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冷蓮子(りんれんつう) |
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暑い日が続いていますが、暦(こよみ)とは不思議なもので立秋が過ぎますといつの間にやら、何か秋めいた空気を感じるようになります。空気が爽やかに透き通って空に浮かぶ雲の輪郭がハッキリするからでしょうか。 畑には葉鶏頭が色も鮮やかに、鬼百合の花も暑さを笑うかのように咲き誇っていますが、子供の頃の私はこれを感じると夏休みが半分終ったことを示すシグナルとして、後は死刑の執行を待つ死刑囚の気持ちで一日一日減ってゆく夏休みを暗い気持ちで見送っていたものでした。 |
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それにしても、ニュースになる水難事故が多すぎるような気がしますがいかがでしょうか。海にしろ川にしろそれが危険な場所であるという認識が大分薄れているような気がします。 昔は交通の便が余りよろしくなかったからだと思いますが、遊び場というものは近くにいくらでもありましたので、そこで皆遊びますから自然と危険な場所、安全な場所の認識は世代を越えて受け継がれていました。それで川遊びで死んだというような話は、それは有るにはあったと思いますが、しかし自分の知っている範囲ではついぞ聞いたことなどはありませんでした。 当時は何しろ中学校でさえ川に粗い柵をしてプール代わりにしていたぐらいですから、そう何人も死んでは困るわけです。いや良い時代でした。 と、このように記憶の中だけがやたら美化されて残っているというのも老化現象が進んだようで確かに問題ですが、それでも一人が一台の車を持つ夢のような世界が実現した裏には、それで失ったものも多いのであります。 これもまあ言ってみれば当然のことでしょうか、『移動の快適さ』を得て『土着する安穏』を捨てた、『何かを得て何かを失う』という物理でいう所の運動量不滅の法則のような原理が働いているのは間違いのない所なのです。 この国は原料を輸入して製品を輸出する、そしてその手間賃で生活するという形態を選んだのですが、その手間賃はただ人手だけかというと中々そう上手くは問屋が卸さないわけでして、やはり非常に高価なものと物々交換しなくてはならなかったのですね。 豊かな森林、緑の田んぼ、真っ白い海岸線、等々‥‥、これらを捨てて真新しい車と舗装された道を得たのです。 原料もいつまでもそうお安く上がるわけもございませんし、本来原料を輸入するということ事体が競争に勝つことを困難にしている上、競争相手となる国は遥かに有利な地理的条件を備えているですから、我々が少々我慢をすればよいというような問題でもなくなりつつあるのです。 工業を得て農業と観光を捨てる政策が本当に必要であったかどうか、考え直してみたいものです。所詮先より持っていた以上のものを得ようと考えるのは虫の良すぎる話であると思うのですが、そうではございませんしょうか。 |
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まあ堅い話はそこそこにしまして、そこで川で遊ぶことについてですが、水が流れるということは、プールでの経験では処理しきれないものがあることを知らなくてはなりません。しかも川ごとにある危険の様態も種々に異なっています。 深みに吸い込まれたり、水中に隠れた岩で頭を打ったりと、川には見た目以上の危険がひそんでいます。 プールで少々泳げれば、川の深い淵の部分で泳ぐ分にはわりと安全なもので、深いから危険というわけのものでもありません。もちろん渦が巻いているような場所は底に岩などがある証拠ですから水の流れは複雑で、なかには渦に吸い込まれるようなことが起きないとも限りませんが、 しかしこれは誰でも見れば分かることでございますから、知らない川を夜に泳ぐというような無謀をしなければまづ大丈夫なのです。 問題は浅瀬のほうにあります。見た目には何所に危険があるのかと疑う、せいぜい膝ぐらいの深さでも、意外な危険が隠れています。 これからは私の経験を述べて幾分でも皆様のお役に立てればと思う次第でございます。 |
