【論】釋曰。眾會疑菩薩何因緣故。得如是力魔不能壞。佛答有二因緣故魔不能壞。一者觀諸法空。二者不捨一切眾生。以日月因緣故萬物潤生。但有月而無日則萬物濕壞但有日而無月則萬物燋爛。日月和合故萬物成熟。菩薩亦如是。有二道一者悲二者空。 |
釈して曰く、衆会の疑わく、『菩薩は、何の因縁の故にか、是の如き力を得て、魔の壊る能わざる』、と。仏の答えたまわく、『二因縁有るが故に、魔は壊る能わず。一には諸法の空を観て、二には一切の衆生を捨てざればなり』、と。日、月の因緣を以っての故に、万物潤うて生ずるも、但だ月有りて、日無くんば、則ち万物湿りて壊れ、但だ日有りて、月無くんば、則ち万物焦げて爛るるも、日、月の和合の故に、万物成熟す。菩薩にも亦た是の如く、二道有りて、一には悲、二には空なり。 |
釈す、
『衆会』は、こう疑った、――
『菩薩』は、
何のような、
『因緣』の故に、
是のような、
『力を得て!』、
『魔』が、
『壊ることができないのか?』、と。
『仏』は、こう答えられた、――
『二因縁が有る!』が故に、
『魔は壊ることができない!』、――
一には、
諸の、
『法は空である!』と、
『観察すること!』、
二には、
一切の、
『衆生』を、
『捨てないことである!』、と。
譬えば、
『日、月の因緣』の故に、
『万物』は、
『潤って!』、
『生じるようなものである!』、――
但だ、
『月だけが有って!』、
『日が無ければ!』、
則ち、
『万物』は、
『湿って壊れるだろう!』。
但だ、
『日だけが有って!』、
『月が無ければ!』、
則ち、
『万物』は、
『焦げて爛れるだろう!』。
『日、月が和合する!』が故に、
『万物が成熟するのである!』が、
亦た、
『菩薩』も、
是のように、
『二道が有り!』、
一には、
『悲であり!』、
二には、
『空である!』。
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悲心憐愍眾生誓願欲度空心來則滅憐愍心。若但有憐愍心無智慧。則心沒在無眾生而有眾生顛倒中。若但有空心捨憐愍度眾生心則墮斷滅中。是故佛說二事兼用。雖觀一切空而不捨眾生。雖憐愍眾生不捨一切空。觀一切法空空亦空故不著空。是故不妨憐愍眾生。觀憐愍眾生亦不著眾生。不取眾生相。但憐愍眾生引導入空。是故雖行憐愍而不妨空。雖行空亦不取空相故。不妨憐愍心。如日月相須。 |
悲心、衆生を憐愍し、誓願して度せんと欲するに、空心来たれば、則ち憐愍心を滅す。若し但だ憐愍心のみ有りて、智慧無くんば、則ち心は、無衆生なるに、而も有衆生の顛倒中に没在す。若し但だ空心のみ有りて、憐愍して衆生を度する心を捨つれば、則ち断滅中に堕す。是の故に仏は、二事を説いて、兼ねて用い、一切の空を観ると雖も、衆生を捨てず、衆生を憐愍すと雖も、一切の空を捨てず。一切法の空を観るも、空も亦た空なるが故に、空にも著せず。是の故に衆生を憐愍する観を妨げず。衆生を憐愍するも、亦た衆生に著せず、衆生相を取らず、但だ衆生を憐愍して、引導して空に入れしむ。是の故に憐愍を行ずと雖も、空を妨げず。空を行ずと雖も、亦た空相を取らざるが故に、憐愍心を妨げず。日月の相須(ま)つが如し。 |
『悲心』が、
『衆生を憐愍して!』、
『度そう!』と、
『誓願し!』、
『空心が来て!』、
則ち、
『憐愍心』を、
『滅するのである!』から、
若し、
但だ、
『憐愍心だけが有って!』、
『智慧』が、
『無ければ!』、
則ち、
『衆生が無いのに、衆生が有るという!』、
『顛倒』中』に、
『心』が、
『没在することになり!』、
若し、
但だ、
『空心だけが有って!』、
『憐愍して!』、
『衆生を度する心』を、
『捨てれば!』、
則ち、
『断滅』中に、
『堕ちることになる!』。
一切の、
『法は空であり!』、
『空も空である!』と、
『観る!』が故に、
『空』に、
『著さないので!』、
是の故に、
『衆生を憐愍するような!』、
『観』を、
『妨げることがなく!』、
『衆生を憐愍しながら!』、
『衆生に著さず!』、
『衆生の相』を、
『取ることもなく!』、
但だ、
『衆生を憐愍して!』、
『引導し!』、
『空』に、
『入らせるだけであるので!』、
是の故に、
『憐愍を行いながら!』、
『空』を、
『妨げず!』、
『空を行っても!』、
『空相を取らない!』が故に、
『憐愍心』を、
『妨げない!』。
譬えば、
『日、月』が、
互に、
『待つようなものである!』。
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諸神天輕賤妄語人。若菩薩不如所說行。則五種執金剛神捨離不復守護。惡鬼得便是人喜生惡心。惡心故則生惡業。生惡業故則墮惡道。 |
諸の神、天は妄語の人を軽賎すれば、若し菩薩、所説の如く行ぜずんば、則ち五種の執金剛神、捨離して、復た守護せざれば、悪鬼、便を得、是の人は、喜んで悪心を生じ、悪心の故に則ち悪業を生じ、悪業を生ずるが故に、則ち悪道に堕す。 |
『諸の神、天』は、
『妄語の人を軽賎する!』ので、
若し、
『菩薩』が、
『所説のように!』、
『行わなければ!』、
則ち、
『五種の執金剛神』は、
是の、
『人を捨離して!』、
復た( no longer )、
『守護しない!』ので、
