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夏休み

 大変暑い日が続いたと思えば、この所の長雨で、気持ちまでがどんよりと沈んでまいります。

 ここに飛び込んで来ましたのが、シンドラー事件の後、幾日を経ずして発覚した、連続した二つの企業の不祥事です。さっそくこれに飛びついて考えてみました。

 そして残念ですが、すべての事は無関係ではなく、つながっておりました。企業であれ、政治であれ、役所であれ、教育であれ、国であれ、家庭であれ、これらは皆人によって成り立っています。国民が第一等であれば、自然すべてが第一等なのです。すべては私ども一人一人の自覚に懸かっているのです。しかし、もうこれ以上言うのは止めましょう。

 

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 ただ、最近のトヨタ車に関しては、若干気になることがあります。

 ごく最近になって、信号待ちの時、後ろに付いた車のライトが妙に明るく室内を照らすようになったのです。ミラーで確認すると、この会社のマークが目に入って来ます。このようなことは以前には無かったことでした。

 車を運転する者にとって、眼は非常に大切です。五感の中で、ただ眼だけを頼りに車を走らせているのですから。

 ミラーの反射率を減らせて、まぶしさを防ごうとしますが、室内の天井、ピラー、ガラス等に反射した光で、夜でもあり瞳孔が開いている関係でまぶしく感じるのです。

 そして折角開いている瞳孔を閉じさせ危険を招かせているようにも思います。

 

 これは使用者に阿(おもね)ってのことでは無いでしょうか。もしそうなら、日本を代表する車としては、非常に残念なことです。なぜか、

 

 例の、『サル、草履を持て』、これです。

 日本人には、これを当然のことであり、美談であると思っている人も多いようですが、それは勘違いも甚だしいというものだと思います。それはその後のことを見ればよく分かります。

 この話はかなり有名ですから、今更ご紹介するのも何ですが念のため、

 藤吉郎は信長に仕え、お厩番(おうまやばん)から草履取りに出世しました。

 草履取りとは、広い屋敷のどこからでも、殿が庭に下りる気配を聞きつけて、階(きざはし)の下にひざまずき、サッと草履を差し出すのが役目です。目端の利くものにしか勤まりません。

 藤吉郎は、信長がどんな時間に、どこの場所から庭に下りようとしても、一度として遅れを取ったことがありません。全身を耳にして、殿の動きを逐一追っていたのです。

 ある寒い朝、信長が藤吉郎の差し出す草履に、ツッと足を滑らせますと何やら足裏に温(ぬく)みを感じ、それが癇にさわって手に持った乗馬用の鞭で藤吉郎を打ち据え、声を荒げて言います、

 『サル、そちャ、わしが草履に腰掛けて居ったな』。

 『いいえ、滅相もございません。今朝は冷えそうでございましたので、先ほどから懐に入れて暖めておりました』と。

 

 これは本当に有ったことでしょうか。疑っております。

 しかし、秀吉という人物はまさにこの通りの人であったようで、常に全身全霊を傾けて、相手に気にいられようとしていました。

 問題はここです。これは決して至誠心からでた真の忠義ではありません。

 

 信長が本能寺で討たれ、次いでその嫡男の信忠が自害いたしますと、秀吉は、時ぞ至れりとばかりに、その時まだ二歳であった、信忠の嫡男三法師(さんぽうし)に家督を相続させ、その後見として信長の遺産をすべて奪ってしまいます。

 

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 これは阿ると言います。目的の為に本心を偽ることです。

 孟子は『宰我、子貢、有若、智足以知聖人、汚不至阿其所好。』と言っています。

   (宰我(さいが)、子貢(しこう)、有若(ゆうじゃく)は、智足りて以って聖人を知る。汚(けが)るとも、その好む所に阿(おもね)るには至(いた)らず

 