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ある夏の日のことです。 当時私は大学生で、学校には家から通っておりましたが、それでも子供の頃からの友人たちとはかなり疎遠になっており、夏休みはただ一人ぶらぶらと何をするでもない、遊ぶのでもなく遊ばないのでもないといった極めて気隨な日々を過ごしておりました。 そのような中でふと思いつきましたのは子供の頃の川遊び。 そこで何気なく、まあ愚かなことと申しますものは概ね何気なく起こすものではございますが、本当に愚かにも、ただ一人で川に行ったのが間違いの元。これが後に大変なことになろうとは夢にも思わなかったのであります。 川に着いて見ますと、案に相違してと言いますか、初めは川に行けば誰かかれか旧友に出会って、また仲良く話でもできれば面白かろうぐらいに思っていたのですが、まあ夏休みだからといってそう誰もかれもが遊びほうけている筈もございませんのでしょう、見事に人っ子一人、誰もおりませんでした。 これでは面白さも半減でございます。当然そこで帰ってしまえば賢い人にでもなれたのでしょうが、そうしないのが私の愚かな所で、世の愚人の方と同じく、どんどんどんどん悪いほうへ悪いほうへと流されて行くのです。まあ今でも同じですがね‥‥。 元来臆病な私は、深みで泳ぐのは特に誰もいない所では何かあったら大変だというような気持ちから、浅瀬ならば大丈夫だろうと思いまして、深さが膝ぐらいの水の中に隠れた、およそ西瓜ぐらいの丸い石を踏みしめながら下流のほうへ歩いて行きました。水の中の石は苔でぬるぬる滑ります。 恐らくへっぴり腰で歩いていたのでしょう、突然足を取られてひっくり返ってしまいました。 水の上に尻餅をついたようになったのですが、幸いにも尻が少々痛いぐらいで身体が傷ついたというようなことはございません。 ここで問題です。その後、私はどうなったのでしょう。皆様、お考えくださいませ。 |
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これはびっくり! 正解はぐるぐるぐるぐる縦にでんぐり返りを打ち、それが止まらなかったです。 |
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いや驚いたの驚かないの、たまげたのたまげないの、こんなに驚いたのは、まぐれで大学に合格した時以来のことです。 縦にですね、転がるのですよ、何しろでんぐり返るのです。たった三十センチの深さの所で‥‥。 あり得ることでしょうか。誰も思いつかないですよね。たった三十センチだなんて‥‥。 皆さんも信じられないでしょうね、或いは水の流れがうんと速かったのではないのかなどと思っていらっしゃるのでしょうね。 いいえ、全然そんなことはございません。二本の足で立っているかぎりは、水は膝の辺りをサラサラ流れて別に白波が立つこともなく、春の小川のごとくごく平和なものでした。 それが突然のでんぐり返りですから、なおの事いっそう驚いたのです。 これで私が恐怖で身がすくむか、パニックに襲われるかすればもうそこで命は無かったのですが、 幸いなことにここでは私の鈍さが助けてくれました。まあ何が幸いになるか知れたものではないということです。水の中を縦に転がりながら、頭をごんごんと石に打ちつけながら考えました。 いつ何時、皆様方にも同じ不幸が襲わないとも限りません。 もし皆様が川の中をタイヤのように縦に転がり始めたならば、云何にしてその窮地を脱すればよいか、簡単にまとめてみました。いざという時の為に御一読くださいますようお勧めします。 *** (1)頭を冷やして(勿論、比喩的な表現です)よく考えよう。 (a)水の圧力は想像を絶しているが、恐怖に身がすくんではいけない。 (b)パニックを何より恐れよ。考えることはパニックを避ける最良の方法である。 (2)タイヤのような縦の回転から木材のような横の回転へ。 (a)一方の手で頭を守り、もう一方の手を横に伸ばして水の圧力を受ける。 (b)材木のように横に転がり始めたら両手を頭に沿って伸ばし、なおも転がり続ける。 (3)頭上に伸ばした手で石を持つ。 (a)捉まえ易い小さめの石を抱えること。 (b)石を決して離さず持ったまま流されること。 (c)石の抵抗で身体が川下に流され、転がらなくなる。 (d)圧力を受ける面積が最小になる。 (e)頭は川上、足は川下。 (4)小さな石から大きな石に持ち替える。 (a)大きな石(二十キロ以上)ならば流されない。 (b)初めは小さめの石を捉えて流されながらも決して離さない。 (5)膝を引き寄せ立ち上がる。 (a)いきなり腕を立てれば水の圧力を受けて今までの苦労が水の泡となる。 (b)膝を引き寄せて頭を下げ尻から立ち上がる。 (c)最後に石の上に二本の腕を立てる。 (6)四本の手足で立てればもう大丈夫。後は二本の足で立ってください。 以上、いざという時の為に。 |
