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花まつり

 楽しみにしていた花見ですが、今年は桜が遅く、やきもきしながらも、ようやく四月六日にすることが出来ました。そのためにと言うわけでもありませんが、花まつりのことはすっかり忘れていまして、まことに申し訳のないことです。

 むかし、この地方では各寺院でそれぞれに花まつり、正式には潅仏会(かんぶつえ)という、なかなか楽しい行事を行って、お釈迦様の誕生を祝ったものです。

 本堂の正面扉を開いたところに台を置き、花御堂という高さ五十センチほどの白木で作った小堂に庭で摘んだ色とりどりの花を屋根といわず、柱といわず、そこいらじゅうに糊付けしたものを安置して、その中に小さな誕生仏を真鍮で作った盤の中に、甘茶(あまちゃ)を満し、その中に立たせて、信者の方たちが、備え付けの竹の節で作った小さな柄杓でもって、そそぎ掛けるというものです。

 帰りには庫裏の玄関にまわりますと、式台に置かれた大甕(かめ)の中で自然に冷えた甘茶の接待を受けることができ、また近所の人は、やかん、あるいは四合ビンのようなものを用意してきまして、また用意のない人には寺から心ばかりの、切りたての真竹で作った即席の入れ物を二十本ほど備えてあったりしまして、それに入れて持ち帰り、家人へのみやげとしていました。

 この甘茶というものは、ご存知の方は少ないのではなかろうかと思うのですが、甘茶の木は萼紫陽花(がくあじさい)そっくりで、その木の葉を蒸して揉んで作ります。甘味が大変強く、またすうっとした清涼感がありますので、少し暑くなった初夏には適した飲み物です。

 ということで思い出しましたが、どうも私の記憶では旧の四月八日ではなかったかと思うのです。これならば、今年は陰暦の四月八日は、五月五日の子供の日がそれに当たりますので、私もさほど失礼をしたという訳でもなさそうです。

 いくら桜が満開でも、庭に草花が咲き乱れるというには、やはり早すぎましょう。陰暦の四月八日ならば、私が、むかし目にしたとおりに、沈丁花、レンゲ、山吹などは庭に咲き乱れています。

 

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 仏典によりますと、陰暦の四月の八日、半月の日に、お釈迦様はお生まれになりました。そういえばお釈迦様が覚りをお開きになったのも、二月八日のことで、中国と日本では十二月の八日としている所が多いようですが、いずれにしても八日、すなわち半月の日というのは何か意味がありそうです。ちなみに涅槃は二月十五日の満月の夜です。

 この時、お母様の摩耶夫人(まやぶにん)は、里帰りの途中だったということです。何しろ印度では雨季というものがありますので、雨季の始まる四月十五日より以前に旅を終えることは大変に重要なことなのです。

 婚家の迦毘羅婆城(かびらばじょう)から生家の拘利城(くりじょう)までの中間あたりに嵐毘尼園(らんびにおん)という園林があります。そこに休息しようと、お立寄りになった時のことです。

 一本の無憂樹(むうじゅ)の花が余りにきれいで、つと手を差しのべて、その花に触れようとなさいますと、差しのべた手の脇腹から、お生まれになったということです。

 お生まれになると、すぐに七歩お歩きになり、大きな声で『天上天下、ただ我のみを尊しと為す。三界のすべての苦は、我まさに之を安んずべし。』と宣言されました。『世の人々よ。私を尊びなさい。あなた方の苦しみは、ただ私のみが終らせることが出来るのです。』、こう告げられたのです。

 これを喜んだ、帝釈天と梵天は共に、温かい水と冷たい水を天から注ぎかけて、産湯を使わせます。すると、それ以後は普通のお子さんと変わりなく、話すことも歩くことも出来なくおなりになったということです。

 

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 まあ、これは神話が半分というところですが、お覚りになった内容については、少しの疑いもない、まぎれもない真実なのです。これは信じなくてはなりません。信じないと損します。

