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正 宗 分 の 余 |
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流 通 得 益 分 |
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正 宗 分 の 余
第十四観、上輩生想
佛告阿難。及韋提希。凡生西方有九品人 |
仏、阿難および韋提希(いだいけ、王妃名)に告げたまわく、―― 凡そ、西方に生るるには、九品(くほん、九段の品位)の人有り。 |
仏は、阿難(あなん、弟子名)および韋提希(いだいけ、王妃名)に教えられた、―― 凡そ、 西方に生まれる人には、九品(くほん、九段階の品位)が有る。
注:『凡そ』以下は他本には無し。 |
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上品上生者。若有眾生願生彼國者。發三種心即便往生。何等為三。一者至誠心。二者深心。三者迴向發願心。具三心者必生彼國 |
上品上生(じょうぼんじょうしょう、上品の上の者が生まれること)とは、もし、ある衆生、彼の国に生まれんと願わば、三種の心を発せ、即ち便ち往生(おうじょう、此の国から他の国に往き生まれること)せん。 何等をか三と為す。 一は至誠心(しじょうしん、真心の極み)、二は深心(じんしん、深い信心)、三は迴向発願心(えこうほつがんしん、一切の善業を振り向けて願う心)なり。 三心を具うれば、必ず彼の国に生まれん。 |
上品上生(じょうぼんじょうしょう、上品の上の者が生まれること)とは、 もし、 ある衆生が、 彼の国に生まれることを、願うならば、 三種の心を、発せ、 そうすれば、速やかに 往生(おうじょう、この国から他の国に往き生まれる)するだろう。
その 三種の心とは、 一は、至誠心(しじょうしん、真心の極み)、 二は、深心(じんしん、深い信心)、 三は、廻向発願心(えこうほつがんしん、一切の善業を振り向けて願う心)である。 この 三心を、具えれば、 必ず、彼の国に生まれるだろう。
注:要するに、善行を、真心から疑わずに振り向ける人をいう。 |
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復有三種眾生。當得往生。何等為三。一者慈心不殺具諸戒行。二者讀誦大乘方等經典。三者修行六念迴向發願生彼佛國。具此功德。一日乃至七日。即得往生 |
また、三種の衆生有りて、まさに往生を得べし。 何等をか三と為す。 一は慈心にて殺さず、諸の戒行(かいぎょう、戒に随順する行い)を具う。 二は大乗の方等(ほうとう、広大平等の大乗)経典を読誦す。 三は六念(ろくねん、仏法僧戒捨天を念ずる)を修行して、彼の国に生まれんことを廻向発願(えこうほつがん、一切の善業を振り向けて願う)す。 この功徳(くどく、善行の徳)を具うること、一日より乃ち七日に至るまで、即ち往生を得。 |
また、 三種の衆生が有り、 必ず、往生できるだろう。 その 三種の衆生とは、 一は、 慈心が有り、 生き物を殺さず、 諸の戒行(かいぎょう、戒に随う行い)を具える。 二は、 大乗の方等(ほうとう、広大平等)の経典を読誦する。 三は、 六念(ろくねん、 念仏(ねんぶつ、仏の大慈悲を念う)、 念法(ねんぽう、法の大利益を念う)、 念僧(ねんそう、僧の大功徳を念う)、 念戒(ねんかい、戒は遮悪の根本であると念う)、 念捨(ねんしゃ、布施は善行の根本であると念う)、 念天(ねんてん、自らは天の護念を蒙ると念う))を修行し、 その 功徳を廻向(えこう、振り向ける)して、 彼の国に生まれることを願う。 この 功徳(くどく、善行の徳)は、 それを、具えること、 一日より七日に至るまでも、 即ち、 往生できるだろう。
六念(ろくねん):菩薩が、常に心に念じて忘れないもの。 (1)念佛(ねんぶつ):仏の大慈大悲と神通無量と衆生の苦を抜く、私もかく有りたいと願うこと。 (2)念法(ねんぽう):仏法は衆生にとって妙薬である、必ずよく理解して、衆生に施そうと願うこと。 (3)念僧(ねんそう):僧は煩悩を滅して、戒定慧をよく身に着けて、良き世間の福田である。 私もかくありたいと願うこと。 (4)念戒(ねんかい):戒は良く衆生の悪を除くことができる。私も懸命にこれを守ろうと願うこと。 (5)念捨(ねんしゃ):布施とは物惜しみ、貪欲をなおす良薬である。 私も布施をして衆生に信用されて、衆生を導くことが出来るようにと願うこと。 (6)念天(ねんてん):天がよく私の修行を守護してくれるようにと願うこと。 注:ここでは要するに、大乗の行者をいう。 |
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生彼國時。此人精進勇猛故。阿彌陀如來與觀世音及大勢至無數化佛百千比丘聲聞大眾無量諸天。七寶宮殿 |
彼の国に生るる時、この人は精進して勇猛なれば、故(すなわ)ち、阿弥陀如来は、観世音および大勢至、無数の化仏、百千の比丘、声聞の大衆、無量の諸天、七宝の宮殿を与(ともな)わん。 |
彼の国に生まれる時、 この人は、 精進(しょうじん、休まず怠けないこと)であり、 勇猛(ゆうみょう、勇敢に怖れず進むこと)である。 その故に、 阿弥陀如来は、 観世音、および大勢至、 無数の化仏(けぶつ、法身の仏が化して作った肉身の仏)、 百千の比丘、声聞の大衆、 無量の諸天、 七宝の宮殿を、伴い、 来て迎えるだろう。 |
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觀世音菩薩執金剛臺。與大勢至菩薩至行者前。阿彌陀佛放大光明照行者身。與諸菩薩授手迎接。 |
観世音菩薩は金剛(こんごう、ダイヤモンド)の台(うてな)を執り、大勢至菩薩と与(とも)に行者の前に至り、阿弥陀仏は、大光明を放ちて行者の身を照らし、諸の菩薩と与に、手を授けて迎接(ぎょうしょう、迎え入れる)す。 |
観世音菩薩は、 金剛(こんごう、ダイヤモンド)の台(うてな、物を載せる台)を、執り、 大勢至菩薩と、与(とも)に、 行者の前に、 至る。 阿弥陀仏は、 大光明を、放って、 行者の身を、照らし、 諸の菩薩と、与に、 手を授けて、 迎え入れる。 |
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觀世音大勢至與無數菩薩。讚歎行者勸進其心 |
観世音と大勢至、無数の菩薩と与に、行者を讃歎し、その心を勧進(かんじん、勧め励ます)す。 |
観世音、大勢至は、 無数の菩薩と、与に、 行者を、讃歎し、 その心を、 勧め励ます。 |
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行者見已歡喜踊躍。自見其身乘金剛臺。隨從佛後。如彈指頃往生彼國 |
行者、(それを)見おわりて、歓喜し踊躍して、自らその身を見れば、金剛の台に乗れり。 仏の後ろに随従して、弾指(だんし、指を弾いて合図する)の頃に彼の国に往きて生る。 |
行者は、 それを見て、 歓喜し、踊躍(ゆやく、小躍りして喜ぶ)して、 自らの身を見れば、 すでに、金剛の台に乗っている。 仏の後ろに、 随従して、 弾指(だんし、指を弾く合図)の間に、 彼の国に往き、生まれる。 |
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生彼國已。見佛色身眾相具足。見諸菩薩色相具足 |
彼の国に生まれおわりて、仏の色身を見れば、衆相具足し、諸の菩薩を見れば色相具足せり。 |
彼の国に生まれて、 仏の、 色身(しきしん、肉眼で見える身)を、見れば、 衆相(しゅそう、仏の優れた容姿容貌、三十二相と八十種好)は、具足し、 諸の菩薩を、見れば、 色相(しきそう、優れた容姿容貌)が、具足している。 |
