home

きつねに一匹

 子供の頃、家にあった小学生全集を、よく読んでいました。

 子供向けに、当時の有名作家たちが書き下ろした、総巻数80巻にもなろうという、かなり大掛かりな全集で、文芸春秋社から出版されていました。菊池寛が発起人となり、監修、編集、翻訳などを手がけ、表紙にも新鋭の作家による夢のある絵を載せて、子供にとっては、もうそれ以上はない贅沢でした。

 その中に、今でも忘れられない、アイヌについての民話があります。

 

 『蕗(ふき)の下の神様』(宇野浩二作)といいます。あらすじを申しますと、

 昔々、一人のアイヌがおりました。名前をクシベシといい、大変ななまけもので、いつも寝転んでばかりいて、お腹がすいて、どうにも我慢ができなくなると、やっと起き出して、食べ物を探しに行くのです。

 ある日のこと、クシベシが家の前の陽だまりで寝転んでおりますと、目の前にご馳走が現れました。

 クシベシは、初め驚きましたが、コロボックンクルという神様が、困っている人に、食べ物を恵んでくれるという話を思い出しまして、これが例のコロボックンクル様のお恵みかと思い、これは有難うと言って受け取りました。

**********************

 ここでちょっと、コロボックンクルという神様の説明をいたしますと、これは身のたけ三十センチほどの小さな神様で、いつも蕗の下にいらっしゃいます。そのために、アイヌの人たちは、蕗の下の神様という意味で、コロボックンクルと呼んでいたのです。

 しかし、誰かその姿を見たものがいるかと言いますと、実は誰もいません。ただ陽気な歌声とか、話し声が聞こえるだけなのです。

 この神様は隠れ蓑(かくれみの)という着物を、いつも身に着けていますので、誰にも姿を見られることがないのです。

 この少し変わった所のある、神様は、いつも悪戯をしては、人々を困らせ、そしてそれを楽しみにしていました。

 例えば、人が鮭を取りに川に行きますと、神様ですから先が読めますので、人に見られないことを良いことにして、先回りをし、川にいる鮭を、すっかりさらえ取ってしまいます。人が後から、川に来ても、もう一匹の鮭も泳いではいません。木の芽、山菜、薪などでも同じことで、ちゃんと先回りをして、すっかり取ってしまうのです。

 このとき、アイヌの人たちは、どうするかと言いますと、ちぇッと舌打ちして「しかたがない。コロボックンクル様の悪戯だ」とあきらめて帰ってしまい、決して腹を立てるようなことはしませんでした。

 それはなぜかと申しますと、それにはちゃんとした理由があります。

 この神様は、このようにして取った食べ物は、みな、先ほども申しましたように、困っているアイヌの人たちに恵んでやります。誰もみな、それを知っていて、それで怒らないのです。

*******************

 コロボックンクルとは、この様な神様なのですが、どうもこの時ばかりは、なぜか勘違いしてしまい、間違った人に、ご馳走を与えてしまいました。

 このクシベシは、少しも困ってなどいず、日頃から何とか楽をして暮らせないものかと、そればかりを考えていましたので、いきなり目の前に、ぬーッと現れたご馳走に、最初こそ感謝のような気持ちをいだいたものの、すぐにこれは何とかして、この様なうまいことが、長続きする工夫はないものかと、すぐにこの様な悪い考えを持ったのです。

 その様な悪い気持ちで、目の前のことを、よく観察してみますと、ご馳走をのせたお皿の下に、それはそれは小さな子供の手がのぞいています。これはしめた!とばかりに、クシベシは、お皿を受け取るかと見せかけて、その手を、ぐいッと捕まえ、引っ張り寄せました。