 では、その内容は、まあ難しく言えばいくらでも難しく言うことが出来ますが、簡単に言えば、『少欲知足(しょうよくちそく)』これに尽きます。

 今なお世界には何万人だか、何十万人だかの人が、毎年餓死しているそうですが、その原因は誰が考えても明らかです。それ以外の人が、『少欲知足』の生活をしないからです。

 さいわい日本では、餓死する人はいないそうですが、はたして本当にそれがさいわいでしょうか。そのために『少欲知足』を忘れているとすれば、そこにはほんの少しの『さいわい』もありません。

 『欲を少なくして足るを知る』、これが『さいわい』、これ以外は『悲惨』なのです。

 

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 昔の本に、こんなことが書かれています。

 『いたづらに美食を求めるものは、精神的に糧(かて)の乏しいことを表し、いたづらに美衣を望むものは精神的に錦を持たぬ印(しるし)である。ゆえに自己の力を量(はか)らずして、いたづらに美衣美食に外面を張ろうとするものは、内面の空虚を遺憾(いかん)なく物語っている。

 また、江戸初期の禅僧、乞食桃水(こじきとうすい)を紹介して、このように語っています。

 「桃水は肥前島原の禅林寺の住持であったが、或る年、寺を弟子に譲って飄然(ひょうぜん)として雲水の旅に出た。

 一鉢千家の飯(いっぱつせんけのめし)、孤身(こしん)幾たびの秋、真に無一物の境界(きょうがい)となって、何物にも囚(とら)われない清い生活を続けて来た。

 和尚が流れ流れて都(みやこ)に出た頃は、もう全く乞食の仲間の一人であった。一笠(いちりゅう)一杖(いちじょう)衣は破れ家はなし、四條の橋の下こそ彼れにとって唯一の安息所であった。

 そして彼れは同じく乞食の群れに投じて、それとはなしに彼等のために信仰の道を説くのが和尚の日課の一つであり、又乞食仲間に病人のある時は、彼れは求めて看護の任に当たり、何くれとなく親身も及ばぬ世話をするのであった。

 ある時、桃水に深く帰依する知法(ちほう)という尼僧が、桃水の徳風を慕うてはるばる都に上って、ようやく橋の下で桃水を見出し、まづ久しぶりに相見した喜びを述べて、而(しか)して自ら心をこめて作った臥具と多くの黄金(こがね)を供養した。

 桃水は身に菰(こも)を被(かぶ)りて寒さにふるえながら、『折角の厚意は忝(かたじけ)ないが、今の身に用なし』と言ってこれを辞退した。

 尼もさるもの、『一たび和尚に供養したてまつりしもの、いか様にも計らいたもうべし』との尼の真心に動かされた桃水は、『それは誠に有りがたい』と受けた臥具は傍らに寝ている癩病の乞食に着せ、黄金はこまかにして乞食の群れの一同に分かち与えてしまった。

 そして彼れはどんな天地にも楽しい月日はあることをさとし、『これでお別れだぞ』と驚いている尼や乞食の群れには目もくれずに東山の方にすたすたと立ち去った。

 桃水和尚の顔には『限りなき楽しみ』の色が漂うていた。」

 また桃水の句を載せています、

如是生涯如是寛

かくのごときしょうがい、かくのごとくかんなり

弊衣破椀也閑々

へいいはわんも、またかんかん

飢餐渇飲只我識

きさんかついん、ただわれしる

世上是非総不干

せじょうのぜひ、すべてかんせず

 この句の意味はわりと簡単です。

 『このように暮らせば、このように寛げる。

  破れた衣、壊れた椀、これもまた良いものだ。

  飢えて食い、渇いて飲む、この楽しみは、解からないだろう。

  世の中で言っている良いとか悪いとかは、私には関心がない。』

 

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 この乞食桃水は宇治の万福寺で修行した黄檗宗(おうばくしゅう)の僧侶でしたが、この宗ではどのようにして、皆修行されるのか、あの単独チベットへ潜入して中国人になりすまし、法王にまで面会したことのある河口慧海も黄檗宗の僧侶でした。