『悪鬼』が、
『便( the opportunity of chatching anyone )』を、
『得ることになり!』、
是の、
『人』は、
『喜んで!』、
『悪心』を、
『生じ!』、
『悪心』の故に、
『悪業』を、
『生じることになり!』、
『悪業を生じる!』が故に、
『悪道』に、
『堕ちるのである!』。
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菩薩不為諸佛所念者則善根朽壞。如魚子不為母念則爛壞不生。是故言所作如所言。亦為諸佛所念。得此二法故不可破壞。 |
菩薩、諸仏に念ぜられずんば、則ち善根朽壊す。魚子の母に念ぜられずんば、則ち爛壊して生ぜざるが如し。是の故に言わく、『所作の所言の如きは、亦た諸仏に念ぜられ、此の二法を得るが故に破壊すべからず』、と。 |
『菩薩』が、
『諸仏に念じられなければ!』、
『善根』が、
『朽壊することになる!』。
譬えば、
『魚子』が、
『母に念じられなければ!』、
『爛壊して!』、
『生じないようなものである!』。
是の故に、こう言う、――
『所作』が、
『所言と同じならば!』、
亦た、
『諸仏』に、
『念じられるのであり!』、
此の、
『二法を得る!』が故に、
『菩薩』は、
『破壊されないのである!』。
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若菩薩能如是真行般若波羅蜜魔不能壞。功德智慧增益。諸天則來親近諮問安慰勸喻作是言。善男子。汝疾得阿耨多羅三藐三菩提不久。以是因緣故常行空行。 |
若し、菩薩、能く是の如く、真に般若波羅蜜を行ぜば、魔は壊る能わず。功徳と智慧と増益し、諸天は則ち来たりて、親近し、諮問、安慰、勧喩して、是の言を作さん、『善男子、汝は疾かに阿耨多羅三藐三菩提を得て、久しからず』、と。是の因縁を以っての故に、常に空行を行ず。 |
若し、
『菩薩』が、
是のように、
真に、
『般若波羅蜜を行うことができれば!』、
『魔は壊ることができず!』
『功徳と智慧』が、
『増益する!』ので、
『諸天が来て!』、
『親近し!』、
『諮問、安慰、勧喩して!』、
こう言うだろう、――
善男子!
お前は、
疾かに、
『阿耨多羅三藐三菩提を得るだろう!』、
『久しくはない!』、と。
是の、
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問曰。諸天未得一切智。云何能與菩薩授記。 |
問うて曰く、諸天は、未だ一切智を得ざるに、云何が能く、菩薩に記を授くる。 |
問い、
『諸天』は、
未だ、
『一切智』を、
『得ていない!』のに、
何故、
『菩薩』に、
『記を授けることができるのですか?』。
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答曰。諸天長壽從過去諸佛聞如是行得記。今見菩薩有如是行故說。見因知有果故。諸天見是菩薩行三解脫門印。亦兼行慈悲心於眾生。是故說言不久作佛。無守護眾生汝為作守護。無歸與作歸等義如先說。 |
答えて曰く、諸天は長寿にして、過去の諸仏より、是の如き行の記を得るを聞けば、今、菩薩に、是の如き行有るを見るが故に説く。因を見て、果有るを知るが故なり。諸天は、是の菩薩の三解脱門を行ずる印と、亦た兼ねて慈悲心を衆生に行ずるを見て、是の故に説いて言わく、『久しからずして、仏と作らん。守護無き衆生には、汝為に、守護と作らん』、と。無帰の与(ため)に帰と作る等の義は、先に説けるが如し。 |
答え、
『諸天は長寿であり!』、
『過去の諸仏より!』、
是のような、
『行』は、
『記を得るだろう!』と、
『聞き!』、
今、
『菩薩に、是のような行が有る!』のを、
『見た!』が故に、
『説いたのであり!』、
『因を見て!』、
『果が有るだろう!』と、
『知ったからである!』。
『諸天』は、
是の、
『菩薩』が、
『三解脱門という!』、
『印』を、
『行いながら!』、
兼ねて、
『見る!』が故に、
こう言ったのである、――
『久しからずして、仏と作り!』、
『無守護の衆生の為に!』、
お前は、
『守護と作るだろう!』、と。
『無帰( be houseless )の衆生の為に、帰と作るだろう!』等は、
先に、
『説いた通りである!』。
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印(いん):梵語 mudraa の訳、印章によって作られた印影(the stamp or impression made by a seal )の義、法の真実性と不変性とを保証する印(
the stamp assuring the reality and immutability of the Dharma )の意。 |
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若菩薩能如是行甚深般若波羅蜜。十方現在無量諸佛說法時。稱揚讚歎是名字者。如我今稱揚寶相菩薩尸棄菩薩及阿閦佛世界中菩薩。 |
若し菩薩、能く是の如く、甚だ深き般若波羅蜜を行ずれば、十方、現在の無量の諸仏、説法の時、是の名字を称揚、讃歎すること、我が、今、宝相菩薩、尸棄菩薩、及び阿閦仏世界中の菩薩を称揚するが如し。 |
