【論】釋曰。佛更欲細說阿鞞跋致相故告須菩提一心諦聽。是菩薩常不離阿耨多羅三藐三菩提。樂行畢竟空故。不喜說分別五眾十二入十八界決定相。又不喜說國王等事。 |
釈して曰く、仏は更に、阿鞞跋致の相を細説せんと欲したもうが故に、須菩提に告げたまわく、『一心に諦聴せよ。是の菩薩は、常に阿耨多羅三藐三菩提を離れず、楽しんで畢竟空を行ずるが故に、五衆、十二入、十八界の決定相を説いて分別するを喜ばず。又国王等の事を説くを喜ばず。 |
釈す、
『仏』は、
更に、
『阿鞞跋致の相』を、
『細説しよう!』と、
『思われた!』が故に、
『須菩提』に、こう告げられた、――
一心に諦聴せよ!
是の、
『菩薩』は、
常に、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『離れることなく!』、
楽しんで、
『畢竟空を行う!』が故に、
『五衆、十二入、十八界』の、
『決定相を説く!』のを、
『喜ばないのである!』。
又、
『国王等の事を説く!』のも、
『喜ばない!』。
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如餘外道受他供養無正道故虛妄深著。心懈怠故說諸國事。分別過去世諸王力勢等樂。阿鞞跋致菩薩不說是事。見一切世間常為無常火燒。眾生可愍。我未得佛道。我但應說度眾生法。不應說餘事。一切法畢竟空故。大小相不可得。賊等事亦如是。 |
余の外道の如きは、他の供養を受くるも、正道無きが故に、虚妄に深く著し、心懈怠なるが故に、諸の国事を説き、過去世の諸王の力勢等を分別して楽しむも、阿鞞跋致の菩薩は、是の事を説かず、一切の世間の常に無常の火に焼かれ、衆生の愍むべきを見るに、『我れは、未だ仏道を得ざれば、我れは但だ応に衆生を度する法を説くべし、応に余の事を説くべからず。一切の法は畢竟空なるが故に、大小の相を得べからず、賊等の事も亦た是の如し。 |
余の、
『外道など!』は、
『他の供養を受けながら!』、
『正道の無い!』が故に、
『虚妄の法』に、
『深く著し!』、
『心が懈怠する!』が故に、
『諸の国事』を、
『説いたり!』、
『過去世の諸王』の、
『力勢等を説いて!』、
『楽しんでいる!』が、
『阿鞞跋致の菩薩』は、
是の、
『事』を、
『説かず!』、
一切の、
『世間』は、
常に、
『無常の火に焼かており!』、
『衆生は愍れまれるべきだ!』と、
『見て!』、
こう念じる、――
わたしは、
わたしは、
但だ、
『衆生を度す法』を、
『説くべきだ!』。
余の、
『事』を、
『説くべきでない!』。
一切の、
『法』は、
『畢竟じて!』、
『空である!』が故に、
『大とか、小とか!』の、
『相』は、
『認められない!』。
『賊とか、親とか!』等の、
『事』も、
『同じことである!』、と。
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畢竟空即是如法性實際。行六波羅蜜不說六弊。菩薩雖安住一切法空中。而樂法愛法。何以故是菩薩不著是一切法空故。 |
畢竟空とは、即ち是れ如、法性、実際なるに、六波羅蜜を行じて、六弊を説かざるは、菩薩は、一切法の空中に安住すと雖も、法を楽しみ、法を愛すればなり。何を以っての故に、菩薩は是の一切法の空をも著せざるが故なり。 |
『畢竟空』とは、
『六波羅蜜( ≒畢竟空)を行って!』、
『六弊(慳貪、破戒、瞋諍、懈怠、散乱、愚癡≒畢竟空)の事』を、
『説かない(推奨しない)!』のは、
『菩薩』は、
一切の、
『法という!』、
『空』中に、
『安住しながら!』、
而も、
『法』を、
『楽しんで!』、
『愛するからである!』。
何故ならば、
是の、
『菩薩』は、
是の、
『一切法が空である!』ことにも、
『著さないからである!』。
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説(せつ):◯説(せつ、せち):<動詞>[本義]説き明かす( explain )。説明/談説/講説する( speak, talk, say )、告知する(
inform, tell, let know )、論評/討論/談論する( comment on, discuss, talk about )、勧める/勧告/推奨する/がみがみいう(
advise, scold )、信じる/以為/~と思う( believe )。<名詞>学説/教え/観点( theory, teachings,
viewpoint )、[墨家]推論( inference )。◯説(えつ、えち):[悦に同じ]。<形容詞>[本義]愉快( delighted,
happy, pleased )。<動詞>感服する( heartily admire )、好む/歓迎する( like )、喜んでする( be
happy to )。◯説(ぜい、ねい):<動詞>説得/遊説する( try to persuade )。 |
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又我行次第法禪定智慧等。然後得一切法空。此空不可但口說而心著。是故先行次第法。 |
又、我れは次第の法なる禅定、智慧等を行じて、然る後に一切法の空を得るも、此の空は、但だ口に説いて、心に著すべからず。是の故に先に次第の法を行ずるなり。 |
又、こう念じるだろう、――
わたしは、
『次第の法である!』、
『禅定、智慧』等を、
『行ってから!』、
その後、
『一切法は空である!』と、
『会得する( to realize )のである!』が、
此の、
『空』は、
但だ、
『口で説いて!』、
『心』に、
『著すべきではない!』。
是の故に、
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復次法性中不分別諸法故。法性非破壞相。是菩薩不著法性。憐愍眾生為種種分別善不善法等。令眾生得解。雖為眾生如是說。亦常讚歎不壞法引導眾生。令入法性中故。 |
復た次ぎに、法性中には、諸法を分別せざるが故に、法性は破壊相に非ず。是の菩薩は、法性に著せずして、衆生を憐愍し、為に種種に善、不善の法等を分別して、衆生をして、解を得しむれば、衆生の為に、是の如く説くと雖も、亦た常に不壊の法を讃歎するは、衆生を引導し、法性中に入れしめんが故なり。 |
復た次ぎに、
『法性( 空)』中には、
諸の、
『法を分別しない!』が故に、
『法性』は、
『破壊の相ではない!』が、
是の、
『菩薩』は、
『法性にも著することなく!』、
『衆生』を、
『憐愍する!』が故に、
種種に、
『善、不善』等の、
