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花見

 待ちに待った花見の季節が来ました。花見というと、心の中に思い浮かべるのは、緑の軟らかい草の上に緋毛氈を敷き、隅に携帯炉を据えて湯を沸かし、酒に燗をつけながら春の日差しにぬくぬくと弁当を開き、箸を休めては花を眺め、花を眺めては箸を使うといった光景ですが、現実にそんなことをしようと思えば、これはもう大変で、例え三畳の毛氈にしろ草の上に直に敷く訳にはいきませんから、やむを得ずにしろ藁(わら)で作った筵(むしろ)を持参致すことになります。携帯用とは言え炭を熾して使うような炉はやはり相当の重量物であります。わが家には人を雇うような余裕はとても無いし、もしあったとしても、ただそれのみをさせて後はじっと黙って控えていろという時代でもありません。まあむくつけき者が目の届く範囲にいること自体がうっとおしく思えますから、このような時代遅れの誇大妄想はきっぱりとあきらめて、一坪に少し足りない狭苦しいイギリス製のピクニック用の敷物で我慢することにしましょう。

 とまあ、このようなことを考えていますと、実際の花見がどうなろうと知ったことではないような気分になり、ものぐさ者の私が今年はどのような花見をすることが出来るか、はてさてといった所です。

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 しかし、これはそのような花見の話ではありません。何年か前に行った奈良県の吉野山の花見です。これはまったく花だけが目的で、弁当も白鷹(はくたか)も無い上に、家には八匹の猫が待っていますから、泊まる訳にもいかずといった無い無い尽くしのような花見でしたが、名にし負う吉野の桜ですから、それだけでもう満腹というぐらいに全山これサクラサクラ‥‥ともう頭の中には無理やり桜が詰め込まれまして、今だに忘れようとても忘れられない光景が目さえ瞑ればありありと目の当たりにすることが出来ます。世の中に名所の数は数あれどとでも言いますか、これだけは本当に早起きしてよかった。

 しかし残念なことに、今こんなことを宣伝しまして、皆様が実際に吉野山に行かれたとしても、そのような光景をお目にされ得ることはまずないでしょう。

 と言いますのは、私が行った年の吉野山は四月中の寒さが残った影響で、本来ふもとから頂にかけて、下千本、中千本、上千本、奥千本と何日か日をずらしながら、順を追って咲くところが、その年に限って皆が一度に揃って咲いたという、非常に珍しいことが起きたからなのです。

 しかし、道中は車で行くわけですが、それがどうもいけません。道中の景色が美しくないからです。その辺りで独り聳え立っていた一番の高山が無残にも山頂近くからすっぱりと包丁で切り取ったかのように赤土を晒して無残な姿を剥き出しにしています。

 

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 この辺りの人は毎日わが故郷の無残に変容する山の姿を見て、何んと思って暮らしていられるのか。はたからは見ていられないような気がして、何か良くないことが起こらねば良いが。いや、起こらぬ筈がない。このようなことを鬱々と思って、気持ちが暗く沈んだものになって行くのを、運転しながら感じ取っているのは、精神衛生上も非常に良くないことなのです。

 しかし、どうしたものでしょう。昔の日本はあんなにも美しく、この国全体が盆栽のようであったのに。何があってこのように変わってしまったのだろうか。

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 春になれば、桜が咲くのはあたりまえ、レンゲが咲き、菜の花が咲き、大根の花が咲き、麦の穂は青々と、ちょっと小高い丘の上にでも登れば、遠くの雪を頂いた連山までずーっと桃色、黄色、白、緑のパッチワークです。こんな美しい国がまたとあるでしょうか。

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 秋になれば、またこれが凄いことになります。当時わずかに舗装されていた国道をほんの小一時間もバイクで山の方に走れば、あたりはもう大変なことになっているのです。いちばん近い、道の両側の山襞は杉や檜(ひのき)の緑と、黄色く色づく椎(しい)や楢(なら)と、漆(うるし)ナナカマドなどの真っ赤に燃えるような色とで、まさに綾錦(あやにしき)その物で、昔の唱歌に歌われるとおりです。

