巻第九十二(上)
大智度論釋淨佛國土品第八十二
1.【經】菩薩の道とは?
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大智度論釋淨佛國土品第八十二(卷第九十二)
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】菩薩の道とは?

【經】爾時須菩提作是念。何等是菩薩摩訶薩道。菩薩住是道。能作如是大莊嚴。 爾の時、須菩提の是の念を作さく、『何等か、是れ菩薩摩訶薩の道にして、菩薩は、是の道に住して、能く是の如き大莊嚴を作す』、と。
爾の時、
『須菩提』は、こう念じた、――
何のようなものが、
『菩薩摩訶薩の道であり!』、
『菩薩』は、
是の、
『道に住して!』、
是のような、
『大莊嚴』を、
『作すことができるのか?』、と。
  参考:『大般若経巻393』:『爾時具壽善現作是念言。何法名為菩薩摩訶薩道。諸菩薩摩訶薩安住此道。能擐種種大功德鎧。利益安樂一切有情。佛知其念。告善現言。善現。當知布施波羅蜜多是諸菩薩摩訶薩道。淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多是諸菩薩摩訶薩道。四念住是諸菩薩摩訶薩道。四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支是諸菩薩摩訶薩道。內空是諸菩薩摩訶薩道。外空內外空空空大空勝義空有為空無為空畢竟空無際空散空無變異空本性空自相空共相空一切法空不可得空無性空自性空無性自性空是諸菩薩摩訶薩道。苦聖諦是諸菩薩摩訶薩道。集滅道聖諦是諸菩薩摩訶薩道。四靜慮是諸菩薩摩訶薩道。四無量四無色定是諸菩薩摩訶薩道。八解脫是諸菩薩摩訶薩道。八勝處九次第定十遍處是諸菩薩摩訶薩道。一切陀羅尼門是諸菩薩摩訶薩道。一切三摩地門是諸菩薩摩訶薩道。空解脫門是諸菩薩摩訶薩道。無相無願解脫門是諸菩薩摩訶薩道。極喜地是諸菩薩摩訶薩道。離垢地發光地焰慧地極難勝地現前地遠行地不動地善慧地法雲地是諸菩薩摩訶薩道。五眼是諸菩薩摩訶薩道。六神通是諸菩薩摩訶薩道。佛十力是諸菩薩摩訶薩道。四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法是諸菩薩摩訶薩道。無忘失法是諸菩薩摩訶薩道。恒住捨性是諸菩薩摩訶薩道。一切智是諸菩薩摩訶薩道。道相智一切相智是諸菩薩摩訶薩道。復次善現。總一切法皆是菩薩摩訶薩道。善現。於汝意云何。頗有法諸菩薩摩訶薩所不應學。諸菩薩摩訶薩不學此法。能得無上正等菩提不。善現答言。不也世尊。不也善逝。佛言。善現。如是如是。如汝所說。善現。定無有法諸菩薩摩訶薩所不應學。諸菩薩摩訶薩不學此法。必不能得所求無上正等菩提。何以故。善現。若菩薩摩訶薩不學一切法。終不能得一切智智』
佛知須菩提心所念告須菩提。六波羅蜜是菩薩摩訶薩道。三十七助道法是菩薩摩訶薩道。十八空是菩薩摩訶薩道。八背捨九次第定是菩薩摩訶薩道。佛十力乃至十八不共法是菩薩摩訶薩道。一切法亦是菩薩摩訶薩道。 仏は須菩提の心の所念を知りて、須菩提に告げたまわく、『六波羅蜜は是れ菩薩摩訶薩の道、三十七助道法は是れ菩薩摩訶薩の道、十八空は是れ菩薩摩訶薩の道、八背捨、九次第定は是れ菩薩摩訶薩の道、仏の十力、乃至十八不共法は、是れ菩薩摩訶薩の道、一切法は亦た是れ菩薩摩訶薩の道なり。
『仏』は、
『須菩提の心の所念を知り!』、
『須菩提』に、こう告げられた、――
『六波羅蜜、三十七助道法、十八空、八背捨、九次第定や!』、
『仏の十力乃至十八不共法は!』、
『菩薩摩訶薩の道であり!』、
亦た、
『一切法』も、
『菩薩摩訶薩の道である!』。
須菩提。於汝意云何。頗有法菩薩所不學。能得阿耨多羅三藐三菩提不。須菩提。無有法菩薩所不應學者。何以故。菩薩不學一切法。不能得一切種智。 須菩提、汝が意に於いて云何、頗る法有りて、菩薩の学ばざる所なるに、能く阿耨多羅三藐三菩提を得や、不や。須菩提、法有りて、菩薩の応に学ぶべからざる所の者無し。何を以っての故に、菩薩は一切法を学ばざれば、一切種智を得る能わざればなり。
須菩提!
