巻第六十八(下)
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大智度論釋兩不和合品第四十七
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】魔事:説法人と聴法人とが和合しないこと

【經】復次須菩提。聽法人欲書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。說法人懈墮不欲為說。當知是為菩薩摩訶薩魔事。 復た次ぎに、須菩提、聴法の人、般若波羅蜜を書持して読誦し、義を問うて正憶念せんと欲するも、説法の人、懈堕して為に説かんと欲せず。当に知るべし、是れを菩薩摩訶薩の魔事と為す。
復た次ぎに、
須菩提!
『聴法の人』が、
『般若波羅蜜』を、
『書持、読誦して!』、
『義を問い!』、
『正憶念しようとている!』のに、
『説法の人』が、
『懈怠・堕落して!』、
『般若波羅蜜』を、
『説こうとしなければ!』、
是れは、
『菩薩摩訶薩の魔事である!』と、
『知らねばならぬ!』。
  (だ):堕ちる/沈む/堕とす/堕落する( fall, sink, let fall, degenerate )。
  懈堕(けだ):懈怠堕落。
  参考:『大般若経巻303』:『復次善現。能聽法者愛樂聽聞書寫受持讀誦修習甚深般若波羅蜜多。能說法者著樂懈怠不欲為說。當知是為菩薩魔事復次善現。能說法者心不著樂亦不懈怠。樂為他說甚深般若波羅蜜多。方便勸勵書寫受持讀誦修習。能聽法者懈怠著樂不欲聽受。當知是為菩薩魔事。復次善現。能聽法者愛樂聽聞書寫受持讀誦修習甚深般若波羅蜜多。能說法者欲適他方不獲為說。當知是為菩薩魔事。復次善現。能說法者樂為他說甚深般若波羅蜜多。方便勸勵書寫受持讀誦修習。能聽法者欲適他方不獲聽受。當知是為菩薩魔事。復次善現。能說法者具大惡欲愛重名利衣服飲食臥具醫藥供養資財。能聽法者少欲喜足修遠離行。勇猛正勤具念定慧。厭怖利養恭敬名譽。兩不和合不獲說聽書寫受持讀誦修習甚深般若波羅蜜多。當知是為菩薩魔事。復次善現。能說法者少欲喜足修遠離行。勇猛正勤具念定慧。厭怖利養恭敬名譽。能聽法者具大惡欲愛重名利衣服飲食臥具醫藥供養資財。兩不和合不獲說聽書寫受持讀誦修習甚深般若波羅蜜多。當知是為菩薩魔事。復次善現。能說法者受行十二杜多功德。一住阿練若處。二常乞食。三糞掃衣。四一受食。五一坐食。六隨得食。七塚間住。八露地住。九樹下住。十常坐不臥。十一隨得敷具。十二但三衣。能聽法者不受十二杜多功德。謂不住阿練若處。乃至不受但三衣。兩不和合不獲說聽書寫受持讀誦修習甚深般若波羅蜜多。當知是為菩薩魔事。復次善現。能聽法者受行十二杜多功德。謂住阿練若處。乃至受但三衣。能說法者不受十二杜多功德。謂不住阿練若處。乃至不受但三衣。兩不和合不獲說聽書寫受持讀誦修習甚深般若波羅蜜多。當知是為菩薩魔事。復次善現。能說法者有信有戒有善意樂。欲為他說甚深般若波羅蜜多。方便勸勵書寫受持讀誦修習。能聽法者無信無戒無善意樂不樂聽受。兩不和合不獲說聽書寫受持讀誦修習甚深般若波羅蜜多。當知是為菩薩魔事』
須菩提。說法之人心不懈墮。欲令書持般若波羅蜜。聽法者不欲受之。二心不和。當知是為魔事。 須菩提、説法の人、心に懈堕せず、般若波羅蜜を書持せしめんと欲するに、聴法の者、之を受けんと欲せずして、二心和せざれば、当に知るべし、是れを魔事と為す。
須菩提!
『説法の人』が、
『心に懈怠・堕落せず!』、
『般若波羅蜜』を、
『書持させようとしている!』のに、
『聴法の人』が、
『般若波羅蜜』を、
『受けようとせず!』、
『二人』の、
『心』が、
『和合しなければ!』、
是れは、
『魔事である!』と、
『知らねばならぬ!』。
復次須菩提。聽法人若欲書持般若波羅蜜讀誦乃至正憶念。說法者欲至他方。當知是為魔事。 復た次ぎに、須菩提、聴法の人、若し般若波羅蜜を書持して読誦し、乃至正憶念せんと欲するに、説法の者、他方に至らんと欲せば、当に知るべし、是れを魔事と為す。
復た次ぎに、
須菩提!
『聴法の人』が、
『般若波羅蜜』を、
『書持、読誦、乃至正憶念しようとして!』、
『説法の者』が、
『他方』に、
『往こうとすれば!』、
是れは、
『魔事である!』と、
『知らねばならぬ!』。
須菩提。說法人欲令書持般若波羅蜜。聽法者欲至他方。二心不和。當知是為魔事。 須菩提、説法の人、般若波羅蜜を書持せしめんと欲するも、聴法の者、他方に至らんと欲して、二心和せざれば、当に知るべし、是れを魔事と為す。
須菩提!
『説法の人』が、
『般若波羅蜜』を、
『書持させようとしても!』、
『聴法の者』が、
『他方』に、
『往こうとして!』、
『二人』の、
『心』が、
『和合しなければ!』、
是れは、
『魔事である!』と、
『知らねばならぬ!』。
復次須菩提。說法人貴重布施衣服飲食臥具醫藥資生之物。聽法人少欲知足行遠離行。攝念精進一心智慧兩不和合。不得書般若波羅蜜受持讀誦問義正憶念。當知是為魔事。 復た次ぎに、須菩提、説法の人、衣服、飲食、臥具、医薬、資生の具を布施するを貴重するに、聴法の人は、少欲知足にして遠離行を行じ、念を摂して一心、智慧に精進して、両和合せざれば、般若波羅蜜を書いて受持、読誦し、義を問うて正憶念するを得ず、当に知るべし、是れを魔事と為す。
復た次ぎに、
須菩提!
