巻第六十六(下)
大智度論釋歎信行品第四十五
1.【經】受記の先相
2.【論】受記の先相
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大智度論釋歎信行品第四十五
 龍樹菩薩造
 後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什奉 詔譯


【經】受記の先相

【經】釋提桓因問舍利弗。頗有未受記菩薩摩訶薩。聞是深般若波羅蜜不驚不怖者不。 釈提桓因の舎利弗に問わく、『頗る、未だ受記せざる菩薩摩訶薩にして、是の深般若波羅蜜を聞いて驚かず、怖れざる者有りや、不や』、と。
『釈提桓因』は、
『舎利弗』に、こう問うた、――
未だ、
『記』を、
『受けていない!』、
『菩薩摩訶薩でありながら!』、
是の、
『深い!』
『般若波羅蜜』を、
『聞いて!』、
『驚きもせず!』、
『怖れもしない!』者が、
『寧ろ!』、
『少しでもいるのか?』、と。
  (は):すこぶる。偏に/一方に傾く( lean to one side )、非常に( very )、寧ろ/どちらかといえば( rather )。
  参考:『大般若経巻299』:『爾時天帝釋復問具壽舍利子言。大德。頗有未受記菩薩摩訶薩。聞說如是甚深般若波羅蜜多。不驚不恐不怖者不。舍利子言有。憍尸迦。是菩薩摩訶薩不久當受大菩提記。憍尸迦。若菩薩摩訶薩聞說如是甚深般若波羅蜜多。其心不驚不恐不怖。當知是菩薩摩訶薩已受無上大菩提記。設未受者不過一佛或二佛所。定當得受大菩提記。爾時佛告舍利子言。如是如是如汝所說。舍利子。若菩薩摩訶薩久學大乘。久發大願。久修六種波羅蜜多。久供養諸佛。久事諸善友。聞說如是甚深般若波羅蜜多。其心不驚不恐不怖。聞已信解受持讀誦。如理思惟為他演說。或如所說隨力修行』
舍利弗言。如是憍尸迦。若有菩薩摩訶薩聞是深般若波羅蜜不驚不怖。當知是菩薩受阿耨多羅三藐三菩提記不久。不過一佛兩佛。 舎利弗の言わく、『是の如し、憍尸迦、若し有る菩薩摩訶薩、是の深般若波羅蜜聞いて驚かず、怖れざれば、当に知るべし、是の菩薩は、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くること、久しからずして、一仏、両仏を過ぎず』。
『舎利弗』は、こう言った、――
その通りだ!
憍尸迦!
若し、
有る、
『菩薩摩訶薩』が、
是の、
深い、
『般若波羅蜜』を、
『聞いて!』、
『驚くこともなく!』、
『怖れることもなければ!』、
当然、こう知るべきだ、――
是の、
『菩薩』は、
『阿耨多羅三藐三菩提』の、
『記』を、
『久しからず!』、
『受けることになり!』、
『一仏か!』、
『二仏ぐらいしか!』、
『過ぎないはずだ!』、と。
佛告舍利弗。如是如是。是菩薩摩訶薩久發意行六波羅蜜。多供養諸佛。聞是深般若波羅蜜不驚不怖不畏。聞即受持如般若波羅蜜中所說行。 仏の舎利弗に告げたまわく、『是の如し、是の如し、是の菩薩摩訶薩は、久しく発意して、六波羅蜜を行じ、多く諸仏を供養すれば、是の深般若波羅蜜を聞いて驚かず、怖れず、畏れずして、聞けば即ち受持して、般若波羅蜜中の所説の如く行ずるなり』、と。
『仏』は、
『舎利弗』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『発意してから!』、
『久しく!』、
『六波羅蜜』を、
『行い!』、
『多くの!』、
『諸仏』を、
『供養したきた!』ので、
是の、
『般若波羅蜜』を、
『聞いても!』、
『驚くこともなく!』、
『怖れることもなく!』、
『畏れることもなく!』、
『聞けば!』、
すぐに、
『受持して!』、
『般若波羅蜜』中の、
『所説のように!』、
『行うのだ!』、と。
爾時舍利弗白佛言。世尊。我欲說譬喻。如求菩薩道善男子善女人夢中修行般若波羅蜜入禪定。勤精進具足忍辱。守護於戒行布施。修行內空外空。乃至坐於道場。當知是善男子善女人近阿耨多羅三藐三菩提。 爾の時、舎利弗の仏に白して言さく、『世尊、我れは譬喩を説かんと欲す。菩薩道を求むる善男子、善女人の夢中に般若波羅蜜を修行して禅定に入り、精進を勤めて忍辱を具足し、戒を守護して、布施を行じ、内空、外空を修行して、乃至道場に坐するが如き、当に知るべし、是の善男子、善女人は阿耨多羅三藐三菩提に近し。
爾の時、
『舎利弗』は、
『仏』に白して、こう言った、――
世尊!
わたしは、
『譬喩』を、
『説こう!』と、
『思います!』、――
例えば、
『菩薩道』を、
『求める!』、
『善男子、善女人』が、
『夢』中に、
『般若波羅蜜』を、
『修行して!』、
『禅定に入り!』、
『精進を勤め!』、
『忍辱を具足し!』、
『戒を守護し!』、
『布施を行いながら!』、
『内空』や、
『外空』を、
『道場』に、
『坐るまで!』、
『修行した!』とすれば、
当然、
こう知らねばなりません、――
是の、
『善男子、善女人』は、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『近づいているのだ!』、と。
何況菩薩摩訶薩欲得阿耨多羅三藐三菩提。覺時修行般若波羅蜜入禪定。勤精進具足忍辱。守護於戒行布施。而不疾成阿耨多羅三藐三菩提坐於道場。 何に況んや、菩薩摩訶薩の阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲して、覚時に般若波羅蜜を修行し、禅定に入り、精進を勤め、忍辱を具足し、戒を守護し、布施を行じて、疾かに道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜざらんをや。
況して、
『菩薩摩訶薩』が、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得ようとして!』、
『覚めた!』時に、
『般若波羅蜜を修行し!』、
『禅定に入り!』、
『精進を勤め!』、
『忍辱を具足し!』、
『戒を守護し!』、
『布施を行っていながら!』、
而も、
『道場』に、
『坐して!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『疾かに!』、
『成就しないことがあるでしょうか?』。
世尊。善男子善女人善根成就。得聞般若波羅蜜。受持乃至如說行。當知是菩薩摩訶薩久發意種善根。多供養諸佛與善知識相隨。是人能受持般若波羅蜜乃至正憶念。當知是人近受阿耨多羅三藐三菩提記。 世尊、善男子、善女人、善根成就して、般若波羅蜜を聞くを得て、受持乃至如説に行ずれば、当に知るべし、是の菩薩摩訶薩は、久しく発意して善根を種え、多く諸仏を供養して、善知識と相随いたればなり。是の人、能く般若波羅蜜を受持し、乃至正憶念すれば、当に知るべし、是の人は、近く阿耨多羅三藐三菩提の記を受けん。
世尊!
『善男子、善女人』が、
『善根』を、
『成就して!』、
『般若波羅蜜』を、
『聞くことができ!』、
『受持、乃至如説に行ずれば!』、
当然、こう知るべきです、――
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『発意して!』から、
『久しく!』、
『善根』を、
『種えて!』、
『多くの!』、
『諸仏』を、
『供養して!』、
『善知識』に、
『相随ってきたのだ!』、と。
是の、
『人』が、
『般若波羅蜜』を、
『受持し!』、
『乃至正憶念できれば!』、
当然、こう知るべきです、――
是の、
『人』は、
『阿耨多羅三藐三菩提』の、
『記』を、
『近く!』、
『受けるはずだ!』、と。
當知是善男子善女人如阿鞞跋致菩薩摩訶薩。於阿耨多羅三藐三菩提不動轉。能得深般若波羅蜜。得已能受持讀誦乃至正憶念。 当に知るべし、是の善男子、善女人は、阿鞞跋致の菩薩摩訶薩の如く、阿耨多羅三藐三菩提に於いて、動転せず、能く深般若波羅蜜を得て、得已りて、能く受持し、読誦乃至正憶念す。
当然、こう知るべきです、――
是の、
『善男子、善女人』は、
『阿鞞跋致』の、
『菩薩摩訶薩のように!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『動転(退転)せずに!』、
『深い!』、
『般若波羅蜜』を、
『得ることができ!』、
『得たならば!』、
『受持し!』、
『読誦し!』、
『乃至正憶念することができるだ!』、と。
世尊。譬如人欲過百由旬若二百三百四百由旬。曠野嶮道先見諸相。若放牧者若疆界若園林。如是等諸相故知近城邑聚落。是人見是相已作如是念。如我所見相當知城邑聚落不遠。心得安隱不畏賊難惡蟲飢渴。 世尊、譬えば人の、百由旬、若しは二百、三百、四百由旬の曠野の険道を過ぎんと欲し、先に諸相を見て、若しは放牧者、若しは疆界、若しは園林の、是の如き等の諸相の故に、城邑、聚落に近きを知り、是の人は、是の相を見已りて、是の如き念を作さく、『我が所見の相の如きは、当に知るべし、城邑、聚落は遠からず』、と。心に安隠を得て、賊難、悪虫、飢渴を畏れず。
世尊!