お前の意には、何うなのか?――
頗る( often )、
『菩薩の学ばない!』所の、
『法が有りながら!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ることができるのか?』。
須菩提!
『菩薩』が、
『学ぶべきでない!』所の、
『法』は、
『無いのである!』。
何故ならば、
『菩薩』は、
『一切法を学ばなければ!』、
『一切種智』を、
『得ることができないからである!』。
須菩提白佛言。世尊。若一切法空。云何言菩薩學一切法。將無世尊無戲論中作戲論耶。所謂是此是彼。是世間法是出世間法。是有漏法是無漏法。是有為法是無為法。是凡夫人法是阿羅漢法。是辟支佛法是佛法。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、若し一切法は空なれば、云何が、菩薩は一切法を学ぶべしと言うや。将(は)た世尊にして、無戯論中に戯論を作したもうこと無しや。謂わゆる是れは此れ、是れは彼れ、是れは世間法、是れは出世間法、是れは有漏法、是れは無漏法、是れは有為法、是れは無為法、是れは凡夫人の法、是れは阿羅漢の法、是れは辟支仏の法、是れは仏法なり、と』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
若し、
『一切法が、空ならば!』、
何故、
『菩薩は、一切法を学ぶ!』と、
『言われたのですか?』。
将た( Could it be true )、
『世尊』が、
『無戯論中に、戯論を作されること!』は、
『無いのですか?』。
謂わゆる、
『是れは此れであり、是れは彼れである!』、
『是れは世間法であり、是れは出世間法である!』、
『是れは有漏法であり、是れは無漏法である!』、
『是れは有為法であり、是れは無為法である!』、
『是れは凡夫人の法であり、是れは阿羅漢の法である!』、
『是れは辟支仏の法であり、是れは仏の法である!』、と。
  参考:『大般若経巻393』:『具壽善現復白佛言。世尊。若一切法自性皆空。云何菩薩摩訶薩學一切法。將無世尊於無戲論法而作戲論謂有諸法。是此是彼由是為是。此是世間法此是出世間法。此是有漏法此是無漏法。此是有為法此是無為法。此是異生法此是預流法。此是一來法此是不還法。此是阿羅漢法此是獨覺法。此是菩薩法此是如來法。佛告善現。如是如是。如汝所說。諸所有法皆自性空。善現。若一切法自性不空。則應諸菩薩摩訶薩不得無上正等菩提。善現。以一切法自性皆空。是故諸菩薩摩訶薩能得無上正等菩提。善現。如汝所言。若一切法自性皆空。云何菩薩摩訶薩學一切法。將無世尊於無戲論法而作戲論謂有諸法。是此是彼由是為是。此是世間法此是出世法。乃至此是菩薩法此是如來法者。善現。若諸有情知一切法皆自性空。則諸菩薩摩訶薩。不應學一切法證得無上正等菩提。為諸有情安立宣說。善現。以諸有情不知諸法皆自性空故。諸菩薩摩訶薩。學一切法證得無上正等菩提。為諸有情安立宣說』
佛告須菩提。如是如是。一切法實空。須菩提。若一切法不空者。菩薩摩訶薩不能得阿耨多羅三藐三菩提。須菩提。今一切法實空故。菩薩摩訶薩能得阿耨多羅三藐三菩提。 仏の須菩提に告げたまわく、『是の如し、是の如し。一切法は実に空なり。須菩提、若し一切法にして空ならざれば、菩薩摩訶薩は阿耨多羅三藐三菩提を得る能わず。須菩提、今一切法は実に空なるが故に、菩薩摩訶薩は、能く阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
『一切法』は、
『実に、空である!』。
須菩提!
若し、
『一切法が、空でなければ!』、
『菩薩摩訶薩』は、
『阿耨多羅三藐三菩提を得られないのである!』。
須菩提!
