【論】問曰。有人書持讀誦般若波羅蜜不能行而犯戒。或可有是若不信云何從受法。 |
問うて曰く、有る人は、般若波羅蜜を書持、読誦するも、行う能わずして、戒を犯す。或は是れ有るべしと、若し信ぜずんば、云何が従って法を受けん。 |
問い、
有る、
『人』が、
『般若波羅蜜』を、
『書持、読誦していた!』が、
『行うことができず!』、
而も、
『戒』を、
『犯していた!』。
或は、
是のような、
『事』が、
『有るかも知れない!』と、
若し、
何故、
是の、
『人より!』、
『法』を、
『受けるのですか?』。
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答曰。是人不信般若波羅蜜。所謂畢竟空。但欲求名故讀誦廣說如佛弟子。不信外道經書亦為人講說。 |
答えて曰く、是の人は、般若波羅蜜の謂わゆる畢竟空を信ぜず、但だ名を求めんと欲するが故に読誦して、広く説く。仏弟子の外道の経書を信ぜざるも、亦た人の為に講説するが如し。 |
答え、
是の、
『人』は、
『般若波羅蜜』の、
謂わゆる、
『畢竟空』を、
『信じず!』、
但だ、
『名』を、
『求めよう!』と、
『思う!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『読誦して!』、
『広く説くのである!』。
譬えば、
『仏弟子』が、
『外道』の、
『経書』を、
『信じていなくても!』、
亦た、
『人に講説する!』のと、
『同じである!』。
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復次不能深心信樂般若故名不信。非都不信。 |
復た次ぎに、深心に般若を信楽する能わざるが故に不信と名づくるも、都て信ぜざるに非ず。 |
復た次ぎに、
『深心』で、
『般若』を、
『信じて!』、
『楽しむことができない!』ので、
是の故に、
『信じない!』と、
『言うのであり!』、
都( すべ)てを、
『信じない!』と、
『言うのではない!』。
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問曰。弟子法應供養師奉諸所有。何以言師不能施。 |
問うて曰く、弟子の法は、応に師を供養し、諸の所有を奉ずべし。何を以ってか、『師は施す能わず』と言う。 |
問い、
『弟子の法』は、
『師を供養して!』、
諸の、
『師の所有』を、
『承けねばならない!』のに、
何故、こう言うのですか?――
『師』は、
『所有』を、
『施すことができない!』、と。
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奉(ぶ):捧げる/敬って両手で持つ( hold in both hands with respect )、承ける/敬意を以って受取る( receive
with respect )、提供する( offer, present )、与える/授与する( give, grant )。 |
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答曰。弟子作是念。師少物不能捨。何況捨身雖讚說布施是為欺誑。是故不和合。弟子欲以四事供養師。師少欲知足故不受。或羞愧似如賣法故不受。或師多知多識無所乏少。能供給弟子。弟子自念人當謂我貪師衣食故受法。或自以德薄不消所給。此心雖好不能成般若波羅蜜故亦是魔事。 |
答えて曰く、弟子の是の念を作さく、『師は少物すら、捨つる能わず。何に況んや、身を捨つるをや。布施を讃じて説くと雖も、是れを欺誑と為す』、と。是の故に和合せず。弟子は、四事を以って師を供養せんと欲するも、師は少欲知足の故に受けず。或は法を売るが如きに似たるを羞愧するが故に受けず。或は師は多知多識にして乏少する所無く、能く弟子に供給するに、弟子の自ら念ずらく、『人は、当に我れは師の衣食を貪らんが故に法を受くと謂うべし』、と。或は自ら徳薄きを以って、給する所を消せざれば、此の心は、好しと雖も、般若波羅蜜を成ずる能わざるが故に、亦た是れ魔事なり。 |
答え、
『弟子』は、
是の念を作す、――
