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越前くらげ
おかしなことには慣れっこになってしまったような今日この頃ですから、これにも正直それほど驚いたという訳でもありませんが、テレビで見るこの越前くらげは最近では貴重な面白い出来事ではないでしょうか。何しろですよ、直径が二メートルにも及ぶような巨大クラゲが、いく百となく日本海の海流に乗って揚子江流域から本州にそって漂って行く映像は、少しは驚かなくては申し訳がないようなものです。巨大なものが北海道をぐるっと回って日本をほぼ半周するのですからね。
しかし、一方の当事者である漁師の方たちにとっては大変な災難に違いありません。何百万だか何千万だかの底引き網かな?それとも定置網だったかが、このクラゲの重みで破られて、その上、網を引き上げてみれば、クラゲばっかりで後は鯖(さば)が少しではやってられないと、かこち顔になるのも無理からぬことではあります。気の毒に、可哀そうにという場面なのですが、へそ曲がりの私はここで、
まてよと、ほとんどなす手なしといった漁師の呆然とした顔を見ながら考えます。それは変ではないか、この漁師たちはもしかしたら一攫千金の機会に出会ったのではないだろうか。中国人なら必ずここでこのクラゲを金に換える方法を考えるだろう。いや珍しい物は必ず金になる筈だと知っているのだ。定置網を修理する何百万をクラゲの利用法を発見するための研究費としても、そこに新しい可能性を見つけだすのではないだろうか。インターネットを使った犯罪、わざわざ日本まで来てする種々様々の独創的な犯罪を見よ。嗚呼むべなるかな。日本人は中国人には勝てないな。
そういえば、国連の常任理事国になる話も似ているなあ。いったい日本の外交には、外交というある種の戦場において、なくてはならない筈の戦略と戦術はあるのだろうか。まさか戦という字がいやで、外務省の中には戦略も戦術もないのだろうか。戦がいやなら謀略と謀術ではどうだろう。英語で言えばストラテジーとタクティクスか。いやタクティクスとストラテジーだったか。とまあこんな具合に、こちらの頭も余りのことに呆然としてしまったのでした。
ここで善良なる読者には恐らく関係の無い言葉でありましょうから、ちょっと説明いたしますと、
『戦術』は特定のある局面における作戦、常任理事国問題における投票作戦としては、『あわてる乞食は貰いが少ない。』これですな。『なりたい、なりたい。』と言ってはならないことぐらいは当然、心得ていなければならないことです。いくらなりたくても、嫌々ながらのポーズを取るぐらいのことは私の飼っているネコでも知っています。むかしの本ですが、花嫁の新婚の心得として、お風呂に誘われたならば、二回は断りましょう、三回誘われたら恥かしそうに一緒に入りましょうとありますが、これのことです。これが戦術です。
『戦略』は長期的な作戦で、そもそも国連をいかに利用するかということですから、国連加盟の最初から存在していなくてはならないものです。まあ私の考えでは、『着かず離れず。』ですかな。それにしてもまあ良くもぼこぼこにされたなというのが正直な気持ちでしょうか。ただ一つの慰めはこれでアメリカの本音が解かったというのですが、これは元から解かっていたことですし、当然のことですから問題にもならない、まあその他の弱小諸国を振り分け出来たということぐらいが成果でしょうか。初めからそれが狙いであれば、それはそれでまあ大したものです。

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それにしても、NHKは一体どうなってしまったのでしょうね。プロジェクト-Xですか、あの耳障りな言葉使いはまあ無茶苦茶ですな。『だった。』、『した。』を連発して、もう本当に耳障りで不愉快な番組というよりほかどうしようもありません。そもそも、NHKでは新人教育というものをしているのでしょうかね。

何国語でも同じことですが、日本語には日本語の聞いて快さと耳障りがあることを教える人がいないのでしょうか。
日本語の特徴として、一句の最初と最後は、すぅーと入って、すぅーと出ることが耳障りでないように話す基本なのですがね。
『~でございます。』の最後の『す』は口の端を少し緩めて『う』の音を曖昧に発音することが大切なのです。まして『た』の音は歯と舌を使った破裂音ですから、話し言葉の最後にはなるべく持ってこないようにするのが、まあ一種の作法なのです。それをどんな考えでか、連発するとは一体、皆様の視聴料で番組を作っていながら、自らの使命というものを心得ているのでしょうか。