『法』を、
『分別して!』、
『衆生』に、
『理解』を、
『得させ!』、
『衆生』の為に、
是のように、
『善、不善等の法』を、
『説きながらも!』、
亦た、
『不壊の法』を、
『讃歎する!』のは、
『衆生』を、
『法性』中に、
『入らせる為である!』。
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復次阿鞞跋致菩薩更無親善。但以諸佛及大菩薩諸能讚歎實相法者為親善。 |
復た次ぎに、阿鞞跋致の菩薩には、更に親善無く、但だ諸仏、及び大菩薩、諸の能く実相の法を讃歎する者を以って、親善と為す。 |
復た次ぎに、
『阿鞞跋致の菩薩』は、
但だ、
『諸の仏と、大菩薩と!』、
『諸の実相の法を讃歎することのできる者と!』を、
『親善(親友・善知識)として!』、
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是人功德智慧大故隨意所往。若欲至諸佛世界隨意得生。 |
是の人は功徳と智慧と大なるが故に、意の住する所に随うて、若しは諸仏の世界に至らんと欲すれば、意に随うて生を得。 |
是の、
『人』は、
『功徳と、智慧とが大である!』が故に、
『意の住まる所のままに!』、
若し、
『諸仏の世界』に、
『至りたい!』と、
『思えば!』、
『意のままに!』、
『仏世界』に、
『生まれることができる!』。
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是菩薩雖離欲得諸禪定。以方便力故為眾生生欲界。有現在佛處 |
是の菩薩は、欲を離れて、諸の禅定を得と雖も、方便力を以っての故に、衆生の為に欲界に生じ、現在の仏処に有り。 |
是の、
『菩薩』は、
『欲を離れて!』、
『方便の力を用いる!』が故に、
『衆生』の為に、
『欲界』に、
『生まれて!』、
『現在』の、
『仏処』に、
『有る!』。
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生欲界者故。為眾生留愛慢分。不以此禪定果報生色無色界。但以禪定柔和其心不受其報。 |
欲界に生ずる者は、故に衆生の為に愛、慢分を留め、此の禅定の果報を以って、色、無色界に生ぜず、但だ禅定を以って、其の心を柔和ならしむるも、其の報を受けず。 |
『欲界に生まれる!』者は、
故意に、
『衆生』の為に、
『愛、慢の分』を、
『留め!』、
此の、
『禅定の果報を用いて!』、
『色、無色界』に、
『生まれようとはせず!』、
但だ、
此の、
『禅定を用いて!』、
其の、
『心』を、
『柔和にするだけで!』、
其の、
『報』を、
『受けることはない!』。
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復次是菩薩安住內空等諸空中。安住者深入通達。心無所著故不生疑。我是阿鞞跋致非阿鞞跋致。自心中深入智慧故。是名自地證。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、内空等の諸空中に安住す。安住する者は、深入して通達すれば、心に著する所無きが故に、『我れは是れ阿鞞跋致なりや、阿鞞跋致に非ずや』、と疑を生ぜず、自ら心中の智慧に深入するが故に、是れを自地を証すと名づく。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩』は、
『内空』等の、
諸の、
『空』中に、
『安住する!』。
『安住する!』者は、
『智慧』に、
『深入して!』、
『通達し!』、
『心』に、
『著する!』所の、
『無い!』が故に、
わたしは、
『阿鞞跋致だろうか?』、
『阿鞞跋致ではないのだろうか?』と、――
『自心』中に、
『疑を生じず!』、
『智慧』に、
『深入する!』が故に、
是れを、
『自地を証(確信)する!』と、
『称する!』。
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又是人不見一切法若轉若不轉。是故不生疑。 |
又、是の人は、一切法の若しは転、若しは不転なるを見ず。是の故に疑を生ぜず。 |
又、
是の、
『人』は、
『一切の法』の、
『転じるのか、転じないのか!』を、
『見ない!』ので、
是の故に、
『疑』を、
『生じない!』。
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疑名取相有所得。如人夜見樹杌尋復生念。人形亦爾便生疑心。若取此二相故名疑。菩薩行無相三昧故。於一切法中不取相則無生疑處。 |
疑を、相を取りて、所得有りと名づく。人の夜、樹の杌なるを見て、尋いで復た、『人の形も亦た爾り』、と念を生じ、便ち疑心を生ずるが如し。若しは此の二相を取るが故に、疑と名づく。菩薩は、無相三昧を行ずるが故に、一切法中に相を取らざれば、則ち疑を生ずる処無し。 |
『疑う!』のは、
『相を取って!』、
『理解する!』所が、
『有るからである!』。
譬えば、
『人』が、
夜に、
『樹杌( 切り株)を見て!』、
『人の形も、是の通りだ!』と、
『念じて!』、
便ち、
『疑心』を、
『生じるように!』、
若し、
此の中に、
『二相(樹杌相、人形相)』を、
『取れば!』、
是の故に、
『疑う!』と、
『称するのである!』。
『菩薩』は、
『無相三昧を行う!』が故に、
『一切の法』中に、
『相』を、
『取らない!』ので、
則ち、
『疑を生じる処』が、
『無いことになる!』。
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杌(ごつ):切り株( stump )、梵語 sthaaNu の訳、静止した/動かない( standing firmly, stationary, firm, fixed, immovable, motionless )、切り株/樹幹/棒杭/柱( a stump, stem, trunk, stake, post, pile, pillar )の義。 |
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此中佛說譬喻。如須陀洹從無始世來。未得是無漏智慧。三結斷故即自知得無漏法。於四諦中定心不疑若苦若樂。阿鞞跋致亦如是。從無始世來未得諸法實相。所謂阿鞞跋致地得時亦不生疑。 |
此の中に仏の譬喩を説きたまわく、『須陀洹の如きは、無始の世より来、未だ是の無漏の智慧を得ざれども、三結の断ずるが故に即ち、自ら無漏法を得たるを知り、四諦中に於いて、定心、若しは苦、若しは楽なるを疑わず。阿鞞跋致も亦た是の如く、無始の世より来、未だ諸法の実相を得ざるも、謂わゆる阿鞞跋致地を得る時にも、亦た疑を生ぜず』、と。 |
