home

平成十八年の初めに

 

 

賀 正

 

八犬伝から伏姫(ふせひめ)犬をかばいて父を諌める

 「やをれ畜生、とく出でよ、出でよ出でよ。」と、引提げたる、短槍(てやり)の石突(いしづき)さし延べて、追い出ださんとし給えども、八房(やつふさ)はちっとも動かず、きっと見上げて牙を張り、ますますたける声凄まじく、噛みもかからんありさまなり。義実(よしさね)は勃然(ぼつぜん)と、怒りに堪えず声をふり立て、「理も非も得しらぬ畜生に、ものいうは無益に似たれど、愛する主をばしりつらん。しらずは思いしらせん。」といきまきあえず、槍とり直して突き殺さんとし給えば、伏姫(ふせひめ)は身を盾に、「やよ待給え家尊主人(かぞのうし)。貴きおん身をいかなれば、牛打つ童(わらべ)に等うして、畜生の非を咎(とが)め、おん手を下し給う事、物体(もったい)なくは侍(はべ)らずや。いささか思うよしも侍れば、まげて許させ給いね。」といいかけて目を拭い給えば、義実は突きかけたる、短槍を引きて脇挟み、「異なる姫が諫言かな。いうよしあらば、とくとく。」といそがし給えば、ほうり落つる、涙を禁(とど)め、貌(かたち)を改め、「いと憚(はばかり)あることに侍れど、今も昔も、和(やまと)も漢(から)も、かしこき君の政事(まつりごと)、功あれば必ず賞あり、罪あれば必ず罰あり。もし功ありて賞行われず、罪ありて咎めなくば、その国亡(ほろ)び侍りなん。譬えばこの犬の如き、功侍れど賞行われず、罪なうして罰を蒙(こうむ)る。不便(ふびん)にはおぼさずや。」というを義実聞きあえず、「おん身が異見甚だたがえり。剛敵(ごうてき)頓(とみ)に滅(ほろび)しより、犬の為に職(つかさ)を置き、食には珍膳美味を与え、褥(しとね)に錦綉綾羅(きんしゅうりょうら)を賜う。かくてもその賞なしというや。」と詰(なじ)り給えば、頭(こうべ)をもたげ、「綸言(りんげん)汗の如しとは、出でてかえさぬ喩(たとえ)に侍らん。また君子の一言は駟馬(しめ)も及びがたし、と聖経にありとなん、物の本にも引きて侍る。悲しきかな父上は、景連(かげつら)を討ち滅ぼして、士卒の餓えを救わん為、この八房を婿(むこ)がねに、わらわを許し給うにあらずや。たといそのことかりそめのおん戯れにましますとも、一たび約束し給いては、出でてかえらず、馬も及ばず。かかれば犬が乞いもうす、恩賞は君が随意(まにまに)、許させ給う所に侍り。かれ大功をなすに及びて、たちまちに約を変じ、代うるに山海の美味(うまき)を賜い、また錦綉(あやにしき)の衣衾(ふすま)を給うて、事足りなんとせらるること、もし人ならば口惜しく、恨めしく思い奉らん。畜生にして人に増す、大功あるも、またその賞に、わらわを許させ給いしも、皆前世(さきつよ)の業報と、思い決(さだ)めつ、国の為、後の世の為、棄てさせ給う、子を生きながら畜生道へ、ともなわせても政道に、偽りのなきよしを、国民にしらして、安らけく、豊けく治め給わずは、盟(ちかい)を破り約に叛(そむ)きし、かの景連と何をもて、異なりと人申さんや。いと浅はかなる、女子(をうなご)の、鼻の先なる知恵の海も、濁らねばこそなかなかに、深き嘆きはこのゆえと、心くみみてきょうよりは、恩愛ふたつの義を断ちて、わが身の暇(いとま)給われかし。子として親に棄てよと乞い、異類(いるい)に従う少女子(をとめご)は、大千世界を索(たづ)ねても、わらわが外(ほか)は侍らじ。」とかき口説き給う袖の上に、落ちてたばしる露の玉、ここへのみ来る秋なるべし。

 

 

 

皆様、新年明けましてお目出度うございます。

本年も相変わりませず

ご愛読のほどよろしくお願いします。

皆様もどうか平穏ご無事にてお過ごし下さいますよう

お祈り申しあげます。

 

 年頭に当りまして、今年の干支の犬にちなみ、冒頭を八犬伝の一節で飾り付けましたが、もし失礼があればどうかお許しください。

 昨今の風潮といたしまして、正義正論は冷笑の対象であり、学問の世界におきましても、即物的な学問が持てはやされています。

 正義という一本の背骨を失った、ぐにゃぐにゃの学問が小学、中学、高校、大学にと至るところに蔓延しているのです。私などの考えでは、その結果が幼児殺しから違法建築に至るまで無数の犯罪として現れて来たのだろうと、この辺りが大方の真実であろうと思っているのです。