 孟子は、弟子の公孫丑(こうそんちゅう)から、誰が第一の聖人であったかと質問を受けた時、

 それに答えて、『孔子こそが第一の聖人であった。

 孔子の三人の弟子、宰我(さいが)、子貢(しこう)、有若(ゆうじゃく)がそう言っている。

 この三人は、智慧は聖人を知るに十分であったし、人格的にも、たとえ心が、どんなに汚れても、尊敬している人に阿(おもね)るようなことはしない。』と言ったのです。

 『心がどんなに汚れても、阿ることだけはするまい』、ここに孟子の心が読み取れます。

 

 我々、日本人は、この心がけが薄いようです。ご用心ご用心。

 

 

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 外では、相変わらず雨が降っています、子供たちには夏休みだというのに。

 昔は夏休みに雨が降ったという記憶が全然ありません。もちろんそれが間違いであることを知ってはいますが。

 私の頃は、終業式がすむと気分はすっかり夏休みモードに切り替わり、一日が浮き浮きと非常に楽しく過ぎて行きました。

 母親がうるさく言いますので、朝の涼しい中に、夏休みの宿題を済ませます。しかしそれも二三日以上は続きません。それを過ぎれば、母は何も言わなくなります、忘れてしまうのでしょう。私としても決して言われなくてもする良い子ではありませんでした。

 やがて当然のことですが怠惰の報いか、八月も二十七日頃になって大いに慌て、母と二人で汗をかきながら、何とかでっち上げるというような結末を迎えるのです。毎年懲りもせずに繰り返される、相いも変わらぬ行事でした。

 記憶の中に、暑い日盛り、涼しい木陰、絶えざるセミの声、もぎたてトマトの思ったよりも、冷たい汁の心地よさ等と並んで、強く思い出されるのが、中学生になってから、少し離れた地域の友達と一緒に、川遊びに興じたことです。

 その川は、幅が5メートル、深さ2メートルほどの農業用水で、広いところで20メートル、堰(せき)の手前が広くなっていました。

 その川は、子供も大人も大勢が泳ぎ、かなり賑わっていました。

 泳いでいると、時には青大将に追い抜かれることもあります。

 流れに乗って泳ぐと、土手の景色がすごい早さで流れ、一キロほどは、あっという間に後方に過ぎ去ります。

 これ程楽しいことが有って、他に何がいる? 遊園地に行く必要はありません。車がなくても、お金がなくても、力も運動神経もいりません。

 多少泳げさえすれば、誰でも味わえるスリルとスピード。これに代わるものが、何かあるのでしょうか。

 堰の前は流れが緩やかになる所です。ここで川から出なければなりません。堰に吸い込まれては大変です。

 水に身体を取られながら、足を下流に流し、土手に生える潅木の小枝か、草をつかみ、身体を土手の上まで引き上げます。何度も失敗しながら、どうにか引き上げた時には、安心してほっと一息ついたものでした。身体は冷え切っています、皆の顔色も青ざめていました。

 身体をブルブル振るわせながら、土手の小道の熱い砂の上に寝転びました。太陽の熱を全身に受け、じっとしていますと、やがて5分もすれば元気が回復いたします。

 次いで、川遊びの一番嫌な時間。これから、1キロの道を裸のまま、裸足で帰らなくてはなりません。何しろ自転車と服は元の場所で、じっと私の帰りを待っているのです。

 裸足で熱い砂の上を歩きますと、頭の中では、ぽくぽくぽくぽくと砂の足音が鳴りました。

 途中道草を食いながら、木苺を摘んで口の中に入れたり、草笛を鳴らしたりしながら、無心に歩いていれば、長いと思える15分はいつのまにか過ぎ去り、友人たちが、橋のたもとの、土手が階段になった所で、ワイワイ言っているのが聞こえて来ます。自転車もここで待っていました。

 自転車に掛けてあった服を着て、疲れきって帰途に着くのです。

 家で、ほてった背中を、ひんやりした畳みに押し付け、やがて眠りに落ちて行きます。

 

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 こんな楽しいことを、今の子供たちは知っているのだろうか。