 当時のチベットは英国人のスパイを怖れて、中国人あるいはモンゴル人以外の入国を厳しく禁じ、入国が見つかれば拷問の上死刑にするという法律がありましたので、慧海は、まづ印度にてチベット語を学び、怪しまれない程度に上達してから、ヒマラヤ越えを敢行いたします。

 ネパールの丁度真ん中辺りカトマンズからトルボという町に出ましてダウラギリの北雪峰標高六千メートルの所を越えて、ネパールの西のはてからチベットに入り更に西に行路を取ってカイラス山を廻り、今度は東に道を変えてチベットの首府のラサまで、およそネパールに入ってからだけでも二千キロほどの旅程を、尖った瓦礫が一面に敷き詰められて歩くことも困難、高知にて空気も薄く、寒さも零下何十度、人家もなく、一日あるいても、人に出会わない日が幾日も続く、雪豹(ゆきひょう)の恐怖、民心は荒く気が向けば誰でも強盗にはやがわりする、更に重い荷物を担わせた山羊を食料共々山賊に盗まれるというような、想像を絶する旅を、人家の在るところでは乞食をし、夜には説教をして人心を和らげながら、印度に上陸してから足掛け五年にして、初めてチベットの首府ラサに到着し、セラ寺院に学んで、更にめきめきと頭角を現して、時の大蔵大臣の両親、前(さき)の大蔵大臣夫婦には実の親子さえも及ばぬ信任を得て、法王に会い、チベット大蔵経を巨費を投じて紙に刷らせ、ネパールを経て日本まで持ち帰ったことは、著書の「チベット旅行記」にて、我々を驚嘆させ、更には楽しませ、日本人としての誇りを感じさせずには置かないものなのです。

 この河口師は一体どのようにして、疑い深いチベット人の心を和らげ、かつ信任を得たかというと、これが厳しく戒を守って、一切の肉食をせず、飲酒をせず、当時の肉食飲酒妻帯に汚されたチベットの僧侶たちの尊敬を一身に得ていたからなのです。

 特に食事に関して言えば、一日に一回、麦焦がしを雪とバターで練り、これを食してはいかなるご馳走も及ばぬ珍味であると激賞して憚(はばか)りません。

 と、このように、ここにも『少欲知足』の、ご利益のほどが、よく知れようというものです。

 

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 『少欲知足』は人の本性に反するものですから、これには心がけというものが必要です。出来れば子供のうちから我慢することを学ばねばなりません。欲しいものがあっても、それがなくても別に死ぬわけでもない、いや一体自分は本当にそれを必要としているのだろうか。一時の気まぐれではないかと、このように考える癖を、子供のうちから持つことは大切なことなのです。

 人間というものは『ほしいほしい』という心が肉体を纏ったようなものですから、子供のうちから、それに打ち勝つ力をつけることは、将来かならず遭遇する、欲しくても手に入らないという事態に、上手に対処する時の力となるのです。この力は訓練なくては得られません。タバコを止める術(じゅつ)と同じように、練習で得る力なのです。

 私の知人にこのような人がいます。

 子供を育てている母親ですが、その子供が祖母に、なついてしまった。

 母親の方は、これさいわいと祖母に子供を預けて、自分は日々の事に営々としている中に、祖母はなつく孫が可愛くて、欲しがる物は何でも買ってやるようになった。

 だんだん子供は我がままになり、要求も大きくなって、それが容(い)れられない時は、祖母に乱暴するようになった。

 ある日、母親は子供がまったく自分を必要としていないことに気づきます。

 子供の方でも、自分の欲求を持て余すようになります。その結果はどうなったか。

 子供は、自分の性格がかくも歪んでしまったのは、祖母のせいだ、母親のせいであるとして、祖母には、よくもこう俺を甘やかしゃがったなと蹴っ飛ばし、母親には、お前なんどは親じゃねえと、これもまた蹴っ飛ばします。