 八犬伝にはその正義があります。ここではいささかそれを語りたいと思うのですが、皆様はどうか御酒など召されながら、お耳障りお目障りの部分に関しましては、新年の余興とお聞き流しにしていただければ幸いでございます。

 

*******************************

 

 現在の学問に対しては、私などには随分と恐ろしいことに思われるのですが、うっかり正義などと言いますと、それは一体誰にとっての正義だ、そもそも正義とは何なのだなどと言って、揚げ句のはてには学問はあらゆる物事から独立していてあらゆる干渉を受けないのだ、等々のあらゆる馬鹿げた難詰を受けかねません。

 しかし世界に正義はないのかと言いますと、必ずしもそうとばかりは言えないのではないでしょうか。

 では正義とは何かと逆に問いかけられますと、複雑な世界に生きる現在の我々はいかに答えれば良いのでしょう。

 その良い答えが、あのアメリカにあるように思います。

 皆様ご承知の如く、アメリカでは高等な学問をしようとすると、かなり高額の出費が必要となります。

 そのために、多くは何等かの奨学金を得て大学に進み、それ以上は社会に出て必要な費用を作り出してから、大学院過程に進むというのが普通なのだそうです。

 このような理由から黒人が世に出ることには非常に大きな障害に出会うことになりまして、やむを得ず、いつまでも低い地位に甘んじなければならないのでした。

 しかし、こういう時に、公民権運動というものが、実際に起こったのですね。

 この運動の中では、黒人の地位を引き上げるためのあらゆる手段がつくされました。

 すなわち、国公立の職場には人口比率に応じた黒人を強制的に雇う。また同じく学問の場にも必要な費用は国庫から出してまで、又入学試験の成績がそうとう劣っていましても、必要な比率に達するまでは何としても入学させる等々の、実に大規模な黒人の地位向上のための政策が立てられ実行されたのです。

 そして、これ等の必要な処置が取られたせいで、黒人の地位は著しく向上しました。もう誰も黒人には人の上に立つだけの資質が無いなどとは言わなくなってしまったのです。

 ここでひるがえって、この国について考えてみましょう。実際にこの様な事が起こることが有ると思いますか。

 まあちょっと想像してみますと、例えば入学試験についてならば、自分の孫が入学できないことを怖れてでしょうが、『それでは平等ではない』、『一生懸命勉強してきた子供たちはどうなるのだ』、『貧乏人だからといって怠けていないでもっと努力したらどうか』等々の恥知らずな論議に明け暮れるのではないでしょうか。

 

**********************************

 

 私には正義とは何かの答えが出せそうに思えます。

 一言でいえば正義とは、昔から言われて来た、『強きを挫き弱きを助ける。』、そうですこれ以外にはありません。中国の古い書物には『抑強扶弱』とありますが、意味は同じです。共に正義のために起ち上がる男気を指して言うのです。

 決して「もし強い者が正しくて弱いものが間違っていたらどうする。」などとは言わないでください。

 日本人の本当に悪い癖は何事も人任せにして、自分では考えようとしないことです。よく考えれば三歳の小児にさえ分かることです。

 それにつけても、これについては私には本当に恥ずかしい、思い出したくないような過去があります。そのことをお知らせすることにしましょう。

 

**********************************

 

我が家には既に数匹の猫がいるにもかかわらず、更に一匹の迷い猫を飼わなければならないはめになりました

 この猫が身体の大きな雄猫で、力も強く、以前からいる猫を無視して生意気に見えましたので、私は考えなしにも、これは何とかしなくてはならないと思いました。

 その猫が古参の猫を気に入りの場所から背中を噛むことにより、追い出そうとしたところで、これ幸いとばかりに、それでも多少の理性は残っていましたから、けがをしないように新聞紙を細長く巻いたものを手に持ちまして、大声とともに打ち振りながら、さして広くもない家の部屋から部屋を追廻して、ついに一部屋の一隅に追詰めてしまったのです。

 この時には二人とも息が挙がってしまって、気息奄奄としたままで睨み合っていました。

 そのとき、一匹の謂ゆる第三者の猫がどこからともなく、サッと割って入りました。

 普段はとても大人しい静かな雌猫でしたので、私には一瞬何が起こったのか理解できませんでした。

 しかし、その猫が牙をむき出して、私を睨み付け威嚇するに及んでは覚らざるを得ません。

 その猫は身を持って新入りの猫を守ろうとしたのです。

 

**********************************

 

 私の正義感は猫にも劣ることを知らされた一瞬です。

 私は恥かしさに打ち震えながら布団をかぶって寝てしまいました。

 しかし、このことが私に正義について考えさせるきっかけとなりました。まあそう考えることが私にとりまして幾分の慰めとなっているということです。

 

