【論】釋曰。一切有為法各有增上。增上者共相違。相違即是怨賊。如水得增上力滅火火得增上力則消水。乃至草木各有相害。何況眾生。 |
釈して曰く、一切の有為法は、各増上すること有り。増上者、共に相違す。相違は、即ち是れ怨賊なり。水は増上力を得て、火を滅し、火は増上力を得れば、則ち水を消す。乃至草木の各に、相害する有り。何に況んや、衆生をや。 |
釈す、
『一切の有為法は、各に増上が有り( Every what is made has superior ones )!』、
『増上者は、共に相違し( tthese ones oppose each other )!』、
『相違( opposing one )』は、
『即ち、怨賊である( is an enemy )!』。
譬えば、
『水が、増上力を得れば( Water getting superior power )!』、
『火』を、
『滅することができ!』、
『火が、増上力を得れば!』、
『水』を、
『消すことができるように!』、
乃至、
『草木すら!』。
各、
『相害すること!』が、
『有る!』。
況して、
『衆生』は、
『言うまでもない!』。
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増上(ぞうじょう):上級の( superior )、梵語 aadhipai の訳、至上/主権/力( supremacy, sovereignty,
power )、卓越した/優勢な/圧倒的な/支配的な( surpassing, predominating, overwhelming, dominant
)の義、梵語 adhipati は、元と国王が臣民に対してふるう支配的な力を指す( The Sanskrit adhipati originally
refers to the predominating power wielded by a king over his subjects.
)が、此の言葉は一般的には、前進する/増進するる/より強くなるの意味であり、上進に似ている( The general sense of the
term is that of advancing, increasing, becoming steadily more intense,
like 上進. )、その発展を目的として、何物かに強さと重みを掛けること/何物かをより強く、或は偉大にさせること/加速する/増大する/発展する(
To put more strength or weight into something to aid in its development;
to make something become stronger or greater. To accelerate, increase,
develop. )。
増上力(ぞうじょうりき):寄与する力( contributing power )、梵語 adhipati の訳、此の語は、通常、国王が、比較的非力な臣民に対して振るう力のような、「優勢な」、或は「圧倒的な」の意に用いられる、(
In the everyday sense, the Skt. adhipati literally means 'predominating,'
or 'overwhelming' —such as the power wielded by a king over his relatively
powerless subjects. )が、仏教徒の哲学的著作に於いては、有らゆる結果の原因に対して寄与する膨大な全範囲に於ける要素を意味する/増上縁(
In Buddhist philosophical works, it refers to the gamut of an unthinkably
vast number of contributing factors that contribute to the causation of
any single effect. )。
相違(そうい):梵語 virodhin の訳、対立する/覆い隠す/妨げる/邪魔する/締め出す/悩ます( opposing, hindering,
preventing, obstructing, excluding, disturbing )の意、
怨賊(おんぞく):◯梵語 zatru の訳、敵/( an enemy, foe, rival )の義。◯梵語 caura の訳、泥棒/劫盗( a
thief, robber )の義。 |
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菩薩摩訶薩有大悲心。雖不與眾生作怨。而眾生與菩薩作怨。菩薩身有為法故能作留難。 |
菩薩摩訶薩は、大悲心有りて、衆生に怨を作さずと雖も、衆生は、菩薩に怨を作し、菩薩の身は有為法なるが故に、能く留難を作す。 |
『菩薩摩訶薩』には、
『大悲心が有る!』ので、
『衆生』に、
『怨と作らなくても( doing not become an enemy )!』、
而し、
『衆生』は、
『菩薩』に、
『怨と作ることがあり!』、
