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冷蓮子(りんれんつう)

 暑い日が続いていますが、暦(こよみ)とは不思議なもので立秋が過ぎますといつの間にやら、何か秋めいた空気を感じるようになります。空気が爽やかに透き通って空に浮かぶ雲の輪郭がハッキリするからでしょうか。

 畑には葉鶏頭が色も鮮やかに、鬼百合の花も暑さを笑うかのように咲き誇っていますが、子供の頃の私はこれを感じると夏休みが半分終ったことを示すシグナルとして、後は死刑の執行を待つ死刑囚の気持ちで一日一日減ってゆく夏休みを暗い気持ちで見送っていたものでした。

 

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 それにしても、ニュースになる水難事故が多すぎるような気がしますがいかがでしょうか。海にしろ川にしろそれが危険な場所であるという認識が大分薄れているような気がします。

 昔は交通の便が余りよろしくなかったからだと思いますが、遊び場というものは近くにいくらでもありましたので、そこで皆遊びますから自然と危険な場所、安全な場所の認識は世代を越えて受け継がれていました。それで川遊びで死んだというような話は、それは有るにはあったと思いますが、しかし自分の知っている範囲ではついぞ聞いたことなどはありませんでした。

 当時は何しろ中学校でさえ川に粗い柵をしてプール代わりにしていたぐらいですから、そう何人も死んでは困るわけです。いや良い時代でした。

 と、このように記憶の中だけがやたら美化されて残っているというのも老化現象が進んだようで確かに問題ですが、それでも一人が一台の車を持つ夢のような世界が実現した裏には、それで失ったものも多いのであります。

 これもまあ言ってみれば当然のことでしょうか、『移動の快適さ』を得て『土着する安穏』を捨てた、『何かを得て何かを失う』という物理でいう所の運動量不滅の法則のような原理が働いているのは間違いのない所なのです。

 この国は原料を輸入して製品を輸出する、そしてその手間賃で生活するという形態を選んだのですが、その手間賃はただ人手だけかというと中々そう上手くは問屋が卸さないわけでして、やはり非常に高価なものと物々交換しなくてはならなかったのですね。

 豊かな森林、緑の田んぼ、真っ白い海岸線、等々‥‥、これらを捨てて真新しい車と舗装された道を得たのです。

 原料もいつまでもそうお安く上がるわけもございませんし、本来原料を輸入するということ事体が競争に勝つことを困難にしている上、競争相手となる国は遥かに有利な地理的条件を備えているですから、我々が少々我慢をすればよいというような問題でもなくなりつつあるのです。

 工業を得て農業と観光を捨てる政策が本当に必要であったかどうか、考え直してみたいものです。所詮先より持っていた以上のものを得ようと考えるのは虫の良すぎる話であると思うのですが、そうではございませんしょうか。 

 

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 まあ堅い話はそこそこにしまして、そこで川で遊ぶことについてですが、水が流れるということは、プールでの経験では処理しきれないものがあることを知らなくてはなりません。しかも川ごとにある危険の様態も種々に異なっています。

 深みに吸い込まれたり、水中に隠れた岩で頭を打ったりと、川には見た目以上の危険がひそんでいます。

 プールで少々泳げれば、川の深い淵の部分で泳ぐ分にはわりと安全なもので、深いから危険というわけのものでもありません。もちろん渦が巻いているような場所は底に岩などがある証拠ですから水の流れは複雑で、なかには渦に吸い込まれるようなことが起きないとも限りませんが、

 しかしこれは誰でも見れば分かることでございますから、知らない川を夜に泳ぐというような無謀をしなければまづ大丈夫なのです。

 問題は浅瀬のほうにあります。見た目には何所に危険があるのかと疑う、せいぜい膝ぐらいの深さでも、意外な危険が隠れています。

 これからは私の経験を述べて幾分でも皆様のお役に立てればと思う次第でございます。

 

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 ある夏の日のことです。

 当時私は大学生で、学校には家から通っておりましたが、それでも子供の頃からの友人たちとはかなり疎遠になっており、夏休みはただ一人ぶらぶらと何をするでもない、遊ぶのでもなく遊ばないのでもないといった極めて気隨な日々を過ごしておりました。

 そのような中でふと思いつきましたのは子供の頃の川遊び。

 そこで何気なく、まあ愚かなことと申しますものは概ね何気なく起こすものではございますが、本当に愚かにも、ただ一人で川に行ったのが間違いの元。これが後に大変なことになろうとは夢にも思わなかったのであります。