『師』は、
『少し!』の、
『物すら!』、
『捨てることができない!』。
況して、
『身』を、
『捨てるとなれば!』、
『尚更だ!』。
『師』は、
『布施』を、
『讃じて!』、
『説いている!』が、
是れは、
『欺誑ではないか!』、と。
是の故に、
『弟子』は、
『四事( 衣服、飲食、臥具、医薬)』で、
『師』を、
『供養したい!』と、
『思っている!』が、
『師』は、
『少欲知足である!』が故に、
『供養』を、
『受けない!』。
或は、
『法』を、
『売る!』のに、
『似ている!』と、
『恥ずかしがって!』、
『受けない!』。
或は、
『師』は、
『知識が多く!』、
『乏少(欠乏)する!』所が、
『無い!』ので、
『供養』を、
『弟子』に、
『供給することができる!』が、
『弟子』は、
自ら、こう念じる、――
『人』は、こう謂うだろう、――
わたしは、
『師』の、
『衣食』を、
『貪る!』為の故に、
『師』より、
『法』を、
『受けるのだ!』、と。
或は、
自ら、
『徳』の、
『薄い!』ことを、
『思う!』が故に、
『師』の、
『供給する!』所を、
『消費しない!』。
此の、
『心は好もしい!』が、
『般若波羅蜜』を、
『成就することができない!』ので、
是れも、
『魔』の、
『仕事である!』。
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師鈍根者是誦經師非解義師。十二部經亦是誦經師。 |
師の鈍根とは、是れ誦経の師にして、解義の師に非ず。十二部経も、亦た是れ誦経の師なり。 |
『師が鈍根である!』とは、
是れは、
『誦経の師であり!』、
『解義の師でないからである!』。
亦た、
『十二部経』も、
『誦経の師である!』。
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復次師有六波羅蜜者。作是念弟子罪人鈍根不能行六波羅蜜。著世間事。但有弟子名無有實事。是師不知弟子聞般若已後成大事。但以現前無六波羅蜜不肯教化。弟子亦作是念。六波羅蜜義我亦能行。師但能口說不能修行。不知師轉身因緣當成大事。又不知師別有讀誦利益因緣故不和合。 |
復た次ぎに、師に六波羅蜜有れば、是の念を作さく、『弟子は罪人、鈍根なれば、六波羅蜜を行ずる能わず。世間の事に著して、但だ弟子の名有りて、実事有る無し』、と。是の師は、弟子の般若を聞き已りて、後に大事を成すことを知らず、但だ眼前に六波羅蜜無きを以って、教化するを肯んぜず。弟子も亦た是の念を作さく、『六波羅蜜の義は、我れも亦た能く行ず。師は但だ能く口に説くも、修行する能わず』、と。師の身を転ずる因縁にて、当に大事を成すべきを知らず。又師には別に読誦の利益有るを知らざる因縁の故に和合せず。 |
復た次ぎに、
『師』に、
『六波羅蜜』が、
『有れば!』、
是の念を作すだろう、――
『弟子』は、
『罪人であり!』、
『鈍根である!』が故に、
『六波羅蜜を行えずに!』、
『世間の事』に、
『著するだけだろう!』。
但だ、
『弟子』という、
『名』が、
『有るばかりで!』、
『実』の、
『事』が、
『無い!』、と。
是の、
『師』は、
『弟子』が、
『般若波羅蜜を聞いた!』後に、
『大事を成す!』ことを、
『知らず!』、
但だ、
『現前』に、
『六波羅蜜の無い!』が故に、
『教化しよう!』と、
『思わないのである!』。
『弟子』も、
是の念を作すだろう、――
『六波羅蜜の義』は、
『師』は、
但だ、
『口で説くばかりで!』、
『修行することはできない!』、と。
『師』が、
『転身の因縁』で、
『大事を成すことになる!』のを、
『知らない!』。
又、
『師』には、
『般若波羅蜜』の、
『義』を、
『理解する!』という、
『利益は無い!』が、
別に、
『読誦する!』という、
『利益が有る!』のを、
『知らない!』ので、
是の、
『因縁』の故に、
『和合しない!』。
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肯(こう):がえんずる/同意する/厭わない/承諾する( agree, be willing to, consent )。 |