『説法の人』が、
『衣服、飲食、臥具、医薬や、資生の物』を、
『布施されること!』を、
『貴重すれば!』、
『聴法の人』が、
『少欲知足であって、遠離行を行じ!』、
『精進を摂念し( to concentrate the mind on diligent deed )!』、
『一心、智慧が具足していても!』、
『両者が和合しない!』が故に、
『般若波羅蜜を書いて!』、
『受持、読誦し、義を問うて!』、
『正しく憶念することができない!』ので、
是れは、
『魔事である!』と、
『知らねばならない!』。
  摂念(しょうねん):梵語 √(dhyai), dhyaa の訳、考える/想像する/熟慮する/思索する/回想する/回想/思考( to think of, imagine, contemplate, meditate on, call to mind, recollect, thinking )の義、熟慮する/瞑想に耽る( to be thoughtful or meditative )、心を一事に収斂する( to concentrate the mind on one thing )の意。
  精進(しょうじん):梵語 viirya の訳、英雄的な行為( heroic deed )、男らしさ/剛胆/強さ/力/精力( manliness, valour, strength, power, energy )の義、英雄的な勤勉/勇猛果敢な努力( heroic diligence of effort )の意。
須菩提。說法人少欲知足行遠離行。攝念精進一心智慧。聽法者貴重布施衣服飲食臥具醫藥資生之物。兩不和合。不得書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。當知是為魔事。 須菩提、説法の人、少欲知足にして遠離行を行じ、念を摂して一心、智慧に精進するに、聴法の人は、衣服、飲食、臥具、医薬、資生の具を布施するを貴重して、両和合せざれば般若波羅蜜を書持、読誦し、義を問うて正憶念するを得ず、当に知るべし、是れを魔事と為す。
須菩提!
『説法の人』が、
『少欲知足であって、遠離行を行じ!』、
『精進を摂念し!』、
『一心、智慧が具足していても!』、
『聴法の人』が、
『衣服、飲食、臥具、医薬や、資生の物』を、
『布施されること!』を、
『貴重すれば!』、
『両者が和合しない!』が故に、
『般若波羅蜜を書いて!』、
『受持、読誦し、義を問うて!』、
『正しく憶念することができない!』ので、
是れは、
『魔事である!』と、
『知らねばならない!』。
復次須菩提。說法者受十二頭陀。一作阿蘭若。二常乞食。三納衣。四一坐食。五節量食。六中後不飲漿。七塚間住。八樹下住。九露地住。十常坐不臥。十一次第乞食。十二但三衣。聽法人不受十二頭陀。不作阿蘭若。乃至不受但三衣。兩不和合。不得書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。當知是為魔事。 復た次ぎに、須菩提、説法の者は、十二頭陀を受けて、一には阿蘭若を作し、二には常に乞食し、三には衲衣をつけ、四には一坐食し、五には食を節量し、六には中後に漿を飲まず、七には塚間に住し、八には樹下に住し、九には露地に住し、十には常に坐して臥せず、十一には次第に乞食し、十二には但だ三衣をつくるに、聴法の人は十二頭陀を受けずして、阿蘭若を作さず、乃至但だ三衣を受けざれば、両和合せずして、般若波羅蜜を書持、読誦し、義を問うて正憶念するを得ず、当に知るべし、是れを魔事と為す。
復た次ぎに、
須菩提!
『説法の者』が、
『十二頭陀を受け!』、
一には、『阿蘭若を作し!』、
二には、『常に乞食し!』、
三には、『納衣(衲衣/糞掃衣)を著け!』、
四には、『坐して一食を受け!』、
五には、『食の量を節し!』、
六には、『中後(午後)には漿( juice )すら飲まず!』、
七には、『塚間(墓場)に住し!』、
八には、『樹下に住し!』、
九には、『露地に住し!』、
十には、『常に坐して臥せず!』、
十一には、『次第に乞食し!』、
十二には、『但三衣を受けたとしても!』、
『聴法の人』が、
『十二頭陀を受けずに!』、
『阿蘭若を作さず!』、
『乃至但三衣を受けなければ!』、
『両者が和合しない!』が故に、
『般若波羅蜜を書いて!』、
『受持、読誦し、義を問うて!』、
『正しく憶念することができない!』ので、
是れは、
『魔事である!』と、
『知らねばならない!』。
  十二頭陀(じゅうにづだ):梵語dvaadaza-dhuuta-guNaaHの訳。衣食住の自制に関する十二種の修行法 (twelve disciplines of restraint concerning food, clothing and shelter )。即ち以下の如し、
  1. 著弊衲衣 (梵paaMzukuulika):衲衣(梵 paaMzukuula)は、継ぎを当てた衣服/仏教の僧侶が衣服と作す為に、塵溜より収集せる襤褸布( a patched up wear, collections of rags out of a dust-heap used by Buddhist monks for their clothing )の義、廃棄された襤褸布で作られた衣を著けること ( wearing garments made of cast-off rags ),
  2. 住阿蘭若 (梵aaraNyaka):阿蘭若(梵 araNya)は異国/僻地/曠野/砂漠/森林( a foreign or distant land, a wilderness, desert, forest )の義、隠者のように森林に住むこと ( dwelling in the forest as a hermit ),
  3. 常行乞食 (梵yathaa-saMstarika):常に施に依って生活すること ( always living on alms ),
  4. 次第乞食 (梵paiNDapaatika):(好んで家を択ばず、)家の並びに随って食を乞うこと ( begging for food in the order of houses (not selecting them preferentially) ),
  5. 受一食法 (梵ekaasanika):日に但だ一食を受けること ( receiving only one meal a day ),
  6. 節量食 (梵naamatika, naamaMtika):制限された量を食うこと ( eating a limited amount ),
  7. 中後不得飲漿(梵khalu-pazcaad-bhaktika):午後には飲食しないこと ( not eating after noon ),
  8. 但三衣 (梵trai-ciivarika):但だ三衣のみを著けること( wearing only the three garments ),
  9. 塚間住 (梵zmaazaanika):墓地の中、或は近傍に住むこと ( dwelling in or near cemeteries ),
  10. 樹下坐 (梵vRkSa-muulika):樹下に坐すこと( itting under a tree ),
  11. 露地住 (梵aabhyavakaazika):露地に住むこと ( dwelling in the open air ),
  12. 但坐不臥 (梵naiSadika):但だ坐して臥せないこと( only sitting and never lying down ).
  但三衣(たんさんね):比丘の衣服は、但だ大、中、小の三衣なるを云う。
須菩提。聽法者受十二頭陀。作阿蘭若。乃至受但三衣。說法人不受十二頭陀。不作阿蘭若。乃至不受但三衣。兩不和合。不得書持般若波羅蜜讀誦問義正憶念。當知是為魔事 須菩提、聴法の者は十二頭陀を受けて、阿蘭若を作し、乃至但但三衣を受くるに、説法の人は十二頭陀を受けずして、阿蘭若を作さず、乃至但三衣を受けざれば、両和合せずして、般若波羅蜜を書持、読誦し、義を問うて正憶念するを得ず、当に知るべし、是れを魔事と為す。
須菩提!