若し、
『菩薩』が、
是のように、
『甚だ深い般若波羅蜜を行うことができれば!』、
『十方の現在の無量の諸仏』が、
『説法する!』時、
是の、
『名字』を、
『称揚し、讃歎するだろう!』。
わたしが、
今、
『宝相菩薩、尸棄菩薩や、阿閦仏世界中の菩薩』を、
『称揚するように!』。
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又如十方佛說法時稱揚諸妙行菩薩。菩薩能如所說應諸法實相者。十方諸佛說法時。亦以是菩薩為譬喻。作是言某方某世界菩薩雖未作佛。能如是行甚深般若波羅蜜。功德希有故 |
又、十方の仏の説法の時、諸の妙行の菩薩を称揚するが如く、菩薩、能く所説の如く、諸法の実相に応ずれば、十方の諸仏は、説法の時、亦た是の菩薩を以って、譬喩と為し、是の言を作さん、『某方、某世界の菩薩、未だ仏と作らずと雖も、能く是の如く、甚だ深き般若波羅蜜を行ず。功徳の希有なるが故なり』、と。 |
又、
『十方の仏』が、
『説法する!』時、
諸の、
『妙行の菩薩』を、
『称揚するように!』、
『菩薩』が、
『所説のように!』、
『諸法の実相』に、
『相応する( be concomitant with )ことができれば!』、
『十方の諸仏』は、
『説法する!』時、
是の、
『菩薩を譬喩として!』、こう言うだろう、――
『某方、某世界の菩薩』が、
未だ、
『仏と作らないのに!』、
『甚だ深い般若波羅蜜』を、
是のように、
『行うことができる!』のは、
是の、
『実相に相応する!』、
『功徳』が、
『希有だからである!』、と。
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如大國王有大將不惜身命有方便能破怨敵常為國王所稱譽。菩薩亦如是。觀畢竟空不惜我身。破煩惱賊有方便而不作證。教化眾生諸佛所稱譽。 |
大国の王に、大将有り、身命を惜まず、方便有れば、能く怨敵を破りて、常に国王に賞与せらるるが如く、菩薩も亦た是の如く、畢竟空を観て、我身を惜まず、煩悩の賊を破り、方便有るも、証を作さず、衆生を教化すれば、諸仏に称誉せらるるなり。 |
譬えば、
『大国の王』に、
『大将が有り!』、
『身命を惜まず、方便が有って!』、
『怨敵』を、
『破ることができれば!』、
常に、
『国王』に、
『称誉されるように!』、
亦た、
『菩薩』も、
是のように、
『畢竟空を観て!』、
『我身』を、
『惜まず!』、
『煩悩の賊を破る!』、
『方便が有る!』のに、
『証することなく!』、
『衆生を教化すれば!』、
『諸仏』に、
『称誉されるのである!』。
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諸佛雖無著心無分別善不善法視諸阿羅漢外道亦無憎愛。為利益眾生故讚歎善人稱揚善法毀訾不善。所以者何欲使眾生依附好人心隨善法。令出世間故。 |
諸仏には、著心無く、善不善法を分別する無く、諸の阿羅漢、外道を視て、亦た憎愛無しと雖も、衆生を利益せんが為の故に、善人を讃歎し、善法を称揚して、不善を毀呰したもう。所以は何んとなれば、衆生をして、好人に依附せしめ、心を善法に随わしめ、世間を出でしめんと欲するが故なり。 |
『諸仏』は、
『著心が無く!』、
『善、不善の法』を、
『分別すること!』も、
『無く!』、
諸の、
『阿羅漢を視ても、外道を視ても!』、
『憎、愛すること!』が、
『無い!』が、
『衆生を利益する!』為の故に、
『善人を讃歎し!』、
『善法を称揚して!』、
『不善法』を、
『毀呰されるのである!』。
何故ならば、
『衆生』を、
『好人に依附して( attaching to )!』、
『心を、善法に随わせ!』、
『世間』を、
『出させようとされるからである!』。
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依附(えふ):梵語 saMzraya の訳、附属すること( attachment to )の義。 |
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問曰。何經中說二菩薩。佛所讚歎。 |
問うて曰く、何なる経中に、二菩薩の仏に讃歎せらるるを説く。 |
問い、
何の、
『経』中に、
『二菩薩は、仏に讃歎される!』と、
『説いているのですか?』。
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答曰。佛經無量佛涅槃後諸惡邪見王出焚燒經法。破壞塔寺害諸沙門。五百歲後像法不淨。諸阿羅漢神通菩薩難可得見。故諸深經不盡在閻浮提。行者受者少故諸天龍神持去。 |
答えて曰く、仏の経は無量なれども、仏の涅槃の後には、諸の悪邪見の王出でて、経法を焚焼し、塔寺を破壊して、諸の沙門を害すれば、五百歳の後には、像法にして不浄なり。諸の阿羅漢、神通の菩薩は見るを得べきこと難きが故に、諸の深き経は、尽くは閻浮提に在らざるも、行者も、受者も少なきが故に、諸天、龍神持ちて去る。 |
答え、
『仏の経は無量である!』が、
『仏の涅槃された!』後には、
諸の、
