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川獺(かわうそ)
戦前の作家で今でも読まれています、夏目漱石あるいは幸田露伴という方たちは、私のもっとも好む作家でして、その書かれたものを見てみますと、あまり似た所がないような気がしますが、その教養の深さからにじみ出る作品の奥行きに共通点を見出すことができようかと思います。まあ言ってみれば百もあるうちの、七から八というほどのものをその作品中に書き表すとでも言えば、割と当っているのではないでしょうか。両人ともに和漢の典籍を薬籠中に納めて視野が広く、漱石は英語、露伴は仏典にて味を付けていまして、その作品の一つ一つが独自の境地を持って、読者に実に多様な興味を湧き立たせます。このような才能はあるいはその時代特有のことかも知れませんが、まったく羨ましく思われます。
このような方たちは、小説の題材などに、不足するというようなことは、伝記などを拝見致しましてもまったくないようでして、籾倉一杯に詰まった中から、読者の興味に合わせて、一粒の種を探し出すだけのことですから、さもありなんというわけですが、その作品をいっそう面白くしている理由の一つでもあるのでしょう。ただ書きたいことが一杯あるのに筆が追いつかないということが常態でありますから、どうしても言葉を彫琢するというよりは思いついた言葉をそのまま使う傾向にあり、その分自由奔放の趣がありまして、またそこが楽しくてつい他の作家の作品よりも余計に手が出るということになるのだろうと思います。
一方、いろいろの理由はありましょうが、書く材料がなくて真実困るといった方も、大勢いらっしゃいまして、このような方たちは、どうするかと言いますと、路上観察のようなことをして、その観察文を書く。それだけではあまりに小学生のようで困りますから、その観察の奥深さ、あるいは使用する言葉の的確さ、あるいは云何にして雰囲気を伝えるかというようなことで、人よりも優れているぞと主張なさるわけです。例えば‥‥‥‥ふと足下(あしもと)を見ると、明るい色の地面の上に一筋の川のような黒い筋が見える、しかしこんな所に川が流れているわけがない。よく見ると蟻が列を作って、どこかに向かっているのだ。何故川のように見えたかというと、この蟻の動きが、川の流れのように見えたからなのだ。それにしてもこれらの蟻は一体どこから来たのだろう。目でずうっと行列のみなもとの方へたどって行くと、どうも何やら運んでいるようだ。蟻が黒い塊になっている所があった。どうやら小金虫の死骸を運んでいるらしい。じっと見ていると、突然この整然とした動きをかき乱したいという欲望が湧き起こった。この行列に石を置いて遮ったら、どうなるだろう。
‥‥‥‥とまあ、このようなことを延々と書き綴る訳です。もちろん私は嫌いな物に対する悪意から、このようなパロディを作ったのでして、実際のものがこれ程酷いという意味では決してありませんが、それにしても誰も面白がらないようなことを、さも興味ありげに小説に仕立てるのは、どのような気持ちがするものか、つい思い遣られてしまうのです。
しかし、材料がなくても、そんな路上観察は恥ずかしくてようしないという方は、どうするかと言いますと、今度は御自分の内面心理の観察ということを、どうやらなさるようで、何か自分の周りに事件が起こりますと、その時、自分の心の中に生じる葛藤を小説の題材にして、路上観察よりは高級な物に仕立てようという訳です。たしかに高級ではありましょうが、しかしこのタイプの小説家はほとんど行動らしい行動をなさいませんので、自然、心の葛藤も止み勝ちになりまして、うんうん唸って葛藤を起こそうとしても題材の不足は隠しようもなく、ついには家人の誰か、奥様か娘さんか問題を起こしてくれないものかと理不尽な願いを持つようになるようであります。
このように、題材の不足ということは人の羞恥心をはじめ自尊心、道徳心を剥ぎ取り、ことの善悪正邪を忘れさせてしまうものですが、それでもなお読者の興味をつなぎとめたいという気持ちには大変強いものがあります。
