巻第九十九(上)
大智度論釋曇無竭品第八十九
1.【經】曇無竭菩薩の説法
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大智度論釋曇無竭品第八十九(卷第九十九)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】曇無竭菩薩の説法

【經】爾時曇無竭菩薩摩訶薩語薩陀波崙菩薩言。善男子。諸佛無所從來。去亦無所至。何以故。諸法如不動相。諸法如即是佛。 爾の時、曇無竭菩薩の薩陀波崙菩薩に語りて言わく、『善男子、諸仏は従って来たる所無く、去りて亦た至る所無し。何を以っての故に、諸法の如は不動の相なれば、諸法の如は即ち是れ仏なればなり。
爾の時、
『曇無竭菩薩摩訶薩』は、
『薩陀波崙菩薩に語って!』、こう言った、――
善男子!
『諸仏』には、
『従来する所が無く( have not anywhere having come from )!』、
『去って至る所も無い( and not anywhere to go to )!』。
何故ならば、
『諸法の如は、不動相であり!』、
『諸法の如』が、
『即ち、仏だからである!』。
  従来(じゅうらい):~より来た( coming from )。
善男子。無生法無來無去。無生法即是佛。無滅法無來無去。無滅法即是佛。實際法無來無去。實際法即是佛。空無來無去。空即是佛。 善男子、無生の法には来無く、去無ければ、無生の法は即ち是れ仏なり。無滅の法は来無く、去無ければ、無滅の法は即ち是れ仏なり。実際の法には来無く、去無ければ、実際の法は即ち是れ仏なり。空には来無く、去無ければ空は即ち是れ仏なり。
善男子!
『無生の法には来、去が無く!』、
『無生の法』は、
『即ち、仏である!』。
『無滅の法には来、去が無く!』、
『無滅の法』は、
『即ち、仏である!』。
『実際の法には来、去が無く!』、
『実際の法』は、
『即ち、仏である!』。
『空には来、去が無く!』、
『空』は、
『即ち、仏である!』。
善男子。無染無來無去。無染即是佛。寂滅無來無去。寂滅即是佛。虛空性無來無去。虛空性即是佛。 善男子、無染には来無く、去無ければ、無染は即ち是れ仏なり。寂滅は来無く、去無ければ、寂滅は即ち是れ仏なり。虚空の性には来無く、去無ければ、虚空の性は即ち是れ仏なり。
善男子!
『無染には来、去が無く!』、
『無染』は、
『即ち、仏である!』。
『寂滅には来、去が無く!』、
『寂滅』は、
『即ち、仏である!』。
『虚空の性には来、去が無く!』、
『虚空の性』は、
『即ち、仏である!』。
善男子。離是諸法更無佛。諸佛如諸法如。一如無分別。善男子。是如常一無二無三出諸數法。無所有故。譬如春末月日中熱時。有人見焰動。逐之求水望得。於汝意云何。是水從何池何山何泉來。今何所去。若入東海西海南海北海耶。 善男子、是の諸法を離るれば更に仏無く、諸仏の如と諸法の如とは一如にして分別無し。善男子、是の如の常に一にして二無く、三無く、諸の数法を出づるは無所有なるが故なり。譬えば春の末月の日中の熱き時に、有る人は焰の動くを見て、之を逐い、水を求めて得んことを望むが如きに、汝が意に於いて云何、是の水は何れの池、何れの山、何れの泉よりか来たるや。今何所にか去らんや。若しは東海、西海、南海、北海に入らんや。
善男子!
是の、
『諸法を離れれば!』、
更に、
『仏』は、
『無く!』、
『諸仏の如、諸法の如』は、
『一如であって!』、
『分別が無い( there is no difference )!』。
善男子!
是の、
『如は、常に一であり!』、
『二も、三も無く!』、
『諸の数法を出たものである( being beyond calculation )!』。
何故ならば、
『如』には、
『所有が無い( it has not any entity )からである!』。
譬えば、
『春の末月(4月)の日中の熱時』に、
有る、
『人』が、
『焰が動く!』のを、
『見て!』、
是の、
『焰を逐って!』、
『水を求めて!』、
『得ようと望んだとすれば!』、
お前の意には、何うなのか?――
是の、
『水』は、
何のような、
『池や、山や、泉から!』、
『来て!』、
今、何所へ去って、
『東海や、西海、南海、北海』に、
『入るのだろうか?』。
  数法(しゅほう)、(しゅ):梵語 gaNana の訳、数える/計算する/列挙すること( counting, calculation, anumerating, reckoning )の義。
薩陀波崙言。大師。焰中尚無水。云何當有來處去處。 薩陀波崙の言わく、『大師、焰中には尚お水無し。云何が当に来処、去処有るべきや』、と。
『薩陀波崙』は、こう言った、――
大師!
『焰』中には、
尚お、
『水すら!』、
『無い!』のに、
何故、
『来、去する処』が、
『有るのですか?』、と。
曇無竭菩薩語薩陀波崙菩薩言。善男子。愚夫無智為熱渴所逼。見焰動無水生水想。 曇無竭菩薩の薩陀波崙菩薩に語りて言わく、『善男子、愚夫の無智は熱、渇の為めに逼らるれば、焰の動くを観て、水無きに水想を生ずるなり。
『曇無竭菩薩』は、
『薩陀波崙菩薩に語って!』、こう言った、――
善男子!