此の中に、
『仏』は、
『譬喩して!』、こう説かれた、――
例えば、
『須陀洹など!』が、
『無始の世より!』、
未だ、
是の、
『無漏の智慧』を、
『得ていない!』が、
『三結が断じられている!』が故に、
自ら、
『無漏法』を、
『得た!』と、
『知り!』、
『四諦』中に、
『心』が、
『定まって!』、
『苦か、楽か?』を、
『疑わないように!』、
『阿鞞跋致』も、
是のように、
『無始の世より!』、
諸の、
『法の実相』を、
『得ていない!』が、
謂わゆる、
『阿鞞跋致の地』を、
『得た!』時にも、
亦た、
『疑』を、
『生じないだろう!』。
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諸生疑者見違失事。不如本所聞故。是菩薩於一切法畢竟空故。不得是不如所聞法疑。無住處故無疑。自知此是究竟道。不可論不可破。住是地中教化眾生淨佛世界。亦能以方便力故破種種魔事。 |
諸の疑を生ずる者の違失の事を見るは、本聞きし所に如かざるが故なり。是の菩薩は、一切法の畢竟空に於いての故に、是の聞きし所に如かざる法を得ざれば、疑に住処無きが故に、疑うこと無く、自ら此れは是れ究竟の道にして、論ずべからず、破すべからざるを知り、是の地中に住して、衆生を教化して、仏世界を浄めしめ、亦た能く方便力を以っての故に、種種の魔事を破す。 |
諸の、
『疑を生じる!』者が、
『違失( 違背・過失)』の、
『事』を、
『見る!』のは、
本、
『聞いた!』所に、
『及ばないからである!』が、
是の、
『菩薩』は、
一切の、
『法』は、
『畢竟じて空である!』と、
『知る!』が故に、
『聞いた所に及ばない!』、
『法』を、
『認めない!』ので、
『疑』には、
『住処が無い!』が故に、
『疑うということ!』が、
『無く!』、
自ら、
此れが、
『究竟の道であり!』、
『論じられず、破られない!』と、
『知り!』、
是の、
『地中に住まって!』、
『衆生を教化して!』、
『仏世界』を、
『浄めさせ!』、
亦た、
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是阿鞞跋致法常隨逐菩薩乃至成佛。 |
是の阿鞞跋致の法は、常に菩薩を、乃至仏と成るまで、随逐す。 |
是の、
『阿鞞跋致の法』は、
常に、
『菩薩』に、
『随順しており!』、
乃至、
『仏に成る!』まで、
『随逐する!』、
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此中佛說二譬喻。一者須陀洹二者五逆。是二心厚重故不可卻。須陀洹心常不卻。五逆心罪畢乃除。如人著衰鬼常隨逐。阿鞞跋致心復過於是。 |
此の中に、仏の二譬喩を説きたまわく、一には須陀洹、二には五逆なり。是の二心は、厚重なるが故に却くべからず。須陀洹の心は常に却かず、五逆の心は、罪畢れば乃ち除こる。人の衰に著わるれば、鬼常に随逐するが如く、阿鞞跋致の心も、復た是に過ぐるなり。 |
此の中に、
『仏』は、
『二譬喩を説かれた!』、――
一には、『須陀洹であり!』、
二には、『五逆である!』。
是の、
『二心』は、
『厚く重い!』が故に、
『却くことができない!』が、
『須陀洹の心』は、
『常に!』、
『却かず!』、
『五逆の心』は、
『罪が畢れば!』、
やがて、
『障』が、
『除かれる!』。
譬えば、
『人』が、
常に、
『鬼(餓鬼)』が、
『随逐するように!』、
『阿鞞跋致』の、
『心』も、
是の、
『鬼』に、
『過ぎるのである!』。
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著(じゃく):<形容詞>[本義]草の地面上に長く在るを表示して、明らか/顕著/顕露/明顕の意( marked, remarkable )。<動詞>顕現/顕揚する( show )、文字を用いて述べる/著作/著述/撰述/写作する( write )、図を画く( draw the pictures )、登記/記載する( register, record )、目印を付ける( put a mark on )、創設する( found )。<名詞>作品( work )、土著の人( native, original inhabitants )。 |
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阿鞞跋致心一切無能動轉者。種種苦事逼迫不能動。種種供養利樂因緣。不能令捨實相心及慈悲心。 |
阿鞞跋致の心は、一切に能く動転する者無く、種種の苦事逼迫するも、動かす能わず、種種の供養、利楽の因縁も、実相の心及び慈悲心を捨てしむる能わず。 |
『阿鞞跋致の心』は、
一切に、
『動かし、転じさせる!』者が、
『無く!』、
種種の、
『苦事』が、
『逼迫しても!』、
『動かすことができず!』、
種種の、
『供養、利楽の因縁』も、
『実相の心や、慈悲心』を、
『捨てさせることができない!』。
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上來種種說阿鞞跋致相貌。今說其行事。所謂教化眾生淨佛世界。從諸佛所新種善根。從一佛諮問諸佛諸深法要及種種度眾生門。 |
上来、種種に阿鞞跋致の相貌を説き、今、其の行事を説く。謂わゆる衆生を教化して、仏世界を浄め、諸仏の所に従って、新に善根を種え、、一仏より、諸仏に、諸の深き法要、及び種種の衆生を度する門を諮問す。 |
上来、
種種に、
『阿鞞跋致の相貌』を、
『説いてきたが!』、
今は、
其の、
『行の事』が、
『説かれている!』。
謂わゆる、
『衆生を教化して!』、
『仏世界』を、
『浄めながら!』、
『諸仏の所に従って!』、
『新に!』、
『善根を種え!』、
『一仏より!』、
『諸仏に到って!』、
諸の、
『深い法要』を、
『諮問し!』、
及び、
種種の、
『衆生を度する門』を、
『諮問することである!』。
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十方種種魔事起而不隨逐。以方便力觀是魔事。如佛法觀諸魔身如佛無異。所以者何。一切法及實際同一相。所謂無相故 |
十方に、種種の魔事起るも、随逐せず、方便力を以って、是の魔事を、仏法の如しと観、諸の魔身を仏の如きに異なること無しと観る。所以は何んとなれば、一切の法、及び実際は同じく一相なればなり。謂わゆる無相なるが故なり。 |