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光明寶林演說妙法。聞已即悟無生法忍 |
光明と宝林とは、妙法を演説し、聞きおわれば、即ち無生法忍(むしょうほうにん、生滅を離れた真理を覚ること)を悟る。 |
光明と 宝の林とは、 妙法を、演説し、 それを 聞いて、 即ち、 無生法忍(むしょうほうにん、無生無滅の真理を悟ること)を悟る。
注:光明と宝林とは、見るものに非ず、聞くものに非ず。 注:彼の国の聞くは、この国の聞くに非ず。 また見るも見るに非ず。 |
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經須臾間歷事諸佛。遍十方界。於諸佛前次第受記。還至本國。得無量百千陀羅尼門。是名上品上生者 |
須臾(しゅゆ、暫くの間)を経る間に、歴(ことごと)く諸仏に事(つか)え、十方の界(かい、世界)を遍くし、諸仏の前に於いて次第に記(き、成仏の記録)を受け、還りて本国に至り、無量百千の陀羅尼(だらに、実相に安住すること)の門を得。 これを上品上生の者と名づく。 |
須臾(しゅゆ、暫くの間)を経る間に、 諸仏を、巡って事(つか、仕)え、 遍く、 十方の世界の、 諸仏の前に於いて、 次第(しだい、順次)に記(き、成仏の確認)を受け、 還って、 本国に至れば、 無量百千の陀羅尼門(だらにもん、種種の教え)を得る。
これを、 上品上生の者という。
陀羅尼(だらに):総持(そうじ)と訳し、善法を散ぜしめないこと、忘れないことをいう。 また法の実相に安住することをもいう。 |
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上品中生者。不必受持讀誦方等經典。善解義趣。於第一義心不驚動。深信因果不謗大乘。以此功德。迴向願求生極樂國 |
上品中生とは、必ずしも方等経典を受持読誦せざれども、よく義趣(ぎしゅ、意義)を解し、第一義(だいいちぎ、諸法は一相にして空なることの真理)に於いて、心驚動せず。 深く因果を信じて、大乗を謗らず。 この功徳を以って廻向して、極楽国に生まれんことを願い求む。 |
上品中生とは、 必ずしも、方等経典を受持し読誦しないが、 大乗の意義を、よく理解し、 第一義(だいいちぎ、一切は一相であり空であるという真理)を、聞いて、 心は、驚いて動揺せず、 深く、因果(いんが、善因善果悪因悪果の真理)を、信じて、 大乗を、謗らない。 このような功徳を、 迴向して、 極楽国に生まれたいと願い求める。
注:大乗の行者ではないが、大乗の生活をしている。 |
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行此行者命欲終時。阿彌陀佛與觀世音及大勢至。無量大眾眷屬圍繞。持紫金臺至行者前讚言。法子。汝行大乘解第一義。是故我今來迎接汝。與千化佛一時授手 |
この行を行わば、命の終らんと欲する時、阿弥陀仏は、観世音および大勢至、無量の大衆、眷属に囲遶(いにょう、取り囲む)され、紫金(しこん、紫色をした最上の金)の台を持ちて行者の前に至り、讃じて言わく、『法子(ほうし、法の上の子)、汝大乗を行うて第一義を解せり。 この故に、我は今来たりて汝を迎接せん。』と、千の化仏と与(とも)に一時に手を授く。 |
この行いを行う者は、 命の終ろうとする時、 阿弥陀仏は、 観世音および大勢至、無量の大衆、眷属に、 取り囲まれて、 紫金(しこん、紫色の最上の金)の、台を持ち、 行者の、前に至り、 讃じて言うだろう、 『法子(ほうし、法の上の子)よ、 お前は、 大乗を、行って、 第一義を、理解している。 この故に、 わたしは、 今、お前を、迎え入れよう。』と。 そして、 千の化仏と、与に、 一時に、 手を授ける。 |
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行者自見坐紫金臺。合掌叉手讚歎諸佛。如一念頃。即生彼國七寶池中 |
行者、自ら見れば、紫金の台に坐れり、合掌叉手(がっしょうさしゅ、両手を合せ十指を伸ばして交差させる)して諸仏を讃歎すること、一念(いちねん、一瞬の間)の頃の如きに、即ち彼の国の七宝の池の中に生る。 |
行者が、 自らを見てみれば、 すでに、紫金の台の上に坐っている。 合掌叉手(がっしょうさしゅ、両手の十指を伸ばして交差する合掌)して、 諸仏を讃歎し、 一念(いちねん、一瞬)の間に、 彼の国の 七宝の池の中に生まれる。 |
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此紫金臺如大寶花。經宿即開。行者身作紫磨金色。足下亦有七寶蓮華 |
この紫金の台は大宝花の如く、宿(しゅく、一夜)を経て、即ち開くに、行者の身は、紫磨金色(しまこんじき、紫金色)と作り、足下にも、また七宝の蓮華有り。 |
この紫金の台は、 大宝花のように、 一夜を経ると、開く。 行者は、 身が、紫磨金色(しまこんじき、紫金色)と作り、 足下にも、また 七宝の蓮華が有る。 |
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佛及菩薩俱放光明。照行者身目即開明。因前宿習普聞眾聲。純說甚深第一義諦 |
仏および菩薩は、倶に光明を放ちて行者の身を照らせば、目即ち開明し、前の宿習(しゅくじゅう、前世の習学)に因り、普く衆の声を聞けば、純(もっぱ)ら、甚だ深き第一義諦(だいいちぎたい、真如実相、万物は平等にして空であること)を説く。 |
仏および菩薩が、 倶に、光明を放って、 行者の、身を照らすと、 行者は、 目を、即ち開き、 前世の学習により、 辺り一面の、人々の声を聞いてみると、 純(もっぱ)ら、甚だ深い、 第一義諦(だいいちぎたい、万物は平等にして空であるという、真如の実相)を、説いている。 |
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即下金臺禮佛合掌讚歎世尊。經於七日。應時即於阿耨多羅三藐三菩提。得不退轉 |
即ち、金の台を下りて、仏に礼し、合掌して世尊を讃歎し、経ること七日に於いて、時に応じて阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、理想の国土建設、仏の境地)に於いて不退転を得。 |
そこで、 金の台を下りて、 仏に礼し、 合掌して、 世尊を讃歎し、 七日を経れば、 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、理想の国土建設)に於いて、 不退転(ふたいてん、生まれ変わっても菩薩の修行から退かないこと)の位を得ている。 |
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應時即能飛至十方。歷事諸佛。於諸佛所修諸三昧。經一小劫得無生法忍現前受記。是名上品中生者 |
時に応じて、即ち、よく飛んで十方に至り、歴(ことごと)く諸仏に事え、諸仏の所に於いて、諸の三昧を修め、一小劫を経て無法法忍を得、現前に記を受く。 これを上品中生の者と名づく。 |
この時には、すでに、 飛んで、十方の世界に至ることができるので、 諸仏を、巡って事え、 諸仏の所に於いて、 諸の三昧(さんまい、一心に衆生を救い導くこと)を、修め、 一小劫(しょうこう、世界の生滅の周期の四分の一)を、経て、 無生法忍を、得て、 諸仏の現前(げんぜん、目の前)に、 記を受ける。
これを、 上品中生の者という。 |
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上品下生者。亦信因果不謗大乘。但發無上道心。以此功德。迴向願求生極樂國 |
上品下生とは、また因果を信じて大乗を謗らず、ただ無上道(むじょうどう、阿耨多羅三藐三菩提)の心を発し、この功徳を以って迴向して、極楽国に生るることを願い求む。 |