譬えば、こういうことです、――
『人』が、
『百由旬』とか、
『二百、三百、四百由旬』の、
『曠野』の、
『険道』を、
『過ぎようとしている!』と、
先に、
『諸相』が、
『見えてきました!』。
例えば、
『放牧者』とか、
『国境』とか、
『園林』など、
是れ等のような、
『諸相』の故に、
『城邑』や、
『聚落』に、
『近づいた!』ことを、
『知ります!』が、
是の、
『人』は、
是の、
『相』を、
『見たので!』、
是の、
『念』を作して、――
わたしの、
『見た!』所の、
『相によれば!』、
『城邑、聚落』は、
『遠くない!』と、
『知るべきだ!』、と。
『心』に、
『安隠』を、
『得て!』、
『賊難』や、
『悪虫』や、
『飢渴』を、
『畏れなくなるのです!』。
  疆界(きょうかい):国境/境界( border, boundary )。
世尊。菩薩摩訶薩亦如是。若得是深般若波羅蜜受持讀誦乃至正憶念。當知近受得阿耨多羅三藐三菩提記不久。當知是菩薩摩訶薩不應畏墮聲聞辟支佛地。是諸先相所謂甚深般若波羅蜜得聞得見得受。乃至正憶念故。 世尊、菩薩摩訶薩も亦た是の如く、若し是の深般若波羅蜜を得て、受持し、読誦し、乃至正憶念すれば、当に近く、阿耨多羅三藐三菩提の記を受けて、久しからざるを知るべし。当に知るべし、是の菩薩摩訶薩は、応に声聞、辟支仏の地に堕つるを畏れざるべし。是の諸の先の相とは、謂わゆる甚深の般若波羅蜜を聞くを得て、見るを得て、受くるを得て、乃至正憶念するが故なり。
世尊!
『菩薩摩訶薩』も、
亦た、
是のように、
若し、
是の、
『深い!』、
『般若波羅蜜』を、
『得て!』、
『受持し!』、
『読誦し!』、
『乃至正憶念すれば!』、
『近く!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の記』を、
『受ける!』ことが、
『久しくない!』と、
『知るはずです!』。
当然、こう知らねばなりません、――
是の、
『菩薩摩訶薩』は、
『声聞』や、
『辟支仏』の、
『地』に、
『堕ちる!』ことを、
『畏れるはずがないのだ!』、と。
是の、
諸の、
『先相(予兆)とは!』、――
謂わゆる、
『甚だ深い!』、
『般若波羅蜜』を、
『聞くことができ!』、
『見ることができ!』、
『受けることができ!』、
『乃至正憶念することです!』。
  先相(せんそう):梵語 puurva- nimitta? の訳、予兆/前兆( indication, sign, omen, forerunner )。
佛告舍利弗。如是如是。汝復樂說者便說。 仏の舎利弗に告げたまわく、『是の如し、是の如し、汝、復た説くを楽(ねが)わば、便ち説け』、と。
『仏』は、
『舎利弗』に、こう告げられた、――
その通りだ!
その通りだ!
お前が、
復た(もっと)、
『楽しんで!』、
『説きたければ!』、
『すぐにも説け!』、と。
世尊。譬如人欲見大海發心往趣。不見樹相不見山相。是人雖未見大海知大海不遠。何以故。大海處平無樹相無出相故。 世尊、譬えば人の大海を見んと欲して、心を発し往趣するに、樹相を見ず、山相を見ざれば、是の人は、未だ大海を見ずと雖も、大海の遠からざるを知るが如し。何を以っての故に、大海の処は平らにして、樹相無く、山相無きが故なり。
世尊!
譬えば、こういうことです、――
『人』が、
『大海』を、
『見よう!』と、
『思い!』、
『心』を、
『発して!』、
『向っている!』時、
『樹の相』や、
『山の相』が、
『見えなくなれば!』、
是の、
『人』は、
未だ、
『大海』を、
『見なくても!』、
『大海』が、
『遠くない!』と、
『知ります!』。
何故ならば、
『大海』には、
『樹の相』や、
『山の相』が、
『無いからです!』。
  往趣(おうしゅ):急いで目的地に向う。
  :出相は他本に従いて、山相に改む。
如是世尊。菩薩摩訶薩聞是深般若波羅蜜。受持乃至正憶念時。雖未佛前受劫數之記。若劫百千劫萬劫百千萬億劫。是菩薩自知近受阿耨多羅三藐三菩提記不久。 是の如く、世尊、菩薩摩訶薩は、是の深般若波羅蜜を聞いて、受持し、乃至正憶念する時、未だ仏前に劫数の記を受けずと雖も、若しは百劫、千劫、万劫、百千万億劫なるも、是の菩薩は、自ら近く、阿耨多羅三藐三菩提の記を受けて、久しからざるを知る。
是のように、
世尊!
『菩薩摩訶薩』が、
是の、
『深い!』、
『般若波羅蜜』を、
『聞いて!』、
『受持し!』、
『乃至正憶念する!』時には、
未だ、
『仏前』に、
『劫数の記』を、
『百劫である!』、
『千劫である!』、
『万劫である!』、
『百千万億劫である!』と、
『受けていなくても!』、
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『阿耨多羅三藐三菩提』の、
『記』を、
『近く!』、
『受けることになり!』、
是の、
『久しくない!』ことを、
『知るのです!』。
  :劫百は、他本に従いて百劫に改む。
何以故。我得聞是深般若波羅蜜。受持讀誦乃至正憶念故。 何を以っての故に、我れは、是の深般若波羅蜜を聞くを得て、受持し、読誦し、乃至正憶念するが故なり。
何故ならば、
わたしは、
是の、
『深い!』、
『般若波羅蜜』を、
『聞くことができ!』、
『受持し!』、
『読誦し!』、
『乃至正憶念するからだ!』、と。
世尊。譬如初春諸樹陳葉已墮。當知此樹新葉華果出在不久。何以故。見是諸樹先相故。知今不久葉華果出。是時閻浮提人見樹先相皆大歡喜。 世尊、譬えば初春の諸樹の陳(ふる)き葉已に堕つれば、当に知るべし、此の樹の新しき葉、華、果の出づることの久しからずを。何を以っての故に、此の諸樹の先の相を見るが故に、今、葉、華、果の出づることの久しからざるを知る。是の時、閻浮提の人は、樹の先の相を見て、皆、大いに歓喜するなり。
世尊!
譬えば、こういうことです、――
『初春』に、
諸の、
『樹』が、
『古い葉』を、
『堕としてしまえば!』、
こう知ることになります、――
此の、
『樹』の、
『新しい葉、華、果』が、
『出る!』のも、
『久しくないだろう!』、と。
何故ならば、
是の、
諸の、
『樹』の、
『先相(予兆)』を、
『見る!』が故に、こう知るからです、――
今は、
『葉、華、果』の、
『出る!』のも、
『久しくないだろう!』、と。
是の時、
『閻浮提の人』は、
『樹』の、
『先の相』を、
『見て!』、
皆、
『大いに!』、
『歓喜するのです!』が、‥‥
世尊。菩薩摩訶薩得聞是深般若波羅蜜。受持讀誦乃至正憶念如說行。當知是菩薩善根成就多供養諸佛。是菩薩應作是念。先世善根所追趣阿耨多羅三藐三菩提。以是因緣故得見得聞是深般若波羅蜜。受持讀誦乃至正憶念如說行。 世尊、菩薩摩訶薩は、是の深般若波羅蜜を聞くを得て、受持し読誦し乃至正憶念して、如説に行ずれば、当に知るべし、是の菩薩は善根成就して、多く諸仏を供養せりと。是の菩薩は、応に是の念を作すべし、『先世の善根の追趣する所は、阿耨多羅三藐三菩提なり。是の因縁を以っての故に、是の深般若波羅蜜を見るを得、聞くを得て、受持し、読誦し、乃至正憶念して、如説に行ぜり』、と。
世尊!