『聴法の者』が、
『十二頭陀を受けて!』、
『阿蘭若を作し!』、
『乃至但三衣を受けても!』、
『説法の人』が、
『十二頭陀を受けずに!』、
『阿蘭若を作さず!』、
『乃至但三衣のみを受けなければ!』、
『両者が和合しない!』が故に、
『般若波羅蜜を書いて!』、
『受持、読誦し、義を問うて!』、
『正しく憶念することができない!』ので、
是れは、
『魔事である!』と、
『知らねばならない!』。



【論】魔事:説法人と聴法人とが和合しないこと

【論】釋曰。一切有為法因緣和合故生。眾緣離則無。譬如攢燧求火有鑽有母二事因緣得火。書寫般若乃至正憶念亦如是。內外因緣和合故生。所謂師弟子同心同事故乃得書成。 釈して曰く、一切の有為法は、因縁の和合の故に生じ、衆縁離るれば則ち無し。譬えば攢燧して火を求むるに、有る鑽、有る母の二事の因縁もて、火を得るが如し。般若を書写し、乃至正憶念するも亦た是の如く、内外の因縁和合の故に生ず。謂わゆる師と弟子と同心同事の故に乃ち書くを得て成ず。
釈す、
『一切の有為法』は、
『因縁』が、
『和合する!』が故に、
『生じる!』ので、
『衆縁』が、
『離れれば!』、
『無いことになる!』。
譬えば、
『攢燧して( by drilling )!』、
『火を求める( to wish make a fire )!』時、
若し、
『鑽(a drill)と、母( a mother of fire )』が、
『有れば!』、
是の、
『二事の因縁』の故に、
『火が得られるように!』、
『般若』の、
『書写、乃至正憶念すること!』も、
是のように、
『内、外の因縁』の、
『和合』の故に、
『生じる!』。
謂わゆる、
『師と、弟子』が、
『同心であり!』、
『事を同じうする!』が故に、
乃ち( barely )、
『書くことを得て( to attain writing it )!』、
『成じるのである( be accomplished )!』。
  攢燧(さんずい):攢は積聚/聚集の義、又鑽に通ず。錐揉みして火を得るの義。燧は石を撃ちて火を取る器。
  (さん):穴を穿つ器。錐。
  (も):[本義]母親( mother )。家族/親戚中の長輩の女子( one's female elders )、本源( origin )、万物を養育/産生/出生/生産するもの( parent )、雌性( female (animal) )。
  参考:『中阿含経巻45』:『浮彌。若有沙門.梵志邪見.邪見定。彼作願行行邪梵行。必不得果。無願.願無願.非有願非無願行邪梵行。必不得果。所以者何。以邪求果。謂無道也。浮彌。猶如有人欲得火者。以濕木作火母。以濕鑽鑽。必不得火。無願.願無願.非有願非無願人欲得火。以濕木作火母。以濕鑽鑽。必不得火。所以者何。以邪求火。謂鑽濕木也。如是。浮彌。若有沙門.梵志邪見.邪見定。彼作願行行邪梵行。必不得果。無願.願無願.非有願非無願行邪梵行。必不得果。所以者何。以邪求果。謂無道也。浮彌。若有沙門.梵志正見.正見定。彼作願行行正梵行。彼必得果。無願.願無願.非有願非無願行正梵行。彼必得果。所以者何。以正求果。謂有道也。浮彌。猶如有人欲得火者。以燥木作火母。以燥鑽鑽。彼必得火。無願.願無願.非有願非無願人欲得火。以燥木作火母。以燥鑽鑽。彼必得火。所以者何。以正求火。謂鑽燥木也。如是。浮彌。若有沙門.梵志正見.正見定。彼作願行行正梵行。彼必得果。無願.願無願.非有願非無願行正梵行。彼必得果。所以者何。以正求果。謂有道也。浮彌。若汝為王童子說此四喻者。王童子聞已必大歡喜。供養於汝。盡其形壽。謂衣被.飲食.臥具.湯藥及餘種種諸生活具』
是故佛告須菩提。聽法人信等五善根發故。欲書持般若乃至正憶念。說法者五蓋覆心故不欲說。 是の故に仏の須菩提に告げたまわく、『聴法の人は、信等の五善根発するが故に、般若を書持、乃至正憶念せんと欲し、説法の者は、五蓋の心を覆うが故に、説くを欲せず』、と。
是の故に、
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
『聴法の人』は、
『信、精進、念、定、慧という!』、
『五善根が発動する!』が故に、
『般若を書持、乃至正憶念しようとした!』が、
『説法の者』は、
『貪欲、瞋恚、睡眠、掉挙、疑という!』、
『五蓋が心を覆う!』が故に、
『般若を説こうとしない!』、と。
問曰。若五蓋覆心故不欲說何以作師。 問うて曰く、若し五蓋心を覆うが故に、説くを欲せざれば、何を以ってか師と作る。
問い、
若し、
『五蓋』が、
『心を覆った!』が故に、
『説こうとしなければ!』、
何故、
『師』と、
『作ったのですか?』。
答曰。是人著世間樂不觀空無常。雖能心知口說不能自行。弟子雖必欲行而不能知故更無餘處。必諮此人 答えて曰く、是の人は、世間の楽に著して、空、無常を観ざれば、能く心に知り、口に説くと雖も、自ら行じる能わず、弟子は必ず行ぜんと欲すと雖も、知る能わざるが故に更に余処無ければ、必ず此の人に諮る。
答え、
是の、
『人』は、
『世間の楽に著して!』、
『空、無常』を、
『観ない!』が故に、
『心で知り!』、
『口で説いても!』、
『自ら、行じることはができない!』のに、
『弟子』は、
『道を必ず、行じようとした!』が、
『道』を、
『知ることができない!』が故に、
『更に、餘処が無ければ!』、
『必ず、此の人』に、
『諮らなければならない( must inquire )!』。
  (ひつ):[本義]道標( guidepost )、必ず/必須/必要( must )、必然/必定( certainly )、若し( if )。
  (し):はかる。[本義]諮詢/相談する( take counsel, consult )。尋ねる/問う( inquire )、論議する( discuss )。
或時師悲心發故欲令書持般若。弟子信等五善根鈍不發故。著世間樂故。不欲受書持乃至正憶念。 或は師に悲心発るが故に、般若を書持せしめんと欲するも、弟子は信等の五善根鈍くして、発さざるが故に、世間の楽に著するが故に、受けて書持し、乃至正憶念するを欲せず。
或は時に、
『師』は、
『悲心が発する!』が故に、 『
『般若』を、
『書持させようとする!』が、
『弟子』は、
『信等の五根』が、
『鈍くて!』、
『発動しない!』が故に、
『世間の楽に著する!』が故に、
『般若波羅蜜を受けて!』、
『書持乃至正憶念しようとしない!』。
問曰。若不欲受持何以名為聽法者。 問うて曰く、若し受持せんと欲せざれば、何を以ってか、名づけて聴法の者と為す。
問い、
若し、
『般若を受持しようとしなければ!』、
何故、
『聴法する者』と、
『称されるのですか?』。