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これからお話する屈原(くつげん)という人も水で亡くなりました。 屈原は楚(そ)の国の人で、孔子よりおよそ二百年後、孟子などとほぼ同時代の今からおよそ二千三百年の昔に活躍しました。 初め楚の懐王(かいおう)に重く用いられましたが、同僚がそれを嫉んで讒言(ざんげん)したために、洞庭湖(どうていこ)の南の辺境の地に流されてしまいます。 世の中は不思議なものです、屈原はそれが為に鬱々として遂には汨羅(べきら)という川に身を投じてしまうのですが、その前後の心情を格調高く歌にして私どものために残して置いてくれました。世に名高い『楚辞(そじ)』という歌集はこの屈原の歌を中心として編まれたものです。 楚辞というものは、私にはとても面白く思えるのですが、何しろ極めて難解なもので参考書を首っ引きにしても何やら理解しきれない部分が何うしても残ってしまいます。 それでもどうにか理解出来そうな部分をほんの一部ですがご紹介して、皆様の中の僅か数人にでも楽しんでいただければ嬉しく思います。 |
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これは『楚辞』の中の『九章(きゅうしょう)江を渉(わた)る』と題されて、よく知られた部分ですが、いかがでしたでしょうか。楚辞の特徴がよく出ていたと思います。 屈原のように清廉潔白の人は、良薬口に苦しの喩えにもありますように、その才能を買われて時に大変重宝されますが、用が済めば捨てられる運命にあります。 世の中には清濁併せ呑むといった人の方が口当たりが良く、この人は度量が大きいと誉められ易いものではありますが、私なんぞは何うもそのような人は全然信用できなくて、何ともサッカリンを嘗めたような後味の悪さを感じてしまいます。 何はともあれ屈原ほどの才能のある人でも、用いられることは難しいのですから、世の人々には随分と慰めになっていることでしょう。 *** もう一つ見てみましょう。次は『漁父(ぎょほ)』と題され、高校の教科書などにもよく出てきます。 漁父とは漁師の老人といったほどの意味ですが、屈原の高潔さも漁父の常識によっては嘲られるという話です。 |
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********************************* いかがでしたか、今どき冠をかぶる人は見かけませんが、それと同時に冠で雲を切るの心栄えを持った人も見かけなくなってしまいました。せめて自分だけでもと思っているのですが、これも蟷螂の斧の類でしょうか。 話は変わりますが、皆様は蓮の茎にレンコンと同じような穴が開いていることをご存知でしたか。 最近茎が付いたままの蓮の実を手に入れたので、よく観察してみたらそうなっていたのです。 道理で蓮の茎は真直ぐ伸びて、蕗などのようにお辞儀をしないわけです。 まるで屈原見たような‥‥。 この蓮の実がたくさんありますので、中身を取り出して薄い砂糖水でやわらかく煮ました。 暑い日にガラスの器に砂糖水と十粒ほどの蓮の実を盛り、ひとかけらの氷を浮かべれば、台湾人の好む涼しい食べ物、『冷蓮子(りんれんつう)』の出来上がりです。お試し下さい。 またご飯に炊き込んで蓮の実ご飯、お粥に炊きこんで蓮の実粥、これらも中々ですよ。 ではまた季節の変わり目です、お身体にお気を付けてご機嫌よう。 |
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(冷蓮子(りんれんつう) 終り) |