『愚夫は無智だから!』、
『熱や、渇に逼られて!』、
『焰が動くのを見る!』と、
『水が無くても!』、
『水想を生じるのである!』。
善男子。若有人分別諸佛有來有去。當知是人皆是愚夫。何以故。善男子。諸佛不可以色身見。諸佛法身無來無去。諸佛來處去處亦如是。 善男子、若し有る人諸仏を分別して来有り、去有れば、当に知るべし、是の人は皆是れ愚夫なり。何を以っての故に、善男子、諸仏は色身を以って見るべからず。諸仏の法身には来無く、去無ければなり。諸仏の来処、去処も亦た是の如し。
善男子!
若し、
有る、
『人』が、
『諸仏にも来、去が有る!』と、
『分別すれば!』、
是の、
『人』は、
『皆、愚夫である!』と、
『知らねばならない!』。
何故ならば、
善男子!
『諸仏』は、
『色身を用いて!』、
『見るべきではなく!』、
『諸仏の法身』には、
『来、去』が、
『無く!』、
『諸仏の来処や、去処』も、
是のように、
『無いからである!』。
善男子。譬如幻師幻作種種若象若馬若牛若羊若男若女。如是等種種諸物。於汝意云何。是幻事從何處來。去至何所。薩陀波崙菩薩言。大師。幻事無實。云何當有來去處。善男子。是人分別佛有來有去亦如是。 善男子、譬えば幻師の幻作せる種種の若しは象、若しは馬、若しは牛、若しは羊、若しは男、若しは女、是れ等の如き種種の諸物の如し。汝が意に於いて云何、是の幻事は何処より来たり、去りて何所にか至るや。薩陀波崙菩薩の言わく、『大師、幻事には実無ければ、云何が当に来、去の処有るべきや』、と。善男子、是の人の仏に来有り、去有りと分別するも亦た是の如し。
善男子!
譬えば、
『幻師』が、
『種種の象や、馬、牛、羊や、男や、女のような!』、
是れ等のような、
『種種の諸物』を、
『幻作したとして!』、
お前の意には、何うなのか?――
是の、
『幻事』は、
『何処より来て!』、
『何処へ去って至るのか?』。
『薩陀波崙菩薩』は、こう言った、――
大師!
『幻事には、実が無いのに!』、
何故、
『来、去する処』が、
『有るのですか?』、と。
――
善男子!
是の、
『人』が、
『仏には来、去が有る!』と、
『分別する!』のも、
『是の通りなのである!』。
善男子。譬如夢中見若象若馬若牛若羊若男若女。於汝意云何。夢中所見有來處有去處不。薩陀波崙言。大師。是夢中所見虛妄。云何當有來去。善男子。是人分別佛有來有去亦如是。 善男子、譬えば夢中に見る若しは象、若しは馬、若しは牛、若しは羊、若しは男、若しは女の如し。汝が意に於いて云何、是の夢中に所見には来処有り、去処有りや不や。薩陀波崙菩薩の言わく、『大師、是の夢中の所見は虚妄なれば、云何が当に来、去の処有るべきや』、と。善男子、是の人の仏に来有り、去有りと分別するも亦た是の如し。
善男子!
譬えば、
『夢』中に、
『象や、馬、牛、羊や、男や、女を!』、、
『見たとして!』、
お前の意には、何うなのか?――
『夢中の所見』には、
『来、去する処』が、
『有るのだろうか?』。
『薩陀波崙菩薩』は、こう言った、――
大師!
是の、
『夢中の所見は、虚妄なのに!』、
何故、
『来、去』が、
『有るのですか?』、と。
――
善男子!
是の、
『人』が、
『仏には来、去が有る!』と、
『分別する!』のも、
『是の通りなのである!』。
  参考:『大般若経巻400』:『善男子。於意云何。夢所見佛為從何來去何所至。常啼答言。夢中所見皆是虛妄都非實有。如何可說有來去處。法涌菩薩語常啼言。如是如是如汝所說。執夢所見有來去者。當知彼人愚癡無智。若謂如來應正等覺有來有去亦復如是。當知是人愚癡無智。何以故。善男子。一切如來應正等覺。不可以色身見。夫如來者即是法身。善男子。如來法身即是諸法真如法界。真如法界既不可說有來有去。如來法身亦復如是無來無去。又善男子。一切如來應正等覺說一切法如夢所見。如變化事。如尋香城光影響像幻事陽焰。皆非實有。若於如是諸佛所說甚深法義。不如實知執如來身是名是色有來有去。當知彼人迷法性故。愚癡無智流轉諸趣受生死苦。遠離般若波羅蜜多。亦復遠離一切佛法。若於如是諸佛所說甚深法義。能如實知不執佛身是名是色。亦不謂佛有來有去。當知彼人於佛所說甚深法義如實解了。不執諸法有來有去有生有滅有染有淨。由不執故能行般若波羅蜜多。亦能勤修一切佛法。則為鄰近所求無上正等菩提。亦名如來真淨弟子。終不虛受國人信施。能與一切作良福田。應受世間人天供養』
善男子。佛說諸法如夢。若有眾生不知是諸法義以名字色身著佛。是人分別諸佛有來有去。不知諸法實際相故。皆是愚夫無智之數。是人數數往來五道。遠離般若波羅蜜。遠離諸佛法。 善男子、仏は諸法を夢の如しと説けるも、若し有る衆生は是の諸法の義を知らずして、名字、色身を以って仏に著すれば、是の人は諸仏に来有り、去有りと分別するも、諸法の実際の相を知らざるが故に、皆是れ愚夫にして無智の数なり。是の人の数数(しばしば)五道を往来するは、般若波羅蜜を遠離し、諸仏の法を遠離すればなり。
善男子!