今、
『一切法は、実に空である!』が故に、
『菩薩摩訶薩』は、
『阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるのである!』。
須菩提。如汝所言。若一切法空。將無佛於無戲論中作戲論。分別此彼。是世間法是出世間法。乃至是佛法。 須菩提、汝が言う所の如し。『若し一切法は空なれば、将た仏にして、無戯論中に於いて、戯論を無し、此れ彼れを、是れは世間法、是れは出世間法、乃至是れは仏法と分別する無しや』、と。
須菩提!
お前の言う通りである、――
若し、
『一切法が、空ならば!』、
将た、
『仏が、無戯論中に、戯論を作して!』、
『是れは世間法、是れは出世間法、乃至是れは仏の法である!』と、
『此れ、彼れを分別すること!』は、
『無いのですか?』、と。
須菩提。若世間眾生知一切法空。菩薩摩訶薩不學一切法得一切種智。須菩提。今眾生實不知一切法空。以是故菩薩摩訶薩得阿耨多羅三藐三菩提已。分別諸法為眾生說。 須菩提、若し世間の衆生にして、一切法の空を知らば、菩薩摩訶薩は、一切法を学ばずして、一切種智を得ん。須菩提、今、衆生は実に一切法の空を知らず。是を以っての故に、菩薩摩訶薩は阿耨多羅三藐三菩提を得已りて、諸法を分別し、衆生の為めに説くなり。
須菩提!
若し、
『世間の衆生』が、
『一切法は、空である!』と、
『知れば!』、
『菩薩摩訶薩は、一切法を学ぶことなく!』、
『一切種智』を、
『得ることだろう!』。
須菩提!
今、
『衆生』は、
『一切法は、空である!』と、
『実に、知らない!』ので、
是の故に、
『菩薩摩訶薩は、阿耨多羅三藐三菩提を得て!』、
『諸法を分別し!』、
『衆生の為めに、説くのである!』。
須菩提。於是菩薩道從初已來。應如是思惟。一切諸法中定性不可得。但從和合因緣起法故有名字。諸法我當思惟諸法實性無所著。若六波羅蜜性。若三十七助道法。若須陀洹果。乃至阿羅漢果。若辟支佛道。若阿耨多羅三藐三菩提。 須菩提、是の菩薩道に於いては、初より已来、応に是の如く思惟すべし、『一切の諸法中に定性は不可得なり。但だ和合の因緣より、法を起すが故に、名字の諸法有るのみ。我れは当に思惟すべし、諸法の実性は著する所の、若しは六波羅蜜の性、若しは三十七助道法、若しは須陀洹果乃至阿羅漢果、若しは辟支仏道、若しは阿耨多羅三藐三菩提無し』、と。
須菩提!
是の、
『菩薩道は、初より!』、こう思惟せねばならない、――
『一切の諸法』中に、
『定性』は、
『不可得であり!』、
但だ、
『和合の因緣より、法を起す!』が故に、
『名字の諸法』が、
『有るだけである!』ので、
わたしは、こう思惟せねばならない、――
『諸法の実性』には、
『著する!』所が、
『無く!』、
若しは( even if )、
『六波羅蜜の性や、三十七助道法や!』、
『須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道や!』、
『阿耨多羅三藐三菩提であったとしても!』、
『著する!』所は、
『無いのである!』、と。
何以故。一切法一切法性空。空不著空。空亦不可得。何況空中有著。 何を以っての故に、一切法の、一切法の性は空にして、空は、空に著せず、空も亦た不可得なればなり。何に況んや空中に著有るをや。
何故ならば、
『一切法』は、
『一切法の性』が、
『空であり!』、
『空』は、
『空』に、
『著さず!』、
亦た、
『空』も、
『不可得だからである!』。
況して、
『空』中に、
『著する!』所など、
『有るはずがない!』。
須菩提。菩薩摩訶薩如是思惟。不著一切法而學一切法。住是學中觀眾生心行。是眾生心在何處行。知眾生虛妄不實中行。是時菩薩作是念。是眾生著不實虛妄法易度耳。 須菩提、菩薩摩訶薩は、是の如く思惟して、一切法に著せざるに、而も一切法を学び、是の学中に住して、衆生の心行を、『是の衆生の心は、何処に在りてか行ず』、と観て、衆生の虚妄、不実中に行ずるを知る。是の時、菩薩の是の念を作さく、『是の衆生は、不実、虚妄の法に著すれば、度し易しのみ』、と。
須菩提!