『悪邪見の王が出て!』、
『経法を焚焼し!』、
『塔寺を破壊して!』、
『諸の沙門』を、
『殺害する!』ので、
『五百歳の後』の、
『像法( a picture of Dharma )は不浄である!』が故に、
諸の、
『阿羅漢や、神通の菩薩』には、
『知見すること!』が、
『難しく!』、
是の故に、
『深経が、閻浮提に尽きたわけではない!』が、
『閻浮提』には、
『行者も、受者も!』、
『少ない!』が故に、
諸の、
『天や、龍神』が、
『持ち去るのである!』。
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像法(ぞうほう):梵語 dharma-pratiruupaka の訳、絵にかいた法( a picture of Dharma )の義、偽りの徳( a counterfeit of virtue )の意。 |
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問曰。如遍吉菩薩觀世音菩薩大力勢菩薩文殊尸利彌勒菩薩等。何以故不讚歎而但稱譽二菩薩。 |
問うて曰く、遍吉菩薩、観世音菩薩、大力勢菩薩、文殊師利、弥勒菩薩等の如きを、何を以っての故にか、讃歎せず、但だ二菩薩のみを称誉する。 |
問い、
譬えば、
『遍吉菩薩や、観世音菩薩や、大力勢菩薩や、文殊師利や、弥勒菩薩』等を、
何故、
『讃歎せずに!』、
但だ、
『二菩薩( 宝相菩薩、尸棄菩薩)のみ!』を、
『称誉するのですか?』。
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答言。是二菩薩未得無生忍法而能似無生忍法行。必有此事一切魔民所不能壞。是故佛歎希有。 |
答えて言わく、是の二菩薩は、未だ無生忍法を得ずして、能く無生忍法の行に似たるに、必ず、此の事有れば、一切の魔民の壊る能わざる所なれば、是の故に仏は希有なりと歎じたまえり。 |
答え、
是の、
『二菩薩』は、
未だ、
『無生忍法を得ていないのに!』、
『無生忍に似た!』、
『法』を、
『行うことができ!』、
此の、
『事が有れば!』、
必ず、
『一切の魔民』に、
『壊られない!』ので、
是の故に、
『仏』は、
『希有である!』と、
『讃歎されたのである!』。
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復次是二菩薩清淨大願行深大慈悲心。不期疾作佛為度眾生故。有如是等功德故佛稱讚。 |
復た次ぎに、是の二菩薩は清浄の大願もて、深き大慈悲心を行じ、疾かに仏と作るを期せずして、衆生を度せんが為の故に、是れ等の如き功徳有るが故に、仏は称讃したまえり。 |
復た次ぎに、
是の、
『二菩薩』は、
『清浄な大願』で、
『深い大慈悲の心』を、
『行い!』、
『疾かに!』、
『仏と作ること!』を、
『期待せず!』、
『衆生を度す!』為の故に、
是のような、
『功徳』を、
『有する!』ので、
是の故に、
『仏』が、
『称讃されたのである!』。
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復次遍吉觀世音菩薩等功德極大人皆知是二菩薩人未知。故稱揚阿閦佛世界菩薩皆效阿閦佛。初發心來行清淨不雜行。生彼菩薩皆效其行。是故說阿閦佛世界菩薩稱譽其德。又如十方諸佛亦稱揚諸世界上妙菩薩。亦如釋迦文尼佛稱揚二菩薩。 |
復た次ぎに、遍吉、観世音菩薩等は、功徳極大なれば、人は皆、知るも、是の二菩薩は、人、未だ知らざるが故に、称揚したもう。阿閦仏の世界の菩薩は、皆、阿閦仏に效(なら)い、初発心より来(このかた)、行清浄にして、行を雑えず。彼に生ずる菩薩は、皆、其の行を效う。是の故に、阿閦仏の世界の菩薩を説いて、其の徳を称誉し、又十方の諸仏も、亦た諸世界の上妙の菩薩を称揚したもうが如く、亦た釈迦文尼仏の如きも、二菩薩を称揚したもう。 |
復た次ぎに、
『遍吉や、観世音菩薩』等は、
是の、
『二菩薩』を、
『人』は、
未だ、
『知らない!』が故に、
『称揚したのである!』。
『阿閦仏の世界の菩薩』は、
皆、
『阿閦仏を見習う( to imitate )ので!』、
『初発心以来!』、
『行が清浄であり!』、
『行』を、
『雑えず!』、
彼の、
『世界に生まれた!』、
『菩薩は皆!』、
其の、
『行』を、
『見習う!』ので、
是の故に、
又、
『十方の諸仏』が、
亦た、
『諸の世界の上妙の菩薩』を、
『称揚されるように!』、
『釈迦文尼仏など!』も、
是の、
『二菩薩』を、
『称揚されるのである!』。
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效(ぎょう):ならう/見習う/[師法を]摸倣する( to imitate )。 |
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何等是菩薩。從初發意乃至十地。佛讚歎是菩薩所為甚難能不斷佛種。此中須菩提問何等菩薩。佛說法時稱揚讚歎說其名字。 |
何等か、是れ菩薩にして、初発意より、乃至十地まで、仏は、是の菩薩の所為の甚だ難くして、能く仏種を断ぜざるを讃歎したもう。此の中に、須菩提の問わく、『何等の菩薩か、仏の説法の時、其の名字を称揚、讃歎して説きたもうや』、と。 |