『菩薩の身は、有為法である!』が故に、
『衆生』は、
『留難と作ることができる( can become an obstacle )!』。
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佛上說菩薩功德。所謂諸佛菩薩諸天所護。而未說怨賊相。以佛憐愍故。先雖略說今須菩提請佛廣說留難事。佛雖於一切眾生一切法心平等。以是菩薩能大利益世間故。說好醜相及利害相是道非道留難事。 |
仏は、上に菩薩の功徳を説きたもう。謂わゆる諸仏、菩薩、諸天の護る所なりと。而れども未だ怨賊の相を説きたまわず。仏の憐愍を以っての故に、先に略説すと雖も、今須菩提は請い、仏は留難の事を広く説きたまえり。仏は、一切の衆生、一切の法に於いて、心平等なりと雖も、是の菩薩は、能く世間を大利益するを以っての故に、好醜の相、及び利害の相の、是れは道なり、非道なりと、留難の事を説きたまえり。 |
『仏』は、
上に、
『菩薩の功徳を説かれた!』が、―― 謂わゆる、
『諸仏、菩薩、諸天』に、
『護られている!』、と。
未だ、
『怨賊の相』は、
『説かれていない!』。
『仏』は、
『衆生を憐愍する!』が故に、
先に、
『怨賊の相』を、
『略説し!』、
今、
『須菩提が請うた!』ので、
『留難の事を広説されたのである!』。
『仏』は、
『一切の衆生と、一切の法に於いて!』、
『心』が、
『平等である!』が、
是の、
『菩薩は、世間を大利益する!』が故に、
『好醜の相や、利害の相』を、
『是れは道であるとか、道でない!』と、
『留難の事を説かれた!』。
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参考:『大智度論巻67』:『何以故。須菩提。是珍寶中多有難起故。須菩提言。世尊。是甚深般若波羅蜜中。惡魔喜作留難故。不得令書。不得令讀誦思惟說正憶念修行。』 |
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佛不令行人毀害留難者。但令覺知不隨其事。何者是怨賊略說。若眾生法非眾生法。能沮壞菩薩無上道心。 |
仏の行人をして、留難する者を毀害せしめたまわず、但だ覚知して、其の事に随わざらしむるなり。何者か、是れ怨賊なる。略説すれば、若しは衆生の法、衆生の法に非ざる、能く菩薩の無上道の心を沮壊するなり。 |
『仏』が、
『行人』に、
『留難する者』を、
『毀害させたのではない!』 、 但だ、
『留難する者』を、
『覚知させて!』、
其の、
『事』に、
『随わないようにさせられたのである!』。
是の、
『怨賊とは、何者なのか?』、 略説すれば、――
『衆生や、非衆生の法』は、
『菩薩の無上道心』を、
『沮壊することができるからである!』。
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毀害(きがい)、毀辱(きにく):梵語 Akroza の訳、荒い言葉で攻撃する/罵る( assailing with harsh language, scolding,
reviling, abuse )の義。
沮壊(そえ):梵語 pralopa, vipralopa の訳、破壊/絶滅( destruction, annihilation )の義。 |
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非眾生者若疾病飢渴寒熱槌壓墜落等。眾生者魔及魔民惡鬼邪疑不信者。斷善根者。定有所得者。實定分別諸法者。深著世間樂者。怨賊官事師子虎狼惡獸毒蟲等 |
衆生に非ずとは、疾病、飢渴、寒熱、搥圧、墜落等なり。衆生とは、魔、及び魔民、悪鬼、邪疑、不信の者、善根を断つ者、定んで所得有る者、実に定んで諸法を分別する者、深く世間の楽に著する者、怨賊、官事、師子、虎狼、悪獣、害虫等なり。 |
『非衆生』とは、――
若しは、
『疾病であり!』、
『飢渴、寒熱、搥圧、墜落等である!』、
『衆生』とは、――
『魔、魔民、悪鬼』、
『邪疑、不信の者』、
『善根を断った者』、
『所得が有ると定めた者』、
『諸法を実に定めて分別する者』、
『世間の楽に深く著する者』、
『怨賊(盗賊)』、
『官事(公的義務、訴訟)』、
『師子、虎狼、悪獣、害虫等である!』。
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眾生。賊有二種若內若外。內者自從心生憂愁不得法味。生邪見疑悔不信等。外者如上說。如是諸難事。佛總名為魔。 |
衆生の賊には、二種有り、若しは内、若しは外なり。内とは、自ら心に憂愁を生ずるにより、法味を得ず、邪見、疑悔、不信等を生ず。外とは、上に説けるが如し。是の如き諸の難事を、仏は総じて名づけて、魔と為す。 |
『衆生の賊』には、
『内、外の二種有り!』、――
『内の賊』とは、
自ら、
『心』に、
『憂愁を生じて!』、
『法味を得ず( cannot take the pleasure of dharma )!』、
『心』に、
『邪見、疑悔、不信等』を、
『生じることである!』。
『外の賊』とは、
是れ等の、
『諸の難事』を、
『仏』は、