 その間、父親はといいますと、子供のことは、お前たちに任せてあるのだからと関心を示しません。ただ会社から得た高給を黙って家に入れるだけです。

 そして、子供は中学を卒業するころには、家に引きこもってしまいました。

 更に祖母がなくなると、家には鍵をかけ、鎖をぐるぐる巻きにして、両親を近づけず、食事は出前にたより、家を一歩も出ずに、欲しいものはパソコンの通信販売で手に入れ、まったくのゴミ溜めと化した豪邸に一人で住み、母親は離れた町にマンションを借りて住み、何もすることもなく手をつかね、父親は異国で支社長として働いて、一切の金銭面を受け持って、それを免罪符としています。

 

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 この話の要点は祖母が母親に代わって子育てをしたことではありません。子供に『我慢する』ことを教えなかったことが問題なのです。昔は兄弟が多く、自然とある時は我慢し、ある時は譲り合い、ある時は口惜しく思い、ある時は可哀そうに思い、喜怒哀楽の中に訓練を受け、知識を得ていたものです。

 いまは経済的な余裕はできたにも拘わらず、苦労を厭い子育てを嫌い、ただ親子共々楽のみを求めて、物を買うことを好み、手作りを嫌い、楽は苦に変じることも、苦を楽に変ずることも思ってもみない。このような時代なのです。

 お寺で、お説教を聞かなくなったことも、残念なことです。むかしならば、常に耳から聞かされたことで、意識せずとも、今のように苦労を厭うなどのことは、地獄に落ちる原因であると、誰でも心得てまったく疑う人はおりませんでした。

 また若い時の苦労は買ってでもしろなどとも言っていました。誰もそのような苦労をしない現代では、恐らく説得力を失っておりましょう。これも残念なことです。いい言葉なのにね。そう言えば幸田露伴(こうだろはん)も娘の文子を嫁がせるには、是非『赤貧洗うが如き家』にやりたいと仰っていたと、幸田文(こうだあや)の文章にあります。親心です、偉い人は違います。

 経典を見てみましょう。

 完訳すると長くなりますので、現代語に意訳し、かつ若干簡略化しています。

 仏は言われた、世の中には五つの悪がある。

 第一の悪は、互いに傷つけ合うことである。

 強い者は弱い者を打ち伏せ打ち破り、殺害して、互いに蛇のように呑み、狼のように噛み合っている。

 第二の悪は、人を騙すことである。

 親子兄弟夫婦、すべて正義を忘れ、したい放題、おのおの自分さえ良ければと思い、だまし合い、欺き合って、心と口とは相い違い、言葉にも思いにも実がない。

 また、言葉を巧みにして媚び諂い、賢者をねたみ、善人を謗って、陥(おとしい)れようと計る。その結果、上に立つ者は不明で、邪悪の臣下を任用し、臣下は自在に上の者を操縦して、いろいろと策を弄して自己の為を測る。