答曰。少多聽受讀誦不能究竟成就故。但名聽法。若二人善心共同能得般若波羅蜜。若不同則不能得是名魔事。 答えて曰く、聴受し読誦すること少多なれば、究竟じて成就する能わざるが故に、但だ聴法と名づく。若し二人の善心共に同ずれば、能く般若波羅蜜を得、若し同ぜざれば、則ち得る能わず、是れを魔事と名づく。
答え、
『聴受、読誦する!』ことが、
『少多(a little )ならば!』、
『究竟じて!』、
『成就できない!』が故に、
但だ、
『聴法の者』と、
『称するのである!』。
若し、
『二人』の、
『善心が、共に同じならば!』、
『般若波羅蜜』を、
『得ることもできる!』が、
若し、
『同じでなければ!』、
『般若波羅蜜』を、
『得ることができない!』ので、
是れを、
『魔事』と、
『称するのである!』。
內煩惱發外天子魔作因緣。離是般若菩薩應覺是魔事防令不起。若自失當具足若弟子失當教令得。 内には煩悩発り、外には天子魔因縁を作して、是の般若を離れしむれば、菩薩は、応に是れ魔事なるを覚りて、防ぎ起きざらしむべし。若し自ら失わば、当に具足すべし。若し弟子失わば、当に教えて得しむべし。
『内に、煩悩が発る!』と、
『外の天子魔』が、
是の、
『般若波羅蜜を離れる!』、
『因縁を作る!』ので、
『菩薩』は、
是の、
『魔事を覚って、防ぎ!』、
『起らないようにして!』、
若し、
『道を失えば!』、
『自ら!』、
『具足せねばならず!』、
若し、
『弟子が、道を失えば!』、
『教えて!』、
『得させねばならない!』。
  (しつ):[本義]失う/喪失する( lose )、取り逃す/時機を失う( miss )、自ら禁じえず/忍びえない( be out of control )、違背/違反する( violate )、遺漏する/手落ちがある( leave out by mistake )、迷う( lose (one's way, etc) )、忘れる/知らない( forget, don't know )、消失/生滅する( disappear, vanish, perish, die out )、過失/錯誤( error )。
復次師或慈悲心薄捨弟子至他方。或不宜水土四大不和。或善法無所增益。或水旱不適。或土地荒亂。如是等種種因緣故至他方。弟子亦種種因緣不能追隨。 復た次ぎに、師は、或は慈悲心薄く、弟子を捨てて他方に至る。或は水、土宜しからずして、四大和合せず。或は善法の増益する所無し。或は水旱(かわ)きて適せず。或は土地荒乱す。是れ等の如き種種の因縁の故に、他方に至り、弟子も亦た、種種の因縁に追随する能わず。
復た次ぎに、
『師』は、
或は、
『慈悲心が薄い!』が故に、
『弟子を捨てて!』、
『他方に至り( to arrive in another country )!』、
或は、
『水、土が宜しくなく!』、
『四大』が、
『和合しない!』が故に、
或は、
『善法』の、
『増益する!』所が、
『無い!』が故に、
或は、
『水』が、
『旱いて( dried up )!』、
『適さない!』が故に、
或は、
『土地』が、
『荒れて!』、
『乱れている!』が故に、
是れ等のような
『種種の因縁の故に、他方に至り!』、
『弟子』も、
『種種の因縁』の故に、
『追随することができないのである!』。
貴重利養者如上五蓋覆心等。 利養を貴重するとは、上の如き、五蓋の心を覆う等なり。
『利養を、貴重する!』とは、――
上のような、
『五蓋が、心を覆う等である!』。
復次是二人皆有信有戒。而一人以十二頭陀莊嚴戒。一人不能。 復た次ぎに、是の二人は、皆信有り、戒有るも、一人は十二頭陀を以って、戒を荘厳し、一人は能わず。
復た次ぎに、
是の、
『二人』には、
皆、
『信、戒が有りながら!』、
『一人』は、
『十二頭陀を用いて!』、
『戒を荘厳する!』が、
『一人』は、
『戒を荘厳することができないのである!』。
問曰。一人何以故不能。 問うて曰く、一人は、何を以っての故にか、能わざる。
問い、
『一人』は、
何故、
『荘厳できないのですか?』。
答曰。佛所結戒弟子受持。十二頭陀不名為戒。能行則戒莊嚴。不能行不犯戒。譬如布施能行則得福不能行者無罪。頭陀亦如是。是故兩不和合則是魔事。 答えて曰く、仏の結びたもう所の戒を、弟子受持す。十二頭陀を、名づけて戒と為さざるも、能く行えば、則ち戒を荘厳し、行じる能わざるも、戒を犯さず。譬えば布施を能く行えば、則ち福を得、行じる能わざるも、則ち罪無きが如し。頭陀も亦た是の如し。是の故に両和合せざれば、則ち是れ魔事なり。
答え、
『仏が結ばれた!』、
『戒』を、
『弟子』が、
『受持する!』が、
『十二頭陀は、戒と称されず!』、
『行じることができれば!』、
『戒』が、
『荘厳される!』が、
『行じることができなくても!』、
『戒』を、
『犯すことにはならない!』。
譬えば、
『布施を行じることができれば!』、
『福』を、
『得ることになる!』が、
『行じることができなくても!』、
『罪』は、
『無いようなものであり!』、
亦た、
『頭陀も、是の通りである!』ので、
是の故に、
『師、弟子』が、
『和合しなければ!』、
是れは、
『魔事なのである!』。
十二頭陀者行者以居家多惱亂。故捨父母妻子眷屬出家行道。而師徒同學還相結著心復嬈亂。是故受阿蘭若法令身遠離憒鬧住於空閑。遠離者最近三里能遠益善。得是身遠離已。亦當令心遠離五欲五蓋。 十二頭陀とは、行者は居家には、悩乱多きを以っての故に、父母、妻子、眷属を捨てて出家し、道を行じるも、師徒同学にして、還って相著心を結ばば、復た嬈乱せん。是の故に、阿蘭若法を受けて、身を憒鬧より遠離して、空閑に住せしむ。遠離とは、最も近きは三里にして、能く遠ざかれば、善を益す。是の身をして、遠離せしめ已るを得れば、亦た当に心をして、五欲、五蓋を遠離せしむべし。
『十二頭陀』とは、――
『行者』が、        ――阿蘭若の法――
『家に居れば!』、
『悩乱されること!』が、
『多い!』が故に、
『父母、妻子、眷属を捨てて!』、
『出家し!』、
『道を行じるのである!』が、
而し、
『師、弟子が同学である!』が故に、
還って、
『著心を相結ぶことになり
their minds are occupied with each other )!』、
復た、
『心』が、
『嬈乱することになる( to be disturbed )!』ので、
是の故に、
『阿蘭若の法を受けて!』、
『身』を、
『街巷の憒鬧より( from the hustle and bustle of a city )!』、
『遠離し!』、
『曠野』の、
『空閑』に、
『住するのである!』。
『遠離』とは、
『最も近ければ、三里( 1.2km )である!』が、
更に、
『遠ざかることができれば!』、
『益々善く!』、
是の、
『身』を、
『憒鬧より!』、
『遠離することができれば!』、
『心』も、
『五欲、五蓋より!』、
『遠離することになる!』。