『魔と、総称された!』。
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魔有四種。煩惱魔五眾魔死魔天子魔。 |
魔には四種有り、煩悩魔、五衆魔、死魔、天子魔なり。 |
『魔』には、
『四種有り!』、
『煩悩魔、五衆魔、死魔、天子魔である!』。
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煩惱魔者。所謂百八煩惱等。分別八萬四千諸煩惱。 |
煩悩魔とは、謂わゆる百八煩悩等にして、八万四千の諸煩悩に分別す。 |
『煩悩魔』とは、――
謂わゆる、
『百八の煩悩等であり!』、
『分別すれば!』、
『八万四千の諸煩悩である!』。
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五眾魔者。是煩惱業和合因緣得是身。四大及四大造色眼根等色是名色眾。百八煩惱等諸受和合名為受眾。小大無量無所有想。分別和合名為想眾。因好醜心發能起貪欲瞋恚等心相應不相應法名為行眾。六情六塵和合故生六識。是六識分別和合無量無邊心是名識眾。 |
五衆魔とは、是れ煩悩の業の和合の因縁に、是の身を得るに、四大、及び四大造の色、眼根等の色は、是れを色衆と名づく。百八煩悩等の諸受の和合を名づけて、受衆と為す。小、大無量、無所有の想の分別、和合を名づけて、想衆と為す。好醜の心の発るに因りて、能く貪欲、瞋恚等を発す、心相応と不相応の法を名づけて、行衆と為す。六情、六塵の和合故に六識を生じ、是の六識の分別、和合せる無量無辺の心、是れを識衆と名づく。 |
『五衆魔』とは、――
是れは、
『煩悩、業の和合の因縁』で、
是の、
『身』を、
『得ることである!』。
是の、
『色衆』とは、
『四大、四大造の色』と、
『眼根等の色である!』。
『受衆』とは、
『百八煩悩等の諸受』の、
『和合である!』。
『想衆』とは、
『小、大、無量の無所有( insubstantial )の想と、分別と!』の、
『和合である!』。
『行衆』とは、
『好、醜心が発る時に、起される!』、
『貪欲、瞋恚等の心相応法と、心不相応法である!』。
『識衆』とは、
『六情、六塵の和合故に生じる!』、
『六識と!』、
是の、
『六識が分別して、和合する!』、
『無量、無辺の心である!』。
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死魔者。無常因緣故。破相續五眾壽命盡離三法識煖壽故名為死魔。 |
死魔とは、無常の因縁の故に、相続する五衆を破り、寿命尽きて、三法の識、煖、寿を離るるが故に、名づけて死魔と為す。 |
『死魔』とは、――
『無常の因縁』の故に、
『相続する!』、
『五衆』が、
『破れ!』、
『寿命が尽きて!』、
『識、煖、寿の三法
( the 3 dharmas of consciousness, body-temperature and life )』を、
『離れる!』が故に、
是れを、
『死魔』と、
『称するのである!』。
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参考:『阿毘達磨法蘊足論巻6』:『云何死苦。死謂彼彼諸有情類。即從彼彼諸有情聚。移轉壞沒。退失別離。壽煖識滅。命根不轉。諸蘊破壞。夭喪殉逝。總名為死。』 |
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天子魔者。欲界主深著世間樂用有所得故生邪見。憎嫉一切賢聖涅槃道法。是名天子魔。 |
天子魔とは、欲界の主にして、深く世間の楽に著し、有所得を用うるが故に邪見を生じ、一切の賢聖の涅槃の道法を憎嫉す、是れを天子魔と名づく。 |
『天子魔』とは、
『欲界の主』が、
『世間の楽』に、
『深く!』、
『著して!』、
『有所得を用いる!』が故に、
『邪見』を、
『生じ!』、
『一切の賢聖』の、
『涅槃の道法』を、
『憎嫉する!』が故に、
是れを、
『天子魔』と、
『呼ぶのである!』。
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魔秦言能奪命者。雖死魔實能奪命餘者亦能作奪命因緣亦奪智慧命。是故名殺者。 |
魔は、秦に能く奪命する者と言う、死魔は実に能く奪命すと雖も、余の者も亦た、能く奪命の因縁を作し、亦た智慧の命を奪う。是の故に殺者と名づく。 |
『魔』を、
秦に、こう言う、――
『命』を、
『奪う者である!』、と。
『死魔』は、
『余の魔』も、
亦た、
『命を奪う因縁』を、
『作すことができ!』、
亦た、
『智慧の命』をも、
『奪う!』ので、
是の故に、
『魔』を、
『殺者と称するのである!』。
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問曰。一五眾魔攝三種魔。何以故。別說四。 |
問うて曰く、一の五衆魔に、三種の魔を摂す。何を以っての故にか、別して、四を説く。 |
問い、
『一五衆魔』に、
『三種の魔(煩悩魔、死魔、天子魔)』を、
『摂する( to be contained )のに!』、
何故、
『四種に別けて!』、
