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夏休み |
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大変暑い日が続いたと思えば、この所の長雨で、気持ちまでがどんよりと沈んでまいります。 ここに飛び込んで来ましたのが、シンドラー事件の後、幾日を経ずして発覚した、連続した二つの企業の不祥事です。さっそくこれに飛びついて考えてみました。 そして残念ですが、すべての事は無関係ではなく、つながっておりました。企業であれ、政治であれ、役所であれ、教育であれ、国であれ、家庭であれ、これらは皆人によって成り立っています。国民が第一等であれば、自然すべてが第一等なのです。すべては私ども一人一人の自覚に懸かっているのです。しかし、もうこれ以上言うのは止めましょう。 +++++++++++++++++++++++++++ ただ、最近のトヨタ車に関しては、若干気になることがあります。 ごく最近になって、信号待ちの時、後ろに付いた車のライトが妙に明るく室内を照らすようになったのです。ミラーで確認すると、この会社のマークが目に入って来ます。このようなことは以前には無かったことでした。 車を運転する者にとって、眼は非常に大切です。五感の中で、ただ眼だけを頼りに車を走らせているのですから。 ミラーの反射率を減らせて、まぶしさを防ごうとしますが、室内の天井、ピラー、ガラス等に反射した光で、夜でもあり瞳孔が開いている関係でまぶしく感じるのです。 そして折角開いている瞳孔を閉じさせ危険を招かせているようにも思います。 これは使用者に阿(おもね)ってのことでは無いでしょうか。もしそうなら、日本を代表する車としては、非常に残念なことです。なぜか、
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外では、相変わらず雨が降っています、子供たちには夏休みだというのに。 昔は夏休みに雨が降ったという記憶が全然ありません。もちろんそれが間違いであることを知ってはいますが。 私の頃は、終業式がすむと気分はすっかり夏休みモードに切り替わり、一日が浮き浮きと非常に楽しく過ぎて行きました。 母親がうるさく言いますので、朝の涼しい中に、夏休みの宿題を済ませます。しかしそれも二三日以上は続きません。それを過ぎれば、母は何も言わなくなります、忘れてしまうのでしょう。私としても決して言われなくてもする良い子ではありませんでした。 やがて当然のことですが怠惰の報いか、八月も二十七日頃になって大いに慌て、母と二人で汗をかきながら、何とかでっち上げるというような結末を迎えるのです。毎年懲りもせずに繰り返される、相いも変わらぬ行事でした。 記憶の中に、暑い日盛り、涼しい木陰、絶えざるセミの声、もぎたてトマトの思ったよりも、冷たい汁の心地よさ等と並んで、強く思い出されるのが、中学生になってから、少し離れた地域の友達と一緒に、川遊びに興じたことです。 その川は、幅が5メートル、深さ2メートルほどの農業用水で、広いところで20メートル、堰(せき)の手前が広くなっていました。 その川は、子供も大人も大勢が泳ぎ、かなり賑わっていました。 泳いでいると、時には青大将に追い抜かれることもあります。 流れに乗って泳ぐと、土手の景色がすごい早さで流れ、一キロほどは、あっという間に後方に過ぎ去ります。 これ程楽しいことが有って、他に何がいる? 遊園地に行く必要はありません。車がなくても、お金がなくても、力も運動神経もいりません。 多少泳げさえすれば、誰でも味わえるスリルとスピード。これに代わるものが、何かあるのでしょうか。 堰の前は流れが緩やかになる所です。ここで川から出なければなりません。堰に吸い込まれては大変です。 水に身体を取られながら、足を下流に流し、土手に生える潅木の小枝か、草をつかみ、身体を土手の上まで引き上げます。何度も失敗しながら、どうにか引き上げた時には、安心してほっと一息ついたものでした。身体は冷え切っています、皆の顔色も青ざめていました。 身体をブルブル振るわせながら、土手の小道の熱い砂の上に寝転びました。太陽の熱を全身に受け、じっとしていますと、やがて5分もすれば元気が回復いたします。 次いで、川遊びの一番嫌な時間。これから、1キロの道を裸のまま、裸足で帰らなくてはなりません。