  頭陀(づだ):梵語 dhuuta, dhuta の訳、振り捨てる( shaken off )の義。少欲知足の義に同じ。
  少欲知足(しょうよくちそく):梵語 alpecca の訳、少欲/少し或は中程度の願望( having little or moderate wishes )と、梵語 saMtUSTa の訳、知足/満足すること/喜ぶこと( quite satisfied or contented, well pleased or delighted with )との合成語。
  (り):里程の1単位/405m。即ち1里は300歩、1歩は6尺、1周尺は22.5cmに依る。
若受請食若眾僧食起諸漏因緣。 若しは請食、若しは衆僧食を受くれば、諸漏の因縁を起さん。
若しは、        ――常乞食の法――
『請食や衆僧食を受ければ( to get an invitation or the meal of temple ) )!』、
是れは、
『諸漏の因縁』を、
『起すことになる!』。
  請食(しょうじき):梵語 nimantraNa の訳、招待( invitation )の義。
  衆僧食(しゅそうじき)、僧食(そうじき):梵語 saMgha-bhakta の訳、寺院の配給( something distributed in the temple )の義、寺院の食事( the meal of temple )の意。
所以者何。受請食者若得作是念。我是福德好人故得。若不得則嫌恨請者。彼為無所別識不應請者請應請者不請。或自鄙薄懊惱自責而生憂苦。是貪愛法則能遮道。 所以は何んとなれば、受請して食するに、若し得れば、是の念を作さん、『我れは、是れ福徳の好人なるが故に得』、と。若し得ざれば、則ち請者を嫌恨すらく、『彼を別識する所無しと為す。応に請うべからざる者を請い、応に請うべき者を請わず』、と。或は自ら鄙薄して懊悩し、自ら責めて憂苦を生ずるに、是れ貪愛の法にして、則ち能く道を遮う。
何故ならば、
『請食を受ける!』者が、
若し、
『請食を得れば!』、こう念じ、――
わたしが、
『福徳の好人である!』が故に、
『得たのである!』、と。
若し、
『得なければ!』、
『彼れには、識別された知識が無い
he maight have no infomation distinguished )!』ので、
『請じてはならない者を請じて!』、
『請じねばならない者を請じないのだ!』と、
『請者を嫌恨したり
filled with anger and enmity at the inviter )!』、
或は、
『自ら鄙薄して、懊悩したり( to despise himself and agonize )!』、
『自ら責めたりして!』、
『憂苦を生じる!』が、
是れは、
『貪愛の法であり!』、
『道』を、
『遮らせることになる!』。
  請者(しょうしゃ):梵語 nimantraka の訳、招待主( an inviter, a host )の義。
  嫌恨(けんこん):梵語 krodha-upanaaha の訳、怒と恨( anger and continual enmity )の義、~に怒と恨を抱く( be filled with anger and enmity at )の意。
  所別(しょべつ):梵語 vizeSya の訳、識別/区別された( to be distinguished )の義。
  所別識(しょべつのしき):梵語 vizeSya-vijJapti? の訳、識別された情報/知識( a distinguished information )の義。
  鄙薄(ひはく):軽蔑する( despise )、浅薄な( shallow )。
僧食者入眾中當隨眾法。斷事擯人料理僧事處分。作使心則散亂妨廢行道。有如是等惱亂事故。受常乞食法。 僧食すとは、衆中に入れば、当に衆法に随うて、断事、儐人、料理、僧事、処分、作使して、心は則ち散乱して、行道を妨廃す。是の如き等の悩乱事有るが故に。常乞食の法を受く。
『僧食の者』は、
『衆中に入り!』、
『衆法(律儀)に随って!』、
『断事(裁定)』、
『儐人(接客)』、
『料理(管理)』、
『僧事(事務)』、
『処分(懲戒)』、
『作使(仕事)せねばならず!』、
則ち、
『心が散乱することになり!』、
『行道』を、
『妨廃(妨害)することになる!』。
是れ等のような、
『悩乱事』が、
『受請食、僧食』には、
『有る!』が故に、
『常に乞食する!』という、
『法』を、
『受けるのである!』。
  断事(だんじ):事務を決裁する。
  擯人(ひんにん):犯罪の比丘を排斥する人。擯は締め出す( exclude, expel )の義、犯罪の比丘を排斥するの意。又擯は儐に通じる。儐は賓客を導引するの義。儐人に同じ。
  儐人(ひんにん):賓客を導くこと( entertaining )。接客。
  料理(りょうり):管理/処理( manage, take care of )。
  僧事(そうじ):僧中の事務。
  処分(しょぶん):懲戒手続きに付する( take disciplinary action against )。
  作使(さし):梵語 karmakara の訳、仕事をする( doing work )の義。
好衣因緣故。四方追逐墮邪命中。若受人好衣則生親著。若不親著檀越則恨。若僧中得衣如上說。眾中之過。又好衣是未得道者生貪著處。好衣因緣招致賊難。或至奪命。有如是等患故受弊納衣法。 好衣の因縁の故に、四方に追逐して邪命中に墮つ。若し人より好衣を受くれば、則ち親著を生ず。若し親著せざれば、檀越は則ち恨む。若し僧中に衣を得れば、上に衆中の過を説くが如し。又好衣は、是れ未だ道を得ざる者の貪著を生ずる処なり。好衣の因縁は、賊難を招致し、或は命を奪うに至る。是の如き等の患有るが故に、弊納衣の法を受く。
『好衣の因縁』の故に、        ――弊納衣の法――
『四方に追逐して!』、
『邪命』中に、
『堕ちる!』。
若し、
『人より!』、
『好衣』を、
『受ければ!』、
則ち、
『親著する!』、
『心』を、
『生じることになる!』が、
若し、
『親著しなければ!』、
『檀越』が、
『恨むことになる!』。
若し、
『僧中より!』、
『好衣』を、
『得れば!』、
上に、
『衆中の過』を、
『説いた通りである!』。
又、
『好衣』は、
『未だ、道を得ない!』者が、
『貪著を生じる!』、
『処であり!』、
『好衣の因縁』は、
『盗賊の難』を、
『招致して!』、
或は、
『命を奪われる!』に、
『至る!』。
是れ等のような、
『患が有る!』が故に、
『弊納衣の法』を、
『受けるのである!』。