『十方』に、
種種の、
『魔事』が、
『起っても!』、
『随逐することなく!』、
『方便の力を用いて!』、
是の、
『魔事』は、
『仏法のようだ!』と、
『観察し!』、
諸の、
『魔身』は、
『仏と異ならない!』と、
『観察する!』。
何故ならば、
一切の、
『法と、実際と!』は、
同じく、
『一相であり!』、
謂わゆる、
『無相だからである!』。
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是人轉身。亦不向聲聞辟支佛地。何以故。是菩薩初得阿鞞跋致地時知一切法實相空。轉身心亦不向二地。心不自疑。若得無上道若不得。 |
是の人は、身を転ずるも、亦た声聞、辟支仏地に向わず。何を以っての故に、是の菩薩は、初めて阿鞞跋致の地を得し時より、一切法の実相の空なるを知れば、身を転ずるに、心は亦た二地に向わず、心に自ら、『若しは無上道を得たりや、若しは得ずや』、と疑わざればなり。 |
是の、
『人』は、
『身を転じても!』、
『声聞、辟支仏の地』に、
『向かうことはない!』。
何故ならば、
是の、
『菩薩』は、
初めて、
『阿鞞跋致の地を得た!』時より、
『一切法の実相は空である!』と、
『知っている!』ので、
『身を転じても!』、
『心』に、
自ら、
『無上道を得たのだろうか、得ていないのだろうか?』と、
『疑わないからである!』。
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是菩薩世世無人能降伏破壞者。佛為驗是菩薩故作譬喻。若魔作佛身來欲誑試是菩薩語言。汝可今世取阿羅漢。汝無阿鞞跋致相可得佛道。無生忍法即是無一切法。是中云何可得忍。 |
是の菩薩は、世世に、人の能く降伏、破壊する者無ければ、仏は、是の菩薩を験さんが為の故に、譬喩を作したまわく、『若し魔、仏身を作して来たりて、是の菩薩を試して誑さんと欲して、語りて言わく、『汝は、今世には阿羅漢を取るべし。汝は、阿鞞跋致の相の仏道を得べき無し。無生忍法は、即ち是れ一切の法無し。是の中に云何が、忍ぶを得べけんや』、と。 |
是の、
『菩薩』は、
世世に、
『降伏、破壊することのできる!』者が、
『無かった!』ので、
『仏』は、
是の、
『菩薩を験そうとして!』、
『譬喩』を、
『作り!』、
『語って!』、こう言われた、――
若し、
『魔』が、
是の、
『菩薩』を、
『試して!』、
『誑そうとし!』、
『語って!』、こう言ったとする、――
お前は、
『今世には!』、
『阿羅漢』を、
『取るべきだ!』。
お前には、
『仏道を得られるような!』、
『阿鞞跋致の相』が、
『無いからだ!』。
『無生忍という!』、
『法』は、
即ち、
『一切の法』は、
『無いということだ!』。
是の中に、
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若菩薩聞是心不退沒。是菩薩自知必從諸佛受記。何以故。我有無生法忍。聞是魔事心不怖畏故。 |
若し菩薩、是れを聞いて心退没せざれば、是の菩薩は、自ら知るらく、『必ず、諸仏より受記せん。何を以っての故に、我れに無生法忍有れば、是の魔事を聞くも、心に怖畏せざるが故なり』、と。 |
若し、
『菩薩』が、
是れを、
『聞いても!』、
『心』が、
『退没しなければ!』、
是の、
『菩薩』は、
自ら、こう知ることになる、――
わたしは、
何故ならば、
わたしには、
『無生法忍』が、
『有る!』が故に、
是の、
『魔事を聞いても!』、
『心』が、
『怖畏しないからだ!』、と。
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復次惡魔知菩薩歡喜。與授聲聞辟支佛道記。若今世得阿羅漢。後世得辟支佛道。 |
復た次ぎに、悪魔は、菩薩の歓喜するを知り、声聞、辟支仏道の記を与え授く、『若し今世に阿羅漢を得れば、後世には辟支仏道を得ん』、と。 |
復た次ぎに、
『悪魔』は、
『菩薩』が、
『歓喜する!』のを、
『知る!』と、
『菩薩』に、
『声聞、辟支仏の記』を、こう授与した、――
若し、
『今世』に、
『阿羅漢』を、
『得れば!』、
『後世』には、
『辟支仏道』を、
『得られるだろう!』、と。
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若菩薩不隨此變化佛身語。覺知是魔若魔所使。何以故。身是而言非。如試金錢。彈之聲出則知其真偽。 |
若し、菩薩、此の変化せる仏身の語に随わざれば、是れ魔、若しは魔の使う所なりと覚知すればなり。何を以っての故に、身は是なるも、言は非なればなり。金銭を試すに、之を弾きて声出づれば、則ち其の真偽を知るが如し。 |
若し、
『菩薩』が、
此の、
『変化した仏身』の、
『語』に、
『随わなければ!』、
是れは、
『魔か、魔の使かである!』と、
『覚知したことになる!』。
何故ならば、
『身』は、
『仏』の、
『身である!』が、
『語』が、
『仏』の、
『語ではないからである!』。
譬えば、
『金銭を試す!』には、
之を、
『弾いて!』、
『声が出れば!』、
則ち、
『真か、偽かが!』、
『知れるようなものである!』。
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若佛與菩薩受聲聞辟支佛記終無是處。所以者何。諸佛種種方便。欲令一切人盡入佛道。云何引菩薩與聲聞記。 |
若し、仏、声聞、辟支仏の記を与えて、菩薩受くれば、終に是の処無し。所以は何んとなれば、諸仏は種種に方便して、一切の人をして、尽く仏道に入れしめんと欲したまえば、云何が、菩薩を引いて、声聞の記を与えたまわん。 |
若し、
『仏』が、
『声聞、辟支仏の記を与えて!』、
『菩薩』が、
『受けるならば!』、
終に、
何故ならば、
諸の、
『仏』は、
種種に、
『方便しながら!』、
一切の、
『人』を、
尽く、
『仏道』に、
『入れさせようとするからである!』。
何うして、
『菩薩を引いて!』、
『声聞の記』を、
『与えられるのか?』。
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復次魔作佛身語菩薩言。汝所行經書盡是魔所說。是菩薩覺知是魔事。當知是菩薩已得受記安住阿鞞跋致中。 |
復た次ぎに、魔の仏身を作して、菩薩に語りて言わく、『汝が行ずる所の経書は、尽く是れ魔の所説なり』、と。是の菩薩の、是れ魔事なりと覚知するは、当に知るべし、是の菩薩は、已に受記を得て、阿鞞跋致中に安住すればなり。 |
復た次ぎに、
『魔』が、