『菩薩摩訶薩』は、
是のように、
『思惟して!』、
『一切法に著さない!』のに、
『一切法』を、
『学び!』、
是の、
『学中に住して( with this comprehending )!』、
『衆生の心行』を、こう観て、――
是の、
『衆生の心は、何のような処に行じるのか?』と、
『観て!』、
『衆生の心』は、
『虚妄、不実の法中に行じるのである!』と、
『知り!』、
是の時、
『菩薩』は、こう念じるのである、――
是の、
『衆生は不実、虚妄の法に著している!』ので、
『度し易いはずだ!』、と。
是時菩薩摩訶薩住般若波羅蜜時。以方便力故如是教化言。汝諸眾生當行布施可得饒財。亦莫恃布施果報而自高。何以故。是中無堅實法。持戒禪定智慧亦如是。諸眾生行是法。可得須陀洹果乃至阿羅漢果辟支佛道佛道。莫念有是法。如是教化行菩薩道而無所著。是中無有堅實故。 是の時、菩薩摩訶薩の、般若波羅蜜に住する時、方便力を以っての故に、是の如く教化して言わく、『汝、諸の衆生は、当に布施を行ずべく、饒財を得べきも、亦た布施の果報を恃(たの)んで、自らを高うする莫かれ。何を以っての故に、是の中には堅実の法無ければなり。持戒、禅定、智慧も亦た是の如く、諸の衆生は、是の法を行じて、須陀洹果、乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道を得べきも、是の法有りと念ずる莫かれ』、と。是の如く教化して、菩薩道を行ぜしむるも、著する所無し。是の中には堅実有ること無きが故なり。
是の時、
『菩薩摩訶薩が、般若波羅蜜に住する!』時には、
『方便力を用いる!』が故に、
是のように、
『教化して!』、言うのである、――
『お前のような、諸の衆生』は、
『布施を行じねばならない!』ので、
『饒財( a plentiful property )』を、
『得ねばならない!』が、
亦た、
『布施の果報を恃んで!』、
『自ら高ぶってはならない!』。
何故ならば、
是の、
『布施』中には、
『堅実の法が無いからである!』。
『諸の衆生』は、
是の、
『布施のように、持戒、禅定、智慧の法を行じて!』、
『須陀洹果乃至阿羅漢果、辟支仏道、仏道』を、
『得ねばならないのであり!』、
是の、
『法が有る!』と、
『念じてはならないのである!』、と。
是のように、
『菩薩道を教化して、行じさせながら!』、
是の、
『菩薩道』中にも、
『著する!』所は、
『無い!』。
是の中には、
『堅実な法』が、
『無いからである!』。
若如是教化是名行菩薩道。於諸法無所著故。何以故。一切法無所著相。以性無故。性空故。 若し、是の如く教化すれば、是れを菩薩道を行ずと名づく。諸法に於いて、所著無きが故なり。何を以っての故に、一切法は、所著の相無ければ、性無きを以っての故に、性空なるが故なり。
若し、
是のように、
『菩薩道を教化すれば!』、
是れを、
『菩薩道を行じる!』と、
『称する!』。
『諸法』には、
『著する!』所が、
『無いからである!』。
何故ならば、
『一切法』には、
『著すべき相』が、
『無いからであり!』、
『性が無い!』が故に、
『性』が、
『空だからである!』。
須菩提。是菩薩摩訶薩如是行菩薩道時無所住。是菩薩用不住法故。行檀波羅蜜亦不住是中。行尸羅波羅蜜亦不住是中。行羼提波羅蜜亦不住是中。行毘梨耶波羅蜜亦不住是中。行禪波羅蜜亦不住是中。行般若波羅蜜亦不住是中。 須菩提、是の菩薩摩訶薩は、是の如く菩薩道を行ずる時、所住無し。是の菩薩は、不住法を用うるが故に檀波羅蜜を行ずるも、是の中に住せず、尸羅波羅蜜を行ずるも、亦た是の中に住せず、羼提波羅蜜を行ずるも、亦た是の中に住せず、毘梨耶波羅蜜を行ずるも亦た是の中に住せず、禅波羅蜜を行ずるも亦た是の中に住せず、般若波羅蜜を行ずるも亦た是の中に住せず。
須菩提!