**********************************

 

 この出来事は正義についての本質をついています。

 正義を忘れた学問は死に学問です。国が亡びる基(もとい)です。

 この八犬伝では、南総安房国(なんそうあわのくに)の国主、里見義実(よしさね)は、裏切り者の安西景連(かげつら)に城を囲まれ、あわや城中の全員が餓死せんとするとき、戯れに愛娘の伏姫の飼い犬、八房に、もし敵の景連の首を獲ってきたならば、いかなる褒美でも取らせよう、魚肉を飽きるほどやろうかと言えば、犬は何か否めるように見えるままに、職(つかさ)はどうか、領地を与えようかと言うも、どれも犬はいやと言う、ついに伏姫を妻に与えようかと言えば、八房は尾を振り、頭をもたげ、瞬きもせず、主人の顔を見守りて、『わん』と吠えたので、義実は「げに伏姫は予に等しく、汝を愛するものなれば、得まほしとこそ思うらめ。こと成るときは女婿(むこ)にせん。」と約束してしまったのです。

 この犬が言いつけられた首を持って帰って参りましたのが物語の発端で、戦いには勝ったものの、ついに犬に姫を取られるという所の場面が冒頭の文章なのであります。この後はいましばらく八犬伝の続きをお楽しみいただきまして、それ以後は是非ご本をお手に執りて、実際にご覧になって戴きたいと思います。私はこれにて失礼つかまつります。ではごゆるりとどうぞ‥‥

 

 

 