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復次弟子直信著善法。師不著法。以方便行六波羅蜜。弟子謂為不深樂六波羅蜜。何以知之。師或時讚歎六波羅蜜。或時斷人著故破散六波羅蜜。弟子有方便亦如是。 |
復た次ぎに、弟子は直だ善法を信じて著すれども、師は法に著せざれば、方便を以って、六波羅蜜を行ずるに、弟子は謂いて、六波羅蜜を深く楽しまずと為す。何を以ってか、之を知る。師は、或は時に六波羅蜜を讃歎し、或は時に人の著するを断ぜんが故に、六波羅蜜を破散すればなり。弟子に方便有らば、亦た是の如くせん。 |
復た次ぎに、
『弟子』は、
直だ、
『善法』を、
『信じて!』、
『著するだけである!』が、
『師』は、
『法に著することなく!』、
『方便』で、
『六波羅蜜』を、
『行っている!』のに、
『弟子』は、こう謂う、――
『師』は、
『六波羅蜜』を、
『深く!』、
『楽しんでいない!』、と。
何故、之が知れるのか?――
『師』は、
或時には、
『六波羅蜜』を、
『讃歎して!』、
『説かれる!』が、
或時には、
『人』の、
『著』を、
『断つ!』為の故に、
『六波羅蜜』を、
『破散するからである!』。
『弟子』に、
『方便』が、
『有っても!』、
『師』に、
『方便』が、
『無ければ!』、
亦た、
『是の通りである!』。
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問曰。若弟子得陀羅尼師無陀羅尼。何以為師。 |
問うて曰く、若し弟子は陀羅尼を得、師に陀羅尼無くんば、何を以ってか、師と為す。 |
問い、
若し、
『弟子』は、
『陀羅尼』を、
『得ており!』、
『師』に、
『陀羅尼』が、
『無ければ!』、
何故、
『師』と、
『呼ばれるのですか?』。
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答曰。陀羅尼有種種。有弟子得聞持陀羅尼。能持能誦不能解義。師能為解說。弟子或能得諸法實相陀羅尼義。而不能次第讀誦。或師得聞持陀羅尼未得大悲故。輕賤弟子不能教導。 |
答えて曰く、陀羅尼には、種種有り。有る弟子は、聞持陀羅尼を得て、能く持し、能く誦すれども、義を解する能わざれば、師は、能く為に解説す。弟子は、或は能く諸法の実相、陀羅尼の義を得れども、次第に読誦する能わず。或は師は、聞持陀羅尼を得るも、未だ大悲を得ざるが故に、弟子を軽賎して、教導する能わず。 |
答え、
『陀羅尼』には、
『種種有るからである!』。
有る、
『弟子』は、
『聞持陀羅尼を得て!』、
『記憶して!』、
『諳誦できる!』が、
『陀羅尼』の、
『義』を、
『理解できない!』。
『師』は、
『弟子』の為に、
『解説することができる!』。
有る、
『弟子』は、
或は、
『諸法の実相』や、
『陀羅尼の義』を、
『理解できる!』が、
『次第に( 次々と)!』、
『読誦することができない!』。
或は、
『師』は、
『聞持陀羅尼を得ている!』が、
『弟子』を、
『軽賎して!』、
『教え!』、
『導くことができない!』。
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問曰。弟子欲受持般若波羅蜜師不與。或可有是云何師欲與法弟子不欲受。 |
問うて曰く、弟子は、般若波羅蜜を受持せんと欲すれども、師与えざること、或は是れ有るべし。云何が、師は法を与えんと欲して、弟子は受くるを欲せざる。 |
問い、
『弟子』は、
『般若波羅蜜』を、
『受持したい!』と、
『思っている!』のに、
『師』は、
『与えようとしなければ!』、
或は、
是のような、
『事』は、
『有るかも知れない!』。
何故、
『師』が、
『法』を、
『与えたい!』と、
『思う!』のに、
『弟子』は、
『受けたい!』と、
『思わないのですか?』。
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答曰如先答。弟子見師有過故不欲受法。 |
答えて曰く、先に答うるが如し。弟子は、師に過有るを見るが故に法を受くるを欲せず。 |