 次に少し遠いあたり、そうちょうど一つの山がぽっこりとした姿を見せる辺りに目をやりますと、これはもう各色が混ざり合って、一つの山全体が真っ赤です。これはどちらかと言えば朱色に近い赤で、これがもう少し遠い山になりますと、真紅になり、さらに遠くの山はやや色味が薄くなって、全山これピンクの奇観を呈します。これからは段々と空の青味が加わって紫になり、薄紫になりして、やがては空に溶け込んでしまうのです。今ではこのように美しい光景をどこで目にできるのだろう。

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 夏だとて同じことです。日本は海国と言われ、全国何処へ行っても白砂清松ならざる海辺はなく、その何処でもが海水浴場でありました。わずかな金額の切符を買えば、小さな電車がすぐに近くの海水浴場に連れて行ってくれます。

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 田んぼの美しさも忘れる訳にはいきません。夏になればいろいろなカエルの大合唱が聞こえてきます。また川端ではホタルが飛び交い、それを竹ひごで作った虫かごに入れて、家まで持ち帰り蚊帳の中に放します。

 

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 もう止めましょう。いくら数えても空しくなるばかりです。世界は常に乱雑と混乱に向かって走っているのです。熱力学の言葉ではエントロピー、即ち元に戻りにくさが増大しているのです。人工が加わって低くなった山を元の高さにするためには、恐らく何百倍のエネルギーを必要とするでしょう。トンカチで突き砕いたダイヤモンドは決して元には戻せません。

 どれもこれもすべては我々が心の中の大切なものを失ったせいなのです。

 ギリシャだかローマだかのことわざに『健全な精神は健全な肉体に宿る。』というのがあるそうですが、いや、そうではない。あれは『健全な肉体に健全な精神の宿れかし。』というのだと、真反対の解釈もあるそうです。

 しかしこれは圧倒的に前者であって欲しいものです。それならば、健全な精神を鍛えるためには、ただ肉体を鍛えれば良いということになりますから。

 ただ絶対の確信をもって言えることは、人の心は環境に養われるということです。我々の心は眼耳鼻舌身の五根が色声香味触の五境に触れることにより、養われるといいます。

 また逆も考えられましょう。民心はその環境に反映しないわけにはいきません。昔から、その家を見ればその家の主婦の心意気が知れるというではありませんか。乱雑な環境は乱雑な民心を作り、乱雑な民心は乱雑な国土を造ります。

 そこで青少年の心を鍛えるための、今月の一言を私の信頼する孟子(もうし)に語ってもらいましょう。

 孟子(もうし)曰(いわ)く、「仁(じん)ならざる者は与(とも)に言うべけんや。その危(あや)うきを安しとし、その災(わざわい)を利として、その亡ぶる所以(ゆえん)の者を楽しむ。

 仁ならざるに与に言うべくんば、則(すなわ)ち何ぞ亡国(ぼうこく)敗家(はいけ)のこれ有らんや。

 有る孺子(じゅし)歌いて言わく、

滄浪(そうろう)の水清(す)まば、以(も)って我が纓(えい)を濯(あら)うべし。滄浪の水濁らば、以って我が足を濯うべし。』と。

 孔子(こうし)曰く、「小子、これを聴(き)け。清(す)まばここに纓を濯い、濁らばここに足を濯う。自らこれを取るなり。』と。

 それ、人は必ず自ら侮(あなど)り、然(しか)る後に人これを侮る。

 家必ず自ら毀(やぶ)りて、而(しか)る後に人これを毀る。

 国必ず自ら伐(う)ちて、而る後に人これを伐つ。

 太申(たいしん)に曰く、『天の災を作るは、なお違(さ)くべし。自ら災を作るは活(い)くるべからず。』と。これこの謂(いい)なり。」と。

 孟子はこう言っています、

 「仁でない人と付き合うのは止めなさい。安全でない事態を安全だと思い、災いを招くようなことをして、それが自分の利益になることだと、その自らを滅亡させる原因のものを楽しんでいる。