上品下生とは、 また 因果を信じて大乗を謗らず、 ただ 無上道(むじょうどう、阿耨多羅三藐三菩提)の心を発し、 この 功徳を廻向(えこう、振り向ける)して、 極楽国に生まれることを、 願い求める。
注:大乗の志のみの人。 |
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彼行者命欲終時。阿彌陀佛及觀世音并大勢至。與諸眷屬持金蓮華。化作五百化佛來迎此人 |
彼の行者、命の終らんと欲する時、阿弥陀仏および観世音、并(なら)びに大勢至、諸の眷属と与に金の蓮華を持ち、化して五百の化仏と作り、来たりてこの人を迎う。 |
この行者の、 命が終ろうとする時、 阿弥陀仏、および観世音、大勢至は、 諸の眷属と与に、 金の蓮華を持ち、 化して五百の化仏と作り、 来て、この人を迎える。 |
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五百化佛一時授手。讚言。法子。汝今清淨發無上道心。我來迎汝 |
五百の化仏、一時に手を授けて讃じて言わく、『法子、汝は、今、清浄に無上道の心を発せり。 我、来たりて汝を迎う。』と。 |
五百の化仏は、 一時に手を授け、讃えて言う、 『法子よ、 お前は、 今、清浄に無上道の心を発した。 わたしは、 来て、お前を迎えよう。』と。 |
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見此事時。即自見身坐金蓮花。坐已華合。隨世尊後即得往生七寶池中 |
この事を見る時、即ち自ら身を見れば金の蓮花に坐れり。 坐りおわりて華合い、世尊の後ろに随いて七宝の池の中に往きて生るることを得。 |
この事を見る時、即ち 自らを、見てみると、 身は、金の蓮花に坐ろうとしている。 坐りおわると、 華が、閉じ、 世尊の後に、 随って往き、 そして 七宝の池の中に、 生まれている。 |
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一日一夜蓮花乃開。七日之中乃得見佛。雖見佛身於眾相好心不明了。於三七日後乃了了見。聞眾音聲皆演妙法 |
一日一夜にて蓮花は乃ち開き、七日の中に乃ち仏に見(まみ)ゆることを得。 仏の身を見るといえども、衆の相好に於いては心明了ならず。 三七日の後に於いて乃ち了了に見る。 衆の音声を聞くに、皆、妙法を演(の)ぶ。 |
一日一夜で、 蓮花はようやく開き、 七日の中に、 仏を見ることができる。 仏の身を見るとはいえ、 衆の相好などは、心に不明了である。 三七日の後に於いて、 ようやく、明了に見え、 人々の声を聞いてみると、 皆、妙法を演べている。 |
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遊歷十方供養諸佛。於諸佛前聞甚深法。經三小劫得百法明門。住歡喜地。是名上品下生者 |
十方に遊び歴(めぐ)りて諸仏を供養し、諸仏の前に於いて甚だ深き法を聞き、三小劫を経て百法明門(ひゃっぽうみょうもん、菩薩の初地)を得て、歓喜地(かんぎち、菩薩の初地)に住まる。 これを上品下生の者と名づく。 |
十方に遊び巡って、 諸仏を供養し、 諸仏の前に於いては、 甚だ深い法を聞き、 三小劫を経て、 百法明門(ひゃっぽうみょうもん、百の法が明らかになる菩薩の初地)を得、 歓喜地(かんぎち、菩薩が真如実相を知って歓喜する位、菩薩の初地)に住まる。
これを、 上品下生の者という。
百法明門(ひゃっぽうみょうもん):初めて百のことが明らかになる地位。 十地(じゅうじ):菩薩の位階の十段階。 (1)歓喜地(かんぎち):初めて出世の心、平等を覚り迷いがないことに気づき大いに歓喜する。 (2)無垢地(むくじ):微かに残っていた煩悩の垢と戒を犯すことが無くなり、清浄となる。 (3)明地(みょうじ):無量の智慧と三昧の光明は傾け揺らすことも消すことも出来ず、何度生まれ変わってもかつて聞いた正法を忘れることがない。 (4)焔地(えんち):智慧の火でもって諸の煩悩を焼き尽くし、光明を増長して更に修行する。 (5)難勝地(なんしょうち):勝れた智慧が自在であることは極めて得難い、見道(けんどう)と修道(しゅうどう)すなわち意識できる煩悩はすべて断った段階における残りの微細な煩悩は断ち難い、これらの困難を克服した。 (6)現前地(げんぜんち):常に行法を相続し、明了に菩薩のすがたを現す。本質は無相であるが、種々の方便を思惟して皆悉く目の前に現す。 (7)遠行地(おんぎょうち):煩悩の有る無しに拘わらず、永遠に修行し続ける。 (8)不動地(ふどうち):あらゆる物の見かけに惑わされることなく、真実の相(すがた)を見るために煩悩によって動かされることがない。 (9)善慧地(ぜんねち):智慧が増長してあらゆる物の微細な区別を自在に説くことが出来、一切の患いが無い。 (10)法雲地(ほううんち):法身は虚空の如く、智慧は大雲の如く、皆よく遍満して一切を覆う。 |
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是名上輩生想。名第十四觀。作是觀者名為正觀。若他觀者名為邪觀 |
これを、上輩生想と名づけ、第十四観と名づく。 この観を作すをば名づけて正観と為し、他の観の若きをば名づけて邪観と為す。 |
これを、 上輩生想といい、 第十四観という。
このように観るをば、 正観といい、 他のものを観るをば、 邪観という。 |
第十五観、中輩生想
佛告阿難及韋提希。中品上生者。若有眾生受持五戒。持八戒齋。修行諸戒。不造五逆。無眾過惡。以此善根。迴向願求生於西方極樂世界 |
仏、阿難および韋提希に告げたまわく、―― 中品上生とは、もし、ある衆生五戒(ごかい、基本的な戒)を受持し、八戒斎(はっかいさい、俗人が日限を決めて守る戒)を持ち、諸の戒を修行して、五逆(ごぎゃく、五つの重罪)を造らずに、衆の過悪無し。 この善根(ぜんこん、善行)を以って廻向して、西方の極楽世界に於いて生まれんと願い求む。 |
仏は、阿難および韋提希に教えられた、―― 中品上生とは、 もし、ある衆生が、 五戒(ごかい、仏教徒の基本的な五つの戒)を、受持し、 八戒斎(はっかいさい、毎月六日間、特別に守る戒)を、持ち、 諸の戒(五戒、八戒斎、十戒、二百五十戒、五百戒等の何れか)を、修行して、 五逆(ごぎゃく、父母を殺す等の五つの重罪)を、造らず、 衆の過悪も、無いならば、 この 善根(ぜんこん、善行)を廻向して、 西方の極楽世界に生まれることを 願い求める。
五戒(ごかい):仏教徒の守るべき戒。 特に俗人の守るべき戒をいう。 (1)不殺:生き物を殺さない。 (2)不盗:与えられない物を取らない。 (3)不邪淫:女房以外と婬事をしない。 (4)不妄語:嘘をつかない。他の生き物を脅す粗暴の言葉を吐かない。 (5)不飲酒:酒を飲まない。 八戒斎(はっかいさい):斎戒(さいかい)、心の不浄を清めることを齋(さい)、身の過失非道を禁じることを戒という。在家の信者が月ごとに幾日か日を決めて身を潔斎すること。次の1~8を戒、9を齋という。 (1)不殺:生き物を殺さない。 (2)不盗:与えられない物を取らない。 (3)不婬:婬事をしない。 (4)不妄語:嘘をつかない。他の生き物を脅す粗暴の言葉を吐かない。 (5)不飲酒:酒を飲まない。 (6)身不塗飾香鬘:身に香を塗ったり、飾りを着けたりしない。 (7)不自歌舞、又不観聴歌舞:歌舞音曲を慎む。 (8)於高広之床座不眠坐:高広の大床に坐らない。 (9)不過中食:昼過ぎに食事をしない。 五逆(ごぎゃく):五つの重罪をいう。 提婆の五逆、同類の五逆等、多くの五逆が有るが、通常はこの三乗通相の五逆をいう。 (1)父を殺す。 (2)母を殺す。 (3)阿羅漢を殺す。 (4)仏身より血を出す。 (5)和合僧(わごうそう、教団)を破る。 注:衆の悪を作さず、出家を志す人である。 |