何のような、
『菩薩』を、
『初発意より、乃至十地まで!』、
『仏』は、
是の、
『菩薩の所為は甚だ困難であり!』、
『仏種を断じさせない!』と、
『讃歎されたのか?』。
此の中に、
『須菩提』は、こう問うている、――
何のような、
『菩薩』を、
『仏は説法される!』時、
其の、
『名字』を、
『称揚、讃歎して!』、
『説かれるのですか?』、と。
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問曰。佛已先說。須菩提何以更問。 |
問うて曰く、仏の已に先に説きたまえるに、須菩提は、何を以ってか、更に問える。 |
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答曰。佛初說大菩薩。後稱說一切菩薩。從初發意乃至十地。是故須菩提疑問佛。佛讚歎何等菩薩稱其名字。佛答佛雖皆愛念一切菩薩。其中有德行勝者稱揚其名字。何等菩薩佛所稱歎。如阿閦佛初發心時。行清淨行不休不息。乃至阿耨多羅三藐三菩提。如是等菩薩佛所讚歎。 |
答えて曰く、仏は初に、大菩薩を説き、後に称えて、一切の菩薩の初発意より、乃至十地までを説きたもう。是の故に、須菩提は疑いて、仏に問えり、『仏は、何等の菩薩を讃歎してか、其の名字を称えたもう』、と。仏の答えたまわく、『仏は、皆、一切の菩薩を愛念すと雖も、其の中に徳行の勝る者有れば、其の名字を称揚す』、と。何等の菩薩か、仏に称歎せらるる。阿閦仏の如きは、初発心の時、清浄行を行じて、乃至阿耨多羅三藐三菩提まで不休不息なれば、是れ等の如き菩薩は、仏に讃歎せらる。 |
答え、
『仏』は、
初めに、
『大菩薩を説かれ!』、
後に、
『初発意より、十地まで!』の、
『一切の菩薩』を、
『称えて説かれた!』ので、
是の故に、
『須菩提は疑い!』、
『仏』に、こう問うた、――
『仏』が、
何のような、
『菩薩』を、
『讃歎して!』、
其の
『名字』を、
『称えられるのですか?』、と。
『仏』は、こう答えられた、――
『仏』は、
皆、
『一切の菩薩』を、
『愛念している!』が、
其の中に、
『徳行の勝る者が有れば!』、
其の、
『名字』を、
『称揚するのである!』、と。
何のような、
『菩薩』が、
『仏』に、
『称歎されるのか?』、――
例えば、
『阿閦仏など!』は、
『初発心の時』には、
『清浄の行を行いながら!』、
乃至、
『阿耨多羅三藐三菩提まで!』、
『不休、不息であった!』が、
是れ等のような、
『菩薩』が、
『仏』に、
『讃歎されるのである!』。
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復次有菩薩未得無生法忍。未入菩薩位。行般若波羅蜜力故。常思惟籌量求諸法實相。能信解忍通一切法無生相空虛誑不堅固。有如是等相。諸菩薩摩訶薩。佛稱名讚歎。 |
復た次ぎに、有る菩薩は、未だ無生法忍を得ず、未だ菩薩位に入らざるも、般若波羅蜜を行ずる力の故に、常に思惟し、籌量して、諸法の実相を求むれば、能く、一切法の無生相、空、虚誑、不堅固なるを信じ、解し、忍じ、通ず。是れ等の如き相有る、諸の菩薩摩訶薩を仏は名を称して、讃歎したもう。 |
復た次ぎに、
有る、
『菩薩』は、
未だ、
『無生法忍を得ていない!』し、
未だ、
『菩薩位にも入っていない!』が、
『般若波羅蜜を行う力』の故に、
常に、
『思惟し、籌量して!』、
『諸法の実相』を、
『求める!』ので、
一切の、
『法』には、
『生相が無く!』、
『空、虚誑、不堅固である!』と、
『信じ( to believe )!』、
『解し( to understand )!』、
『忍じ( to endure )!』、
『通じる( to understand clearly )!』。
是れ等のような、
『相を有する!』、
『諸の菩薩摩訶薩』を、
『仏』は、
『名を称えて!』、
『讃歎されるのである!』。
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忍(にん):梵語 kSaanti の訳、忍耐( patience, forbearance, endurance )の義。 |
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虛誑不實不堅固者皆是無常。苦無我門。一切法空者即是空門。一切法無生者即是諸法實相滅諸觀。 |
虚誑、不実にして、不堅固なる者は、皆、是れ無常、苦、無我の門なり。一切法の空なる者は、即ち是れ空の門なり。一切法の無生なる者は、即ち是れ諸法の実相の諸観を滅するなり。 |
『虚誑や、不実や、不堅固』は、
皆、
『無常、苦、無我の門である!』。
『一切法の空』は、
即ち、
『空の門である!』。
『一切法の無生』は、
即ち、
『諸法の実相』は、
『諸観』を、
『滅するからである!』。
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復次虛誑不實不堅固即是無作解脫門。一切法空即是空解脫門。一切法無生即是無相解脫門。如是等三種差別。 |
