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骨 董
  私の祖母は今は絶えてしまいましたが素封家の出で、何でも烏丸通を挟んで御所の近くに邸があり、敷地は四方を道に囲まれて隣家とは接していなかったといいますから、少なくとも千坪は有ったのではないかと思います。しかし当時の京都の例として、質素な暮らしぶりを旨としていて、華美を嫌いながらも、茶道華道音曲などの習い事には十分な素養を受け、一方家事のほうにも、料理に掃除に万事ぬかりなく、戦時中には畑仕事も厭うこと無く、常に夫に仕えて口喧嘩ひとつせず、今にすれば真に見事なものでした。
  この祖母の嫁入りのときの仕度として、40本ほどの四季の掛け軸、夏冬の抹茶茶碗が20枚ほどあり、その内のいくつかは美術全集などではお馴染みの作家の作品なのです。大正初年頃に、祖母の父が人を介して、それらの作家に直接焼かせたり、書かせたりしたもので骨董品というものではありません、ただ当時の有力作家、売出し中の有力新人を選んだと言うだけの物なのです。新婚の家庭に骨董は似つかわしくないということでしょう。
  ここに恥ずかしげもなく愚にも付かない先祖自慢などを持ち出しまして、さぞお笑いになられるだろうとは思いますが、どうも昨今の骨董ブームに少しく水を差したいという気持ちから止む無くのこととて、どうかご容赦ください。
  それはどういう事かといいますと骨董というものは数に限りのあるもので、ブームになればいやでも値が上がる仕組みになっています。また必要としない処にそれが渡りました暁には、いずれ分散し、二度と人目に掛かることが無くなるだろうことは目に見えるようでもあり、値が上がれば真に必要とする人が手に入れることが出来なくなり、やがては骨董の真の価値も忘れられるのではないかと、このように偏に骨董の貴重さを思うからなのです。
  話をもとに戻しますが、私の父はこのようにかなり結構な道具類に囲まれて育ちましたので独特の骨董観を持つようになりまして、すべての道具は実用価値がなければ駄目だという考えから、扱いに慣れない子供たちにも自由に触れさせて、私なども季節ごとの床の間の軸の掛け替えなどは子供の仕事だと思っていたほどでした。そのような訳で割ったり破ったりしたものが多分一つ二つは有ったと思います。
  その父がある時、テレビの骨董番組が話題に上ると申しました、「お前、骨董などを欲しがりはしないだろうな。 骨董というものは、無くてはならない所には、もうとっくに有るものだよ。」と。要するに今無いということは、必要ないということでしょう。
  さはさりながら、どうも骨董の優品には何か人を惹きつけて已まない力が有りまして、そしてそれに身をゆだねる快適さと言うものが、これが又捨てがたいもので、どうもそうそう人の言うことばかりを聞いている訳にもいけないようです。
  何かどうも竜頭蛇尾、羊頭狗肉、尻切れトンボにになってしまいまして、誠に申し訳ございません。まあ何事も程々にということで、どうぞお後が宜しいようです。失礼しました。
(骨董  おわり)