『仏身を作して!』、
『菩薩に語って!』、こう言ったが、――
お前の、
『行っている!』、
『経書』は、
尽くが、
『魔』の、
『所説であるぞ!』、と。
是の、
『菩薩』が、
是れが、
『魔事である!』と、
『覚知した!』が、
当然、こう知らねばならない、――
是の、
『菩薩』は、
已に、
『記を受けており!』、
『阿鞞跋致』中に、
『安住しているのだ!』、と。
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復次阿鞞跋致菩薩深愛樂法故。聞即心深衣毛皆豎。念佛大悲則歡喜悲泣。或於甚深法中生大歡喜。當知是阿鞞跋致。 |
復た次ぎに、阿鞞跋致の菩薩は深く法を愛楽するが故に、聞いて即ち心に深く、衣毛皆豎ちて、仏の大悲を念ずれば、則ち歓喜し悲泣し、或は甚深の法中に於いて、大歓喜を生ず。当に知るべし、是れ阿鞞跋致なり。 |
復た次ぎに、
『阿鞞跋致の菩薩』は、
深く、
『法』を、
『愛し!』、
『楽しむ!』が故に、
『法を聞けば!』、
即ち、
『心』に、
『深く!』、
『入り!』、
『衣毛( 身毛)』が、
皆、
『逆立って!』、
『仏』の、
『大悲』を、
『念じるので!』、
則ち、
『歓喜し!』、
『悲泣することになる!』。
或は、
『甚深の法』中に、
『大歓喜』を、
『生じることになる!』。
当然、こう知らねばならない、――
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譬如大軍退敗則怖懅迷悶臥地似死。親族見之欲知活不以杖鞭之。若癮疹起者則知必活。菩薩亦如是。皆是肉身。何以故知必能成佛。 |
譬えば、大軍の退敗すれば、則ち怖懅し、迷悶し、地に拊して、死せるに似たれば、親族之を見て、活くや、不やを知らんと欲して、杖を以って之を鞭うつに、若し癮疹起れば、則ち必ず活くるを知るが如し。菩薩も亦た是の如く、皆、是の肉身にして、何を以っての故に、必ず能く仏と作るを知る。
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譬えば、
『大軍が敗退した!』ので、
則ち、
有る者は、
『怖懅、迷悶して!』、
『地に臥し!』、
『死人』に、
『似ていた!』が、
『親族』が、
之を見て、
『活きているか、どうか?』を、
『知ろうとし!』、
之を、
『杖』で、
『鞭打した!』。
若し、
『癮疹が起れば!』、
則ち、
『必ず活きている!』と、
『知るように!』、
『菩薩』も、
是のように、
皆、
是の、
『肉身』で、
何故、
『必ず、仏と成ることができるのか?』を、
『知るのである!』。
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怖懅(ふこ):惶怖/恐慌/恐怖。
癮疹(おんしん):皮膚の小腫物。 |
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若聞說佛法身中相現。衣毛為豎顏色相異。餘人聞不入心。則無異相如死人無異。是菩薩深愛法故能捨身命為法。 |
若し、仏法を説くを聞いて、身中に相現るれば、衣毛為に豎ち、顔色の相を異にするも、余人は、聞いて心に入らざれば、則ち異相の無く、死人に異無きが如し。是の菩薩は、深く法を愛するが故に、能く法の為に、身命を捨つ。 |
若し、
『仏法』が、
『説かれる!』のを、
『聞いて!』、
『身』中に、
『相』が、
『現れれば!』、
即ち、
『衣毛』は、
『聞いた!』が故に、
『逆立ち!』、
『顔色』は、
『相』を、
『異にすることになる!』が、
余の、
『人』は、
『聞いても!』、
『心』に、
『入らない!』ので、
則ち、
『相』を、
『異にせず!』、
譬えば、
『死人』が、
『相を異にしないようなものである!』。
是の、
『菩薩』は、
『法』を、
『深く!』、
『愛する!』が故に、
『法』の為ならば、
『身』を、
『捨てることができる!』。
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若佛若佛弟子。於大會種種因緣說諸法畢竟空。有一狂人取音聲名字相。著是畢竟空出其過罪。若諸法盡畢竟空。則無佛無法無罪福業因緣。亦無修行精進得道果報。如是等出無量過罪。 |
若しは仏、若しは仏弟子、大会に於いて、種種の因縁もて、諸法の畢竟空を説けるに、有る一狂人、音声、名字の相を取りて、是の畢竟空に著し、其の過罪を出さん、『若し諸法にして、尽く畢竟空なれば、則ち仏無く、法無く、罪福の業の因縁無く、亦た修行、精進して得る道の果報無けん』と、是れ等の如く、無量の過罪を出さん。 |
若し、
『仏や、仏弟子』が、
『大会』に於いて、
種種の、
『因縁』で、
『諸法は畢竟じて空である!』と、
『説けば!』、
有る、
『一狂人』が、
『音声や、名字』に、
『相』を、
『取って!』、
是の、
『畢竟空に著して!』、
其の、
『過罪』を、
『出すだろう!』、――
若し、
諸の、
則ち、
『仏も!』、
『法も!』、
『無いことになり!』、
『罪、福の業』の、
『因縁』も、
『無いことになり!』、
亦た、
『修行、精進して得る!』、
『道の果報』も、
『無いことになる!』、と。
是れ等のような、
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阿鞞跋致菩薩觀察籌量。知說法者有無著心。隨佛語憐愍故說。知狂人著語言取相破是畢竟空。 |
阿鞞跋致の菩薩は、観察、籌量して、法を説く者を知れば、有るいは著心無けれども、仏語に随いて、憐愍するが故に説き、狂人の語言に著して、相を取り、是の畢竟空を破るを知る。 |
『阿鞞跋致の菩薩』は、
『観察、籌量して!』、
『説法する者』を、
『知り!』、
有るいは、
『著心の無いままに!』、
『仏語』に、
『随い!』、
『衆生』を、
『憐愍する!』が故に、
『説く!』ので、
『狂人』が、
『語言に著して!』、
『相』を、
『取り!』、
是の、
『畢竟空を破る!』ことを、
『知っている!』。
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爾時阿鞞跋致則沒命佐助言。是狂人言是邪見人。自沒邪見亦多化眾人令墮邪見壞滅佛法。深懷瞋恨故或自殺或使弟子殺。 |
爾の時、阿鞞跋致は則ち没命し佐助して言わく、『是れ狂人の言なり。是の邪見の人は、自ら邪見に没して、亦た多くの衆人を化し、邪見に堕ちしめ、仏法を壊滅せしめ、深く瞋恨を懐くが故に、或は自ら殺し、或は弟子をして殺さしむ。 |
爾の時、
『阿鞞跋致の菩薩』は、
則ち、