『菩薩摩訶薩』が、
是の、
『深い!』、
『般若波羅蜜』を、
『聞くことができ!』、
『受持し!』、
『読誦し!』、
『乃至正憶念して!』、
『如説に修行する!』ならば、
当然、こう知らねばなりません、――
是の、
『菩薩』は、
『善根』が、
『成就して!』、
『多く!』の、
『諸仏』を、
『供養してきたのだ!』、と。
是の、
『菩薩』は、
是の念を作すはずです、――
『先世の善根』の、
『追趣する!』所は、
『阿耨多羅三藐三菩提だった!』が、
是の
『因縁』の故に、
是の、
『深い!』、
『般若波羅蜜』を、
今、
『見ることができ!』、
『聞くことができて!』、
『受持、読誦乃至正憶念して!』、
『如説に修行しているのだ!』、と。
是中諸天子曾見佛者歡喜踊躍作是念言。先諸菩薩摩訶薩亦有如是受記先相。今是菩薩摩訶薩受阿耨多羅三藐三菩提記亦不久。 是の中の諸天子の、曽て仏を見し者は、歓喜、踊躍して是の念を作して言わく、『先の諸菩薩摩訶薩も亦た、是の如き受記の先相有り、今是の菩薩摩訶薩は、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くること、亦た久しからざらん』、と。
是の中の、
諸の、
『天子』で、
曽て、
『仏』を、
『見た!』者は、
『歓喜し!』、
『踊躍しながら!』、
是の、
『念』を作して、言うでしょう、――
先の、
諸の、
『菩薩摩訶薩』にも、
亦た、
是のような、
『受記の先相(予兆)』が、
『有った!』。
今の、
是の、
『菩薩摩訶薩』が、
『阿耨多羅三藐三菩提の記』を、
『受ける!』のも、
『久しくないだろう!』、と。
世尊。譬如母人懷妊身體苦重。行步不便坐起不安。眠食轉少不喜言語。厭本所習受苦痛故。有異母人見其先相。當知產生不久。 世尊、譬えば、母人の懐妊して身体の重きを苦しみ、行歩便ぜず、坐起安らかならず、眠、食転た少なく、言語を喜ばず、本の習いし所を厭うて、苦痛を受くるが故に、有る異なる母人、其の先相を見て、当に産生の久しからざるを知るべきが如し。
世尊!
譬えば、こういうことです、――
『母人』が、
『懐妊して!』、
『身体』の、
『重さ!』に、
『苦しみ!』、
『行歩』や、
『坐起』が、
『便( smooth )でもなく!』、
『安らかでもなく!』、
『睡眠』や、
『食事』が、
『次第に!』、
『少なくなり!』、
『言語( talking )する!』ことを、
『喜ばず!』、
『本』、
『習慣にしている!』所に、
『苦痛を受ける!』が故に、
有る、
『異なる!』、
『母人』が、
其の、
『先相』を、
『見てみる!』と、
当然、知ることになります、――
『産生する!』のも、
『久しくない!』と。
菩薩摩訶薩亦如是。種善根多供養諸佛。久行六波羅蜜。與善知識相隨。善根成就得聞深般若波羅蜜。受持讀誦乃至正憶念如說行。諸菩薩亦知是菩薩摩訶薩得阿耨多羅三藐三菩提記不久。 菩薩摩訶薩も亦た是の如く、善根を種えて、多く諸仏を供養し、久しく六波羅蜜を行じて、善知識に相随うに、善根成就して深き般若波羅蜜を聞くを得、受持、読誦、乃至正憶念して如説に行ずれば、諸の菩薩も亦た、是の菩薩摩訶薩の阿耨多羅三藐三菩提の記を得ることの久しからざるを知るなり。
『菩薩摩訶薩』も、
是のように、
『善根』を、
『種えながら!』、
多くの、
『諸仏』を、
『供養し!』、
久しく、
『六波羅蜜』を、
『行い!』、
『善知識』に、
『相随い!』、
『善根』が、
『成就して!』、
『深い!』、
『般若波羅蜜』を、
『聞くことができ!』、
『受持し!』、
『読誦し!』、
『乃至正憶念して!』、
『如説』に、
『修行すれば!』、
諸の、
『菩薩』も、
亦た、
是の、
『菩薩摩訶薩』が、
『阿耨多羅三藐三菩提の記』を、
『得る!』のも、
『久しくない!』と、
『知るのです!』。
佛告舍利弗。善哉善哉。汝所樂說皆是佛力。 仏の舎利弗に告げたまわく、『善い哉、善い哉、汝が楽説する所、皆、是れ仏力なり』、と。
『仏』は、
『舎利弗』に、こう告げられた、――
善いぞ!
善いぞ!
お前の、
『楽しんで!』、
『説いた!』所の、
『事』は、
皆、
『仏』の、
『力なのだ!』、と。
爾時須菩提白佛言。希有世尊。諸多陀阿伽度阿羅呵三藐三佛陀。善付諸菩薩摩訶薩事。 爾の時、須菩提の仏に白して言さく、『希有なり、世尊、諸の多陀阿伽度、阿羅呵、三藐三仏陀は、善く諸の菩薩摩訶薩の事を付したまえり』、と。
爾の時、
『須菩提』は、
『仏』に白して、こう言った、――
希有です!
世尊!
諸の、
『多陀阿伽度、阿羅呵、三藐三仏陀』は、
『善く(巧みに)!』、
諸の、
『菩薩摩訶薩の事』を、
『付( entrust )されます!』、と。
佛告須菩提。是諸菩薩摩訶薩發阿耨多羅三藐三菩提心。安隱多眾生。令無量眾生得樂。憐愍安樂饒益諸天人故。是諸菩薩行菩薩道時。以四事攝無量百千眾生。所謂布施愛語利益同事。亦以十善道成就眾生。 仏の須菩提に告げたまわく、『是の諸の菩薩摩訶薩は、阿耨多羅三藐三菩提の心を発して、多くの衆生を安隠ならしめ、無量の衆生をして楽を得しめ、諸の天、人を憐愍し、安楽ならしめ、饒益せしが故なり。是の諸の菩薩は、菩薩の道を行ずる時、四事を以って、無量百千の衆生を摂す、謂わゆる布施、愛語、利益、同事なり。亦た十善道を以って、衆生を成就す。
『仏』は、
『須菩提』に、こう告げられた、――
是の、
諸の、
『菩薩摩訶薩』は、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発して!』、
『多くの!』、
『衆生』を、
『安隠にし!』、
『無量の!』、
『衆生』に、
『楽を得させ!』、
諸の、
『天、人』を、
『憐愍し!』、
『安楽にし!』、
『饒益したからである!』。
是の、
諸の、
『菩薩』は、
『菩薩の道』を、
『行いながら!』、
『四事』を、
『用いて!』、
『無量百千』の、
『衆生』を、
『摂した( attract )のである!』が、
謂わゆる、
『布施、愛語、利益、同事である!』。
亦た、
『十善道』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『成就したのである!』。
  四摂法(ししょうぼう):人を説得して引き入れる四種の方法( four methods of winning (people) over )、梵語 catuH- saMgraha- vastu の訳、菩薩が人々に近づいて救うために用いる四種の方法( The four methods that bodhisattvas employ to approach and save people )の意。即ち、
  1. 布施 daana :慈悲深い贈物( Charitable offerings )、此れは物質でも、例えば説法のような非物質でもよく、真実を愛して受容れるよう導く為に、相手の欲しいものを与える( These can be either material or non-material, such as preaching the Dharma; giving what others like, in order to lead them to love and receive the truth. )
  2. 愛語 priyavacana :情のこもった言葉( loving words )、人を導く為に親切な言葉を使用すること( using kind words to guide people. )
  3. 利行 arthakRtya :有益な行い( beneficial conduct )、身口意の行為を通して、衆生を利益すること( benefiting sentient beings through one's acts of body, speech, and mind. )
  4. 同事 samaanaarthataa :一緒に仕事をすること( working together )、自分自身を相手と同じレベルに置いて、彼等の活動に一緒に参加すること、菩薩にとっては、故に、救われるべき衆生と同じ形を採用することを意味するとも考えられる( putting one's self on the same level as others and participating alongside them in activities; for a bodhisattva, therefore, it can mean assuming the same form as the sentient beings to be saved. )
自行初禪。亦教他人令行初禪。乃至自行非有想非無想處。亦教他人令行乃至非有想非無想處。 自ら初禅を行じて、亦た他人に教えて、初禅を行ぜしめ、乃至自ら非有想非無想処を行じて、亦た他人に教えて、乃至非有想非無想処を行ぜしむ。
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『初禅』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『初禅』を、