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行者臨命終時。阿彌陀佛與諸比丘眷屬圍繞。放金色光至其人所。演說苦空無常無我。讚歎出家得離眾苦 |
行者、命の終りに臨む時、阿弥陀仏、諸の比丘の眷属に囲遶され、金色の光を放ちてその人の所に至り、苦、空、無常、無我を演べ説いて、出家の衆の苦を離れ得ることを讃ず。 |
この、 行者の命の終わりの時に臨んで、 阿弥陀仏は、 諸の比丘、眷属たちに、囲遶(いにょう、取り囲む)されて、 金色の光を、放って、 その人の所に、至り、 苦(く、この世は苦である)、 空(くう、一切は本性無く空である)、 無常(むじょう、世間は常無く移り変わる)、 無我(むが、過去現在未来に亘る我は無い)を、演説し、 出家すれば、 衆の苦を離れることができると、讃歎する。 |
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行者見已心大歡喜。自見己身坐蓮花臺。長跪合掌為佛作禮。未舉頭頃即得往生極樂世界 |
行者見おわりて心大いに歓喜し、自ら己が身を見れば蓮花の台に坐れり。 長く跪(ひざまづ)いて合掌し、仏に礼を作せば、未だ頭を挙げざるの頃に、即ち極楽世界に往き生るるを得。 |
行者は、 これを見て、心が大いに歓喜し、 自らの身を見てみれば、すでに蓮花の台の上に坐っている。 長く跪(ひざまづ)いて合掌して、仏に礼を作し、 未だ頭を挙げない中に、 極楽世界に往生している。 |
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蓮花尋開。當華敷時。聞眾音聲讚歎四諦。應時即得阿羅漢道。三明六通具八解脫。是名中品上生者 |
蓮花、尋(つ、間もなく)いで開く。 華の敷(ひら)く時に当りて、衆の音声、四諦(したい、苦諦、苦集諦、苦滅諦、苦道諦)を讃歎するを聞き、時に応じて、即ち阿羅漢道の三明(さんみょう、宿命明、天眼明、漏尽明)と六通(ろくつう、天眼通、天耳通、他心知通、宿命通、身如意通、漏尽通)得て、八解脱(はちげだつ、貪著を捨てる八種の定力)を具う。 これを中品上生の者と名づく。 |
蓮花は、まもなく開く。 その華の開く時には、 人々の声が聞こえ、 四諦(したい、 苦諦(くたい、世間は苦である)、 集諦(じったい、苦の原因は貪り、瞋り、善悪を知らないこと)、 滅諦(めったい、苦の原因を滅すれば苦も滅する)、 道諦(どうたい、正しい方法で苦の原因を滅する))を、讃歎し、 その時、 この人は、 阿羅漢道(あらかんどう、小乗の涅槃に至る道)、 三明(さんみょう、自他の未来過去世を知り、一切の煩悩が尽きる)、 六通(ろくつう、身体能力が極限まで高まり、煩悩を断って自在を得る)を、得て、 八解脱(はちげだつ、貪著の心を捨てる八種の定力)を、具える。
これを、 中品上生の者という。
四諦(したい):四つの正しい見解。 (1)苦諦(くたい):この世に生存するということは苦しみである。(三界六趣の苦報)。 (2)集諦(じったい):原因は貪り、怒りのような煩悩と、善悪に拘わらず行う行為から生ずる。 (3)滅諦(めったい):原因を断てば、苦しみはなくなる。(『無我』を体得すれば苦しみはなくなる。) (4)道諦(どうたい):原因を断つためには、八正道に依ればよい。 八正道(はっしょうどう):正しい修行と生活の方法で次のものをいう。 (1)正見(しょうけん):苦集滅道の四諦の理を認めることをいい、八正道の基本となるものである。 (2)正思(しょうし):既に四諦の理を認め、なお考えて智慧を増長させること。 (3)正語(しょうご):正しい智慧で口業を修め、理ならざる言葉を吐かないこと。 (4)正業(しょうごう):正しい智慧で身業を修め、清浄ならざる行為をしないこと。 (5)正命(しょうみょう):身口意の三業を修め、正法に順じて生活すること。 (6)正精進(しょうしょうじん):正しい智慧でもって、涅槃の道を精進すること。 (7)正念(しょうねん):正しい智慧でもって、常に正道を心にかけること。 (8)正定(しょうじょう):正しい智慧でもって、心を統一すること。 三明(さんみょう):智慧の力で闇を照らす三種の神通力。羅漢の場合には三明といい、仏菩薩の場合には三達という。 (1)宿命明(しゅくみょうみょう):自他の過去世の生死の相を知る。 (2)天眼明(てんげんみょう):自他の未来世に於ける生死の相を知る。 (3)漏尽明(ろじんみょう):現在の苦の相を知り、一切の煩悩を尽くす智慧。 六通(ろくつう):阿羅漢の持つ六種の神通力。 (1)天眼通(てんげんつう):障害物を通して見ることができる。 (2)天耳通(てんにつう):障害物を通して聞くことができる。 (3)他心知通(たしんちつう):他人の心を知ることができる。 (4)宿命通(しゅくみょうつう):自他の過去世を知ることができる。 (5)身如意通(しんにょいつう):即時に何処にでも行ける等の極限的な身体の能力。 (6)漏尽通(ろじんつう):諸漏(ろ、煩悩)を断ち、無礙自在であること。 八解脱(はちげだつ):八種の定力により貪著の心を捨てるための八段階。 (1)色や形に対する想い(色想)が内心にあることを除くために、不淨観を修める。 (2)内心の色想が無くなっても、なお不浄観を修める。 (3)前の不淨観を捨て、外境の清らかな面を観じ、貪著の心を起こさないようにする。 (4)物質的な想いをすべて滅して、空無辺処定に入る。 (5)空無辺の心を捨てて、識無辺処定に入る。 (6)識無辺の心を捨てて、無所有処定に入る。 (7)無所有の心を捨てて、非想非非想処定に入る。 (8)受想等を捨て、心と心所(しんじょ、心の働き)を滅する滅尽定(めつじんじょう)に入る。 |
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中品中生者。若有眾生。若一日一夜持八戒齋。若一日一夜持沙彌戒。若一日一夜持具足戒。威儀無缺。以此功德。迴向願求生極樂國 |
中品中生とは、もし、ある衆生が、若しは一日一夜、八戒斎を持ち、もしは一日一夜、沙彌戒(しゃみかい、見習い比丘の戒、不殺生、不偸盗、不婬、不妄語、不飲酒、不著華鬘好香塗身、不歌舞倡伎亦不往観聴、不得坐高広大床上、不得非時食、不得捉銭金銀宝物)を持ち、もしは一日一夜、具足戒(ぐそくかい、比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒)を持ち、威儀(いぎ、立ち居振る舞い)欠くること無く、この功徳を以って廻向して極楽国に生るることを願い求む。 |
中品中生とは、 もし、ある衆生が、 もしは、一日一夜、八戒斎を持ち、 もしは、一日一夜、沙彌戒(しゃみかい、見習い比丘の戒)を持ち、 もしは、一日一夜、具足戒(ぐそくかい、比丘は二百五十戒、比丘尼は五百戒)を持ち、 威儀(いぎ、立ち居振る舞い)に欠ける所が無い。 この 功徳を廻向して、 極楽国に生まれることを 願い求める。
沙彌戒(しゃみかい):沙彌とは次の十戒を受けた二十歳未満の比丘をいう。 (1)生き物を殺さない。 (2)他の物を取らない。 (3)婬事をしない。 (4)嘘を言わない。 (5)酒を飲まない。 (6)身に装身具を着けたり、香を塗ったりしない。 (7)歌舞をせず、それを観聴することもしない。 (8)高広な大床に坐臥しない。 (9)午前中に一回のみ食する。 (10)金銭、宝物を持ち込まない。 具足戒(ぐそくかい):十戒の他に守る、比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒をいう。
注:仏の教えを信奉し悪を作さないことを願う人である。 |
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戒香薰修。如此行者命欲終時。見阿彌陀佛與諸眷屬放金色光。持七寶蓮花至行者前 |