番組の内容にしても、最近では民法に劣ると思えます。カメラワークの基本がなってない、一つの番組の中のシーンの割合が無茶苦茶。
世界遺産に関する番組が民法とNHKと両方にありますが、明らかに劣っています。なぜタレントの顔ばかり映すのか。なぜきちんとしたナレーションで説明しないのか。番組の性格からしてアーカイブ化されると思いますが、何の意味もないタレントを使って、その顔をアーカイブ化してどんな良いことがあるのか。

それよりも、最近はぜんぜん良い番組がないのはどうした訳か。昔、東大のフランス語科の教授で大層NHKを嫌っている人がいましたが、人を馬鹿にして見下している、出演を依頼しながら「出してやるから感謝しろ。」という意識で凝り固まっているからというのですね。どうもまたその意識が顔を出したようで、もうNHKは解散したほうがよいのではないでしょうか。

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二十年も前のNHKはそれなりに良い番組もありました。
落語なども随分楽しんだものです。圓生、文楽、志ん生などはよく聞きました。圓生の何ともすっきりした話しぶり、言葉がきれいでしたね。文楽は当時よいと思っていましたが、今は思い出せません。志ん生は圓生と違って、おかみさんなんか演じると自らのめりこんでしまって、妖しいくらい真に迫っていました。村正の妖刀ですな、妙に切れ味が良いときがあります。最近、襲名がありましたが、当時の正蔵は村上三島の書と同じ、最初から最後まで声がふらふら揺れていまして、それでも名人でした。金馬、この人も名人でしたね。人情話に勝れちょっと粘りのある話しぶりでしたように覚えていますが。
小さんは嫌いでしたね。何か間を取るとか言ってね。剣道をしていたんで、それを話しに応用したんです。客の注意がそれると、わざと小さい声で話したりして、不自然な抑揚の目立つ人でした。金語樓を聞いたのは本当に幸せでした。その他にも名人が一杯いましたね。
あまり聴いていないのですが、上方にも名人が大勢いましたね。しかしほとんど覚えていません。米朝、枝雀ぐらいでしょうか。枝雀は本当の意味で天才でした、惜しまれますね。東西対向として当時の志ん朝と競い合ったのを覚えています。志ん朝は妙に気負って火焔太鼓を演りました。枝雀のほうは余りに面白かった為に後に残りませんね。覚えていません。
司会者が志ん朝の出来はどうでしたかと枝雀に訊ねますと、客が疲れないようにしませんとね。強弱を混ぜ合わせてとか言って、それを志ん朝が聞いて恥じ入ったのか真っ赤になっていましたね。志ん朝も惜しいことをしました。どこか親父の志ん生に似たところがあって気にはしていたのですがね。
上方には随分と垢抜けした落語がありまして、題も内容もまったく思い出せないのですが、何かどこかの若旦那が義太夫かなんかを語ろうかいという話しでしたが、たしか今のざこばだったと思うのですが、思い出せないのは残念なことです。

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BBC製作の番組ではシェークスピア劇場、名探偵ポアロのシリーズ、シャーロックホームズのシリーズなど見逃せないものがNHKには目白押しでした。
シェークスピア劇場ではヘンリー四世以下の歴史ものシリーズが印象に残っています。ハル王子とフォルスタッフに素晴らしい役者を持ってきて中心に据えたおかげで、他のクウィックリーとかポインズなどの脇役が一段と耀いた、面白かったなあ。
ポアロのデヴィット・スーシェはもう他のポアロはこれからは考えられませんね。
シャーロックホームズはともかくワトソン役の下品さは理解できませんが、しかし雰囲気がありますよね。
本当にBBCからもっともっと買って来ればよいのにね。どうしてしないのかな。良いものを見なければ良くなる訳がないのにね。最近では宇宙船ドワーフ号よかったのに、なぜ十二時すぎてから放送するのかね。