答え、
先に、答えたように、――
『弟子』は、
『師』に、
『過が有る!』のを、
『見る!』が故に、
『法』を、
『受けたい!』と、
『思わないのである!』。
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復次師欲教化前人為弟子。而是人或邪見諸惡因緣故不肯受教。 |
復た次ぎに、師は、前の人を教化して、弟子と為さんと欲するも、是の人は、或は邪見、諸悪の因縁の故に、教を受くるを肯んぜず。 |
復た次ぎに、
『師』は、
『前の人』を、
『教化して!』、
『弟子にしたい!』と、
『思っている!』が、
是の、
『人』は、
或は、
『邪見、諸悪の因縁』の故に、
『教を受ける!』ことを、
『承諾しない!』。
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復次一切眾生所行法同則和合。一人離五蓋一人不離故相輕。相輕故不和合。一切上法皆爾。 |
復た次ぎに、一切の衆生の行ずる所の法、同じなれば則ち和合す。一人は五蓋を離るるも、一人は離れざるが故に相軽んじ、相軽んずるが故に和合せず。一切の上法は、皆爾り。 |
復た次ぎに、
一切の、
『衆生』は、
『行っている!』、
『法』が、
『同じならば!』、
則ち、
『和合することになる!』が、
『一人』は、
『五蓋』を、
『離れても!』、
『一人』が、
『離れていない!』が故に、
是の、
『人』を、
『軽んじ!』、
是の、
『人』を、
『軽んじる!』が故に、
『和合しない!』。
一切の、
『上に!』、
『登る!』、
『法』は
皆、
『是の通りである!』。
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復次書誦般若波羅蜜乃至正憶念時。一人呵三惡道。一人讚歎諸天。是事如先答。雖不能都破其善行。且壞其大乘授小乘法。 |
復た次ぎに、般若波羅蜜を書き、誦し、乃至正憶念する時、一人は三悪道を呵し、一人は諸天を讃歎すれば、是の事は、先に答うるが如く、都て、其の善行を破る能わずと雖も、且く、其の大乗を壊りて、小乗の法を授くるなり。 |
復た次ぎに、
『般若波羅蜜』を、
『書き、誦し、乃至正憶念する!』時、
若し、
『一人』が、
『三悪道』を、
『呵し!』、
『一人』が、
『諸天』を、
『讃歎すれば!』、
是の、
『事』は、
先に、答えたように、――
其の、
『善行』を、
『都て!』、
『破ることはできない!』が、
殆ど、
其の、
『大乗を壊って!』、
『小乗の法』を、
『授けることになるだろう!』。
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且(しょ):<代名詞>此れ/今の( this )、<副詞>殆ど/~に近い( almost, nearly )、~しようとする/ことになる( be
going to, will, shall )、ちょうど/さしあたり( just, for the time being )、[長時間に亘るを表す](
for a long time )、[並列関係を表す]かつ/而も( and )、[同時並列を表す]かつ/又( both~and~ )、尚お/更に(
moreover )、若し/仮令( if )。
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復次師少欲知足不樂眾聚。弟子多有人眾。師作是念。弟子雖好可度而將徒眾多。師深著善法捨離弟子。弟子一身亦如是。 |
復た次ぎに、師は少欲知足にして、衆聚を楽しまざるも、弟子には多く人衆有り。師の是の念を作さく、『弟子は、好く度すべしと雖も、徒衆を将いること多し』、と。師は深く善法に著して、弟子を捨離す。弟子の一身なるも、亦た是の如し。 |
復た次ぎに、
『師』は、
『少欲知足であって!』、
『衆聚(取り巻き!)』を、
『楽しまない!』が、
『弟子』には、
『多く!』の、
『人衆(友人)』が、
『有った!』。
『師』は、是の念を作す、――
『弟子』は、
『好もしく!』、
『度すことができそうである!』が、
而し、