 私たちも、いつの間にかしなくなってしまいました。

 祖父も、父も、祖父の友人も、父の友人たちも、皆して来たことは、私の代を最後に、もう誰もしません。

 ある夏、例年のごとく川で泳いでいた所、その翌日になって全身に発疹が出たのです。

 何日も発疹に覆われて痛さと痒さに悩まされました。医者は恐らく農薬にかぶれたのであろうと言っています。これが最後でした。

 

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 お盆には施餓鬼がつき物です。その由来について述べましょう。

 盆の行事は、『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』というお経によると言われています。盂蘭盆の語源には諸説あって、実の所はよく分かっていませんが、盆はその略語です。

 

 このお経によりますと、お釈迦様の十大弟子の一人に、神通第一の目連(もくれん)という方が居られました。神通(じんつう)というのは超能力という意味です。

 この目連さんは、親孝行な方でありましたので、亡くなられたお母様は、今どこで何のようにしてお暮らしであろうか、優しいお母様であったから、今はさぞ楽しくしていらっしゃるであろうと思い、神通力で調べてみますと、これが何と餓鬼道に堕ちていられたのです。『父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)』というお経には、子のために母は悪業を造ると言いますから、あるいは目連さんの為に、お母様には何か罪を犯すようなことがあったのかも知れません。それは何うであるか分かりませんが、お母様は、それは骨と皮ばかりにお痩せになり、近くに食べ物はありません。

 目連さんは、泣きながら鉢にご飯を山盛りにして与えます。お母様は、その鉢を左手で抱え、右手で握って食べようとなさいますが、ご飯がまだ口に入りきらない中に、それは炭と化して火をあげました。

 目連さんは、思わず叫び声を上げ、大声に泣きながら還られて、お釈迦様に事の次第をご報告なさいました。

 お釈迦様は仰います、『お前の母の罪は、甚だ重く脱れ難い。お前一人の力では何うにもなるまい。お前が孝行であり、それで天地が動いたとしても、お前の心に、神々、悪魔、外道の道士、四天王が感応して、何かしようと思っても、何うにもならないだろう。

 ただ多くの僧に供養すれば、その山間で禅定し、修行して悟りを得、人々を教化し、清浄戒を守る力に因って、父母の罪を除くことが出来る。

 七月の十五日には、近在のすべての僧が集まる。その日に当たって、皆に供養すれば良かろう』と。

 

 この経を拠り所として、各ご家庭では、精霊棚(しょうりょうだな)を作ってご先祖を供養し、お寺では、施餓鬼会を催して、餓鬼に供養すると共に、その善行を廻向して皆様の御先祖の供養をするのであります。

 

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 では餓鬼とは、何のような生き物でしょうか。比叡山の恵心僧都(えしんそうず)という方の著された『往生要集(おうじょうようしゅう)』で、これを見てみることにしましょう。

 

第二明餓鬼道者。住處有二。

第二に餓鬼道を明かす。住処に二つあり。

一者在地下五百由旬。閻魔王界。二者在人天之間。

一は、地の下、五百由旬(ゆじゅん、10km)の閻魔王(えんまおう)の界に在り。二は、人天の間に在り(人間と天上に混在している)。

其相甚多。今明少分。或身長一。

尺或身量如人。或如千瑜繕那。或如雪山<大集經>

その相(様相)は、甚だ多し。今は、少分を明かさん。

あるものは身長一尺、あるものの身量は人の如し。

あるものは千瑜繕那(ゆぜんな、由旬に同じ)の如く、

あるものは雪山(せっせん)の如し。<大集経(だいじゅうきょう)>

或有鬼名身。其身長大。過人兩倍。無有面目。手足猶如脚。熱火滿中焚燒其身。

昔貪財屠殺之者受此報

或いは鬼に鑊身(かくしん、は魚肉を煮る大鍋、昔罪人を煮たという)と名づくる有り。その身は長大にて人に過ぐること両倍(二倍)、面目(めんもく、)有ること無く、手足は、なお(かなえ)の脚の如し。