復た次ぎに、虚誑、不実、不堅固は、即ち是れ無作解脱門なり。一切法の空は、即ち是れ空解脱門なり。一切法の無生は、即ち是れ無相解脱門なり。是れ等の如き三種の差別あり。 |
復た次ぎに、
『虚誑、不実、不堅固』は、
即ち、
『無作解脱門であり!』、
『一切法の空』は、
即ち、
『空解脱門であり!』、
『一切法の無生』は、
即ち、
『無相解脱門である!』。
是れ等のように、
『三種に!』、
『差別される!』。
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是人出柔順法忍。未得無生法忍。出凡夫法未入聖法而能信受聖法。似得聖法人是故希有。如佛所稱譽。阿鞞跋致菩薩能斷二地得受記。是人為佛所稱譽亦如是。如是相人雖未得無生法忍。智慧力故為諸佛稱名讚歎。 |
是の人は、柔順法忍を出でて、未だ無生法忍を得ず、凡夫法を出でて、未だ聖法に入らざるも、能く聖法を信受すれば、聖法を得たる人に似て、是の故に希有なり。仏の称誉したもう所の如きは、阿鞞跋致の菩薩にして、能く二地を断じて、受記を得。是の人の仏に称誉せらるること、亦た是の如し。是の如き相の人は、未だ無生法忍を得ずと雖も、智慧力の故に、諸仏に名を称えられ、讃歎せらる。 |
是の、
『人』は、
『柔順法忍( to endure the truth flexbly )を出た!』が、
未だ、
『無生法忍( to endure the dharma of non-production )』を、
『得ていず!』、
『凡夫の法を出た!』が、
『聖法を信受することができ!』、
『聖法を得た!』、
『人』に、
『似ている!』ので、
是の故に、
『希有である!』。
『仏に称誉されるような!』、
『阿鞞跋致の菩薩』は、
『二地( 声聞、辟支仏地)を断じて!』、
『記』を、
『受けることができる!』が、
是の、
『人』が、
『仏に称誉される!』のも、
亦た、
『是の通りである!』。
是のような、
『相の人』は、
未だ、
『無生法忍を得ていなくても!』、
『智慧の力』の故に、
『諸仏』に、
『名を称えられて!』、
『讃歎される!』。
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柔順法忍(にゅうじゅんほうにん):梵語 anulomikii-dharma-kSaanti の訳、又柔順忍(梵 anulomikii- kSaanti
)に作る、梵語 anulomikii は、自然の成り行きに関して従順である( resignation to natural consequences
)の義、柔軟性という忍耐/真実と調和する( The patience of flexibility; to accord with the truth.
)の意。
無生法忍(むしょうほうにん):梵語 anutpattika- dharma- kSaanti の訳、又無生忍(梵 anutpaada- kSaanti
)に作る、梵語 anutpattika は、不生( not procuced )の義、 |
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今以信根力勝故。佛亦稱名讚歎。何者是所謂。復次須菩提。若菩薩摩訶薩聞是深般若。其心明利不疑不悔作是念。是事如佛所說。 |
今、信根の力の勝るるを以っての故に、仏は、亦た名を称えて讃歎したもう。何者なりや、是れ謂わゆる、『復た次ぎに、須菩提、若し菩薩摩訶薩、是の深き般若を聞き、其の心明利なれば、疑わず、悔いずして、是の念を作さん、是の事は、仏の所説の如し、と』、となり。 |
今、
『信根』の、
『力』が、
『勝れている!』が故に、
亦た、
『仏』は、
『名を称えて!』、
『讃歎された!』。
何者を、讃歎されたのか?――
謂わゆる、これである、――
復た次ぎに、
須菩提!
若し、
『菩薩摩訶薩』が、
是の、
『深い般若波羅蜜を聞いて!』、
其の、
『心が明利ならば!』、
『疑うこともなく!』、
『悔いることもなく!』、
こう念じるだろう、――
是の、
『事』は、
『仏の説かれた通りだ!』、と。
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問曰。是菩薩已信解般若波羅蜜。何以更從阿閦佛及諸菩薩邊聞。 |
問うて曰く、是の菩薩は、已に般若波羅蜜を信解せるに、何を以ってか、更に、阿閦仏、諸菩薩の辺より、聞く。 |
問い、
是の、
『菩薩』が、
已に、
『般若波羅蜜』を、
『信解していたならば!』、
何故、
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答曰。是人聞阿閦佛作菩薩時所行清淨。是人聞已欲效阿閦佛所行。是故佛說此人於是得信力。於彼得智慧力。故當住阿鞞跋致地。是人未得無生忍法。以智慧力故得如阿鞞跋致。為諸佛所讚。有信力故得。如阿鞞跋致為諸佛所讚。若但聞般若得如是利益。何況信受如所說行。漸住一切種智中。 |
