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非難:ベートーベンは運命とは呼ばなかった。
反論:しかしベートーベンの音楽はどれもこれも運命をモチーフにしていないか? 運命と呼ばなかったからと言って何故運命ではないと言い切れる? 運命との和解と言われているあの最後の弦楽四重奏はいったい何だったのだろうね? |
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非難:表題音楽ではない。
反論:意味のある言葉かな。音楽はすべて情念が作り出すものではないのかな。ならばそこには何らかの情念からくるモチーフがある筈だろう? 標題音楽でないとどうして言い切れる? もしあの曲に運命のモチーフを見つけることが出来ないようなら、どのようにして人を感動させることが出来るのかね? だいたい標題音楽を何か恥ずかしいもののように考えるのは、そのこと自身が人生に対する無知を表わして、却って恥ずかしいことではないかな。運命こそが人生最大の謎、いかなる音楽といえども解明することの出来ないもの、ベートーベンだからこそ能くその一端を覗かせてくれたと言うべきではないかな。 |
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非難:純粋のソナタ形式としての様式をすべて備えた音楽である。
反論:様式が人を感動させるのかな? 様式が如何に整っていようとカスはカスでしかないだろう? |
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非難:外人には運命などと言う人は一人もいない。
反論:常に神によって虐げられて来た西洋人にとって、神の意志の現れである運命は当たり前すぎて、そう呼ぶことは気が引ける。又はベートーベンの音楽の全てが運命なので今さらこれのみを運命と呼ぶことは気が差す。等々考えられますが、もしそうではなくて唯だ日本人だけがこの曲に運命を読み取っているのだとしたら、その人達だけが、ベートーベンの心に近づくことが出来るのだから、ぜひ教えを請うべきだと思うね。 |