『仏』は、
『諸法は、夢のようだ!』と、
『説かれた!』が、
若し、
有る、
『衆生』が、
是の、
『諸法の義を知らずに!』、
『名字や、色身を用いて!』、
『仏に著すれば!』、
是の、
『人』は、
『諸仏には来、去が有る!』と、
『分別するだろう!』。
何故ならば、
『諸法の実際の相』を、
『知らない!』が故に、
皆、
『愚夫であり!』、
『無智の数だからである( be counted among idiots )!』。
是の、
『人は、数数五道を往来しながら
this man always comes and goes among the five realms )!』、
『般若波羅蜜や、諸仏の法』を、
『遠離するのである!』。
善男子。佛說諸法如幻如夢。若有眾生如實知。是人不分別諸法若來若去若生若滅。若不分別諸法若來若去若生若滅。則能知佛所說諸法實相。是人行般若波羅蜜。近阿耨多羅三藐三菩提。名為真佛弟子。不虛妄食人信施。是人應受供養為世間福田 善男子、仏は諸法を幻の如く、夢の如しと説けるに、若し有る衆生如実に知れば、是の人は諸法を若しは来、若しは去、若しは生、若しは滅なりと分別せず、若し諸法を若しは来、若しは去、若しは生、若しは滅なりと分別せざれば、則ち能く仏の所説の諸法の実相を知り、是の人は般若波羅蜜を行じて阿耨多羅三藐三菩提に近づけば、名づけて真の仏弟子と為し、人の信施を食するに虚妄ならず、是の人は応に供養を受けて、世間の福田と為るべし。
善男子!
『仏』は、
『諸法は幻、夢のようだ!』と、
『説かれた!』が、
若し、
有る、
『衆生』が、
是の、
『諸法の義』を、
『如実に知れば!』、
是の、
『人』は、
『諸法の来、去、生、滅する!』と、
『分別しないだろう!』。
若し、
『諸法の来、去、生、滅を分別しなければ!』、
『仏が説かれた諸法の実相』を、
『知ることができる!』ので、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜を行じて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提に近づくことになり!』、
是れを、
『真の仏弟子』と、
『称され!』、
『虚妄でなく( unvainly )!』、
『人の信施( the donation with faith )』を、
『食う!』ので、
是の、
『人』は、
『供養を受けて!』、
『世間の福田と為らねばならない!』。
善男子。譬如大海水中諸寶。不從東方來。不從南方西方北方四維上下來。眾生善根因緣故。海生此寶。此寶亦不無因緣而生。是寶皆從因緣和合生。是寶若滅亦不去至十方。諸緣合故有。諸緣離故滅。 善男子、譬えば大海水中の諸宝は東方より来たらず、南方西方北方四維上下より来たらず、衆生の善根の因縁の故に海此の宝を生ずれば、此の宝も亦た因縁無くして生ぜず、是の宝は皆因縁の和合より生じ、是の宝は若し滅するも、亦た去りて十方に至らず、諸縁の合するが故に有り、諸縁離るるが故に滅するが如し。
善男子!
譬えば、――
『大海水中の諸宝』が、
『東より来たのでもなく!』、
『南方、西方、北方、四維、上下より!』、
『来たのでもなく!』、
『衆生の善根という因縁』の故に、
『海』が、
此の、
『宝』を、
『生じたのである!』が、
此の、
『宝』も、
『無因縁で生じることはなく!』、
是の、
『宝』は、
『皆、因縁の和合より生じるのであり!』、
是の、
『宝が、若し滅したとしても!』、
『去って!』、
『十方に至ることはなく!』、
是の、
『宝は、諸縁が合するが故に有り!』、
『諸縁が離れる!』が故に、
『滅するようなものである!』。
善男子。諸佛身亦如是。從本業因緣果報生。生不從十方來。滅時亦不去至十方。但諸緣合故有。諸緣離故滅。 善男子、諸仏の身も亦た是の如く、本業の因縁の果報より生ずれば、生は十方より来たらず、滅する時も亦た去りて十方に至らず。但だ諸縁合するが故に有り、諸縁離るるが故に滅するなり。
善男子!
『諸仏の身』も、
是のように、
『本の業の因縁より!』、
『果報』が、
『生じたものであり!』、
『生じても!』、
『十方より!』、
『来たのではなく!』、
『滅する!』時にも、
『十方』に、
『去って至ることはなく!』、
『但だ、諸縁が合するが故に有り!』、
『諸縁が離れる!』が故に、
『滅するだけである!』。
善男子。譬如箜篌聲。出時無來處。滅時無去處。眾緣和合故生。有槽有頸有皮有絃有柱有棍。有人以手鼓之眾緣和合而有聲。是聲亦不從槽出。不從頸出。不從皮出。不從絃出。不從柱出。不從棍出。亦不從人手出。眾緣和合爾乃有聲。是因緣離時亦無去處。 善男子、譬えば箜篌の声は出づる時に来処無く、滅する時に去処無く、衆縁和合するが故に生ずるが如し。槽有り、頚有り、皮有り、絃有り、柱有り、棍有り、人の手を以って之を鼓(う)つ有りて、衆縁和合して声有り。是の声も亦た槽より出でず、頚より出でず、皮より出でず、絃より出でず、柱より出でず、棍より出でず、亦た人の手より出でず、衆縁和合して爾れば乃ち声有るも、是の因縁離るる時には亦た去処無し。
善男子!