答えて曰く、是の人の聞かく、『阿閦仏は、菩薩と作りし時、所行清浄なり』、と。是の人は聞き已りて、阿閦仏の所行に效わんと欲すれば、是の故に、仏の説きたまわく、『此の人は、是に於いて信力を得、彼に於いて智慧力を得るが故に、当に阿鞞跋致地に住すべし。是の人は、未だ無生忍法を得ざるも、智慧力を以っての故に、阿鞞跋致の如く得て、諸仏に讃ぜらるるを得、信力有るが故に、阿鞞跋致の如く、諸仏に讃ぜらるるを得。若し但だ般若波羅蜜を聞かば、是の如き利益を得。何に況んや、信受して、所説の如く行ずるをや、漸く一切種智中に住せん。 |
答え、
是の、
『人』は、
『阿閦仏』が、
『菩薩に作った!』時には、
『所行が清浄であった!』と、
『聞いたのである!』が、
是の、
『人』は、
『聞いてしまう!』と、
『阿閦仏の所行』に、
『見習おう!』と、
『思った!』。
是の故に、
『仏』は、こう説かれた、――
此の、
『人』が、
是の所で、
『信の力』を、
『得て!』、
彼の所で、
『智慧の力』を、
『得たならば!』、
是の故に、
『阿鞞跋致の地』に、
『住することになろう!』。
是の、
『人』は、
未だ、
『無生忍法を得ていない!』が、
『智慧の力』の故に、
『阿鞞跋致のように!』、
『諸仏』に、
『讃じられることになり!』、
『信の力を有する!』が故に、
『阿鞞跋致のように!』、
『諸仏』に、
『讃じられるだろう!』。
若し、
但だ、
『般若波羅蜜を聞くだけでも!』、
是のような、
『利益』を、
『得るのであるから!』、
況して、
『般若波羅蜜を信受し!』、
『所説のように!』、
『行えば!』、
漸く( in the course of time )、
『一切種智』中に、
『住することになるだろう!』。
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須菩提問佛一切法空相無所得。云何菩薩住薩婆若。佛言如中住。如者即是空。菩薩住是畢竟空中名為住薩婆若。 |
須菩提の仏に問わく、『一切法は空相、無所得なるに、云何が菩薩は、薩婆若に住するや』、と。仏の言わく、『如中に住す』、と。如とは、即ち是れ空なり。菩薩の、是の畢竟空中に住するを、名づけて薩婆若に住すと為す。 |
『須菩提』は、
『仏』に、こう問うた、――
『一切法』が、
『空相であり!』、
『無所得ならば!』、
『菩薩』は、
何のように、
『薩婆若』に、
『住するのですか?』、と。
『仏』は、こう言われた、――
『如』中に、
『住するのだ!』、と。
『如』とは、
即ち、
『空である!』。
『菩薩』が、
是の、
『畢竟空中に住する!』のを、
『薩婆若に住する!』と、
『称するのである!』。
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此中須菩提問佛。除如更無法可得。誰住如中乃至無有是處。如經廣說。佛可須菩提所語。說如亦空因緣。所謂是如生滅住異不可得。若法無三相即是畢竟空云何可住。若住此中得阿耨多羅三藐三菩提。而說法無有是處。 |
此の中に、須菩提の仏に問わく、『如を除いて、更に法の得べき無し。誰か、如中に住せん。乃至是の処は有ること無し』、と。経に広説するが如し『仏は、須菩提の語る所を可として、如も亦た空なる因緣を、説きたまえり、謂わゆる、『是の如の生滅住異不可得なり。若し法に三相無ければ、即ち是れ畢竟空なり。云何が住すべけんや。若し此の中に住して、阿耨多羅三藐三菩提を得、而も法を説かば、是の処有ること無し』、と。 |
此の中に、
『須菩提』は、
『仏』に、こう問うた、――
『如を除けば!』、
更に、
『可得( be recognizable )の法』は、
『無いのに!』、
誰が、
『如』中に、
『住するのですか?』。
乃至、
例えば、
『経』には、こう広説されている、――
『仏』は、
『須菩提の語を可として!』、
『如も、亦た空である!』の、
『因緣』を、
『説かれた!』。
謂わゆる、
是の、
『如』は、
『生、滅、住異』が、
『不可得である!』が、
若し、
即ち、
是の、
『法』は、
『畢竟空である!』、
何うして、
『住することができるのか?』。
若し、
此の、
『法中に住して!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得!』、
而も、
『法』を、
『説いたならば!』、
是の、
『処( the reason )』は、
『無いのである!』、と。
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釋提桓因欲取般若一定相。聞佛共須菩提說無相亦不可得。是故白佛言。希有世尊。是般若甚深是菩薩所為甚難。欲得阿耨多羅三藐三菩提。 |
釈提桓因は、般若に一定相を取らんと欲するに、仏の須菩提と共に、無相も亦た不可得なりと説くを聞けば、是の故に仏に白して言さく、『希有なり、世尊、是の般若は甚だ深くして、是の菩薩は、所為甚だ難きに、阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲す。 |
『釈提桓因』は、
『般若波羅蜜』に、
『一定相』を、
『取ろうとしていた!』が、
『仏が、須菩提と共に!』、
『無相も、不可得である!』と、
『説く!』のを、
『聞き!』、
是の故に、
『仏に白して!』、こう言った、――
希有です!
世尊!