『説くのですか?』。
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答曰。實是一魔。分別其義故有四。煩惱魔者人因貪欲瞋恚故死。亦能作奪命因緣。是近奪命因緣故別說。天子魔雜福德業因緣故力勢大。邪見力故能奪慧命。亦能作死因緣。是故別說無常死力大。一切無能免者甚可畏厭故別說。 |
答えて曰く、実に是れ一魔なるも、其の義を分別するが故に四有り。煩悩魔とは、人は貪欲、瞋恚に因るが故に死し、亦た能く奪命の因縁を作す。是の奪命の因縁に近づくが故に別に説く。天子魔は、福業の因縁を雑うるが故に、力勢大なり。邪見の力の故に能く慧命を奪い、亦た能く死の因縁を作すれば、是の故に別に説く。無常の死は力大にして、一切に、能く免るる者無く、甚だ畏れ厭うべきが故に別に説く。 |
答え、
『実に、一魔である!』が、
其の、
『義を分別する!』が故に、
『四種の魔』を、
『説くのである!』、――
『煩悩魔』とは、――
『人』は、
『貪欲、瞋恚等の煩悩に因る!』が故に、
『死に!』、
亦た、
是の、
『命を奪う!』、
『因縁』に、
『近づく!』が故に、
別に、
『煩悩魔』を、
『説くのであり!』、
『天子魔』は、――
『福業の因縁を雑える!』が故に、
『力勢』が、
『大であり!』、
『邪見の力が大である!』が故に、
『智慧の命』を、
『奪うことができ!』、
亦た、
『死の因縁』を、
『作す!』ので、
是の故に、
『天子魔を別にして!』、
『説き!』、
『死魔』は、――
『無常という!』、
『死力は大であり!』、
『一切の者』が、
『免れられず!』、
『甚だ畏れ厭われる!』が故に、
『死魔』を、
『別に説くのである!』。
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問曰。是魔何以惱亂行道者。 |
問うて曰く、是の魔は、何を以ってか、行道の者を悩乱する。 |
問い、
是の、
『魔』は、
何のように、
『道を行じる!』者を、
『悩乱するのですか?』。
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答曰。先已廣說。是品中皆有四種魔義。但隨處說。 |
答えて曰く、先に已に広く説けり。是の品中には、皆四種の魔の義有り。但だ随処に説くのみ。 |
答え、
先に、
『広く!』、
『説かれている!』が、
是の、
『品中は、皆四魔の義が有り!』、
但だ、
『随処に!』、
『説くだけである!』。
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復次三魔不相遠離。若有五眾則有煩惱。有煩惱則天魔得其便。五眾煩惱和合故有天魔。 |
復た次ぎに、三魔は、相遠離せず。若し五衆有れば、則ち煩悩有り、煩悩有れば、則ち天魔、其の便(たより)を得、五衆と煩悩との和合の故に、天魔有り。 |
復た次ぎに、
『三魔は、相遠離するものでなく!』、
若し、
『五衆が有れば!』、
『煩悩』が、
『有ることになり!』、
『煩悩が有れば!』、
『天魔』が、
『便を得るからであり( to easily achieve its works )!』、
『五衆が、煩悩と和合する!』が故に、
『天魔』が、
『有るのである!』。
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便(べん):梵語 sukara の訳、容易な達成/容易に処理できること( easily achieving, easy to be managed
)の義。 |
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是故須菩提問佛上已讚歎說菩薩功德。今云何是菩薩魔事起。 |
是の故に、須菩提の問わく、『仏は、上に已に菩薩の功徳を讃歎して説きたもう。今は、云何が、是の菩薩の魔事起こる』、と。 |
是の故に、
『須菩提』は、こう問うた、――
『仏』は、
上に、已に、
『菩薩の功徳』を、
『讃歎して!』、
『説かれた!』が、
今は、何故、
是の、
『菩薩の魔事』が、
『起こるのですか?』、と。
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佛答樂說辯不即生是為魔事者。若菩薩摩訶薩憐愍眾生故。高座說法而樂說辯不生聽者憂愁。我等故來而法師不說。或作是念法師怖畏故不能說。或言不知故不說。或自惟過咎深重故不說。或謂不得供養故不肯說。或謂輕賤我等故不說。或串樂故不說。如是等種種因緣聽者心壞故。以不樂說名為魔事。 |
仏の答えたまわく、『楽説して、辯の即生せざる、是れ魔事と為す』とは、若し菩薩摩訶薩、衆生を憐愍するが故に、高座に説法し、而も楽説して辯生ぜざれば、聴者憂愁せん、『我等、故(ことさら)に来たるに、法師説かず』、と。或は是の念を作さん、『法師は、怖畏せるが故に、説く能わず』、と。或は言わく、『知らざるが故に、説かず』、と。或は、『自ら過咎の深重なるを惟うがゆえに説かず』、と。或は謂わく、『供養を得ざるが故に、肯て説かず』、と。或は謂わく、『我等を軽賎するが故に説かず』、と。或は、『楽に串(な)るるが故に説かず』、と。是れ等の如き種種の因縁に、聴者の心壊るるが故に、以って楽説せざるを名づけて、魔事と為す。 |
