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平成十八年の初めに |
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皆様、新年明けましてお目出度うございます。 本年も相変わりませず ご愛読のほどよろしくお願いします。 皆様もどうか平穏ご無事にてお過ごし下さいますよう お祈り申しあげます。 年頭に当りまして、今年の干支の犬にちなみ、冒頭を八犬伝の一節で飾り付けましたが、もし失礼があればどうかお許しください。 昨今の風潮といたしまして、正義正論は冷笑の対象であり、学問の世界におきましても、即物的な学問が持てはやされています。 正義という一本の背骨を失った、ぐにゃぐにゃの学問が小学、中学、高校、大学にと至るところに蔓延しているのです。私などの考えでは、その結果が幼児殺しから違法建築に至るまで無数の犯罪として現れて来たのだろうと、この辺りが大方の真実であろうと思っているのです。 八犬伝にはその正義があります。ここではいささかそれを語りたいと思うのですが、皆様はどうか御酒など召されながら、お耳障りお目障りの部分に関しましては、新年の余興とお聞き流しにしていただければ幸いでございます。 ******************************* 現在の学問に対しては、私などには随分と恐ろしいことに思われるのですが、うっかり正義などと言いますと、それは一体誰にとっての正義だ、そもそも正義とは何なのだなどと言って、揚げ句のはてには学問はあらゆる物事から独立していてあらゆる干渉を受けないのだ、等々のあらゆる馬鹿げた難詰を受けかねません。 しかし世界に正義はないのかと言いますと、必ずしもそうとばかりは言えないのではないでしょうか。 では正義とは何かと逆に問いかけられますと、複雑な世界に生きる現在の我々はいかに答えれば良いのでしょう。 その良い答えが、あのアメリカにあるように思います。 皆様ご承知の如く、アメリカでは高等な学問をしようとすると、かなり高額の出費が必要となります。 そのために、多くは何等かの奨学金を得て大学に進み、それ以上は社会に出て必要な費用を作り出してから、大学院過程に進むというのが普通なのだそうです。 このような理由から黒人が世に出ることには非常に大きな障害に出会うことになりまして、やむを得ず、いつまでも低い地位に甘んじなければならないのでした。 しかし、こういう時に、公民権運動というものが、実際に起こったのですね。 この運動の中では、黒人の地位を引き上げるためのあらゆる手段がつくされました。 すなわち、国公立の職場には人口比率に応じた黒人を強制的に雇う。また同じく学問の場にも必要な費用は国庫から出してまで、又入学試験の成績がそうとう劣っていましても、必要な比率に達するまでは何としても入学させる等々の、実に大規模な黒人の地位向上のための政策が立てられ実行されたのです。 そして、これ等の必要な処置が取られたせいで、黒人の地位は著しく向上しました。もう誰も黒人には人の上に立つだけの資質が無いなどとは言わなくなってしまったのです。 ここでひるがえって、この国について考えてみましょう。実際にこの様な事が起こることが有ると思いますか。 まあちょっと想像してみますと、例えば入学試験についてならば、自分の孫が入学できないことを怖れてでしょうが、『それでは平等ではない』、『一生懸命勉強してきた子供たちはどうなるのだ』、『貧乏人だからといって怠けていないでもっと努力したらどうか』等々の恥知らずな論議に明け暮れるのではないでしょうか。 ********************************** 私には正義とは何かの答えが出せそうに思えます。 一言でいえば正義とは、昔から言われて来た、『強きを挫き弱きを助ける。』、そうですこれ以外にはありません。中国の古い書物には『抑強扶弱』とありますが、意味は同じです。共に正義のために起ち上がる男気を指して言うのです。 決して「もし強い者が正しくて弱いものが間違っていたらどうする。」などとは言わないでください。 日本人の本当に悪い癖は何事も人任せにして、自分では考えようとしないことです。よく考えれば三歳の小児にさえ分かることです。 それにつけても、これについては私には本当に恥ずかしい、思い出したくないような過去があります。そのことをお知らせすることにしましょう。 ********************************** 我が家には既に数匹の猫がいるにもかかわらず、更に一匹の迷い猫を飼わなければならないはめになりました この猫が身体の大きな雄猫で、力も強く、以前からいる猫を無視して生意気に見えましたので、私は考えなしにも、これは何とかしなくてはならないと思いました。 その猫が古参の猫を気に入りの場所から背中を噛むことにより、追い出そうとしたところで、これ幸いとばかりに、それでも多少の理性は残っていましたから、けがをしないように新聞紙を細長く巻いたものを手に持ちまして、大声とともに打ち振りながら、さして広くもない家の部屋から部屋を追廻して、ついに一部屋の一隅に追詰めてしまったのです。 この時には二人とも息が挙がってしまって、気息奄奄としたままで睨み合っていました。 そのとき、一匹の謂ゆる第三者の猫がどこからともなく、サッと割って入りました。 普段はとても大人しい静かな雌猫でしたので、私には一瞬何が起こったのか理解できませんでした。 しかし、その猫が牙をむき出して、私を睨み付け威嚇するに及んでは覚らざるを得ません。 その猫は身を持って新入りの猫を守ろうとしたのです。 ********************************** 私の正義感は猫にも劣ることを知らされた一瞬です。 私は恥かしさに打ち震えながら布団をかぶって寝てしまいました。 しかし、このことが私に正義について考えさせるきっかけとなりました。まあそう考えることが私にとりまして幾分の慰めとなっているということです。 ********************************** この出来事は正義についての本質をついています。 正義を忘れた学問は死に学問です。国が亡びる基(もとい)です。 この八犬伝では、南総安房国(なんそうあわのくに)の国主、里見義実(よしさね)は、裏切り者の安西景連(かげつら)に城を囲まれ、あわや城中の全員が餓死せんとするとき、戯れに愛娘の伏姫の飼い犬、八房に、もし敵の景連の首を獲ってきたならば、いかなる褒美でも取らせよう、魚肉を飽きるほどやろうかと言えば、犬は何か否めるように見えるままに、職(つかさ)はどうか、領地を与えようかと言うも、どれも犬はいやと言う、ついに伏姫を妻に与えようかと言えば、八房は尾を振り、頭をもたげ、瞬きもせず、主人の顔を見守りて、『わん』と吠えたので、義実は「げに伏姫は予に等しく、汝を愛するものなれば、得まほしとこそ思うらめ。こと成るときは女婿(むこ)にせん。」と約束してしまったのです。 この犬が言いつけられた首を持って帰って参りましたのが物語の発端で、戦いには勝ったものの、ついに犬に姫を取られるという所の場面が冒頭の文章なのであります。この後はいましばらく八犬伝の続きをお楽しみいただきまして、それ以後は是非ご本をお手に執りて、実際にご覧になって戴きたいと思います。私はこれにて失礼つかまつります。ではごゆるりとどうぞ‥‥ |
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(平成十八年の初めに 終わり) |