『多くの徒衆』を、
『将(ひき)いている!』、と。
『師』は、
『深く!』、
『善法』に、
『著して!』、
『弟子』を、
『捨てて!』、
『離れたのである!』。
亦た、
『弟子』が、
『一身であっても!』、
『是の通りである!』。
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復次說法者意若弟子隨我意行。若去若住隨時問訊。如是等聽法者但欲從求法利。不能行此眾事是不和合。或時聽法者隨意進止問訊等。說法者不聽作是念。何用是事損我功德。聽法者意謂輕賤不相好喜是不和合。 |
復た次ぎに、説法の者の意は、若し弟子なれば、我が意に随うて行い、若しは去り、若しは往きて随時に問訊することも是れ等の如し、と。聴法の者は、但だ従って法利を求めんことを欲するも、此の衆事を行う能わず。是れ和合せざるなり。或は時に聴法の者は、随意に進止、問訊等するも、説法の者は、聴さずして、是の念を作さく、『何ぞ、是の事を用いて、我が功徳を損ずる』、と。聴法の者は意に軽賎を謂いて、相好み喜ぶばず。是れ和合せざるなり。 |
復た次ぎに、
『説法の者』は、
『意』に、こう思っているが、――
若し、
『弟子ならば!』、
わたしの、
『意に随って!』、
『行い!』、
『往き!』、
『去るだろう!』、
『時に随って!』、
『問訊する!』のも、
『是れ等と同じだ!』、と。
『聴法の者』は、
但だ、
『説法の人』より、
『法の利』を、
『求めよう!』と、
『思っているだけなので!』、
此のような、
『衆事』を、
『行うことができない!』。
或は時に、
『聴法の者』は、
『意に随って!』、
『進み!』、
『止まり!』、
『問訊等をする!』が、
『説法の者』は、
『聴さずに!』、
是の念を作す、――
何故、
是の、
『事』を、
『用いて!』、
わたしの、
『功徳』を、
『損なうのか?』、と。
『聴法の者』が、
『意』に、
『軽賎された!』と、
『思えば!』、
互に、
『好まず!』と、
『喜ばない!』ので、
是れは、
『和合しない!』。
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去(こ):<動詞>離れる( go away, leave )、除く( remove, wipe off )、距たる( be apart from,
be at a distance of )、[来るの逆]往く/去る( go )、失う( lose )、追い出す( drive )、投げ捨てる(
throw away )、死ぬ/世を去る( die )、動詞の後に置いて傾向/持続を示す( used after a verb or a V—O
construction to indicate that an action is to take place or continue )、逃亡する(
go into exile, flee from home )、駆逐する( drive out, expel )、<形容詞>過去の( of last
year, past )、[時間/場所を示す]~に在りて( in, at )。 |
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復次師為利養故欲與法。弟子心則不敬師。云何欲賣經法。弟子亦如是。為財利養讀誦般若。非清淨心故。師知弟子心。如是則薄賤不與故不和合。 |
復た次ぎに、師は利養の為の故に、法を与えんと欲すれば、弟子の心は則ち師を敬わず。云何が経法を売らんと欲する、と。弟子も亦た是の如く、財、利養の為に般若を読誦すれば、清浄の心に非ざるが故に、師は弟子の心を知り、是の如くして、則ち軽賎して与えざるが故に、和合せず。 |
復た次ぎに、
『師』が、
『利養』の為の故に、
『弟子』は、
『心』に、
『師』を、
『敬わないことになる!』、――
何故、
『経法』を、
『売ろう!』と、
『思うのか?』、と。
『弟子』も、
是のように、
『財、利養』の為の故に、
『般若』を、
『読誦すれば!』、
『心』が、
『清浄でない!』が故に、
『師』は、
『弟子の心』を、
『知る!』ので、