 するとどうでしょう、そこには、隠れ蓑が脱げ落ちて、すっかり姿を現してしまった神様がおられました。

 コロボックンクルは、すっかり動転してしまい、人間に姿を現した恥かしさに振るえていらっしゃいました。そしてこうおっしゃったのです、

 「その蓑を返してくれ、もし返してくれたならば、お前が一生食うに困らないだけの、食料と衣服を恵んでやろう。」と。

 クシベシは、まあそんなものかと思い、

 「きっとだな、約束を破るようなことはしないだろうな」、

 「約束を破るのは、人間だけのすることだ。私は人間ではない。」と、こう神様がおっしゃいますので、クシベシは、よく考えたすえ、隠れ蓑を返してやる事にしました。

**********************

 これでもう一生遊んで暮らせると思うと、クシベシは嬉しくてなりません。狭い小屋の、どこにその食料を置いたらよいだろうか、着物はどこに掛けようか等と、次から次に考えがふくらんできます。

 

 夕方になりました。臂枕をして寝ているクシベシの耳に、遠くの方からかすかに歌声が聞こえてきます。

 その歌声はだんだん大きくなり、意味も聞き取れるようになりました。

桝(ます)ですくって、称(はかり)にかけて、

己(おの)が命を俵(たわら)につめる、

エンヤラひい、エンヤラふう。

 

尺(さし)ではかって、刃物で切って、

己が命を切りつめる、

エンヤラひい、エンヤラふう。

 クシベシが目を開いて部屋の中を見てみますと、隅にいくつかの俵が積まれています。そして約束の着物は、いつの間に、寝ているあいだにでも、着替えさせられたものやら、それまで着ていたボロが、真新しい着物に代わっています。

 その時、コロボックンクルの声がしました、

 「きみの要求のものは、ここに置いたよ。」

 クシベシは俵を数え、

 「そんな、たった六俵じゃないか。着物だって、これ一枚しかないぞ。」

 「いや、それで十分だ。嘘はつかないと言ったではないか。お前には、それが一生分なのだ。」と。

 そこで、声は聞こえなくなりました。

 

 あくる日から、クシベシは山に薪を取りに行かなければなりません。あの部屋の隅に積んである俵の米を煮なくてはならないからです。

 ところが、クシベシが山に行くと、そこには一本の薪もありません。やむなくクシベシは、薪の代わりに、家の窓をふさぐ雨戸を燃やすことにしました

 こんな日が毎日毎日続きます。

 だんだん、家の窓、扉、内張り、外張りなどが、消えてゆきます。

 冬が来るころにはとうとう家は柱を残すだけになってしまいました。

 

 俵の米も、一俵、また一俵と消えてゆきます。あとは、およそ一回炊く分の、お米が残っているだけです。

 その夜、ついに雪が降ってきました。明日は一面の雪景色となることでしょう。

 さすがのクシベシも、心細さに、心を痛めています。勇気を振り絞って、最後に残った、わずかのお米を炊いて食べ、お腹がふくれますと、いくぶん心配が消えてゆきます。

 雪は、しんしんと降り積もり、真夜中ころには、寒さも耐え難く思われ、ついに火を起こして温まらなくては、どうにもならなくなって来ました。しかし、もう残っている薪は、家の柱より他はありません。

 クシベシは、とうとう自ら家の屋根を支えている、柱をのこぎりで引き切りました。そしてそれを燃やして暖を取ったのです。

 あくる朝になって、アイヌの村人が見たのは、傾いた屋根の下で、凍え死んでいるクシベシの姿でした。

 そしてそれ以後、コロボックンクルは、どこかに行ってしまいました。誰も二度と、その歌声を聞いたことはありません。そして、誰も悪戯をして、鮭や山菜や薪を取ることもなく、コロボックンクルに見守られてきたアイヌの人たちも、やがて衰退の運命をたどることになったということです。

 

                       (原作 宇野浩二、あらすじ つばめ堂)

 

 