 川に着いて見ますと、案に相違してと言いますか、初めは川に行けば誰かかれか旧友に出会って、また仲良く話でもできれば面白かろうぐらいに思っていたのですが、まあ夏休みだからといってそう誰もかれもが遊びほうけている筈もございませんのでしょう、見事に人っ子一人、誰もおりませんでした。

 これでは面白さも半減でございます。当然そこで帰ってしまえば賢い人にでもなれたのでしょうが、そうしないのが私の愚かな所で、世の愚人の方と同じく、どんどんどんどん悪いほうへ悪いほうへと流されて行くのです。まあ今でも同じですがね‥‥。

 元来臆病な私は、深みで泳ぐのは特に誰もいない所では何かあったら大変だというような気持ちから、浅瀬ならば大丈夫だろうと思いまして、深さが膝ぐらいの水の中に隠れた、およそ西瓜ぐらいの丸い石を踏みしめながら下流のほうへ歩いて行きました。水の中の石は苔でぬるぬる滑ります。

 恐らくへっぴり腰で歩いていたのでしょう、突然足を取られてひっくり返ってしまいました。

 水の上に尻餅をついたようになったのですが、幸いにも尻が少々痛いぐらいで身体が傷ついたというようなことはございません。

 ここで問題です。その後、私はどうなったのでしょう。皆様、お考えくださいませ。

 

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これはびっくり!

正解はぐるぐるぐるぐる縦にでんぐり返りを打ち、それが止まらなかったです。

 

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 いや驚いたの驚かないの、たまげたのたまげないの、こんなに驚いたのは、まぐれで大学に合格した時以来のことです。

 縦にですね、転がるのですよ、何しろでんぐり返るのです。たった三十センチの深さの所で‥‥。

 あり得ることでしょうか。誰も思いつかないですよね。たった三十センチだなんて‥‥。

 皆さんも信じられないでしょうね、或いは水の流れがうんと速かったのではないのかなどと思っていらっしゃるのでしょうね。

 いいえ、全然そんなことはございません。二本の足で立っているかぎりは、水は膝の辺りをサラサラ流れて別に白波が立つこともなく、春の小川のごとくごく平和なものでした。

 それが突然のでんぐり返りですから、なおの事いっそう驚いたのです。

 これで私が恐怖で身がすくむか、パニックに襲われるかすればもうそこで命は無かったのですが、

 幸いなことにここでは私の鈍さが助けてくれました。まあ何が幸いになるか知れたものではないということです。水の中を縦に転がりながら、頭をごんごんと石に打ちつけながら考えました。

 いつ何時、皆様方にも同じ不幸が襲わないとも限りません。

 もし皆様が川の中をタイヤのように縦に転がり始めたならば、云何にしてその窮地を脱すればよいか、簡単にまとめてみました。いざという時の為に御一読くださいますようお勧めします。

 

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 (1)頭を冷やして(勿論、比喩的な表現です)よく考えよう。

   (a)水の圧力は想像を絶しているが、恐怖に身がすくんではいけない。

   (b)パニックを何より恐れよ。考えることはパニックを避ける最良の方法である。

 (2)タイヤのような縦の回転から木材のような横の回転へ。

   (a)一方の手で頭を守り、もう一方の手を横に伸ばして水の圧力を受ける。

   (b)材木のように横に転がり始めたら両手を頭に沿って伸ばし、なおも転がり続ける。

 (3)頭上に伸ばした手で石を持つ。

   (a)捉まえ易い小さめの石を抱えること。

   (b)石を決して離さず持ったまま流されること。

   (c)石の抵抗で身体が川下に流され、転がらなくなる。

   (d)圧力を受ける面積が最小になる。

   (e)頭は川上、足は川下。

 (4)小さな石から大きな石に持ち替える。

   (a)大きな石(二十キロ以上)ならば流されない。

   (b)初めは小さめの石を捉えて流されながらも決して離さない。

 (5)膝を引き寄せ立ち上がる。

   (a)いきなり腕を立てれば水の圧力を受けて今までの苦労が水の泡となる。

   (b)膝を引き寄せて頭を下げ尻から立ち上がる。

   (c)最後に石の上に二本の腕を立てる。

 (6)四本の手足で立てればもう大丈夫。後は二本の足で立ってください。

 以上、いざという時の為に。

 