『仏』は、こう答えられた、――
『楽説して!』、
『辯』が、
『即座に、生じなければ!』、 是れが、
『魔事である!』、と。
若し、
『菩薩摩訶薩』が、
『衆生を憐愍する!』が故に、 『
『高座に登って!』、
『法を説く!』時、
『楽説して!』、
『辯』が、
『生じなければ!』、
『聴者は憂愁して!』、こう言うだろう、――
わたし達は、
『故に来た( have come here for the purpose )のに!』、
『法師』が、
『説法しない!』。
或は、こう念じる、――
『法師は、怖畏した!』が故に、
『法』を、
『説くことができないのだ!』、と。
或は、こう言う、――
『法師は、知らない!』が故に、
『法』を、
『説かないのだ!』、と。
或は、こう言う、――
『法師』は、
自ら、
『過咎が、深く重いのではないかと惟う
( to think that his mistake is too hard ))!』が故に、
『説かないのだ!』、と。
或は、こう謂う、――
『供養を得られない!』が故に、
『肯て( is not willing to )!』、
『説かないのだ!』、と。
或は、こう謂う、――
わたし達を、
『軽賎する!』が故に、
『説かないのだ!』、と。
或は、こう謂う、――
『串楽( the pleasure has been a habit )』の故に、
『法』を、
『説かないのだ!』、と。
是れ等のような、
『種種の因縁は、聴者の心を壊る!』が故に、
『楽説しないこと!』を、
『魔事』と、
『称するのである!』。
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串(かん):習慣( a habit )
串楽(かんらく):楽が習慣となる. |
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復次是菩薩憐愍眾生故來欲說法。聽者欲聞而法師心生欲說而口不能言。現見是魔事如魔入阿難心。佛三問而三不答久乃說者。此中須菩提問世尊何因緣故辯不即生。 |
復た次ぎに、是の菩薩は、衆生を憐愍するが故に来たりて、説法せんと欲し、聴者は聞かんと欲し、而も法師の心には、説かんと欲すること生ずるも、而し口は言う能わずざるに、是の魔事を現見す。魔の阿難の心に入りて、仏の三たび問いたもうに、三たび答えず、久しくして乃ち説けるが如きに、此の中に須菩提の問わく、『世尊、何んが因縁の故に辯は即ち生ぜざる』、と。 |
復た次ぎに、
是の、
『菩薩』は、
『衆生を憐愍するが故に、来て!』、
『法』を、
『説こうとし!』、
『聴者』も、
『法』を、
『聞こうとし!』、
『法師の心』も、
『欲を生じて!』、
『説こうとするのである!』が、
而し、
『口』は、
『言うことができない!』。
是に、
『魔事を現見すれば( viewing this devil's activities )!』、
例えば、
『魔が、阿難の心に入って!』、
『仏』が、
『三たび問われたのに、三たび答えず!』、
『久しくして乃ち、説いた
( to explain himself after a long time )!』ので、
此の中に、
『須菩提』は、こう問うたのである、――
世尊!
何のような、
『因縁』の故に、
『辯が、即ち生じないのか( the words are not on his tongue )?』と。
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現見(げんけん):梵語 pratyakSa の訳、眼前に現れた( present before the eyes )の義、視野に入れること( keeping in view )の意。 |
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佛答菩薩行六波羅蜜時難具足六波羅蜜。所以者何。是人先世因緣故。鈍根懈怠魔得其便。不一心行六波羅蜜故。樂說辯不即生。 |
仏の答えたまわく、『菩薩は、六波羅蜜を行ずる時、六波羅蜜を具足すること難ければなり。所以は何んとなれば、是の人は、先世の因縁の故に、鈍根、懈怠なれば、魔、其の便を得れば、一心に六波羅蜜を行ぜざるが故に、楽説して、辯即生せず』、と。 |
『仏』は、こう答えられた、――
『菩薩が、六波羅蜜を行じる!』時、
『六波羅蜜を具足すること!』は、
『難しい( hard to be done )!』。
何故ならば、
是の、
『菩薩』は、
『先世の因縁の故に鈍根であり、懈怠である!』ので、
『魔』が、
『便を得るのであり!』、
『六波羅蜜を、一心に行じない!』が故に、
『楽説しても!』、
『辯が、即ち生じないのである!』。
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難(なん):梵語 durita, duSkaraa の訳、難路/困難/危険/不快/邪悪/罪( bad course, difficulty, danger.