 どうも、原作の著作権がどうなっているのか、よく分かりませんので、不細工なものをお目にかけ、誠に恐縮いたしております。

 しかし、あまりに長期に亘る著作権というものは、文化的な観点からすれば、発展を阻害しているのではないでしょうか。

 例えば、レコード会社などが、絶対に発売することなど有得ないのに、権利を主張するのは、どうかと思われるのです。

 日本は山が多く、平地の少ない島国ですから、産業は発展しにくく、まあ工場の流れ作業を支える、コンベアなどにしましても、平地以外に敷設することの困難は相当なもので、いつまでも、この国の産業が、外国に対して優位を保つのは難しかろうと思うのです。

 そこで、考えられるのは、農業は論外としまして、折角の白砂清松も見る影もない今、観光産業もダメとすれば、文化事業をいかにして産業化するかということですが、これこそ人の数に比例して発展するもので、誠にわが国にふさわしく思うている所に、このような一時の経済優先の著作権法、この読みにくさ、分かりにくさも相当に非文化的ですが、このために、どれほどの文化の種が潰されているかと思うと、どうもこれも将来の悲観の種となってしまったと申すも、何かなさけないような気がしてきます

 

 さて、この話を冒頭に掲げようと思い立ちましたのは、いつも話の種が慢性的に品切れ状態の私にとって、ニュースさえ有れば、ついそれが何であれ、飛びついてしまうという、まるでカエルそこのけの性を露呈してしまったと、いうだけのことなのです。

 ところがこの五月には萱野茂(かやのしげる)さんという方が、お亡くなりになり、決して人の不幸に飛びついたという訳でもございませんが、ここは一つアイヌもので行ってみようと思ったような次第なのです。

 この方は、アイヌ人初めての国会議員ということで、アイヌの方たちの誠に悲惨な運命を、日本人に、いや外国の方たちにも知らしめて、その待遇を改善させ、あわせて自然回復の提案などもなさり、日本にとって大変に重要な人でした。ここに略歴を書かせていただき、功績を称え、併せて、ご冥福をお祈り致したいと思います。

萱野 茂(元参議院議員) 略歴

  住処 北海道平取町二風谷七九の一

大正十五年  北海道沙流郡平取町二風谷に生まれる。

  物心ついた昭和五年ころより、祖母テカッテにより、アイヌ語、民話、自然に関しての話を聞き、以後成人してからは、アイヌ民具、民話の採集、記録、保存に力を注ぐ。

  その間に、著名な言語学者である、金田一京助、知里真志保(ちりましほ)の両氏の知遇を得る。

昭和四十七年 『二風谷アイヌ資料館』設立。

昭和五十年  『ウェペケレ集大成』の功績により『菊池寛賞』受賞。

平成元年   『吉川英治文化賞』受賞。

平成五年   『北海道文化賞』受賞。

平成六年   アイヌ初の国会議員となる。

平成十年   『萱野茂のアイヌ民話集成』に『毎日出版文化賞』受賞。

  同年     国会議員を辞職する。

平成十三年  アイヌ語による放送事業『エフエム二風谷放送』を設立。

  同年    総合研究大学院大学より博士号を授与。学位請求論文は「アイヌ民族における神送りの研究―沙流川流域を中心に」

  同年     勲三等瑞宝章受賞。

平成十八年56日午後138分、パーキンソン病による急性肺炎のため療養中の札幌市東区の病院で死去。享年79。  

 

 

***************************

 

 さて、話はかわりまして、先ほどとは、およそ真反対の働き者、こう言えばもうお分かりでしょう、言わずと知れた『ツバメ』のことです。わたくしが余りにもナマケモノであるが故に、家人が提案しまして、わが書斎の斎号を『つばめ堂』と、強制されたほどでございますから、この鳥を見るたびに、我が身を振り返って、ああ感心な奴め、それに反して俺は!と、つねに反省し、それが我が心の健康に、非常に役立つというものなのです。