是のようにして、
則ち、
『軽賎して!』、
『与えないことになり!』、
故に、
『和合しない!』。
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薄賎(はくせん):他本に従いて軽賎に改む。 |
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復次師欲至他方路經嶮難。弟子惜身命故不能隨。作是念我有身然後求法。弟子欲去亦如是。飢餓穀貴無水處亦如是。 |
復た次ぎに、師は他方に至らんと欲すれども、路は嶮難を経。弟子は身命を惜むが故に随う能わずして、是の念を作さく、『我れ身有りて、然る後に法を求めん』、と。弟子の去らんと欲するも、亦た是の如し。飢餓、穀貴、無水の処も亦た是の如し。 |
復た次ぎに、
『師』は、
『他方』に、
『至りたい!』と、
『思う!』が、
『路』は、
『峻険の難処』を、
『経なければならない!』ので、
『弟子』は、
『身命』を、
『惜む!』が故に、
『随うことができず!』、
是の念を作す、――
わたしに、
『身』が、
『有ればこそ!』、
その後に、
『法』を、
『求めるのだ!』、と。
『弟子』が、
『他方』に、
『去ろう!』と、
『思う!』のも、
亦た、
『是の通りであり!』、
『他方の処』が、
『飢餓』や、
『穀物が貴重である!』とか、
『水が無い!』のも、
亦た、
『是の通りである!』。
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復次師欲至豐樂處。弟子欲隨師。或羞愧不欲將去。或弟子串樂不任涉遠。或道里懸遠。或師諳彼國弟子不悉。謂師稱美彼國不必實爾。時或慮師謂貪飲食故去。 |
復た次ぎに、師は、豊楽の処に至らんと欲し、弟子は師に随わんと欲するも、或は羞愧して、将いて去るを欲せず。或は弟子は楽に串(な)れて遠く渉るに任えず。或は道里懸(はるか)に遠し。或は師は彼の国を諳(つまびらかにし)るも、弟子は悉(つまびらかにし)らずして、『師は彼の国を称美するも、必ずしも実に爾らず』と謂う。時には或は師を慮って、『飲食を貪るが故に去る』と謂う。 |
復た次ぎに、
『師』は、
『豊楽の処』に、
『至りたい!』と、
『思い!』、
『弟子』は、
『師に随いたい!』と、
『思ったが!』、
或は、
『師』は、
『羞愧して( 恥ずかしがって)!』、
『弟子』を、
『将いて去ろうとしない!』。
或は、
『弟子』は、
『楽に慣れて!』、
『遠くに渉(わた)る!』に、
『任えられない!』。
或は、
『道里( 道程)』が、
『懸(はるか)に遠い!』ので、
『任えられない!』。
或は、
『師』は、
『彼の国』を、
『熟知している!』が、
『弟子』は、
『熟知せずに!』、こう謂う、――
『師』は、
『彼の国』を、
『称美される!』が、
必ずしも、
『実は!』、
『そうではあるまい!』、と。
時には、
或は、
『師を慮って!』、こう謂う、――
『飲食』を、
『貪ろうとする!』が故に、
『去られるのだ!』、と。
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諳(あん):つまびらかに知る/深く知る/熟知する( know well )。
悉(しつ):つまびらかに知る/知る/知悉( know )。尽く/都て/全部( all, entire )。
称美(しょうみ):人、或は事の美善なるを称揚する。 |
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如是等種種因緣。師語弟子如汝所聞。彼國土所有不必盡爾。好自籌量若自欲去者便去。無以財物豐樂故去。至彼不得隨意。勿以見怨師。復為說汝聞彼國土豐樂故去。非為法故不須隨我。師好心止弟子。不知是壞般若波羅蜜因緣。弟子聞是說敬難師故不能答。便止不去故不和合。 |