譬えば、
『箜篌の声( the sound of lute )』が、
『出る!』時に、
『来処』が、
『無く!』、
『滅する!』時に、
『去処』が、
『無く!』、
『衆縁の和合』の故に、
『声』が、
『生じ!』、
『槽、頚、皮、絃、柱、棍が有り!』、
有る、
『人が、手で之を鼓つという!』、
『衆縁が和合する!』が故に、
『声が有り!』、
是の、
『声』も、
『槽や、頚、皮、絃、柱、棍より!』、
『出るのでもなく!』、
亦た、
『人の手より!』、
『出るのでもなく!』、
『衆縁の和合する!』が故に、
乃ち、
『声』が、
『有るだけ!』なので、
是の、
『因縁が離れる!』時にも、
『去処が無いようなものである!』。
  箜篌(くご):梵語 viiNaa の訳、印度の琵琶( an indian lute )の義。
  (そう):弦楽器の胴( the body of string instrument )。
  (きょう):弦楽器の棹( the neck of string instrument )。
  (ちゅう):弦楽器の駒( the bridge of string instrument )。
  (こん):弦楽器の糸巻き( the pegs of string instrument )。
善男子。諸佛身亦如是。從無量功德因緣生不。從一因一緣一功德生。亦不無因緣有眾。緣和合故有。諸佛身不獨從一事成。來無所從。去無所至。善男子。應當如是知諸佛來相去相。 善男子、諸仏の身も亦た是の如く、無量の功徳の因縁より生じ、一因、一縁、一功徳より生ぜず、亦た因縁無くして有るにあらず、衆縁の和合の故に有り。諸仏の身は独り、一事より成ぜざれば、来たるに従る所無く、去るに至る所無し。善男子、応当に是の如く、諸仏の来相、去相を知るべし。
善男子!
『諸仏の身』も、
是のように、
『無量の功徳の因縁より、生じたものであり!』、
『一因、一縁、一功徳より!』、
『生じたのでもなく!』、
『無因縁で有るのでもなく!』、
『衆縁が和合した!』が故に、
『有るのである!』。
『諸仏の身』は、
『独り、一事より成じることはない!』が故に、
『来る!』時には、
『従来する!』所』が、
『無く!』、
『去る!』時にも、
『至る!』所が、
『無い!』。
善男子!
是のように、
『諸仏の来相や、去相を!』、
『知らねばならぬのである!』。
善男子。亦當知一切法無來去相。汝若知諸佛及諸法無來無去無生無滅相。必得阿耨多羅三藐三菩提。亦能行般若波羅蜜及方便力。 善男子、亦た当に一切法には来去の相無きを知るべし。汝は若し諸仏及び諸法の無来、無去、無生、無滅の相を知れば、必ず阿耨多羅三藐三菩提を得、亦た能く般若波羅蜜及び方便力を行ずるなり。
善男子!
亦た、
『一切法には、来去の相が無い!』と、
『知らねばならぬ!』。
お前が、
若し、
『諸仏や諸法』は、
『無来、無去、無生、無滅の相である!』と、
『知れば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提を得て!』、
『般若波羅蜜と方便力』を、
『行じることができるだろう!』。
爾時釋提桓因以天曼陀羅花與薩陀波崙菩薩摩訶薩作是言。善男子。以是花供養曇無竭菩薩摩訶薩。我當守護供養汝。所以者何。汝因緣力故。今日饒益百千萬億眾生。使得阿耨多羅三藐三菩提。善男子。如是善人甚為難遇。為饒益一切眾生故。無量阿僧祇劫受諸勤苦。 爾の時、釈提桓因は天の曼荼羅花を以って薩陀波崙菩薩摩訶薩に与え、是の言を作さく、『善男子、是の花を以って、曇無竭菩薩摩訶薩を供養せよ。我れは当に汝を守護し、供養すべし。所以は何んとなれば、汝が因縁の力の故に、今日百千万億の衆生を饒益し、阿耨多羅三藐三菩提を得しむればなり。善男子、是の如き善人に甚だ遇い難しと為すは、一切の衆生を饒益せんが為めの故に、無量阿僧祇劫の諸の勤苦を受くればなり』、と。
爾の時、
『釈提桓因』は、
『天の曼荼羅花を、薩陀波崙菩薩摩訶薩に与えながら!』、こう言った、――
善男子!
是の、
『花を用いて!』、
『曇無竭菩薩摩訶薩』を、
『供養せよ!』。
わたしは、
お前を、
『守護し!』、
『供養せねばならない!』。
何故ならば、
お前は、
『因縁の力』の故に、
今日、
『百千万億の衆生を饒益し!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得させるからである!』。
善男子!