 どこの誰ですか、「燕雀(えんじゃく)、いづくんぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らんや」などと心無いことを言って、ツバメを蔑む人もおりますが、鴻鵠などと申しましても、何も翼を広げると、三百六十万里の迦楼羅(かるら、ガルーダ)という鳥から比べれば、何程もないものでして、たかが白鳥、あるいは鴨の類でありますから、燕雀とは五十歩百歩なのであります。

 このツバメが、朝の九時ころ、日が昇って温かくなった時分に、田んぼのあぜ道を、散歩などいたしておりますと、低く弧を描いて飛び回っているのが、目に入ります。一羽が飛び去りますと、すぐその奇跡を追ってたどる様に、配偶のもう一羽が飛び去って行きます。

 じっと見守っておりますと、二羽は互いに飛び交いながら、子供の哺育(ほいく)に必要な羽虫を捕らえて、必死なのです。わき目も振らずに、忙しく飛びまわりながら、少しの休む気配もありません。

 このように、ツバメが、夫婦相和して、和やかな内にも、厳しく生活に対峙していることは、ちょっと前ならば、我々日本人は、皆納得して、常に模範としてきた所なのではないでしょうか。

 どうもこの頃は、小中学校のうちから、株式を教科に取り入れてはどうだろうとか、誠に情けなくも、労働を軽視して、楽をして暮らしたいというような、風潮が目立ちますが、労働こそは人生の基本であり、身体を使った労働こそが、またその基本であるということを、強く言っておきたいと思うのです。

**************************

 楽をして暮らしても、決してそれは楽ではありません。自己を磨き上げてこそ、楽しみは得ることができるもので、楽をして儲けよう、或いは良い暮らしがしたい、常に着飾りたい、常に旨いものが食いたい、というような、虚飾の浅はかな発想からは、遥かに遠いものなのです。

 まあ、このようなことは、論語、孟子などを紐解いてみれば、いくらでも書かれていることですが、ここは一つ仏教の方の言葉を聞いてみることに致しましょう。

 

 善導大師(ぜんどうだいし)、この方は、浄土宗、浄土真宗、あるいは時宗など、法然上人の法流で高祖(こうそ)と呼ばれ、その思想は高く評価されているものですが、その本質は詩人であります。

 しかし、一方、非常なる努力の人でもありまして、『唐高僧伝』、『新修往生伝(しんしゅおうじょうでん)』というような書物には、『三十余年、別に寝所なく、暫くも睡眠せず、洗浴の外は、かつて衣を脱がず』とか、『戒品(かいほん、カイリツ)を護持して、繊毫(せんごう、ワヅカ)も犯さず、かつて目を挙げて女人を見ず』とか、『綺語(きご、ザレゴト)、戯笑(ぎしょう、タワムレ)、また未だこれあらず。飲食、衣服、四時豊饒(しじほうじょう、イツモユタカ)の供養を受けれども、自らこれを口に入れず、衆徒(しゅうと、弟子衆)に供養し、自身には粗悪を食して、わずかに身を支えるを得るのみ。乳酪醍醐(にゅうらくだいご、ウマイモノ)は皆飲噉(おんたん、ノミクイ)せず』等とあります。また『阿彌陀經を写すこと十万巻、浄土の変相(へんそう、ヨウス)、即ち曼荼羅(まんだら、浄土の様子を表す絵)を描くこと三百舗(ほ、マイ)、随所に於いて伽藍(がらん、堂)および古塼塔(せんとう、レンガ造りの塔)の破壊せるを見れば、皆悉く造営して、灯を燃やし、明かりを絶やさず』等ともあります。

 

 上に挙げた所の諸宗では、しない所もありますが、多くは六時礼讃(ろくじらいさん)という行事をします。これは、一日を昼夜三時づつの六時に分け、各およそ一時間ほどの勤行(ごんぎょう、オツトメ)をするのですが、それぞれ宗派、或いは地方地方によっても、かなり異なっておりますが、みな美しく節を付けて、浄土の素晴らしさを歌い上げております。この時に歌われますものが、善導大師の『六時礼讃偈(ろくじらいさんげ)』です。この中から、ごく短い部分をお目にかけましょう。