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
是のように、
『菩薩道を行じる!』時、
『住する!』所が、
『無い!』。
是の、
『菩薩』は、
『不住の法を用いる!』が故に、
『檀波羅蜜を行じながら!』、
是の、
『檀波羅蜜』中に、
『住することなく( does not rely on )!』、
『尸羅、羼提、毘梨耶、禅、般若波羅蜜を行じながら!』、
是の、
『般若波羅蜜』中に、
『住することなく!』、
  不住(ふじゅう):梵語 anavasthita, anavasthaana の訳、不安定な/不確実な/行為が不安定なこと/不道徳な/不信心な( unsettled, unsteady, loose in conduct, loose in morals, faithless )の義、のめり込まない/頼りにしない( not giving oneself up to anything, not rely on )の意。
  (じゅう):梵語 avasthita, avasthaana の訳、近くに立つ/何かを継続して行う/随う/従う/定った/安定した( standing near, continuing to do anything, obeying or following, steady )の義、のめり込む/頼りにする( giving oneself up to, rely on )の意。
行初禪亦不住是中。何以故。是初禪初禪相空。行禪者亦空。所用法亦空。第二第三第四禪亦如是。慈悲喜捨四無色定八背捨九次第定亦如是。得須陀洹果亦不住是中。得斯陀含果阿那含果阿羅漢果亦不住是中。得辟支佛道亦不住是中。 初禅を行ずるも亦た是の中に住せず。何を以っての故に、是の初禅の初禅の相は空にして、禅を行ずる者も亦た空、所用の法も亦た空なればなり。第二、第三、第四禅も亦た是の如く、慈悲喜捨、四無色定、八背捨、九次第定も亦た是の如し。須陀洹果を得るも亦た是の中に住せず、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果を得るも亦た是の中に住せず、辟支仏道を得るも亦た是の中に住せず。
『初禅を行じながら!』、
是の、
『初禅』中に、
『住することはない!』。
何故ならば、
是の、
『初禅の相』は、
『空であり!』、
亦た、
『初禅を行じる!』者も、
『空であり!』、
亦た、
『用いられる法』も、
『空だからである!』が、
亦た、
『第二、第三、第四禅』も、
『是の通りであり!』、
亦た、
『慈悲喜捨、四無色定、八背捨、九次第定』も、
『是の通りである!』。
『須陀洹果を得ながら!』、
是の、
『須陀洹果』中に、
『住することなく!』、
『斯陀含果乃至阿羅漢果、辟支仏道を得ながら!』、
是の、
『辟支仏道』中に、
『住することもない!』。
須菩提白佛言。世尊。何因緣故不住是中。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、何の因緣の故にか、是の中に住せざる』、と。
『須菩提』が、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何のような、
『因緣』の故に、
是れ等の、
『法』中に、
『住しないのですか?』、と。
佛言。二因緣故不住是中。何等二。一者諸道果性空無住處。亦無所用法。亦無住者。二者不以少事為足。作是念。我不應不得須陀洹果。我必應當得須陀洹果。我但不應是中住。乃至辟支佛道我不應不得。我必應當得。我但不應是中住。乃至得阿耨多羅三藐三菩提不應住。何以故。我從初發意已來更無餘心。一心向阿耨多羅三藐三菩提。 仏の言わく、『二因縁の故に是の中に住せず。何等か二なる。一には諸の道果は、性空にして、住処無く、亦た所用の法無く、亦た住者無し。二には少事を以って足ると為さずして、是の念を作さく、『我れは応に須陀洹果を得ざるべからず。我れは必ず応当に須陀洹果を得べきも、我れは但だ応に是の中に住すべからず。乃至辟支仏道すら我れは応に得ざるべからず。我れは必ず応当に得べし。我れは但だ是の中に住すべからず。乃至阿耨多羅三藐三菩提を得るも、応に住すべからず。何を以っての故に、我れは初発意より已来、更に餘心無く、一心に阿耨多羅三藐三菩提に向えばなり』、と。
『仏』は、こう言われた、――
『二因縁』の故に、
是の、
『法』中に、
『住しないのである!』。
何のような、
『二因縁なのか?』、――
一には、
『諸の道果は、性空である!』が故に、
『住処も、所用の法も、住者も!』、
『無いからであり!』、
二には、
『少事を行って、満足せず!』、こう念じるからである、――
『わたしは、須陀洹果を得られないはずがない!』、