『行わせ!』、
乃至、
自ら、
『非有想非無想処定』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『非有想非無想処定』を、
『行わせたのである!』。
自行檀波羅蜜。亦教他人令行檀波羅蜜。自行尸羅波羅蜜。亦教他人令行尸羅波羅蜜。自行羼提波羅蜜。亦教他人令行羼提波羅蜜。自行毘梨耶波羅蜜。亦教他人令行毘梨耶波羅蜜。自行禪波羅蜜。亦教他人令行禪波羅蜜。自行般若波羅蜜。亦教他人令行般若波羅蜜。 自ら檀波羅蜜を行じて、亦た他人に教えて、檀波羅蜜を行ぜしめ、自ら尸羅波羅蜜を行じて、亦た他人に教えて、尸羅波羅蜜を行ぜしめ、自ら羼提波羅蜜を行じて、亦た他人に教えて、羼提波羅蜜を行ぜしめ、自ら毘梨耶波羅蜜を行じて、亦た他人に教えて、毘梨耶波羅蜜を行ぜしめ、自ら禅波羅蜜を行じて、亦た他人に教えて、禅波羅蜜を行ぜしめ、自ら般若波羅蜜を行じて、亦た他人に教えて、般若波羅蜜を行ぜしむ。
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『檀波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『檀波羅蜜』を、
『行わせ!』、
自ら、
『尸羅波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『尸羅波羅蜜』を、
『行わせ!』、
自ら、
『羼提波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『羼提波羅蜜』を、
『行わせ!』、
自ら、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『行わせ!』、
自ら、
『禅波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『禅波羅蜜』を、
『行わせ!』、
自ら、
『般若波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『般若波羅蜜』を、
『行わせたのである!』。
是菩薩得般若波羅蜜。以方便力教眾生令得須陀洹果。自於內不證。教眾生令得斯陀含果阿那含果阿羅漢果。自於內不證。教眾生令得辟支佛道。自於內不證。 是の菩薩は、般若波羅蜜を得て、方便力を以って衆生を教え、須陀洹果を得しむるも、自らは内に於いて証せず、衆生を教えて、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果を得しむるも、自らは内に於いて証せず、衆生を教えて、辟支仏道を得しむるも、自らは内に於いて証せず。
是の、
『菩薩』は、
『般若波羅蜜』を、
『得て!』、
『方便』という、
『力』を、
『用いる!』が故に、
『衆生』に、
『教えて!』、
『須陀洹果』を、
『得させても!』、
自らは、
『内』に、
『須陀洹果』を、
『証する( corroboration )ことなく!』、
『衆生』に、
『教えて!』、
『斯陀含果』を、
『得させても!』、
自らは、
『内』に、
『斯陀含果』を、
『証することなく!』、
『衆生』に、
『教えて!』、
『阿那含果』を、
『得させても!』、
自らは、
『内』に、
『阿那含果』を、
『証することなく!』、
『衆生』に、
『教えて!』、
『阿羅漢果』を、
『得させても!』、
自らは、
『内』に、
『阿羅漢果』を、
『証することなく!』、
『衆生』に、
『教えて!』、
『辟支仏道』を、
『得させても!』、
自らは、
『内』に、
『辟支仏道』を、
『証することがない!』。
自行六波羅蜜。亦教無量百千萬諸菩薩令行六波羅蜜。自住阿鞞跋致地。亦教他人住阿鞞跋致地。自淨佛世界。亦教他人淨佛世界。自成就眾生。亦教他人成就眾生。 自ら六波羅蜜を行じて、亦た無量百千万の諸の菩薩を教えて、六波羅蜜を行ぜしめ、自ら阿鞞跋致地に住して、亦た他人を教えて、阿鞞跋致地に住せしめ、自ら仏世界を浄めて、亦た他人を教えて、仏世界を浄めしめ、自ら衆生を成就して、亦た他人を教えて、衆生を成就せしむ。
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『六波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『無量百千万の諸の菩薩』を、
『教えて!』、
『六波羅蜜』を、
『行わせ!』、
自ら、
『阿鞞跋致の地』に、
『住まりながら!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『阿鞞跋致の地』に、
『住まらせ!』、
自ら、
『仏の世界』を、
『浄めながら!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『仏の世界』を、
『浄めさせ!』、
自ら、
『衆生』を、
『成就しながら!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『衆生』を、
『成就させるのである!』。
自得菩薩神通。亦教他人令得菩薩神通。自淨陀羅尼門。亦教他人淨陀羅尼門。自具足樂說辯才。亦教他人具足樂說辯才。 自ら菩薩の神通を得て、亦た他人を教えて菩薩の神通を得しめ、自ら陀羅尼門を浄め、亦た他人を教えて、陀羅尼門を浄めしめ、自ら楽説の辯才を具足し、亦た他人を教えて、楽説の辯才を具足せしむ。
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『菩薩の神通』を、
『得て!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『菩薩の神通』を、
『得させ!』、
自ら、
『陀羅尼の門』を、
『浄めて!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『陀羅尼の門』を、
『浄めさせ!』、
自ら、
『楽説の辯才』を、
『具足して!』、
亦た、
『他人』にも、
『教えて!』、
『楽説の辯才』を、
『具足させるのである!』。
自受色成就。亦教他人令受色成就。自成就三十二相。亦教他人成就三十二相。自成就童真地。亦教他人成就童真地。自成就佛十力。亦教他人令成就佛十力。自行四無所畏。亦教他人行四無所畏。自行十八不共法。亦教他人行十八不共法。 自ら色を受けて成就し、亦た他人を教えて、色を受けて成就せしめ、自ら三十二相を成就し、亦た他人を教えて、三十二相を成就せしめ、自ら童真地を成就し、亦た他人を教えて童真地を成就せしめ、自ら仏の十力を成就し、亦た他人を教えて仏の十力を成就せしめ、自ら四無所畏を行じ、亦た他人を教えて、四無所畏を行ぜしめ、自ら十八不共法を行じ、亦た他人を教えて、十八不共法を行ぜしむ。
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『色』を、
『受けて!』、
『成就し!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『色』を、
『受けて!』、
『成就させ!』、
自ら、
『三十二相』を、
『成就し!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『三十二相』を、
『成就させ!』、
自ら、
『童真地( Prince of Dharma )』を、
『成就し!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『童真地』を、
『成就させ!』、
自ら、
『仏の十力』を、
『成就し!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『仏の十力』を、
『成就させ!』、
自ら、
『四無所畏』を、
『行い!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『四無所畏』を、
『行わせ!』、
自ら、
『十八不共法』を、
『行い!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『十八不共法』を、
『行わせるのである!』。
  童真地(どうしんじ):青年の段階( youthful stage )、梵語 kumaara- bhuuta の訳、少年としての存在( existence as a child )の義、又法王子とも訳す。法王の子( son of the Dharma- king )の意。特に文殊尸利法王子 maJjuzrii- kumaara- bhuuta を指すことが多い。