戒香(かいこう、戒を好香に譬える)の薫修(くんしゅう、香が香るごとく戒を修める)する、かくの如き行者、命の終らんと欲する時、阿弥陀仏、諸の眷属と与(とも)に金色の光を放ち、七宝の蓮華を持ちて行者の前に至るを見る。 |
戒を修める香りが、 このように薫る行者は、 命の終ろうとする時に、 阿弥陀仏が、 諸の眷属と与に、 金色の、光を放って、 七宝の、蓮華を持ち、 行者の、前に至るのを見る。 |
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行者自聞空中有聲。讚言。善男子。如汝善人。隨順三世諸佛教故。我來迎汝 |
行者、自ら空中に声有るを聞くに、讃じて言わく、『善男子(ぜんなんし、男子に対する呼称)、汝が如き善人は、三世の諸仏の教えに随順するが故に、我来たりて汝を迎う。』と。 |
行者は、 自ら、 空中に声が有って、 讃えて言うのを聞く、 『善男子(ぜんなんし、男子に対する呼称)よ、 お前のような善人は、 三世の諸仏の教えに、随順している。 故に、 わたしは、 来て、お前を迎えよう。』と。 |
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行者自見坐蓮花上。蓮花即合。生於西方極樂世界 |
行者、自らを見れば、蓮花の上に坐れり。 蓮花、即ち合い、西方の極楽世界に於いて生る。 |
行者は、 自ら見てみると、蓮花の上に坐っている。 蓮花が、閉じると、 西方の極楽世界に 生まれる。 |
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在寶池中。經於七日蓮花乃敷。花既敷已。開目合掌讚歎世尊。聞法歡喜得須陀洹。經半劫已成阿羅漢。是名中品中生者 |
宝池の中に在りて、経ること七日に於いて蓮花、乃ち敷(ひら)かん。 花、すでに敷きおわれば、目を開き合掌して世尊を讃歎す。 法を聞き歓喜して須陀洹(しゅだおん、煩悩を断ち聖者の位の第一段階に入る)を得、半劫を経おわりて阿羅漢と成る。 これを中品中生の者と名づく。 |
宝の池の中で、 七日を経ると、ようやく蓮花が開く。
行者は、 花が開いたので、目を開き、 合掌して、世尊を讃歎し、 法を聞いて、歓喜し、 須陀洹(しゅだおん、煩悩を断った聖者の位の第一段階)を得、 半劫を経て、阿羅漢(あらかん、涅槃を得た聖者の最高位)と成る。
これを、 中品中生という。
四向四果(しこうしか):小乗における修行の階位。四段階あり、各位について修行をし終え結果の出た状態を果(か)といい、修行しつつある状態を向(こう)という。 (1)須陀洹(しゅだおん):三界の見惑(けんわく、根本的な煩悩のこと)を断ち終わって、無漏(むろ、煩悩がない)の聖者の流れに入り終わった位。この位を得ると、貪瞋癡(とんじんち)等の煩悩が断たれ、常楽我浄(じょうらくがじょう)の邪見を排することが出来る。 (2)斯陀含(しだごん):修惑(しゅわく、細々と残る具体的な煩悩のこと)を断ちつつある位。もう一度人間として生まれなくてはならない。 (3)阿那含(あなごん):修惑を完全に断ち終わった位。再び欲界に還ってこない位。 (4)阿羅漢(あらかん):一切の見惑と修惑を立ち尽くし涅槃(ねはん)に入って再び生まれない位。 |
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中品下生者。若有善男子善女人。孝養父母行世仁義 |
中品下生とは、もし、ある善男子(ぜんなんし、男子)善女人(ぜんにょにん、女子)、父母に孝養して世の仁義(にんぎ、慈悲と正義)を行う。 |
中品下生とは、 もし、 ある善男子(ぜんなんし、男子)、善女人(ぜんにょにん、女子)が、 父母に、孝養して、 世の、仁義(にんぎ、慈悲と正義)を行う。
注:世間的善人をいう。 |
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此人命欲終時遇善知識。為其廣說阿彌陀佛國土樂事。亦說法藏比丘四十八大願。聞此事已尋即命終。譬如壯士屈伸臂頃。即生西方極樂世界 |
この人、命の終らんと欲する時、善知識(ぜんちしき、善い友)、その(人の)為に広く阿弥陀仏の国土の楽しき事を説き、また宝蔵比丘(ほうぞうびく、修行中の阿弥陀仏の名)の四十八の大願を説くに遇う。 この事を聞きおわりて、尋(つ)いで即ち命終るに、譬えば、壮士(そうし、壮年の男子)、臂を屈伸する頃の如きに、即ち西方の極楽世界に生る。 |
この人が、 命の終ろうとする時、 たまたま、 善知識(ぜんちしき、善い友)に出会い、 この善い友は、 この人の為に、 詳しく、阿弥陀仏の国土の楽しい事を、説き、 また、 法蔵比丘(ほうぞうびく、阿弥陀仏の修行中の名)の 四十八の大願(たいがん、理想の国土の建設に当っての願い)を、説く。 この事を聞いて、 ようやく、命が終ると、 壮年の男子が臂を屈伸するほどの間に、 西方の極楽世界に生まれる。
注:善知識に遇うて初めて往生するというのは、世間の善のみ行って極楽世界を知らず、迴向しないが故である。 |
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生經七日遇觀世音及大勢至。聞法歡喜得須陀洹。過一小劫成阿羅漢。是名中品下生者 |
生まれて七日を経るに、観世音および大勢至に遇い、法を聞いて歓喜して須陀洹を得、一小劫を過ぎて阿羅漢と成る。 こえを中品下生の者と名づく。 |
生まれて、 七日を経ると、 観世音および大勢至に、遇い、 法を聞いて歓喜して、須陀洹を得、 一小劫を過ぎてから、 阿羅漢と成る。
これを、 中品下生の者という。 |
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是名中輩生想。名第十五觀。作是觀者名為正觀。若他觀者名為邪觀 |
これを中輩生想と名づけ、第十五観と名づく。 この観を作すをば名づけて正観と為し、他の観の若きをば名づけて邪観と為す。 |
これを、 中輩生想といい、 第十五観という。
このように観るをば、 正観といい、 他の物を観るをば、 邪観という。 |
第十六観、下輩生想
佛告阿難及韋提希。下品上生者。或有眾生作眾惡業。雖不誹謗方等經典。如此愚人。多造惡法無有慚愧 |
仏、阿難および韋提希に告げたまわく、―― 下品上生とは、或は、ある衆生、衆の悪業を作し、方等経典を誹謗せずといえども、かくの如き愚人は多く悪法(あくほう、悪事)を造りて、慚愧(ざんき、恥ずかしく思うこと)有ること無し。 |
仏は、阿難および韋提希に教えられた、―― 下品下生とは、或(あるい、例えば)は、 ある衆生は、 衆の悪業を作す。 方等経典を誹謗はしないが、 多くの悪事を作しながら、 慚愧(ざんき、恥ずかしく思うこと)しようとしない。
注:これは総じて普通の悪人を指し、とりわけて頻婆娑羅王、韋提希夫人の両人を指す。 |
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命欲終時遇善知識。為讚大乘十二部經首題名字。以聞如是諸經名故。除卻千劫極重惡業。智者復教合掌叉手。稱南無阿彌陀佛。稱佛名故。除五十億劫生死之罪 |
命の終らんと欲する時、善知識、(その人の)為に大乗の十二部経(じゅうにぶきょう、仏経の総称、十二部に分ける)の首題の名字を讃うに遇う。 かくの如き諸の経の名を聞くを以っての故に、千劫の極重の悪業を除き却(さ)る。 智者(ちしゃ、善知識)は、また合掌叉手することを教えて、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、阿弥陀仏に帰依する)と称えしめ、仏の名を称うるが故に五十億劫の生死の罪を除く。 |