『わたしは、必ず、須陀洹果を得るだろうが!』、
『わたしは、但だ、是の須陀洹果中に住することはないだろう!』、
『乃至辟支仏道すら、わたしに得られないはずがない!』、
『わたしは、必ず、辟支仏道を得るだろうが!』、
『わたしは、但だ、是の辟支仏道中に住することはないだろう!』、
『乃至阿耨多羅三藐三菩提を得たとしても、住することはないだろう!』、
何故ならば、
『わたしは、初発意より、餘心無く!』、
『一心に、阿耨多羅三藐三菩提に向ってきたからである!』、と。
須菩提。菩薩一心向阿耨多羅三藐三菩提中遠離餘心所。作身口意業。皆應阿耨多羅三藐三菩提。須菩提。是菩薩摩訶薩住是一心能生菩提道。 須菩提、菩薩、一心に阿耨多羅三藐三菩提中に向かいて、餘心の所作を遠離して、身口意業は皆、阿耨多羅三藐三菩提に応ずれば、須菩提、是れ菩薩摩訶薩にして、是の一心に住じて、能く菩提の道を生ずるなり。
須菩提!
若し、
『菩薩』が、
『一心に、阿耨多羅三藐三菩提中に向って!』、
『餘心の作す!』所を、
『遠離して!』、
『身口意の業』が、
皆、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『応じれば!』、
須菩提!
是れは、
『菩薩摩訶薩』が、
是の、
『一心に住して!』、
『菩提の道』を、
『生じさせたのである!』。
須菩提白佛言。世尊。若一切諸法不生。云何菩薩摩訶薩能生菩提道。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、若し一切の諸法にして不生なれば、云何が菩薩摩訶薩は、能く菩提の道を生ずる』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
若し、
『一切の諸法が、不生ならば!』、
何故、
『菩薩摩訶薩』は、
『菩提の道を生じさせられるのですか?』、と。
佛告須菩提。如是如是。一切法無生。云何無生無所作無所起者。一切法不生故。 仏の須菩提に告げたまわく、『是の如し、是の如し。一切法は無生なり。云何が無生にして、所作無く、所起の者無き。一切法は不生なるが故なり』、と。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
『一切法は無生なのである!』。
何故、
『一切法は、無生であり!』、
『所作も、所起の者も( any thing done nor any body raising )!』、
『無いのか( is there neither )?』。
即ち、
『一切法』は、
『不生だからである!』。
須菩提白佛言。世尊。有佛無佛諸法法相不常住耶。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、仏有るも、仏無きも、諸法の法相は常住ならざるや』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『仏が有ろうと、仏が無かろうと!』、
『諸法の法相』は、
『常住ではないのですか?』、と。
佛言。如是如是。有佛無佛是諸法法相常住。以眾生不知是法住法相。為是故菩薩摩訶薩為眾生故生菩提道。用是道拔出眾生生死。 仏の言わく、『是の如し、是の如し。仏有るも、仏無きも、是の諸法の法相は、常住なるも、衆生は、是の法の法相に住するを知らざるを以って、是の為めの故に、菩薩摩訶薩は、衆生の為めの故に、菩提の道を生じ、是の道を用いて、衆生を生死より抜き出すなり』、と。
『仏』は、こう言われた、――
その通りだ!
その通りだ!
『仏が有ろうと、仏が無かろうと!』、
是の、
『諸法の法相は、常住である!』が、
『衆生』は、
是の、
『法が、法相に住する!』のを、
『知らない!』ので、
是の故に、
『菩薩摩訶薩』は、
『衆生の為め!』の故に、
『菩提の道』を、
『生じさせ!』、
是の、
『道を用いて!』、
『衆生』を、
『生死より、抜き出すのである!』、と。
須菩提白佛言。世尊。用生道得菩提。佛言不也。世尊。用不生道得菩提。佛言不也。世尊。用不生非不生道得菩提。佛言不也。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、生の道を用いて菩提を得や』、と。仏の言わく、『不なり』、と。『世尊、不生の道を用いて菩提を得や』。仏の言わく、『不なり』、と。『世尊、不生非不生の道を用いて、菩提を得や』。仏の言わく、『不なり』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
『生の道を用いて( by the way created )!』、
『菩提』を、
『得るのですか?』、と。
『仏』は、こう言われた、――
『得ることはない!』、と。
――
世尊!