是の、
『般若波羅蜜は、甚だ深く!』、
是の、
『菩薩の所為は、甚だ深い!』のに、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ようとするのです!』。
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何以故。是如畢竟空除如更無。菩薩住是如中得阿耨多羅三藐三菩提。亦無定法名為佛。說法者所度眾生亦不離如。亦無拔出處涅槃。諸法常住如相故。菩薩聞是事心不疑悔是事為難。雖信一切法畢竟空。而欲求阿耨多羅三藐三菩提。精進不休不息是為難。 |
何を以っての故に、是の如は畢竟空なるに、如を除きて更に、菩薩の是の如中に住して、阿耨多羅三藐三菩提を得る無く、亦た定法の名づけて、仏と為すもの無く、説法する者の度する所の衆生も亦た如を離れず、亦た抜き出して処(お)く涅槃も無く、諸法は常住にして、如相なるが故なり。菩薩は、是の事を聞いて、心に疑悔せざれば、是の事を難しと為す。一切法の畢竟空を信ずと雖も、而も阿耨多羅三藐三菩提を求めんと欲して、精進し、不休不息なる、是れを難しと為す』、と。 |
何故ならば、
是の、
『如は畢竟空であり!』、
『如を除けば!』、
更に、
是の、
『如中に住して!』、
『阿耨多羅三藐三菩提を得るような!』、
『菩薩』も、
『無く!』、
亦た、
『説法者に度される!』、
『衆生』も、
『抜き出して置く!』、
『処』の、
『涅槃』も、
『無く!』、
『諸法』は、
『常住であり!』、
『如相である!』のに、
『菩薩』は、
是の、
『事を聞いても!』、
『心』に、
『疑うこともなく!』、
『悔いることもない!』ので、
是の、
『事』が、
『難しいのです!』。
一切の、
『法は、畢竟じて空である!』と、
『信じながら!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『求めようとし!』、
『精進して!』、
『休むこともなく!』、
『息むこともない!』ので、
是の、
『事』が、
『難しいのです!』、と。
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須菩提語帝釋若諸法畢竟空無所有。疑從何生何有難事。帝釋心歡喜作是念。須菩提實是樂說空法。須菩提有所解說皆說空事。雖說色等餘事其義皆趣向空。若有難問不能作礙。空亦空故 |
須菩提の、帝釈に語らく、『若し諸法、畢竟空にして、無所有なれば、疑は何より生ぜん。何ぞ難き事か有らん』、と。帝釈の心に歓喜して、是の念を作さく、『須菩提は、実に是れ空法を楽説す。須菩提に解説する所有らば、皆空事を説く。色等の餘の事を説くと雖も、其の義は、皆空に趣向す。若し難問有るも、礙を作す能わず。空も亦た空なるが故なり。 |
『須菩提』が、
『帝釈』に、こう語ると、――
若し、
『諸法』が、
『畢竟じて空であり!』、
『無所有ならば!』、
何から、
『疑』が、
『生じるのか?』。
何のような、
『難しい事』が、
『有るのか?』、と。
『帝釈』は、
『心に歓喜して!』、こう念じた、――
『須菩提』は、
実に、
『空法を説くこと!』を、
『楽しんでいるな!』。
『須菩提』が、
『解説すれば!』、
皆、
『空の事』を、
『説いている!』。
『色』等の、
『餘の事』を、
『説いたとしても!』、
其の、
『義』は、
皆、
『空』に、
『趣向している( be going to )!』。
若し、
『難問する者が有っても!』、
『須菩提』を、
『礙(さ)えぎることはできない!』。
『須菩提の趣向する!』所の、
『空も!』、
『空だからである!』。
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若人難空。須菩提先已破空。於有無中都無所礙。譬如仰射空中。虛空即是畢竟空。箭是須菩提智慧。所說如箭於空無礙。勢盡自墮非為空盡。須菩提說法因緣事辦故便止非為法盡。 |
若し人、空を難ずれば、須菩提は、先に已に空を破れば、有無中に於いて、都(すべ)て礙する所無し。譬えば空中に仰射する如し。虚空は即ち是れ畢竟空にして、箭は、是れ須菩提の智慧の所説なり。箭の空に於いて、無礙なるも、勢尽くれば、自ら堕つるも、空尽くと為すに非ざるが如く、須菩提の説法も、因緣の事辦ずれば、故に便ち止むも、法尽くと為すに非ず。 |
若し、
『人』が、
『空』を、
『難問したとしても!』、
『須菩提』は、
先に已に、
『空』を、
『破っており!』、 『有、無』中には、
『須菩提を礙えぎる!』所は、 『何も無い!』
譬えば、
『空』中に、
『箭』を、
『仰射するようなものである!』。
『虚空は、畢竟空であり!』、
『箭』は、
『須菩提の智慧』の、
『所説である!』。
『箭』が、
『空』中に於いて、
『礙えぎる者が無く!』、
『勢が尽きて!』、
『自ら堕ちても!』、
『空』が、
『尽きたのではないように!』、
『須菩提の説法』も、
『因緣の事』を、
『辨じた( be transacted already )!』が故に、
便ち( immediately )、
『止むのであり( have to stop )!』、
『法が尽きた!』が故に、
『説法』が、
『止むのではない!』。
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若有人雖有利箭射壁不能過。人雖有利智慧邪見著有則礙而不能通。是故須菩提說無障無礙法 |
若し、有る人に、利箭有りと雖も、壁を射れば、過ぐる能わず。人に、利智慧有りと雖も、邪見して有に著すれば、則ち礙えて、通す能わず。是の故に須菩提は無障、無礙の法を説けり。 |
若し、
有る、
『人』に、
『利い箭が有っても!』、
『壁を射れば!』、
『通過することができないように!』、
『人』に、
『利い智慧が有っても!』、
『邪見して!』、
『有』に、
『著していれば!』、
『有、無』の故に、
『智慧』を、
『礙えぎられて!』、
『通じることができない!』。
是の故に、
『須菩提』は、
『障、礙の無い!』、
『空法』を、
『説くのである!』。
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