 第三の悪は、欲望を抑えないことである。

 賢者、長者、貧乏、卑賤、愚かの区別なく、常に愛欲に溺れ、寝ても醒めても女の柔肌を思い、自らの妻を厭い憎んで、家財を費やし、正義をかえりみない。

 このような者たちは、戦争を起こして、攻め奪い殺戮(さつりく)し強奪する。

 悪心は常に外にと向かい、自ら正業を修めようとしない。また他人から掠(かす)め取った財物で妻子を養う。欲望を抑えようとせず、身を飾ることのみを楽しみとする。

 第四の悪は、善いことをしたいと思わないことである。

 友人同士が、互いに教えあって一緒に悪をなす。二枚舌、悪口、嘘、冗談などを言っては他人に害をなし、善人を損ない、賢人を打ちひしぐ。

 両親に孝行することを知らず、先生や年長者を軽蔑し、朋友には信頼されず、誠実であることができない。

 尊貴の人であれば、自ら大物であると思い、自分だけは何をしても良いと思い、恣(ほしいまま)に権勢を振るい、他人の権利を侵す。

 他人には、自分を尊敬せよと強要し、自分は天地神明日月など何物をも畏れない。

 第五の悪は、うろつき怠けることである。

 妻子が餓えようと平気である。両親が教え諭そうとすれば、目を瞋らせて怒り、反逆して、仇敵のように見る。

 親は、こんな子を生むのではなかったと言い、取るばかりで与えることを知らないために、人々に好かれない。

 貧乏しても人は助けてくれず、人のものを奪っては遊び暮らす。酒に耽り、美食を嗜んで、節度を知らない。

 このような人は、愚かであるから、誰とでも角突き合わすのである。

どうでしょうか、何かに思い当たりませんか。

 

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 経典に嘘はありません。誰でも子供を放って置けば、このようになってしまうのです。

 このお経は、もう皆様の中には、お気づきの方もいらっしゃろうと思いますが、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』といいまして、浄土宗や浄土真宗では非常に有り難がるものです。

 このように、人間の本質を鋭く見抜いて、今聞いても一向に古臭いとは思えません。得がたいものです。

 お経というものは、何も絵空事や、難しい論理ばかりを説いているのではありませんでして、人々が聞いて解かりやすいように、いろいろの喩(たとえ)を引いて説明するものですから、その当時の人に取ってみれば、誠に解かり易いことばかりが説かれていた筈なのです。

 それをひたすら小難しい理屈を、小難しい言葉で語っていては、その用はまったく果たせないのであります。

 お経には、人間の赤裸々な欲望を説いて、それが何から起こり、それは何を引き起こし、その結果社会がどうなるのか、これが書かれているのです。

 そして、それを防ぐには、どうすれば良いか、何をなすべきか、これが書かれているのです。

 ここに書かれていることも、これが書かれた二千年の昔から少しも変わってはいません。人間の本質は変わりません。だからお経が古びることもないのです。

 もう少し見てみましょう。

 

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 この部分もよく身につまされます。この部分は口調がよいのでしばらく読み下し文で、後に現代語訳を揚げます。

 しかるに世の人、薄俗にして、共に不急のことを諍う。この劇悪極苦(ぎゃくあくごっく)の中に、身の営務(ようむ)を勤め、以って自ら給済(きゅうさい)す。

 尊となく卑となく、貧となく富となく、少長男女、共に銭財を憂う。

 有るも無きも同然(どうねん)として、憂いの思いはまさに等しく、屏営(びょうよう)愁苦(じゅく)して、念(おも)いを累(かさ)ね、慮(おおもんぱか)りを積み、心のために走り使われ、安き時の有ること無し。

 田有れば田を憂い、宅有れば宅を憂い、牛馬(ごめ)六蓄(ろくちく)奴婢(ぬび)銭財(せんざい)衣食(えじき)什物(じゅうもつ)、また共にこれを憂う。

 思いを重ね、息(ためいき)を累(かさ)ね、憂念(うねん)し、愁怖(じゅふ)す。

 横(ほしいまま)に、非常の水火、盗賊、怨家(おんけ)、債主のために、焚(や)かれ、漂(なが)され、強奪されて、ついに消散磨滅す。

 憂いの毒、忪忪(しゅじゅ、ムナサワギスル)として解ける時有ること無し。

 憤りを心中に結び、憂いの悩みを離れず。心堅く、意固く、まさに縦(ゆる)みて捨てること無し。

 或は坐して摧砕(さいさい)し、身亡び命終れば、これを棄捐(きえん)して去り、誰も随う者なし。

 尊貴も豪富も、またこの患(うれ)い有り、憂懼(うく)万端、苦を勤むることかくの若(ごと)し。もろもろの寒熱を結び、痛みと共に居る。

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 貧窮(びんぐ)下劣のものは、困乏(こんぼう)して常に無し。