 

諸眾等聽說

(しょしゅとう ちょうぜつ)

 日中無常偈

    (にっちゅう むじょうげ)

人生不精進

(にんしょう ふしょうじん)

喻若樹無根

(ゆにゃく じゅむこん)

採華置日中

(さいけ ちにっちゅう)

能得幾時鮮

(のうとく きじせん)

人命亦如是

(にんみょう やくにょうぜ)

無常須臾間

(むじょう しゅゆけん)

勸諸行道眾

(かんしょ ぎょうどうしゅ)

勤修乃至真

(ごんしゅ ないししん)

 

ゥ衆等(しょしゅとう)、聴きたまえ、

   日中の無常偈を説かん。

人、生まれて、精進ならざれば、

   喩(たと)えば、樹(うえき)に根なきが若(ごと)し。

華(はな)を採りて、日中に置かば、

   よく幾(いく)ばくの時か、鮮(あざ)やかなることを得ん。

人命(にんみょう)も、またかくの如し、

   無常、須臾(しゅゆ、ワヅカ)の間(あいだ)なり。

諸の行道衆(ぎょうどうしゅ、人々)に勧(すす)む、

   勤修(ごんしゅ、ツトメオサム)して、

     すなわち真(しん、浄土)に至れ。

 

 この様に、大変に短いものです。しかし、そこには詩人の直感による、紛れもない真実があります。

 よく味わいたいものです。

 

***************************

 

 と、おぼつかなくも、決まったところで、今月は、これでおしまいです。

 きつねはどうした、きつねは。いえ、忘れてはおりません。

 我が家では、一年中、まあ寒い季節を除いてということですが、上に焼きたての錦糸卵が一杯乗った、散らし寿しをつくります。

 ところが、ここ数年のことですが、非常に困っておりますことに、さる有名なカマボコ屋さんに、この散らし寿しには、必須の『厚焼き』という、魚のすり身に山芋を加えて、焼き目を両面に付けたもので、ハンペンよりは、腰のあるものですが、それが、とんと見えなくなり、どの店にも無くなってしまったのです。

 何しろ、薄く切って、ご飯に混ぜ込んで使う、味の決め手となるべきものですので、これが無くては味が全然違ってしまいます。

 いまさら私の好みを変えるわけにも行かず、誠に困惑いたしておりますので、店の方に、聞いたところでは、何かその原料である、白鮫(しろさめ)という魚が、海に一匹もいなくなってしまって、作ることが出来ないでいるということでした。

 

 まあ、ほんとに、それ見たことか、とでも言うのでしょうか。危惧していた通りのことが起こってしまったのです。もうこれからは、何一つ安心は出来ません。いつ何時、何が店頭から姿を消すか、まったく分からないのです。

 そこで、アイヌの方からの提案です。

 もう何年も前のことになってしまい、それがラジオだったのか、それともテレビだったのか、どうもテレビだったような気がしますが、萱野茂さんの声が聞こえていました。

 アイヌは、何でもすっかり取りきってしまうことは、決してしません。ギョウジャニンニクでもフキでもサケでも、来年また同じ様に取れるように、根こそぎ取ることは、決してありません。都会の人が来ると、それを知らないものだから、フキでも何でも、根こそぎ取ってしまって、来年また来たときには、一本も無いので、不思議そうな顔をしています。

 アイヌは、サケを取るときは、取り過ぎないように、サケが一匹づつ目の前を通るたびに、このように歌いながら取るのです。

     森のクマのために、一匹。

     野原のキツネのために、一匹。

     空を飛ぶカラスのために、一匹。

     川のサケのために、一匹。

     アイヌのために、一匹。

 アイヌは五番目に取るのです。そうでないとサケの神様が死んでしまい、サケがいなくなるからです。

 注、アイヌとは人間という意味です。

 

  (きつねに一匹 終わり)