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 これからお話する屈原(くつげん)という人も水で亡くなりました。

 屈原は楚(そ)の国の人で、孔子よりおよそ二百年後、孟子などとほぼ同時代の今からおよそ二千三百年の昔に活躍しました。

 初め楚の懐王(かいおう)に重く用いられましたが、同僚がそれを嫉んで讒言(ざんげん)したために、洞庭湖(どうていこ)の南の辺境の地に流されてしまいます。

 世の中は不思議なものです、屈原はそれが為に鬱々として遂には汨羅(べきら)という川に身を投じてしまうのですが、その前後の心情を格調高く歌にして私どものために残して置いてくれました。世に名高い『楚辞(そじ)』という歌集はこの屈原の歌を中心として編まれたものです。

 楚辞というものは、私にはとても面白く思えるのですが、何しろ極めて難解なもので参考書を首っ引きにしても何やら理解しきれない部分が何うしても残ってしまいます。

 それでもどうにか理解出来そうな部分をほんの一部ですがご紹介して、皆様の中の僅か数人にでも楽しんでいただければ嬉しく思います。

 

    

江を渉(わた)る

 屈原、讒によりて南方に流さるる時造れる歌。

われ幼きよりこの奇服(美服)を好み、

年すでに老いたれども()衰えず、

長き鋏(つるぎ)の陸離(りくり、光り輝く)たるを帯び、

冠は雲の崔嵬(さいかい、高きさま)たるを切る。

 讒言によって流謫(るたく)の身とはなりたれども、我が心に一点の曇り無し。

 故に仮託して謂わく、奇服、不衰、長鋏、陸離、切雲、崔嵬と。敢えて奇を好むには非ず。

 :兮(けい)はヘイとかホイとかいう合いの手の言葉、通常は読まれない。楚辞に多い。

明月を被(き、背にし)て、宝璐(ほうろ美玉)を珮()ぶれども、

世は溷濁(こんだく、乱れ汚れる)して、われを知るものなし。

われまさに高く馳()せて顧みず。

青き虯()に駕()りて、白き螭(みずち)を驂(そえうま)にし、

われ重華(ちょうか、舜、聖天子)と遊ぶ、瑤(たま)の圃(その)。

 明月を背にして、腰に宝の飾りを垂れ下ぐれども

  (われに輝ける勲功(いさおし)あれども)、

 世は汚れ乱れて、われに眼を止めようともせず。

 さればわれも高く天を馳せて、地上のことは顧みざらん。

 青き子龍の角あるものに乗り、白い子龍の角なきものを添え馬にして、

 伝説の聖天子舜(しゅん)と共に宝玉の園に遊べり。

 :明月を被るは、一説に明月と名づけられたる真珠の飾りを背に垂らす。

 :溷(こん)には、かわや、ぶたごやの意味もある。

崑崙(こんろん、神山)に登りて、玉英(美玉)食い、

天地と、寿(よわい)を同じうして、

日月と、光を同じうすれども、

南夷(なんい、野蛮なる楚)のわれを知らざるを哀しむ。

旦(あした)にはわれ江(こう、揚子江)と湘(しょう、湘江)、とを済(わた)らん。

 神仙の住む崑崙山に登って、神仙と同じく玉英を食い、

 天地と寿を同じうして、

 日月と光を同じうすれども、

 哀しきかな、わが野蛮なる楚のものどもはわれを知ることなし。

 早朝を待ちわびて、われは揚子江と湘江とを渡り、この国とはおさらばしよう。

 :玉英:英は花の意味を持つ、或いは玉の花か。

 :南夷:夷は野蛮なる国、楚は辺境の地なれど、自ら故国を南夷と罵らざるをえない気持ちを察せよ。

鄂渚(がくしょ、地名)に乗(のぼ)り反って顧みれば、

欸(ああ、)、秋冬の緒風(しょふう、なごりの風)あり。

わが馬を歩ましめば、山皋(たか)し、

わが車は邸(とど)めん、方(地方)の林に。

 鄂渚の高き岸に登りて、後ろの方を顧みれば、

 遠く楚の国より吹く秋冬の名残の風に歎きがつのる。

 わが馬は強壮なれども、山は高く険しければ馳せ駆けるに由無し。

 わが車と共に、邸に止めん、辺境の林の中に。

舲船(れいせん、窓ある船)に乗りて沅(げん、沅江)を上れば、

榜(ごぼう、)を斉(そろ)え以って汰(なみ)を撃てど、