このように人の悪口を言っていますと、何やら因果は廻るという訳でもありますまいが、どうやら私も題材不足の条件に関しては人後に堕ちません。このようなことは私の場合にもまさしく当てはまりまして、もとより僅かばかりの教養にさえ有する機会に廻り合わせることが出来ませんでしたので、やむを得ず、自分の恥ではありません卑怯なようですが、お釈迦様の恥を少しばかりご覧に供したいと思うしだいでごさいます。

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仏教の経典を読んでみましても、一般の方々が面白いと思えるようなことは余りありません、ただお釈迦様のお弟子たちの集団、僧伽(そうが)の生活を赤裸々に描くところの『律(りつ)』というものの中には、かなり可笑しな話も伝わっています。今回はこの『律』に題材をとってみました。
ただ問題がありまして、『律』は僧侶以外の人が見ることは厳しく相成らんということが決められています。まあ読者の方もそのお積りで、人のパンツの中を覗くような気持ちになっていただきまして、余り面白がらないようにして欲しいと思うのであります。
お釈迦様のお弟子には随分変わった方も大勢いらっしゃいますが、その中でも一番気の毒なのは、千人殺しのアングリマーラという何やら恐ろしげな名前の方であります。このアングリマーラという意味は指で作った首飾りのことでして、本名はどうも伝わってはいないようです。かいつまんで申しますと、この人は頭がよく物覚えも早い人だったようでして、また大変に従順な方でもあったようです。小さいときから天分を見込まれまして、ある婆羅門(ばらもん)、学問と祭祀を司る印度の支配階級のことをこう呼びますが、その一人の学者の弟子となって、同じ家に住み込むようになりました。
ある日、婆羅門が用で家を留守にすることになりますが、その奥さんに浮気を持ちかけられるのです、それを何とかお引取りを願って事なきを得たのですが、奥さんの方は辱めを受けたと逆恨みをいたしまして、婆羅門の帰宅を待って、話を逆にして訴えます。まあ、手篭めに遇いそうになったが、何とか機転をきかせて、逃れることが出来ましたというようなことを申したのです。
婆羅門はそれを聞いては、もう怒りに心を奪われてしまいまして、事の真相を突き止めることよりも、何とか仕返しをしてやる方法はないかとそのことだけを考えます。そしてとうとう一つの妙案を思いつき、弟子を呼びましてこう言いました。お前もここに来てから随分になるが、その間、実に良く仕えてくれた。そこでお前に術を教えてやろう。その術は大変なもので世界中が思い通りになるというものだが、その分、手に入れるのは大変じゃぞ、出来るかな。はい、何でも仰るとおりに致します。ほんに相違ないな。はい、何でも仰ってください。では、今日から毎晩、一人づつ殺して、その人差し指を切り取って、首飾りを作れ。一千本の指の首飾りが出来たときには間違いなく、術を身に着けていることになろう。
この婆羅門の教えを忠実に守り、寂しい山道に通りかかる旅人を待ち伏せまして、殺(あや)めていたのですが、その結果、人々にアングリマーラと恐れられ、お尋ね者となってしまいました。しかし不思議なことというものはあるもので、何の因果か、丁度一千人目に、その山道をお釈迦様が通りかかられたのです。アングリマーラは襲い掛かりますが、ほんの一言か二言でもって、改心してしまいました。