  童真(どうしん):梵語 kumaaraの訳、子供/少年/青年( a child, boy, youth )の義、又梵 kumaara- raaja と云うに同じ、太子、或は王子/王国に於いて現在の君主の地位を引き継ぐべき確定的後継者( a prince, heir-apparent associated in the kingdom with the reigning monarch (especially in theatrical language) )の義。
自行大慈大悲。亦教他人令行大慈大悲。自得一切種智。亦教他人令得一切種智。自離一切結使及習。亦教他人令離一切結使及習。自轉法輪。亦教他人轉法輪 自ら大慈大悲を行じて、亦た他人にも教えて、大慈大悲を行ぜしめ、自ら一切種智を得て、亦た他人にも教えて、一切種智を得しめ、自ら一切の結使、及び習を離れ、亦た他人にも教えて、一切の結使、及び習を離れしめ、自ら法輪を転じ、亦た他人にも教えて法輪を転ぜしむ。
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『大慈、大悲』を、
『行い!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『大慈、大悲』を、
『行わせ!』、
自ら、
『一切種智』を、
『得て!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『一切種智』を、
『得させ!』、
自ら、
『一切の結使、及び習』を、
『離れ!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『一切の結使、及び習』を、
『離れさせ!』、
自ら、
『法輪』を、
『転じ!』、
亦た、
『他人』を、
『教えて!』、
『法輪』を、
『転じさせるのである!』。



【論】受記の先相

【論】釋曰。爾時帝釋問舍利弗。頗有未受記菩薩聞是深般若不驚不怖者不。舍利弗言。無有不受記聞般若能信者。若或時能信者。當知垂欲受記不過見一佛二佛。便得受記。佛可舍利弗語。 釋して曰く、爾の時、帝釈の舎利弗に問わく、『頗る未だ受記せざる菩薩の、是の深般若を聞きて、驚かず、怖れざる者有りや不や』、と。舎利弗の言わく、『受記せざるに、般若を聞きて能く信ずる者の有ること無し。若しは或は時に能く信ずる者なれば、当に知るべし、垂んとして、受記せんと欲し、一仏、二仏を見るを過ぎずして、便ち受記を得』、と。仏は、舎利弗の語を可としたまえり。
釈す、
爾の時、
『帝釈』が、
『舎利弗』に、こう問うと、――
未だ、
『受記しない!』、
『菩薩でありながら!』、
是の、
『般若』を、
『聞いて!』、
『驚かず!』、
『怖れない!』者が、
寧ろ、
『少しでも!』、
『有るだろうか?』、と。
『舎利弗』は、こう言った、――
未だ、
『受記せずに!』、
『般若』を、
『聞いて!』、
『信じる!』者など、
『有るはずがない!』。
或は、
時に、
『信じる!』者が、
『有れば!』、
当然、こう知るべきだ、――
間もなく、
『受記するはずだ!』。
『一仏』か、
『二仏』を、
『過ぎることなく!』、
『仏』に、
『出会ったら!』、
『すぐに受記するだろう!』、と。
『仏』は、
『舎利弗の語』を、
『可と( agreement )された!』。
舍利弗聞佛可其所說心生歡喜。復欲分明了了是事故說譬喻作是言。夢中心為睡所覆故非真心所作。若善男子善女人於夢中發意行六波羅蜜。乃至坐於道場。當知是人福德輕微近於受阿耨多羅三藐三菩提記。何況菩薩摩訶薩覺時實心發阿耨多羅三藐三菩提行六波羅蜜而不近受記。 舎利弗の仏の、其の所説を可としたまいしを聞き、心に歓喜を生じ、復た是の事を、分明に了了せんと欲するが故に、譬喩を説いて、是の言を作さく、『夢中の心は、睡に覆わるるが故に、真の心の所作に非ず。若し善男子、善女人、夢中に発意して、六波羅蜜を行じ、乃至道場に坐すれば、当に知るべし、是の人は、福徳軽微なりとも、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるに於いて近し。何に況んや、菩薩摩訶薩の覚むる時に、実の心に阿耨多羅三藐三菩提を発して、六波羅蜜を行ずるに、受記の近からざるをや』。
『舎利弗』は、
『仏』が、
其の、
『所説』を、
『可とされた!』のを、
『聞いて!』、
『心』に、
『歓喜』を、
『生じ!』、
復た(もっと)、
是の、
『事』を、
明白に、
『理解させようとする!』が故に、
『譬喩を説いて!』、
是の、
『言』を作した、――
『夢』中の、
『心』は、
『睡』に、
『覆われている!』が故に、
是れは、
『真の!』、
『心ではない!』が、
若し、
『善男子、善女人』が、
『夢』中に、
『意』を、
『発して!』、
『六波羅蜜』を、
『行い!』、
乃至、
『道場』に、
『坐したとすれば!』、
当然、こう知らねばならない、――
是の、
『人』は、
『福徳』が、
『軽微だったとしても!』、
『近く!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の記』を、
『受けることになる!』、と。
況して、
『菩薩摩訶薩』が、
『覚めた!』時に、
『実の心』で、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発して!』、
『六波羅蜜』を、
『行っていれば!』、
『近く!』、
『記』を、
『受けないはずがあろうか?』。
  分明(ぶんみょう):明白に( clearly, plainly )、限界の明らかなさま( clearly demarcated )。
  了了(りょうりょう):理解する( know clearly, understand )。
世尊若人往來六道生死中。或時得聞般若波羅蜜。受持讀誦正憶念。必知是人不久得阿耨多羅三藐三菩提。如吞鉤之魚雖復遊戲池中當知出在不久。行者亦如是。深信樂般若波羅蜜。不久住於生死。 世尊、若し人、六道の生死中を往来して、或は時に般若波羅蜜を聞くを得て、受持し、読誦し、正憶念すれば、必ず知るべし、是の人は、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を得んと。鉤を呑める魚は、復た池中に遊戯すと雖も、当に知るべし、出づること久しからずと。行者も亦た是の如く、深く般若波羅蜜を信楽すれば、久しく生死に住せず。
世尊!
若し、
『人』が、
『六道』の、
『生死』中を、
『往来していて!』、
或は、
時に、
『般若波羅蜜』を、
『聞くことができ!』、
『受持し!』、
『読誦し!』、
『正憶念すれば!』、
必ず、こう知らねばなりません、――
是の、
『人』は、
『久しからずして!』、
『阿耨多羅三藐三菩提の記』を、
『得るだろう!』、と。
譬えば、こういうことです、――
『鉤を呑んだ!』、
『魚』は、
『池』中に、
『遊戯していた!』としても、
当然、こう知るべきです、――
『池を出る!』のは、
『久しくない!』、と。
『行者』も、
亦た、
是のように、
『深く!』、
『般若波羅蜜』を、
『信じて!』、
『楽しめば!』、
『生死』に、
『久しく!』、
『住まることはありません!』。
此中舍利弗自說譬喻。若人欲過險道。險道者即是世間。百由旬者是欲界。二百由旬者是色界。三百由旬者是無色界。四百由旬者是聲聞辟支佛道。 此の中に、舎利弗の自ら譬喩を説かく、『若し人、険道を過ぎんと欲す』、と。険道とは、即ち是れ世間なり。百由旬とは、是れ欲界なり。二百由旬とは、是れ色界なり。三百由旬とは、是れ無色界なり。四百由旬とは、是れ声聞、辟支仏の道なり。
此の中に、
『舎利弗』は、
自ら、
『譬喩』を、こう説いた、――
若し、
『人』が、
『険道』を、
『過ぎようとすれば!』、と。
『険道』とは、
『世間である!』。
『百由旬』とは、
『欲界である!』。
『二百由旬』とは、
『色界である!』、
『三百由旬』とは、
『無色界である!』、
『四百由旬』とは、
『声聞、辟支仏の道である!』。
復次四百由旬是欲界。三百由旬是色界。二百由旬是無色界。百由旬是聲聞辟支佛。 復た次ぎに、四百由旬とは、是れ欲界なり。三百由旬とは、是れ色界なり。二百由旬とは、是れ無色界なり。百由旬とは、是れ声聞、辟支仏なり。
復た次ぎに、
『四百由旬』とは、
『欲界である!』。
『三百由旬』とは、
『色界である!』。
『二百由旬』とは、
『無色界である!』。
『百由旬』とは、
『声聞、辟支仏である!』。
欲出者是信受行般若波羅蜜人。先見諸法相者。見大菩薩捨世間欲樂深心樂般若波羅蜜。 出でんと欲すとは、是れ般若波羅蜜を信受し、行ずる人なり。先に諸法の相を見るとは、大菩薩の世間の欲楽を捨てて、深心に般若波羅蜜を楽しむを見るなり。
『出ようとする!』とは、――
『般若波羅蜜』を、
『信、受して!』、
『行う!』、
『人である!』。
先に、
『諸法の相を見る!』とは、――
こう見ることである、――
『大菩薩』が、
『世間』の、
『欲楽』を、
『捨てて!』、
『般若波羅蜜』を、
『深心に!』、
『楽しんでいる!』、と。