船は容与(ようよ、ゆったり)として進まず、

淹(とど)まりて水を回り、疑(まど)いて滞る。

 窓のある船に乗り、沅江を上らんとすれば、

 呉の櫂をそろえて水波を撃てども、

 わが気持ちを知りたる船はゆったりと構えて進まず、

 ただ水の流れるに随うて留まり、惑いて滞る。

 :呉榜(ごぼう):呉は水理多き国にて船櫂共に優れたり。

朝(あした)に枉陼(おうしょ、地名)を発()ち、

宿

夕(ゆうべ)に辰陽(しんよう、地名)に宿る。

苟(いや)しくもわが心の端直なる、

僻遠といえども、これを何ぞ傷(いた)まん。

 朝(あした)に枉陼(おうしょ)を発ち、

 夕(ゆうべ)に辰陽(しんよう)に宿る。

 苟くもわが心は端正にして正直なるぞ、

 僻遠の地に流さるれども、それをなぜ哀しむことがあろうか。

浦(じょほ、地名)に入りて、われは儃佪(せんかい、徘徊)し、

迷いて、われの如()く所を知らず。

深き林は杳(よう、)として以って冥冥(めいめい、闇闇)たり。

狖(えんゆう、猿類)の居る所なり。

 船、浦(じょほ)の入り江に入れば、われは辺りを徘徊して、

 わが心の迷えると同じく路に迷うて、何処に向かうかも知らざるなり。

 深き林は日の光を遮りて、わが心と同じく闇闇たり。

 猿の類は軽々しくも騒々しく飛び周り、わが如き賢士の居る所には非ず。

山は峻高(峻険)にして以って日を蔽(おお)い、

下れば幽晦(ゆうかい、暗し)にして以って雨多し。

霰雪(さんせつ、)は紛(さかん)にして、それ垠(こん、際限無く、

雲は霏霏(ひひ、雲が飛ぶさま)として宇(のき)に承()く。

 山は急峻、高くそびえて日を蔽(おお)い、

 下れば暗くおぼろに煙って明らかでなく、じめじめとして雨多し。

 粉雪は盛んに降りしきりること際限も無く、

 雲は低く飛んで、軒先に懸かる。

哀しきかな、わが生にこれが楽しみ無く、

幽(しず)かに独り山中に処()る。

われ心を変えて俗に従うこと能わず、

固(かたくな)に愁苦を将()って終(つい)に窮(きわ)まらん。

 かつて朝に仕え歓楽を極むれども、今は何の楽しみも無く、

 ただ何もせず独り山中に身を寄す。

 われはわが心を偽りて俗物に従うこと能わざりければ、

 かたくなに愁苦を懐きて、ついに困窮せんとす。

輿

接輿(しょうよ、人名)は首(こうべ)を)り、

扈(そうこ、人名)は臝(はだか、)になりて行く。

忠は必ずしも用いられず、

賢は必ずしも以(もち)いられず。

伍子(ごし、人名)は殃(つみ、)に逢い、

比干(ひかん、人名)は菹醢(そかい、漬物)にさる。

 接輿(しょうよ)は罪を犯してもいないのに自ら頭を剃り世を避けて仕官せず、

 桑扈(そうこ)は衣服を脱いで裸となり蛮人の真似をした。

 忠であっても必ずしも用いられず、

 賢であっても必ずしも以(もち)いられず。

 伍子胥(ごししょ)は呉王夫差(ふさ)を諌めて剣を賜って自殺した、

 比干は殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を諌めたために塩漬けにされた。

 接輿(しょうよ)は春秋時代の楚の陰士、自ら頭を剃り狂人を真似て難を避けた。

 (こんしゅ)は頭を剃る古代の刑罰。

 :桑扈(そうこ)は古の陰士。

 :伍子胥(ごししょ)は呉王夫差(ふさ)の忠臣。

 :比干は殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の諸父(しょふ、父方のおぢの総称)。

前の世と、皆然り。

われもまた何ぞ怨まん、今の人を。

われまさに道を董(ただ、)して予(猶予)せざらんとす。

固(かたくな)に重き昏(昏睡)を将()って身を終えん。

 昔と何の変わりぞある、今のわが身もまた然るべし、

 われもまた今の人を怨んで何んせん。

 われはただわが身を正して疑いを懐くまじ。

 ただ深き眠りの中に身を終えるのみ。

乱(おさ、)めて曰く(結びの句):