是のような、
『善人に、甚だ遇い難い!』のは、
『一切の衆生』を、
『饒益する為め!』の故に、
是の、
『人』は、
『無量阿僧祇劫に!』、
『諸の勤苦を受けるからである!』、と。
薩陀波崙菩薩摩訶薩受釋提桓因曼陀羅花。散曇無竭菩薩上。白言。大師。我從今日以身屬師供給供養。如是三白已。合手師前立。 薩陀波崙菩薩摩訶薩は釈提桓因の曼荼羅花を受けて、曇無竭菩薩の上に散じ、白して言さく、『大師、我れは今日より、身を以って師に属し、供給し供養せん』、と。是の如く三たび白し已りて、手を合せ師の前に立てり。
『薩陀波崙菩薩摩訶薩』は、
『釈提桓因の曼陀羅花を受ける!』と、
『曇無竭菩薩の上』に、
『散じながら!』、
『菩薩に白して!』、こう言った、――
大師!
わたしは、
今日より、
是の、
『身を、師に属して( I let my body belong to you )!』、
『供給し、供養します!』、と。
是のように、
『三たび白す!』と、
『手を合せて!』、
『師の前に立った!』。
是時長者女及五百侍女白薩陀波崙菩薩言。我等從今日亦以身屬師。我等以是善根因緣故。當得如是法。亦如師所得。共師世世供養諸佛世世常供養師。 是の時、長者女及び五百の侍女の薩陀波崙菩薩に白して言さく、『我等は今日より、亦た身を以って師に属せん。我等は是の善根の因縁を以っての故に、当に是の如き法を得べし。亦た師の所得の如きを師と共にして、世世に諸仏を供養し、世世に常に師を供養せん』、と。
是の時、
『長者女と五百の侍女』は、
『薩陀波崙菩薩に白して!』、こう言った、――
わたし達も、
今日より、
是の、
『身』を、
『師に属します!』。
わたし達は、
是の、
『善根の因縁』の故に、
是のような、
『法』を、
『得ることができ!』、
亦た、
『師の所得のような法』を、
『得ることができ!』、
『師と共に!』、
世世に、
『諸仏』を、
『供養し!』、
世世常に、
『師』を、
『供養するでしょう!』、と。
是時薩陀波崙菩薩語長者女及五百女人。若汝等以誠心屬我者。我當受汝。諸女言。我等以誠心屬師。當隨師教。 是の時、薩陀波崙菩薩の長者及び五百の女人に語らく、『若し汝等、誠心を以って我れに属すれば、我れは当に汝を受くべし』、と。諸女の言わく、『我等は誠心を以って師に属せば、当に師の教に随うべし』、と。
是の時、
『薩陀波崙菩薩』は、
『長者女と五百の女人』に、こう語った、――
若し、
お前達が、
『誠心を用いて!』、
『わたしに属するならば!』、
わたしは、
『お前達』を、
『受けるだろう!』、と。
『諸女』は、こう言った、――
わたし達は、
『誠心を用いて、師に属し!』、
『師の教』に、
『随わねばなりません!』、と。
是時薩陀波崙菩薩及五百女人。并諸莊嚴寶物上妙供具及五百乘七寶車。奉上曇無竭菩薩。白言。大師。我持是五百女人奉給大師。是五百乘車隨師所用。 是の時、薩陀波崙菩薩は、及び五百の女人と并びに諸の荘厳せる宝物と上妙の供具、及び五百乗の七宝の車を曇無竭菩薩に奉上して白して言さく、『大師、我れ是の五百の女人を持して、大師に奉給し、是の五百乗の車を師の所用に随わしめん』、と。
是の時、
『薩陀波崙菩薩』は、
『身及び五百の女人と、諸の荘厳された宝物と、上妙の供具と、五百乗の七宝の車』を、
『曇無竭菩薩』に、
『奉上しながら!』、
『菩薩に白して!』、こう言った、――
大師!
わたしは、
是の、
『五百の女人を持って!』、
『大師』に、
『奉給し!』、
是の、
『五百乗の車』を、
『師に用いられるよう!』、
『随わせます!』、と。
  (へい):<動詞>[本義]並行/並列( side by side )。合併/融合( combine, amalgamete )、併合( annex )、合同( be identical, same )。<副詞>全て( completely, entirely )、一斉に/同時に( at the same time, altogether )。<連詞>更に/その上( further more )、及び( and )。
爾時釋提桓因讚薩陀波崙菩薩言。善哉善哉。善男子。菩薩摩訶薩捨一切所有。應如是如是布施。疾得阿耨多羅三藐三菩提。作如是供養說法人。必得聞般若波羅蜜及方便力。過去諸佛本行菩薩道時。亦如是住布施中得聞般若波羅蜜及方便力。得阿耨多羅三藐三菩提。 爾の時、釈提桓因の薩陀波崙菩薩を讃じて言わく、『善い哉、善い哉、善男子、菩薩摩訶薩は一切の所有を捨つれば、応に是の如し。是の如く布施して、疾かに阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。是の如きを作して説法人を供養すれば、必ず般若波羅蜜及び方便力を聞くを得ん。過去の諸仏は本菩薩道を行ぜし時、亦た是の如く布施中に住して、般若波羅蜜及び方便力を聞くを得、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり』、と。
爾の時、
『釈提桓因』は、
『薩陀波崙菩薩を讃じて!』、こう言った、――
善いぞ、善いぞ!
善男子!