熱火、中に満ちて、その身を焚焼(ぼんしょう、焼く)す。

昔、財を貪り、屠殺せし者、この報を受く。

或有鬼名食吐。其身廣大。長半由旬。常求嘔吐困不能得。

昔或丈夫自美食不與妻子。或婦人自食不與夫子。受此報

或いは鬼有り、食吐(じきと)と名づく。

その身は広大にて、長(たけ)は半由旬(ゆじゅん、10km)なり。

常に嘔吐(おうと、へど)を求むれど、得る能(あた)わざることを困(くる)しむ。

昔、或いは丈夫(じょうぶ、)、自ら美食を噉(くら)いて妻子に与えず、或いは婦人、自ら食らいて夫子に与えざるもの、この報を受く。

或有鬼名食氣。世人依病。水邊林中設祭。嗅此香氣以自活命。

昔於妻子等前獨美食之者受此報

或いは鬼有り、食気(じきけ)と名づく。

世の人、病によりて、水辺の林中に祭()を設くるに、この香気を嗅いで以って自ら活命す。

昔、妻子等の前に於いて、独り美食を噉いし者、この報を受く。

或有鬼名食法。於嶮難處馳走求食。色如黒雲。涙流如雨。若至僧寺。有人呪願説法之時。因此得力活命。

昔爲貪名利不淨説法之者受此報

或いは鬼有り、食法と名づく。

嶮難(けんなん、険しくて通り難し)の処に於いて馳走(ちそう、走る)して食を求む。色は黒雲の如く、涙流れて雨の如し。

もし僧寺に至り、人の呪願(じゅがん)し説法するの時有らば、これに因りて、力を得て活命す。

昔、名利(名声と利養)を貪らんが為に、不浄の説法せし者、この報を受く。(不浄説法とは、或いは邪法、或いは正法を、上のような邪心を以って説くこと

或有鬼名食水。飢渇燒身。周求水困不能得。長髮覆面。目無所見。走趣河邊。若人渡河。脚足之下遺落餘水。速疾接取以自活命。或人掬水施亡父母。則得少分命得存立。若自取水。守水諸鬼以杖打。

昔沽酒加水。或沈蚓蛾。不修善法之者受此報

或いは鬼有り、食水と名づく。

飢渇(きかつ)身を焼きて、周障(しゅうしょう、ウロウロ)として水を求むれど、得る能(あた)わざることを困(くる)しむ。

長髪は面(かお)を覆い、目にて見る所無し。河辺を走り趣いて、もし人、河を渡りて脚足の下に、遺(のこ)し落せる余水有らば、速かに疾(と)く接取して以って自ら活命す。

或いは人、水を掬(むす)びて亡き父母に施せば、すなわち少分を得て、命の存立(ぞんりゅう)を得。

もし自ら水を取らんとすれば、水を守る諸の鬼、杖を以って撾打(ただ、打ち据える)す。

昔、酒を沽(う)るに水を加え、或いは蚓(みみず)、蛾を沈め、善法を修めざりし者、この報を受く。

或有鬼名望。世人爲亡父母設祀之時。得而食之。餘悉不能食。

若人勞得小物。誑惑取用之者受此報

或いは鬼有り、悕望(けもう、希望)と名づく。

世の人、父母の為に祀(まつり)を設くる時、(供物を)得てこれを食す。余は悉く食すること能わず。

もし人、労して小(すこし)の物を得たらんに、誑惑(おうわく、誑かす)して取り、用いし者、この報を受く。

或有鬼生海渚中。

無有樹林河水。其處甚熱。以彼冬日比人間夏。過踰千倍。唯以朝露而自活命。雖住海渚見海枯竭。

昔行路之人病苦疲極。欺取其賈與直薄少之者受此報

或いは鬼有り、海の渚(なぎさ)の中に生まる。

樹林、河水無く、その処は甚だ熱し。彼(かしこ)の冬の日を以って、人間の夏に比ぶるに、過ぎ踰(こ)ゆること千倍なり。ただ朝の露を以って、自ら活命す。海の渚に住むといえども、海を見れば枯渇せり。