  弊納衣(へいのうえ)、糞掃衣(ふんぞうえ):梵語 paaMzukuula, paaMzukuulika, paaMzukuula- ciivara の訳、ゴミの堆積( a dust heap )の義、[]ゴミためより出たボロ布を集めたもの( a collections of rags out of a dust heap )の義、仏により制定された、ゴミ溜めより集められたボロ布で作られた衣( the clothes made of rags that are collected from a dust heap, used by Buddhist monks )の意。
  追逐(ついちく):追求/追跡する(pursue, chase )。
行者作是念。求一食尚多有所妨。何況小食中食後食。若不自損則失半日之功。不能一心行道。佛法為行道故。不為益身。如養馬養豬。是故斷數數食受一食法。 行者の是の念を作さく、『一食を求むるすら、尚お多く妨ぐる所有り、何に況んや、小食、中食、後食をや。若し自ら損ぜざれば、則ち半日の功を失いて、一心に道を行ずる能わず。仏法は、道を行ぜんが為の故にして、身を、馬を養い、豬を養うが如く益せんが為にあらず』、と。是の故に数数の食を断じて、一食の法を受く。
『行者』は、こう念じる、――       ――受一食の法――
『一食を求めることすら!』、
尚お、
『道を妨げる!』所が、
『多く有る!』、
況して、
『小食(午前の軽食)』、
『中食(正食)』、
『後食(午後の軽食)』の、
『三食』は、
『尚更であろう!』、
若し、
『自ら、身を損じなければ!』、
『半日の功(業績)』を、
『失うことになり!』、
『一心』に、
『道』を、
『行じることができなくなる!』。
『仏法』は、
『道を行じる為めである!』が故に、
『身を益する為めではない!』、
譬えば、
『馬、豬』を、
『養うようなものではないのだ!』。
是の故に、
『数数の食を断じて!』、
『一食の法』を、
『受けるのである!』、と。
  (く):[本義]勲功/功績/達成/業績/華々しい業績( meritorious service, exploit, achievement, heroic achievement )、練功/功夫( skill )、土木/造営工事( works of architecture )。
有人雖一食而貪心極噉。腹脹氣塞妨廢行道。是故受節量食法。 有る人は、一食と雖も、貪心極まりて噉(くら)えば、腹脹(ふく)れ気塞(ふさ)ぎて、行道を妨廃すれば、是の故に節量食の法を受く。
有る、        ――節量食の法――
『人は、一食であっても!』、
『貪心( the desirous mind )』で、
『極めて( extremely )!』、
『噉えば( to eat )!』、
『腹が脹れて、気が塞がり!』、
『行道』を、
『妨廃する!』ので、
是の故に、
『節量食の法』を、
『受けるのである!』。
  貪心(とんしん):梵語 lobha-citta の訳、貪欲の心( desirous mind )の義。
節量者略說隨所能食三分留一分。則身輕安穩易消無患。於身無損。則行道無廢。如經中舍利弗說。我若食五口六口足之。以水則足支身。於秦人中食不十口許。 量を節すとは、略説すれば、能く食う所に随いて、三分に一分を留むれば、則ち身軽く安隠にして消し易く、患無し。身を損ずること無ければ、則ち行道に廃する無し。経中に舎利弗の説くが如し、『我れ若し食すること五口、六口なれば、之に足り、水を以ってすれば、則ち身を支うるに足る』、と。秦人に於いて、中食は十口ばかりにあらず。
『節量を略説すれば!』、――
『食うことのできる!』所を、
『三分して!』、
『一分』を、
『留めれば!』、
則ち、
『身』が、
『軽くなって!』、
『安隠であり!』、
『消化しやすければ! 、
『患うこと!』も、
『無く!』、
『身』を、
『損じる!』ことも、
『無い!』ので、
『行道』を、
『廃すること!』が、
『無い!』。
『経』中には、
『舎利弗』が、こう説く通りである、――
わたしは、
『五口、六口だけ!』、
『食えば!』、
『足り!』、
『水を飲めば!』、
『身を支える!』に、
『足る!』、と。
『秦人の中食』は、
『十口ばかりでは!』、
『足らない!』。
  (こ):[本義]許可( allow, permit )、同意/賛同( agree, approve of )、(与えると)約束する( promise )、期待する( hope )、信用する( believe )、給与/奉献( give )、処所/地方( place ):何許、ばかり/ほど/凡その数量( numerous, about )、恐らく/多分( perpaps )、此の如し( so )、何ぞ/何のような/どのように( what )、語末の助辞。
有人雖節量食過中飲漿則心樂著。求種種漿果漿蜜漿等。求欲無厭。不能一心修習善法。如馬不著轡勒左右噉草不肯進路。若著轡勒則不噉草意斷隨人意去。是故受中後不飲漿。 有る人は、量を節して食すと雖も、中過ぎて漿を飲めば、則ち心に楽著し、種種の漿、果漿、蜜漿等を求め、求欲して厭くこと無く、一心に善法を修習する能わず。馬の轡勒を著けざれば、左右に草を噉(は)みて、肯て路を進まざるに、若し轡勒を著くれば、則ち草を噉まず、意断じて人の意に随うて去るが如し。是の故に中後に漿を飲まざるを受く。
有る、        ――中後不飲漿の法――
『人』は、
『食量を節していても!』、
『中過ぎに、漿を飲む( to drink juice in every afternoon )!』ので、
『心』が、
『楽著し!』、
『果漿、蜜漿等の種種の漿を求めて!』、
『五欲を求めて!』、
『厭くことが無い!』ので、
『一心』に、
『善法』を、
『修習することができず!』、
譬えば、
『馬』が、
『轡勒を著けずに!』、
『左右に、草を噉んで!』、
『肯て、道を進もうとしない!』が、
若し、
『轡勒を著ければ!』、
『草を噉まず、意を断じて!』、
『人の意に随って、去るようなものである!』ので、
是の故に、
『中後不飲漿の法』を、
『受けるのである!』。
  楽著(らくじゃく):梵語 abhiram の訳、喜ぶ/楽しむ( to delight in, to please )の義。
  轡勒(びろく):馬勒/馬の頭部に着けるおもがい、くつわ、手綱の総称( bridle )。
  求欲(ぐうよく):梵語 aayaacate, aa√(yaac) の訳、歎願/懇願する( supplicate, implore )の義。
無常空觀是入佛法門。能厭離三界。塚間常有悲啼哭聲死屍狼藉。眼見無常後或火燒鳥獸所食不久滅盡。因是屍觀一切法中易得無常相空相。又塚間住若見死屍嗅爛不淨易得。九相觀是離欲初門。是故受塚間住法 無常、空観は、是れ仏法に入る門にして、能く三界を厭離す。塚間は常に悲と、啼哭の声、死屍狼藉なる有り、眼に無常を見る。後に或は火に焼かれ、鳥獣に食われて、滅尽すること久しからず、是の屍観に因れば、一切法中に、無常相、空相を得やすし。又塚間に住して、若し死屍の臭爛して不浄なるを見れば、九相観を得やすく、是れは離欲の初門なれば、是の故に塚間住の法を受く。