『菩薩摩訶薩』が、
『一切の所有を捨てる!』とは、
『是のようでなくてはならない!』。
是のように、
『布施をすれば!』、
『疾かに、阿耨多羅三藐三菩提を得るのである!』。
是のように、
『布施をして!』、
『説法人を供養すれば!』、
『必ず、般若波羅蜜や方便力を聞くことができる!』。
『過去の諸仏』も、
『本、菩薩道を行じた!』時、
是のように、
『布施中に住して!』、
『般若波羅蜜や方便力を聞くことができ!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得たのである!』。
爾時曇無竭菩薩欲令薩陀波崙菩薩善根具足故。受五百乘車長者女及五百侍女。受已還與薩陀波崙菩薩。 爾の時、曇無竭菩薩は薩陀波崙菩薩の善根をして具足せしめんと欲するが故に、五百乗の車、長者女及び五百の侍女を受け、受け已りて還って薩陀波崙菩薩に与う。
爾の時、
『曇無竭菩薩』は、
『薩陀波崙菩薩の善根を具足させようとした!』が故に、
『五百乗の車、長者女、五百の侍女』を、
『受けた!』が、
『受けてしまう!』と、
『還って!』、
『薩陀波崙菩薩に与えたのである!』。
是時曇無竭菩薩說法日沒。起入宮中。薩陀波崙菩薩摩訶薩作是念。我為法故來。不應坐臥。當以二事。若行若立。以待法師從宮中出說法。 是の時、曇無竭菩薩は法を説き、日没に起ちて宮中に入れり。薩陀波崙菩薩摩訶薩の是の念を作さく、『我れは法の為めの故に来たれば、応に坐臥すべからず、当に二事を以って、若しは行、若しは立を以って法師の宮中より出でて法を説くを待つべし』、と。
是の時、
『曇無竭菩薩は、説法していた!』が、
『日が没する!』と、
『座より起ち、宮中に入った!』。
『薩陀波崙菩薩摩訶薩』は、こう念じた、――
わたしは、
『法の為めの故に、来たのである!』から、
『坐ったり!』、
『臥せたりするわけにはいかない!』。
当然、
『行(ある)くか、立つかの二事を用いて!』、
『法師が宮中より出て、説法する!』のを、
『待たねばならない!』、と。
爾時曇無竭菩薩七歲一心入無量阿僧祇菩薩三昧。及行般若波羅蜜方便力。薩陀波崙菩薩七歲經行住立不坐不臥。無有睡眠。無欲恚惱。心不著味。但念曇無竭菩薩摩訶薩何時當從三昧起出而說法。 爾の時、曇無竭菩薩は七歳一心に無量阿僧祇の菩薩三昧に入り、及び般若波羅蜜、方便力を行ぜり。薩陀波崙菩薩は、七歳経行し、住立して、坐せず、臥せず、睡眠有ること無く、欲、恚の悩み無く、心は味に著せず、但だ曇無竭菩薩摩訶薩は何れの時にか当に三昧より起ちて出で、法を説くべきやと念ずるのみ。
爾の時、
『曇無竭菩薩』は、
『七年間一心に!』、
『無量阿僧祇の菩薩の三昧に入って!』、
『般若波羅蜜の方便力を行じていた!』。
『薩陀波崙菩薩』は、
『七年間!』、
『経行したり( walking around )!』、
『住立したり( keep-standing in the same place )!』して、
『坐ることも、臥せることもなく!』、
『睡眠することも無く!』、
『欲、恚の悩みも無く!』、
『心が味に著することもなく!』、
但だ、こう念じたのである、――
『曇無竭菩薩摩訶薩』は、
『何時、三昧より起って出て!』、
『説法するのだろうか?』、と。
薩陀波崙菩薩過七歲已。作是念。我當為曇無竭菩薩摩訶薩敷說法座。曇無竭菩薩摩訶薩當坐上說法。我當灑地清淨散種種華莊嚴是處。為曇無竭菩薩摩訶薩當說般若波羅蜜及方便力故。 薩陀波崙菩薩は七歳を過ごし已り、是の念を作さく、『我れは当に曇無竭菩薩摩訶薩の為めに、説法の座を敷くべし。曇無竭菩薩摩訶薩は当に上に坐して説法すべし。我れは当に地に灑(そそ)ぎて清浄ならしめ、種種の華を散じて、是の処を荘厳すべし。曇無竭菩薩摩訶薩は当に般若波羅蜜及び方便力を説きたもうべきが為めの故なり』、と。
『薩陀波崙菩薩』は、
『七年間過ぎる!』と、こう念じた、――
わたしは、
『曇無竭菩薩摩訶薩の為め!』に、
『説法の座』を、
『敷かねばならない!』。
『曇無竭菩薩摩訶薩』は、
『座上に坐して!』、
『説法されるだろう!』。
わたしは、
『地に水を灑いで清浄にし、種種の華を散らして!』、
是の、
『処』を、
『荘厳せねばならない!』。
『曇無竭菩薩摩訶薩』が、
『般若波羅蜜や、方便力』を、
『説かれる為めである!』、と。
是時薩陀波崙菩薩與長者女及五百侍女。為曇無竭菩薩摩訶薩敷七寶床。五百女人各脫上衣以敷座上。作是念。曇無竭菩薩摩訶薩當坐此座上說般若波羅蜜及方便力。 是の時、薩陀波崙菩薩と長者女及び五百の侍女は、曇無竭菩薩摩訶薩の為めに、七宝の床を敷き、五百の女人は各上衣を脱ぎて、以って座上に敷き、是の念を作さく、『曇無竭菩薩摩訶薩は当に此の座上に坐して、般若波羅蜜及び方便力を説きたもうべし』、と。