是れ等の如き種種の因縁に、師の弟子に語らく、『汝が聞きたる所の如きは、彼の国土の所有は、必ずしも尽くは爾らず。好く自ら籌量して、自ら去らんと欲すれば、便ち去れ。財物、豊楽を以っての故に去ること無かれ。彼に至りて随意を得ざるも、以って怨を見(あらわ)す勿かれ』、と。師は復た為に説かく、『汝は、彼の国土の豊楽を聞くが故に去るも、法の為の故に非ざれば、我れに随うを須(もち)いざれ』、と。師は好心もて、弟子を止むるに、是の般若波羅蜜を壊る因縁なるを知らず。弟子は是の説を聞くも、師を敬難するが故に答うる能わず、便ち止まりて去らざるが故に和合せず。 |
是れ等のような、
種種の、
『因縁』で、
『師』は、
『弟子』に、こう語った、――
彼の、
『国土』の、
『有らゆるもの!』が、
必ずしも、
『尽く!』が、
『お前の聞いた通りではない!』が、
自ら、
『好く!』、
『籌量して!』、
自ら、
『去りたい( 往きたい)!』と、
『思えば!』、
『去るがよい!』。
『財物、豊楽』を、
『思う!』が故に、
『去ってはならない!』。
彼の、
『国土』に、
『至ってから!』、
『意のままでなくても!』、
『恨み!』を、
『見(あらわ)してはならない!』、と。
復た、
『弟子』の為に、こう説いた、――
お前が、
彼の、
『国土の豊楽』を、
『聞いた!』が故に、
『去るのであり!』、
『法』を、
『求める!』為の故に、
『去るのでなければ!』、
わたしに、
『敢て随う!』、
『必要はない!』、と。
『師』は、
『好心』で、
『弟子』を、
『止めて!』、
『去らせなかったのである!』が、
是れが、
『般若を壊る!』、
『因縁となる!』ことは、
『知らなかった!』。
『弟子』は、
是れを聞いて、
『師』を、
『敬っていた!』が故に、
『返答することができず!』、
便ち、
『止まって!』、
『去らなかった!』ので、
是の故に、
『和合しない!』。
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難(なん):<形容詞>困難/艱難/容易でない( difficult, hard, troublesome )、好くない/不可( hardly possible,
bad )、<動詞>困難を感ずる( feel difficult )、~を困難な目に遭わせる( put sb. into a difficult
position )、恐れる/恐懼する( dread, fear )、敬う( respect )、詰問/責難/非難( blame, reproach
)、排斥する/退ける/拒絶する( keep out, ward off, refuse )、論義/論争/難詰する( argue )、<名詞>困難な事(
difficult )、災難/禍害/災害( disaster, calamity, catstrophe )、叛乱( revolt )、恨み/仇敵(
enmity, foe )。
敬難(きょうなん):敬う( respect )。 |
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師復欲至遠國。彼中有種種虎狼賊盜。語弟子言。彼間多難汝不須去。弟子聞已便止。師但知彼有難事故止弟子。不知是壞般若波羅蜜因緣。 |
師は、復た遠国に至らんと欲す。彼の中には種種の虎狼、賊盗有れば、弟子に語りて言わく、『彼の間には難多し。去るを須いず』、と。弟子聞き已りて便ち止まる。師は但だ、彼に難事有るを知るが故に弟子を止むるも、是の般若波羅蜜を壊る因縁たるを知らず。 |
『師』は、
復た、
『遠国』へ、
『至ろう!』と、
『思った!』が、
彼の中には、
『弟子』に語って、こう言った、――
彼の、
『間( 国土)』には、
『難』が、
『多い!』ので、
お前が、
『敢て去る!』、
『必要はない!』、と。
『弟子』は、
『師』は、
但だ、
彼には、
『難事の有る!』ことを、
『知っていた!』が故に、
『弟子を止めた!』が、
是れが、
『般若を壊る!』、
『因縁となる!』ことは、
『知らなかったのである!』。
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問曰。若遠國多難何以自去。 |
問うて曰く、若し遠国に難多ければ、何を以ってか自ら去る。 |
問い、
若し、
『遠国』に、
『難』が、
『多ければ!』、
何故、
自ら、
『去るのですか?』。