これ以後、お釈迦様のお弟子となって、僧伽の中で暮らすことになりますが、それ以後も随分と苦労され我慢に我慢を重ねられたようであります。それにしてもまあ何しろ可哀そうな人でして、私としましてもつい同情に涙を落してしまいますが、しかしそれにしても、このような九百九十九人もの殺人を犯した人をもあっさりとお弟子にされるお釈迦様もなかなか普通ではないようでして、これ程ではありませんが、変わった方はまだまだ大勢いらっしゃいます。『律』に出てくる六群比丘(ろくぐんびく)、六人の僧侶という意味ですが、これが決して悪人ではありませんし頭は良いのですが、大変にやりたい放題の悪戯好きの人たちでして、二百五十戒という、何々をしてはいけない、何々をしてはならない。という中の実に一百五十戒はこの六人が原因となっていると言われています。つまり、この中の一人が、何か問題を起こしまして、今後このようなことをしてはならないと、このようにお釈迦様がお思いになられまして、一戒を制定されるという訳なのです。

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その六群比丘の一人にカルダイという方がいらっしゃいまして、『十誦律(じゅうじゅりつ)の巻三』にはほとんど一巻まるごと、その方のことで埋め尽くされています。カルダイは自室をきれいに清掃いたしまして、ベッドも気持ちよく整え、水がめには冷たい水を一杯に満たし、そして坐禅を組んで修行する訳ですが、婬欲が起こりますと自分で摩すって精を出しまして、さっぱりした気分で修行を続けるのです。ある時、同僚の比丘にどうしていつもさっぱりした顔をしているのかと尋ねられましたので、これこれこういう訳でいつもさっぱりした気分で修行できるのですと答えますと、これがお釈迦様の聞くところとなりまして、呼び出され、「何か我慢していることはないか。」、「楽しくやっているか。」、「何かなくて困ってはいないか。」と訊ねられますので、「いえそんなことはありません、楽しくやっています、何も不足はありません。」と答え、更に「私は部屋をきれいに掃除して、ベッドを整え、水がめに冷たい水を満たしまして、修行します。そして婬欲が起こったときには、自ら精を出して、すっきりした気分で修行を続けます。」と言いますので、お釈迦様に叱られたとありますが、この他にも、女性の信者が何人か連れ立って僧伽に来ますと、このカルダイは自ら「僧院の中を案内しましょう。」と買って出まして、少しばかり案内した後は自室に連れ込んで、体に触れたり摩すったりしまして、中には喜んで黙っている人もいますが、ある者は喜ばずに、恐れて他の比丘に、「これが偉い人のすることですか、安心な所だと思っていましたのに。」と言いつけまして、やはりお釈迦様の聞くところとなってしまいます。そして叱られまして、今度こそ恐れ入ったかと思いますと、なかなかそんな人ではありませんので、次にもやはり「ご案内しましょう。」と自室に連れ込みまして、今度は言葉でいろいろ恥ずかしいことなどを言って、楽しむわけです。それで叱られますと、次は「身体でもって、比丘を供養するといいことがありますよ。」と相手に何かさせようと悪知恵を働かすのです。まあ、一つ禁止されると、別の手を考え出して何とかしようというのですから、誠に切りのないことであります。

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印度にコーサラ国という国がありましたが、そこの舎衛城(しゃえいじょう)という都の近くに祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という僧伽(そうが)が在りますが、その他にも某(なにがし)という僧伽がありまして、そこに二人の長老の比丘が住んでおりました。一緒に生活する比丘の集団のことを僧伽と呼ぶのですが、仏教の盛んな土地柄でもありまして、地元の有力者たちは、毎年比丘たちのために、多くの衣を作り布施をしてきましたので、今年も多くの衣を作って比丘たちに布施をし、来世の福を積んでおこうと、多くの衣を持って、僧伽に来まして、ちょうどそこに居た二人の長老の比丘に与えました。
二人の長老の比丘は「もしこれ等の衣を大勢に分け与えることによって、何かの罪を犯すことにはならないだろうか。」と、このように恐れて、自分たちでは分け与えることをようしません。