discomfort, evil, sin )、為し難い/困難な( hard to be done or borne, difficult,
arduous )の義。 |
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問曰。如樂說辯不即生可是魔事。今樂說辯卒起。何以復是魔事。 |
問うて曰く、楽説して辯の即生せざるが如きは、是れ魔事なるべし。今、楽説して辯卒(にわ)かに起こるに、何を以ってか、復た是れ魔事なる。 |
問い、
例えば、
『楽説して!』、
『辯』が、
『即ち、生じなければ!』、
是れは、
『魔事かもしれない!』が、
今、
『楽説して!』、
『辯』が、
『卒かに、起れば( to be suddenly out of his mouth )!』、
是れが、
何故、
『復た、魔事なのですか( is this also a devil's activity )!』。
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答曰。是法師愛法著法求名聲故自恣樂說無有義理如逸馬難制。又如大水暴漲眾穢渾雜。是故此中佛自說菩薩行六波羅蜜著樂說法。是為魔事。 |
答えて曰く、是の法師は、法を愛し、法を著して、名声を求むるが故に、自ら恣に楽説して、義理有ること無く、逸馬の制し難きが如し。又大水、暴れ漲りて、衆穢渾雑するが如し。是の故に此の中に、仏の自ら説きたまわく、『菩薩は、六波羅蜜を行じて、法を楽説することに著すれば、是れを魔事と為す』、と。 |
答え、
是の、
『法師』は、
『法を愛し、法に著して!』、
『名声』を、
『求める!』が故に、
『自ら、恣に楽説しても( in his unimpeded eloquance )!』、
『義理( any purpose )!』が、
『無い!』ので、
譬えば、
『逸馬( an escaped horse )』が、
『制し難いようなものであり!』、
又、
『大水が暴漲して!』、
『衆穢が渾雑する( somethings foul are blended )ようなものである!』。
是の故に、
此の中に、
『仏』は、自ら説かれたのである、――
『菩薩が、般若波羅蜜を行じながら!』、
『法を楽説すること!』に、
『著すれば!』、
是れは、
『魔事である!』、と。
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義理(ぎり):梵語 artha の訳、目的( aim, purpose )、理由/動機/道理( cause, motive, reason )の義。
暴漲(ばくちょう):水位が突然猛烈に上昇する( the water level rises suddenly and sharply )。
衆穢(しゅえ):梵語 azuci の訳、不潔な( foul )の義、不浄物( something foul )の意。
渾雑(こんざつ):まじる/混雑( be blended )。 |
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復次是般若波羅蜜為破憍慢故出。而書是經者生我心憍慢心。憍慢故身亦高。所謂偃蹇傲慢書是般若波羅蜜時。用輕心瞋心戲笑不敬。 |
復た次ぎに、是の般若波羅蜜は、憍慢を破らんが為めの故に、出づるに、而も是の経を書く者、我心、憍慢心を生じ、憍慢の故に、身は亦た高ぶる。謂わゆる偃蹇、傲慢とは、是の般若波羅蜜を書く時、軽心、瞋心を用いて、戯笑して敬わざるなり。 |
復た次ぎに、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『憍慢を破る為め!』の故に、
『出た!』のに、
是の、
『経を書く!』者に、
『我心、憍慢心』が、
『生じれば!』、
『憍慢』の故に、
『身』が、
『高ぶる!』。
謂わゆる、
『偃蹇、傲慢』とは、
是の、
『経を書く!』時、
『軽心や、瞋心を用い!』、
『戯笑して、敬わないことである!』。
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軽心(きょうしん):梵語 paribhava-citta, paribhavana の訳、敬わない/恥辱を与えたい心作用( the act of
the mind to despise or humiliate )の義。
戯笑(けしょう):梵語 haasya- prekSya の訳、笑いながら見る( laughing and looking )の義、嘲笑う( to
laugh at )の意。 |
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復次是般若波羅蜜一心攝心猶尚難得。何況散亂心書。書時從人口受。或寫經卷若一心和合則得。若授者不與。如是等種種因緣是不和合。 |