疆界者分別諸法。是聲聞法是辟支佛法是大乘法。如是小利是聲聞。大利是菩薩。魔界是生死。佛界是般若波羅蜜甘露法味不死之處。 疆界とは、諸法を分別すらく、『是れ声聞の法なり、是れ辟支仏の法なり、是れ大乗の法なり、是の如き小利は、是れ声聞なり、大利は是れ菩薩なり、魔界は是れ生死なり、仏界は是れ般若波羅蜜、甘露の法味、不死の処なり』、と。
『疆界(境界)』とは、
『諸法』を、
『分別する!』ことである、――
則ち、
是れは、
『声聞の法である!』。
是れは、
『辟支仏の法である!』。
是れは、
『大乗の法である!』。
是のような、
『小利』は、
『声聞である!』、
『大利』は、
『菩薩である!』、
『魔界』は、
『生死である!』、
『仏界』は、
『般若波羅蜜であり!』、
『甘露の法味であり!』、
『不死の処である!』、と。
園林者隨佛道禪定智慧等樂。如是等無量善法相。 園林とは、仏道の禅定、智慧等に随いて楽しむ、是の如き等の無量の善法の相なり。
『園林』とは、――
『仏道』の、
『禅定、智慧』等に、
『随って!』、
『楽しむような!』、
是れ等のような、
『無量の!』、
『善法の相である!』。
聚落者是柔順法忍。邑是無生法忍。城是阿耨多羅三藐三菩提。得安穩者菩薩聞是法思惟籌量行。我得是法心安穩當得阿耨多羅三藐三菩提。 聚落とは、是れ柔順法忍なり。邑とは、是れ無生法忍なり。城とは、是れ阿耨多羅三藐三菩提なり。安隠を得とは、菩薩は、是の法を聞いて思惟し、籌量して行ずらく、『我れは、是の法を得て、心安隠なれば、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし』、と。
『聚落』とは、
『柔順法忍である!』。
『邑(むら)』とは、
『無生法忍である!』。
『城』とは、
『阿耨多羅三藐三菩提である!』。
『安隠を得る!』とは、――
『菩薩』は、
是の、
『法』を、
『聞いて!』、
『思惟し!』、
『籌量して!』、
『行いながら!』、こう言うからである、――
わたしは、
是の、
『法』を、
『得てから!』、
『心』が、
『安隠である!』、
当然、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得られるだろう!』、と。
  柔順法忍(にゅうじゅんほうにん):梵語 anulomikii- dharma- kSaanti の訳、自然な帰結を堪え忍ぶこと( resignation to natural consequences )の義、柔軟性という忍耐/真実と調和すること( The patience of flexibility; to accord with the truth. )の意。
  無生法忍(むしょうほうにん):梵語 anutpattika- dharma- kSaanti の訳、未だ生起せずという帰結を堪え忍ぶこと( resignation to consequences which have not yet arisen )の義、現象の非生起性を自覚することに基づく受容( patient acceptance based on awareness of the nonarising of phenomena )、有らゆる存在の本性の不生性を明白に認識することに基づく忍耐、即ち有らゆる事物は生死を超えたものであると悟ること( Patience (tolerance, acceptance) that is based on the clear cognition of the fact that the nature of any existences is not produced; to realize that all things are beyond birth and decay. )の意。
賊者是我等六十二邪見。惡蟲者是愛恚等諸煩惱。不畏賊者人不得便。不畏惡蟲者非人不得便。不畏飢者不畏不能得聖人真智慧。不畏渴者不畏不能得禪定解脫等法樂味。 賊とは、是れ我等の六十二邪見なり。悪虫とは、是れ愛恚等の諸煩悩なり。賊を畏れずとは、人の便を得ざればなり。悪虫を畏れずとは、非人の便を得ざればなり。飢を畏れずとは、聖人の真の智慧を得る能わざるを畏れざるなり。渇を畏れずとは、禅定、解脱等の法楽の味を得る能わざるを畏れざるなり。
『賊』とは、
『我』等の、
『六十二種の邪見である!』。
『悪虫』とは、
『愛、恚』等の、
『諸の煩悩である!』。
『賊』を、
『畏れない!』とは、
『人(悪人)』が、
『便宜』を、
『得ないからである!』。
『悪虫』を、
『畏れない!』とは、
『非人(悪鬼)』が、
『便宜』を、
『得ないからである!』。
『飢』を、
『畏れない!』とは、
『聖人』の、
『真の智慧』を、
『得られない!』ことを、
『畏れないからである!』。
『渇』を、
『畏れない!』とは、
『禅定、解脱』等の、
『法楽の味』を、
『得られない!』ことを、
『畏れないからである!』。
此中自說因緣。菩薩摩訶薩得先相者。不久當得阿耨多羅三藐三菩提。不畏墮惡道中。飢餓死者不畏墮聲聞辟支佛地。佛然可其喻。 此の中に自ら因縁を説かく、『菩薩摩訶薩の先相を得る者は、久しからずして、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べければ、悪道中に堕するを畏れず』、と。飢餓して死すれば、声聞、辟支仏の地に堕つるを畏れざればなり。仏は其の喻を然可したまえり。
『舎利弗』は、
此の中に、
自ら、
『因縁』を、こう説いた、――
『菩薩摩訶薩』が、
『先相』を、
『得れば!』、
『久しからずして!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るはずであり!』、
是の故に、
『悪道』中に、
『堕ちる!』のを、
『畏れないのだ!』、と。
『飢餓』で、
『死ねば!』、
『声聞、辟支仏の地』に、
『堕ちる!』ことを、
『畏れないからである!』。
『仏』は、
其の、
『喻』を、
『その通りだ!』と、
『同意された!』。
以麤喻細以世間喻出世間。餘三譬喻亦應如上分別說。大海水是無上道。平地無樹無山是般若波羅蜜經卷等。 麁を以って細を喻え、世間を以って出世間を喻うるに、余の三譬喩も亦た、応に上の分の如く、別して説くべし。大海水は、是れ無上道なり。平地の樹無く山無きは、是れ般若波羅蜜の経巻等なり。
『譬喩』とは、
『麁』を、
『用いて!』、
『細』を、
『喻え!』、
『世間』を、
『用いて!』、
『出世間』を、
『喻えるものである!』が、
その他の、
『三譬喩』も、
亦た、
上のように、
『分別して!』、
『説かねばならない!』。
『大海水』とは、
『無上道である!』、
『平地』に、
『樹も無く!』、
『山も無い!』とは、
是れは、
『般若波羅蜜の経巻等である!』。
樹果是無上道。樹華是阿鞞跋致地。春時陳葉落更生新葉。是諸煩惱邪見疑等滅能得般若波羅蜜經卷等。 樹の果は、是れ無上道なり。樹の華は是れ阿鞞跋致地なり。春時に陳(ふる)き葉落ちて、更に新しき葉を生ず。是れ諸の煩悩、邪見、疑等滅すれば、能く般若波羅蜜の経巻等を得ればなり。
『樹』の
『果』とは、
『無上道である!』。
『樹』の、
『華』とは、
『阿鞞跋致の地である!』、
『春時』に、
『陳(ふる)い葉』が、
『落ちて!』、
更に、
『新しい葉』が、
『生じる!』とは、
『諸の煩悩、邪見、疑』等が、
『滅すれば!』、
則ち、
『般若波羅蜜の経巻』等を、
『得られるからである!』。
母人是行者。所任身是無上道。欲產相是菩薩久習行般若波羅蜜。厭本所習是患世間婬欲樂不復喜著。佛讚其所說善哉。 母人は、是れ行者なり。任(た)うる所の身は、是れ無上道なり。欲産の相は、是れ菩薩の久しく般若波羅蜜を習行すればなり。本の習う所を厭うとは、世間の婬欲の楽を患いて、復た喜著せざればなり。仏は其の所説を善い哉と讃じたまえり。
『母人』とは、
『行者である!』、
『妊(はら)む!』所の、
『身』とは、
『無上道である!』。
『産もうとする!』、
『相』とは、
『菩薩』は、
『久しく!』、
『般若波羅蜜』を、
『習行してきたからである!』。
『本』の、
『習う!』所を、
『厭う!』とは、
『世間』の、
『婬欲の楽』を、
『患い( detest )!』、
復た、
『喜んで!』、
『著しないからである!』。
『仏』は、
其の、
『所説』を、
『善いぞ!』と、
『讃えられた!』。
爾時須菩提聞佛然舍利弗所說讚其善哉。知佛意深敬念是菩薩。是故白佛言。世尊。甚為希有。善付菩薩事。 爾の時、須菩提は、仏の舎利弗の所説を然りとして、其れを善い哉と讃じたまえるを聞き、仏意の深く敬念したもうは、是の菩薩なるを知れば、是の故に仏に白して言さく、『世尊、甚だ希有と為す。善く菩薩の事を付したまえり』、と。
爾の時、
『須菩提』は、
『舎利弗』の、
『所説』を、
『然りとして( agree )!』、
其れを、
『善いぞ!』と、
『讃じられた!』のを、
『聞いた!』ので、
『仏』の、
『意』の、
『深く!』、
『敬念する!』のは、
是の、
『菩薩である!』と、
『知り!』、
是の故に、
『仏』に白して、こう言った、――
世尊!