こう言うだろう、――
是れは、
『狂人』が、
『言っているのだ!』。
是の、
『邪見の人』は、
自ら、
『邪見に!』、
『没するばかりでなく!』、
多くの
『衆生を化して!』、
『邪見に墮ちさせて!』、
『仏法』を、
『壊滅させているのだ!』。
深く、
『瞋恨を懐く!』が故に、
或は、
或は、
『弟子』に、
『菩提心』を、
『殺させるのだ!』。
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没命(もつみょう):死亡する( die, lose one's life )、幸運が無い( devoid of luck )、必死に/闇雲に/力の限り(
desperately, recklessly, for all one's worth )。 |
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爾時菩薩若死事至為佐法故。不以怖畏而壞諸法性。 |
爾の時、菩薩は、若しは死事至るも、法を佐けんが為の故に、怖畏を以って、諸の法性を壊らず。 |
爾の時、
『菩薩』は、
若し、
『死事が至ったとしても!』、
『法』を、
『佐助する!』為の故に、
『死事を怖畏する!』が故に、
『諸の法性』を、
『壊ることがない!』。
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此中佛說因緣。菩薩作是念。未來世佛我亦在是數中。是法亦是我法。是我法故不惜身命而守護之。作是思惟。我無量世中為煩惱邪見故喪身無數。今為十方三世諸佛法佐助發起。若有益而死勝無益而生。如是等為法故不惜身命。 |
此の中に仏の因縁を説きたまわく、『菩薩は、是の念を作さん、未来世の仏は、我れも亦た是の数中に在らん。是の法も亦た是れ我が法なり。是の我が法の故に、身命を惜まずして、之を守護せん、と。是の思惟を作さん、我れは無量世中に、煩悩、邪見の為の故に、身を喪うこと無数なれども、今、十方、三世の諸仏の法に佐助、発起せらる。若し益有りて、死すとも、益無くして生くるに勝らんと』、と。是れ等の如く法の為の故に、身命を惜まず。 |
此の中に、
『仏』は
『因縁』を、こう説かれている、――
『菩薩』は、こう念じるだろう、――
『未来世』の、
『仏の数』中には、
わたしも、
是の中に、
『在るだろう!』。
是の、
『仏の法』は、
亦た、
わたしの、
『法でもある!』。
是の、
わたしの、
『法』の故に、
『身命を惜まずに!』、
之を、
『守護するのである!』、と。
亦た、こう思惟するだろう、――
わたしは、
『無量世』中に、
『煩悩、邪見』の為の故に、
『無数の身』を、
『喪失させられてきた!』。
『今は!』、
『十方、三世の諸仏』に、
『佐助され!』、
『発起させられている!』。
若し、
『死んだとしても!』、
『益』が、
『有れば!』、
『生きていて!』、
『益が無い!』のに、
『勝るだろう!』、と。
是れ等のように、
『法』の為の故に、
『身命』を、
『惜まないのである!』。
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復次是菩薩未成佛道。從佛聞甚深法能盡受。不失信力故能受。聞持陀羅尼力故不失。斷疑陀羅尼力故不疑。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、未だ仏道を成ぜざるも、仏より、甚深の法を聞いて、能く尽くを受くるは、信力を失わざるが故に能く受け、聞持陀羅尼の力の故に失わず、断疑陀羅尼の力の故に疑わず。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩』は、
未だ、
『仏道を成就していない!』が、
『仏より聞いた!』、
『甚深の法』の、
『尽く!』を、
『受けることができる!』のは、
即ち、
『信力』を、
『失わない!』が故に、
『受けることができ!』、
『聞持陀羅尼の力』の故に、
『聞いた法』を、
『失わず!』、
『断疑陀羅尼の力』の故に、
『法を聞いて!』、
『疑わないのである!』。
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須菩提問。但聞佛語能信持不疑。聞餘語亦爾。 |
須菩提の問わく、『但だ、仏語を聞いて、能く信持して疑わずや、余の語を聞いても、亦た爾りや』、と。 |
『須菩提』は、こう問うた、――
但だ、
『仏の語を聞いて!』、
『信持して!』、
『疑わないのですか?』、
『余の語を聞いても!』、
亦た、
『爾うなのですか?』、と。
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佛言一切有所說者皆能持。若二乘天龍等所說。有道理能信持不疑。無道理者持之無疑而不信。 |
仏の言わく、『一切の有らゆる所説は、皆、能く持つ。若しは二乗、若しは天、龍等の所説も、道理有らば、能く信持して疑わず。道理無くんば、之を持ちて、疑無けれども、信ぜざるなり』、と。 |
『仏』は、こう言われた、――
一切の、
有らゆる、
若し、
『二乗や、天、龍等の!』、
『所説であっても!』、
若し、
『道理が有れば!』、
『信持することができて!』、
『疑わない!』し、
『道理が無ければ!』、
『保持して!』、
『疑心』が、
『無くても!』、
之を、
『信じることはない!』。
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復次有人言。信是邪法不疑不善是善。 |
復た次ぎに、有る人の言わく、『是れ邪法なりと信じて、不善を是れ善なりと疑わざるなり』、と。 |
復た次ぎに、
有る人は、こう言っている、――
『二乗等の所説』を、
『不善』を、
是れは、
『善ではないか?』と、
『疑わないのである!』、と。
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有人言。諸天龍二乘所說皆是佛法。 |
有る人の言わく、『諸の天、龍、二乗の所説は、皆、是れ仏法なればなり』、と。 |
有る人は、こう言っている、――
諸の、
『天、龍、二乗の所説』は、
皆、
『仏の法である!』、と。
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是阿鞞跋致相。聞則能持無疑無悔。是菩薩雖未作佛。於諸法實相中都無有疑。如是等行類相貌。是阿鞞跋致菩薩。 |
是の阿鞞跋致の相は、聞けば則ち能く持ちて、疑う無く、悔ゆる無し。是の菩薩は、未だ仏と作らずと雖も、諸法の実相中に於いて、都て疑有ること無し。是れ等の如き行、類、相貌は、是れ阿鞞跋致の菩薩なり。 |