何しろ自転車と服は元の場所で、じっと私の帰りを待っているのです。 裸足で熱い砂の上を歩きますと、頭の中では、ぽくぽくぽくぽくと砂の足音が鳴りました。 途中道草を食いながら、木苺を摘んで口の中に入れたり、草笛を鳴らしたりしながら、無心に歩いていれば、長いと思える15分はいつのまにか過ぎ去り、友人たちが、橋のたもとの、土手が階段になった所で、ワイワイ言っているのが聞こえて来ます。自転車もここで待っていました。 自転車に掛けてあった服を着て、疲れきって帰途に着くのです。 家で、ほてった背中を、ひんやりした畳みに押し付け、やがて眠りに落ちて行きます。 **************************** こんな楽しいことを、今の子供たちは知っているのだろうか。 私たちも、いつの間にかしなくなってしまいました。 祖父も、父も、祖父の友人も、父の友人たちも、皆して来たことは、私の代を最後に、もう誰もしません。 ある夏、例年のごとく川で泳いでいた所、その翌日になって全身に発疹が出たのです。 何日も発疹に覆われて痛さと痒さに悩まされました。医者は恐らく農薬にかぶれたのであろうと言っています。これが最後でした。 ******************************* |
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お盆には施餓鬼がつき物です。その由来について述べましょう。 盆の行事は、『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』というお経によると言われています。盂蘭盆の語源には諸説あって、実の所はよく分かっていませんが、盆はその略語です。 このお経によりますと、お釈迦様の十大弟子の一人に、神通第一の目連(もくれん)という方が居られました。神通(じんつう)というのは超能力という意味です。 この目連さんは、親孝行な方でありましたので、亡くなられたお母様は、今どこで何のようにしてお暮らしであろうか、優しいお母様であったから、今はさぞ楽しくしていらっしゃるであろうと思い、神通力で調べてみますと、これが何と餓鬼道に堕ちていられたのです。『父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)』というお経には、子のために母は悪業を造ると言いますから、あるいは目連さんの為に、お母様には何か罪を犯すようなことがあったのかも知れません。それは何うであるか分かりませんが、お母様は、それは骨と皮ばかりにお痩せになり、近くに食べ物はありません。 目連さんは、泣きながら鉢にご飯を山盛りにして与えます。お母様は、その鉢を左手で抱え、右手で握って食べようとなさいますが、ご飯がまだ口に入りきらない中に、それは炭と化して火をあげました。 目連さんは、思わず叫び声を上げ、大声に泣きながら還られて、お釈迦様に事の次第をご報告なさいました。 お釈迦様は仰います、『お前の母の罪は、甚だ重く脱れ難い。お前一人の力では何うにもなるまい。お前が孝行であり、それで天地が動いたとしても、お前の心に、神々、悪魔、外道の道士、四天王が感応して、何かしようと思っても、何うにもならないだろう。 ただ多くの僧に供養すれば、その山間で禅定し、修行して悟りを得、人々を教化し、清浄戒を守る力に因って、父母の罪を除くことが出来る。 七月の十五日には、近在のすべての僧が集まる。その日に当たって、皆に供養すれば良かろう』と。 この経を拠り所として、各ご家庭では、精霊棚(しょうりょうだな)を作ってご先祖を供養し、お寺では、施餓鬼会を催して、餓鬼に供養すると共に、その善行を廻向して皆様の御先祖の供養をするのであります。 ***************************** |
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では餓鬼とは、何のような生き物でしょうか。比叡山の恵心僧都(えしんそうず)という方の著された『往生要集(おうじょうようしゅう)』で、これを見てみることにしましょう。
皆様、お互いこんな目には遭わないようにしましょうね。 |
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夏休み 終わり |