昔の映画をやっていたでしょう。
『外人部隊』、砂漠の中の下宿屋ですね。雰囲気が出ていました、いかにも汗が噴出すような。天上で扇風機がゆるく廻っていたりして、少しづつ少しづつ気が狂ってくるのが分かりますね。それにしても女は強いですな。女将をやっていたフランソワーズ・ロゼー、もうすっかり魅せられて、今でも脳裏に焼きついているのですよ。ひどいですね。ジャック・フェデーは名人です。
『どん底』も良かったですよ。ジャンギャバンとルイジューヴェ良かった、しかしもう忘れました。
『ファントマ』、これはB級映画並のものですが、何よりもルイドフュネスの役者としての良さが光ります。それからミレーヌドモンジョが可愛いからね。しかしこれはNHKではありませんね、多分。
しかしフランス人はどうしてこう映画の作り方が上手いのでしょうか。思うに、いくら面白いシーンを考えついてもそれに拘泥せずにどんどん進んで、リズムがよいので時間が気持ちよく流れるからだと思うのですが。
『TAXI(タクシー)』という映画があったでしょう。メルセデスに乗った銀行強盗が最後に出来かけのハイウェイを猛速でぶっ飛ばして、途中道がまだ出来上がっていなくて、十メートルくらいでしょうか、隙間が開いているのですね。地面は何十メートルも下にあるので降りることが出来ない。隙間の向こう側の道路も数十メートル分が出来上がっているだけで、そこへ騙されたメルセデス強盗がビューーと飛んで向こう側へ着陸して、やれ嬉しやと思うともう道路がない、進むも引くも出来ません。素晴らしいエンディングですね。メルセデスから降りた強盗の男が畜生って腕を地面に向かって叩きつけるように振ったところで、サーとカメラが引いて小さくなって見えなくなってしまうのです。気持ちのいい余韻を残して終わります。
それにアメリカ映画のようにキャーキャーゆう女と、それを優しく包み込む男といった、人を馬鹿にしたような紋切り型が無いのも気持ちが良い理由でしょうかね。無茶な男とそれに動ぜず待つ女、この自然なシテュエーションが良いのです。とは言え、女性から見ればまた違った感想があるとは思いますが。
それにしても、昔のアメリカ映画は良かったですよ。
『宇宙戦争』、最近リメークが出たようですが見る気が起きませんね。役者があれではね。山の中へ火を噴いて落ちた宇宙船の蓋がネジになっていて、ゴロゴロワンワンと音を立てながらゆっくり回って開いてゆくところ、あの緊張を徐々に高めてゆくのが素晴らしいです。
『腰抜け二挺拳銃』、アメリカ映画中の至宝です。ボブホープの堂々とした演技、もうそこに居るだけで面白い役者が持ち味を最高に発揮したのですね。
ごく最近の映画ながら『ワイルドワイルドウェスト』、昔の手法を取り戻したのかな、やはり映画は面白くなくてはね。本当にやれば出来るじゃないかと言いたいですね。
イタリア映画では、『道』と『鉄道員』を別格として、皆音楽が美しい。『誘惑されて捨てられて』なんていう映画も音楽が魅力的ですな。
『赤い砂漠』、何よりもモニカ・ヴィッティーが好きなのです。フランス映画の『スエーデンの城』にも出ていました。この映画も音楽が素晴らしい、内容を暗示する甘美なメロディーです。サガンの原作そのままなので、時々本を読んで思い出しています。
スウェーデン映画はベルイマン監督一人で気を吐いています。なかでも、
『野いちご』、低い声で背景をなすように常に主人公が思い出を語っています。新鮮な感じがしました。
『第七の封印』、中世のキリスト教文化がとても引きつけます。
ギリシャ映画で忘れられないのは、
『春のめざめ』、もうこれ以上ないほどの美少女(何と十四才だって?)が半裸で出演、同じ年頃の美少年とのおずおずとした心の通い合いの永い場面、終わりに近く、乱暴な唖の青年による暴行を簡潔なシーンで、エンディング。
ほとんど無言の映画で古代ギリシャ風の音楽がとても美しく、それと砂丘と岩と水と潅木のみの映像が素晴らしく詩的で少しも、ポルノっぽくない。もう一度見たいか? もちろん、もう一度見たい。 いやもう良い。
ポーランド映画、
『夜の終わりに』、アンジェイワイダ監督、マッチ箱を使って、出会ったばかりの男女が一枚づつ服を脱ぐゲームなど他愛ないながらも妙にエロチックで快く、男女の関係の不安定さが現代という時代の不安とうまくシンクロして、忘れられないラストシーンに導く、よい映画です。
『尼僧ヨアンナ』、残虐で難解な映画です。
日本映画、
『椿三十郎』、赤と白の満開の椿をうまく白黒画面で表現して、加山雄三の大根ぶりが無理なく映画の中に納まったという珍しい映画です。
イギリス映画はピーターグリーナウェイ監督の二作、
『英国式庭園殺人事件』、昔風の服装をした人たちが演技をしているのみ。
『コックと泥棒、その妻と愛人』、その時どきにピックアップされた人に応じたカラーフィルター。バロック風の音楽と衣装。
この二作と『椿三十郎』とは、ドイツ表現主義と言ってもよいのでしょうね。何よりも表現することに重点が置かれています。むしろその話のすじは単純です。単純な意味のないモチーフを繰り返し変奏するフーガの楽しみに似ています。ラミドシラドシラ(♯ソ)シミというあれです。何も考えずに頭を空っぽにして、ただそのモチーフが繰り返されることのみに意識を集中するのです。極楽ですね。
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