『不生の道を用いて( by the way not created yet )!』、
『菩提』を、
『得るのですか?』。
『仏』は、こう言われた、――
『得ることはない!』、と。
――
世尊!
『不生非不生の道を用いて( by the both ways )!』、
『菩提』を、
『得るのですか?』。
『仏』は、こう言われた、――
『得ることはない!』、と。
須菩提言。世尊。云何當得菩提。佛言。非用道得菩提。亦不用非道得菩提。須菩提。菩提即是道。道即是菩提。 須菩提の言わく、『世尊、云何が、当に菩提を得べきや』、と。仏の言わく、『道を用いて菩提を得るに非ず。非道を用いて菩提を得るにあらず。須菩提、菩提は即ち是れ道、道は即ち是れ菩提なり』、と。
『須菩提』は、こう言った、――
世尊!
何うすれば、
『菩提』を、
『得られるのですか?』、と。
『仏』は、こう言われた、――
『道を用いて、菩提を得るのでもなく!』、
『非道を用いて!』、
『菩提を得るのでもない!』。
須菩提!
『菩提とは、即ち道であり!』、
『道』とは、
『即ち、菩提だからである!』。
須菩提白佛言。世尊。若菩提即是道。道即是菩提者。今菩薩未作佛。應當得阿耨多羅三藐三菩提。云何說諸佛多陀阿伽度阿羅呵三藐三佛陀有三十二相八十隨形好十力四無所畏四無礙智十八不共法大慈大悲。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、若し菩提は、即ち是れ道、道は即ち是れ菩提なれば、今、菩薩は、今仏と作らざるに、応当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。云何が、『諸仏、多陀阿伽度、阿羅呵、三藐三仏陀には、三十二相、八十随形好、十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法、大慈大悲有り』、と説きたまえる』、と。
『須菩提』は、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
若し、
『菩提は、即ち道であり!』、
『道』は、
『即ち、菩提ならば!』、
今、
『菩薩は、未だ仏と作らない!』のに、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るはずです!』。
何故、こう説かれたのですか?――
『諸仏、多陀阿伽度、阿羅呵、三藐三仏陀』には、
『三十二相、八十随形好乃至大慈大悲』が、
『有る!』、と。
佛告須菩提。於汝意云何。佛得菩提不。不也世尊。佛不得菩提。何以故。佛即是菩提。菩提即是佛。如須菩提所問。菩薩時亦應得菩提。 仏の須菩提に告げたまわく、『汝が意に於いて云何。仏は菩提を得や不や』、と。『不なり、世尊。仏は菩提を得たまわず。何を以っての故に、仏は即ち是れ菩提、菩提は即ち是れ仏なればなり』。『須菩提の所問の如く、菩薩の時にも亦た、応に菩提を得べし』。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
お前の、意には何うなのか?――
『仏』は、
『菩提を得るだろうか?』、と。
――
いいえ!
世尊!
『仏が、菩提を得ることはありません!』、
何故ならば、
『仏は、即ち菩提であり!』、
『菩提』は、
『即ち、仏だからです!』。
――
『須菩提が問うたように!』、
『仏は、菩薩の時にも!』、
『菩提』を、
『得ているはずである!』。
須菩提是菩薩摩訶薩具足六波羅蜜三十七助道法。具足佛十力四無所畏四無礙智十八不共法。具足住如金剛三昧。用一念相應慧。得阿耨多羅三藐三菩提。是時名為佛。一切法中得自在。 須菩提、是の菩薩摩訶薩は、六波羅蜜、三十七助道法を具足し、仏の十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法を具足し、如金剛三昧に住するを具足し、一念相応の慧を用いて、阿耨多羅三藐三菩提を得れば、是の時名づけて、仏と為し、一切法中に自在を得。
須菩提!