 田無ければまた憂いて田の有らんことを欲(おも)い、宅無ければまた憂いて宅の有らんことを欲う。牛馬六蓄奴婢銭財衣食什物無ければまたこれ有らんことを欲う。

 たまたま一有れば、また一を少(か)き、これ有ればこれを少き、有ること等しからんことを欲う。たまたまつぶさに有りと欲えば、すなわちまた糜散(みさん)す。

 かくのごとく憂い苦しみても、まさにまた求索(ぐさく)すべし。

 時に得ること能(あた)わざれば、無益を思想し、身心ともに労(つか)れて、坐起安からず。憂いの念(おもい)あい随って、苦を勤めることかくの若(ごと)し。またもろもろの寒熱を結びて痛みと共に居る。

 

 釈尊(いくぶん神性を加味して考えるとき、お釈迦様のことを私は釈尊と呼びます。)は、極楽の素晴らしさを称揚された後に、それと世間を比較してこう教えられます。

 それがどうだろう、世間の人は軽薄で卑俗である。急がなくてもよいことばかりを争って追求し、このような苦しみに満ちた中にあって、日々の暮らしに汲々としている。

 尊卑、貧富の別も、老いも若きも、男女の区別さえなく、みな金銭と財産を憂いているのだ。

 持っている者も、持っていない者も、憂の思いは同じである。あちらこちらと走り回り、愁い苦しんで、心を痛め、苦心を重ねて、心の命ずるままに走り使われ、一時も安らぐことがない。

 田があれば、田のことを心配し、宅があれば、宅のことを心配し、牛、馬、羊、犬、兎、鶏、男女の使用人、金銭、財宝、衣料、食物、家具、これらすべてを心配して憂うのである。

 苦しい思いを重ね、ため息をつきながら、心配に没みこんで、怖れおののくのだ。

 水害、火災が起きたらどうしよう。盗賊は来はしないだろうか。怨んでいる者が火をつけるのではないだろうか。債主に取られてしまうのではないだろうか。

 このような憂いは毒となって、心に溜まり、心配で胸がドキドキして、気の休まる暇もない。ついに、この理不尽に対する憤りは、心中に固く住み着き、憂いと共に心を閉ざしてしまう。

 こうなれば、もう何も対処できない。ついに死ぬ時が来れば、この大切な物たちも、自分から離れて雲散霧消してしまうだろうに。

 尊い身分にも、莫大な財産家にも、このような患いがあり、憂いと怖れは種種に心を苦しめ、思わずひやりと冷や汗を流したり、あるいは身体は熱を帯びて、心を痛めるのである。

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 財産のない者、賎しい身分の者、これ等の者は生涯生活に困り、常に財産を持つことがない。

 田が無ければそのために、常に田を持ちたいと思い、宅が無ければそのために、常に宅を持ちたいと思い、牛、馬、羊、犬、兎、鶏、男女の使用人、金銭、財宝、衣料、食物、家具についても無ければ、それを持ちたいと思っている。

 たまたま、何かを持つことができれば、何かが欠けていることに気づき、すべてを持ちたいものだと思う。しかし、すべてを手に入れたと思えば、またたちどころに消散してしまのだ。

 このように憂い苦しみながらも、決して欲しがることを止めようとはしない。どうしても手に入れることのできない物までも、何とかならないかと無益な考えをして、立っても坐っても心の安らぐことはなく、憂いに心は閉ざされて、苦しめられ、持つ者と同様に思わずひやりと冷や汗を流し、身体は熱を帯びて、心を痛めるのである。

 本当に、人間というものは、二千年の昔から少しも進歩していないのですね。

 

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 少し前のことになりますが、新聞でこのような記事を見ました。

 あまりはっきりとは憶えていませんが、何でもある高校生のグループが外国の、たしかカナダだったと思いますが高校生たちと、意見の交換といいますか、討論のようなことをしたそうです。

 日本の高校生は『日本の高校は時代遅れにも、我々に制服を強要して、我々の自由を侵害している。それについて、あなた方はどう思いますか。』というような問いを発したそうである。この高校生はカナダならば、さぞ進歩的な考えであり、このカナダ人の同情をみやげに日本の遅れた高校の態度を改めさせようと考えたのでしょう。