『甚だ!』、
『希有です!』、
『仏』が、
『菩薩の事』を、
『付託されますのは!』、と。
菩薩事者空道福德道。亦如佛種種總相別相說以寄付阿難彌勒等。入無餘涅槃後好自奉行。教示利益眾生無令謬錯。 菩薩の事とは、空道、福徳道なり。亦た仏の種種の総相、別相の説を以って、阿難、弥勒等に寄付したもうが如く、無余涅槃に入りたまいし後、好く自ら奉行して、衆生を教示し利益して、謬錯せしむること無からしむ。
『菩薩の事』とは、
『空の道』や、
『福徳の道である!』。
亦た、
『仏』の、
種種の、
『総相、別相の説』が、
『阿難、弥勒』等に、
『寄付(委託)されたように!』、
『仏』が、
『無余涅槃』に、
『入られた!』後にも、
『自ら!』も、
『好く!』、
『奉行(履行)し!』、
『衆生』を、
『教示し』、
『利益して!』、
『衆生』に、
『謬錯させる!』ことを、
『無くすことである!』。
佛說善付因緣。諸菩薩發阿耨多羅三藐三菩提心 仏の善く付すの因縁を説きたまわわく、『諸の菩薩は、阿耨多羅三藐三菩提の心を発せばなり』、と。
『仏』は、
『善く!』、
『付託した!』、
『因縁』を、こう説かれた、――
諸の、
『菩薩摩訶薩』が、
『阿耨多羅三藐三菩提の心』を、
『発したからである!』、と。
安穩多眾生者。一切眾生中無量無邊阿僧祇。除佛無能計知者。從佛得利益者不可數故名多。 多くの衆生を安隠にすとは、一切の衆生中に、無量無辺阿僧祇にして、仏を除いて能く計知する者無く、仏より利益を得る者の数うべからざるが故に、多しと名づく。
『多く!』の、
『衆生』を、
『安隠にする!』とは、――
一切の、
『衆生』中の、
『無量、無辺、阿僧祇』の、
『仏を除いては計り知る者の無いほどの!』、
『衆生』が、
『仏』より、
『利益』を、
『得る!』が、
『数えられない!』が故に、
『多い!』と、
『称するのである!』。
安穩者眾生著常教無常。著樂者教苦。著實者教空。著我者教無我。如是等名安穩。 安隠とは、衆生が、常に著すれば、無常を教え、楽に著すれば、苦を教え、実に著すれば、空を教え、我に著すれば、無我を教う。是の如き等を安隠と名づく。
『安隠』とは、
『衆生』が、
『常』に、
『著すれば!』、
『無常』を、
『教え!』、
『楽』に、
『著すれば!』、
『苦』を、
『教え!』、
『実』に、
『著すれば!』、
『空』を、
『教え!』、
『我』に、
『著すれば!』、
『無我』を、
『教える!』ので、
是れ等を、
『安隠』と、
『呼ぶのである!』。
凡夫人聞是當時雖不喜樂。久久滅諸煩惱得安穩樂。如服苦藥當時雖苦後得除患。無量眾生得樂者。菩薩求般若波羅蜜未得成就時。以今世後世樂利益眾生。 凡夫人は、是れを聞きて、当時は喜楽せずと雖も、久久にして諸煩悩を滅すれば、安隠の楽を得。苦薬を服して、当時は苦しと雖も、後には患を除くを得るが如し。無量の衆生は楽を得とは、菩薩は、般若波羅蜜を求めて、未だ成就するを得ざる時、今世、後世の楽を以って衆生を利益す。
『凡夫人』は、
是れを、
『聞いて!』、
当時は、
『喜んで!』、
『楽しまなくても!』、
久しき後に、
『諸の煩悩』を、
『滅すれば!』、
『安隠の楽』を、
『得る!』。
譬えば、
『苦い薬』を、
『服んで!』、
当時は、
『苦くても!』、
後には、
『患』を、
『除くことができる!』のと、
『同じことである!』。
『無量の衆生』が、
『楽』を、
『得る!』とは、――
『菩薩』が、
『般若波羅蜜』を、
『求めて!』、
未だ、
『成就しない!』時には、
『今世、後世の楽』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『利益するからである!』。
如菩薩本生經說。若得般若波羅蜜已斷諸煩惱。亦以世間樂出世間樂利益眾生。若得無上道時但以出世間樂利益眾生。 菩薩本生経の説の如し、若し般若波羅蜜を得已れば、諸の煩悩を断ちて、亦た世間の楽、出世間の楽を以って、衆生を利益す。若し無上道を得たる時には、但だ出世間の楽を以って、衆生を利益すと。
例えば、
『菩薩本生経』には、こう説かれている、――
若し、
『般若波羅蜜』を、
『得れば!』、
諸の、
『煩悩』を、
『断って!』、
亦た、
『世間の楽』や、
『出世間の楽』で、
『衆生』を、
『利益する!』。
若し、
『無上道』を、
『得た!』時には、
但だ、
『出世間の楽』で、
『衆生』を、
『利益する!』、と。
安樂饒益者但以憐愍心故安樂饒益。饒者多利益天人。餘道中饒益少故不說。 安楽にして饒益すとは、但だ憐愍の心を以っての故に、安楽にして饒益するなり。饒とは、多く天人を利益す。余道中には饒益すること少なきが故に説かず。
『衆生』を、
『安楽にして!』、
『饒益する!』とは、
但だ、
『憐愍の心』の故に、
『安楽にして!』、
『饒益することである!』。
『饒』とは、
『天、人』を、
『多く!』、
『利することである!』が、
『他の道(声聞、辟支仏)』中には、
『饒益する!』ことが、
『少ない!』が故に、
『説かれていない!』。
  饒益(にょうやく):富有豊足。富を豊かに足らせる。
利益事者。所謂四攝法。以財施法施二種攝取眾生。 利益の事とは、謂わゆる四摂法なり。財施と法施とを以って、二種に衆生を摂取するなり。
『利益の事(仕事)』とは、
謂わゆる、
『四摂法』の、
『布施、愛語、利益、同事である!』が、
『布施』とは、――
謂わゆる、
『財施、法施の二種』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『摂取(捕捉)することである!』。
  摂取(せっしゅ):梵語 saMgraha の訳、束ねて保持する/把む/握る/捕える/受容れる/獲得すること( holding together, seizing, grasping, taking, reception, obtainment )の義。
愛語有二種。一者隨意愛語。二者隨其所愛法為說。是菩薩未得道。憐愍眾生自破憍慢。隨意說法。若得道隨所應度法為說。高心富人為讚布施。是人能得他物利名聲福德故。若為讚持戒毀呰破戒則心不喜樂。如是等隨其所應而為說法。 愛語には二種有り、一には意に随う愛語、二には其の所愛の法に随いて、為に説く。是の菩薩、未だ道を得ざれば、衆生を憐愍して、自ら憍慢を破るに、意に随うて法を説き、若し道を得れば、所応の度法に随いて、為に説く。高心の富人なれば、為に布施を讃ず。是の人は、能く他物、利、名声、福徳を得るが故に、若し為に持戒を讃じて、破戒を毀呰すれば、則ち心に喜楽せざればなり。是の如き等、其の所応に随いて、為に法を説く。
『愛語』には、
『二種』有り、――
一には、
自ら、
『意のままに!』、
『愛語すること!』、
二には、
其の(彼れの)、
『所愛の法』に、
『随って!』、
『説くことである!』。
是の、
『菩薩』が、
未だ、
『道』を、
『得ていなければ!』、
『衆生』を、
『憐愍して!』、
『自ら!』の、
『憍慢』を、
『破ったとしても!』、
『意のまま!』に、
『法』を、
『説くことになる!』が、
若し、
『道』を、
『得ていれば!』、
其れに、
『相応しい!』、
『度す!』為の、
『法』を、
『説くことになる!』。
若し、
『高心(高慢)な!』、
『富人』ならば、
其の為に、
『布施』を、
『讃じるだろう!』。
是の、
『人』は、
『他人の物』や、
『利息』や、
『名声』や、
『福徳』を、
『得ることができる!』が故に、
若し、
『持戒』を、
『讃じて!』、
『破戒』を、
『毀呰すれば!』、
則ち、
『心』が、
『喜楽しないからである!』。
是れ等のように、
其の、
『相応しい!』所に、
『随って!』、
其の為に、
『法』を、
『説くのである!』。
  高心(こうしん):梵語 maana, adhimaanin の訳、うぬぼれ/尊大/高慢( self-conceit, arrogance, pride )の義。