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昔の映画をやっていたでしょう。
『外人部隊』、砂漠の中の下宿屋ですね。雰囲気が出ていました、いかにも汗が噴出すような。天上で扇風機がゆるく廻っていたりして、少しづつ少しづつ気が狂ってくるのが分かりますね。それにしても女は強いですな。女将をやっていたフランソワーズ・ロゼー、もうすっかり魅せられて、今でも脳裏に焼きついているのですよ。ひどいですね。ジャック・フェデーは名人です。
『どん底』も良かったですよ。ジャンギャバンとルイジューヴェ良かった、しかしもう忘れました。
『ファントマ』、これはB級映画並のものですが、何よりもルイドフュネスの役者としての良さが光ります。それからミレーヌドモンジョが可愛いからね。しかしこれはNHKではありませんね、多分。
しかしフランス人はどうしてこう映画の作り方が上手いのでしょうか。思うに、いくら面白いシーンを考えついてもそれに拘泥せずにどんどん進んで、リズムがよいので時間が気持ちよく流れるからだと思うのですが。
『TAXI(タクシー)』という映画があったでしょう。メルセデスに乗った銀行強盗が最後に出来かけのハイウェイを猛速でぶっ飛ばして、途中道がまだ出来上がっていなくて、十メートルくらいでしょうか、隙間が開いているのですね。地面は何十メートルも下にあるので降りることが出来ない。隙間の向こう側の道路も数十メートル分が出来上がっているだけで、そこへ騙されたメルセデス強盗がビューーと飛んで向こう側へ着陸して、やれ嬉しやと思うともう道路がない、進むも引くも出来ません。素晴らしいエンディングですね。メルセデスから降りた強盗の男が畜生って腕を地面に向かって叩きつけるように振ったところで、サーとカメラが引いて小さくなって見えなくなってしまうのです。気持ちのいい余韻を残して終わります。

それにアメリカ映画のようにキャーキャーゆう女と、それを優しく包み込む男といった、人を馬鹿にしたような紋切り型が無いのも気持ちが良い理由でしょうかね。無茶な男とそれに動ぜず待つ女、この自然なシテュエーションが良いのです。とは言え、女性から見ればまた違った感想があるとは思いますが。

それにしても、昔のアメリカ映画は良かったですよ。
『宇宙戦争』、最近リメークが出たようですが見る気が起きませんね。役者があれではね。山の中へ火を噴いて落ちた宇宙船の蓋がネジになっていて、ゴロゴロワンワンと音を立てながらゆっくり回って開いてゆくところ、あの緊張を徐々に高めてゆくのが素晴らしいです。
『腰抜け二挺拳銃』、アメリカ映画中の至宝です。ボブホープの堂々とした演技、もうそこに居るだけで面白い役者が持ち味を最高に発揮したのですね。
ごく最近の映画ながら『ワイルドワイルドウェスト』、昔の手法を取り戻したのかな、やはり映画は面白くなくてはね。本当にやれば出来るじゃないかと言いたいですね。

イタリア映画では、『道』と『鉄道員』を別格として、皆音楽が美しい。『誘惑されて捨てられて』なんていう映画も音楽が魅力的ですな。
『赤い砂漠』、何よりもモニカ・ヴィッティーが好きなのです。フランス映画の『スエーデンの城』にも出ていました。この映画も音楽が素晴らしい、内容を暗示する甘美なメロディーです。サガンの原作そのままなので、時々本を読んで思い出しています。

スウェーデン映画はベルイマン監督一人で気を吐いています。なかでも、
『野いちご』、低い声で背景をなすように常に主人公が思い出を語っています。新鮮な感じがしました。
『第七の封印』、中世のキリスト教文化がとても引きつけます。

ギリシャ映画で忘れられないのは、
『春のめざめ』、もうこれ以上ないほどの美少女(何と十四才だって?)が半裸で出演、同じ年頃の美少年とのおずおずとした心の通い合いの永い場面、終わりに近く、乱暴な唖の青年による暴行を簡潔なシーンで、エンディング。
ほとんど無言の映画で古代ギリシャ風の音楽がとても美しく、それと砂丘と岩と水と潅木のみの映像が素晴らしく詩的で少しも、ポルノっぽくない。もう一度見たいか? もちろん、もう一度見たい。 いやもう良い。
 