この人の、 命が終ろうとする時、 たまたま、 善知識(ぜんちしき、善い友)に出会い、 その善い友は、 その人の為に、 大乗の十二部経(じゅうにぶきょう、経の総称)の、題名を讃える。 その人は、 このような 諸の経の名を聞くが故に、 千劫の極めて重い、 悪業が除かれる。 その善い友は、また、 合掌叉手することを教えて、 『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、阿弥陀仏に帰依する)』と称えさせる。 その人は、また 仏の名を称えるが故に、 五十億劫の生死の罪が除かれる。
十二部経(じゅうにぶきょう):仏教の経典を十二に分類したもの。 (1)修多羅(しゅたら):契経(けいきょう)、仏の直接の説法で長文のもの。 (2)祇夜(ぎや):応頌(おうじゅ)、長行(ちょうごう)という散文の説法に同じ意の韻文を重ねたもの。 (3)伽陀(かだ):諷頌(ふじゅ)、長行がなく韻文だけのもの。 (4)尼陀那(にだな):因縁、説法の因縁、諸経の序品。 (5)伊帝曰多伽(いていわつたか):本事、如是語ともいい、弟子の前世の因縁。 (6)闍多伽(じゃたか):本生、仏の過去世の因縁。 (7)阿浮達摩(あぶだつま):未曽有、仏の種々の神力等、不思議の事。 (8)阿波陀那(あばだな):譬喩、経中に譬喩を説く部分。 (9)優婆提舎(うばだいしゃ):論議、法理について論議問答。 (10)優陀那(うだな):自説、問われずに仏が自ら説きだされたもの。例えば阿弥陀経。 (11)毘仏略(びぶつりゃく):方広、方正広大なる真理。 (12)和伽羅(わから):授記、仏が弟子に将来の成仏を告げること。
注:下輩の三品は、皆、自力にて改心かなわず、善知識に遇うて往生することを記憶すべし。 注:善知識に遇うのは、皆、命の終る時に臨んでであることを記憶すべし。 注:下輩の三品は、皆、『仏告阿難及韋提希』の句有ることを記憶すべし。 注:下品上生は、韋提希と頻婆娑羅を想定する。 注:下品中生は、提婆達多を想定する。 注:下品下生は、阿闍世を想定する。 注:千劫と五十億劫の差異は、聞くと称える、経の名と仏の名の違いに因る。 |
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爾時彼佛。即遣化佛化觀世音化大勢至。至行者前。讚言善哉善男子。汝稱佛名故諸罪消滅。我來迎汝 |
その時、彼の仏、即ち化仏、化観世音、化大勢至を遣わして、行者の前に至らしめ、讃じて言わしむ、『善きかな、善男子、汝、仏の名を称うるが故に、諸罪消滅し、我来たりて汝を迎う。』と。 |
その時、 彼の仏は、 化仏、化観世音、化大勢至を遣わし、 行者の前にて、讃じて言わせる、 『お前は、 仏の名を称えた。 その故に、 諸の罪は生滅したので、 わたしは、 来て、お前を迎えよう。』と。 |
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作是語已。行者即見化佛光明遍滿其室。見已歡喜即便命終。乘寶蓮花。隨化佛後生寶池中 |
この語を作しおわるに、行者、即ち化仏を見れば、光明その室に遍満す。 見おわりて歓喜し、即ち便ち命終り、宝の蓮花に乗りて、化仏の後に随い宝池の中に生る。 |
これを聞いた、 行者は、 化仏の光明が、その室に遍満するのを見る。 それを見て、 歓喜して、命が終ると、 宝の、蓮花に乗り、 化仏の、後に随って、 宝池の中に、生まれる。 |
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經七七日蓮花乃敷。當花敷時。大悲觀世音菩薩。及大勢至菩薩。放大光明住其人前。為說甚深十二部經。聞已信解發無上道心。經十小劫。具百法明門。得入初地。是名下品上生者 |
七七日を経て蓮花乃ち敷き、花の敷く時に当りて、大悲観世音菩薩、および大勢至菩薩、大光明を放ちてその人の前に住まり、為に甚だ深き十二部の経を説く。 聞きおわりて信じ解して無上道の心を発し、十小劫を経て、百法明門を具え、初地に入ることを得。 これを下品上生の者と名づく。 |
七七日を経ると、蓮花が開く。 その時、 大悲観世音菩薩および大勢至菩薩は、 大光明を放って、 その人の、前に住まり、 その人の、為に、 甚だ深い、十二部経を説く。 その人は、 それを聞いて、 信じて、理解し、 無上道の、心を発す。 十小劫を経て、 百法明門を具え、 菩薩の初地に入ることができる。
これを、 下品上生の者という。 |
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得聞佛名法名及聞僧名。聞三寶名即得往生 |
仏の名と法の名とを聞くを得て、僧(そう、観世音等)の名を聞くに及ぶ。 三宝(さんぽう、仏法僧)の名を聞かば、即ち往生することを得るなり。 |
仏の名と法の名とを聞くことができれば、 僧(そう、観世音菩薩等)の名を聞くに及ぶ。 三宝(さんぽう、仏宝、法宝、僧宝)の名を聞けば、 たちまち、 往生することができる。
注:他本には、この段無し。 或は後世の補筆か。 但し、善導の観経疏にはこの文句有り。 |
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佛告阿難及韋提希。下品中生者。或有眾生。毀犯五戒八戒及具足戒 |
仏、阿難および韋提希に告げたまわく、―― 下品中生とは、或は、ある衆生、五戒八戒および具足戒を毀犯(きぼん、犯す)す。 |
仏は、阿難および韋提希に教えられた、―― 下品中生とは、或は ある衆生は、 五戒、八戒、および具足戒を犯す。 |
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如此愚人。偷僧祇物盜現前僧物。不淨說法無有慚愧。以諸惡法而自莊嚴。如此罪人。以惡業故應墮地獄 |
かくの如き愚人は、僧祇(そうぎ、教団)の物を偸(ぬす)み、現前僧物(げんぜんそうもつ、地域ごとの一一の僧団に属する物)を盗み、不浄に法を説いて慚愧すること有ること無く、諸の悪法を以って自ら荘厳す。 かくの如き罪人、悪業を以っての故にまさに地獄に堕つべし。 |
このような、 愚人は、 僧祇物(そうぎもつ、教団に所属する物)を、盗み、 現前僧物(げんぜんそうもつ、地域の僧衆団に所属する物)を、盗み、 不浄な身でありながら、 人々に、法を説いて、 慚愧するようなこともない。 諸の悪事で、 自らを、荘厳(しょうごん、飾り立てる)するのである。
このような、 罪人は、 悪業の故に、 必ず、地獄に堕ちる。
僧(そう):僧伽(そうが)、僧祇(そうぎ)、四方僧伽、仏教の教団をいう。 現前僧(げんぜんそう):現前僧伽、地域地域にある一一の比丘の集団、または比丘尼の集団をいう。 注:ここでは悪比丘、悪僧、とりわけ提婆達多をいう。 |
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命欲終時。地獄眾火一時俱至。遇善知識以大慈悲。即為讚說阿彌陀佛十力威德。廣讚彼佛光明神力。亦讚戒定慧解脫解脫知見 |
命の終らんと欲する時、地獄の衆の火、一時に倶に至れるに、善知識、大慈悲を以って、即ち為に阿弥陀仏の十力(じゅうりき、仏の十の智慧)の威徳を讃じて説き、広く彼の仏の光明の神力を讃え、また戒定慧解脱解脱知見(かいじょうえげだつげだつちけん、法身仏の五分)を讃うに遇う。 |
この人の、 命が終ろうとする時、 地獄の衆の火は、 一時に、襲いかかろうとするが、 たまたま、 善知識に会うことができる。 その 善知識は、 大慈悲を起して見放すことなく、 その人の為に、 阿弥陀仏の、 十力(じゅうりき、仏の智慧)の威徳(いとく、威力)を、讃えて説き、 彼の仏の、 光明の神力(じんりき、不思議な力)を、詳しく説き、 戒(かい、仏の無漏の身口意の三業)、 定(じょう、仏の無限の禅定)、 慧(え、仏の無量の智慧)、 解脱(げだつ、仏の無礙自在)、 解脱知見(げだつちけん、仏の境地を楽しむ)を讃える。