八犬伝の続き

 義実は黙然と、聞くこと毎に嗟嘆(さたん)して、引き提げし槍をからりと捨て、「ああ誤てり。あやまちぬ。法度(はっと)は上(かみ)の制する所。上まづ犯して、下(しも)犯す。是れ大乱の基本(もとい)なり。われ実に八房に、姫を給うの心なし。なしといえども云々(しかじか)と、いいつることは彼と我が、口より出でて耳に入る。藺相如(りんしょうじょ)が勇をもて、夜光珠(やこうのたま)はとりかえすとも、返しがたきは口の過(とが)、げに禍(わざわい)の門(かど)に臥す、犬はわが身の仇(あだ)なりき。ここにつらつら来し方を、おもえば前象(ぜんしょう)なきにもあらず。この子が幼稚(をさな)かりし時、立願(りゅうがん)のため潜(しのび)やかに、洲崎(すさき)の石室(ほら)へ参らせし、その途(みち)に老人あり。伏姫を見てさし招き、この稚児(をさなご)が多病なる、夜となく日となくむつかる事、みな悪霊の祟りによる。これを委細(つばら)に説明(ときあか)せば、天機を漏らすのおそれあり。伏姫という名によりて、みづから暁(さと)らば、暁(さとり)も得なん。まかり帰りてこれらのよしを、主君にもうせ、といいしとぞ。しかるに姫は嘉吉(かきつ)二年、夏月(なつ)伏日(ふくにち)に誕生せり。因(より)て三伏(さんぷく)の義をとりて、伏姫と名づけたる、この名につきて判ぜよとは、いかなる故ぞと、とさまこうさま、思えども思い当らず。彼(かの)曹公(そうこう)が三十里を、なお遅しとして、冷笑(あざわら)いし、楊用修(ようようしゅ)が才ある人、ここにもあらば問わばや、と待つに久しき年を経て、きょうゆくりなく解し得たり。伏姫の伏の字は、人にして犬に従がう。この災厄(まがつみ)のあるべき事、襁褓(むつき)の中(うち)より定まる所か。名詮自性(みょうせんじしょう)といいつべし。かくまで執念深(しふね)く祟りなす、霊を誰とはしらねども、試みに推(お)すときは、定包(さだかね)が妻なりける、玉梓(たまつさ)などにやあらんずらん。彼の婬婦(たをやめ)は主を傷(そこな)い、又忠良を追い失える、隠匿(いんとく)の聞こえあり。しかれども一たびは、命を助けんといいて、赦(ゆる)さざりける、われに寇(あだ)なすことかなわねばや、子に憂事(うきこと)の限りを見せて、非理の怨みを復(かえ)すになん。さはこの犬は母うせて、狸が育てしものと聞く、狸の異名を野猫(やびょう)といい、又玉面(ぎょくめん)と呼做(よびな)せし、その玉面を和訓に唱(とな)えば、是れ則ちたまつらなり。玉つさと玉つらと、訓読(よみこえ)近きも忌々(ゆゆ)しきに、心得つかで賢(さか)しげに、狸という字は里に従い、犬に従うよしあれば、里見の犬になる祥(さが)なり、とおもいとりつつ畜狎(かいなら)し、寵愛(ちょうあい)せしこそ悔しけれ。現(げに)天道は盈(みつ)るを欠く、翁が教誨(きょうかい)当れるかな。今にして百遍(ももたび)悔い、千遍(ちたび)悔うともその甲斐(かい)なし。畜生の為、子を棄て、恥辱(はじ)を遺(のこ)さば、国あまた、討ち従がえて長久(とことわ)に、百世(ももよ)富貴を受くるとも、何か楽しく思うべき。面目なし。」と理にさとき、心の限り説き尽し、慚愧(ざんき)後悔し給えば、側(かたえ)に侍る侍女們(じじょばら)、慰めかねつ、なかなかに、はじめの怖(こわ)さかき流す、涙は滝のいと逼(せ)めて、皆もろ共に泣きにけり。涙(なき)たてられて伏姫は、苦しき痞(つかえ)を撫で下ろし、「使わるるものだにも、堪えぬ嘆きに淪(しづ)むなる。況(まい)てや親の御こころを、推し量りてはわれからに、なさぬ不幸も罪重し。さりながら、一旦鬼畜に伴なわれ、御諚(ごじょう)に偽りなきよしを、竟(つい)に果たさば玉刻(たまきは)る、命はかねてなきものと、思い決(さだ)めて侍るなる。よに受けがたき人の身を、受けて生まれて成長(ひととな)る、親の遺体(かたみ)をまざまざと、畜生にやは穢(けが)さるべき。御こころやすく思召(おぼしめ)せ。」といいかけてはや赧(はなじろ)む。顔を掩(おお)うて俯(ふ)し給えば、義実頻(しき)りにうち点頭(うなづ)き、「遖(あっぱれ)めでたくいわれたり。遠く異邦を考がうれば、高辛氏(こうしんし)の槃瓠(はんこ)が事、よくわが今の患(うれい)によく似たり。又干宝(かんほう)が捜神記(そうじんき)に、太古のとき大人あり。遠征(とおいくさ)して、久しく帰らず。妻は世をはようして、只ひとりの女(め)の子あり。年はや二八と聞こえたり。又その家に牡馬あり。かくて女の子は旦暮(あけくれ)に、親慕(おやしたわ)しく思うのあまり、件(くだん)の馬にうち対(むか)い、汝もし父上を、乗せ奉りて帰り来(こ)ば、わが身をまかすべしという。これを信(うけ)てや彼の馬は、絆(きづな)を断ちておらずなりぬ。さて日来(ひごろ)経(ふ)るままに、果たして馬は父を乗せて、還るとやがて嘶(いななき)て、乞い求むることあるが如し。父怪しみて女児(むすめ)に問えば、しかじかの事ありと答う。うちもおくべき事ならずとて、父は窃(ひそか)に馬を殺し、皮を剥がして軒に掛けたり。そのとき女児は馬皮を見て、畜生にして人に求媾(たわけ)し報いはいかに、早からずや。皮になりてもなお吾儕(わなみ)を、娶るやいかに、と罵れば、その皮はたと落ちかかりて、女をしかと推し包み、さと吹き上ぐる風とともに、中天(なかぞら)に閃(ひらめ)き登り、次の日庭の桑の樹に、その亡骸(なきがら)を掛けたりき。その屍(しかばね)より虫生ぜり、是れ蚕(かいこ)なりという。こは信(うけ)がたき事なれ共、唐土(もろこし)には魏晋(ふるく)より、いいもて伝えし小説なり。彼苟(いやし)くも事を命(おお)せて、約に背(そむ)けるのみならず、これを殺すは人にして、こころ獣(けもの)に劣れるものなり。われも一時の怒りに乗(まか)して、また八房を殺しなば、彼の捜神記(そうじんき)に載せられたる、太古の人に等しかりなん。とは思えども折のわろくて、義成(よしなり)・氏元(うじもと)等には、館(たて)の城を守れとて、いぬる比(ころ)より彼処(かしこ)へ遣わし、又貞行(さだゆき)は長狭(ながさ)なる、東条の城にあり。これらの外(ほか)は内々の事を相談(かたらう)べうもあらず。好くも悪くも心ひとつに、今はや思い決(さだ)めたり。やをれ八房、はじめわれ戯れに、命(おお)せし事もこと成りて、汝(な)が勲績(いさをし)高ければ、伏姫を与うるなり。且(しばら)く退出(まかで)てこれを待て。とくとく出でよ。」といそがし給えば、八房はつくづくと、主の気色(けしき)を見とりてや、ようやくに身を起こし、身ぶるいしつつ外面(とのかた)へ、いと徐(しづ)やかに出でてゆく。

   (以上は岩波書店版によりましたが旧仮名遣い他の改変を加えてあります)

 

(平成十八年の初めに 終わり)