 仁でない人と付き合って良いのならば、滅亡した国や、破産した家がある訳がないではないか。

 ある幼い子供が歌っている、

 『滄浪(河の名)の水が清めば、纓を洗いましょう。

  滄浪の水が濁れば、足を洗いましょう。』と。

 それを聞いて孔子が弟子に言われた、

 『お前たち、これを聞きなさい、清めばそれで纓を洗い、濁っていれば足を洗う。これは自ら選び取ったことなのだ。』と。

 これは、人ならば、先ず自ら自身を軽蔑して、その後で人がその人を軽蔑するのだ。

 家が傾くのも、先ず自ら家が傾くようなことをして、その後に人がその家を傾けるのだ。

 国の場合も同じこと、先ず国民が自らその原因を作り、その後に他国の人がその国を滅亡させるのだ。

 太申という書物にはこうある、

 『天災を避けることはできようが、自ら招いた災難は避けようがない。』と。これはその意味なのだ。」と。

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 ここで少し繰り返しますと、

 纓(えい)とは冠の紐のことで、大変尊いものです。足はその反対で常に汚いものを蹈む役割を持って、賎しいものです。同じ滄浪という河の水ですが、澄んでいれば、それは冠の紐を洗うのに使われ、水が濁れば足を洗うより他はなくなります。これは誰の責任かというと、他ではない滄浪自らにその責任があるのです。滄浪自らが纓を取るか、足を取るかを選択したのです。

 人に侮られる人は、自ら先に自身を侮っているのだ。

 傾いた家は、人が傾けたのではない、自ら傾けたのだ。

 国が破れるのも、同じこと自ら破れるべき原因を作っているのだ。

 『書経』の太申篇には『天災を避けることはことは、あるいは出来るかもしれない。しかし、自ら作った災は絶対避けることは出来ない。』とあるのは、この意味である。」と。

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 仁についても説明しておきましょう。この字は人の心を言う言葉ですが、このように使われるときは、人としてのいちばん大切なものを心の中に持っていることを言います。ではそれは何かというと、それは人によっていろいろですが、ここでも孟子の言葉をご紹介するのが、良いかと思います。

 『四端(したん)』と言います。

 孟子曰く、「人みな人に忍びざるの心有り。先王にも人に忍びざるの心有り。ここに人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以って、人に忍びざるの政を行なわば、天下を治ること、これを掌上に運ぶべし。

  (注1)忍びず:かわいそうで我慢できない。

 人にはみな人に忍びざるの心有りと謂(い)う所以(ゆえん)のものは、今人たちまち孺子(じゅし)のまさに井に入らんとするを見れば、みな怵タ惻隠(じゅつてきそくいん)の心有り。

  (注2)怵タ(じゅつてき):驚いてハラハラドキドキすること。

  (注3)惻隠(そくいん):かわいそうに思って心が痛むこと。

 孺子の父母に於ける交わりを内にする所以(ゆえん)には非ざるなり。郷党朋友に於ける誉(ほまれ)を要(もと)むる所以にも非ず。その声を悪(にく)んで然(しか)するにも非ざるなり。

 これによりてこれを観れば、惻隠の心なきは人に非ざるなり。羞悪(しゅうお)の心なきは人に非ざるなり。辞譲(じじょう)の心なきは人に非ざるなり。是非の心なきは人に非ざるなり。

  (注4)是非(ぜひ):よしあし。善悪。

 惻隠の心は仁の端(はし)なり。

 羞悪の心は義の端なり。

 辞譲の心は礼の端なり。

 是非の心は智の端なり。

 人のこの四端(したん)有るや、なおその四体有るがごとし。

 この四端有りて、自ら能(あた)わずと謂う者は自ら賊(そこ)なう者なり。

 その君を謂いて能わずとなす者はその君を賊なう者なり。

 およそ我に於いて四端有らば、みな拡げ、これを充たすことは、火の始めて然(も)え、泉の始めて達するがごとくならんことを知れ。

 いやしくも、よくこれを充たさば、以って四海を保つに足り、いやしくも、これを充たさざれば、以って父母に事(つか)うるにも足らず。」 

 孟子はこう言っています、

 「人にはみな他人を可哀そうに思って我慢できない心がある。昔の聖天子にも、他人を可哀そうに思って我慢できない心があった。そこで他人を可哀そうに思って我慢できないという政治をしたのである。

 他人を可哀そうに思って我慢できない心で、他人を可哀そうに思って我慢できないという政治をすれば、天下を治めることは、掌(たなごころ)の中に事を運ぶようなものである。