利益亦有二種。一者今世利後世利為說法。以法治生勤修利事。二者未信教令信。破戒令持戒。寡識令多聞。不施者令布施。癡者教智慧。如是等以善法利益眾生。 利益にも亦た二種有り、一には今世の利、後世の利もて為に法を説き、法を以って治生し、利事を勤修せしめ、二には未信なれば、教えて信ぜしめ、破戒なれば、持戒せしめ、寡識なれば、多聞ならしめ、施さざる者なれば、布施せしめ、癡者なれば、智慧を教う。是の如き等の善法を以って、衆生を利益す。
『利益』にも、
『二種』有り、――
一には、
『今世、後世の利』の、
『法』を、
其の為に、
『説いた!』ならば、
『法』を、
『用いて!』、
『生計』を、
『営ませ!』、
『利になる!』、
『事』を、
『勤修させる!』。
二には、
『法』を、
未だ、
『信じない!』者には、
『法』を、
『信じさせ!』、
『戒』を、
『破る!』者には、
『戒』を、
『守らせ!』、
『知識』の、
『少ない!』者には、
『多く!』を、
『聞かせ!』、
『施さない!』者には、
『布施をさせ!』、
『癡者』には、
『智慧』を、
『教える!』、
是れ等のような、
『善法』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『利益することである!』。
  治生(じしょう):自ら生計を営む。
同事者菩薩教化眾生令行善法同其所行。菩薩善心眾生惡心。能化其惡令同己善。 同事とは、菩薩は、衆生を教化して、善法を行ぜしめ、其の所行を同ぜしむ。菩薩の善心と衆生の悪心は、能く其の悪を化して、己の善に同ぜしむ。
『同事』とは、――
『菩薩』は、
『衆生』を、
『教化し!』、
『善法』を、
『行わせて!』、
其の、
『所行』を、
『菩薩』と、
『同じようにさせ!』、
『菩薩の善心』と、
『衆生の悪心』は、
其の、
『悪心』を、
『化して!』、
己の、
『善心』と、
『同じようにさせる!』。
是菩薩以四種攝眾生令住十善道。是廣說四攝義。於二施中法施隨其所樂而為說法。是愛語中第一。眾生愛惜壽命令行十善道則得久壽。利益於一切寶物利中法利最勝。是為利益。同事中同行善法為勝。是菩薩自行十善。亦以教人。 是の菩薩は、四種を以って、衆生を摂し、十善道に住せしむ。是の四摂の義を広説すれば、二施中に於いて、法施は、其の楽しむ所に随いて、而も為に法を説く、是れ愛語中の第一なり、衆生は、寿命を愛惜すれば、十善道を行ぜしめて、則ち久しき寿を得しむ。利益は、一切の宝物の利中に於いて、法の利は最勝なれば、是れを利益と為す。同事中には、善法を行ずるに同ずるを、勝ると為せば、是の菩薩は、自ら十善を行じて、亦た以って人に教うるなり。
是の、
『菩薩』は、
『四種』の、
『法』を、
『用いて!』、
『衆生』を、
『摂し!』、
『十善道』に、
『住まらせる!』が、
是の、
『四摂の義』を、
『詳しく!』、
『説けば!』、――
『二施』中の、
『法施』は、
『衆生』の、
『楽しむ!』所に、
『随って!』、
其の為に、
『法』を、
『説くことであり!』、
是れは、
『愛語』中の、
『第一である!』。
『衆生』は、
『寿命』を、
『愛して!』、
『惜むものである!』が故に、
『十善道』を、
『行わせれば!』、
則ち、
『寿命』を、
『長くさせられる!』が故に、
『利益』ならば、
一切の、
『宝物の利』中に、
『法の利』が、
『最勝である!』。
是れが、
『利益である!』。
『同事』中には、
『善法』を、
『行わせて!』、
『同じようにさせる!』ことが、
『勝れている!』が故に、
是の、
『菩薩』は、
自ら、
『十善』を、
『行い!』、
亦た、
『人にも!』、
『教えるのである!』。
有人言。後自行十善等是第四同義。是故說自行十善亦教人行。 有る人の言わく、『後の自ら十善等を行ずる、是れ第四の同の義なり。是の故に説かく、自ら十善を行じ、亦た人に教えて行ぜしむ』、と。
有る人は、こう言っている、――
後の(大品般若経巻24善達品)、
自ら、
『十善』を、
『行う!』等、
是れが、
『第四同事の義であり!』、
是の故に、
後に、こう説くのである、――
自ら、
『十善』を、
『行い!』、
亦た、
『人』にも、
『教えて!』、
『行わせる!』、と。
  参考:『大品般若経巻24善達品』:『如是須菩提。菩薩摩訶薩不見離法性有法行般若波羅蜜。以方便力故雖不得眾生。而自布施亦教人布施。讚歎布施法歡喜讚歎行布施者。自持戒亦教人持戒。自忍辱亦教人忍辱。自精進亦教人精進。自行禪亦教人行禪。自修智慧亦教人修智慧。讚歎修智慧法。歡喜讚歎修智慧者。自行十善亦教他人行十善。讚歎行十善法。歡喜讚歎行十善者。自受行五戒亦教他人受行五戒。讚歎五戒法。歡喜讚歎受行五戒者。自受八戒齋亦教他人受八戒齋。讚歎八戒齋法。歡喜讚歎行八戒齋者。自行初禪乃至自行第四禪。自行慈悲喜捨。自行無邊空處乃至非有想非無想處亦教他人行。自行四念處乃至八聖道分。自行三解脫門佛十力。乃至自行十八不共法。亦教他人行十八不共法。讚歎十八不共法。歡喜讚歎行十八不共法者。須菩提。若法性前後中有異者。是菩薩摩訶薩不能以方便力故示法性成就眾生。須菩提。以法性前後中無異。是故菩薩行般若波羅蜜。為利益眾生故行菩薩道』
自行初禪亦教他行。初禪等同離欲同持戒。是故名相攝。相攝故漸漸能以三乘法度。乃至非有想非無想處亦如是。 自ら初禅を行じて、亦た他を教えて行ぜしむ。初禅に等しく、離欲を同じ、持戒を同ずれば、是の故に相摂すと名づく。相摂するが故に、漸漸にして能く三乗の法を以って度す。乃至非有想非無想処も亦た是の如し。
自ら、
『初禅』を、
『行い!』、
亦た、
『他人にも!』、
『教えて!』、
『行わせる!』とは、――
『初禅』に、
『等しく!』、
『離欲』や、
『持戒』をも、
『同じようにさせる!』ので、
是の故に、
互に、
『摂する!』と、
『言うのである!』。
互に、
『摂する!』が故に、
次第に、
『三乗の法』を、
『用いて!』、
『度すことになり!』、
乃至、
『非有想非無想処』も、
亦た、
『是の通りである!』。
自行六波羅蜜亦以教他。因般若故令眾生得般若分。所謂得須陀洹等方便力故自不證。 自ら六波羅蜜を行じ、亦た以って他を教う。般若に因るが故に、衆生をして、般若の分を得しむ。謂わゆる須陀洹等を得るも、方便力の故に、自ら証せず。
自ら、
『六波羅蜜』を、
『行いながら!』、
亦た、
『他人』を、
『教える!』とは、――
即ち、
『般若』に、
『因る!』が故に、
『衆生』に、
『般若の分』を、
『得させるのであり!』、
謂わゆる、
『須陀洹』等を、
『得させる!』が、
『方便の力』の故に、
『自ら!』が、
『証することはない!』。
是人福德智慧力增益故。教無量阿僧祇菩薩令住六波羅蜜。自住阿鞞跋致地等亦以教他。乃至自轉法輪亦教他轉法輪。是故我以慈悲心故善付是菩薩事。不以愛著故
大智度論卷第六十六
是の人は、福徳の智慧の力の増益するが故に、無量阿僧祇の菩薩を教えて、六波羅蜜に住せしめ、自ら阿鞞跋致地等に住して、亦た以って他を教え、乃至自ら法輪を転じて、亦た他を教えて法輪を転ぜしむ。是の故に、我れは、慈悲心を以っての故に、善く是の菩薩事を付するも、以って愛著せざるが故なり。
大智度論巻第六十六
是の、
『人』は、
『福徳』の
『智慧の力』が、
『増益する!』が故に、
『無量阿僧祇』の、
『菩薩』を、
『教えて!』、
『六波羅蜜』に、
『住まらせ!』、
自らは、
『阿鞞跋致地』等に、
『住まって!』、
亦た、
『他人にも!』、
『教え!』、
乃至、
自ら、
『法輪』を、
『転じて!』、
亦た、
『他人にも!』、
『教えて!』、
『法輪』を、
『転じさせる!』ので、
是の故に、こう説かれのである、――
わたしは、
『慈悲心』を、
『用いる!』が故に、
是の、
『菩薩事』を、
『善く!』、
『付したのである!』。
是の、
『菩薩事』を、
『愛著するから!』、
『付したのではない!』、と。

大智度論巻第六十六


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