『無常観や、空観』は、    ――塚間住の法――
『仏法に入る為めの門であり!』、
『三界』を、
『厭離することができる!』が、
『塚間』は、
常に、
『悲しみと、啼哭の声が有り!』、
『死屍が、狼藉しており( dead bodys are scatterd )!』、
『眼に見る!』のは、
『無常である!』。
後に或は、
『火に焼かれ!』、
『鳥獣に食われて!』、
『久しからずして!』、
『滅尽する!』。
是の、
『死屍の観に因って!』、
『一切法』中に、
『無常相や、空相』を、
『易すく、得ることになる!』。
『又、塚間に住して!』、
若し、
『死屍の臭く爛れた不浄を見れば!』、
『九相観を易すく得られる!』が、
是の、
『九相観』は、
『離欲の初門であり!』、
是の故に、
『塚間住の法』を、
『受けるのである!』。
  塚間(ちょうげん):梵語 zmazaana の訳、屍体を焼く為めの隆起した場所/火葬場/共同墓地/火葬された骨を埋葬する場所( an elevated place for burning dead bodies, crematorium, cemetery or burial- place for the bones of cremated corpses )の義。
  狼藉(ろうじゃく):散らかる/めちゃくちゃに撒き散らす( be in disorder, scattered about in a mess )。狼籍に同じ。
能作不淨無常等觀已得道。事辦捨至樹下。或未得道者心則不大厭取是相樹下思惟。如佛生時成道時轉法輪時般涅槃時皆在樹下。行者隨諸佛法常處樹下。如是等因緣故受樹下坐法。 能く不浄、無常等の観を作し已り、道を得、事辦ずれば捨てて、樹下に至る。或は、未だ道を得ざる者は、心則ち大いに厭わざれば、是の相を取りて、樹下に思惟す。仏の生時、成道の時、転法輪の時、般涅槃の時の如きは、皆樹下に在せるが如く、行者は、諸仏の法に随いて、常に樹下に処す。是れ等の如き因縁の故に、樹下坐の法を受く。
『不浄、無常等の観を作して!』、  ――樹下坐の法――
『道を得て、事が辦じれば
to get the way and the works are accomplished )!』、
『塚間を捨てて!』、
『樹下に至り!』、
或は、
『未だ、道を得ず!』、
是の、
『死屍臭爛を厭う!』、
『心』が、
『大きくなければ!』、
是の、
『死屍臭爛の相を取って!』、
『樹下に思惟する!』。
例えば、
『仏』が、
『生れた時、道を成じた時、法輪を転じた時、般涅槃した時』、
『皆、樹下に在られたように!』、
『行者』は、
『諸仏の法に随って!』、
『常に、樹下に処するのであり!』、
是れ等のような、
『因縁』の故に、
『樹下坐の法』を、
『受けるのである!』。
行者或觀樹下如半舍無異蔭覆涼樂又生愛著。我所住者好彼樹不如。如是等生漏故至露地住作是思惟。樹下有二種過。一者雨漏濕冷。二者鳥屎污身毒蟲所住。有如是等過。空地則無此患。露地住則著衣脫衣隨意快樂。月光遍照空中明。淨心易入空三昧。 行者、或は樹下を、『半舎の如きに異無く、蔭覆いて涼楽なり』、と観じ、又、『我が所住は好もしく、彼の樹下は如かず』、と愛著を生じ、是れ等の如き漏を生ずるが故に、露地に至りて住するに、是の思惟を作さく、『樹下には二種の過有り、一には雨漏りて湿冷なり、二には鳥の屎身を汚し、毒虫の所住なり。是の如き等の過有るも、空地なれば、則ち此の患無し。露地に住すれば、則ち著衣脱衣随意にして快楽なり、月光遍く照らして、空中明浄なれば、心は空三昧に入り易し』、と。
『行者』は、        ――露地住の法――
或は、
『樹下』を、
例えば、
『半舎と異が無く( there is no difference between it and a hut )!』、
『蔭に覆われて、涼しく楽しい!』と、
『観て!』、
又、
『わたしの所住の樹下は好もしいが、彼の樹下は及ばない!』と、
『愛著』を、
『生じることになり!』、
是れ等のように、
『漏を生じる!』が故に、
『露地に至って!』、
『住し!』、
こう思惟する、――
『樹下には、二種の過が有り!』、
一には、
『雨が漏れて!』、
『湿冷であり!』
二には、
『鳥屎が身を汚し!』、
『毒虫の所住であるという!』、
是れ等の、
『過が有る!』が、
『空地』には、
『此の患が無い( there is not such anxiety )!』。
『露地に住すれば!』、
『著衣しても、脱衣しても!』、
『隨意に!』、
『快楽であり!』、
『月光が、遍く照して!』、
『空』中が、
『明浄であり!』、
『心』が、
『空三昧に入る!』のも、
『易しいことである!』、と。
  半舎(はんしゃ):◯梵語 ardha- kuTii? の訳、半分の小屋( half a hut )の義、蓋し一房に就き二人共住せるの意なるべし。◯梵語 parNa- kuTikaa? の訳、樹葉葺の小屋( a hut made of leaves )の義。
身四儀中坐為第一。食易消化氣息調和。求道者大事未辦。諸煩惱賊常伺其便不宜安臥。若行若立則心動難攝。亦不可久故受常坐法。若欲睡時脅不著席。 身の四儀中に坐を第一と為し、食を消化し易く、気息調和す。求道の者、大事未だ辦ぜざれば、諸の煩悩の賊常に其の便を伺うに、宜しく安臥すべからず。若しは行き、若しは立つは、則ち心動いて、摂し難く、亦た久しかるべからざるが故に、常坐の法を受く。若しは睡らんと欲する時にも、脅を席に著けざれ。
『身の四威儀(行、住、坐、臥)』中には、  ――常坐不臥の法――
『坐が、第一である!』のは、
『食を、消化し易く!』、
『気息が、調和するからである!』。
『道を求める!』者は、
『未だ、大事が辦じなければ!』、
『諸の煩悩の賊』が、
其の、
『便( a opportunity to chatch him )!』を、
『伺っている!』ので、
即ち、
『安臥する!』のは、
『宜しくない!』。
若し、
『行、立すれば( walking or stopping )』、
『心が動いて!』、
『摂すること( controlling )!』が、
『難しく!』、
又、
『久しく行、立することもできない!』が故に、
『常坐の法』を、
『受けるのである!』が、
若し、
『睡りたくなった!』時でも、
『脅( your side )』を、
『席に著けてはならない!』。
行者不著於味不輕眾生。等心憐愍故。次第乞食不擇貧富故。受次第乞食法。 行者は、味に著せず、衆生を軽んぜず、等心に憐愍するが故に、次第に乞食して、貧富を択ばず、故に次第乞食の法を受く。
『行者』は、        ――次第乞食の法――