是の、
『阿鞞跋致の相』は、
『聞けば!』、
則ち、
『持つことができて!』、
『疑も、悔も!』
『無いことである!』。
是の、
『菩薩』は、
未だ、
『仏に作っていない!』が、
諸の、
『法の実相』中には、
皆、
『疑』が、
『無い!』。
是れ等のような、
『行、類、相貌』が、
『阿鞞跋致の菩薩』の、
『相である!』。
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問曰。得何事來名阿鞞跋致。 |
問うて曰く、何事をか、得てより来を、阿鞞跋致と名づくる。 |
問い、
何のような、
『事を得た!』時から、
『阿鞞跋致』と、
『呼ばれるのですか?』。
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答曰。阿毘曇毘婆沙中說。過三阿僧祇劫後。種三十二相因緣。從是以來名阿鞞跋致。毘泥阿波陀那中說。從見然燈佛。以五莖花散佛。以髮布地。佛為授阿鞞跋致記。騰身虛空以偈讚佛。從是已來名阿鞞跋致。 |
答えて曰く、『阿毘曇毘婆沙』中に説かく、『三阿僧祇劫を過ぎて後、三十二相の因縁を種え、是れより以来を、阿鞞跋致と名づく』、と。『毘泥、阿波陀那』中に説かく、『然灯仏に見えて、五茎の花を以って、仏に散じ、髪を以って地に布き、仏に為に阿鞞跋致の記を授けられ、身を虚空に騰がりて、偈を以って仏を讃ぜしより、是れより已来を、阿鞞跋致と名づく』、と。 |
答え、
『阿毘曇毘婆沙論』中には、こう説かれている、――
『阿耨多羅三藐三菩提の心を発してより!』、
『三阿僧祇劫を過ぎた!』後、
『三十二相の因縁』を、
『種えることになる!』が、
是れ以来を、
『阿鞞跋致』と、
『呼ぶのである!』、と。
『毘尼( 律)や、阿波陀那( 譬喩)』中には、こう説かれている、――
『然灯仏に見えて!』、
『五茎の花』を、
『仏』に、
『散じ!』、
『髪』を、
『地』に、
『布(し)いて!』、
『仏』に、
『阿鞞跋致の記』を、
『授けられ!』、
『身』を、
『虚空』に、
『騰(のぼ)らせて!』、
『偈』で、
『仏』を、
『讃えてより!』、
是れ以後を、
『阿鞞跋致』と、
『称する!』、と。
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阿波陀那(あぱだな):梵語 avadaana の訳、譬喩と訳す。十二部経の一。『大智度論巻22上注:十二部経』参照。 |
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此般若波羅蜜中。若菩薩具足行六波羅蜜。得智慧方便力。不著是畢竟空波羅蜜。觀一切法不生不滅不增不減不垢不淨不來不去不一不異不常不斷非有非無。如是等無量相待二法。因是智慧觀破一切生滅等無常相。 |
此の般若波羅蜜中に、若し菩薩具足して、六波羅蜜を行ぜば、智慧と方便力とを得て、是の畢竟空なる波羅蜜にも著せず、一切法は不生不滅、不増不減、不垢不浄、不来不去、不一不異、不常不断、非有非無なりと、是れ等の如き無量の相待する二法を観、是の智慧に因りて、一切の生滅等の無常相を観破せん。 |
此の、
『般若波羅蜜』中に、
若し、
『菩薩が具足して!』、
『六波羅蜜を行えば!』、
『智慧と方便力とを得る!』が故に、
是の、
『畢竟じて空である!』、
『波羅蜜』にも、
『著することなく!』、
一切の、
『法』は、
『不生、不滅であり!』、
『不増、不減であり!』、
『不垢、不浄であり!』、
『不来、不去であり!』、
『不一、不異であり!』、
『不常、不断であり!』、
『非有、非無である!』と、
是れ等のような、
是の、
『智慧に因って!』、
一切の、
『生、滅等の無常相』を、
『観破するだろう!』。
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先因無常等故破常等倒。今亦捨無生無滅等捨無常觀等。於不生不滅亦不著。亦不墮空無所有中。亦知是不生不滅相不得不著故。亦信用是不生不滅法。 |
先に無常等に因るが故に、常等の倒を破し、今亦た無生無滅等を捨て、無常観等を捨つれば、不生不滅に於いても、亦た著せず、亦た空無所有中にも堕せず、亦た是の不生不滅の相を知りて、得ず、著せざるが故に、亦た信じて、是の不生不滅の法を用うるなり。 |
先には、
『無常等に因る!』が故に、
『常等の顛倒』を、
『破り!』、
今亦た、
『無生、無滅等を捨てて!』、
『無常観』等を、
『捨て!』、
『不生、不滅にも著さず!』、
『空、無所有』中に、
『堕ちることもない!』。
亦た、
是の、
『不生不滅という!』、
『相』を、
『知る!』が故に、
『不生不滅』を、
『得ることもなく!』、
『著することもない!』が故に、
亦た、
是の、
『不生不滅という!』、
『法』を、
『信じて!』、
是の、
『法』を、
『用いるのである!』。
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三世十方諸佛真智慧中信力故通達無礙。是名菩薩得無生忍法入菩薩位。名阿鞞跋致。 |
三世十方の諸仏の真の智慧中に信力の故に通達して無礙なり。是れを菩薩は無生忍法を得て、菩薩位に入ると名づけ、阿鞞跋致と名づく。 |
『三世十方の諸仏』の、
『真の智慧』中に、
『信の力』の故に、
『通達して!』、
『無礙であれば!』、
是れは、
『菩薩』が、
『無生忍の法を得て!』、
『菩薩位』に、
『入ったからであり!』、
是れを、
『阿鞞跋致』と、
『称する!』。
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是菩薩雖從初發心以來名阿鞞跋致。阿鞞跋致相未具足故不與授記。何以故。外道聖人諸天小菩薩等作此念。佛見是人有何等事而與授記。是人於佛道因緣中未住。云何與授記。是故佛未與授記。 |
是の菩薩の初発心より以来を阿鞞跋致と名づくるも、阿鞞跋致の相を未だ具足せざるが故に、授記を与えず。何を以っての故に、外道の聖人、諸天、小菩薩等の此の念を作さく、『仏は、是の人を見て、何等の事か有りて、与に授記せん。是の人は、仏道の因縁中に於いて、未だ住せざるに、云何が与に授記せん。是の故に、仏は未だ与に授記せず』、と。 |
是の、
『菩薩』は、
『初発心以来!』、
『常に!』、
『阿鞞跋致である!』が、
未だ、
『阿鞞跋致の相を具足していない!』が故に、
『授記』に、
『与(あずか)らない!』。
『仏』は、
何故、