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『六波羅蜜、三十七助道法を具足して!』、
『仏の十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法を具足し!』、
『如金剛三昧に具足して住し!』、
『一念相応の慧を用いて
according to the wisdom united with in an instant of thought )!』
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るのであり!』、
是の時、
『仏と称され!』、
『一切法中に、自在を得るのである!』。
  一念相応慧(いちねんそうおうのえ):一瞬の思考に結びついた智慧( wisdom united with in an instant of thought )。
須菩提白佛言。世尊。云何菩薩摩訶薩淨佛國土。 須菩提の仏に白して言さく、『世尊、云何が、菩薩摩訶薩は、仏国土を浄むる』、と。
『須菩提』が、
『仏に白して!』、こう言った、――
世尊!
何のように、
『菩薩摩訶薩』は、
『仏国土を浄めるのですか?』、と。
佛言。有菩薩從初發意已來。自除身麤業除口麤業除意麤業。亦淨他人身口意麤業。世尊。何等是菩薩摩訶薩身麤業口麤業意麤業。 仏の言わく、『有る菩薩は初発意より已来、自ら身の麁業を除き、口の麁業を除き、意の麁業を除き、亦た他人の身口意の麁業を浄むるなり』、と。『世尊、何等か、是れ菩薩摩訶薩の身の麁業、口の麁業、意の麁業なる』。
『仏』は、こう言われた、
有る、
『菩薩は、初発意より!』、
『自ら!』、
『身の麁業、口の麁業、意の麁業』を、
『除きながら!』、
『他人の!』、
『身、口、意の麁業』を、
『浄めるのである!』、と。
――
世尊!
何のようなものが、
『菩薩摩訶薩』の、
『身の麁業、口の麁業、意の麁業なのですか?』。
佛告須菩提。不善業若殺生乃至邪見。是名菩薩摩訶薩身口意麤業。 仏の須菩提に告げたまわく、『不善業の若しは殺生、乃至邪見は、是れを菩薩摩訶薩の身口意の麁業と名づく。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
『殺生、乃至邪見のような!』、
『不善業』を、
『菩薩摩訶薩の身口意の麁業』と、
『称するのである!』。
復次須菩提。慳貪心破戒心瞋心懈怠心亂心愚癡心。是名菩薩意麤業。 復た次ぎに、須菩提、慳貪心、破戒心、懈怠心、乱心、愚癡心は、是れを菩薩の意の麁業と名づく。
復た次ぎに、
須菩提!
『慳貪心、破戒心、瞋心、懈怠心、乱心、愚癡心』を、
『菩薩の意の麁業』と、
『称するのである!』。
復次戒不淨是名菩薩身口麤業。 復た次ぎに、戒の不浄なる、是れを菩薩の身口の麁業と名づく。
復た次ぎに、
『戒が、不浄ならば!』、
是れを、
『菩薩の身口の麁業』と、
『称するのである!』。
復次須菩提。若菩薩遠離四念處行。是名菩薩麤業。遠離四正勤四如意足五根五力七覺分八聖道分空三昧無相無作三昧。亦名菩薩麤業。 復た次ぎに、須菩提、若し菩薩、四念処の行を遠離すれば、是れを菩薩の麁業と名づけ、四正勤、四如意足、五根五力、七覚分、八聖道分、空三昧、無相無作三昧を遠離するをも、亦た菩薩の麁業と名づく。
復た次ぎに、
須菩提!
若し、
『菩薩』が、
『四念処の行を遠離すれば!』、
是れを、
『菩薩の麁業』と、
『称し!』、
亦た、
『四正勤、四如意足、五根五力、七覚分、八聖道分を遠離し!』、
『空無相無作三昧を遠離する!』のも、
『菩薩の麁業』と、
『称する!』。
復次須菩提。菩薩摩訶薩貪須陀洹果。乃至貪阿羅漢果證辟支佛道。是名菩薩摩訶薩麤業 復た次ぎに、須菩提、菩薩摩訶薩、須陀洹果を貪り、乃至阿羅漢果を貪り、辟支仏道を証すれば、是れを菩薩摩訶薩の麁業と名づく。
復た次ぎに、
須菩提!
『菩薩摩訶薩』が、
『須陀洹果を貪り、乃至阿羅漢果を貪り、辟支仏道を証すれば!』、
是れを、
『菩薩摩訶薩の麁業』と、
『称する!』。


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