そんな中に現れたのが六群比丘の一人、ウパナンダという方でして、説法論議に巧みと伝えられていますが、何よりもお釈迦様が亡くなられた時に、もうこれで叱られなくてすむと言って喜んだということで一躍有名になった方です。
このウパナンダ比丘は比丘の常としまして、地方地方の僧伽を渡り歩き、移り住んでいましたが、どこか布施されたものを多く貯えている所はないだろうか、そういえば去年、世尊(お釈迦様のことです。)はコーサラ国の某所に安居(あんご)していらっしゃたから、さぞお布施も多く集まったことだろう。ちょっと行ってみようと思いまして、この地に現れたような訳なのです。
ここで安居(あんご)といいますのは、印度には雨季というものがありまして、網の目のようになった川が溢れて、歩き回って人々に法を施すということが出来ません。そこで比丘たちは毎年夏の間、つまり四月十六日から七月十五日までの九十日間は一つの所に留まって、勉強したり修行したりして過ごすことをいうのです。
 ウパナンダは二人の長老と挨拶をかわして、用意された場所に坐りますとさっそく切り出しました、
――「ここはお布施の方はどうですか、多くありましたか。そうでもないですか。」
――「多くありましたよ。」
――「もう、他の比丘たちに、分けておしまいになりましたか。」
――「いえ、まだ分けてないのです。」
――「それはまたいったいどうして。」
――「いただいた衣があまり多いのに、いただいたのは私たち二人だけです。もし分けて何かの罪になってもいけないと思って、よう分けないでいるのです。」
――「いやそれは分けなくてよかったですな。もし分けていればとんだ罪になっていたかもしれません。」
――「あなたは分けることがお出来ですか。」
――「はい、私なら出来ます。それには先ず羯磨(かつま)ということをしなくてはなりません。簡単に分けるという訳にはいかないのです。」
ここでいう羯磨(かつま)というのは儀式のことでして、何人か集まりまして、何々をすると宣言して、異議を問うことにより全員の意思を統一しようというものなのですが、ここでウパナンダがしようとする羯磨は、決められた規則に少しも則(のっと)らないまったくのインチキ羯磨なのです。
二人の長老が多くの衣を持ち出して、ウパナンダの前に置きますと、ウパナンダはそれを三つの山に分けまして、 
――「二人はこの一山の側に坐りなさい。」と言います。
自分は二山の側に坐って、声をはりあげて宣言しました、
――「汝ら二人の長老、一心に聴け。汝らは、二人と一山の衣、合わせて三つ。私は一人と二山の衣、合わせて三つ。このように羯磨する、これで好いか、どうだ。」
――「好い、好い。」と、二人の長老がこう答えますと、ウパナンダは一枚の衣を広げ、その中に自分の取り分の二山の衣を包み込んで縛りつけ、担(かつ)いで去ろうとします。
二人の長老はあわてて、
――「この私たちの山の衣はまだ二つに分けていただいていませんよ。どうしてそんなに急いで帰ろうとなさる。」と言いますと、ウパナンダは、
――「もし私が分けてあげるとすると、お礼を頂戴しなくてはなりませんよ。」と言いますので、長老たちも、
――「します。します。」と答えました。
そこでウパナンダは長老たちの一山から一枚の好い衣を選んで取り除け、残りを二つに分けて、二人に分け与えて出て行ってしまいました。
ウパナンダはこのようにして得た多くの衣を担(かつ)いで祇園精舎へ往きましたが、それを見た比丘たちは大騒ぎです、
――「ウパナンダが来たぞ、きっとどこかで恥知らずなまねをしてきたに違いない。」、そしてウパナンダに問いただします、
――「ウパナンダ、あなたはいったいどこでその多くの衣物を得たのですか。」、ウパナンダがこれこれこういう訳で得ましたと答えますと、比丘たちは口々に、
――「それでどうして比丘といえるのだ。そのようにして二人の長老の物を奪うとは。」と言いながら、世尊に事の顛末を報告しました。
世尊は比丘たちを皆集められまして、その前でウパナンダに問いかけられます、
――「そんなことを本当にしたのか。」