復た次ぎに、是の般若波羅蜜は、一心に摂心して、猶尚お得難し。何に況んや、散乱心もて書くをや。書く時、人口より受け、或は経巻を写すに、若し一心に和合すれば、則ち得るも、若しは授くる者、与えず。是の如き等の種種の因縁は、是れ和合せざるなり。 |
復た次ぎに、
是の、
『般若波羅蜜』は、
『一心に、心を摂しても( controlling his mind whole-heartedly )!』、
猶尚お( yet )、
『得ること( to obtain )!』は、
『難しい!』。
況して、
『散乱心で書けば!』、
『尚更である!』。
是の、
『般若波羅蜜を書く!』時、
『人の口より!』、
『受けて!』、
『書いたり!』、
或は、
『経巻』を、
『写したりする!』が、
若し、
『授ける者と、受ける者とが一心であり!』、
『和合すれば!』、
『書くことができる!』が、
若し、
『授ける者が、与えなければ!』、
是れ等のような、
『種種の因縁』で、
『和合しないのである!』。
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復次觀看是般若波羅蜜經時。品品皆空無可樂處。作是念。我於是經不得滋味。便棄捨去。般若波羅蜜。是一切諸樂根本。此人不得其味是為魔事。 |
復た次ぎに、是の般若波羅蜜の経を観看する時、品品皆空しく、楽しむべき処無ければ、『我れは、是の経に滋味を得ず』と、是の念を作して、便ち棄捨して去る。般若波羅蜜は、是れ一切の諸楽の根本なるに、此の人は、其の味を得ざれば、是れを魔事と為す。 |
復た次ぎに、
是の、
『般若波羅蜜の経を観看する!』時、
『般若波羅蜜の品品』は、
『行者』が、こう念じれば、――
わたしは、
是の、
『経』に、
『滋味を得ることはなかった!』、と。
便ち、
『棄てて!』、
『去ることになる!』が、
『般若波羅蜜』とは、
『一切の諸楽の根本である!』のに、
此の、
『人』が、
『般若波羅蜜の味』を、
『得られなければ!』、
是れは、
『魔事なのである!』。
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観看(かんかん):注視する( watch, look at )、見物する( view )、観察/凝視する( gaze )。 |
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復次受持讀誦說正憶念時。偃蹇形笑散亂心不和合如上說。 |
復た次ぎに、受持して読誦し、説き、正憶念する時、偃蹇して形笑い、散乱心し、和合せざれば、上に説けるが如し。 |
復た次ぎに、
『受持、読誦し、説いて、正しく憶念する!』時、
『偃蹇、形笑、散乱心、不和合』は、
『上に、説いた通りである!』。
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共相輕蔑者。從人受持讀誦正憶念時。師徒互相輕賤。書寫經時但有捨去無相輕賤。 |
共に相軽蔑すとは、人より受持して読誦し、正憶念する時、師、徒互に相軽賎し、経を書写する時には、但だ捨て去ること有りて、相軽賎する無し。 |
『共に相軽蔑する!』とは、――
『人より、般若波羅蜜を受持し、読誦し、正しく憶念する!』時は、
『師、徒が互いに、相軽賎して!』、
『和合しない!』が、
『経を書写する!』時は、
『但だ、捨て去ることが有るだけ!』で、
『相軽賎することは、無い!』。
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問曰。上諸事中何以但問不得經中滋味不問餘者。 |
問い、上の諸事中には、何を以ってか、但だ経中に滋味を得ざることを問うて、余の者を問わざる。 |
問い、
上の、
『諸事』中には、
但だ、
『経中に、滋味を得ない!』者を、
『問うだけです!』が、
何故、
『餘の者』を、
『問わないのですか?』。
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答曰。般若波羅蜜聖人所說與凡人說異。是故凡夫人不得滋味。 |
答えて曰く、般若波羅蜜の聖人の所説は、凡人の説に異なれば、是の故に凡夫人は、滋味を得ざるなり。 |
答え、
『般若波羅蜜は、聖人の所説であり!』、
『凡夫人の説』とは、
『異なる!』ので、
是の故に、
『凡夫人』は、
『滋味を得ないのである!』。
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須菩提意謂。般若波羅蜜是清淨珍寶聚能利益眾生無有過惡。是人云何不得滋味。 |
須菩提の意に謂わく、『般若波羅蜜は、是れ清浄の珍宝聚にして、能く衆生を利益すれば、過悪有ること無し。是の人は、云何が滋味を得ざる』、と。 |
『須菩提の意』に、こう謂ったのである、――
『般若波羅蜜』は、
