偉そうに、南の窓に寄りかかる

膝入るのみの家なれど、我が家(いえ)なれば安らけし

 

園日涉以成趣

園(えん、田園)にあること日に渉り以って趣きを成し

門雖設而常關

門は設くるといえども常に関(とざ)す 注:訪なう人の無きさま

策扶老以流憩

扶老(ふろう、)を策(つ)き以って流(さまよ)うては憩い

時矯首而遐觀

時に首を矯(あ)げて遐(はる)かに観る

雲無心以出岫

雲は無心に以って岫(いわあな、巌穴)を出で

鳥倦飛而知還

鳥は飛ぶに倦(う)みて還るを知る

景翳翳以將入

景()は翳翳(えいえい、陰る)として以ってまさに入らんとし

撫孤松而盤桓

孤松(こしょう)を撫して盤桓(ばんかん、躊躇)す

 

畑仕事を楽しめば、門はあれども閉じたまま

杖を突きつつさまようて、時に遥かに見下ろすに

雲は無心に涌きて出で、寝ぐらに帰る鳥多く

日は今まさに入らんとし、黄金の光松を撫(な)づ

 

歸去來兮

帰りなん、いざ

請息交以絕游

請う、交を息(や、)めて以って遊を絶たん 注:交遊を絶つ

世與我而缸遺

世は我に与うれど缸(こう、大甕)の遺(のこ)りなり

復駕言兮焉求

また言(ごん、言葉)を駕(あ)げて、焉(なに)をか求めん

ス親戚之情話

親戚の情話を悦び

樂琴書以消憂

琴と書とを楽しんで以って憂いを消さん

 

帰ろうよ‥‥、もう邪魔立ては無用なり

われに世間は何くれた、まっぴらご免だ残り物

噂話に花咲かせ、琴と書(ふみ)とを楽しまん

 

農人告余以春及

農人、余に告ぐるは春に及べりを以ってし

將有事於西疇

まさに西の疇(ちゅう、)に於いて事あらんとす

或命巾車

或は巾車(きんしゃ、幌馬車)を命じ

或棹孤舟

或は弧舟に棹さす

既窈窕以尋壑

既に窈窕(ようちょう、奥深く)として以って壑(たに)を尋ね

亦崎嶇而經丘

また崎嶇(きく、山道の険しきさま)として丘を経(ふ、経由

木欣欣以向榮

木は欣欣(きんきん、欣喜)と以って栄(繁栄)に向かい

泉涓涓而始流

泉は涓涓(けんけん、小流のさま)として始めて流る

善萬物之得時

万物の時を得たるを善しとして

感吾生之行休

吾が生の行きて休(や)むを感ず

 

春が来たよと農夫告げ、西の畑より見回らん

陸を行くときゃ馬車に乗り、水を往くときゃ舟漕がす

時に谷間の奥深く、時に険しき丘を越え

木々は喜びはや芽吹き、溶くる氷は沢となる

時の営み休みなく、万物恵むめでたさに

ああ吾ここに死なんとも、命嗣ぐもの栄えあれ

 

已矣乎

已(や)んぬるかな

寓形宇內復幾時

形を宇内(うだい、この世)に寓することまた幾時(いくばく)ぞ

曷不委心任去留

曷(なん)ぞ心を委ねて去留を任せざる

胡為乎遑遑兮

なん為(す)れぞ遑遑(こうこう、落ち着かないさま)として、

欲何之

何(いづく)に之(ゆ)かんと欲す

富貴非吾願

富貴は吾が願いに非ず

帝鄉不可期

帝郷(ていきょう、仙郷)は期すべからず

懷良辰以孤往

良辰(りょうしん、良い気候)には以ってひとり往くことを懐(おも)い

或植杖而耘耔

或は杖を植えて耘耔(うんし、耕作)し

登東皋以舒嘯

東の皋(おか)に登れば舒(おもむ)ろに嘯(うそぶ)き

臨清流而賦詩

清流に臨んで詩を賦(うた)う

聊乘化以盡歸

聊(ねが)わくは化(天地の変化)に乗じて以って尽(つ)いに帰し

樂夫天命復奚疑

かの天命を楽しんでまたなにをか疑わん

 

やんぬるかな‥‥、

仮の宿りのいくばくを、心痛めて如何んせん

心おろおろ彷徨うて、いづくに行かば気ぞ晴るる

富貴栄華に願いなく、仙人暮らしも気に染まず

晴れた良き日は独り往き、杖を植えては耕しぬ

東の岡に登る日は、好きな詩歌を嘯(うそぶ)きつ

清き流れに臨む日は、しゃれた文句を紡ぎ出す

わが願わくは天と地の、命ずるままに逆らわず

残る命を楽しみて、暮らせば何を疑わん

 

 

 

帰去来の辞 序

 