『授記を与えられないのか!』、――
何故ならば、
『外道の聖人や、諸天や、小菩薩等が!』、
こう念じるからである、――
『仏』は、
是の、
『人』に、
何のような、
『事が有る!』と、
『見て!』、
是の、
是の、
『人』は、
未だ、
『仏道の因縁』中に、
『住まっていない!』のに、
何故、
『授記』を、
『与えられたのか?』、と。
『仏』は、
是の故に、
未だ、
『授記』を、
『与えられないのである!』。
|
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|
是菩薩有二種。一者生死肉身。二者法性生身。得無生忍法斷諸煩惱。捨是身後得法性生身。肉身阿鞞跋致亦有二種。有於佛前得授記。有不於佛前授記。若佛不在世時得無生法忍。是不於佛前授記。 |
是の菩薩には二種有り、一には生死の肉身、二には法性生身にして、無生忍法を得て、諸煩悩を断ち、是の身を捨てて後に法性生身を得。肉身の阿鞞跋致にも、亦た二種有り。有るいは仏前に於いて授記を得、有るいは仏前に於いて授記せず。若し仏の在世したまわざる時に無生法忍を得れば、是れ仏前に於いて授記せず。 |
是の、
『菩薩』には、
『二種有り!』、
一には、
『生死すべき!』、
『肉身であり!』、
二には、
『法性より生じた!』、
『身である!』。
『菩薩』が、
『無生忍の法を得て!』、
『諸の煩悩』を、
『断ち!』、
是の、
『身を捨てた後に得る!』のが、
『法性生』の、
『身である!』。
『肉身の阿鞞跋致』にも、
『二種有り!』、
有る者は、
有る者は、
『仏前』に於いては、
『記』を、
『授からない!』。
若し、
『仏』の、
『在世されない!』時に、
『無生法忍』を、
『得れば!』、
是れは、
『仏前』に於いては、
『記』を、
『授からない!』。
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問曰。若爾者有人讀誦說正憶念。隨順無生法忍義。是人未得禪定。或生疑心或為著心所牽。如是人比是何等菩薩為是阿鞞跋致不。 |
問うて曰く、若し爾らば、有る人は、読誦して説き、正憶念し、無生法忍の義に随順するも、是の人は未だ禅定を得ず、或は疑心を生じ、或は著心の為に牽かる。是の如き人の比(たぐい)は、是れ何等の菩薩にして、是れを阿鞞跋致と為すや、不や。 |
問い、
若し、
爾うならば、
有る、
『人』は、
『読誦し、説き、正憶念して!』、
『無生法忍の義』に、
『随順していながら!』、
未だ、
『禅定を得ていない!』ので、
或は、
『疑心』を、
『生じたり!』、
或は、
『著心』に、
『牽かれたりする!』が、
是のような、
『人の輩』は、
何のような、
『菩薩ですか?』、
是れは、
『阿鞞跋致ですか?』、
『阿鞞跋致ではないのですか?』。
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比(ひ):<動詞>[本義]近隣( be next or near to )。接近している( be close to, be near to )、比較/対比する(
compare, contrast )、及ぶ/到着する( arrive )、類似点を示す/比擬する/例える( draw an analogy,
liken to )狎れ合う( collude with )、等しい/同等( be equal to )、具備する( possess, have
)。<形容詞>親近な( intimate )、密な( dense )、調和した/和諧( harmonious )。<名詞>比喩( metaphor
)、倍数関係/比率( ratio )、類/比類/同類( class, group, kind )。<副詞>皆/都て/全( all )、頻繁に(
frequently )、近来( lately, recently )。<介詞>よりも/比して( than )、為に/替えて( for )、まで/及んで(
till )。 |
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答曰。是人不名為阿鞞跋致。阿鞞跋致菩薩。於甚深佛法中尚無疑。何況無生忍初法門。 |
答えて曰く、是の人は、名づけて阿鞞跋致と為さず。阿鞞跋致の菩薩は、甚深の仏法中に於いて、尚お疑無し。何に況んや、無生忍の初の法門をや。 |
答え、
是の、
『人』を、
『阿鞞跋致』と、
『称することはない!』。
『阿鞞跋致の菩薩』は、
尚お、
『甚深の仏法』中にすら、
『疑』が、
『無く!』、
況して、
『無生忍など!』の、
『法の初門』は、
『言うまでもない!』。
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是未得阿鞞跋致者有二種。一者信少疑多。二者疑少信多。疑多信少者於讀誦經人小勝。 |
是の未だ阿鞞跋致を得ざる者には、二種有り、一には、信少なく疑多し、二には、疑少なく信多し。疑多く信少なき者は、経を読誦する人に於いて、小しく勝る。 |
是の、
未だ、
『阿鞞跋致を得ない!』者には、
『二種有り!』、
一には、
『信が少なく!』、
『疑が多い!』、
二には、
『疑が少なく!』、
『信が多い!』。
『疑が多く、信の少ない!』者は、
『経を読誦する人』に、
『少しだけ!』、
『勝っている!』。
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信多疑少者若得禪定即時得柔順忍。未斷法愛故或生著心或還退沒。是人若常修習此柔順忍。柔順忍增長故斷法愛。得無生忍入菩薩位。略說阿鞞跋致相義 |
信多く疑少なき者は、若し禅定を得れば、即時に柔順忍を得て、未だ法愛を断ぜざるが故に、或は著心を生じ、或は還って退没す。是の人は、若し常に此の柔順忍を修習すれば、柔順忍の増長の故に、法愛を断じて、無生忍を得、菩薩位に入る。阿鞞跋致の相義を略説せり。 |
『信が多く、疑の少ない!』者が、
若し、
『禅定を得れば!』、
即時に、
『柔順忍』を、
『得るのである!』が、
未だ、
『法愛を断じない!』が故に、
或は、
『著心』を、
『生じ!』、
或は、
『還って!』、
『退没することになる!』。
是の、
『人』が、
若し、
此の、
『柔順忍』を、
『常に!』、
『修習していれば!』、
『柔順忍の増長する!』が故に、
『法愛』を、
『断つことになり!』、
『無生忍を得て!』、
『菩薩位』に、
『入ることになる!』。
以上、――
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