十力(じゅうりき):仏の持つ十の智慧。 (1)物ごとの道理と非道理を知る智力。処は道理のこと。 (2)一切の衆生の三世の因果と業報を知る智力。 (3)諸の禅定と八解脱と三三昧を知る智力。 (4)衆生の根力の優劣と得るところの果報の大小を知る智力。 根とは能く生ずることをいい、何かを生み出す能力のこと。 (5)一切衆生の理解の程度を知る智力。 (6)世間の衆生の境界の不同を如実に知る智力。 (7)五戒などの行により諸々の世界に趣く因果を知る智力。 (8)過去世の事を如実に知る智力。 (9)天眼を以って衆生の生死と善悪の業縁を見通す智力。 (10)煩悩をすべて断ち永く生まれないことを知る智力。 五分法身(ごぶんほっしん):仏の法身は、常に五種の功徳が集まる。 (1)戒(かい):如来の身口意の三業は、一切の過を離れる。 (2)定(じょう):如来の心は寂静にして、一切の妄念を離れる。 (3)慧(え):如来の真智は、一切の本性を観達する。 (4)解脱(げだつ):如来の身心は、一切の繫縛(けばく、束縛)を解脱する。 (5)解脱知見(げだつちけん):如来は、すでに一切の繫縛を解脱したことを知る。 |
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此人聞已除八十億劫生死之罪。地獄猛火化為涼風。吹諸天華。華上皆有化佛菩薩。迎接此人。如一念頃。即得往生七寶池中蓮花之內 |
この人、聞きおわりて八十億劫の生死の罪を除けば、地獄の猛火は化して涼風と為り、諸の天華を吹く。 華上には、皆、化仏菩薩有りて、この人を迎接(ぎょうしょう、迎え入れる)す。 一念(いちねん、一瞬)の頃の如きに、即ち往きて七宝の池の中の蓮花の内に生るることを得。 |
この人は、 これを聞いて、 八十億劫の生死の、罪が除かれ、 地獄の猛火は、 涼風に化して、 諸の天華を吹き上げる。 一一の華の上には、皆、 化仏、化菩薩がいて、 この人を、 迎え入れると、 一念(いちねん、一瞬)の間に、 七宝の池の中の蓮花の内に、 往生している。 |
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經於六劫蓮花乃敷當華敷時。觀世音大勢至。以梵音聲安慰彼人。為說大乘甚深經典。聞此法已。應時即發無上道心。是名下品中生者 |
経ること六劫に於いて、蓮花乃ち敷き、華の敷く時に当りて、観世音と大勢至、梵音声(ぼんおんじょう、浄い声)を以って彼の人を安んじ慰めて、為に大乗の甚だ深き経典を説く。 この法を聞きおわるに、時に応じて、即ち無上道の心を発す。 これを下品中生の者と名づく。 |
六劫を経て蓮花が開くと、 その時、 観世音と大勢至は、 浄らかな声で、 安んじ慰めて、 その人の為に 大乗の甚だ深い経典を説く。 この人は、 それを聞くと、すぐさま 無上道の心を発す。
これを、 下品中生の者という。
注:華が開くまでの時間が極めて長いことを記憶せよ。 |
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佛告阿難及韋提希。下品下生者。或有眾生作不善業五逆十惡。具諸不善 |
仏、阿難および韋提希に告げたまわく、―― 下品下生とは、或は、ある衆生、不善の業の五逆、十悪(じゅうあく、殺生、偸盗、邪淫、妄語、両舌、悪口、綺語、貪欲、邪見)を作し、諸の不善を具う。 |
仏は、阿難および韋提希に教えられた、―― 下品下生とは、或は、 ある衆生は、 不善の業、 五逆(ごぎゃく、極重の悪罪、 父を殺す、 母を殺す、 阿羅漢を殺す、 仏身より血を出す、 和合僧(わごうそう、教団)を破戒する)、 十悪(じゅうあく、人がよく作す十の悪業、 生き物を殺す、 盗む、 他人の女房を取る、 嘘をつく、 両者に異なる事を言って仲を悪くさせる、 粗暴な言葉を吐く、 冗談、卑猥な語を言う、 貪る、 瞋り、嫉妬する、 因果の道理を信じない)を犯し、 諸の不善(ふぜん、悪事)を具える。
十悪業(じゅうあくごう):十悪とは次のものをいう。 (1)殺生(せっしょう):生き物を殺す。 (2)偸盗(ちゅうとう):与えられないものを取る。 (3)邪婬(じゃいん):他人の女房を取る。 (4)妄語(もうご):嘘とか戯言を言う。 (5)両舌(りょうぜつ):二枚舌。相手によって言うことを変える。 (6)悪口(あっく):粗暴な言葉使い。 (7)綺語(きご):猥雑、猥褻の語。戯れ言(ざれこと)、冗談。 (8)貪欲(とんよく):貪ること。 (9)瞋恚(しんに):怒り。 (10)邪見(じゃけん):正しい因果を信ぜずに偏った福を信ずる。 |
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如此愚人以惡業故。應墮惡道經歷多劫受苦無窮 |
かくの如き愚人は、悪業を以っての故に、まさに悪道(あくどう、地獄、餓鬼、畜生)に堕ちて、経歴すること多劫に苦を受けて窮まり無かるべし。 |
このような、 愚人は、 悪業の故に、 必ず、 多劫に亘って、 悪道(あくどう、地獄、餓鬼、畜生)を経巡り、 苦を受けて、窮まりが無い。 |
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如此愚人臨命終時。遇善知識種種安慰為說妙法教令念佛。彼人苦逼不遑念佛 |
かくの如き愚人、命の終る時に臨んで、善知識、種種に安んじ慰めて為に妙法を説き、教えて仏を念ぜしむれども、彼の人は、苦逼(せま)りて仏を念ずるに遑(いとま)あらず。 |
このような、 愚人の命が終る時、 たまたま、 善知識に会い、 その善知識は、 種種に安んじて慰め、 その人の為に、 妙法を説き、 仏を念ずることを教えるが、 その人は、 苦が逼迫して、 仏を念ずる暇がない。 |
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善友告言。汝若不能念彼佛者。應稱歸命無量壽佛。如是至心令聲不絕。具足十念稱南無阿彌陀佛。稱佛名故。於念念中。除八十億劫生死之罪 |
善き友の告げて言わく、『汝、もし彼の仏を念ずること能わずば、まさに『無量寿仏に帰命す。』と称(とな)うべし。』と。 かくの如くに、至心(ししん、真心から)に声をして絶えざらしめ、十たび念じて『南無阿弥陀仏』と称えしむるに、仏の名を称うるが故に、念念の中に於いて、八十億劫の生死の罪を除く。 |
善い友は、この人に教えて言う、 『お前、 もし、 彼の仏を念ずることができなければ、 ただ、 『無量寿仏に帰命する』とだけ称えよ。』と。 このようにして、 真心から、 声を絶えさせずに、 十たび、 『南無阿弥陀仏』と念じ(声に出して言う)て称えさせる。 この人は、 仏の名を称えるが故に、 念念(ねんねん、声声)の中に、 八十億劫の生死の罪が除かれるのである。
注:この段の念は、明らかに『声に出して言う』ことである。 |
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命終之時見金蓮花猶如日輪住其人前。如一念頃即得往生極樂世界 |
命の終わりの時、金の蓮花を見れば、なお日輪のその人の前に住まるが如し。 一念の頃の如きに、即ち極楽世界に往きて生るることを得。 |
命の終りの時には、 金の蓮花が、 日輪のように耀いて、 その人の前に住まるのを見、 一念の間に、 極楽世界に往生している。 |
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於蓮花中滿十二大劫。蓮花方開。當花敷時。觀世音大勢至以大悲音聲。即為其人廣說實相除滅罪法。聞已歡喜。應時即發菩提之心。是名下品下生者 |
蓮花の中に於いて十二大劫に満ち、蓮花、まさに開くべし。 花の敷く時に当りて、観世音と大勢至、大悲の音声を以って、即ちその人の為に、広く実相と罪を除滅する法を説けば、聞きおわりて歓喜し、時に応じて、即ち菩提(ぼだい、仏の境地を得んとすること)の心を発す。 これを下品下生と名づく。 |