  余 家貧にして、耕植するも以って自ら給するに足らず。幼稚 室に盈(み)ち、 瓶に儲(たくわ)えの粟もなし。生を生ずるに資(かて)とする所 未だその術(すべ)を見ず。親故(親戚と知人) 多く余に長吏(高級役人)たらんことを勧む。脱然(だつぜん、何気なく)として懐(おもい、その気)あれども、これを求むるに途(みち)なし。たまたま四方の事(天下の動乱)あり、諸侯 恵愛を以って徳となす。家叔(叔父) 余の貧苦なるを以って、遂に小邑(しょうゆう、小村)に用いらる。時において風波 未だ静かならざれば、心に遠き役を憚(はばか、忌避)る。彭澤(ほうたく、地名)は家を去ること百里(五十キロメートル)、公田(俸給とする田)の利は以って酒と為すに足る。故に便(すなわ)ちこれを求む。少日に及び、眷然(けんぜん、反省するさま)として帰らんかの情あり。何となれば則ち質性の自然は矯氏iきょうれい、矯正と励行)して得る所にあらず。飢と凍とは切なりといえども、己に違えば交(かわ)って病む。かつて人事(任官)に従いしは、皆口と腹と 自ら役せり。ここに於いて悵然(ちょうぜん、悲嘆するさま)として慷慨(こうがい、心が高ぶる)し、深く平生の志を愧(は)ず。なお一たびの稔り(秋の季節)ののち、まさに裳(長衣の裾)を斂(おさ、)めて宵(よい)に逝(ゆ)くべきを望む。尋(にわか)に程氏の(嫁いだ)妹 武昌(ぶしょう、地名)に喪(うしな)う。情は駿奔(しゅんぽん)に在り。自ら免じて職を去る。仲秋より冬に至るまで、官に在ること八十余日。事(葬儀)に因(よ)りて心に順(したが)う。篇に命(な)づけて曰く、『帰去来兮(ききょらい)』と。乙巳(いつし)の歳十一月なり。

 

 

 

 これは陶淵明(とうえんめい、365−427)の作詩です。陶淵明は潯陽柴桑(じんようさいそう、江西省九江市)の人ですが、自ら造ったプロフィールがありますので、後はそれに語ってもらいましょう。

 

 

  五柳先生傳

 

 

陶 潛 字 元 亮 , 大 司 馬 侃 之 曾 孫 也 . 祖 茂 , 武 昌 太 守 .潛 少 懷 高 尚 , 博 學 善 屬 文 , 穎 脫 不 羈 , 任 真 自 得 , 為 鄉 鄰 之 所 貴 . 嘗 著 五 柳 先 生 傳 以

自 況 曰 :

 

「 先 生 不 知 何 許 人 , 不 詳 姓 字 , 宅 邊 有 五 柳 樹 , 因 以 為 號 焉 . 閑 靜 少 言 , 不 慕 榮 利 . 好 讀 書 , 不 求 甚 解 , 每 有 會 意 , 欣 然 忘 食 . 性 嗜 酒 , 而 家 貧 不 能 常 得 , 親 舊 知 其 如 此 , 或 置 酒 招 之 , 造 飲 輒 盡 , 期 在 必 醉 , 既 醉 而 退, 曾 不 吝 情 去 留 . 環 堵 蕭 然 , 不 蔽 風 日 , 裋 褐 穿 結 , 簞 瓢 屢 空 , 晏 如 也 . 嘗 著 文 章 自 娛 , 頗 示 己 志 , 忘 懷 得 失, 以 此 自 終 . 」 其 自 序 如 此 , 時 人 謂 之 實 錄 .

 

贊 曰 : 黔 婁 之 妻 有 言 : 「 不 戚 戚 於 貧 賤 , 不 汲 汲 於 富 貴 . 」 其 言 茲 若 人 之 儔 乎 ? 銜 觴 賦 詩 , 以 樂 其 誌 , 無 懷 氏 之 民 歟 ? 葛 天 氏 之 民 歟 ?

 

 

  陶潜(とうせん、陶淵明の本名) 字(あざな)は元亮(げんりょう)、大司馬(だいしば、官名)侃(かん)の曾孫なり。祖(祖父)は茂(ぼう)、武昌(ぶしょう、地名)の太守なり。

  潜 少にして高尚を懐き、博く学んで善く文を属(つづ)り、頴脱(えいだつ、抜群の才)にして不羈(ふき、束縛されない性)、真に任じて自ら得、郷鄰(近隣)の為に貴ばる。かつて『五柳先生伝』を著し以って自ら況(たと)えて曰く、

  『先生 何許(いづこ)の人なるかを知らず。姓字も詳らかならず。宅辺に五柳樹あり、因って以って号と為す。閑静にして言(げん、言葉)少なく、栄利も慕わず。読書を好めども、甚だしくは解することを求めず。意に会(かな)えること有る毎に欣然として食を忘る。性 酒を嗜めども、家 貧にして常には得る能わず。親旧(親戚と旧知) そのかくの如きを知りて、或は酒を置いてこれを招く。飲むことを造(はじ)むれば、輒(すなわ)ち尽くして、期するは必ず酔うに在り。既に酔えば退き、かつて情を吝(おし)んで去留(ぐずぐず)せず。環堵(かんと、家に巡らした垣) 蕭然(しょうぜん、寂寥)として風日を蔽(おお)わず。裋褐(じゅかつ、弊衣)穿(あなあ)きては結び、箪瓢(たんぴょう、食器)は屡(しばし)ば空なれども、晏如(あんじょ、天気の晴朗なるさま)たり。かつて文章を著して自ら娯しみて、頗る己が志を示し、得失を懐くことを忘れ、ここを以って自ら終る。』と。それ自ら序(の)ぶることかくの如し。時の人 これを謂って実録なりとす。

 

賛じて曰く、黔婁(けんろう、人名)の妻言えること有り、『貧賤に於いて戚戚(せきせき、憂鬱)たらず、富貴に於いて汲汲(きゅうきゅう、あくせくするさま)たらず。』と。それはこの人の類のごときを言うか。觴(さかずき)を銜(くわ)えて詩を賦(ふ、作詞)し、以ってそれを誌(しる)すことを楽しむ。無懐氏(むかいし、古代の帝王名)の民なるか、葛天氏(かつてんし、古代の帝王名)の民なるか。

 

(晉書陶濳傳)

 

注1:黔婁は春秋時代の隠者。

注2:無懐氏と葛天氏とは共に古代の帝王で、治世に勝れていた。

 

 

 まあ、こんな所です。では来月までご機嫌よう。

 

(鹿せんべい 終り)