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答曰。有人言。師彼國生故服習彼土能自防護。有人言。彼有好師經書。不惜身命故去。 |
答えて曰く、有る人の言わく、『師は、彼の国に生まれたるが故に、彼の土を服習すれば、能く自ら防護すればなり』、と。有る人の言わく、『彼に好師、経書有れば、身命を惜まざるが故に去る』、と。 |
答え、
有る人は、こう言っている、――
『師』は、
彼の、
『国』に、
『生まれた!』が故に、
彼の、
『土』を、
『服習(知悉)している!』ので、
自ら、
『防護することができる!』、と。
有る人は、こう言っている、――
彼の、
『国』には、
『好師、経書』が、
『有り!』、
『師』は、
『身命』を、
『惜まない!』ので、
是の故に、
『去るのだ!』、と。
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服習(ふくしゅう):よく知っている/熟悉/熟知( know well )。 |
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師作是念我身自死則可。云何枉他。如是等因緣故止弟子不令去。 |
師の是の念を作さく、『我が身自ら死するは、則ち可なり。云何が他を枉(ま)げんやと』、と。是れ等の如き因縁の故に、弟子を止めて、去らしめず。 |
『師』は、
是の念を作した、――
わたしの、
『身』は、
『自ら!』、
『死んだとしても!』、
則ち、
『結構なことである!』。
何故、
『他の命』を、
『枉(ま)げるのか?』、と。
是れ等の、
『因縁』の故に、
『弟子』を、
『止めて!』、
『去らせなかったのである!』。
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枉(おう):<形容詞>まがった/曲がった/邪曲な( crooked )、邪悪な( evil, wicked, vicious )、乱れた( disordered
)、<動詞>不当に扱う( treat injustly )、脇道を行く( make a detour )、法を曲げる/法を破る( violate
)、<副詞>無駄に( futilely, in vain )。 |
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師多有知識檀越心生樂著。弟子少欲知足不著檀越。師常隨時問訊檀越。弟子但欲求法不喜是事。師知其意語言。我有因緣不得為汝說法。弟子聞已不悅。師貴俗緣不貴於法是不和合 |
師は多く知識、檀越有りて、心に楽著を生ずるも、弟子は少欲知足にして、檀越に著せず。師は常に随時に、檀越を問訊するも、弟子は但だ法を求めんと欲して、是の事を喜ばず。師は、其の意を知り、語りて言わく、『我れに因縁有れば、汝が為に法を説くを得ず』、と。弟子聞き已りて悦ばず、『師は、俗縁を貴びて、法を貴ばず』、と。是れ和合せざるなり。 |
『師』は、
『多く!』の、
『知識、檀越』が、
『有り!』、
『心』に、
『楽著』を、
『生じた!』が、
『弟子』は、
『少欲知足であって!』、
『檀越』に、
『著しなかった!』。
『師』は、
常に、
随時に、
『檀越』を、
『問訊(訪問)していた!』が、
『弟子』は、
但だ、
『法』を、
『求めよう!』と、
『思うだけであり!』、
是のような、
『檀越を問訊する!』という、
『事』を、
『喜ばなかった!』。
『師』は、
『弟子』の、
『意』を、
『知りながら!』、
それに、
『語って!』、こう言った、――
わたしには、
『因縁』が、
『有る!』ので、
お前の為に、
『法』を、
『説いてはいられない!』、と。
『弟子』は、
之を、
『聞いて!』、
『悦ばなかった!』、――
『師』は、
『俗事』の、
『縁』を、
『貴ばれる!』が、
『法』を、
『説く!』ことは、
『貴ばれない!』、と。
是れでは、
『和合しないことになる!』。
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