鸞鳥(らんちょう、聖鳥名)鳳皇(ほうおう、聖鳥名)は、

日に以って遠ざかり、

燕雀(えんじゃく、賎鳥名)烏鵲(うじゃく、賎鳥名)は、

堂壇(どうだん、朝宮)に巣()くう。

露(あら)われ申(かさ、)なる辛夷(しんい、コブシ)は、

林薄(りんぱく、叢林)に死す。

腥臊(せいそう、生臭き)は並び御(はべ、)り、

芳しきは薄(せま、)ることを得ず。

陰陽(いんよう)は位を易()え、

時は当たらず。

信を懐きて侘傺(たてい、失望し佇む)し、

忽(たちまち)、われまさに行()らんとす。

 結びて曰く、

 聖天子と進退を共にする鸞鳥(らんちょう)鳳皇(ほうおう)は、

 日に日に遠ざかり、

 燕雀(えんじゃく)烏鵲(うじゃく)の騒々しき妄言の輩は、

 朝廷のそこかしこに巣くう。

 日に照らされてうず高く咲き誇りし辛夷(こぶし)の花も、

 今は死して林の草むらの薄日もささぬ中にあり、

 生臭き輩(やから)は朝堂に並び、天子に侍りて讒言す。

 芳しき輩(ともがら)は近づくことさえなしえず。

 陰陽(いんよう)は位を易(か)えて、君臣の別無く、忠臣も佞臣にとって替わらる。

 時は当たらず。

 心に忠信を懐けども時に当たらざれば用うる者無し、

 われは往きどころなく失望して佇む。

 もうここに用なし、早く行こう。

 :陰陽は位を易え:陰は月であり臣である。陽は日であり君である。即ち君臣の別無きを歎く。

 

 

 

 

 これは『楚辞』の中の『九章(きゅうしょう)江を渉(わた)る』と題されて、よく知られた部分ですが、いかがでしたでしょうか。楚辞の特徴がよく出ていたと思います。

 

 屈原のように清廉潔白の人は、良薬口に苦しの喩えにもありますように、その才能を買われて時に大変重宝されますが、用が済めば捨てられる運命にあります。

 世の中には清濁併せ呑むといった人の方が口当たりが良く、この人は度量が大きいと誉められ易いものではありますが、私なんぞは何うもそのような人は全然信用できなくて、何ともサッカリンを嘗めたような後味の悪さを感じてしまいます。

 何はともあれ屈原ほどの才能のある人でも、用いられることは難しいのですから、世の人々には随分と慰めになっていることでしょう。

 

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 もう一つ見てみましょう。次は『漁父(ぎょほ)』と題され、高校の教科書などにもよく出てきます。

 漁父とは漁師の老人といったほどの意味ですが、屈原の高潔さも漁父の常識によっては嘲られるという話です。

 