ポーランド映画、
『夜の終わりに』、アンジェイワイダ監督、マッチ箱を使って、出会ったばかりの男女が一枚づつ服を脱ぐゲームなど他愛ないながらも妙にエロチックで快く、男女の関係の不安定さが現代という時代の不安とうまくシンクロして、忘れられないラストシーンに導く、よい映画です。
『尼僧ヨアンナ』、残虐で難解な映画です。
 
日本映画、
『椿三十郎』、赤と白の満開の椿をうまく白黒画面で表現して、加山雄三の大根ぶりが無理なく映画の中に納まったという珍しい映画です。
 
イギリス映画はピーターグリーナウェイ監督の二作、
『英国式庭園殺人事件』、昔風の服装をした人たちが演技をしているのみ。
『コックと泥棒、その妻と愛人』、その時どきにピックアップされた人に応じたカラーフィルター。バロック風の音楽と衣装。
この二作と『椿三十郎』とは、ドイツ表現主義と言ってもよいのでしょうね。何よりも表現することに重点が置かれています。むしろその話のすじは単純です。単純な意味のないモチーフを繰り返し変奏するフーガの楽しみに似ています。ラミドシラドシラ(♯ソ)シミというあれです。何も考えずに頭を空っぽにして、ただそのモチーフが繰り返されることのみに意識を集中するのです。極楽ですね。

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海外の有名オペラの公演もNHKはよく放送してくれました。
私は音楽をテレビで聞くことはほとんど有りませんが、オペラは別です。劇場で見るより何倍も楽しめます。

『フィガロの結婚』、ベーム指揮、グンドゥラヤノヴィッツ、ルチアポップ、アグネスバルツァー、ヘルマンプライ、フィシャーデーィスカウ、何と豪華な。信じられない程の幸運の三時間。全盛のルチアポップが最上の持ち味を出し切ったのですよ。終幕のレチタティーヴォ、『とうとう嬉しいときがきた』、をとろけるような甘い声と表情で歌うルチアポップ、こんなにこのメロディーを魅力的に、もう死んでも良いくらい。
ルチアポップはこのオペラで最初からすごかった。第一幕の『ディンディンドンドン』というときの、悪戯っぽく誘うような表情、第三幕の『そよ風に』では、とおく思いをはせて、もう思い出すと興奮します。このルチアポップは最後に来日した『ドンジョヴァンニ』では恐らく病気で見る影もなく、それでも『ぶってよ。マゼット』を歌うときの声は少しも衰えていなくて、しかし間もなく亡くなってしまいました。このほかには私の一番大切なCDの『賢い女狐の物語り』に出ていて、時々出して聞いています。

『魔笛』、レヴァインが指揮しました。素晴らしかったのですが、配役を思い出せません。
『セヴィリアの理髪師』、アッバード指揮、ヴァレンティーニ・テッラーニのロジーナ、レオヌッチのフィガロ、アライサのアルマヴィーヴァ伯爵、この伯爵が音楽教師に化けたり、司祭に化けたり、実に楽しいオペラでした。
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まだここに書かないだけで一杯あります、覚えていないものまで含めるとここに挙げた何倍にもなるでしょう。
今月は十二月ですから、本年の締めくくりのつもりで、世間の出来事を総決算するつもりでしたが、ついまったくの個人的な思い出の総決算になってしまい、読者の方々には誠にご迷惑をおかけしました。
しかし何ですな。あの巨大クラゲは何故あんなにも増えてしまったのでしょうね。魚を取りすぎたことと関係があるのでしょうか。あんなに大きくなる前に、それを餌(えさ)とする魚がいる筈だと思いませんか。どうも人間は自らの行動を制御するブレーキが壊れてしまったような、何かそんな気がします。まあ何はともあれ、来年こそは。

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
(越前くらげ  おわり)
お詫び:上に挙げました映画その他の中にいつのまにか私が劇場でみたのみでNHKには関係のないものまで含まれていました、お詫びします。