――「はい本当にしました、世尊。」
――「何故そのような馬鹿げた真似をしでかしたのだ。まったく、騙してまで、そのような長老の物を奪うとは。」と、いろいろことを分けて教えられ、そして比丘たちに、次のようなたとえ話をされました。
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「このウパナンダがあの二人の長老を騙して、物を奪ったのはのは、何もこれが初めてではありません。とは言ってもそれは前世のことなのですが、何回も何回も同じことを繰り返し、二人の長老を騙して物を奪ってきたのです。 
昔ちょうどこんなことがありました。ある河の曲がったところに二匹の川獺(かわうそ)が住み着いていたのです。河辺で一匹の鯉を獲ることが出来ましたが、上手に分ける方法を知りませんでしたので、分けずに見守ってばかりしていました。
そこに一匹の野狐が水を飲みに河辺に下りてきて、二人を見て言いました、
――「おじさんたち、何をしているの。」
――「お前、そりゃ私たちは二人して大きな魚を獲ったんだがのう、どうやったらうまく分けられるのか、それがわからんので困っているのだよ。お前に何か良い知恵はないだろうかね。」
――「出来ますよ。つい先ほど読んでいた本に、うまく分ける方法が載っていました。やってみますか。」
そこで野狐は魚を三つに分けましたが、頭の部分が一つ、尾の部分が一つ、そして中間のよく肥えた部分が一つ、とこんな風に分けたのです。
そして野狐は、
――「それでは分けますよ。誰か河の岸辺にいることが好きな人はいますか。」
――「それは私だな。私は岸辺にいることが好きだよ。」
――「それでは、誰か河の深い淵(ふち)のところが好きな人はいますか。」
――「それは私だ。深いところが好きだ。」
――「わかりました。それでは本に書いてあった言葉を唱えますよ。一心に聴いてくださいね。‥河の岸辺を好むものには尾を与えよ。‥深き淵を好むものには頭を与えよ。‥賢いものには中間の身を与えよ。」とこのように言いまして、野狐は口を大きく開いて、大魚の身を銜(くわ)えて帰ってゆきました。
帰ってきた夫をみて、雌の野狐が訊(たず)ねます、
――「あなた、どこでそんなに大きな魚を得たのです。」
――「愚かな川獺が二人いて、この魚を分けることが出来ずに困っていたのだ。それを上手に分けてやって、身のところを頂いてきたのだよ。」と。
このようなことを昔から繰り返してきたのです。勿論、この二匹の川獺(かわうそ)とはあの二人の長老のことで、その時の野狐こそが今のウパナンダその人なのです。昔ウパナンダは川獺の物を奪ったので、今の世でもやはり長老の物を奪っているのですね。」

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これが話のすべてです。
すでにご存知の方には誠に申し訳ございません。種明かしは無粋なことだということは十分承知していますが、何分ここを知らずにお読みになられましては、この話の面白さは分かりません。読者の中には知らない方のほうが多いと思いますので少し説明しますと、川獺(かわうそ)というのはイタチ科の動物でビーバーなんかと同じように水辺に住んでいるのですが、大変魚を獲ることが上手で一度に多くの魚を獲ります。そして捕らえた魚を川岸に並べるという不思議な性癖がありますので、それを川獺が供物を川岸に並べて先祖の祭りをしていることに見立てまして、川獺の祭り、獺祭(だっさい)と呼んでいるのです。このような訳から書斎に本が散らばっている様子をもまた獺祭と言うのでありますが、それを自分の号とされた方が、「柿食へば鐘が鳴るなり、法隆寺。」と詠まれた正岡子規で、獺祭屋主人(だっさいおくしゅじん)と号されていたのです。今月、九月の十九日はその子規の忌日に当たり、その日を獺祭忌(だっさいき)と呼びますので、それに因(ちな)んで、今回は川獺の話を取り上げることにしました。
(川獺(かわうそ)  おわり)