 これに対してカナダの高校生は『それは我がままである。制服があることは承知の上で、その高校に入ったのではないか。制服には非常なる利点がある。毎日着る物の心配をしなくてよいのは、反って勉強がはかどるのではないか。等々』と誠に大人の考えを披瀝している。

 まあ本当に、私が何かの意見を差し挟むまでもなく、カナダ人の高校生がすべてを尽くしていたのです。

 しかし、私の心配することは、別のことです。自由こそが第一であるとする、恐ろしい考えがどうやら蔓延しているのではないでしょうか。したいことだけをして、見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いて、それが本当の意味の自由なのでしょうか。見せ掛けの自由は、それは愚人を陥れるワナです。

 だいたい心身ともに鍛えるに、最も適した時を、なぜ日本の高校生はかくも考えなしに、ぬくぬくとした生活に憧れるのでしょう。そのぬくぬくとした生活がいかに自らを損なうものであるかは、考えて解かりそうなものではありませんか。それが考えられないというのは、何かが間違っています。

 毎日、新聞を見るのが、もう嫌になるほど、若年者の起こす事件が紙面をにぎわせています。すべてを連結して考えなくてはなりません。高校生に自由など、どだい理屈に合いません。修行中にだらだら自由を満喫して、どうして一人前になれますか。

 

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 まあこのように、またしてもすべては親の責任だと落ち着いたところで、私のお酒に弱くなったという話です。

 仏教徒は誰でも五戒というものを守らなければなりませんが、これにお酒を飲むなという戒があるのです。この五戒というものは、罰則が有りませんので、なかなか守ろうという気にはなりません。そこでまあ毎日飲むのですが、私の場合は家で夕食の時にご飯を食べながら、一合ほどを飲むというので、謂わば、ご飯を美味しく食べるために飲むようなもので、悪癖と言えば言えるというくらいで、別に大したことはないと思っているのです。

 花見には車で行きました。よく晴れて午前中は青空に桜の花がモクモクと薄桃色によく映りまして、真黄色の連翹(れんぎょう)の花も鮮やかに、花の下に広げた重箱の中身もなかなかに結構でしたが、人出の少ないのを良いことに、つい余分に飲んだ二合ばかりの冷酒がいけませんでした。

 どうも帰りの運転が不安なのです。何やら近頃は運転の罰則なども厳しくなりまして、もし捕まればお酒が残っているのは確実ですから、安全のためにというよりは、お金のために、家内に運転をまかせました。

 しかし、本当にこのほうが安全なのでしょうか。何しろ五十歳になって初めて免許を取るまでは、乗り物といえば、自転車にさえ乗ったことがない、まったくスピード感覚を持たない者が運転するのです。

 アクセルは一度踏んだならば、そのまま次のブレーキまでは蹈みっぱなし。どんどんスピードが上がるのに一向気がつかないのです。

 わたくしはポケットの中のお守りを握り締め、ひたすら助手席には存在しないはずのブレーキを踏んでおりました。そのせいでしょうか、次の日は首が凝り、喉が痛んで一日中床の中で、ただただ疲れを休めておったのであります。どうも罰が当たったのかも知れません。

 

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 皆様のお陰をもちまして、ヤフーカテゴリに登録されることになりました。

 しかし何と申しますか、愚かな者は何も高校生ばかりではございません。かく申すわたくしも立派な愚か者でございまして、このように下手なものを書いているのも、ただ人様に認められたいという一心からでございまして、その愚かな虚栄心を原動力としているのでございます。

 そのような訳で、一人でも多くのお友達をお誘いくださいまして、わたくしを元気付けてくださいますよう、かようなところで申すのは失礼とはぞんじますが、次回もお誘い合わせてお出でくださいますよう、心からお待ち申しております。

 

    平成十八年五月一日                            つばめ堂主人 敬白

 

 

(花まつり 終わり)