        父

漁父(ぎょほ):漁師の老人

 :漁父とは、漁師の老人、父は父親の他に身分の賎しき老人を指す。ここでは神仙を指すともいう。

屈原(くつげん)既に放たる(放逐さる)。

潭(こうたん、河の淵)に遊び、

沢畔(たくはん、水辺)に行吟(こうぎん、歩きながら歌う)す。

顔色は憔悴(しょうすい痩せ衰える)し、

形容は枯槁(ここう、生気がない)たり。

 屈原は左遷され野に放たれた。

 鬱々の日々を河の淵に遊び、いつの日かこの淵の魚の腹中に葬らるるを思う。

 水辺を行きつ戻りつしながら、口中には歌を口ずさむ。

 顔色は悪く憔悴し、生気を失い枯れつくしている。

漁父見て、これに問うて曰く、

『子(し、あなた)は三閭太夫(さんりょだいふ、もとの官名)に非ずや、

何の故にここに至れる。』と。

 見れば一人の漁師がわれに問うておる、

 『何うなさった、三閭太夫(さんりょだいふ)ではござらぬか。

 何がおありなすって、こんな所にお出でなされた。』

屈原曰く、

『世は挙げて皆濁り、

われは独り清む。

衆人は皆酔い、

われは独り醒む。

ここを以って放たる。』と。

 これにわれはこう答えておった、

 『世の中は濁りきっておるのに、

 われは独り清む。

 人々は皆酔うておるのに、

 われは独り醒む。

 これが故に放たれてここに居る。』と。

漁父曰く、

『聖人は物に凝滞(ぎょうたい、拘る)せず、

しかもよく世とともに推移(すいい、移り変わる)す。

世人皆濁らば、

何ぞその泥を淈(にご、)して、

その波を揚げざる。

衆人皆酔わば、

何ぞその糟(かす、酒粕)を餔(くら、)いて、

その釃(し、酒の上澄み)を歠(すす)らざる。

何すれぞ故(ことさら)に深く思い高く挙(もの言)いて、

自ら放たれしむる。』と。

 漁父が言う、

 『聖人は物に拘らず、

 世とともによく移り変わる。

 世の人が皆濁るならば、

 なぜその泥を掘り返して、

 泥水の波を揚げなさらん。

 衆人が皆酔うならば、

 なぜそれを取り上げて酒粕を食らい、

 酒の上澄みを飲みなさらん。

 なぜことさらに深くもの思いして、声高に言いたて、

 自ら放逐されるようになさっておる。』と。

屈原曰く、

『われこれを聞けり、

新たに沐(髪洗い)せし者は必ず冠を弾き、

新たに浴(湯浴み)せし者は必ず衣を振るうと。

いづくんぞよく身の察察(さつさつ、潔白)たるを以って、

物の汶汶(ぼんぼん、垢塵)たる者を受けんや。

むしろ湘流(しょうりゅう、湘江)に赴(おもむ)きて、

江魚の腹中に葬らん。

いづくんぞよく皓皓(こうこう、潔白)の白きを以って、

世俗の塵埃(じんあい、ちりほこり)を蒙らん。』と。

 われは言う、

 『われはこう聞いておる、

 髪を洗いたての者は、必ず冠を弾いて塵を払い、

 湯浴みしたての者は、必ず衣を振るって埃を払うと。

 何うして潔白の身に、

 垢に汚れた物を受けることが出来ようぞ。

 むしろ湘江の流れに飛び込んで、

 この身を魚腹の中に葬らん。

 何うして真っ白白の身を以って、

 世俗の塵埃をかぶることなぞできようぞ。』と。

漁父莞爾(かんじ、微笑)として笑い、

竅iふなばた、船舷)を鼓(う、)ちて去れるに、

歌いて曰く、

『滄浪(そうろう、川名)の水清まば、

以ってわが纓(えい、冠の紐)を濯(すす)ぐべし、

滄浪の水濁らば、

以ってわが足を濯ぐべし。』と。

遂に去りてまたともに言わず。

 漁父は声を立てずにあざ笑い、

 ふなばた叩いて去りながら、

 歌っておった、

 『滄浪の水清まば、

 それで冠濯ぎましょ、

 滄浪の水濁らば、

 それで足をば洗いましょ。』と。

 それきり黙って去りおった。

 :滄浪の歌は『孟子』の離婁篇(りろうへん)にも出て孔子が評釈したとある。昔から有名であったようである。

 :竄ヘ櫂(かい)であるともいう。

 

 

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 いかがでしたか、今どき冠をかぶる人は見かけませんが、それと同時に冠で雲を切るの心栄えを持った人も見かけなくなってしまいました。せめて自分だけでもと思っているのですが、これも蟷螂の斧の類でしょうか。

 

  話は変わりますが、皆様は蓮の茎にレンコンと同じような穴が開いていることをご存知でしたか。

 最近茎が付いたままの蓮の実を手に入れたので、よく観察してみたらそうなっていたのです。

 道理で蓮の茎は真直ぐ伸びて、蕗などのようにお辞儀をしないわけです。

 まるで屈原見たような‥‥。

 

 この蓮の実がたくさんありますので、中身を取り出して薄い砂糖水でやわらかく煮ました。

 暑い日にガラスの器に砂糖水と十粒ほどの蓮の実を盛り、ひとかけらの氷を浮かべれば、台湾人の好む涼しい食べ物、『冷蓮子(りんれんつう)』の出来上がりです。お試し下さい。

 またご飯に炊き込んで蓮の実ご飯、お粥に炊きこんで蓮の実粥、これらも中々ですよ。

 

 ではまた季節の変わり目です、お身体にお気を付けてご機嫌よう。

 

 

 

  (冷蓮子(りんれんつう)  終り)