是の時、
『薩陀波崙菩薩と長者女と五百の侍女』は、
『曇無竭菩薩摩訶薩の為め!』に、
『七宝の床』を、
『敷き!』。
『五百の女人』が、
『各、上衣を脱いで!』、
『座上』に、
『敷く!』と、
こう念じた、――
『曇無竭菩薩摩訶薩』は、
此の、
『座上に坐して!』、
『般若波羅蜜や方便力を説かれるのだ!』、と。
薩陀波崙菩薩敷座已。求水灑地而不能得。所以者何。惡魔隱蔽令水不現。魔作是念。薩陀波崙菩薩求水不得。於阿耨多羅三藐三菩提行乃至生一念劣心異心。則善根不增智慧不照。於一切智而有稽留。 薩陀波崙菩薩は座を敷き已りて、水を求めて地に灑がんとするも得る能わず。所以は何んとなれば悪魔隠蔽して、水をして現れざらしむればなり。魔の是の念を作さく、『薩陀波崙菩薩は、水を求めて得ざるに、阿耨多羅三藐三菩提の行に於いて、乃至一念の劣心、異心を生ぜば、則ち善根増さず、智慧照らさず、一切智に於いて、稽留すること有らん』、と。
『薩陀波崙菩薩は、座を敷いてしまう!』と、
『水を求めて!』、
『地に灑ごうとして!』、
『水を得ることができなかった!』。
何故ならば、
『悪魔』が、
『水を隠蔽して、現れなくしたからである
covered water and let it not be appeared )!』。
『魔』は、こう念じた、――
『薩陀波崙菩薩が水を求めて、得られなければ!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の行に於いても、乃至一念ぐらい!』は、
『劣心や、異心』を、
『生じることになり!』、
『善根が増すこともなく、智慧が照らすこともなくなって!』、
『一切智に於いて!』、
『稽留が有るだろう( should procrastinate )!』、と。
  稽留(けいる):梵語 dhandha, vilambana の訳、緩慢/遅滞/引き延ばし( slowness, delay, procrastination )の義、気が向かない( indisposition )の意。
爾時薩陀波崙菩薩作是念。我當自刺其身以血灑地。令無塵土來坋大師。我何用此身。此身必當破壞。我從無始生死已來數數喪身。未曾為法。即以利刀自刺出血灑地。薩陀波崙菩薩及長者女并五百侍女。皆無異心。惡魔亦不能得便。 爾の時、薩陀波崙菩薩の是の念を作さく、『我れは当に自ら其の身を刺して、血を以って地に灑ぎ、塵土来たりて大師を坋することなからしむべし。我れは何んが此の身を用いんや。此の身は必ず当に破壊すべし。我れは無始の生死より已来、数数身を喪えるも、未だ曽て法の為めならず』、と。即ち利刀を以って自ら刺し、血を出して地に灑げり。薩陀波崙菩薩及び長者女并びに五百の侍女は皆異心無ければ、悪魔も亦た便を得る能わず。
爾の時、
『薩陀波崙菩薩』は、こう念じた、――
わたしは、
『自ら身を刺して、血を地に灑ぎ!』、
『塵土が来て、大師を坋する!』のを、
『無くさねばならない!』。
わたしは、
『此の身を、何に用いるのか?』、
『此の身』は、
『必ず、破壊するはずである!』。
わたしは、
『無始の生死已来、数数身を喪いながら!』、
未だ曽て、
『法の為め!』に、
『身を喪ったことはない!』、と。
即ち、
『利刀を用いて自ら刺し!』、
『血を出して!』、
『地に灑いだ!』。
『薩陀波崙菩薩と長者女や五百の侍女』には、
皆、
『異心』が、
『無かった!』ので、
亦た、
『悪魔』にも、
『便を得させることはなかった( let the devil not get any chance )!』。
  (ふん):塵/坌( dust )、塗る/汚す( paint, smear )。
是時釋提桓因作是念。未曾有也。薩陀波崙菩薩愛法乃爾。以刀自刺出血灑地。薩陀波崙及眾女人心不動轉。惡魔波旬不能壞其善根。其心堅固發大莊嚴。不惜身命。以深心欲求阿耨多羅三藐三菩提。當度一切眾生無量生死苦。 是の時、釈提桓因の是の念を作さく、『未曽有なり。薩陀波崙菩薩の法を愛するや乃ち爾り。刀を以って自ら刺し、血を出して地に灑ぐも、薩陀波崙及び衆女人の心は動転せざれば、悪魔波旬は其の善根を破る能わず。其の心は堅固にして大莊嚴を発し、身命を惜まず、深心を以って阿耨多羅三藐三菩提を求めんと欲すれば、当に一切の衆生を無量の生死の苦より度すべし』、と。
是の時、
『釈提桓因』は、こう念じた、――
未曽有である!