『味に著することなく!』、
『衆生を軽んじず!』、
『等心』に、
『憐愍する!』が故に、
『次第に乞食して!』、
『貧、富』を、
『択ばない!』が故に、
是の故に、
『次第乞食の法』を、
『受けるのである!』。
行者少欲知足衣趣蓋形不多不少故。受但三衣法。白衣求樂故多畜種種衣。或有外道苦行故裸形無恥。是故佛弟子捨二邊處中道行。住處食處常用故事多。衣不須日日求故略說。 行者は、少欲知足にして、衣趣は形を蓋えば多からず少なからざるが故に、但三衣の法を受く。白衣は楽を求むるが故に、多く種種の衣を畜え、或は有る外道は苦行の故に裸形にして恥無し。是の故に仏弟子は、二辺を捨てて、中道に処して行ず。住処、食処に常用するが故に事は多けれども、衣は日日に求むるを須(ま)たざるが故に、略説す。
『行者』は、        ――但三衣の法――
『少欲知足であり!』、
『衣の趣(the purpose of clothes)』は、
『形(the body)を蓋えば!』、
『多くも、少なくもない!』ので、
是の故に、
『但三衣の法』を、
『受けるのである!』。
『白衣』は、
『楽を求める!』が故に、
『種種の衣』を、
『多蓄し!』、
或は有る、
『外道は、苦行する!』が故に、
『倮形であっても!』、
『恥じることが無い!』ので、
是の故に、
『仏弟子は、二辺の処を捨て!』、
『中道に処して!』、
『行じるのである!』。
『住処や、食処にも常用する!』が故に、
『衣の事は多い( there are many facts arising about clothes )!』が、
『衣は日日求めることを、須たない
it is not necessary to get clothes everyday )!』が故に、
『略説したのである!』。
  (しゅ):[本義]促がす/催促/督促する( urge )。疾かに、快速( at once, quickly )、緊急の( urgent, pressing, quickly )、趣向する/急いで往く( tend, hurry off to )、追いつく( catch up )、取る( take )、嘲笑する( ridicule )、旨趣/意思/目的( purport, objective )、興趣/趣味( delight, pleasure, interest )、意向/志向( inclination )、風趣( flavor )、行為( conduct )。
是十二頭陀。佛意欲令弟子隨道行捨世樂。故讚十二頭陀。是佛意常以頭陀為本有因緣。不得已而聽餘事。 是の十二頭陀の仏意は弟子をして、道に随いて行じ、世楽を捨てしめんと欲したもうが故に、十二頭陀を讃じたまえり。是の仏意は常に頭陀を以って本と為し、因縁有らば、已(や)むを得ずして余事を聴(ゆる)したもう。
是の、
『十二頭陀の仏意』は、
『道に随って行じる為め!』に、
『弟子』に、
『世楽を捨てさせようとされ!』、
是の故に、
『十二頭陀』を、
『讃じられたのである!』が、
是の、
『仏意』は、
『常に、頭陀を本とされながら!』、
『因縁が有って、已むを得なければ!』、
『餘事を行じることも、聴された!』。
如轉法輪時五比丘初得道。白佛言。我等著何等衣。佛言。應著納衣。 法輪を転じたもう時の如きは、五比丘、初めて道を得て、仏に白して言さく、『我等は何等の衣を著くるや』、と。仏の言わく、『応に納衣を著くべし』、と。
譬えば、
『法輪を転じられた!』時、
『五比丘は、初めて道を得たばかりである!』が故に、
『仏に白して!』、こう言った、――
わたし達は、
『何のような衣』を、
『著けるのですか?』、と。
『仏』は、こう言われた、――
お前達は、
『弊納衣』を、
『著けねばならない!』、と。
又受戒法盡壽著納衣。乞食樹下住。弊棄藥。於古四聖種中。頭陀即是三事。 又受戒の法は、寿を尽して著納衣、乞食、樹下住、弊棄薬なり。古の四聖種中に於いて、頭陀は即ち是の三事なり。
又、
『受戒の法』は、
『寿を尽して!』、
『納衣を著け、乞食し、樹下に住し、弊棄薬を服むことである!』が、
『頭陀』は、
『古い四聖種』中の、
『三事(衣服、飲食、臥具喜足種)である!』。
  弊棄薬(へいきやく):梵語 puuti- mukta- bhaiSajya の訳、又腐爛薬、陳棄薬に作る。腐敗せる牛尿を以って製せられたる薬( medicine made from the putrid urine of cattle )。
  四聖種(ししょうしゅ):能く衆聖を生ずる四種の種子(four seeds of holiness)、梵語 catur- aarya vaMza の訳、即ち以下の如し、
  1. 衣服喜足聖種 (巴梨語 itariitara- ciivara- santuTThiyaa vaNNa- vaadii) :十分な衣服 (sufficient clothing),
  2. 飲食喜足聖種 (巴 itariitara- piNDa- paata- santuTThiyaa vaNNa- vaadii) :十分な食物と飲物 (sufficient food and drink),
  3. 臥具喜足聖種 (巴 itariitara- senaasana- santuTThiyaa vaNNa- vaadii) :十分な寝具 (sufficient bedding),
  4. 楽断楽修聖種 (巴 bhaavanaaraamo hoti bhaavanaarato pahaanaaraano hoti pahaanaarato) :遮悪修善の意思/意向 (willingness to eliminate evil and cultivate goodness).
  四事供養(しじくよう):四種の支給物( four provisions )、僧に対する四種の供養/支給物( The four offerings or provisions for a monk )、即ち以下の如し、
  1. 飲食 food,
  2. 衣服 cothing,
  3. 臥具 bedding,
  4. 医薬/湯薬 medicine.
佛法唯以智慧為本。不以苦為先。是法皆助道隨道故諸佛常讚歎
大智度論卷第六十八
仏法は、唯だ智慧を以って本と為し、苦を以って先と為さず。是の法は、皆道を助け、道に随うが故に、諸仏は常に讃歎したもう。
大智度論巻第六十八。
『仏法』は、
『唯だ智慧だけが、本であり!』、
『苦行は、先でない!』が、
是の、
『頭陀法』は、
皆、
『助道法であり!』、
『随道法である!』が故に、
『仏』は、
『十二頭陀法』を、
『常に讃歎されるのである!』。

大智度論巻第六十八


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