 いまここで、人にはみな他人を可哀そうに思って我慢できない心があると言ったその理由は、例えば小さな子供が、よちよち歩きをして井戸に入ろうとしている。それを見て、ハッとしてハラハラドキドキ、哀れみの心が起きない人はいないのだ。

 これは、その子供の父母に取り入ろうとする訳でも、みなに誉められようとするのでもない。まして、救わずに非難の声があがるのを嫌がってのことでもないのだ。

 このことからくる結論は、

 『哀れみの心がなければ人ではない。

 羞じを知らなければ人ではない。

 譲る心がなければ人ではない。

 ことの善悪が分からないようでは人ではない。

 かわいそうだと思う心は仁の始まりである。

 恥かしいと思う心は義(ぎ、せいぎ)の始まりである。

 譲る心は礼の始まりである。

 ことの善悪を知る心は智の始まりである。

 人にはこの四つの始まりがあり、それは手足があるのと同じく当然のことなのだ。

 この四つの始まりは既に身に備わっているのに、出来ないというような者は自分自身を傷つけているのだ。もし、君主が哀れみの心で政治しないのを見て、それが出来ないからだと思うような者は、自らの君主を傷つけているのだ。

 誰にでもこの四つの始まりは有るのであるから、それを拡げ、充たせば、小さな火種がやがて大きく燃え広がり、最初の一滴がやがて泉となるようなものであることを知らなければならない。

 もしかりに、このかわいそうだと思う心を充実させるならば、四つの海を平らげることも出来ようが、もしそうしないならば、父母に満足に仕えることさえ出来ないだろう。」

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 まあ要するに、『思いやりの心』、『正義を愛する心』、『へりくだる心』、『して良いことと悪いことの区別を知ること』。これ等は相互に関連しあってみな同じものなのです。人としてそうあるべき心を育むということなのですね。みな元から持っている心なのですから、子供の教育は本当は楽なもののはずです。

 それにしても思いだします。我が家のネコの話ですが、母がお地蔵様のお堂に捨てられていた子ネコを拾ってきました。その子ネコを家に以前からいる雄ネコに預けました。雄ネコは嫌がって子ネコが近づくたびにフーッと言って威嚇するのですね。子ネコは親ネコを探し回っているのでしょうか、まだ足がしっかりしていないので、ふらふらしながらそこら中を歩き回っていました。

 その部屋は台所のとなりで、上がりカマチがコンクリートの土間から五十センチほどあります。今にもそこから落ちるのではないかと思って私はじっと見ていましたが、くだんの雄ネコもやはりじっと見ています。その心やいかにと私はなおも観察していました。そのうちいつの間にか雄ネコはカマチの側ににじり寄り、子ネコが危険に近づくとそっと手を差しのべて、落ちないように子ネコの向きを変えてやるのです。感心しました。

 このように動物にさえ惻隠の心はあるものなのですね。当然人間にもあるはずです。心強いですね。

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 次は私が危険に遭遇したことです。つい先日のことです。三月の二十三日は大変陽気がよく、暖かな日差しに誘われて、近くをドライブとしゃれ込んでいました。『サクラはまだかいな』というような気持ちです。恥かしいことですが、私は小学生のときは通知表に常に『粗暴』と評価されていたほどに闘争心が強い性格で、それは今も直らず、車を運転させれば、常に列の先頭に立ちたがりまして、パトカーや白バイの餌食になりやすいので、普段は気をつけているのですが、その時はやはり陽気のせいでしょうか、すっかり危険を忘れてひたすら制限速度を超えて、前の列に追いつき、その列の先頭に並ぼうとしたとき、バックミラーを見ると別の車がピッタリ後ろについています。そのとき十分なスピードが出ていましたので、もう争う気は起きません。更にスピードを上げるような無謀はせずに、その車が左から追い越すままにしておきますと、そこへサイレンの音がしました。

 はて、捕まったのはどちらか、向こうかこちらかと思い、わずかにスピードを落としますと、私の左側の車はスーッと前に出まして、それと共に白バイも私の左側から向うの車に合図を送っていました。以上。

 

(花見の項 終わり)