昔、行路(こうろ、)の人、病苦に疲れ極まる。その賈(こ、商品)を欺(あざむ)き取りて、直()を与うること薄少なりし者、この報を受く。

或有鬼常至塚間燒屍火。猶不能足。

昔典主刑獄取人飮食者受此報

或いは鬼有り、常に塚間(ちょうけん、墓場)に至りて、屍(しかばね)を焼く火を噉えども、なお足ること能わず。

昔、刑獄(けいごく、牢獄)を典主(てんしゅ、司る)して、人の飲食を取りし者、この報を受く。

或有鬼生在樹中。逼押身如賊木蟲。受大苦惱。

昔伐陰凉樹及伐衆僧園林之者受此報<正法念經>

或いは鬼有り、生まれて樹中に在り。

逼迮(ひっさく、圧しひしぐ)して身を押さるること賊木虫(木賊(とくさ)虫)の如く、大苦悩を受く。

昔、陰(かげ)涼しき樹を伐り、および衆僧の園林を伐りし者、この報を受く。<正法念経(しょうぼうねんきょう)>

復有鬼頭髮垂下遍纒身體。其髮如刀剌切其身。或變作火周匝焚燒

また鬼有り、頭髪、下に垂れて、遍く身体に纏(まと)う。

その髪は刀の如く、その身を刺し切る。

或いは変じて火と作(な)り、周匝(しゅうそう、周囲)焚焼(ぼんしょう)す。

或有鬼晝夜各生五子。隨生食之。猶常飢乏<六波羅密經>

或いは鬼有り、昼夜に各五子を生む。

生むに随って、これを食せども、なお常に飢えて乏し。<六波羅蜜経(ろくはらみつきょう)>

復有鬼一切之食皆不能。唯自破頭取腦而食。

また鬼有り、一切の食は、皆噉うこと能わず。

ただ自ら頭を破りて脳を取りて食う。

或有鬼火從口出。飛蛾投火以爲飮食。

或いは鬼有り、火、口より出づ。

飛蛾(ひが)、火に(身を)投ぜば、以って飲食と為す。

或有鬼食糞涕濃血洗器遺餘<大論>

或いは鬼有り、糞(くそ)、涕(なみだ)、膿(うみ)、血、器を洗いし遺余(いよ、残り)を食う。<大論(だいろん)>

又有依外障不得食鬼。謂飢渇常急身體枯竭。適望清流走向趣彼。

有大力鬼。以杖逆打。或變作火。

或悉枯涸

また外なる障(さわり)によって、食を得ざる鬼有り。

謂わく、飢渇、常に急(せま)りて、身体、枯渇す。

適(たまたま)、清流を望み、走り向かいて、彼(かしこ)に趣けば、大力の鬼有りて、杖を以って逆(むか)え打つ。

或いは、(清流)変じて火と作る。

或いは、(清流)悉く枯れ涸(つ、)く。

或有依内障不得食鬼。謂口如針孔。腹如大山。縱逢飮食。無由

或いは、内なる障によって、食を得ざる鬼有り。

謂わく、口は針の孔の如く、腹は大山の如し。

縦(たとひ)、飲食に逢うとも、これを噉うに由(よし)無し。

或有無内外障而不能用鬼。

謂適逢少食而食者。變作猛焔燒身而出<瑜伽論>

或いは、内外の障無けれども、用うること能わざる鬼有り。

謂わく、適(たまたま)、少しの食に逢えども、食噉(じきたん、食う)せんとすれば、(その食)変じて猛焔と作り、身を焼きて出づ。<瑜伽論(ゆがろん)>

以人間一月爲一日夜成月年。壽五百歳。

正法念經云。慳貪嫉妬者墮餓鬼道

人間の一月を以って一日夜と為し、月年を成して、寿(よわい)五百歳なり。

正法念経に云わく、慳貪(けんどん、物惜しみと貪り)、嫉妬の者は餓鬼道に堕つと。

 

 皆様、お互いこんな目には遭わないようにしましょうね。

 

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  夏休み  終わり