『清浄の珍宝聚であり!』、
『衆生を利益することができ!』、
『過悪が無い!』のに、
何故、
是の、
『人』は、
『滋味を得られないのですか?』。
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佛答。是人先世不久行六波羅蜜故。菩薩信等五根薄。薄故不能信空無相無作無依止法。嬈亂心起作是言。佛一切智何以不與我受記。便捨去。餘者易解故不問。 |
仏の答えたまわく、『是の人は、先世に六波羅蜜を行ずること久しからざるが故に、菩薩の信等の五根薄く、薄きが故に空、無相、無作を信ずる能わずして、依止する法無ければ、嬈乱心起りて、『仏は一切智なるに、何を以ってか、我れに受記を与えざる』と、是の言を作して、便ち捨て去れり』、と。余の者は、解き易きが故に問わず。 |
『仏』は、こう答えられた、――
是の、
『人』は、
先世に、
『久しく、六波羅蜜を行じてこなかった!』が故に、
『菩薩の信等の五根』が、
『薄く!』、
『信等の五根が薄い!』が故に、
『空、無相、無作を信じられず!』、
『依止すべき法』が、
『無い!』ので、
『嬈乱心が起こって!』、こう言うのである、――
『仏は一切智なのに!』、
何故、
『わたしに!』、
『受記させないのか?』、と。
便ち、
『捨てて!』、
『去ったのである!』、と。
『餘の者』は、
『理解し易い!』ので、
『問わなかったのである!』。
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依止(えし):梵語 aazraya の訳、信頼すべき/休息すべきもの( on which anything depends or rests )の義。
無依止(むえし)、不依(ふえ):梵語 anaazraya の訳、信頼すべき/休息すべきでないもの( on which anything cannot depends
or rests )の義。 |
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須菩提問。若爾者何以故。不與授記。佛是大悲應當愍念防護其心不令墮惡。 |
須菩提の問わく、『若し爾らば、何を以っての故にか、授記を与えざる。仏は、是れ大悲にして、応当に、其の心を愍念、防護して、悪に堕ちしめざるべし』、と。 |
『須菩提』は、こう問うた、――
若し、爾うならば、
『仏』は、
『授記』を、
『何故、与えなかったのですか?』。
『仏が大悲ならば、憐愍すべきであり!』、
『衆生の心が悪に堕ちることがないよう!』、
『防護すべきですが?』。
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佛言。未入法位人諸佛不與授記。所以者何。諸佛雖悉知眾生久遠事為五通仙人及諸天。見是人未有善行業因緣可授記者若為授記。輕佛不信無有因緣云何與授記。是故入法位者與授記。是人名字及聚落處亦如是。 |
仏の言わく、『未だ法位に入らざる人には、諸仏は授記を与えず。所以は何んとなれば、諸仏は、悉く衆生の久遠の事の、五通の仙人、及び諸天と為るを知ると雖も、是の人を見れば、未だ善行の業の因縁有りて、授記すべき者にあらず。若し為めに授記すれば、仏を軽んじて、『因縁有ること無きに、云何が授記を与うる』、と信ぜず。是の故に、法位に入る者に授記を与う。是の人の名字、及び聚落の処も亦た是の如し |
『仏』は、こう言われた、――
『未だ、法位に入らない!』、
『人』に
『諸仏が、授記を与えることはない!』。
何故ならば、
『諸仏』は、
『衆生』の、
『久遠の事や、五通の仙人や、諸天に為ること!』を、
『悉く、知っている!』が、
是の、
『人を見れば!』、――
『授記すべき!』、
『善行の業因縁』が、
『未だ、無く!』、
若し、
『授記されれば!』、
『仏を軽んじて!』、
『信じない!』。
是の、
『人には、因縁が無い!』のに、
何故、
『授記』を、
『与えることがあるのか?』、と。
是の故に、
『法位に入れば!』、
『授記が与えられるのである!』。
是の、
『人』の、
『名字や、聚落の処』も、
『是の通りである!』。
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是人從坐起去隨其起念多少。念念卻一劫。償罪畢還得人身甫當復爾所劫行 |
是の人の坐より起ちて去るに、其の念を起す多少に随いて、念念に一劫却き、罪を償い畢りて、還って人身を得、甫当に復た爾所の劫行ずべし。 |
是の、
『人が坐より起って、去る!』時に
『起す念の多少に随い!』、
『念念ごとに!』、
『一劫却き!』、
『罪を償い畢って、還た人身を得る!』と、
『甫当復た、爾所の劫だけ!』、
『六波羅蜜を行じなければならないのである!』。
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