蓮花の中で、 十二大劫を満たすと、蓮花は開き、 その時、 観世音と大勢至は、 大悲の声を挙げて、 その人の為に、詳しく 実相と、 罪を除く法とを、説く。 この人は、 それを聞いて、歓喜し、 ただちに、 菩提(ぼだい、仏の境地を得ようとすること)の、心を発す。
これを、 下品下生の者という。 |
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是名下輩生想。名第十六觀 |
これを下輩生想と名づけ、第十六観と名づく。 |
これを、 下輩生想といい、 第十六観という。 |
流 通 得 益 分
阿難、経と阿弥陀仏の名を付属される
爾時世尊說是語時。韋提希與五百侍女。聞佛所說。應時即見極樂世界廣長之相。得見佛身及二菩薩。心生歡喜歎未曾有。豁然大悟得無生忍。五百侍女發阿耨多羅三藐三菩提心。願生彼國 |
その時、世尊この語を説きたまいし時、韋提希、五百の侍女と与に、仏の説きたまいし所を聞き、時に応じて即ち極楽世界の広長の相を見、仏の身および二菩薩を見ることを得て、心に歓喜を生じて未曾有なるを歎じ、豁然(かつねん、目の前がぱっと開ける)として大悟し、無生忍(むしょうにん、万物は空にして生滅無しと悟ること)を得。 五百の侍女は阿耨多羅三藐三菩提心を発して、彼の国に生まれんことを願えり。 |
その時、 世尊が、この語をお説きになった時、 韋提希は、 五百の侍女と与に、 仏によって説かれた事を聞き、 すぐさま、 極楽世界の広々とした様相を見、 仏の身と、二菩薩の身を見ることができて、 心に、歓喜を生じ、 未だかつて見たことのないものを、褒め讃え、 目の前がぱっと開けたように、 大悟(たいご、悟ること)して、 無生忍(むしょうにん、万物は空であり、生滅することは無いと悟ること)を得た。 五百の侍女は、 阿耨多羅三藐三菩提心を発して、 彼の国に生まれることを願った。 |
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世尊悉記皆當往生。生彼國已。獲得諸佛現前三昧。無量諸天發無上道心 |
世尊は、悉く、『皆、まさに往生すべし。 彼の国に生まれおわりて、諸仏現前三昧(しょぶつげんぜんさんまい、諸仏を目の当たりに見る三昧)を獲得せん。』と記したまい、無量の諸天は無上道の心を発しぬ。 |
世尊は、 悉くに、 『皆は、 必ず、往生するだろう。 彼の国に生まれたならば、 諸仏現前三昧(しょぶつげんぜんさんまい、諸仏を目の当たりに見る三昧)を 獲得するだろう。』と、 記を授けられ、 無量の諸天は、 無上道の心を発した。 |
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爾時阿難。即從座起前白佛言。世尊。當何名此經。此法之要當云何受持 |
その時、阿難、即ち座より起ちて前(すす)み、仏に白して言さく、『世尊、まさに何んがこの経を名づけん。 この法の要(よう、要旨)は、まさに云何が受持すべし。』と。 |
その時、 阿難は、すぐさま 座を起って前に進み、仏に申した、 『世尊、 この経の名は、云何がいたしましょうか。 この法の 要旨をば、 何のように 受持すればよろしいのでしょうか。』と。 |
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佛告阿難。此經名觀極樂國土無量壽佛觀世音菩薩大勢至菩薩。亦名淨除業障生諸佛前 |
仏、阿難に告げたまわく、『この経は、『極楽国土の無量寿仏、観世音菩薩、大勢至菩薩を観る』と名づけ、『浄く業障(ごっしょう、悪業の障り)を除いて諸仏の前に生る』と名づく。 |
仏は阿難に教えられた、―― この経は、 『極楽国土の無量寿仏、観世音菩薩、大勢至菩薩を観る』と名づけ、 『浄く業障(ごっしょう、悪業の障り)を除いて諸仏の前に生まれる』と名づけよ。 |
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汝等受持無令忘失。行此三昧者。現身得見無量壽佛及二大士 |
汝等、受持して忘失せしむること無かれ。 この三昧を行わば、現身(げんしん、生身)にて無量寿仏および二大士(だいじ、大菩薩)を見ることを得ん。 |
お前たちは、 受持して、忘失してはならない。 この三昧(さんまい、一心になること)を行えば、 現身(げんしん、生身)にて、 無量寿仏、および二大士(だいじ、大菩薩)を 見ることができよう。 |
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若善男子及善女人。但聞佛名二菩薩名。除無量劫生死之罪。何況憶念 |
もし、善男子および善女人、ただ仏の名と二菩薩の名を聞くにさえ、無量劫の生死の罪を除く、何をか況や憶念(おくねん、記憶して常に心にかけること)せんをや。 |
もし、 善男子、および善女人が、 ただ、 仏の名を聞き、 二菩薩の名を聞くにさえ、 無量劫の生死の罪を除く、 その名を、 憶念(おくねん、記憶して常に心にかけること)すれば、 尚更であろう。 |
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若念佛者。當知此人即是人中芬陀利花。觀世音菩薩大勢至菩薩。為其勝友。當坐道場生諸佛家 |
念仏する者の若きは、まさに知るべし、この人は即ちこれ人中の芬陀利花(ふんだりけ、白蓮華)なり。 観世音菩薩、大勢至菩薩が、その勝れた友と為り、まさに道場に坐して諸仏の家に生るべし。』と。 |
もし、 念仏する者がいれば、 必ず、 『この人は、これは 人中の芬陀利花(ふんだりけ、白蓮華)である。』と 知らなければならない。 この人には、 観世音菩薩と大勢至菩薩とが、その勝れた友と為り、 必ず、 道場に坐すことができ、 諸仏の家に生まれることができよう。 |
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佛告阿難。汝好持是語。持是語者即是持無量壽佛名 |
仏、阿難に告げたまわく、『汝、好くこの語を持(たも)て、この語を持てとは、即ちこれ無量寿仏の名を持つなり。』と。 |
仏は、阿難に教えられた、 『お前は、 好く、 この語を、忘れずに持(たも)て、 この語を持つとは、とりもなおさず、 これは、 無量寿仏の名を持つことである。』と。 |
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佛說此語時。尊者目連。尊者阿難。及韋提希等。聞佛所說。皆大歡喜 |
仏、この語を説きたまいし時、尊者目連、尊者阿難、および韋提希等、仏の説きたまいし所を聞き、皆、大いに歓喜せり。 |
仏が、この語を説かれた時、 尊者目連、尊者阿難、および韋提希等は、 仏によって説かれた事を聞き、 皆、大いに歓喜した。 |
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爾時世尊。足步虛空還耆闍崛山 |
その時、世尊、足にて虚空を歩み、耆闍崛山に還りたもう。 |
その時、 世尊は、 足にて、虚空を歩き、 耆闍崛山に 還られた。 |
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爾時阿難。廣為大眾說如上事。無量人天龍神夜叉。聞佛所說皆大歡喜禮佛而退
佛說觀無量壽佛經 |
その時、阿難は、広く大衆の為に上の如き事を説き、無量の人天、龍神、夜叉は、仏の説きたまいし所を聞き、大いに歓喜して仏に礼して退けり。
仏説観無量寿仏経 |
その時、 阿難は、 詳しく、大衆の為に、 上のような事を説き、 無量の人天、龍神、夜叉は、 仏によって説かれた事を聞いて、 皆、 大いに歓喜し、 仏に礼をして、 退いた。
仏説観無量寿仏経 |
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