『薩陀波崙菩薩』が、
『法を愛する!』のは、
『乃ち爾れほどであったのだ!』。
『刀を用いて、自ら刺し!』、
『血を出して!』、
『地に灑ぎながら!』、
『薩陀波崙や、女人達の心は動転することもなく!』、
『悪魔波旬』に、
『彼等の善根を壊らせなかった!』。
『彼等の心は堅固であり!』、
『大莊嚴を発して!』、
『身命を惜まず!』、
『深心に、阿耨多羅三藐三菩提を求めようとする!』が故に、
『一切の衆生』を、
『無量の生死の苦より、度することだろう!』。
  波旬(はじゅん):梵語 paapiiyaan の音訳、最も罪深い者/最も罪深い悪鬼( the most sinful, the most sinful demon )の義。欲界第六天他化自在天の王/悪魔の名。
釋提桓因讚薩陀波崙菩薩言。善哉善哉。善男子。汝精進力大堅固難動不可思議。汝愛法求法最為無上。善男子。過去諸佛亦如是。以深心愛法惜法重法。集諸功德。得阿耨多羅三藐三菩提。 釈提桓因の薩陀波崙菩薩を讃じて言わく、『善い哉、善い哉、善男子、汝は精進の力大いに堅固にして、動かし難く、不可思議なり。汝が法を愛し、法を求むるは最も無上と為す。善男子、過去の諸仏も亦た是の如く、深心を以って法を愛し、法を惜み、法を重んじて諸功徳を集め、阿耨多羅三藐三菩提を得たり』、と。
『釈提桓因』は、
『薩陀波崙菩薩を讃じて!』、こう言った、――
善いぞ、善いぞ!
善男子!
お前の、
『精進力は、大いに堅固であり!』、
『動かし難く、不可思議である!』。
お前の、
『法を愛して、法を求める心』は、
『最も、無上である!』。
善男子!
『過去の諸仏』も、
是のように、
『深心に!』、
『法を愛惜し!』、
『法を重んじて!』、
『諸功徳を集めながら!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得られたのである!』、と。
薩陀波崙菩薩作是念。我為曇無竭菩薩摩訶薩。敷法座掃灑清淨已訖。當於何處得好名華莊嚴此地。若曇無竭菩薩摩訶薩法座上坐說法時。亦當散華供養。 薩陀波崙菩薩の是の念を作さく、『我が曇無竭菩薩摩訶薩の為めに、法座を敷いて掃灑し、清浄ならしむること已に訖れり。当に何処に於いてか、好名の華を得、此の地を荘厳すべき。若し曇無竭菩薩摩訶薩、法座上に坐して法を説きたもう時には、亦た当に散華して供養すべし』、と。
『薩陀波崙菩薩』は、こう念じた、――
わたしは、
『曇無竭菩薩摩訶薩の為め!』に、
『法座を敷いて!』、
『掃灑し!』、
『清浄にした!』が、
『何処で、好名の華を得て!』、
此の、
『地』を、
『荘厳すればよいのか?』。
若し、
『曇無竭菩薩摩訶薩』が、
『法座上に坐して!』、
『説法されたならば!』、
その時には、
『華を散らして!』、
『供養せねばならないのに!』、と。
釋提桓因知薩陀波崙菩薩心所念。即以三千石天曼陀羅華與薩陀波崙。薩陀波崙受華以半散地。留半待曇無竭菩薩摩訶薩。坐法座上說法時當供養。 釈提桓因は薩陀波崙菩薩の心に念ずる所を知りて、即ち三千石の天の曼陀羅華を以って薩陀波崙に与う。薩陀波崙は華を受け、半ばを以って地に散じ、半ばを留めて曇無竭菩薩摩訶薩の法座上に坐するを待つ。説法の時に当に供養すべし。
『釈提桓因』は、
『薩陀波崙菩薩の心の所念を知って!』、
即ち、
『薩陀波崙』に、
『三千石の天の曼陀羅華を与えた!』。
『薩陀波崙は華を受けると半ばを地に散らし、半ばを留めて!』、
『曇無竭菩薩摩訶薩が法座上に坐して!』、
『説法される時に、供養せねばならぬ!』と、
『曇無竭を待った!』。
爾時曇無竭菩薩摩訶薩。過七歲已從諸三昧起為說般若波羅蜜故。與無量百千萬眾恭敬圍遶往法座上坐。薩陀波崙菩薩摩訶薩見曇無竭菩薩摩訶薩時。心淨悅樂。譬如比丘入第三禪 爾の時、曇無竭菩薩摩訶薩は七歳を過ごし已りて、諸三昧より起つ。般若波羅蜜を渡韓が為めの故に、無量百千万の衆の与めに恭敬し、囲繞せられて法座上に往きて坐す。薩陀波崙菩薩摩訶薩は曇無竭菩薩摩訶薩を見る時、心浄まりて悦楽すること、譬えば比丘の第三禅に入るが如し。
爾の時、
『曇無竭菩薩摩訶薩』は、
『七年間過ぎて、諸の三昧より起ち!』、
『般若波羅蜜を説く為め!』の故に、
『無量百千万の衆に恭敬、囲繞されながら!』、
『法座上に往きて坐した!』。
『薩陀波崙菩薩摩訶薩』は、
『曇無竭菩薩摩訶薩を見た!』時、
『心が浄まって、悦楽し!』、
譬えば、
『比丘』が、
『第三禅に入ったようであった!』。


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